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1スーパーNANA'Sが東御にスーパーNANA'Sが東御にスーパーマーケットNANA'S(ナナーズ)を知ったのは川上村を訪れた時です。高原野菜の生産地で知られる川上村の生活を支える地元スーパーです。そのNANA'Sが2023年3月、東御市にも進出したことはニュースで知りましたが、その東御店に昨日12/3、初めて訪れました。 いくつものスーパーがしのぎを削っています。長野県では、ツルヤ、デリシア、綿半、やおふく、その他他県からも展開する西友、イトーヨーカドー、バロー、ベイシア、原信など。その激戦地に食い入る力強さを感じます。お客さんも数多いことにも感心をしました。2023-12-04
2軽井沢/刈宿バイパスとラウンドアバウト軽井沢/刈宿バイパスとラウンドアバウト上田方面から軽井沢町風越に向かうため、久しぶりに信濃追分駅の前を通過しました。この道筋は「借宿バイパス」と呼ばれています。道が整備され、さらには国道18号線バイパスとはラウンドアバウトで接続されていました。この周辺を通るのはコロナ禍以前のこと、久しぶりです。軽井沢の都市環境が改善に向かっている状況を目の当たりにしました。 観光シーズンなどで顕著に起きる軽井沢の交通渋滞、とりわけ幹線道路でもある国道18号線の渋滞は解決しようのない社会問題となっていました。国道18号線バイパスが信濃追分駅を経由し追分方面に貫通するよう借宿バイパスのさらなる延伸工事もなされていました。 軽井沢の慢性的な渋滞が緩和され、旧市街の郊外でもある国道18号線バイパス沿線が新たな商業地・観光地となりつつある状況を実2023-12-04
3「信州学サミット2017」プレイバック「信州学サミット2017」プレイバック長野県内の県立高校で実施された地域学「信州学」のお披露目の場として「信州学サミット」が2017年10月21日、長野駅コンコースを会場に開催されました。 初めての信州学サミットに各学校から意欲的な発表と展示がなされました。次の記事は信州学サミットの様子を具体的に伝えていてふり返りの参考になります。 ▼信州学サミット~信州・学びの旅に出ように参加しました 2017年10月21日 https://manabitojichinohiroba.hatenablog.com/entry/2018/12/12/143956 私が学習支援をしていた蓼科高校の「蓼科学」の成果もパネル発表の形で展示に供されました。商業高校など地域の商品開発に取り組んでいる高校は実践がまさに地域学のねらいに合致して成果をPRしている一方、全体としてはいまひとつ活気が2023-10-10
4海野町の新築マンションと年齢別人口構成比海野町の新築マンションと年齢別人口構成比▲グラフ表示のウェブページ(以下をハードコピー) MapExpert 人口世帯数マップ 上田市中心商店街の海野町にここ数年にわたり複数のマンションが建設されています。1棟は現在建設中。中心商店街を訪れる人が少なく商業がどこまで成り立っているのかわかりませんが、いわゆるシャッター通りというほどの寂れ方ではありません。住民の年齢層はどうなっているのだろう。 そのような関心から年齢別の構成比を調べてみました。海野町のある中央二丁目をチェック。75歳以上が圧倒的に多く、00歳代以降の各年齢層はほぼ同じ程度に分散した少ない割合。商店や住宅がマンションになり、まちが新たな住民の住まいとなることで中心市街地の再生が図られるのではないかと思うところです2023-05-29
5LIVIN上田店2007/12/30LIVIN上田店2007/12/30上田市のホテルルートインGrand上田駅前が建っている場所にはLIVIN上田店がありました。LIVINは西友系列の店舗です。2007/12/30に記録した写真があるので掲載しておきます。この建物が取り壊される時の風景を記録した写真もあるのですが、いつだったか、今は探し出せません。2023-02-25
6つくば市竹園地区の記憶と今つくば市竹園地区の記憶と今筑波研究学園都市は、車道と人道が上と下に分離した構造となっており、一つ一つの区画も大きい。大通りは片側3車線あります。大通りにはペデストリアンデッキが架かって、都市内は安全に人が歩いて移動することができます。都市空間に緑が多いことも特徴です。今、新たなマンションが造成中のこの区画はNTTの職員宿舎だったところです。都市が建設されてから40~50年が経過し、老朽化や廃墟化が進んだ区画の再開発が進みつつあります。 竹園地区のうち、この地区、竹園三丁目(竹園東小学校の校区)は、学園都市のメインストリートである土浦学園線と東大通りに接しています。学園都市の中ではいち早く公務員等の住宅・学校・商業施設が建設された区画になります。ご覧のとおりNTT宿舎の広大な区画は再開発され新たなマンションが建ちま2022-07-23
7海野町史-海野町の誕生海野町史-海野町の誕生海野町は、真田安房守昌幸が先祖の地である海野郷から住人を移住させて、街並みをつくらせたのが起源である。また、三年遅れて、原の郷から招致したのが原町である。この海野町と原町を上田城下の元町という。海野町と原町は、真田・仙台・松平時代から明治・大正・昭和まで上田の中心枢要な位置にあり、共に商業経済の発展に貢献している。 海野町へ移住して来た人々は、海野郷大平寺村の住人で、氏神様の深海神社の祠(ほこら)だけを残し、全村挙って五十八家族が移住した。その人々は、思い思いに農村風の家を作り、大方南側に向き、従来に出入り口のない家や瓦をのせず床もない素朴な家に住んでいたという歴史が残っている。(海野町史第1章より)2021-01-31
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