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2.上田市の蚕の歴史
信州上田では江戸時代から蚕の卵の生産で栄え、その後も養蚕、製糸業などさまざまな発展を遂げていき全国から「蚕都上田」と呼ばれるようになりました。 しかし、現在は様々な理由から蚕糸業は全国で衰退し、風前の灯火となっています。 衰退している蚕糸業ですが、上田地域でもまだ蚕糸業は残っています。 上田地域で有名な蚕関連の会社は常田館製糸場という会社。明治33年(1900年)に創業された製糸工場です。 蚕糸業は大きく分けて蚕種業、養蚕業、製糸業の3つに分けられ、蚕の卵を生産し、質を高める「蚕種業」、蚕を成虫まで育ててそれを管理する「養蚕業」、蚕の繭から糸を取り生糸に加工する「製糸業」に分かれます。 次の記事では蚕という虫について解説していきます。 今の若い人は蚕という虫に接点が全くないので少
2022-02-02
2
上田・小諸のデジタル・アーカイブ化について
1年間にわたる上田・小諸のデジタル・アーカイブ活動についてまとめたものをpdfにしました。
2022-01-31
3
1.上田の蚕糸業を選んだ理由
皆さんは信州上田の蚕糸業についてどのぐらいご存知でしょうか? 私は正直、1年生の前川ゼミで常田館製糸場を見学するまでは具体的に蚕という虫を知らず、むしろ虫は苦手なので興味は全くありませんでした。 しかし、常田館製糸場を訪れてからは蚕にとても興味を持ち、蚕の製造方法や蚕の糸を使ったアートなど、蚕を知らない方にも興味を持ってもらうために上田の蚕糸業を選びました。 現在、蚕関連の産業は上田のみならず、全国で衰退しています。 この記事を通して蚕について知ってもらい、全国で衰退している蚕糸業を守っていきたいです。
2022-01-30
4
上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~
古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。 紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 さらに安政6年横浜開港以
2022-01-26
5
上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~
古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。 紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 さらに安政6年横浜開港以
2022-01-26
6
上田紬が庶民的なものから高級品になるまで~江戸時代から戦前~
古代から中世にかけて信濃の織物として知られていたのは、麻布であった。(中略)紬は屑繭等を原料として地機で織れたから、原料生産地がそのまま織物生産地となり得た。しかもそれは商品としてよりも、農村で自家用として織られている場合が多かった。 紬は、江戸時代の庶民に許された唯一の絹織物であった。 上小地方の蚕糸業は江戸中期を過ぎる頃から、1つは養種製造、もう一方は生糸生産へと重点が移っていった。江戸中期にすぐれた繰糸技術が取り入れられ、良質の生糸が生産されるようになった。その結果蚕種・生糸の生産で十分な利益を挙げることができるのであれば、手間のかかる機織をする必要はない。このようにして幕末期に近づくに従って、上小地方の上田紬・上田縞の生産は減少していった。 さらに安政6年横浜開港以
2022-01-26
7
信州大学繊維学部講堂(旧上田蚕糸専門学校講堂)
当時の上田は、高品質な蚕種・生糸の生産と、三吉米熊らによる人材育成により、近代日本の主要産業であった蚕糸業の発展に大きく貢献し、「蚕都上田」と称された。 この講堂ほとんど改変を受けることなく建築当初の姿を残しており、現存する近代の中・高等教育施設の建造物としては屈指のものだ。
2023-05-01
8
信州大学繊維学部資料館(旧貯文繭庫)
信州大学繊維学部の母体である官立上田蚕糸専門学校は、日本が工業立国として台頭しようとした明治43年(1910年)に、蚕糸に関する初の口頭教育機関、また、長野県初の国立学校として設立された。そのあと、繊維科学技術全般にわたる高等教育機関に発展し、昭和24年」(1949年)の学制改革により信州大学繊維学部として現在に至っている。
2023-05-01
9
上田工業の歴史
①蚕のまち上田 江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県経済は蚕糸業に支えられていた。上田はそんな長野県中でもいわゆる「蚕都」として名をはせていた。その要因としては、扇状地や河岸段丘の発達により桑の栽培適地であったこと。また、雨が少なく乾燥した気候が蚕の飼育に適していたこと。そして全国にさきがけて開校された、小県蚕業学校(現在の上田東高校)や上田蚕糸専門学校(現在の信大繊維学部)などによる蚕業教育が充実していたことが挙げられる。 ②精密機械工業へのシフト 長野県が戦前から養蚕・製糸業に代えて精密機械工業へと産業育成の重点をうつし、かつ終戦後の1960年代には高度経済成長で商工業が発展したこともあり、上田の蚕糸業(養蚕、蚕種、製糸)も例外なく衰退を迎えた。しかし蚕糸業で培われた技術的
2022-01-25
10
明治・大正期における上田の金融の歴史について
・テーマ選定理由:上田はかつて蚕糸業が発達した地域であり、それに伴って金融業が栄えた歴史があることを知り、興味を持ったから。 ・何を調べる:明治・大正期の金融に関する資料、年表を当たり、それによって当時の上田が全国的にどれぐらいの規模で経済的に栄えていたのかを調べる。 ・具体的な資料:国立国会図書館資料、去年授業で扱った上田市誌データ、附属図書館内の書籍
2021-12-21
11
デジタルアーカイブの作業様子
今回、10月20日(水)から10月29日(金)のうちの5日間にかけて、塩尻小学校の郷土資料館にて、デジタルアーカイブの撮影が行われ、そのお手伝いをさせていただきました。ただ撮影をするだけでなく、道具を撮影するためのスタジオのような場所を作るなどの工夫を行いながら撮影が行われ、そういった道具や資料などの実物をデジタル化するにあたってのやり方を学ぶことが出来ました。
2021-12-13
12
キモノマルシェ2015/信州シルクロードへの誘い
キモノマルシェ2015/キモノアカデミー/信州の蚕糸を知ろう 「信州シルクロードへの誘い」 会場:旧常田館製糸場施設(重要文化財、長野県上田市) 2015/10/04 講師:前川道博(蚕都上田プロジェクト代表世話人) 内容:前半レクチャー、後半見学。国内に残る近代の製糸場は富岡製糸場とここ常田館製糸場の2つ。蚕種製造でも栄えた上田は蚕都と呼ばれた。女工さんたちが働いていた工場の情景も想像してみよう。
2021-11-29
13
キモノマルシェ2013/信州の蚕糸を知ろう
キモノマルシェ2013 in 上田 キモノアカデミー/信州の蚕糸を知ろう 「蚕都上田と旧常田館製糸場施設」 2013/11/17 講師:前川道博(蚕都上田プロジェクト代表世話人)
2021-11-29
14
大正二年上田町市街図
測量による地図が作成されるようになったため、方位・縮尺が地図に記入されるようになり、凡例にある地図記号も用いられるようになった。しかし、かなり簡略化された地図だ。地図からは、市街地の周囲は水田や畑が広がっていたことがわかる。 大正期の上田は、養蚕業とその関連産業が隆盛を極めており、市街地北方に「大星川原種桑園」、南方に「鴨池種桑田」などの広大な桑園が見られる。 また、「上田蚕糸専門学校」(現信州大学繊維学部明治44年開校)、「小県蚕業学校」(明治25年開校、大正12年現在の上田東高校の地への移動)も見える。
