登録リスト(該当:5859件)

写真タイトル説明登録日
1常盤町30年のあゆみ 目次常盤町30年のあゆみ 目次常盤町30年のあゆみ  1.入居当時の常盤町  2.昭和50年当時の航空写真  3.常盤町周辺の航空写真  4.常盤町の歌  5.常盤町地籍の小字図  6.歴代自治会長  7.完成近い自治会館  8.発刊に当たって  9.「常盤町30年のあゆみ」 第1章 常盤町の自然と歴史  第1節 大字常磐城地区の変貌  第2節 自然の様子  第3節 上田市の歴史  第4節 常盤町周辺の寺社・史跡等 第2章 常盤町の団地造成と自治会の発足  第1節 戦後の市内住宅事情と常盤団地の造成  第2節 団地造成に対する生塚住民の協力  第3節 県企業局の団地造成計画  第4節 宅地区画と住民募集経過  第5節 自治会の発足と自治会館建設  第6節 当時の入居者構成分布  第7節 初期の公共生活環境整備に向けて 2023-08-09
2信州デジタルマップに見るwebサイト型地域メディアの課題信州デジタルマップに見るwebサイト型地域メディアの課題2023-08-09
3記事投稿の良い例記事投稿の良い例 実際に記事投稿で情報が伝わりやすい良い例になります。「写真」のほうは同じ写真ですが、「タイトル」や「説明文」など詳細に書かれていてより情報が伝わるよいものになっています。どんなことを伝えたいのか意識して投稿を作っていきましょう!2023-08-08
4記事投稿の悪い例記事投稿の悪い例 実際に上田城についての記事投稿の悪い例になります。みてみると「タイトル」・「説明文」などともに情報が少なく実際にどんなものなのかが伝わらないものになっています!できるだけ行ったことや訪れたことのない人にも伝わりやすい情報を入れると良いでしょう!2023-08-08
5実際に記事を投稿していく流れ②実際に記事を投稿していく流れ② 実際に新規投稿を押すと以下の画面がでてきます。主に投稿する内容は「タイトル」・「記事の説明」・「この記事のカテゴリー」・「写真」の4項目になります。入力ができましたら下にスクロールをすると投稿のボタンがあるので押して実際に記事を投稿してみてください!2023-08-08
6実際に記事を投稿していく流れ①実際に記事を投稿していく流れ① 実際にログインができると自分の登録したニックネームと以下の画面がでてきます。新規投稿というボタンをクリックすると実際に記事を作って投稿することができるので実際に作ってみましょう!2023-08-08
7みんなの投稿した記事の調べ方みんなの投稿した記事の調べ方 記事のキーワードを検索するとそのキーワードにヒットした記事を見ることができます。よくわからないという人はまずはカテゴリを絞ってみたり、おすすめの記事を見てみるとよいでしょう!2023-08-08
8信州上田デジタルマップサイトの説明信州上田デジタルマップサイトの説明 信州上田デジタルマップを開くとこのような画面がでてきます。初めての人はまずは新規登録のボタンを押して一緒に投稿をしてデジタルマップを一緒につくってみましょう!2023-08-08
9上田年表(1989年~1993年)上田年表(1989年~1993年)上田年表の作成を行いました。 以前のような文字だけの年表は、わかりづらいと感じたので今回は年表の作成に取り組みました。2023-08-08
10津軽ねぷたそれぞれの違いを見る津軽ねぷたそれぞれの違いを見る観光資源としても有名な青森ねぶた、弘前ねぷた以外のねぷたを見たのは1997年、黒石ねぷたが初めてです。民俗的な文化でもあるねぷたは、本来的にはそれぞれの地元のまつりであって観光資源ではありません。 1997年当時、黒石ねぷたを『マッピング津軽』(現在は閉鎖)で紹介しました。もしかすると黒石ねぷたをネットに紹介したのは私が初めてかもしれません。 ねぷた(ねぶた)は津軽各地にあります。青森、弘前、黒石、平川、田舎館、大鰐、五所川原、つがる(木造)、…。ねぷた文化がどのように遍在しているのか、当時は知る術もなく、現地に訪れ初めて接しました。観光資源化されたねぷたではなく、土着的な祭りとしてのねぷたを直に見て紹介しようというのがその時の動機。平川(当時は猿賀)や田舎館などにもあることは知っていましたが、2023-08-06
11例)【蚕の観察日記】8月5日例)【蚕の観察日記】8月5日2023/08/05 今日もいつも通り、蚕は動いていた。 桑の葉をおいてあげるともぞもぞと動き出しおいしそうに葉っぱを食べていた。 蚕の顔をよく見てみると目はあるがあまりあいていないように思える。もしかしたら、目があまり良くないのかもしれない。 住んでいる所は蓋もないが逃げ出さないのは何故なのだろう。 次の授業のときに調べて見ようと思う。2023-08-05
12前期を終えて、学んだこと前期を終えて、学んだこと大学4年生の前期が終わった。 色々な思いをとりあえず書き出すようなまとめになってしまったが、「現場にこそ、答えはある。」という、一番の気づきを得られたように感じる。2023-08-04
13茂田井間の宿茂田井間の宿佐久市にある茂田井間の宿の写真です。立科の歴史を辿るルートとなり、非常に意義深いと感じます。2023-08-01
