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1太鼓橋太鼓橋さらに下流を目指していたところ、偶然見つけたのがこの太鼓橋! 大部分が木製であるこの小さな橋は、周りの紅葉する木々と相まって、美しく調和していました。 普段はあまり使われないような橋にも、こういったデザイン的なこだわり感じられるということに、この橋の設計や建設に携わった人たちの愛を感じました。2021-11-15
2「言葉」屋さん?「言葉」屋さん?上田市柳町にある本屋さん。古本を含め、店主のこだわりを感じる様々な本が並んでいた。絵本がたくさん置いてある印象だが、お客さんのほとんどは大人。「子どもの頃読んだな~」「もう一回読みたい!」そんな声が聞こえてきた。ここは、懐かしさという癒しと、とっておきの一冊に出会える本屋なのだろう。そして、思い出という過去と現在の自分、その本を楽しんでいた誰かとつないでくれる場所だ。2021-11-15
3松茸のピザ!?松茸のピザ!?長野県上田市別所温泉のイタリア料理店「Capitolini(カピトリーノ)」。美味しい松茸グルメが食べられると評判のお店。看板メニューの松茸ピザは、独自の2層式石窯で焼き上げられていて、松茸の香りが存分に楽しめる。 スタッフのアットホームさも魅力の1つ。店主がレジ対応をしながら、お客さん1人1人に話しかけている様子が印象的だった。私が店を訪れた時、ちょうど混雑時で15分ほど待っていたのだが、そのお詫びにと食後に追加で松茸ごはんをサービスで出してくれた。もちろん絶品だった。2021-11-15
4上田探索の狙い上田探索の狙い私の上田探索は主に駅前の探索です。 駅前の探索をし、上田の駅前の現状をしり 他の都市と比べて行くことで上田をさらに発展させるにはどうすればいいのか考えるのが狙いです。2021-11-15
5上田駅探索上田駅探索飲食店は多めだけど娯楽が少ないのではないかと思った。 若者が楽しめそうなものがカラオケくらいしかないように感じた。2021-11-15
6博物館訪問 蚕糸博物館訪問 蚕糸撮影が不可だったため見せることは出来ないが、昭和43年4月に上田蚕糸専門学校が開校された際に記念として残された袱紗(ふくさ)が展示されていた。 また、明治から昭和戦前にかけて上田で発行されていた蚕業雑誌類が8点ほど展示されていた。色つきで可愛かったし、この頃に蚕糸が盛んだったことがよくわかった。2021-11-15
7上田城下町絵図上田城下町絵図こちらは仙石氏在城時代の上田城下町絵図。1702年制作のものだ。上田城のホームページからアーカイブを開けば様々な絵図を閲覧できる。2021-11-15
8ミントグリーンのレトロな駅舎ミントグリーンのレトロな駅舎別所温泉駅は、上田電鉄別所線の終着駅である。ミントグリーンと木造の雰囲気がレトロな駅舎。昔の看板が今でも飾ってり、趣を感じられる。電車を待っている時間も、別所線の歴史を感じながら楽しく過ごすことができる。袴の駅員さんが訪れた人々に明るく接している様子が印象的だった。別所温泉駅は、人々を迎え、送る場所として魅力的な駅だ。2021-11-15
9珍しい自販機!?珍しい自販機!?いつもの学校への通り道にあって思わず撮っちゃいました 毎日通ってるのに気づかないコトってあるんですねー この時は買わなかったんですが機会があるときに買ってみようかなと思います けっこう数が減ってたりするんで人気なんですかね? カードに使うんでしたら回復アイテムになりますかね~2021-11-15
10見逃していた場所見逃していた場所上田城へは何度か訪れていたのだが、今回の散策で注意深く辺りを見回していると、上田城に遊歩道があることに気がついた。トンネルのようなものの奥には紅葉が広がり、写真に撮りに来ている方が多くいた。ここへ来るまで随分とかかったので、写真のベンチで休んだ。2021-11-14
11真田十勇士真田十勇士上田駅から歩き始めて数分。 ふと右手を向くと小さなマスコットの像が見えた。危うく見逃してしまうところだった。どうやら街にこのシリーズの像があるようだ。幼少期に好きでやっていたスタンプラリーをしている気分だった。今回は7人の像を見つけることができたので、また機会があれば注意深く探してみようと思う。2021-11-14
12上田散策上田散策上田駅から出発し、まずは上田市が推奨している上田駅周辺観光モデルコースを参考に上田を散策することにした。 観光モデルコースを参考にした理由は、上田市が観光客に何を見てもらいたいのかを知りたいと思ったからだ。 それを通して上田の魅力を客観的に見ることができるのが今回の探索の目的である。2021-11-14
13明治二十四年上田全図明治二十四年上田全図この図面は、上田の町を印刷により表わした初期の地図だ。実測図ではないため、縮尺や距離感は不正確である。地図の周囲にとは、明治維新後の近代化した上田の姿を、建築物を中心に表している。「上田尋常小学校」「高等小学校(旧藩主屋敷)」、「上田女学校」、「上田停車場」、「第十九国立銀行」、「上田橋」などが見られる。図面の中央の上田城本丸には「松平神社」がある。また、本丸には櫓が2基残っていたことがわかる。二の丸は「監獄」となっている。また、大手門の堀が残存していた。明治21年に鉄道の駅「上田停車場」(現在の上田駅の前身)が営業を開始するとともに、駅と「海野町」「原町」をつなぐ「松尾町」も開通した。2021-11-14