2023-05-06
15
博物館訪問 蚕糸
撮影が不可だったため見せることは出来ないが、昭和43年4月に上田蚕糸専門学校が開校された際に記念として残された袱紗(ふくさ)が展示されていた。 また、明治から昭和戦前にかけて上田で発行されていた蚕業雑誌類が8点ほど展示されていた。色つきで可愛かったし、この頃に蚕糸が盛んだったことがよくわかった。
2021-11-15
16
2020信州上田学Aふり返りまとめ
▼全体まとめと成果
2020信州上田学A講義録
(担当教員:前川道博)
信州上田学A2020⑭オンライン発表会記録
2020/07/29
>信州上田学2020/学びの成果発表会
(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼上田市行政チャンネル
>長野大学公開講座「信州上田学A」学生と市民の合同発表会
2020/07/29
>信州上田学2020/学びの成果発表会
(信州上田学A/B合同) 2021/01/24
▼学生受講生のマイサイト
ニックネーム、テーマと内容は一致していないケースがあります。
上田の食
2021-10-06
17
蚕都上田探訪/飯沼郷蔵
郷蔵とは江戸時代、年貢米を貯蔵した倉庫です。飯沼(上田市生田)にあるこの郷蔵は教育委員会の説明板によると1729年に建てられ、その後度々の改修を経て現在に残っています。 この郷蔵からは幕末期、横浜からの生糸輸出を裏付ける大量の資料が発見されています。横浜開港資料館などが長年かけてその調査研究に当たってきました。驚くべき米倉庫です。我が国の生糸輸出や蚕糸業の歴史を紐解く数多くの文書がこのような倉庫に残っていたことも驚くべきことです。 この場所は飯沼の集落内にあり道は狭くわかりにくいので現地に行くには注意がいります。マップに位置を示しておきました。
2021-09-19
18
【伝承・民間で始まる蚕糸業】風穴と糸のまちこもろ物語
大河ドラマ『晴天を衝け』登場人物の関わりが見えてくる冊子です。
2021-08-27
19
小諸蚕糸業の関わりマップ
小諸蚕糸業の関わりマップふるさと遺産群
2021-08-06
20
岡谷探索-4
岡谷駅の駅名標。岡谷駅は1905(明治38)年に鉄道院中央本線の終着駅として整備された。製糸業の中心地として、繭を県内・県外に輸送したり、石炭を天竜川の船に輸送する役割を果たした。1905年は日露戦争の年であり、またその4年後に日本は生糸輸出量で世界一位となっている。日本の産業、また国力上重要な期間に岡谷駅は整備されたのである。
2021-07-19
21
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回 2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ
【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸
■そもそも蚕糸業とは?
今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
22
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から
信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回 信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 日付:2016年10月6日 会場:まちなかキャンパスうえだ <目次> 【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸 【2】蚕糸王国長野県と蚕糸業 【3】ポスト蚕糸業 【4】未来への贈り物
2021-07-13
23
信州と風穴:知識の新たなフロンティアとしてのデジタルアーカイブ
著者:前川道博(長野大学企業情報学部教授) 「第4回全国風穴サミットin信州小諸」(2017年)の記念誌に寄稿した原稿の再掲です(pp.88-95掲載)。 《目次》 1.信州デジタルコモンズ創成と風穴アーカイブ (1) 「風穴」データをアーカイブサイトに載せて遍在させる (2) 風穴を知る資料の発掘とシェア (3) 信州デジタルコモンズ構想 (4) 地域に偏在していた蚕糸業と風穴をシェアする方向へ 2.風穴の蚕種冷蔵と信州・上州のつながり (1) 蚕糸王国信州の実態 (2) 信州風穴の蚕種冷蔵の数量 (3) 小諸の風穴が果たした役割の大きさ (4) 上州の蚕糸業に貢献した小諸の冷蔵蚕種 (5) 田島本家と氷風穴蚕種との関連 3.最後に
2021-07-12
24
岡谷探索-3
岡谷蚕糸博物館の内部の写真。岡谷蚕糸博物館では、近代に器械製糸で発展した岡谷市の蚕糸業の歴史を学ぶことが出来る。具体的には、諏訪式繰糸機を始めとする器械の展示や、製糸工場で働く女工さんの生活の様子などが詳しく説明されている。
2021-07-11
25
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業の視点から
PDF資料は右上の「ダウンロード」を選んで御参照ください。 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座第2回 2016/10/06(木) 19:00~21:00 まちなかキャンパスうえだ レクチャー:ポスト蚕糸業(産業)の視点から 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授)
2021-07-11
26
日本シルクロード講座・横浜編(6)まちあるき・汽車道ルート
2011年10月30日 横浜まちあるき ガイド:嶋田昌子=横浜シティガイド協会 信州上田は横浜開港当初から横浜の生糸売込商を通じ、欧米諸国との貿易で栄え、後に蚕都と呼ばれました。学びあい講座では上田との交易の足跡をまちあるきして探訪しました。
横浜まちあるき(2)汽車道ルート・ダイジェスト版
5分でまちあるきの概略を掴むことができます。
横浜まちあるき(2)汽車道ルート・ノーカット版
35分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座2日目> (1)横浜まちあるき・汽車
2021-07-11
27
日本シルクロード講座・横浜編(4)上田と横浜の歴史アラカルト
2011年10月29日 会場:北仲BRICK(横浜、旧帝蚕倉庫事務棟)
講座「上田と横浜の歴史アラカルト」ダイジェスト版
3分で講座の概略を掴むことができます。
講座「上田と横浜の歴史アラカルト」ノーカット版
45分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座1日目> (4)上田と横浜の歴史アラカルト、横浜まちあるきのみどころ 講師: 前川道博(長野大学企業情報学部准教授、蚕都上田プロジェクト事務局長) 水島久光(東海大学文学部教授、北仲スクール) 特別ゲスト: 浦辺信子
2021-07-11
28
日本シルクロード講座・横浜編(3)日本初の生糸輸出は信州上田から
2011年10月29日 会場:北仲BRICK(横浜)
講座「日本初の生糸輸出は信州上田から」ダイジェスト版
3分で講座の概略を掴むことができます。
