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1旧長野病院(信州上田医療センター)2005/05/17旧長野病院(信州上田医療センター)2005/05/172005/05/17の記録。 旧国立長野病院が上田市にあったことが人々の記憶からも遠ざかっています。長野病院が2011年、旧国立東信病院を統合し「信州上田医療センター」に改称しました。現在の施設自体は2005年当時と殆ど変わりませんが、名称が変わりました。病院名がシンプルで一度聴いたら忘れません。「信州上田~」は少し長く覚えにくいのは否めません。建物に記された「長野病院」のシンプルな病院名をご確認ください。 参考資料:信州上田医療センター https://shinshuueda.hosp.go.jp/  Wikipedia/国立病院機構信州上田医療センター https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E7%97%85%E9%99%A2%E6%A9%9F%E6%A7%8B%E4%BF%A1%E5%B7%9E%E4%B8%8A%E7%94%B0%E5%8C%BB%E7%99%82%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC2024-02-15
21/12日 調査まとめ1/12日 調査まとめ上田と「山本鼎」 自由画運動 山本鼎(やまもと かなえ)は愛知県岡崎市出身の画家であると共に、上田を拠点に「自由画運動」「農民美術運動」の先駆けとなった人物である。愛知県出身の山本であるが、父親が小県郡神川村大屋(現在の上田市大屋)に病院を開業したことをきっかけに上田と縁を持つこととなる。1912年にフランスに5年間の留学へ向かった山本は、日本に帰国後、児童画の改革を目指した運動を起こした。山本の言葉に「自分が直接感じたものが尊い」というものがあるが、当時の児童画の指導方法は「お手本の模写」が主流であった。山本はこれに対し、絵の技術や方法が重要なのではなく、自分の目で見た物、感じた物を描くことが児童の発達にとって大切であると説き、1919年に神川小学校で第一回児童自由画展覧会が開催され、2023-01-12
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