14安政年間上田城下町絵図安政年間上田城下町絵図松平氏在城時代の上田城下町絵図で、武家屋敷の屋敷割を中心に描かれている。基本的には元禄年間の上田城下町絵図と変わっていない。上田城の本丸については「御本丸」と書かれているのみで省略されている。また、二の丸には、堀や石垣・土塁は描かれており、櫓や門などの建築物がない様子が分かる。 二の丸東虎口の外には、「文武学校」・「稲荷宮」がある。ここは、元禄年間の上田城下町絵図では、家臣の屋敷地だった。また、「御作事」と記載されている場所は、元禄年間の上田城下町絵図では「御中屋敷」だった。現在の清明小学校の敷地となっている。2023-05-06
15元禄年間上田城下町絵図元禄年間上田城下町絵図仙台氏在城時代の上田城下町絵図で、武家屋敷の屋敷割を中心に描かれている。上田城は、本丸については「御本丸」と書かれているのみで省略されている。また、二の丸は「二御丸」と書かれており櫓や門などの建築物がない様子が分かる。「御中屋敷」と記載されている場所は、現在の清明小学校の敷地となっている。「追手口」(大手口)からが城内だ。 城下町全体を見渡すと、城下町と家臣の屋敷は城の東側に偏っていいることが分かる。また、絵図の所々に赤く塗られた四角形の印があるが、これは、「番所」で、武家屋敷と町屋の境・藩主屋敷・お城の虎口(入口)などの要所に設置されている。2023-05-05
16上田城の歴史2上田城の歴史2関ヶ原の合戦後、上田城は徳川の手で破却されたが、真田に代わって上田城主となった仙石氏によって復興された。1626年に修復された上田城は真田氏時代の縄張りを受け継いだとみられ、仙石氏の後に城主となった松平氏の代になっても、その姿にほとんど変化はなかった。明治維新後、廃藩置県により1874年に上田城は民間に払い下げられ、再び廃城となった。この際、本丸付近を一括して購入した丸山平八郎氏は、1879年の祭り神社(現真田神社)創建に当たり本丸南側の土地を神社用として寄附し1893年には残りの土地を遊園地要として寄附した。これが上田城跡のの公園化の第一歩になった。2021-11-14
17上田城の歴史上田城の歴史上田城は、真田幸村の父、真田昌幸によって1585年に完成したと考えられている。初め徳川家康のもとで上杉に対する城として築かれたが、沼田領の帰属をめぐり、徳川と手切れとなり、その後上杉方の城として完成した。 その直後、徳川の大軍が上田城を責め、第一次上田合戦(神川合戦)が勃発したが、昌幸の巧みな戦術により徳川軍は大敗した。また、1600年には関ヶ原合戦の前哨戦といえる第二次上田合戦が起こり、徳川秀忠率いる3万8千人の軍勢が攻め寄せたが、これも見事に退けた。この徳川との二度の合戦に勝利したことで、真田と上田城の名は、天下に知られるところとなった。2021-11-14
18旅の終わりの足湯旅の終わりの足湯今回の旅では約10km歩いた。久しぶりにここまで動いたため、とても疲れた。しかし、最後に足湯を堪能し、足の疲れが吹っ飛んだ気がした。温泉には浸かっていないため、今度訪れた際は温泉でも癒やされたいと思った。2021-11-14
19大星橋大星橋黄金沢川に沿って下流へ進むと現れたのがこの大星橋。 この付近は二子塚古墳や大星神社など、歴史を感じる街並。少し錆びたこの橋も、趣を演出する要素の一部となっている。そう感じました。2021-11-14
20黄金沢大橋黄金沢大橋こちらも上田バイパスにかかる橋の一つ。 黄金(こがね)沢大橋という名前は、橋の下を流れる黄金沢川という河川から由来しているようです。 …黄金だった時代があったんだろうなぁ、と思わずしみじみ眺めてしまいました。2021-11-14
21別所神社別所神社腹ごしらえをし、向かった先は別所神社。温泉街を歩いていて目に入ったので行ってみた。上り坂が急で大変だった。 こちらは昔から縁結び・子宝の御利益があると言われている。ご本殿はお堂の裏にあり、少し驚いた。 また、ここからは別所温泉の町並みと山、そして空を一望できる絶景スボットになっていた。幸いにも晴天に恵まれ、素晴らしい景色を堪能することができた。2021-11-14
22ホッと一息~食事編~ホッと一息~食事編~食事は北向観音の参道にある橋本屋食堂さんでとった。とてもアットホームな雰囲気で、おばあちゃんの家に帰ったような感じに浸った。私はざるそばを頂いた。やはり信州と言うことで間違いの無いおいしさだった。 また、自然と暮らす喫茶 hanatokiさんにも立ち寄った。休業した店舗を借りて運営している。店名は、店主が花の咲く頃を意味する「花時」と「花と木」をかけて名付けたそうだ。雰囲気はおしゃれの一言。私は青木村のさつまいもを使用したチーズケーキを頂いた。非常に上品な甘さで、いくらでも食べられそうだった。 どちらもそれぞれ違った良い雰囲気であったため、別所温泉に訪れた際は是非、足を運んで欲しい。2021-11-14
23常楽寺常楽寺常楽寺は、先ほど紹介した北向観音をお護りする本坊。別所三楽寺(長楽・安楽・常楽)の一つとして建立された。また隣接する常楽寺美術館には寺宝や北向観音に奉納された絵馬等が収蔵・陳列されている。 本堂裏には、北向観世音様が出没したとされる石造多宝塔がある。こちらはとても神秘的な雰囲気且つ自然豊かな場用であり、どこかジブリのワンシーンを醸し出しているように思え、感動した。2021-11-14
24安楽寺・八角三重塔安楽寺・八角三重塔黒門を抜けて向かったのは安楽寺、八角三重塔。ココでは主に国宝である八角三重塔を見てきた。 この塔は一見四重に見えるが、一番下の屋根がひさしに相当する「裳階(もこし)」にあたることから、裳階付き八角三重塔として認定された。 建築年代は明らかになっていないが、鎌倉時代末期が定説となっている。また、建築様式については、当時中国の最新技術であった唐様が用いられ、和洋の塔とは違った重厚な佇まいになっている。 下から見上げることで重厚感や塔の存在がより際立って見えた。秋に訪れたこともあり、紅葉とのコラボレーションが素晴らしく綺麗だった。2021-11-14