144中禅寺(重要文化財)4中禅寺(重要文化財)平安時代末期から鎌倉時代初期の間に創建されたとされる独鈷山のふもとにある中部日本で最も古い木造建築物。国の重要文化財に指定されている真言宗の寺院だ。源頼朝や北条氏の庇護を受けて栄えていたが、永享年間(1429年―1441年)、寛文5年(1665年)、享保5年(1720年)と度重なる火災に遭ってしまい焼けてなくなってしまう。享保19年(1734年)に祐精法印が再び栄えさせて現在の本堂が建立された。 一般200円、高校生以下50円の拝観料が必要。2023-07-27
153前山寺(重要文化財)3前山寺(重要文化財)弘仁年間(812年)に弘法大師(空海)が開き、鎌倉時代に長秀上人が発展させた寺院。開創当初は法相宗と三論宗のふたつを兼ねていたが、長秀上人によって真言宗となった。二層目と三層目に勾欄という手すりのようなものがないため「未完成の完成塔」と呼ばれている。 営業時間は9時から16時で、入山するには200円が必要。2023-07-27
162安楽寺 八角三重塔(国宝)2安楽寺 八角三重塔(国宝)信州で最も古い禅宗の寺院。禅宗の中でも曹洞宗の宗派である。天兵時代に建立され、天長時代に創立されたとされている。日本で唯一の木造八角塔として長野県で初めて国宝に指定された。八角三重塔も迫力があったが、そこに着くまでの階段が緑に溢れていてとても綺麗だった。 境内に入るのは無料だが、三重塔拝観には一律300円の拝観料が必要。2023-07-27
171信濃国分寺(重要文化財)1信濃国分寺(重要文化財)奈良時代に建立された天台宗の寺院。承平の乱で燃えてなくなってしまったが室町時代に今の場所に再建された。蘇民将来符という疫病や災難を避けて福を招くといわれる護符 が有名で、正月の縁日にのみ手に入れることができる。 お寺は無料で参拝することができるが、信濃国分寺資料館は小中学性60円、学生180円、一般250円の入館料が必要。2023-07-27
18長野県内でのオープン データの活用方法を探る長野県内でのオープン データの活用方法を探る私は地域情報メディア論の最終課題として長野県内でオープンデータの活用方法を探ることを課題にし、自分なりの解決をパワーポイントにまとめPDFファイルに変換し後悔しました。2023-07-27
19DA学会発表「地域デジタルコモンズが拓くこと」(2023)DA学会発表「地域デジタルコモンズが拓くこと」(2023)デジタルアーカイブ学会/地域アーカイブ部会 地域デジタルコモンズが拓くこと~d-commons.netによる地域課題の包摂的支援~ 2023/07/26 前川道博 ▼デジタルアーカイブ学会地域アーカイブ部会サイト シリーズ研究会 テーマ:地域デジタルコモンズが拓くこと~『光が丘デジタルアーカイブ』とd-commons.net~ (2023/7/26) ▼研究会の記録動画はコチラ(掲載元の動画を再掲)。2023-07-26
20「藤本蚕業デジタルコモンズ」の構築(2023)「藤本蚕業デジタルコモンズ」の構築(2023)研究発表 「藤本蚕業デジタルコモンズ」の構築~地域資料アーカイブの課題と活用に向けた解決策~ (2023/06/18 デジタルアーカイブ学会/第3回DAフォーラム)  前川道博(長野大学企業情報学部) 【研究の概要】 藤本蚕業歴史館(長野県上田市)は蚕種製造企業であった藤本蚕業の所蔵資料を保管する文書館である。所蔵資料は2009年、その保存整理、目録化が図られたものの、その後10数年間にわたり、活用がなされないまま現在に至った経緯がある。本研究はその資料を含めた諸資源の活用、資料のデジタルアーカイブ化に向けて取り組んだ実践的活動を報告し、デジタルアーカイブ化の課題、その解決策を提起するものである。根本的な乖離をもたらす社会的背景には、知識消費(マスコミュニケーション)型社会のレジームがデジタルアーカイブ化への2023-06-18
21上田蚕種:蚕種製造1風景:繭の搬入→オスメス鑑別上田蚕種:蚕種製造1風景:繭の搬入→オスメス鑑別 蚕種製造の作業は、藤本蚕業株式会社では蚕種製造用の繭を農家から搬入してもらうところから始まります。この日6/15は茨城県かすみがうら市の契約農家から運ばれた繭を車から降ろすところから作業が始まりました。 蛹を繭と分離し、さらにオスメスを鑑別してオスメスを別々に養生します。作業工程をビデオに収録しておいたので御覧ください。 この後は10日ほど経過した後、羽化したオスメスの蛾を交尾させることで受精卵を取り出します。以上が蚕種製造の工程です。2023-06-17
22現役の蚕種製造企業:上田蚕種株式会社現役の蚕種製造企業:上田蚕種株式会社 上田蚕種は1918年(大正7年)に創業後、世界恐慌、太平洋戦争などの激動の時代を経て日本の蚕種製造を支えてきました。現在も蚕種製造業を営んでいる数少ない企業の一つです。 2023/06/15記録。 現役の蚕種製造企業は上田蚕種(上田市)、高原社(松本市)、冨田蚕種(福島県伊達市)の3社のみです。2023-06-17
23上田蚕種:蚕種製造の現場・雄雌鑑別上田蚕種:蚕種製造の現場・雄雌鑑別かつての日本の基幹産業・蚕糸業を支えた蚕種製造業。6/15、上田蚕種株式会社で養蚕農家から集荷した繭から蛹を取り出し、雄雌を鑑別する作業が行われました。その貴重な作業風景を学生と映像記録、これからネット等へ出していきます。2023-06-16