講座「日本初の生糸輸出は信州上田から」ダイジェスト版
38分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座1日目> (3)日本初の生糸輸出は信州上田から 講師:阿部勇(上田歴史研究会会長) (撮影・編集 森田文和@おらほ放送局)
2021-07-11
29
日本シルクロード講座・横浜編(1)新しい地域学習のすすめ
2011年10月29日 会場:北仲BRICK
講座「新しい地域学習のすすめ」ダイジェスト版
3分で講座内容を手短かに掴むことができます。
講座「新しい地域学習のすすめ」ノーカット版
67分 「日本シルクロード学びあい講座・港都横浜編」蚕都上田プロジェクト主催 <講座1日目> (1)新しい地域学習のすすめ 講師:水島久光(東海大学教授)、前川道博(長野大学准教授) (撮影・編集 森田文和@おらほ放送局) ※肩書等は2011年当時のものです。
2021-07-11
30
日本シルクロード講座・横浜編・ダイジェスト版
ダイジェスト版25分 2011年10月29日 会場:北仲BRICK(旧帝蚕倉庫事務棟、横浜) 提供:蚕都上田プロジェクト 横浜を訪ねて上田を知る。蚕都上田全盛時の生糸貿易とゆかりのある歴史的建造物「旧帝蚕倉庫」(信州の生糸が貯蔵された倉庫)の事務棟を会場に横浜と上田の人々がお互いの地域の歴史を学びあいました。
講座内容
(1)新しい地域学習のすすめ 講師:前川道博(長野大学准教授)、水島久光(東海大学教授) (2)横浜開港と生糸貿易 講師:小泉勝夫(シルク博物館元部長) (3)日本初の生糸輸出は信州上田から 講師:阿部勇さん(上田歴史研究会会長) (4)上田と横浜の歴史アラカルト 講師:前川道博+水島久光 ゲスト:浦辺信子(上田藩松平家直系御子孫) (撮影・編集 森田文和@おらほ放送局) ※肩書
2021-07-11
31
「渋澤栄一と小諸商人」展
NPO糸のまち・こもろプロジェクト代表の清水寛美さんが中心となり企画展示「渋澤栄一と小諸商人」を小諸本町のゆもと京都屋呉服店で開いています。7/3、会場を訪れ清水さんをはじめ関係の方々とお会いしてきました。 清水さんは、長年、小諸の蚕糸業や着物と関わる探求をされてきました。関係の資料も収集され、唯一無二の一次資料も相当数あります。さまざまな文献・論文等から小諸と関わりのある情報源を渉猟され、カテゴリ別に分けて展示構成をされています。何と言っても驚くのは資料の物量と展示構成のキュレーション力。博物館の学芸員でもここまで探求しキュレートできるものでもありません。一個人がこれだけのキュレーションをされたことが驚きです。 展示のコーナーは次のように構成しています。 ●製糸業コーナー ●絹業
2021-07-09
32
岡谷探索-2
天竜川と諏訪湖の河口である釜口大橋で撮影した諏訪湖。信州で最大規模の湖であり、天竜川と同様にその豊富な水量で岡谷の製糸業を支え続けた。特に明治期など日本の産業革命が始まったころは、蒸気機関による電力供給技術が確立されていないため、製糸工場に必要な電力は主に水力発電が主流であった。そのような点から、天竜川及び諏訪湖からなる工業用水はまさにうってつけであったのである。
2021-07-04
33
野澤敬氏による小諸の歴史「糸のまちと戌の満水」
▲解説資料『「糸のまち」と「戌の満水」を巡る」
長野県小諸市の巡検イベント「糸のまち・こもろの歴史歩き」(糸のまち・こもろプロジェクト主催)に先立ち、野澤敬氏が小諸の製糸の歴史と戌の満水にいて解説した説明の記録。公開を想定して録音したものでないため、雑音が入り聴きにくくなっている点、どうぞご了解ください。 (2015/09/19、会場:北国街道ほんまち町屋館)
2021-07-04
34
上田蚕糸専門学校-1
上田蚕糸専門学校は1910(明治43)年に小県蚕業学校の隣接地に設立された。小県蚕業学校が中等教育機関であったのに対し、上田蚕糸専門学校は蚕糸業の高等教育機関として機能した。蚕糸業の中・高等教育機関が続けて建てられたことは、上田が蚕糸業の中心地であったことを表す1つの事例となっている。当学校の後継に当たる信州大学繊維学部は、全国の大学機関で唯一繊維学部の名を残していることが、その歴史を後世に伝えている。
2021-06-20
35
小県蚕業学校-2
小県蚕業学校では、生徒の出身地が広範囲にわたっているという特徴があった。具体的には、岩手県から鹿児島県に至るまで範囲内にあった。その背景には、小県の蚕種製造業者がそれだけ広範囲に販路を広げていたことが挙げられる。卒業生の動向としては実家での養蚕・蚕種業の従事や養蚕指導者になったものが多い一方で、遠く清国や朝鮮、アメリカにまで人材を輩出している。また、蚕糸業だけでなく上級学校への進学や教職員、官公吏、銀行員となる者も存在していることから、教育機関としての機能も果たしていたことが分かる。このような点から、小県における蚕糸業はたんにそれのみで存在しておらず、金融業や教育業などあらゆる業界と密接に結びついていることが分かる。あるいは、蚕糸業を基盤としてあらゆる業界が幅広く発達したと
2021-06-13
36
小県蚕業学校-1
小県蚕糸学校は日本初の中等教育機関としての蚕糸学校として1892(明治25)年に設立されたが、その初代校長となった三吉米熊は、坂本龍馬と行動を共にした活動家として知られる三好慎蔵の子として生まれ、1881(明治14)年に長野県に出仕した。農芸化学専攻で当初は蚕糸業の知識が全くなかった米熊であったが、上塩尻村の藤本家で実習を重ね、微粒子病における顕微鏡使用法の提唱及び指導など実績を残した。またこうした実績を基に1888(明治21)年にはイタリア・フランス蚕糸使節団の一員としてヨーロッパに赴き、現地の試験場や製糸場などを徹底的に視察してその実情を知る。こうした中、小県郡では郡長の中島精一を中心に蚕業界で蚕業学校設立の機運が高まり、その初代校長に米熊を推薦する声が蚕種業者らの間で広がった。これにより前述の
2021-06-06
37
丸子顕彰碑
丸子町の工業100年を記念した碑。この碑は、1990(平成2)年に丸子町の工業が100年になったのを契機に、丸子文化会館の向かい側に丸子工業百年記念公園が造営された際に建てられた。顕彰碑やその周りには、丸子の工業の発展に尽くした幾人の偉人の碑やその紹介文があり、丸子の工業史を知ることが出来るスポットの1つとなっている。
2021-05-05
38
上田蚕種-2
上田蚕種協業組合事務棟の説明文。建物の特徴について説明されている。上田蚕種株式会社は時代の進行に伴って蚕糸の中心地から軍需工場、そして戦後の名称変更等、様々な役割を担っていた。このような建物の存在は、主に20世紀における上田の様相の変化を知るうえで重要であると考える。
2021-05-05
39
上田蚕種-1
上田蚕種協業組合事務棟の写真。この建物は、1916(大正5)年に上田蚕種株式会社として建てられた。上田蚕種株式会社は、上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)や小県蚕業学校(現・上田東高校)を抱える上田市常田に設立され、上田蚕糸の中心地として機能した。戦後に協同組合及び協業組合として一時名称が変更されたが、2003(平成15)年に再び株式会社の名が復活した。協業組合時代に建物が国の登録有形文化財に指定されたため、この名になっている。
2021-05-05
40
須坂市立博物館
臥竜公園内にある。 館内は3つのブースに分かれており、須坂藩関係の資料、東日本最大級の積石塚古墳である八丁塚古墳の出土品などの古墳の出土品、製糸業の資料が展示してある。 大きな瓦が出迎えてくれる。 須坂市の歴史を知ることができる貴重な博物館で、入館料自体もすごく安い。
