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写真タイトル説明登録日
1庚申塔庚申塔庚申塔は、中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石碑である。 この石碑にはほかに、明治の政治家である高橋是清と板垣退助の名や、日光東照宮で有名な三猿の絵も刻まれていた。三猿については、庚申の申にかけて刻まれることが多かったという。2023-05-10
2小松神社の青面金剛小松神社の青面金剛小松神社は、実家のすぐ近くにある小さな神社である。 この地域に住む子供たちにとっては貴重な遊び場であり、私も小学生の頃はよく公園がわりにしていた。 石碑に刻まれている青面金剛は日本仏教における信仰対象のひとつで、日本の庚申信仰の中で独自に発展した。庚申講の本尊として知られる。 神社の軒下につくられたまま放置されたスズメバチの巣は、この地の少子化の深刻さを物語っていた。2023-05-10
3無量寿院の石碑たち無量寿院の石碑たち無量寿院は、阿弥陀仏(無量寿仏)に由来する寺院をさす。写真はその無量寿院のそばに建てられた数個の石碑。 一番左の石碑には日露戦後軍馬紀念碑とあるが、このほかにも馬力神や勝善神といった馬関連の石碑が深程には多くみられ、明治~大正の人々にとっての馬の重要性がうかがえた。2023-05-10
4中条若処の墓中条若処の墓中条若処は摂津に生まれ、のちに深程に移り住んで塾を開いた。 写真の看板は中条若処の墓のそばに立てられており、この地の自由民権運動の源となった彼の生涯と功績が記されている。 以前は看板がボロボロで読めない状態だったが、久々に訪れると新しく立てなおされており、少し嬉しくなった。2023-05-10
5馬力神馬力神母校の小学校の通学路にある石碑。 馬力神信仰は、栃木県を中心に江戸末期から昭和初期まで盛んだった風習である。 大部分は愛馬の供養のために造立されたものであり、栃木県内に274の馬力神の石碑が存在するという。 石碑には「大正十年七月三十日死亡」とあることから、その時代に建てられたものと考えられる。2023-05-10
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