24小諸駅小諸駅小諸駅は長野県小諸市相生町一丁目にある、しなの鉄道・JR東日本の駅である。しなの鉄道とJR東日本の共同使用駅で管轄はしなの鉄道が行っている。 3面5線を有する地上駅であり、JRとしなの鉄道相互間の乗換えは改札を通らずに可能。互いのホームは跨線橋で連絡している。 待合室には2013年に閉店した駅そば屋の「ひしや」の味を再現した駅そば屋の「清野商店」が営業しており、かつての駅そばが堪能できるようになっている。駅舎内では地元農産物の販売も行われている。 JR東日本 - 2021年度の1日平均乗車人員は1,398人である。 しなの鉄道 - 2020年の1日平均乗降人員は2,118人である。 駅周辺には小諸市役所、小諸図書館、懐古園がある。2023-06-01
25海野町の新築マンションと年齢別人口構成比海野町の新築マンションと年齢別人口構成比▲グラフ表示のウェブページ(以下をハードコピー) MapExpert 人口世帯数マップ 上田市中心商店街の海野町にここ数年にわたり複数のマンションが建設されています。1棟は現在建設中。中心商店街を訪れる人が少なく商業がどこまで成り立っているのかわかりませんが、いわゆるシャッター通りというほどの寂れ方ではありません。住民の年齢層はどうなっているのだろう。 そのような関心から年齢別の構成比を調べてみました。海野町のある中央二丁目をチェック。75歳以上が圧倒的に多く、00歳代以降の各年齢層はほぼ同じ程度に分散した少ない割合。商店や住宅がマンションになり、まちが新たな住民の住まいとなることで中心市街地の再生が図られるのではないかと思うところです2023-05-29
26岩村田駅岩村田駅岩村田駅は長野県佐久市岩村田にある、JR東日本小海線の駅である。 単式ホーム2面2線を持つ地上駅であり、互いのホームは跨線橋で連絡している。以前は駅舎と反対側のホームは島式ホームとなっていた。 JR東日本によると2021年度の1日平均乗車人員は1,067人である。 駅周辺には岩村田高校、佐久長聖高校、佐久平総合技術高校、浅間中学校と学校が多い。2023-05-27
27佐久平駅佐久平駅佐久平駅は長野県佐久市佐久平駅東にあるJR東日本小海線の駅である。 北陸新幹線と小海線が乗り入れ、両路線の接続駅となっている。 単式ホーム1面1線を有する高架駅。ホームには待合室がないため、ホームと通路はドアで締め切るようになっている。 新幹線は自動改札機であるのに対し、小海線は改札がなく無人駅扱いである。 JR東日本によると、2021年度の1日平均乗車人員は2,105人である。また、新幹線の1日平均乗車人員は1,777人である。 駅周辺にはイオンモール佐久平店や佐久ホテルがある。2023-05-27
28上田市花火大会2022上田市花火大会20222022年8月に上田で約3年ぶりとなる花火大会が実施された。全国的にも人気の高い地元の花火業者3社が打ち上げを行い、大迫力の花火大会となった。新型コロナウイルスの影響により、祭りなどの町おこしが規制されていたが、3年ぶりと言うことで上田市民だけでなく他の街からの参加者も大勢出向き、盛り上がった。2023-05-22
29乙女駅乙女駅乙女駅は長野県小諸市甲にある、JR東日本小海線の駅である。 ホームには乙女の駅名由来板が設置されている。 無人駅。隣接する乙女湖公園との間には通路がある。 1日平均の乗車人員は以下のようになっている。 2007年度 - 162人 2009年度 - 150人 2010年度 - 154人 2011年度 - 168人 駅周辺には乙女湖公園や小諸東中学校がある。2023-05-22
30つくば市:00歳代人口が30%の区域があるつくば市:00歳代人口が30%の区域がある少子高齢化、人口減少が全国的に深刻な状況の中にあって最も人口増加率の高い都市が茨城県つくば市です。 【全国の市】人口増加率ランキング 全国792市の人口増加率。2020年10月1日の国勢調査人口から2022年10月1日の推計人口までの人口増加率 第1位 つくば市 4.48% 2022年人口:252,4812020年人口:241,656 つくば市は筑波研究学園都市建設から約50年が経過し、都市の再開発が進んでいます。とりわけTX(つくばエクスプレス)の開業による変動は著しく「研究学園」地区が旧市街地に並ぶ新興中心部と化してきました。人口の偏りは区域別に見ないとその実態が見えません。 そこで、『e-stat』(総務省統計局)から「令和2年国勢調査 小地域集計 第3表 男女,年齢(5歳階級)別人口,平均年齢及び総年齢町丁・字等」を参2023-05-22
31ふじのくに田子の浦みなと公園ふじのくに田子の浦みなと公園歴史学習施設ディアナ号 無人の展示施設で、再現ビデオや資料などが展示されている。2023-05-11
32東小諸駅東小諸駅東小諸駅は長野県小諸市甲にあるJR東日小海線の駅である。 1952年7月10日:国鉄の駅として開業し旅客営業のみだった。 1987年4月1日:国鉄分割民営化により、JR東日本の駅となった。 駅構造は無人駅で、ホーム上に待合室設置されている。 長野県統計書によると、1日平均の乗車人員は 2007年度 - 59人 2009年度 - 85人 2010年度 - 86人 2011年度 - 95人 となっている。2023-05-18