25北向観音北向観音別所温泉駅に到着し、まず初めに訪れたのは北向観音。境内には樹齢1200年の「愛染桂」が立っており若者たちからは縁結びの霊木として親しまれている。また、こちらは昭和14年に長野県の天然記念物に指定された。 お堂はとても厳かな雰囲気に包まれていた。本堂が北を向いたものはほとんど例がなく、「北向観音」という名称はこれに由来するという。長野県で有名な善光寺が来世住生を願うのに対し、北向観音は現世利益を願うとされており、向き合っている両方をお詣りした方がいいと言われている。 またこのお堂の対角には、額堂と呼ばれる絵馬堂が建っており、現在は仁王像が建っていた。2021-11-14
26蛇沢大橋蛇沢大橋上田特有の急坂を上って上田バイパスに出ると蛇沢大橋はあります。高架橋であるため、足が竦むような高さがあります。しかしその高さを活かした景色は長野の緑豊かさを満喫できます!2021-11-14
27常田新橋常田新橋竣工平成11年の比較的新しい橋である常田新橋。なんといってもその特徴は、カラータイルが敷き詰められた非常に広い歩道。そして独特なモニュメント。 このモニュメント、展望台としての機能を持っているようなのですが…現在本当に上ってよいものなのかは不明です。もし興味がある方は安全のためにも、上田市に確認を取ってから上ってみるのをお勧めします!2021-11-13
28千曲川橋梁(上田電鉄別所線)千曲川橋梁(上田電鉄別所線)朱色の鉄橋。毎日のように別所線が通っている千曲川橋梁だ。令和元年度に長野県を襲った令和元年度東日本台風により一時は崩落の憂き目に遭ったものの、2021年に復活を果たした。この災害においては、まさに復興の象徴ともいえるのではないだろうか。2021-11-13
29上田橋上田橋上田橋…?どこかで聞いたような。 そう、この橋、上田大橋と一文字違いの名前をしています。「大」があるかないかの差ですね。 上田大橋に名前負けしているようにも思えてしまいますが、上田橋は竣工昭和45年という上田市最古の橋という歴史が特徴!長寿橋としてこれからも頑張っていただきたいですね。 また、アリオや上田城に最も近いのもこの橋です。2021-11-13
30古舟橋古舟橋青いボディが特徴の古船橋。 真田カラーである赤色ではなく、敢えて青色なのは近くの上田橋(次項で紹介)と比較しやすくするためなのかな、と勝手な想像が膨らみました。2021-11-13
31上田大橋上田大橋上田大橋は「大橋」の名が表す通り、全長470mを超える上田市内有数の巨大な橋。さらに竣工が平成12年という比較的新しい橋でもあります。 (余談)写真の石碑に描かれている塔は何なのか疑問に思い調査してみたところ、その造りから上田別所温泉に存在する国宝の、安楽寺八角三重塔だと判断できました。2021-11-13
32対影橋対影橋半過山口橋の近くに見えたので思わず撮影。 小さな橋ですが、薄緑色の欄干が目に優しい!2021-11-13
33半過山口橋半過山口橋半過山口橋は上田坂城バイパスを上田方面に降りていく橋です。 「上田 道と川の駅」を通ることもあり、交通量が多い重要な橋です。 また、長野県の天然記念物である半過岩鼻(写真左)、下塩尻岩鼻(写真右)が一望できるのも特徴です!2021-11-13
34探索のねらい探索のねらいこのサイトでは、上田市街地に点在する橋に焦点を当てています。 私たちが普段生活している街の風景。橋というのは何気なくそれらに溶け込んでいると感じる。交通の要所として必要な大橋から、街の雰囲気に馴染んでいる小さな橋まで。敢えて目立たないそれらに注目するのは、新たな発見があり、面白いのではないだろうか。 そういったねらいをもって探索を行っていきます。 ※本サイトが紹介しているのはほんの一部です。市街地周辺全ての橋を掲載しているわけではありませんので、御了承ください。2021-11-13
35川って見てると癒やさるよね?川って見てると癒やさるよね?こちらは千曲川の写真でーす! 朝・昼・夜と違う景色に見えて1個の川でも何個もあるような感覚になりますよね! 僕はちなみに夕方の顔が好きです。夕日が反射して柔らかくキラキラしてて美しいなと思います! ここには写ってないんですけど赤い鉄橋もマッチしてるなーと思いました! ここを使うのであれば敵陣との境目として配置すると面白いかなーと思います2021-11-13
36池は見たこと無かったんだよなあ池は見たこと無かったんだよなあこちらは長池の写真です! 佐渡って湖はあるんですけど池は無いのでどんなもんかなあって感じで見に行ったんですよ なかなかキラキラしてて見応えあるなーとは思いました こんな住宅街のど真ん中にあるのって景色としてはミスマッチじゃないんかなとか思ってたんですけどそんなことなく自然に一部としてちゃんと溶け込んでましたね ここ眺めながらお茶飲みたいなあ ここをカードに使うなら配置して敵の移動速度を遅くする地帯とか、雨の日には水かさが増してこの近辺が通れなくなるとかそんなオブジェクトですかね だんだん形が見えてきた気がします2021-11-12
37調べて出てこない場所でも名前があるところ以上の価値がある場所も存在する調べて出てこない場所でも名前があるところ以上の価値がある場所も存在する3つ連続で同じ時系列の投稿にはなるんですけどまたまたタタラ塚古墳に向かう途中の話です ホントに特に何か施設があるわけでもなく民家しかない坂でした。上りがけっこうきつかったので自転車を降りて歩いて上っててさすがに疲れたなーと思って立ち止まりました。それでなんか予感がして後ろをふと振り返ったらこんな景色が広がってるじゃないですか! こりゃ撮るしかねえなああ! そんな感じで撮ったんですけどもう1週間早かったら真っ赤じゃなくてもうちょい色々な色のコントラストが広がってて惜しいことしたなーみたいな感じになったとはいえ、まあ綺麗ですよね 来年のリベンジに期待ですね!(リベンジすること多いな笑) ここをゲームで使うとしたらイベントカードとして味方の士気を上げるみたいな感じで春夏秋冬バージョン2021-11-12