2021-05-05
41
探究計画
テーマ:蚕都上田の近現代史 狙い:主に明治、大正期における上田の蚕糸業の発展について調べる。 計画:資料閲覧、現地調査などを考えているが具体的には未定 参考資料:特に考えてはいない
2021-02-20
42
上田市と岡谷市における蚕業の比較 まとめ
私は、上田市と岡谷市の蚕糸業の比較として、蚕糸業における様々な施設についてまとめた。その中で理解した相違点や共通点、蚕の今後の展望についてまとめる。 ・相違点 同じ蚕糸業で栄えた上田市と岡谷市だが、上田市は「上田蚕種協業組合事務棟」や「常田館製糸場」の現存から養蚕業や製糸業を行っていたことがわかる。一方で岡谷は、「岡谷蚕糸博物館」に展示されている多数の繰糸機や「宮坂製糸所」の現存から製糸業で栄えたといえる。 ・共通点 岡谷市の工女さんは、1910年には岡谷の人口2万3000人に対して、工女さん1万5000人と65%を占めていた。その後、1930年には岡谷の人口7万6500人に対して、工女さん3万4500人と45%を占めており、工女さん達は岡谷市の支えとなっていた。工女さんは10代半ばから20代前半の若い女性で、重要な
2021-02-10
43
ミヤサカシルク トリートメントソープ(岡谷蚕糸博物館・宮坂製糸所)
岡谷蚕糸博物館のショップでは、蚕のシルクを活用したスキンケア商品を販売している。石鹸や化粧水、クリームなどを販売しており、ネット通販も行っている。 私は、岡谷蚕糸博物館に併設されている宮坂製糸場で、「ミヤサカシルク トリートメントソープ」と「ミヤサカシルククリーム」を体験させていただいた。シルクソープは無香料・無着色・合成界面活性剤不使用で肌にも優しく、少量できめ細やかな泡が立ち、使用後はお肌がすべすべになった。シルククリームはシルクの主成分であるフィブロインが配合されており、使用後はお肌がしっとりとして潤いが戻ったと感じた。少々高価ではあるもののプレミアム感があり、プレゼントにも良いと思った。お土産コーナーには他にも生糸やバッグ、ストールや、虫の佃煮や桑の実ジャムといっ
2021-02-10
44
宮坂製糸所
「宮坂製糸所」は、岡谷製糸場に併設されている製糸工場だ。貴重な動態展示を行っており、実際に生糸を繰る様子を見学できる。私が見学に訪れた際には、工場の方から様々なお話を聞くことができて大変勉強になった。その中でも、特に「蚕の品種改良」と「蚕と医学」についてのお話が記憶に残っている。 まず「蚕の品種改良」では、蚕はメンデルの法則により必ず交雑が行われており、交雑種は病気に強かったり、糸が多く取れたりするため、安定性が向上することを知った。また、蚕に蜘蛛の遺伝子を導入することで、伸縮性や強度に優れた糸の産出が可能になるという話は驚きだった。 次に「蚕と医学」では、蚕は研究所や製薬所で医薬品の開発にモデルとして用いられたり、薬品やワクチンに利用されたりしていることを知った。まだ
2021-02-10
45
エリスン桑畑
エリスンの桑畑です。 時期的に実がなってないため絵面は地味です。 エリスンの活動は遊休地を有効に活用できるとともに蚕糸の名残である桑畑を営むことで蚕糸業の派生産業として成り立っている一例と言える。蚕の餌である桑の葉は栄養価が高く、また葉だけでなく実や幹なども同様に商品としての可能性に着目できる。エリスンの経営理念上あまり利益を追い求めてはいないため成り立っているが産業として成り立たせるためには商品の開発が必須となるように感じる。また広大な土地の管理する人手、商品の販売ルートの開拓も必要で課題は山済みである。 広大な土地を有効活用するとともに蚕都としての遺産と言える桑の栽培を活かせる今後の可能性のある産業である。
2021-02-01
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上田蚕種
国の登録有形文化財に指定されています。 上田に残る蚕の卵を採取、販売している貴重な数少ない場所。蚕は生糸をつくるだけでなく他の用途を研究される最先端の技術となり得る現状がある。その大本が上田にあるということを何とか生かせないかと考える。開発の成功次第では需要の上昇が期待できる産業ではあるが、現状は経営が厳しいと聞く。上田の蚕糸業関連全体の活性化を求めるので有れば上田ならではのPRや技術開発を必要とするのではないかと考える。今後、うえだの蚕糸業がどのような形態で存続していくか分からないが、重要な場所となり得る産業資源と思う。
2021-01-31
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岡谷蚕糸博物館(2)
(岡谷蚕糸博物館(1)の続き) 2つ目のコーナーでは、江戸時代から昭和期までの製糸機械類が年代順に展示されていた。様々な製糸機械類が一堂に展示されており圧巻だった。 3つ目のコーナーには、先人が残した経営資料などが展示されており、かつて「糸都」と呼ばれた岡谷の歴史を辿ることができる。館内では音声ガイドを無料で借りることができ、展示を見るだけでなく、同時に解説を聞くことで岡谷の製糸業についてより深く理解することができるためおすすめだ。 最後に体験コーナーという場所もあり、実際に繰糸機に触れることができる。私が訪れたときには、子供達が楽しそうに繰糸機に触れており微笑ましかった。 参考URL:
施設のご案内|岡谷蚕糸博物館
2021-01-27
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岡谷蚕糸博物館(1)
「岡谷蚕糸博物館」は昭和39年10月に開館し、製糸機械や製糸経営史料等の展示や、製糸工場を併設して動態展示を行う貴重な博物館である。 館内のミュージアムエリアは主に3つのコーナーに分かれていたため、記事を分けて投稿する。 1つ目のコーナーでは、蚕から絹製品になるまでの流れや、日本・岡谷の製糸業のあゆみ等が大きなパネルにて展示されていた。(写真2枚目) その中でも、特に目を惹かれたのが「フランス式繰糸機」と「諏訪式繰糸機」の実物の展示である。 写真3枚目が実際に展示されていたフランス式繰糸機だ。これは、官営富岡製糸場に設置された300釜の中の2釜で、日本に残る唯一のフランス式繰糸機である。明治5年(1872)~昭和6年(1931)まで使われていた。 写真4枚目は実際に展示されていた諏訪式繰糸機で、武居代
2021-01-27
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上田蚕種協業組合事務棟
「上田蚕種協業組合事務棟」は、大正6年から現在(2021年1月)にわたり蚕種製造を行っている会社である。当時は1万4000坪もの敷地があったそうだ。最盛期の昭和40年代には、46億の蚕種の製造販売を誇り、現在は2000万の蚕種を製造している。 蚕種には様々な種類があるが、ここでは日本産と中国産を掛け合わせて、より強い種を生み出している。そして、薬の刺激を与えて約12日後に孵化させる「人工孵化法」を用いて、蚕種を孵化させている。3、4枚目は蚕種の洗い場や、繭をカットして中から蛹を取り出す機械の写真だ。蚕糸業が衰退する中、現役で養蚕を続けている会社があり、尚且つ見学も可能であるというのは、上田が「蚕都」であるからこそできる貴重な体験だと考える。 参考URL:
上田蚕種協業組合事務
2021-01-27
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常田館製糸場 (奥帳場兼創業者住宅・賄蔵・炊事場)