33桐生が丘遊園地桐生が丘遊園地 群馬県桐生市にある遊園地といえばここ桐生が丘遊園地!遊具についても今年に入り新しいものが導入されたり少しアップデートされています。場所的に少し山の上なので訪れる際は是非お車で!2023-05-17
34木製のベンチ木製のベンチじまんやきを販売しているお店の前にあった木製のベンチである。商店街には高齢者が多く見受けられたため、このような球形の場を増やす必要があると感じた。2023-05-16
35シャッター街シャッター街昔は栄えていたであろう店のシャッター。海野町商店街の中にはこのような状態のお店が複数あった。今後このようなお店がどのように発展していくのか注目したい。2023-05-16
36まちなかキャンパスまちなかキャンパス予約をすれば利用することのできる施設の1つ。学生や社員の会議の場や、展示会場として利用されている。2023-05-16
37海野町会館海野町会館海野町会館の外観。過去には上田のロケ地を巡る映画ポスター展を開催したり、遊具を置いたりと、イベントの実施や地元民の憩いの場として利用されている。2023-05-16
38北国街道柳町北国街道柳町カフェや雑貨屋さんなどが並んでいる昔ながらの雰囲気のある通り 全国的に有名なお店もある2023-05-12
39おおにしおおにし北国街道柳町で見つけた外観が個性的でかわいいお蕎麦屋さん 昔ながらの雰囲気と今どきな雰囲気が混在していて不思議な空間2023-05-12
40昭和レトロな喫茶店昭和レトロな喫茶店散策中に見つけた昔から上田にあるような趣があってかわいいレトロな喫茶店2023-05-12
41にゃんこ②にゃんこ②にゃんこ①と同じく散策中に通りかかった猫2023-05-12
42にゃんこ①にゃんこ①上田駅周辺を歩いているときに見つけた猫2023-05-12
43鐵のほそ道鐵のほそ道鉄の展示館の隣に鐵のほそ道という小さな建物がありました。そこには店先に彫刻かと思うほどに動かない猫が日向ぼっこをしていました。ソフトクリームも美味しそうで今度食べてみたいと思いました。2023-05-11
44本陣本陣本陣と書かれた大きな石碑を見つけました。2023-05-11
45石油タンク石油タンク坂城町の国道18号を歩いているととても大きな石油タンクを発見しました。緑色で染められており真ん中にバラの街坂城と大きく書いてあり、遠くからでも坂城町と分かる建造物で素晴らしいと思いました。2023-05-11
46人間国宝人間国宝鉄の展示館のすぐ隣に宮入行平先生の碑がありました。数々の功績を残した素晴らしい人が坂城町にもいることを知ることが出来ました。2023-05-11
47バラ公園バラ公園お昼頃バラ公園に行ってきました。花は満開の季節ではありませんでしたが緑が綺麗でした。中でも周りが蕾なのに1輪だけ咲いている花がとても魅力的に映りました。2023-05-11
48日本キャンパックホール図書館(明和町立図書館)日本キャンパックホール図書館(明和町立図書館)明和町立明和中学校の近くにあります。図書館の外にはベンチがあり、広々としたスペースがあるためゆったりと過ごせます。豊かな自然に恵まれています。近くにグランドがあるため、中学生の部活動に利用されたりします。2023-05-11
49渡良瀬川渡良瀬川渡良瀬川は、群馬県と栃木県の境にある皇海山(すかいさん)という山から始まります。 渡良瀬川の川の長さは107.6kmで、前橋から東京までの直線距離とほぼ同じ長さになります。渡良瀬川が流れる市町村は、13市町もあります。 北関東最大級の花火大会のメイン会場としても利用されています。 かつて、日本の公害問題の先駆けとなる「足尾鉱毒問題」が発生したことでも有名です。精錬所からでる有害な煙は、周囲の山々から緑を奪い自然環境を破壊し、むき出しとなった山肌は、洪水の度に大量の土砂を流出させ、下流の沿川に多くの被害をもたらし続けました。 地元選出の代議士・田中正造は農民とともに立ち上がり、問題を国会で取り上げました。2023-05-11
50着物の雛形着物の雛形明治の終わり頃から大正時代にかけて服装の主流は着物を主体とした和服でありました。この当時小学校を始め方々に裁縫教室が開かれており、大勢の女の子たちが学んでいました。 ここに展示してあるものは、信濃裁縫女学校(現長野女子高校)において、生徒たちが実物を作る前に雛形として作ったものです。 およそ80年くらい前の着物類の流行やファッションの一端が知れる格好な資料と言えます2023-05-11
51いとでいとで真綿から紬に用いる糸を紡ぐ時に使う。いとでに真綿を巻き付け、ひっぱりながら糸を紡ぎ出す。2023-05-11
52上田紬上田紬上田紬は、上田地方の農家や機屋で江戸時代からおられている織物です。初めは紬織物だったようですが、江戸中期以降上田縞と称する、より絹織物に近い風合いの織物が主流となりました。つむぎはもともと絹糸にできないくず繭を真綿にしてそれから紡いだ糸で織った製品ですので、いわば廃物利用品です。 上田紬は当初各農家の自家用として、地機や高機によっておられたようですが、その後生産に移行し、県外に大量に出荷され、布地の丈夫なこと、すぐれた染色によって、全国的に知られた特産物に発展してきました。 しかし、明治に入ってから徐々に衰退し第2次世界対戦中にはほとんど途絶えてしまいましたが、戦後復興され、現在では手織りと機械織りの両方で生産されています。2023-05-11
