登録リスト(該当:12件)

写真タイトル説明登録日
1泥宮泥宮泥宮というのは泥を御神体として祀ったことが由来だとされている。泥は稲を育てるものとして神聖なものであるとされてきた。泥宮はその習俗を伝える宮として存在してきた貴重なものである。2024-01-31
2雨宮刑部雨宮刑部 上田原の合戦において、村上方の将として奮戦した雨宮刑部正利(あめのみやぎょうぶまさとし)、そのお墓である。  上田原の合戦において、多くの将兵が討ち死にした。上田原には、雨宮刑部の他に、屋代源吾や小島権兵衛など、村上軍の将、武田軍では板垣信方など、いくつかのお墓がある。それぞれ比較的近くに立地しているため、気になっている人は、ぜひ行ってみてほしい。2024-01-25
3観音寺観音寺 上田原の合戦において、武田側では、重臣である板垣信方や甘利虎泰などが、村上側では雨宮刑部や屋代源吾、小島権兵衛など、名だたる将たちが討ち死にした。  しかし、それ以外にも歴史に名を残すことはなかったが、勇敢に戦い、死んでいった将兵たちが数多く存在する。観音寺は、そんな将兵たちを弔っている。  寺は住宅地の中、少し奥まったところにあり、一度気づかず通り過ぎるところだった。画像のように、奥に入る入り口には、「上田原合戦戦没将士菩提寺入口」の碑が立っており、その奥に見えるのが観音寺である。2024-01-25
4岡谷蚕糸博物館を視察、意見交換岡谷蚕糸博物館を視察、意見交換岡谷蚕糸博物館 先日9/1、前川ゼミの学生と岡谷蚕糸博物館を訪問し、バックヤードの視察、所蔵資料のデジタルアーカイブ化に関する意見交換を行ってきました。 博物館の業務は一般的には資料収集・保存、調査研究、展示が主になります。現代においては社会のデジタル化が進展し、博物館法も改正され、登録博物館に対してはデジタルアーカイブ業務が義務付けられました。GIGAスクールが全国で実施された状況も重なり、デジタル社会への博物館の対応は待ったなしの課題です。その先に博物館DX (Digital Transformation)があります。その方向を視座に入れていくことがこれからの博物館には求められます。言い方を変えると、これまで以上に博物館を利用する人が増える、利用形態はネットなども使ったハイブリッドな形態とな2023-09-04
5常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで常盤町の歴史 昭和40年から昭和44年まで昭和40年 1   新年の賀詞交換を行う。(以後毎年実施している。) 3   太郎山に山火事が発生して4時間余り燃え続け自治会館が消防詰所となり、炊き出しをする。 8   台風のため町内にも被害が発生する。 昭和41年 3   町内道路舗装促進の陳情書を市に提出する。 3   郵便ポスト設置実現の陳情書を上田郵便局へ提出する。 6   急行バスの生塚停車実現の陳情書を川中島バス会社へ提出する。 12  社会部と西小PTA支部共催で「ママポリスさんと語る夕べ」が開かれる。 12  道路簡易舗装第1期工事180mが団地入り口から始まる。 昭和42年 2   山火事が発生し、3時間余り燃え続ける。 3   町内下水路改装(100万円)がしゅん工する。 4   米寿会(初期は老人クラブと称した)2023-08-09
6常盤町の歴史 昭和35年から昭和39年まで常盤町の歴史 昭和35年から昭和39年まで今回の「常盤町の歴史」では、常盤町創立(昭和35年)から平成3年(「常盤町30年のあゆみ」に記載されている範囲)の範囲内を可能な限り記す。内容に関しては私個人が重要な事を抜き出し及び文章を変更して記載すると事実と異なる内容となる危険性があるため、記されている内容をそのまま記載する。尚、該当ページは第3章常盤町30年のあゆみ、第1節常盤町30年の沿革表が記されている77頁~100頁である。文量が多いため、5年毎複数のページに分けて記載する。 昭和35年 12  県企業局より住宅団地造成計画のあることが地元(生塚区)に示される。 昭和36年 2   このころから生塚区及び関係地主の対応が具体化し始め、団地造成委員会を設けたり関係地主大会も開かれ、県や市との交渉・話し合いが頻繁にも2023-08-09
