| 写真 | タイトル | 説明 | 登録日 |
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1 | | 富士地区の経済発展の成り行き | 明治18年、富士地区で富士製紙株式会社の影響により、紙の資源となる富士山麓の木材を効率よく輸送するため、富士市から富士宮市大宮までの「富士馬車鉄道」が開業される。その後さらなる効率化を目指し、大宮から人穴まで富士軌道を開業し、この影響により、富士地区の経済は発展していった。
このころ、鉄道の開通の出願が増えており、この富士地区の鉄道計画に関して資産家らが「富士川鉄道」を設立し、国からの免許が下りたが、日清戦争により経済が悪化し、結局富士川鉄道に対して運行の免許が取り消されてしまった。 | 2022-02-05 |
2 | | 六十里越街道を歩く | 2004年5月「六十里越街道を記録する会」矢野光夫氏一行と残雪の六十里越街道を歩きました。
国道112号線の月山沢トンネル左手に作業道があり、この付近より旧街道が残っている。ここから手前はダムに水没しているので、街道の跡が現存しているのは椿沢が実質の起点になっていると言えよう。この道を500mほど登ると一本木茶屋跡がある。 | 2022-02-03 |
3 | | 5.蚕を使ったアート | 私は常田館製糸場を訪れた時、鉄骨繭倉庫には絹糸を使ったアートが沢山並んでいました。様々な種類のアートが展示してあり、絵のようなものから立体なアートまで若者が興味を持ちそうな作品が沢山展示してありました。
近年、InstagramやTIKTOKが文化の流行を促しており、それを利用している年齢の層は若者です。
そういった若者をターゲットに普段、馴染みのない蚕を知ってもらう機会を設けて蚕という文化に触れてもらうといった策で蚕糸業を活性化しようと考えました。
次の記事では蚕を若者にどうやってアピールするかを考察していきます。 | 2022-02-03 |
4 | | 塩沢 農業 | 塩田平と似て、稲作が盛んである。山沿いには畑作も多少見ることができる。塩沢の農業の特徴は何より、稲作がとても盛んであることだ。塩沢は日本有数の豪雪地帯であり、稲作の時期は雪解け水が供給される。塩田平とは違い、ため池はほとんどなく、灌漑の方法としては用水路などで灌漑がされている。
写真をみると、農業用に整備された用水路が見えることがわかる。 | 2022-02-02 |
5 | | まとめ | 色々な山道に赴いて、それぞれの道が持つ特徴を調べ、比較することは楽しいものだった。
何度も行っている道や、キュレーションのために行った道もあり、信州上田学Aを受講していなかったら行かなかったであろう道もあった。
暖かい時期であったら車の道だけでなく、登山もしてその比較もしたかったのだが、それは叶わなかった。
上田周辺も含め山道は各地にあり、それぞれに特徴があると考える。
この先もここで学んだように、山道に限らず実体験や比較から特徴を捉え、それらの持つ役割を見つけていきたい。 | 2022-02-02 |
6 | | 虚空蔵山 | 調べたところ上田市以外に松本市にも虚空蔵山という名の山があるそうですが、今回は上田の方の虚空蔵山を紹介します。
標高は1077mと低く、近くには以前紹介した太郎山があります。ただ山道は勾配が大きいそうで、地面も岩が結構あって少しだけ危険です。私はそういう道が好きなのでおすすめします。
2016年に「虚空蔵山米担ぎ大会」という催しが開かれていたそうです。今後コロナが収まり次第
開かれる可能性があるので、興味がわいた人がいれば参加してみてください。
参考:長野県魅力発見部「上小の里山歩き③~上田市虚空蔵山編」https://blog.nagano-ken.jp/josho/info/11548.html(2022/02/02)
松本商工会議所ポータルサイト-みごろ-「第二回虚空蔵山米かつぎマラソン大会」https://migoro.mcci.or.jp/feature/detail/2016072100027/(2022/02/02) | 2022-02-02 |