53やまばんてん(山じゅばん)やまばんてん(山じゅばん)紺木綿で作った麺入れはんてんで冬の山仕事の防寒着です 。仕事に限らず、広く野良仕事着として使われました。2023-05-11
54蒸し竈蒸し竈木炭で炊く炊飯器。大正から昭和初期に一部の大きな料理屋等で使用された。現在も販売されている。 使い方は、木炭に着火して中に羽釜を入れる。炊き上がったら、上の穴に蓋(紛失)をして漏らす。美味しいご飯が食べるということで今でもお寿司屋さんやうなぎ屋さんで使っている店もあるという。2023-05-11
55国宝~鑁阿寺~国宝~鑁阿寺~鑁阿寺(ばんなじ)は、源姓足利氏二代目の足利義兼(あしかがよしかね)が、建久7年(1196年)に、邸内に持仏堂(じぶつどう)を建て、守り本尊として大日如来を祀ったのが始まり。 三代目の足利義氏(あしかがよしうじ)が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺とした。 周囲に土塁と堀をめぐらした寺域はほぼ正方形で、約40,000平方メートルあり、鎌倉時代の武家屋敷の面影がある。 境内には国宝指定の本堂など貴重な建物が多く、大正11年には国の史跡に指定されている。 春は桜、秋はいちょうの黄葉が素晴らしく、市民には『大日様』と呼ばれ親しまれている。2023-05-11
56縦型信号機縦型信号機地元の信号機の形のほとんどが縦型で、上田との違いを感じた。積雪量とかによって形が変わってくるのかなと思った。2023-05-11
57田子の浦とディアナ号田子の浦とディアナ号GWに静岡県富士市の実家に帰省しました。 実家から徒歩数分の場所にディアナ号の錨というものがあったので探検してきました。 富士市のHPによると、「1854年12月、プチャーチン率いる外交使節を乗せたロシア軍艦ディアナ号が下田港に来航しました。... 折からの悪天候のため漂流し、1855年1月、現在の富士市沖で沈没しましたが、地元漁民らの救助活動により、外交使節と多くの乗組員は無事に上陸することができました。」とあります。2023-05-11
58北向観音北向観音信州別所温泉の厄除観音として知られる北向観音。 写真は2月の上田氷灯ろう夢まつりの際に撮ったもの。 冬の温泉街が氷灯ろうでライトアップされており、幻想的な空間が作り出されている。2023-05-11
59善光寺仲見世通り善光寺仲見世通りご開帳の時期に撮った一枚。 昼間は善光寺門前仲見世通りの多くの店がオープンしており、観光客で賑わう。 写真は夜に撮ったもので、昼間とは違い提灯のやさしい光で照らされている。 善光寺本堂の少し外れたところには、「牛に引かれて善光寺参り」の由来になった牛の模型がある。名前は善子さん。2023-05-11
60おやきファームBYいろは堂おやきファームBYいろは堂長野市篠ノ井にあるおやきを味わい尽くせる施設。 鬼無里に本店を構えるおやき屋さんの老舗いろは堂が手がけるカフェ、ショップ、工場見学が楽しめる融合施設。 焼きたてのおやきは10種類の中から選べて、ドリンクやスイーツも充実。 2022年の夏にオープンしたばかりで内装も木を基調としていておしゃれな空間。長野の郷土料理おやきの新たな可能性を感じた。2023-05-11
61戸隠スキー場戸隠スキー場ウインタースポーツをするのに最適なスキー場。 標高1,748mの山頂エリアからは、大迫力の戸隠連峰を真正面にとらえることができる。 写真は、2023年2月にスノーボードをしに行った時の もの。前日に雪が降り、この日は快晴だったので絶好のスノボ日和だった。2023-05-11
62於佐加(おさか)神社於佐加(おさか)神社長野市を流れる犀川の南岸旧・丹波島宿の最西端に位置する神社。 丹波島宿は、善光寺街道の重要な宿場町で東西に約654mの距離がある。善光寺参りの最後の宿場であるため、参拝者や旅人たちが多く利用した。 「丹波島の渡し」の無事を祈ってこの於佐加神社に参拝した。 現在でも地元の住人が参拝している様子が見られた。 写真は於佐加神社の案内掲示板。小坂神社の外観(鳥居)。摂社。旧・丹波島宿の地図。旧・丹波島橋の一部。狛犬などである。 小学生の頃に公園代わりによく遊んだが、久しぶりに訪れたら、ブランコとジャングルジムといった遊具がなくなっていて驚いた。2023-05-11
63鉄の展示館鉄の展示館坂城駅から徒歩5分程の場所にある鉄の展示館に行ってきました。中には本物の日本刀などもあり子供心をくすぐられました。やはり刀と言うと男のあこがれでありテンションが上がりました。2023-05-10
64白山神社白山神社こちらの神社は住宅街の中に建っている。名前は白山神社となっているが、読み方に関しては「ハクサン」なのか「シラヤマ」なのかインターネット上では不明である。 詳しい情報をまとめたサイトも見当たらないため、創建された年は不明だが、2023年5月時点の建物は平成六年(1994年)四月に創建したものであると建物東側の壁に記されていた。(建設に携わった人の個人名が記されているため、本記事には掲載しておりません)また、鳥居も同年十一月に創建されている。 著者が掲載している他の神社よりも最近建てられた神社であるため、建物の状態はとても良いと言える。2023-05-10