38「長野県企業局」ってなあに?「長野県企業局」ってなあに?こんにちわ! 先ほどの記事の続きになるんですが、常田新橋に抜けるときのお話です 自転車でつっーと走って向かっている時に柵でガチガチに囲まれているよく分からない施設があるじゃないですが 調べてみたところ県の施設でその中でも僕が見てきたやつは水道を管理する部署らしいですね イメージキャラクターもいるみたいで名前は「すいじん様」(感じだと粋人様) 水滴に仙人みたいな顔と杖がついた可愛らしいキャラクターです ここをゲームに使うとすれば資源提供みたいな感じでリソースの源にしてここから発展していくみたいなポジションに置こうかな?2021-11-12
39上田に「古墳」!?!?上田に「古墳」!?!?先日千曲川の写真を撮ろうとして、いつもは143号線を通って行くんですがちょっと常田新橋に抜ける方に変えてみたんですよ。 それで一本道とはいえ方向音痴なもんでマップ見ながらじゃないと動けないんですね そしたらなんか画面の端の方に移ってるじゃないですか これは行くっきゃないなと思っていった訳ですよ まあただ敷地内にありそこまでよくは見れなかったのですがご紹介だけ 名前は「タタラ塚古墳」 古墳時代後期に築かれた古墳と推定されています。上田悠生寮の敷地内にあるため近くではよくは見られなかったのですが案外外に出てる部分は小さいな~って思いました 写真も撮れていないので今回は無いのですがちゃんとアポを取り今度リベンジしたいと思います! これをカードに使うのだとしたら後方支援として後ろに配置し2021-11-12
40上田城 本丸東虎口上田城 本丸東虎口北櫓、南櫓、櫓門の三棟の櫓を通称、本丸東虎口と言います。市立博物館やケヤキ並木の方の入口からだと最初に正面から見ることができます。有料で門の上を登ることができますが、毎週水曜日は空いていないので注意しましょう。また、門の入口の正面から右側には、真田石と呼ばれる大きな石があります。2021-11-12
41上田城 本丸跡地上田城 本丸跡地かつて本丸があったとされている場所です。今では記念の石碑などが建てられており、草木が生い茂る広場に変わっています。また、この季節ではイチョウがとても綺麗でした。季節によって風景を彩っている植物が変わるのも楽しみの一つになるでしょう。2021-11-12
42上田城 真田赤備え兜上田城 真田赤備え兜真田の代名詞でもある全国的に有名な兜。真田神社の敷地内にあります。大阪夏の陣で大活躍した時真田幸村が、赤で統一した「真田赤備え」部隊の時にかぶっていた物を、撮影スポットとして作られたものです。とても細かく作られており、その大きさに圧倒されます。2021-11-12
43上田城 真田神社上田城 真田神社中心部に位置する場所に真田神社があります。真田神社は徳川軍を二度も破ったという功績から、「不落城」にあやかり受験生に人気な神社になっています。そこの神社では、コロナウイルスの影響か、鈴が非接触型のパネルになっていて時代の流れを感じました。また、その奥には真田井戸や西櫓があります。2021-11-12
44上田城 外観上田城 外観駐車場から入ると、全体的にバランス良く見ることが出来ます。手前が南櫓、その奥が北櫓、そして左に見えるのが西櫓です。私が訪れたのは平日でしたが、観光客が予想以上にいて賑わっていました。また、地元の住民の散歩コースにもされているそうです。2021-11-12
45真田十勇士説明板真田十勇士説明板上田駅と上田城跡公園までのルートに真田十勇士の説明板が建てられていた。簡潔に書かれていたし、歩きながらそれぞれの人物について知ることができるので、興味のある人は是非行ってみてほしい。2021-11-12
46美ケ原高原美術館美ケ原高原美術館今日の最終目標地点、美ヶ原高原美術館へ到着。 道の駅としても有名である。 気温は0℃。さむい。加えて体がもっていかれるほどの強風が吹いていて寒さが倍増。 ご飯を食べていこうと思っていたが、今年はもう終わりみたいで断念。 それでも上田を見下ろせる景色は綺麗で、心を奪われた。 暖かい時期などはドライブで寄る人も多く、車がある方は寄ってみるといいかもしれない。2021-11-11
47武石観光センター武石観光センター上田側から美ヶ原高原美術館までの山道、美ヶ原公園西内線の途中にある。 ここから西に進むと番所ケ原スキー場があるが、今その先は通行止めらしい。 いつか規制解除されることはあるのだろうか。 でも本日のルートは美術館方面なので関係ない。2021-11-11
48岳の湯温泉へ岳の湯温泉へ上田側から美術館へ向かえる県道62号美ヶ原公園沖線から一本南の道で、岳の湯温泉につながる道の始まりの場所である。 ここからいよいよ山道に入っていく。 この先のトンネルを抜けて右折すれば、温泉まで一本道。2021-11-11
49上田探索のねらい上田探索のねらいこのサイトでは上田の中でも、特に山道に着目していく。上田は北にも南にも山があり、道がある。 車を走らせ、道草を食べながらいろいろな場所をめぐっていきたい。 有名どころから穴場まで、良い景色を見つけに行きたい。2021-11-11
50須川湖について須川湖について上田市のほぼすべてのため池では釣りが禁止になっているため、ここ須川湖は人気の釣りスポットとなっています。釣れる魚はブラックバス・ブルーギルなどが主ですがあまり多くは釣ることができません。車を止められる場所もあり、かなり釣りはしやすいです。夜間の釣りは禁止となっているので注意が必要です。また釣り糸などのごみが多く、ここは水鳥も多く生息しているので各自でごみを持ち帰るなどして須川湖の浄化に努めましょう。2021-11-10
