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登録リスト(該当:32件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
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前山寺三重塔
塩田城の鬼門に位置している、前山寺の中にある塔。写真を見てわかるように、とても整っていて、美しさを感じられる塔なのだが、なんと未完成らしい。どうやら、廻廊など足りない部分があるらしいため、「未完成の完成塔」と言われているそうだ。一見、どこが未完なのかは本当に分からない。なので、ぜひ自分の目で見て確かめてはどうだろうか。日本遺産になっているのは三重塔だが、他の建築物も素晴らしく、茅葺き屋根の本堂はとても大きく、迫力を感じられる。私が見てきた茅葺き屋根の建築物の中では、ダントツで大きいと思ったので、それも兼ねて見学することをおすすめする。
2024-02-09
2
常田館製糸場について
これは大浴場と炊事場になります。2000人に及ぶ従業員の食事を作るためかなり大きいです。浴室は男女両方ありました。(写真は男性のみですが…)当時はこの場所にはありませんでした。すぐ横にある道路開発によって退去を命じられたそうで曳家さんに依頼してここまで引っ張ってきたそうです。すごいですね。残念ながらその際、内装は埋め立ててしまいないのですが、今もその姿を残し、後世に蚕都上田の歴史を伝えています。
2024-02-07
3
常田館製糸場について
これは、みそ樽です。当時、従業員は住み込みで働いており、なんと2000人ほどいたそうです。その際の食事に使うみそなどを作っていたそうです。上田市はみそも有名ですが、ルーツは製糸場で作っていたみそだと社長さんが言っていました!!!みそは師弟制度で作っており、ここで修業した職人が独立して、上田市内外でみそを作っていったそうです。 ※立ち入り禁止エリアだったのですが、社長さんが特別に許可してくれました。
2024-02-07
4
常田館製糸場について
これはボイラー室の煙突です。主に従業員の生活のために使われいました。当時は個々の横に物資搬入用のトロッコが走っていたそうです。燃料となる石炭を搬入していました。また、トロッコは上田駅までつながっていて、製糸場でできた絹を上田駅まで届けていました。
2024-02-07
5
蚕都上田 常田館製糸所 煙突
この煙突に関して2つ、新たに学びがあった。 1つ目はこの煙突は当時、石炭で稼働しており、現在の上田駅とこの煙突のふもとの間にトロッコが通っていたという。当時、物資の輸送は大変重要な役割であった。 2つ目は笠原工業(笠原製糸)が常田館製糸所をこの地に置いた理由は大きく3つあるという。「多くの労働力・都市部や地域内の輸送手段の発達・澄んだ水」である。上田市は当時、人口の8割を超える市民が養蚕業・製糸業に従事していたという。実際、常田館製糸所は2500人の従業員を抱えていた。また、東京・横浜への物資輸送手段が発達していたこと、上田駅と常田館製糸所間にはトロッコが開通していたことから交通が発達していたことがわかる。そして、菅平から流れる澄んだ水を貯水し、水が重要な製糸業に利用していたという。 今
2024-02-01
6
蚕都上田 常田館製糸所 味噌・醤油蔵
常田館製糸所敷地内には味噌・醤油蔵がある。2500人の従業員のお腹を満たすためには毎日、大量の食材が必要になる。そこで上田で有名な味噌と醤油は他の場所から購入するのではなく、自社で作っていたそうだ。大きな樽の細部に年季を感じた。
2024-02-01
7
蚕都上田 常田館製糸所 食堂
常田館製糸所の食堂は敷地内に1ヵ所で特に広いわけではなかった。2500人分の3食を毎日用意していたことを思うと驚きだ。この建物の天井は特徴的で、三角屋根であるのだが、てっぺんが外気と接していて、換気扇の役割をしていたという。木造の建物で温かみがあり、当時この小さな食堂が大人数で賑わっている状況をイメージするだけでも上田市が養蚕業・製糸業で盛り上がっていたことがわかる気がした。