7大川美術館(群馬県桐生市)大川美術館(群馬県桐生市) 桐生市の美術館と言えばここ!大川美術館は松本竣介氏・野田英夫氏の作品を軸にして様々な作品が展示されています。2023年5月現在では曽宮一念(Somiya Itinen)展が開催されています。桐生市を訪れた際は是非。 入館料:一般1000円 高大生600円 小中生300円 美術館 群馬県 桐生市 2023-05-09
8上田市の自然文化について上田市の自然文化について別所温泉は、信州最古の歴史を持つ七久里の湯と呼ばれる温泉を持ち、平安時代の有名な和歌集にも記されている。安息の場として栄えた別所温泉は、かつて真田幸村の隠し湯があったとも言われていて、1500年以上の歴史を持っているとされている。 また別所を含む塩田平は、信州の鎌倉とも呼ばれ、温泉に限らず多くの文化財が残されている。 「幕宮池」と呼ばれる池は、日本で最も降雨量が少ないとされる位置にあり、多くのため池が作られた場所である。 〈参考資料〉 https://www.ro-da.jp/shinshu-dcommons/others/01DD001H230003 https://adeac.jp/shinshu-chiiki/catalog/mh0555002023-01-26
9筑波研究学園都市の年輪筑波研究学園都市の年輪筑波研究学園都市が建設されたのは1970年代からのこと。私が高校生だった1970年代後半はまだ都市全体が造成中でした。それからかれこれ40数年が経過しました。 当時としては都市計画をして形成された稀有な計画都市です。日本の都市計画の威信がかかった都市計画であったともいえます。その後40年も経過すると建物は老朽化し未だにそこに暮らし続けることの厳しさを感じます。多くの公務員宿舎などが廃屋となり、実質的に放置されています。その荒廃は驚くばかりです。 竹園一丁目住宅は現在も使われているアパートです。その入口に古い研究学園都市の周辺地図がありました。1987年に「つくば市」になる以前の「桜村」「谷田部町」の旧町村名で記されています。まるで時が止まったかのように過去の学園都市が眼前に現れたかの印象を受け2022-07-18
10山家神社山家神社2022.06.09(木) 上田市眞田、山家神社へ。(写真) 山家神社は古くから上田城の守護神として、 歴代上田上藩主から一般民衆に至るまで 深い信仰があったとされている。 鳥居にはおおきな桜の木があり、 とても風情が感じられる。 境内に入ると森に入ったように 自然が周りに広がっており時間の流れをゆっくり感じることができた。(写真) 宮司さんの書いた「白山大権現」(写真)と私の御朱印帳の文字(写真)を見てみるととても字体がよく似ている。 御朱印は去年12月にいただいたもの。 きっと宮司さんが書いてくれたものではないかな、と思った。 現在、アリオ上田店「赤ちゃん本舗」と山家神社はコラボしており宮司直筆の腹帯守りと御朱印のプレゼントを行っている。 お堅いイメージのある神社が 少し2022-06-10
11宮尾眼鏡店宮尾眼鏡店この写真は、海野町商店街にある海野町会館が所蔵する一枚である。 一枚目が平成11年のアーケード取壊し前、二枚目が昭和41年の海野町拡幅工事前に撮影された写真である。2022-02-13
12小宮山荘助翁ものがたり小宮山荘助翁ものがたり小諸の産業に大きな功績を残した小宮山荘助氏を讃える石碑が小諸市鶴巻に立てられている。設置後60年を経て改修がされたが、それを契機に小宮山家の皆さんがパンフレット「小宮山荘助翁ものがたり」を2021年(令和3年)9月30日に発行した。2021-10-03
地図で見る


ログイン トップページへ