これは常田館製糸場の「奥帳場兼創業者住宅、賄蔵、炊事場」の写真である。以前、製糸場で働く工女さんたちは住み込みだった。会社から大切にされており、生活の補助を受けたり、当時は貴重だった白米をお腹一杯食べたりすることができたそうだ。 参考URL:
常田館製糸場 施設紹介
2021-01-27
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常田館製糸場 (五階繭倉庫)
これは常田館製糸場の「五階繭倉庫」の写真である。明治38年(1905年)に建築された国内唯一の木造5階建繭倉だ。当時は繭を乾燥・保管する目的で作られたが、現在は比較的軽いプラスチックや発泡スチロールなどの倉庫として利用されている。建物の軽量化をはかるため、壁は薄く、柱もやわいが、震度4にも耐えられるくらい丈夫な造りとなっている。 参考URL:
常田館製糸場 施設紹介
2021-01-27
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常田館製糸場 (五階鉄筋繭倉庫)
常田館製糸場は明治33年(1900年)創業の製糸工場だ。 15棟の施設が現存しており、そのうち7棟が国の重要文化財に指定されている。 写真3枚目は、「五階鉄筋繭倉庫」の内部である。大正15年(1926年)に竣工した、長野県内に現存する最古の鉄筋コンクリ―ト造5階建て建築物だ。現在1階はイベントの開催やワインセラーとして利用されており、2階と3階には従業員の方々が制作した芸術作品が展示されている。作品はライトアップされており美しかった。 参考URL:
常田館製糸場 施設紹介
2021-01-27
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小県郡上田町全図(1901~1910年頃)
小県郡上田町全図(上田市税務課所蔵) 制作年代:1901~1910年頃 縮尺12,000分の1 サイズ:A1版より小さい(A1版の台紙に貼付されている) 上田町(地籍図作成当時)全域の「地籍図」を基に町全図として作成した地図。上田町各地の字が一瞥できる。 制作年代は不詳ながら、「上田尋常男子小学校」(1901~1922)、「小県蚕業学校」(権現坂上の時代 1900~1922)が記されている。また上田蚕糸専門学校(1910~1951)は記されていないことから1901~1910年(明治34~43年)の間の地図と推定される。 図版は上田市税務課所蔵の当該地図の複写図版を合成し作成したものである。 (データ編纂:長野大学前川研究室) ★
小県郡上田町全図(PDF)1.3MB
2021-01-10
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上田市と岡谷市における蚕業の比較
・地域探求テーマ 「上田市と岡谷市における蚕業の比較」 ・この探求テーマを選んだ理由 私の地元では、小学校の地域学習として岡谷蚕糸博物館や宮坂製糸所の見学を行っており、蚕業を身近に感じる機会が多くあった。また、上田市と岡谷市は蚕業が盛んであったことが共通しており、それぞれの蚕業の歴史の仔細や、そこに共通点があるかどうかについて興味があるから。 ・探求しアウトプット化すること 上田市と岡谷市の蚕業の歴史や当時の様子について探求するとともに、そこから共通点や相違点等を見つけ出し、記事にまとめて投稿したい。 ・具体的に調べる資料 信州上田デジタルマップ 信州デジタルコモンズ 長野大学附属図書館の地域資料室 岡谷蚕糸博物館 など ・調査記事一覧
2020-12-21
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常田館製糸場②
木造繭倉庫は足場が悪く、階段も急なため、お年寄りの方が見学するには危険な場所であると感じました。当時、製糸場で働いていた人がこんなに過酷な環境で働いていたということを知り驚きましま。
2020-11-19
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常田館製糸場①
常田館製糸場の見学をしてきました。蚕糸業が盛んであった上田市の遺産として残された常田館製糸場は、当時の姿をそのまま残した貴重な文化財であることが分かりました。鉄筋繭倉庫にはギャラリーがあり、そこでは様々な展示物も見ることが出来ます。
2020-11-19
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常田館製糸場
明治時代からの建物が現在に至っており、当時の様子が伺える。繭を大量に保管しており、蚕糸業において重要な役割をしていたのだろう。
2020-11-19
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上田探検3まとめ
今回は常田館製糸場のみの探検となったが、非常に歴史を体感することが出来、有意義な探検となったと思っている。今回の探検で、信州大学繊維学部講堂を除く上田の主要な蚕糸施設は大方訪れたので、次回からは丸子にあるいくつかの蚕糸施設を訪れたいと思った。
2020-11-18
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上田市街明細図(1922年 大正11年)
上田市街明細図 1922年(大正11年)12月26日発行 発行所 東京交通社 サイズ 81.0cm×54.5cm 上田市が1919年、市制施行して間もない1922年(大正11年)の中心市街地を中心とした地図に事業者の位置を克明に記載した地図である。裏面には上田市の事業者名一覧を記してある。蚕都上田と呼ばれるほどに蚕糸業で興隆した当時の上田市の状況を仔細に知ることができる。 本資料は、滝沢主税氏が編纂した『上田老舗図鑑』(2004年)の版下に使用した地図の実物をコピーしたものである。 ★
上田市街明細図(1922年)表裏分割収録PDF 表面地図と裏面事業者名一覧を8ページに分割して収録 53MB
サイズが大きな地図のため、PDF版を用意しました。 ★
上田市街明細図(1
2020-10-07
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信州上田学A2020⑭オンライン発表会
オンデマンド講座
▼第14回7/29講座 講師:前川道博(長野大学) 82分
(市民開放講座第12回)
本日の講座資料
記録日: 2020/07/29
オンライン発表資料
▼01
探検を通して上田を知る
▼02
イトーヨーカドーから見える社会情勢の変化
▼03
災
2020-09-03
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猫瓦
猫瓦という独特な瓦の家。上塩尻地区にたくさんあった。猫瓦は、蚕糸業の家に多く、養蚕農家を悩ますネズミの食害の魔除けとして使われた。歴史を感じる。
2020-08-09
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蚕都上田ストーリー「蚕の卵は世界を救う」
★YouTube「蚕の卵は世界を救う」 25分
2019/10/05「キモノマルシェin上田」で30分、ミニレクチャーをしました。 ★YouTube「蚕の卵は世界を救う」ダイジェスト版 5分27秒
「蚕の卵は世界を救う」。これは誇張でもほら吹きでもなく、歴史の真実です。レトリックはありません。 19世紀中葉、蚕が全滅したヨーロッパの絹文化を救ったのは日本産の生糸、というよりも、日本の蚕種です。種が絶滅したわけですから、本当に喉から手が出るほど欲しがったのは生糸では