51小諸の貴重な資料の紹介 2021-10-16小諸の貴重な資料の紹介 2021-10-162021/10/16に上田マルチメディア情報センターにてNPO法人、糸のまち・小諸プロジェクトの清水さんと小諸の貴重な資料についてYouTubeにて紹介しました。list=PLkKGBvtMWyw2UfXV5H5qNkiQqZhBtx0VB2021-11-01
52上田城の歴史上田城の歴史 上田城は天正11(1583)年真田幸村の父である真田昌幸によって築城され、天正13(1585)年第一次上田合戦・慶長5(1600)年第二次上田合戦の二度にわたり徳川の大軍を退けたことで知られています。 二度もの実戦経験があり、上田城のような戦歴を持つ城は全国でも珍しく、他に例がありません。 関ヶ原の合戦後、上田城主は真田信之となり、以後には仙石氏(三代)、松平氏(七代)と代わり、廃城後は公園となり現在に至っています。2021-10-29
53上田の道路と環境の関わり上田の道路と環境の関わり上田駅から長野大学の道のりで道路と環境が関わることを探してみた。 1枚目の上田駅温泉口近くの写真は普段何気なく見る街路樹の写真である。街路樹には、景観を向上させるメリットや車の排気ガス・騒音などを緩和させる役割、更には夏の強い日差しを和らげるなど沿道の環境を良好に保つメリットがある。また、他にも街路樹があることで道の曲がり方などが分かりやすくなるため、ドライバーの視線誘導にも役立っているとのことである。 2枚目の写真は千曲川の両脇の土手沿いの写真である。土手(堤防)はこの場合川の氾濫を抑え込む役割であるが、その他にも交通渋滞の緩和を促す役割もあり渋滞緩和から排気ガスの充満も減少させることが出来る。 3枚目の写真は別所線の城下駅から赤坂上駅付近の道路の写真であり、電線の地中化が2021-11-15
54フィールドワークフィールドワークこのフィールドワークの狙いは「上田の歴史に触れてみる」です。 この春上田に来て、まだ詳しくこの地域について理解が深められていません。 そこで上田は昔はどんなことをしていて、なにがあったのかというのを町や博物館などを訪問し、記録に残していきたいと思います。2021-10-27
55上田の地域資源を見つけたい!上田の地域資源を見つけたい!初めまして! 信州上田学を受講している長田悠馬と申します! 簡単に自己紹介します! 僕は、新潟県の出身で地元地域で魅力を伝える活動をしていてその中でカードゲームを作っています。 具体的には、地域資源の特徴などをカードの効果に絡めて「遊べる」状態にして「知る」きっかけにしてもらおうという取り組みです! せっかくここに来たんだしそれをこの上田の食べ物、生き物、文化を見てそれで遊んでいけたらいいなと思っています! よろしくお願いします! ちなみに画像は上田城で撮ったものです!2021-10-27
56上田駅前散策上田駅前散策2021-10-27
572020信州上田学Aふり返りまとめ2020信州上田学Aふり返りまとめ▼全体まとめと成果
  1. 2020信州上田学A講義録(担当教員:前川道博)
  2. 信州上田学A2020⑭オンライン発表会記録 2020/07/29
  3. >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼上田市行政チャンネル
  1. >長野大学公開講座「信州上田学A」学生と市民の合同発表会 2020/07/29
  2. >信州上田学2020/学びの成果発表会(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼学生受講生のマイサイト
ニックネーム、テーマと内容は一致していないケースがあります。
  1. 上田の食
2021-10-06
58飯沼神社飯沼神社飯沼(上田市生田)に飯沼神社があります。神社は古くからある地域のコモンズです。境内には現在、飯沼公民館がります。またその近くには飯沼区の文書を保管する文庫蔵があります。2021-09-19
59蚕都上田探訪/飯沼郷蔵蚕都上田探訪/飯沼郷蔵郷蔵とは江戸時代、年貢米を貯蔵した倉庫です。飯沼(上田市生田)にあるこの郷蔵は教育委員会の説明板によると1729年に建てられ、その後度々の改修を経て現在に残っています。 この郷蔵からは幕末期、横浜からの生糸輸出を裏付ける大量の資料が発見されています。横浜開港資料館などが長年かけてその調査研究に当たってきました。驚くべき米倉庫です。我が国の生糸輸出や蚕糸業の歴史を紐解く数多くの文書がこのような倉庫に残っていたことも驚くべきことです。 この場所は飯沼の集落内にあり道は狭くわかりにくいので現地に行くには注意がいります。マップに位置を示しておきました。2021-09-19
60蚕都上田探訪/松田玄冲の墓と顕彰碑蚕都上田探訪/松田玄冲の墓と顕彰碑横浜開港(1859年)と共に列強の貿易商を相手に生糸貿易を始めた中居屋(中居屋重兵衛)の番頭の筆頭が松田玄冲(まつだげんちゅう)です。上田市生田の飯沼の出身。松田玄冲の墓の前に中居屋重兵衛顕彰会、上田郷友会、群馬県嬬恋村の連名による顕彰碑が立っています。 どこにあるのかがわからず、中居屋重兵衛顕彰会の方に教えてもらってやっと目的地にたどり着くことができました。確かにこの場所、普通では全くわかりません。GoogleMapの位置情報でご確認ください。2021-09-18