2024-02-01
8
蚕都上田 常田館製糸所 風呂場
常田館製糸所の風呂場だ。上田駅からイオン上田店に行く大通りに建てられているのだが、当時は今の道路の中央くらいに位置していたそうだ。しかし、その後道路の設置が行われることが決まり、建物ごと移動させたそうだ。技術者に委託し、5000万円近くの自己負担で建物の移動を行ったそうだ。 風呂場内は今は平らになっているが、話を聞くうちに当時の湯舟やシャワー場が浮かび上がってきた。
2024-02-01
9
蚕都上田 常田館製糸所 オーナー家
常田館製糸所はオーナー宅が敷地内にあったそうだ。オーナーも従業員もともに生活していた。今は当時の従業員の住宅地はないので、このオーナー宅は現存している当時の住居としての重要な意味があるそうだ。
2024-02-01
10
蚕都上田 常田館製糸所 天皇来訪
2016年8月23日に天皇皇后両陛下が視察に来られたそうだ。現存する大規模製糸場はここ、常田館製糸場と富岡製糸場だけであり、大変価値がある場所だということが改めて分かった。その際に天皇皇后両陛下の対応にあたった笠原工業の社長に今回お話を伺った。
2024-02-01
11
蚕都上田 常田館製糸所 蚕保管場所
この蚕保管場所は4階の建物に見えるが実際は5階立てだという。中は風通しを良くする面から窓が特徴的だったり、床に秘密が隠されたりしているそうだ。今回の訪問時は見学できなかったが春以降、見学ができるようになったらまた視察にきたい。現在の建築物で木造5階建ての建物は珍しいという。とても大きく迫力のある建物だった。
2024-02-01
12
蚕都上田 笠原組常田館製糸所
2024年1月24日、笠原組常田館製糸所を訪れた。 笠原工業の社長から様々な説明を受けた。 これから、施設の写真とともに説明の要約を記載し、自分の考えたこと・感じたことを中心に投稿していく。 笠原組常田館製糸所は現在も施設見学や職員による概要の説明など、現地調査が十分に行える場所であった。 製糸業の最盛期には当時、2500人近くの従業員がここ、笠原組常田館製糸所で働いていたという。
2024-02-01
13
生島足島神社
平安時代初期に生まれたものか 生島大神は万物に生命力を与え太古より守り神として信仰されてきた。 →日本遺産の掲示板から引用しました。詳しくは実際に行くと近くに分かりやすい説明があります。 かぼさ ・小さい頃から初詣にお世話になっており、しっかり見たことはないなと感じ、探求しに。 ・初詣の三日目は少し人通りが少ないなと思いつつ、いつもよりは多いと思う。 ・大学に行く際に見られる鳥居はここから繋がっているのかと感じた。 ・池には鯉や鳥?がいて餌やりをすることができる。 ・写真は12/7撮影
2024-02-01
14
舌喰池の伝承
塩田の里交流館「とっこ館」の正面道路を挟んで向かい側にある大きな池のお話。 伝承の内容 舌喰池が作られたころ、土手から水が漏れてしまっており、人柱を入れないと水が貯まらないという話がどこからか伝わっていた。(人柱とは、人を生き埋めにして祈ること。)結果的にくじ引きで、村外れの娘が人柱として選ばれた。その娘は、自分の不運を嘆き、舌を食い切り池へ身を投げ、死んでしまったそうだ。その後、村人たちはその出来事を受けて、この池を「舌喰池」と呼ぶようになった。 現在の舌喰池は、とても綺麗で、決してそこで人が死んでいるような印象は受けなかった。池周りの「憩いの広場」の芝も短く刈られて整備されており、とても大切にされているような印象を受けた。そのことから、地域の人々がその悲しい出来事
2024-01-26
15
常楽寺 石造多層塔
常楽寺境内北向観音の出現地にある石造多宝塔のすぐ右がわに、総高168cm、五層のよく整った層塔が一基建っています。これが多層塔といわれる石造塔です。 鎌倉時代に建てられたものです。 一時はこの石造塔群がどこかに流出して、一基も無くなってしまいました。しかし、研究家が捜索する中で滋賀県に一基あることを見つけ、上田市に戻ってきました。 説明には「多層塔の各層の笠の反り、軒の厚み、相輪の形、一層から上層へ次第に減らした安定感など、鎌倉時代の特徴をよくそなえたりっぱな多層塔です。」とあります。 実際に見た感想としては、素朴な感じながらも安定したような、重厚感があるなと思いました。