65坂城神社坂城神社坂城神社に夕方の4時半頃に行ってみました。神社を正面から撮ってみると趣を感じます。周りは田んぼが多いので虫の鳴き声が響いており心地よい風も吹いていました。2023-05-10
66愛宕神社(アタゴジンジャ)愛宕神社(アタゴジンジャ)こちらの神社は上田バイパスの北側に建てられている。神社の周りは木で囲まれており、離れたところからは鳥居のみしか見ることが出来ないようになっている。鳥居をくぐると181段(著者が数えたため正確性は保証できません)の急な階段があった。高齢の方に配慮してなのか階段の東側に階段よりは緩やかな道が作られていた。 登り終えて正面には木造のほこらがあり、左手側に神社が見える。本当であれば神社の正面から撮影を行いたかったが、神社の前はこう配が急な斜面となっており、撮影することは出来なかった。神社西側の裏には石のほこらがあり一円玉のお供えがされていた。2023-05-10
67生塚神社(ウブツカジンジャ)生塚神社(ウブツカジンジャ)こちらの神社は上田バイパスの北側に存在する。 生塚神社に含まれているのか不明だが、生塚神社の両隣に異なる神社が建てられていた。東から順に、赤岩神社、金比羅社、皇大神社、天神社、そして生塚神社を挟んで西側に左口社という配置である。 既にこのデジタルマップ内で他の方が記しているが、生塚神社では花いっぱいの会という団体の方が「花桃イベント」という物を開催している。興味のある方はそちらのイベントの方も確認されてはいかがだろうか。2023-05-10
68庚申塔庚申塔庚申塔は、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑である。 この石碑にはほかに、明治の政治家である高橋是清と板垣退助の名や、日光東照宮で有名な三猿の絵も刻まれていた。三猿については、庚申の申にかけて刻まれることが多かったという。2023-05-10
69小松神社の青面金剛小松神社の青面金剛小松神社は、実家のすぐ近くにある小さな神社である。 この地域に住む子供たちにとっては貴重な遊び場であり、私も小学生の頃はよく公園がわりにしていた。 石碑に刻まれている青面金剛は日本仏教における信仰対象のひとつで、日本の庚申信仰の中で独自に発展した。庚申講の本尊として知られる。 神社の軒下につくられたまま放置されたスズメバチの巣は、この地の少子化の深刻さを物語っていた。2023-05-10
70無量寿院の石碑たち無量寿院の石碑たち無量寿院は、阿弥陀仏(無量寿仏)に由来する寺院をさす。写真はその無量寿院のそばに建てられた数個の石碑。 一番左の石碑には日露戦後軍馬紀念碑とあるが、このほかにも馬力神や勝善神といった馬関連の石碑が深程には多くみられ、明治~大正の人々にとっての馬の重要性がうかがえた。2023-05-10
71中条若処の墓中条若処の墓中条若処は摂津に生まれ、のちに深程に移り住んで塾を開いた。 写真の看板は中条若処の墓のそばに立てられており、この地の自由民権運動の源となった彼の生涯と功績が記されている。 以前は看板がボロボロで読めない状態だったが、久々に訪れると新しく立てなおされており、少し嬉しくなった。2023-05-10
72馬力神馬力神母校の小学校の通学路にある石碑。 馬力神信仰は、栃木県を中心に江戸末期から昭和初期まで盛んだった風習である。 大部分は愛馬の供養のために造立されたものであり、栃木県内に274の馬力神の石碑が存在するという。 石碑には「大正十年七月三十日死亡」とあることから、その時代に建てられたものと考えられる。2023-05-10
73須波三穂神社東の宮(スワミホジンジャヒガシノミヤ)須波三穂神社東の宮(スワミホジンジャヒガシノミヤ)こちらの神社は、上田バイパスを「上田市緑ヶ丘」の信号で南に降りた先の右側に存在する。 須波三穂神社西の宮とは異なり、「神社人」という神社に関わることが記されているサイトに情報が記載されておらず(2023年5月現在)、創建された年は不明である。また、定礎が記されているものも埋め込まれていないため、改装された年なども不明だ。しかし、手水鉢に記されている名前が「絶主 柳澤○右衛門」(○の部分は読むことが出来ませんでした)と西の宮と同一であるため、1770年代には存在したのではないかと推測される。また常夜灯には寛政十年(1798年)と記されていた。 西の宮には存在した石のほこらは東の宮にはなく、代わりに大きな石が置かれていた。2023-05-10
74諏訪神社を散策諏訪神社を散策大通りを少しそれたところに、諏訪神社を発見しました。一礼をしてから鳥居をくぐると、ひっそりとした雰囲気の神社がありました。近くのベンチには、お年寄りの方が座られて談笑しており、地域の憩いの場にもなっているようでした。鳥居からの石畳をよく見ると、人口的な四角い跡を発見。頻繁に見られるので、なんの後なのか非常に気になりました。2023-05-10