7 | | 独鈷山 | 信州百名山に選ばれた山です。標高1266mと比較的低く、整備もされているため、登山をしたことがないという方にもおすすめできます。ただ、ルートによっては急な坂があるそうです。
また、近くにひまわり畑もあり、9月の上旬~中旬が見頃だそうです。
参考:長野県公式観光サイト「長野県おすすめ低山10選」https://www.go-nagano.net/theme/id=19410#anchor02(2022/02/02)
上田市「独鈷山麓ひまわり畑
」https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/msangyo/2040.html(2022/02/02) | 2022-02-02 |
8 | | まとめ | 地域を調べていく中で、住んでいたが知らなかったことや、知っていたことでもその深いバックグラウンドを探求できたと思う。この講義をとらなかったらこんなに深く知ることができなかっただろうし、良いきっかけとなった。また、調べるにあたり、インターネットでも容易に検索をかけることができ、非常に便利な時代だと改めて感じたが、実際に現地に行ってみて感じたことわかったことがあった。この経験を生かし、気になったことは深く調べたいと思ったし、なにより、地域を知ることが面白いと感じた。 | 2022-02-02 |
9 | | 山ノ内の強み①温泉の数が豊富 | 九湯巡りができる9つの温泉を始め、大湯や絹の湯、さらには足湯と大きな規模に多種多様な温泉が存在する。少し離れたと所にはなるが地獄谷野猿公園に行けば猿が温泉につかる”スノーモンキー”を見ることができる。 | 2022-02-02 |
10 | | 共通点③電車が少し不便 | 私は電車を利用して探索を行ったのだが、どちらも本数が少ないこと、また、運賃が高いことがわかった。これはどちらとも私鉄であり利用者数が少ないため仕方が無いことではあると思った。利用状況について、1枚目が別所温泉駅、2枚目が湯田中駅のものである。どちらも利用者数が横ばいで少ない傾向にある。
また運賃については、上田電鉄が1キロ約49円(上田~別所温泉間)と私鉄で全国2位、また長野電鉄は約34円(長野~湯田中間)と高い水準であった。 | 2022-02-02 |
11 | | 共通点②神社やお寺が多く存在する | 探索している中でどちらとも神社やお寺が多く存在することに気づいた。私が訪れたところでも別所で4箇所、山ノ内で2箇所であった。回りきれなかったものもあるため、比較的多く感じた。調べてみると、「温泉の周辺」ではなく「山」に神社やお寺が多いということであった。縄文時代に遡るが、その時代の人々は山には神々が宿り、材料や燃料、また、食料等の恩恵を与えてくれるのは山のおかげという考え方、そして、神話で山には神々が降りる場所であるというような考えに基づき、そ信仰対象が次第に山自体になり、現在様々な神社が山にあると言われている。
参考:「見せる登山と温泉記録」https://wotcool.com/mountain-notes/mountain-faith/ | 2022-02-01 |
12 | | 共通点①駅舎が似ている | 上が別所の駅舎、下が山ノ内の旧駅舎である。私はこの二つの駅舎がとても似ているように感じた。
調べてみると、別所温泉駅舎は1950年の改築と2008年の改装で現在の姿に、旧湯田中駅舎は操業開始の1927年に創られた建物が、2003年に改修されて現在の姿へと、完成した時期は少しずれていた。別所温泉駅舎は2008年の改装で大正時代をイメージして作られ、旧湯田中駅舎は志賀高原にちなんだ山小屋風駅舎を目指して作られたことがわかった。このことより、どちらとも似てはいるが相互の関係性はあまりわからなかった。 | 2022-02-01 |
13 | | 菅平高原 | 菅平は上田屈指の高原地帯で標高約1200m〜1650mに位置する。菅平はスキー場などがたくさんあることからも分かるように冬季は積雪の多い地域となっている。そのため上田では珍しく降水量が比較的多い地域で、自然環境や生息している野鳥も平野部分とも違ってくる。特に平野部と変わってみられる野鳥は山岳地帯でよく観察できるコガラ、ヤマガラ、ゴジュウカラ、シジュウカラ、ヒガラ、エナガなどのカラ類の他にキクイタダキやアカゲラ、アオゲラなど平野部では簡単に見られない野鳥が観察できた。