61【美味だれの店】るり家【美味だれの店】るり家上田名物【美味だれ】が召し上がれるお店で、美味だれ焼き鳥や刺身をメインに提供している居酒屋です。 大通りに面したお店で、カウンター席に加え、複数人で訪れるときに嬉しい個室空間もあり他の人の目を気にせずリラックスして楽しむことができます。 るり家で提供してる美味だれはにんにくよりも醤油の味が濃く、にんにくの辛みが聞いていてお酒がよく進む味付けになっています。美味だれは壺に入って出てくるので好きな量をお好みでかけて食べることができます。 和食洋食さまざまなジャンルの創作料理がそろっていて何度お店に訪れても飽きが来ないメニュー構成になっています。2021-07-27
62【美味だれの店】めめ家【美味だれの店】めめ家上田名物【美味だれ】が召し上がれるお店で、焼き鳥や串揚げをメインに提供している隠れ家的居酒屋です。 上田袋町といわれる歓楽街のメイン通りにあり、信州地鶏の「福味鶏」をつかっているそうです。 めめ家で提供している美味だれはニンニクの味が強いけどさっぱりしていておつまみに最適な味付けになっています。 雪見だいふくやマシュマロといった甘味系の串揚げのメニューもあり、バラエティーに富んでいるお店です。2021-07-27
63【美味だれの店】上田からあげセンター【美味だれの店】上田からあげセンター上田名物【美味だれ】が召し上がれるお店で、唐揚げをメインとした鶏肉をつかった料理を提供しています。 定食兼居酒屋のような感じで、自分でお酒をつくる飲み放題システムもあり、いろいろな楽しみ方ができるお店です。 上田からあげセンターで提供している美味だれはりんごの甘みがニンニクと絶妙にマッチして、ベースとなる醤油の味付けに華やかさをプラスしたような、唐揚げによくあう味付けになっています。2021-07-27
64醋屋(すや)呉服店醋屋(すや)呉服店この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 日本の伝統的な着物を身にまとい、まっすぐ立っている男性は、醋屋呉服店の主人の御遺族である。 瓦屋根の建物の入り口の上に「二五三番」と書かれている。これは住所を表示している。その上の提灯に書かれてる文字は濁って読めない。2021-07-24
65上田染谷丘高等学校上田染谷丘高等学校この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵する一枚である。 明治34年「小県郡立上田高等女学校」として設立された。写真の建物が建てられたのは、現在の上田城跡公園の東側、清明小学校がある場所である。 明治42年には女子中等教育の充実を図るため、郡立から県立へ移管され、「長野県立上田高等女学校」と変更された。 大正 5年に校舎は、上田城近くの丸堀校舎から、上田町鍛冶町裏の新校舎へ移転となった。 現在の「上田染谷丘高等学校」になったのは、昭和 23年4月である。2021-07-24
66奉祝提灯行列奉祝提灯行列この写真は、海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵している一枚である。 「奉祝」と書かれた旗や提灯を掲げていることから、祝い事だということが分かる。また、真ん中に書かれている文字をよく見ると「銀婚式祀念」と書かれていることから、誰かの銀婚式を祝っているということも分かる。昔の祝い事には着物や浴衣を着ている人もいれば、スーツを着ている人もいて、今とあまり変わらない。2021-07-24
67旧上田市役所旧上田市役所この写真は海野町商店街にあるすや呉服店が所蔵している一枚である。 写真には、旧上田市役所の全体が鮮明に映っている。建物の設計がシンメトリになっているので、バランスの良い安定した建物であると感じる。 この建物は、現在の上田商工会議所の場所に建っていた。2021-07-24
68生島足島神社生島足島神社生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られ、摂社(下社・下宮)には諏訪大神が祀られる信濃屈指の古社です。 御本殿は神池に囲まれた神島の中にまわりを老樹に囲まれて建っています。御扉の奥には御室と呼ばれる内殿(室町期建立)があり、内殿には床板がなく大地そのものが御神体(御霊代)として祀られています。この池を巡らせて神域とされる島をつくる様子は「池心の宮園池(いけこころのみやえんち)」と称され、出雲式園池の面影を残す、日本でも最古の形式の一つとされるものです。現在の社殿は昭和15年に国費をもって竣工したものです。内殿は平成10年9月「県宝」に指定されました。 また、ドラマや撮影に使われることもあり秋になると周りの山々2021-07-24
69真田井戸真田井戸上田城にある真田神社の奥に進むとある真田井戸は、抜け穴になっていて、太郎山麓の砦につながっているという伝説があります。 戦いのときに兵糧を運んだり、井戸から城外に出て奇襲をしたなどと言い伝えられている。 昔、実際に見たわけではないがこの場所に行き、このような事が起きたのだなと想像するだけで非常にワクワクするようなスポットである。2021-07-23
70真田神社真田神社城門を通るとすぐにある真田神社は、松平氏を祀ってあった松平神社だったが、太平洋戦争後に歴代城主である真田氏と仙石氏も合祀されて上田神社となり、昭和38年に真田神社と改称されました。真田の知謀にちなんで、学業成就にご利益がある神社と言われています。その影響もあってか、神社を入って左側にある絵馬には学業成就に関した内容のものが吊り下げられていて、またその場所を写真スポットとしてもお客さんに提供している。記念写真をとる場所としても人気であります。2021-07-23
71上田城 大手門上田城 大手門大手門は城の正面にあり、上田城では門の枡形を構成する石垣と、その前南北に堀があっただけで城門は造られていなかったと言われています。2021-07-23