2024-01-25
16
塩田城跡
塩田平の南方にそびえる独鈷山の一支脈である弘法山の北山麓にあり、塩田平を一望できる位置にある。鎌倉時代に北条義政が鎌倉から塩田の地に入ったときに居城として築いたといわれているもの。 現在はあじさいの名所として知られ、6月下旬ごろからの見頃には満開のあじさいを見ることができる。 実際に訪れてみて、山の中腹にあるこの石碑から見る眺めは非常に広大だった。北条氏が当時ここから塩田平を眺めていた風景が浮かんでくるような、そんな景色であった。
2024-01-11
17
泥宮
日本遺産に認定されている泥宮は、字の如く「大地(泥)」を御神体としていて、神が下之郷(生島足島神社)に遷座された際に遺霊をここに残したという。「泥宮」という呼称は寛政2年以降とされ、それまでは「諏訪大明神」であった。泥は稲を育てる母として古来神聖なものとされてきた。泥宮はその古代からの祖先の習俗を伝える宮としてきわめて貴重な存在である。 泥宮を訪れて感じたことは、「本当にここが日本遺産なのか」と思うような場所だった。しかし、泥宮の周辺を歩いてみたり、滞在している中で、独特な雰囲気を感じ取ることができた。また、泥宮の鳥居を通して見る景色はきれいだった。泥を祀るというのは、塩田の地域において、昔から泥がどれだけ大切なものだったのかを感じた。
2023-11-30
18
ここが日本の中心!? 生島足島神社
上田を代表する神社の生島足島神社は、生島大神と足島大神を祀る神社である。周りを水に囲まれた神社の本殿は、独特の神聖さを感じることができる。昔の地図を見ても周りは水と木に囲まれ、神社の姿は変わらない。変わった点を挙げるとするならば駐車場ができた点で、昔と今では足を運ぶ手段が変化していることが分かった。
2023-11-30
19
倉澤家蚕室
今回は別所温泉にある倉澤家蚕室に訪れた。中心温泉街のつきあたりに位置する。 蚕種製造家、倉澤運平によって大正5年に建てられ、蚕の飼育や桑の保存に利用されてきた建物である。 温泉街の風景の中で、ここが蚕糸業で栄えた「シルクの里」でもあったことを伝える象徴的存在である。 石積み擁壁の上に建つ二階建ての立派な蚕室で、かつての倉澤家の財力がうかがえた。
2023-11-26
20
糸のまち・こもろツアー
こちらの写真は、2022年7月3日に行われた糸のまち・こもろツアーの様子です。 まず、酢久商店(純水館資料館前)へ集合し、そこから地元会員ガイドの清水季志子さん、清水寛美さんを中心にこもろの町を散策しました。 散策した場所は以下の通りです。 ・嶋田屋(明治16年まで萬屋太物呉服店) ・海慶院 ・宗心寺の高橋平四郎のお墓 ・小山家一族のお墓 ・寿町の蚕種蔵 ・工女さんのお墓 ・丸萬製糸場 ・光岳寺 ・宗心寺山門より荒町通り豪商 ・純水館(小山家前)(渋沢栄一宿泊の家) ・玄関前の小山久左衛門銅像
2022-07-10
21
江戸の上田藩中屋敷跡を対岸から望む
▲上:上田藩中屋敷跡を対岸から望む ▼下:『江戸切絵図・浅草御蔵前辺図』の部分(屋敷は松平伊賀守と記されている) (下記国立国会図書館の図版を使用) 隅田川のこの地点(▲上)は、東京都墨田区横網町になります。ちょうど背後に両国国技館がある辺りの位置です。対岸は浅草橋付近、かつては浅草瓦町と呼ばれた辺りで、上田藩中屋敷の跡地になります。向かって右手方向は幕府の御蔵(米蔵)が建ち並んでいた場所になります。言い換えれば、舟運が物流の主流であった時代、ここがまさにその物流の江戸の中心地でした。 上田藩の江戸屋敷は年代によって変遷します。上屋敷は長らく神田の昌平橋付近にありました。上田藩主松平忠固が老中になったのに伴い、上屋敷は大名小路(現在の皇居外苑)に移ります。その後、幕末はこの
2022-05-09
22
六十里越街道を歩く