75須波三穂神社西の宮(スワミホジンジャニシノミヤ)須波三穂神社西の宮(スワミホジンジャニシノミヤ)こちらの神社は上田市の住宅街と上田バイパスの間に存在している。神社についてまとめられている「神社人」というサイトによると創建は天暦6年(952年)とされていた。その後、何度か改装されているためか、神社の建物には定礎昭和59年(1984年)と埋め込まれており、手水鉢にはおそらく安永2年(1773年)と記されていた。 神社には、賽銭箱と見受けられる物は見当たらなかったが、神社の西側には小さな石で作られたほこらがあり、一円玉がお供えされていた。おそらく、賽銭箱の代わりに石のほこらへお供えするルールがあるのではないかと考えられる。 参考文献 国際教養振興協会ICPA.「須波三穂神社西の宮」. 神社人-日本を楽しむポータル&コミュニティ.http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=9727(2023/05/10)2023-05-10
76懐かしいキャラクター懐かしいキャラクター路地に入ってコロッケを食べていると、よく薬局で見かける懐かしいキャラクターに出会いました。ボロボロになって汚れた感じと、懐かしさに思わず写真を撮ってしまいました。1人乗りの札がかかっているので、まだ動くと思われます。2023-05-10
77「モータースポーツの聖地」探索「モータースポーツの聖地」探索先日、静岡県の富士スピードウェイで行われたレースの観戦に行ってきました。2泊3日でテント泊をしながら自然を満喫しつつ、楽しんできました。会場には日本全国からファンが集まり、様々な企業の物販やステージショーなども行われており、お祭りのような雰囲気を味わえました。終始快晴で、早朝から夕方まで色々な姿の富士山を見ることも出来ました。2023-05-10
78長門牧場長門牧場長和町にある長門牧場に行きました。長門牧場はテレビや人気YouTubeも訪れる人気の観光地です。牛や羊、馬など沢山の動物と触れ合えるだけでなく、広大な土地や、新鮮な食べ物、乗馬体験やチーズ作りなど様々な体験ができるのも魅力です。新鮮な空気を感じながら食べるハンバーガーやピザはどれも美味しかったです。中でも濃厚なソフトクリームは絶品でした。2023-05-10
79ねこぽぽテラスねこぽぽテラス「ねこぽぽテラス」 長野市若穂の山の中にあるねこぽぽテラスに行きました。 ここは、地元ではピザが美味しいと知られているお店です。 今回はお休みだったので中に入ることはできませんでしたが、またの機会に自然の中で焼き立てのピザを食べに行きたいと思います。2023-05-10
80須坂市動物園須坂市動物園「須坂市動物園」 須坂市の臥竜公園の隣にある動物園に行きました。 虎や熊、カンガルーやペンギンなど想像より多くの動物がいて驚きました。 モルモットのふれあい体験なども行っていました。 入場料も安く、動物の種類も豊富で満足感のある動物園でした。ぜひ一度行ってみてください。2023-05-10
81聖・パウロカトリック教会聖・パウロカトリック教会車一台が通れるような道路を進むと教会を見つけました。西洋的な石造りではなく、日本的な木造建築となっています。外国人からもここ軽井沢が、夏場の別荘地として良い場所だと見られていたことがわかります。2023-05-10
82保科のお観音さん保科のお観音さん「清水寺 (せいすいじ)」 長野市の若穂保科にある清水寺に行きました。 ここは、紅葉と牡丹で有名で一度行ってみたかった場所です。 観音堂までの石段は、緑のトンネルのようでした。 秋は紅葉がいっぱいになり間違いなく綺麗だと思います。 今度は紅葉が綺麗な時期に行きたいと思いました。2023-05-10
83旧軽井沢に残る軽井沢幼稚園旧軽井沢に残る軽井沢幼稚園旧軽井沢を歩いていると、軽井沢の街並みにあった趣のある外装をした幼稚園を見つけました。この写真からでは伝わりませんが、キリスト教のものと思われる像もありました。旧軽井沢では、キリスト教と思われるものが、ちらほら見られます。2023-05-10
84高速を降りてすぐ見える風景高速を降りてすぐ見える風景軽井沢へ向かう高速を降りると、まず初めに飛び込んできたのは、岩肌剥き出しの高い山でした。山に囲まれた景色の中に、人口的な物が見えてくると、ここが別荘地として拓かれていったんだと肌で感じられます。2023-05-10
85長野市若穂のカフェ長野市若穂のカフェ「SACHIYA cafe」 私の地元にあるカフェに行きました。家の近くにできていたのですが、行ったことがなかったので今回行ってみました。 店内は落ち着いた空間でゆったりとした時間を過ごせました。 注文したブルーベリーチーズケーキは、果肉がたくさん入っていてジューシーなチーズケーキでした。 地元の人も気軽に訪れられる落ち着いた空間だと感じます。2023-05-10
86巴蓋巴蓋この瓦の写真は「巴蓋」という種類で獅子や菊の装飾をすることが多いとされているそうです。しかし、現在の新しい家にはそのような装飾を見たことがないので珍しいものだと感じました。この瓦は水が装飾されていると思うので家を火事から守るという願いが込められていると思います。2023-05-10
87あごばんらーめんあごばんらーめん上田市丸子にある「あごばんらーめん」に行ってきました。上田市では珍しい「あご(トビウオ)」の出汁を使ったラーメンです。入口で食券を買い注文します。スープの濃厚さを選ぶことができ、量は女性でも食べやすい量でした。麺は細麺でスープはあとひく味でとても美味しかったです。炙られたチャーシューも美味しく、サイドメニューのチャーシュー丼も人気なようです。2023-05-10