72温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿現在の建物は文化6年(1809)、地元の人々によって再建されたもの。この地には、温泉の薬効でさまざまな病気を治すという温泉信仰が昔から根強く、「るり」は、薬師如来を「瑠璃光如来」とよぶことからきている。舞台の上からは、別所温泉の旅館街を見渡すことができる。2021-07-23
73北向観音堂北向観音堂北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場です。 安和2年(969年)、平維茂は一山を修理し、三楽寺、四院、六十坊を増築したと伝えられている。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益の願いが込められている。 また、北向観音堂の周りにはお店がたち並んでいて、北向観音堂だけではなく周りのお店でも楽しめるものになっている。2021-07-23
74愛染堂愛染堂現在の建物は明治15年(1882)に色川徳兵衛が建てたもので小規模ながら精緻な彫刻が施され格式のある造りです。愛染明王が祀られ、一般民衆は愛欲を無罪とし、それを糧として幸福を得ることが出来ると解釈し「恋愛・縁結び・家庭円満」を司る仏として信仰が広がりました。2021-07-23
75愛染カツラ愛染カツラ樹齢1200年の老木で若い人からは縁結びの木と呼ばれています。天長の昔、常楽寺の火坑出現の観世音菩薩が影向した霊木といわれています。昭和14年6月5日、長野県の天然記念物に指定されました。見た目から長い月日が思い浮かぶほど貫禄があり、見るだけで自然と力をもらえます。2021-07-23
76そば処 倉乃そば処 倉乃上田市真田町渋沢標高1000mの霧下で、自家栽培、自家製粉したそば粉を、四阿山からの湧き水で打つ拘りの手打田舎そばのお店です。別所温泉の途中にあるのですが、別所温泉は上田市街地とは離れているため、目にする機会が少ないと思うので、投稿を通じて色んな人に知っていただけたらと思います。2021-07-23
77北向観音堂北向観音堂北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場。源平争乱の中で全焼したが、建長4年(1252年)塩田陸奥守北条国時により再興された。長い歴史があり、今の時代の幸せを願い極楽世界でも幸せがあるようにと建てられた。2021-07-23
78別所温泉駅別所温泉駅別所温泉駅は1921年(大正10年)に上田温泉電軌川西線の「別所駅」として開業したのが始まりで、1924年(大正13年)には「信濃別所駅」に改称、さらに1930年(昭和5年)になって「別所温泉駅」と改称された。レトロな見た目でかわいいので、写真映えします。2021-07-23
79上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)上田市史・下巻(1940)』の「社寺古墳及人物誌/人物篇」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成) 人物01 真田昌幸
 真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。 人物02 真田信之
  真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。 人物04 真田幸村
 幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。 人物05 仙石政俊
 先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の
2021-07-21
80人物02 真田信之人物02 真田信之 真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。天正十八年徳川家康の女小松姫を迎て室とす。文禄二年九月諸大夫に任じ、伊豆守と稱す。以下真田氏篇第三章にその事跡を載す。 『上田市史・下巻(1940)』1195頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-21
81人物84  武七人物84 武七常田村の人、屋根屋を業とし、父を六平といい(略)時に年五十一。 『上田市史・下巻(1940)』1299頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-20
82人物62 小河滋次郎人物62 小河滋次郎信濃国上田城下で上田藩医・金子宗元の次男として生まれ、1918年には方面委員制度(民生委員の前身)の確立に尽力した人物である。2021-07-20
83人物59 八木与一郎人物59 八木与一郎兼助の子、慶応三年九月十五日江戸麹町六番町の薩邸に生る。(略) 尚最近菅平生物研究所長たり。 『上田市史・下巻(1940)』1090、1091頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-20
84人物47 世良田亮人物47 世良田亮安政五年を以て上田に生る。(略)明治十年米国留学を命ぜられ、同十四年卒業、後二ヶ年間欧州を歴遊し、同十六年帰朝し、海軍中尉に任ぜられ(略)、海上には彼の巨艦鎭遠等其功績に大なるものありき。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1261頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