2004年5月「六十里越街道を記録する会」矢野光夫氏一行と残雪の六十里越街道を歩きました。 国道112号線の月山沢トンネル左手に作業道があり、この付近より旧街道が残っている。ここから手前はダムに水没しているので、街道の跡が現存しているのは椿沢が実質の起点になっていると言えよう。この道を500mほど登ると一本木茶屋跡がある。
2022-02-03
23
太郎山神社
太郎山神社は登山道の山頂付近にある神社です。 本殿は明治6年に再建され、平成元年には上田市指定有形文化財に指定されています。 神社の側には休憩所があり、そこから上田市を眺めることが出来ます。
2021-05-05
24
柳町の街並み
上田市街地にひっそりと佇む旧北国街道の道のり。およそ500mの石畳の通りにどこか江戸時代の雰囲気を感じさせる建造物と柳の木が立ち並ぶ。静かな雰囲気がとても心を落ち着かせる。
2020-10-31
25
上田探検Ⅰ 安楽寺 黒門
この門を黒門と呼びここが安楽寺境内の入り口にあたります。寛政4年(1792年)に建てられました。この門から安楽寺までは徒歩で行くと少し時間がかかります。車でも行くことができます。近くには遊歩道があり、そこからは上田市を一望できて最高の景色です。
2020-10-18
26
蚕影町。
蚕影町の名前の由来を示した看板。「こかげちょう」と読む。町には国指定重要文化財の常田館製糸場があるなど、文字通り蚕の町だったことがわかる。
2020-07-20
27
レポート 玄蕃山公園の銅鉱石と山砂鉄について
はじめに 私は小学高学年のころから「石コロ」が好きで、野山を歩いては「小石」を持ち帰る癖がありまして、その癖が今でも続いています。我が家は庭も家の中も「石コロ」がゴロゴロしています。 今70歳になり本気で好きな「石コロ」と向き合っています。 令和元年9月14日、真田の佐藤工房で砂鉄の製錬実験をしました。始めての体験ですが2㎜ほどの鉄球を検出しました。砂鉄から「玉鋼」が出来ることを男児は皆興味を持ちます。今回驚いたことは、「銅色をした鉱物」が出来たことです。 検出した鉱物はハンマーで叩くと潰れてしまいましたが、写真を撮っておきましたので、郷土地質研究家の山辺邦彦先生を訪ね、砂鉄の産するサンプルの分析をお願いしました。 今回のサンプルは東御市のアケボノゾウの
2020-07-15
28
崇福山 安楽寺
信州最古の禅寺である安楽寺の池です。別所の湯で出会った幸村と左平次はこの寺で語り合い、最後の時まで続く2人の友情はここから始まったとされています。 その境内の中にとても美しい池があります。牡丹と鯉がとても良い絵になります。
2020-05-26
29
早朝の安楽寺の階段
早朝の参拝客のいない時間に行くと見ることが出来る人気の無いお寺への階段はどこかノスタルジックな雰囲気も漂うとても趣のあるものですね。
2020-05-26
30
戌立石器時代住居跡
縄文時代中期末の敷石部をともなう住居跡。 付近には現在は小諸市分の寺ノ浦のほか、広い範囲に集落跡が確認されており、大集落跡であったと思われる。 復元住居は昭和63年度に建てられた。 辺りは木々が生い茂っているが、石器時代は河川があったと思われ、多くの人々がいたのだろうか。 現在は投稿写真のような復元住居が1つあるのみで、どこか忘れられている寂しさも感じた。
2020-05-26
31
加美畑神社
名前の起源は、そもそも、神畑という名の通りこの土地には神様の命が宿った土地という逸話がある。そこから住民が建立する際に1文字加え、加美畑神社という名前になったそうだ。 周りは大きな針葉樹林に囲われているため、どことなく神秘的なエモ雰囲気がある。土地を守る神がどことなく感じられ、僕に得を運んできてもらいたいと思った。
2020-05-26
32
上田高校
上田高校にある大きな門です。高校にこんだけ大きな門があるのは、なかなかないです。とても歴史を感じます。ここからたくさん優秀な生徒が育ち、この上田市をさらに、発展させてくれることを願っています。
2020-05-26
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