2020-07-18
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第二代上田市長・勝俣英吉郎の像
上田が興隆した背景には蚕糸業の興隆があります。蚕糸業で発展した上田は1919年に市制を施行し、その頃から「蚕都上田」と呼ばれるようになってきました。歴代市長の政治的貢献も顕彰すべきものでしょうが、歴史的には第3代・成澤伍一郎、第4代・伊藤傳兵衞のネームバリューの大きさからかどうも第1代、第2代の影が薄いのは否めません。 市制施行からもかれこれ100年近くが経ち、当時の市長を知る人などはこの世に存在しなくなりました。上田城跡公園の中にひっそりと佇む銅像があります。それが、第2代市長・勝俣英吉郎の像です。 勝俣こそ蚕都上田の絶頂期に市長を務めた人物です。1929年の世界恐慌で蚕糸業のみならず、日本が一挙に大不況に陥った直後の1930年に逝去したというあたりも不思議に象徴的です。 この顕彰像、面白
2020-07-18
64
野球と蚕糸業
1927年に建設された上田市営野球場。蚕都上田の隆盛があって、地元に野球場が出来る。キモノマルシェで旧常田館製糸場の鉄筋繭倉庫を現存する長野県最古の鉄筋コンクリート造の建物(1926年=大正15年)として紹介したばかり。なるほど、この野球場の建物に接する鉄筋コンクリート造の橋はその竣工年がその翌年(1927年=昭和2年)になっています。蚕都上田の隆盛を背景に当時としてはまだ数少なかった鉄筋コンクリートの建造物が建造されたことがわかります。 野球と蚕糸業。この視点で知り得ているのは諏訪蚕糸学校(現岡谷工業)の甲子園での輝かしい準優勝の記録。校名に「蚕糸」とあることからもはっきりとその学校の背景がわかります。蚕糸業による経済的繁栄があって、野球が盛んになったことが物語られています。 (2016/10/28投稿
2020-07-18
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蚕の里サロンの地域景観セミナー2016
上田市小牧にある「蚕の里サロン」で地域景観セミナーに参加した際の記録です。 ★シルク文化地域コミュニティー 遊び学び体験、絹の里づくり 2016/11/20(日) 建築家が語る「蚕都うえだ」「地域愛&歴史景観」 お話されたのはミサワホーム総研の大谷宗之さんです。 いくつかの興味深い視点を提示されました。 ・その地域が持っているキャラクターに着目 ・なぜ建物がそういうふうに建っているのか ・なぜこんなに密集しているのか 上田の場合、養蚕がポイントになる。寒い時は室内を暖め、暑い時は風通しをよくする。空気が読めないと蚕は育てられない。 大谷さんは英国や南プロバンスの地域景観などを紹介しながら、上田らしい景観と地勢的特色のある事例として、小牧、上塩尻、別所を採り上げていました。非常に平易な解説で私も
2020-07-18
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『蚕種同業組合沿革史草稿』大正7・8年頃
歴史を開ける扉。タイムカプセルと言ってもいい。 2017/06/03、上田蚕種を訪問しました。その際に、手塚社長からこんな史料があると見せていただいたのが『蚕種同業組合沿革史』です。「長野県小県郡蚕種同業組合沿革史草稿」がタイトル。前編・中編・後編・続編と4分冊になっています。 「大正七年九月三十日 長野県小県郡蚕種同業組合 組長 中島精一」と記されています。1918年…と言えば、上田町が市制を施行する1919年の前年に当たります。蚕都上田が全盛を迎えた時代と言ってもいいでしょう。 史料の中味は見ていませんが、しっかりとした装丁の文書であるにもかかわらず「草稿」と題されているのは、「望ムラクハ訂誤ノ行クベキモノアラバ請フ垂教忌憚ナカランコトヲ」と末文に記されているように、「誤謬があればはばかるこ
2020-07-18
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上塩尻蚕種製造民家群
全国一の蚕種製造地といっていい上塩尻の蚕種製造民家群。古いまちなみの地区は全国に数多くあっても蚕種製造民家群がこれだけの規模で現存している地区は国内では稀有です。世界一の蚕糸王国であった日本の蚕種製造の中心地として並外れた価値を持つ産業遺産ではないかと思います。これこそ「世界遺産」にふさわしい。 上塩尻蚕種製造民家群はこれまでにも全国的に関心を持たれる節目がありながら、それをステップに次に踏み出しきれなかった経緯があります。 ふり返ってみると小林昌人氏による集落・民家の調査レポートが古い(「蚕業の先駆者を輩出した上田市 上塩尻の集落と民家」『信濃』1990年1号)。同氏による『写真集 民家の風貌』(1994年)にも上塩尻の民家が収録されています。大がかりな調査事業としては上田市による「塩尻地
2020-07-18
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学生と旧常田館製糸場を見学
2018/05/10午後、1年生のゼミで「上田まちなか探検」を実施しました。最初の約1時間、常田館製糸場を見学しました。常田館製糸場は製糸工場の産業遺産で、笠原工業が管理しています。重要文化財に指定されています。2年前の2016年、天皇皇后両陛下が視察で訪問されました。 蚕都上田の中でも常田館製糸場は代表的な上田の製糸場です。1900年に創業しています。歴史ある産業遺産であるにもかかわらず、上田の地元住民でも知らない方が多い。 見学当日、笠原工業の笠原会長が1年生17人に対応をしてくださいました。次世代を担う若い学生たちへの産業文化の伝承というミッションをお感じになってのことと思います。蚕糸業のことを平易に手短に解説をされ、皇后陛下とのお約束だからと、皇室の養蚕に関するビデオを見せていただきまし
2020-07-18
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信大繊維学部、上田蚕糸専門学校の遺産
2018/05/10、1年生ゼミで上田探検。旧常田館製糸場に続き、信大繊維学部を見学しました。見学というよりもキャンパスを通り抜けたという感じの見学です。旧上田蚕糸専門学校講堂の内部を見学させていただくともっと感じるものはあったかもしれません。とは言え、見学行程全体のバランスを考えると時間がかかる一方なので、内部見学の事前予約はせず「じっくり見るのはまたの機会にしてね」と外観だけ見て内部見学はパス。 本当は感性工学科H棟内にある「疾走するファイバー展」も、赤レンガ造りの資料館(旧貯繭庫)の蚕糸関係の展示も面白いのだけれど。知的好奇心の高い学生たちにパスさせたのはもったいなかった! 時間の兼ね合いを考慮することもやむを得ない選択です。 キャンパスを通り抜けながら、長野大学よりも大学らしいキ
2020-07-18
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小県蚕業学校(上田東高)の校歌
2018/05/10、1年生ゼミでの上田探検。信州大学繊維学部に続き、上田蚕種へ。信大の裏口から実にアクセスしやすいミニマムパスを見つけ、そのパスを抜けると旧小県蚕業学校(上田東高校)の真ん前に出ました。 小県蚕業学校は全国で営まれていた養蚕を各地で指導する養蚕教師を養成していた中等教育機関です。全国からここへ養蚕を学びに生徒が集まっていました。国の基幹産業でもあった蚕糸業(養蚕)を支える人材を育成していた学校です。このような言い方が適切かどうかわかりませんが、現在は全国のどこにでもあるいわゆる「普通高校」と化してしまいました。かと言って蚕業学校のまま、現在に残るわけにもいきません。普通高校と化したのはやむを得ない。 この学校の歴史の重さはその校歌にも刻まれています。通過する道路際から