88長野県産のお蕎麦長野県産のお蕎麦「蕎麦処 すい山」 私の地元の長野市の若穂にあるお蕎麦屋さんに行きました。 全て長野県産にこだわって作られている手打ちの二八蕎麦です。歯ごたえがあり、とても美味しかったです。 売り切れ次第終了になってしまうので、早めの時間に行くことをお勧めします。2023-05-10
89上田MATCHIフェス上田MATCHIフェス先日長野大学生主催のMATCHIフェスに行ってきました。同じ大学の学生が主体で開催するということで、興味本位で行ってきました。会場には多種多様の飲食店やグッズの出店が並びお祭り気分を味わえました。演劇のステージもあり、市の曲芸団や長大のサークルが発表を行いパフォーマーとして楽しませる姿を見て感銘を受けました。イベントの最後には風船ランタンを打ち上げ、映える風景と共に締めくくりました。2023-05-10
90夕暮れの別所温泉 北向観音、奇跡のリンク夕暮れの別所温泉 北向観音、奇跡のリンク別所温泉 北向観音へ観光に訪れた際に収めた写真です。 日が沈む前の空です。光の反射の影響か、雲の色の配色が美しいです。雲の一部が北向観音内にあった常夜燈の色がリンクしており、どこか幻想的でした。2023-05-09
91通学風景 空と山と田んぼと一戸建て通学風景 空と山と田んぼと一戸建て最初に上田市を訪れたときは、山に囲われた土地であり、戸建てが建ち並ぶ中に田んぼが占める割合が非常に高いと感じました。上田市から見られる空、山、家や田んぼを一つの画角に収めました。この日は、嵐のような形をした雲の塊がありました。2023-05-09
92雲の切れ間の青空と上田市の車社会を物語る一枚雲の切れ間の青空と上田市の車社会を物語る一枚まだらな白い雲の切れ間に見える青い空がきれいです。上田市に住むうえでは車はほぼ必須。駐車場がびっしりと埋まっています。 長野大学の近くで撮影しました。都会や街中にキャンパスを構える大学と比べると長野大学へ車で通学する人が多いですよね。2023-05-09
93ぶしもりやめんめんぶしもりやめんめん上田市中之条にあるつけ麺専門店「ぶしもりやめんめん」に行ってきました。麺はもっちりとした太麺で食べ応え抜群。豚骨魚介スープは濃厚でとても美味しかったです。ボリューム満点ですが、麺の量を選ぶことができ、麺を少なめにしてトッピングを乗せたり、自分の好みに合わせられるところも魅力の一つです。私は角煮をトッピングしましたが、お肉たっぷりの「ミーツデラックス」や、野菜たっぷりの「ベジもり」など、メニューが豊富にあり、どれも美味しそうでした。2023-05-09
94本屋未満 NABO本屋未満 NABO上田市の街中から少し離れたところに「本屋未満 NABO」という古本屋カフェがありました。入口が少し奥にあって隠れていたのでわかりづらかったが、見つけたときはお洒落な入口だと思いました。中には、多種多様な古本やオリジナルグッズなどが売っていたり、読書をしながら飲み物を飲んだりもできます。店内に飾られているインテリアや照明も少し暗めで、心地良い空間でした。おしゃれで落ち着く雰囲気がとても好みでした。2023-05-09
95柳町通り柳町通り柳町通りは、古い町並みの残る城下町として親しまれています。この通りには、古民家カフェや地元の特産品を使用した食べ物のお店などが並んでいて、上田市のグルメを楽しむにはとても良いスポットだと思いました。2023-05-09
96文字が彫られている瓦文字が彫られている瓦この写真の鬼瓦ですが、よく見ると文字が書かれています。何という文字が書かれているかと言うと「銀行」という文字が浮き出ています。鬼瓦は装飾瓦のためこのように文字が浮き出ている鬼瓦は初めて見ました。この当時は銀行をやっていたのでしょうか。2023-05-09
97海野町商店街周辺海野町商店街周辺駅のすぐ近くや少し離れた商店街通りには、色々なお店があったが、シャッター街にもなっているところはあるなと思いました。 セブンイレブンの建物にも上田のシンボルである真田のマークがあったり、メロンパン屋は閉鎖されていたがシャッターに赤と黒の色が使われていたりして、上田市ならではの魅力を引き立たせていると感じました。2023-05-09
98猫瓦猫瓦猫瓦という瓦を知っていますか。猫瓦とは蚕を食べるネズミの天敵である猫を模した瓦のことです。上塩尻という地域は蚕種、養蚕が盛んであったため猫瓦が多くみられます。猫瓦にも様々な形、文様があり、意味にも違いがあります。昔の方は瓦で願い、思いを表現していて面白いと思います。2023-05-09
99菊水の鬼瓦菊水の鬼瓦今も存在する古い家には珍しい瓦が多く見受けられます。写真にある鬼瓦の種類は「ビン付玄関」というものです。しかし少し違っているのは「菊水」というものが装飾されていることです。「菊水」というのは延命や長寿も願うものとされています。当時の方は家族の長寿を願ってこの瓦を付けたと考えられます。2023-05-09
100ピザハウスミッキーズピザハウスミッキーズ海野町商店街通りの細い路地裏にある「ピザハウスミッキーズ」に行きました。このお店のメインはピザ屋ですが、きな粉、ココア、きび砂糖の3種類の味の揚げパンも売っていました。私は、きな粉の揚げパンを食べました。揚げたてで、きな粉たっぷりのモチモチした揚げパンは、とても美味しく、懐かしい味がしました。2023-05-09
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