85人物40 門倉伝次郎人物40 門倉伝次郎上田藩士。文政三年八月二十六日生る。(略) 慢性腎臓炎に罹り、十月十八日逝く。年七十一 『上田市史・下巻(1940)』1238~1239頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
86人物19 山田維則人物19 山田維則維則は上田藩士。(略) あすよりは春をむかふるいとなみに軒の松葉の雪や拂はん 『上田市史・下巻(1940)』1209~1210頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
87人物15 安原龍淵人物15 安原龍淵龍淵は通稱清介、名は邦憲、字は有文又右文。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1207・1208頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
88人物56 鈴木志津衛人物56 鈴木志津衛父は旧上田藩士、幸蔵の次男。明治五年九月二十七日生る。 『上田市史・下巻(1940)』1269~1271頁を転載 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
89人物05 仙石政俊人物05 仙石政俊先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の嫡男、元和三年七月小諸城に生る。(略) 猶領主篇参照のこと。 『上田市史・下巻(1940)』1012頁、1013頁、1014頁を転載 社寺古墳及人物誌 人物篇2021-07-19
90人物29 岡崎如毛人物29 岡崎如毛如毛は上田柳町の酒造家小堺屋五代目平助にして、名は知方。五窓緀、壱老人の別號あり。文政十三年四月十二日召す。行年六十八歳。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1223頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
91人物61 小菅武夫人物61 小菅武夫小管訓導殉職記念碑(略) 『上田市史・下巻(1940)』1275頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
92小島麦二小島麦二麦二は常田の人、通称は鍋屋久兵衛という。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1040頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
93人物91 よし女人物91 よし女常田村喜七の女なり。父の死後五年にして夫を迎へ別家せしが、夫病死せしかば本家なる親のもとに同居するに至れり。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1303頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
94人物50 新田義徳人物50 新田義徳新田左中將義貞二十二世の孫と稱す。(略) 尚碑文篇参照のこと。 『上田市史・下巻(1940)』1264頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
95人物11 井上直元人物11 井上直元直元は上田藩士。元俊の子。通称は四郎左衛門。字は仲泰、宜休又水風と号す。延宝5年6月生る。天性温潤、学を好む。風に伊藤仁斎に就きて学び、終身其説を奉ず。 『上田市史・下巻(1940)』1195頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
96人物07 松平忠固人物07 松平忠固忠優は忠学の養子、實は潘磨国姫路城主酒井雅楽頭忠實の二男。安政四年九月忠固と改名す(略) 『上田市史・下巻(1940)』1198頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
97人物18 糸賀希亮人物18 糸賀希亮希亮は上田藩士、通称は聘三。(以下略) 『上田市史・下巻(1940)』1209頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
98人物85 七女人物85 七女常田村小三朗の女なり、幼にして父母に仕う、年十三にして父を喪ひ母に養わる。(略) 時に年四十七。 『上田市史・下巻(1940)』1299頁、1300頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
99人物09松平忠厚人物09松平忠厚忠厚、通称銀次郎。上田藩主松平伊賀守忠固の二男にして、嘉永四年八月二十四日江戸に生る。 『上田市史・下巻(1203)』1019頁を転載 (目次位地) 社寺古墳及人物誌  人物編2021-07-19
100人物43 服部元戴人物43 服部元戴上田藩士、義孚の二子。享和元年5月生る。名は義則、通称は半左衛門、元戴或は半斉と號す。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1242頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2021-07-19
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