2020-07-18
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全国町並みゼミで上塩尻をエクスカーション
全国町並みゼミが2018/11/16~18の3日間にわたり松代を会場に開催されました。全国から200名を超える人々が集う全国規模のイベントです。最終日11/18の午後、いくつかのコースに分かれてエクスカーションを実施しました。 私が企画したのは「蚕都上田エクスカーション」です。参加者は7名と少数ながら、全国から町並みに関心のある方々が参加しました。全国から来られた意識の高い方々だけに関心の向かい方も違い、案内する私の方が大きな刺激を受けました。地元の方々にも参加・同行していただき、直接、地元の方々と現地交流できたことも得難い体験として受け止めていただけました。give, then takeの大切さを改めて感じました。 当日は全国町並みゼミの午前のまとめ会の終了後、会場のロイヤルホテル長野をマイクロバスで出発。千曲川沿い
2020-07-18
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上田蚕種を見学
2018/05/10、上田蚕種を見学させていただきました。大正年間に建てられた洋風建築は景観的にも美しく印象的です。蚕糸業が殆ど廃業した現在、上田蚕種は今なお現役の蚕種製造会社です。その希少性は強調し過ぎてもし過ぎることはありません。手塚社長に蚕種製造の工程などについてもご説明をいただき、蚕種製造の行程に応じた各施設を見ることができました。 その中でも特に冷蔵室で本物の蚕種を見せていただけたのは幸運でした。蚕種は鉛色をしています。全国で行われていた蚕種製造の施設は、現在ではたった2社しかありません。上田市の上田蚕種と松本市の高原社です。蚕種製造が過去形でなく、現役の産業であり、それがまさにここ蚕都上田の上田蚕種で支えられていることを多くの方々に知ってもらいたい。
2020-07-18
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上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。 幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んでいました。その当時の蚕種製造民家は現在もなお数多く残り、「蚕種製造民家群」という全国的にも稀有な歴史的景観地区となっています。
2020-07-18
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上塩尻の景観
2018/09/09、(長野県上田市)上塩尻へ立ち寄ってきました。北国街道沿いに広がる上塩尻の景観が美しい。それぞれの家々は街道沿いには塀がめぐらされて門が構えられています。飾り気がなく、シンプルな集落の佇まいです。特色あるのはそれぞれが二階建ての瓦葺の建物で、2階に蚕室が備わっていること。建物も塀も質が高く、それが趣のある文化的景観をつくり出しています。二階の蚕室の雨戸も景観に美しさを添えています。旧街道の道筋は車が1台通過できる程度の幅しかありません。車を屋敷の中に入れる事は不可能です。現代の生活に欠かせない車が屋敷の中にすら入れない不自由を抱えながら、古い建物が維持され、このような美しい景観が維持されていることに感銘を受けます。 西側に面している建物は細い路地に面し、窓のない木造
2020-07-18
75
上田と生糸貿易-4 ~上田の生糸と世界~
これまでの内容をまとめる。上田は、日本初の生糸貿易を生み出したといえ、生糸貿易は、日本の発展に多大な貢献をした。それに伴い、上田の蚕糸業はますます発展し、第十九国立銀行の設立などといった金融面の発達にもつながった。そして、明治、大正にわたり、日本の生糸生産の3割を占め、「蚕糸王国」と呼ばれる長野県の発展を下支えした。 画像は「常田館製糸場の歴史」より URL:http://www.kasahara.co.jp/kasahara/tokidakan/history.html
2020-07-15
76
上田と生糸貿易-3 ~明治期の信州の蚕糸生産~
明治初期の日本の生糸生産は、富岡製糸場に代表されるように、信州よりも上州(群馬県)のほうがさかんであった。しかし、官営模範工場を通して西洋技術を上州は得られたにも関わらず、その後蚕糸生産の中心は信州に移るのである。それには理由があった。信州では、研修生を富岡に派遣するなどして技術を獲得するだけでなく、その欠点を見直し独自の器械製糸の開発に成功。また、官営特有のコストの高さを見抜き設備投資などでコストを大幅に削減した民営工場を林立させた。その結果、生糸の大量生産に成功し、時代とともにその品質も向上させていったのである。これにより、信州は蚕糸王国を築き上げたのである。 画像は「岡谷シルク」より URL:https://okayasilk.jp/
2020-07-15
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上田と生糸貿易‐2 ~蚕種の大量輸出~
蚕種は蚕の卵を指す。幕府は民間人の蚕種輸出を禁じていたが、横浜港開港当初より、蚕種の密輸が横行した。そのため、1865年に幕府が民間人の蚕種輸出を認めると、蚕種輸出はますます盛んになり、相場も高騰していった。このような背景としては、当時ヨーロッパに蔓延していた蚕の微粒子病の存在があった。ヨーロッパ諸国はこれにより良質な蚕種を求めていたのだ。長野県では上田が特に蚕種の生産地であり、上田は明治初期には実に日本の3分の1を生産していたという。このような蚕種輸出の高騰状態は、1870年の普仏戦争の勃発により沈静化し、その後暴落の一途をたどってしまうが、上田の蚕糸業がこれをきっかけに発展したことは想像に難くないであろう。 画像は「蚕紙」wikipediaより URL:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%9A%95%E7%B4%99#/media/%E3%83%95%E3%82
2020-07-08
78
『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)
1602頁/容量 213MB ダウンロード表示には時間がかかります。
★
目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 製糸篇 第一章 総論 第二章 江戸時代信州各地に於ける製糸業の発達 第三章 開港以後の製糸業 第四章 日清戦争より世界大戦に至る時代 第五章 大正時代 第六章 現代 第七章 製糸技術の変遷 第八章 経営史 第九章 皇室と信州蚕糸業 第十章 本県製糸業者の米国視察と米国絹業者の入信 第十一章 生糸貿易に関する史料 <奥付> 昭和十二年六月一日 昭和十二年六月五日
2020-06-24
79
『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)
1258頁/容量 89MB ダウンロード表示には時間がかかります。
★
目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 蚕種篇 第一章 蚕種製造業の発達 第二章 蚕種販売 第三章 蚕種業の奨励 第四章 蚕種業に関する組合の起源及其変遷 第五章 江戸時代に於ける蚕種に関する法規の変遷 第六章 明治時代に於ける蚕種規則の変遷 第七章 蚕種検査 第八章 きょうそ駆除 第九章 蚕業取締事務機関の変遷 第十章 国立原蚕種製造所松本支所設置の沿革 第十一章 蚕品種の変遷附蚕品種整理に関する
2020-06-24
80
『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)
1077頁/容量 129MB ダウンロード表示には時間がかかります。
★
目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 栽桑篇 第一章 桑園の期限及発達 第二章 桑品種の変遷 第三章 桑苗生産の変遷 第四章 栽培法の桑栽培法 第五章 桑樹仕立法の変遷 第六章 桑園肥料 第七章 歩桑々園の発達 第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達 第九章 桑葉売買 第十章 桑園災害 第十一章 桑園の消長 第十二章 桑園経済 第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設 第十四章 桑園の分布 第
2020-06-21
81
小県蚕業学校(『上田市史』下巻1940)
上田市史・下巻(1940)687~689頁 (目次位置) 第三篇 上田町勢の発展 第五章 教育 第二節 中等教育 三、小県蚕業学校
2020-06-19
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『蚕糸王国信州ものがたり』
『蚕糸王国信州ものがたり』 共著:前川道博 信濃毎日新聞社 2016年10月出版 分担執筆者:阿部勇[編著]、伊坪達郎、高林千幸、小野一英、桂木恵、山浦直人、前川道博 ISBN-13: 978-4784072934
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→
『蚕糸王国信州ものがたり』で検索
2020-05-25
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蚕都上田まちあるき2009(1)~西塩田・別所編~
【日時】 2009年9月19日(土) 【ルート】 上田駅温泉口→飯沼(高札場跡、郷蔵、飯沼公民館、古文書保管庫)→カネタの煙突→近代工業百年記念公園→丸子郷土博物館→丸子公園(依水館で昼食)→大屋駅(石碑)→上田駅温泉口 〈内容〉 かつて製糸業のまちとして活況を呈した旧丸子町を中心にまちあるきを行った。飯沼では、幕末・明治期に横浜貿易で活躍した生糸商人の足跡をたどる。その後、器械製糸工場で発展した丸子の史跡・歴史をめぐる。 〈案内人〉 阿部勇氏(上田歴史研究会代表、上田飯沼史学会会員、上田教育委員会) 奥村栄邦氏(上田飯沼史学会会長) 〈制作〉 企画・制
2020-05-24
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蚕都上田まちあるき2009(3)~塩尻編~
主催:蚕都上田プロジェクト 2009/10/18実施 ナビゲータ-:馬場郁夫さん(上塩尻在住) 清水卓爾さん(環境ジャーナリスト) 探訪先: 小岩井紬工房、旧蚕種家宅、座摩神社(蚕影さん)、段々畑、塩尻小学校郷土資料館、元宿など(地区間の移動は徒歩) 江戸時代末期から昭和時代にかけて蚕糸業が盛んであった塩尻地区を歩いて往年の生業や暮らしをたどりました。
2020-05-24
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蚕都上田まちあるき2009(4)~市街地編~
主催:蚕都上田プロジェクト 2009/11/07実施 案内人:斎藤功氏(長野大学環境ツーリズム学部教授)、竹内秀夫氏(都市・建築工房、建築家) 企画・制作 蚕都上田プロジェクト 探訪ルート:三吉米熊像、長野県蚕業試験場上田支場跡、原町~海野町(かつての蚕業、金融施設の集積地)、丸子線上田東駅跡、上田蚕種株式会社事務棟など
2020-05-24
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蚕都上田まちあるき2008
企画・制作:蚕都上田プロジェクト 2008/10/25の記録 竹内秀夫さん(都市・建築工房、建築設計) 斎藤功さん(長野大学環境ツーリズム学部教授、地理学) 新津新生さん(上田小県近現代史研究会) 小野寺芙美子さん(梅花幼稚園園長) 三田育雄さん(長野大学地域連携センター長)=まちあるきの企画者 <まちあるき探訪先リスト> リンクを選ぶとその部分を頭出し再生できます。 1.
上田駅前に集合
2.
往時の駅前の状況
3.
曳家した繭倉 木造4階建(笠原工業)
4.
2020-05-24
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蚕都上田レポート/ブックレット編さんと蚕都上田
上田小県近現代史研究会が毎年刊行しているブックレットについて、新津新生さん(同研究会事務局長)にお聴きしました。 記録:2011/08/30
2020-05-24
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蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ・人物編
日時 2010/12/19(日) 14:00~16:00 場所 蚕都上田館 内容 フリートーク:ブックレット『蚕都上田を築き支えた人びと』をめぐる話題 出演: 新津新生さん(上田小県近現代史研究会事務局長) 桂木恵さん(上田小県近現代史研究会) (司会)小林良子さん(フリーパーソナリティー) スタッフ:長野大学・前川ゼミスタッフ 上梓された『蚕都上田を築き支えた人びと』の執筆者を代表し、新津さん、桂木さんから蚕都上田を作った人々のお話をうかがいました。養蚕農家、製糸工場の主たる労働力は女性たちでした。蚕都上田は実は多くの女性たちによって支えられたという新津さんの解説にはなるほ
2020-05-24
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上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。暑いとは言え、連日の猛暑からは解放されたように秋めいた爽やかさが感じられる一日となりました。
全国的にも稀有な蚕種製造民家群
幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んで
2020-05-10
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上塩尻の蚕種製造民家
北国街道沿いに広がる上塩尻の景観が美しい。それぞれの家々の多くが、かつては蚕種製造業を営んでいた家です。それぞれが二階建ての瓦葺の建物で、2階に蚕室が備わっていること。建物も塀も質が高く、それが趣のある文化的景観をつくり出しています。二階の蚕室の雨戸も景観に美しさを添えています。 改めて、上塩尻のさりげない景観に美しさを感じ、写真に収めておきました。
2020-04-22
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