また、冬の山だと餌場が限られてくるので出現する場所が限られてくる。とくに野鳥がよく見られる場所は杉や檜などの木の葉、またはペンションなどに設置してあるバードフィーダー周辺だ。
観察できた野鳥
・シジュウカラ
・ゴジュウカラ
・ | 2022-02-01 |
14 | | 西塩田の耕作地 | 耕作地のビニールハウス近くにワラやイネが干してある所があり、そこにスズメの群れが集まって米をついばんでいた。夏は山や森に虫や新芽など餌が豊富にあるためあまり頻繁には人里に降りてこないが、冬になると事情は違ってくる。虫もおらず木々の葉が枯れた冬は鳥たちにとっても過酷で、餌を探すために人里の身近な所まで降りてくる。今回のように農家が残したコメなどを食べにくるという例は、厳しい冬を生き抜く野鳥の人間への適応の良い例だと思った。
スズメはたくさんいるように見えるが実は数が減少傾向にある野鳥だ。このような景色はもしかしたら数十年後には見られなくなるかもしれない。
観察した野鳥
・スズメ
・ツグミ | 2022-02-01 |
15 | | 最終発表~山本鼎の部屋資料のデジタル化~ | 2021年度のプロジェクト研究では、「山本鼎の部屋資料のデジタル化」をテーマに取り組みました。地域の課題を発見することから始め、最終的にデジタルコモンズを用いて山本鼎に関する資料をデジタル化することができました。今後はこの資料を小学校の地域学習で活用してもらえるように支援したいと考えています。 | 2022-01-31 |
16 | | ため池の現状と様々な機能 | 長野県のため池の数は全国26位の1892か所であり、全国的にため池は、瀬戸内海式気候の場所に多いことがわかる。この気候区は降水量が少なく比較的晴天率が高いという、上田市と同じような特徴を持っている。
ため池は様々な機能を持っている。
その土地独自の生態系を保ったり、地域の歴史的な文化の保持などが挙げられる。山間部のため池では、洪水調節機能や、土砂流出防止機能なども挙げられる。
また、現在、全国ではため池の様々な利用が進んでいる。福岡県福岡市では、蓮花寺池というため池に、水上太陽光発電を設置し利用を進めており、約400世帯の電気を発電している。
参考・引用
ため池をめぐる状況について|農林水産省農村振興局整備部防災課
| 2022-01-30 |
17 | | 呉市の歴史 | 呉市は、湾の周辺が島と山に囲まれ、背後には丘陵があり、敵の攻撃を防ぐうえで良好な場所ということで、設置された。
「此呉湾ヲ除キテ他二ナシ」という言葉が残されていることからも分かるように、軍港に最適であったということが伺える。
また、軍事機密ということで湾岸部の詳細な部分は、地図上からは消されるという修正が加えられた。
出典:「海軍とともに発展した呉の街」
https://smtrc.jp/town-archives/city/hiroshima/p07.html | 2022-01-29 |
18 | | 6 松根油の生産について | 画像は「長崎ディープブログ「長崎街道11~松並木と松根油と」」から転載
http://blog.nadeg.jp/?eid=43&imageviewer&image=20171028_726412.jpg
年表・数字からひもといた中で、特に「航空燃料用の松根油」の生産に関して注目したいと感じた。
興味を感じた理由は下記の二つである。
①自分の生まれ育った地域、しかも長野県の山の中で航空機の燃料を作っていたことを全く知らなかった。日本の山奥で航空燃料を生産するに至るまでに、どのような経緯があったのか調べたい。
②のちに記すが、坂井村誌内の記述によると、私の実家の近く、小学校の通学路の橋の袂で生産を行っていたらしい。そのためより身近に感じた。
村誌内の記述
下記は坂井村誌内に記述されている、松根油に関する記述である。
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松根油
昭和20年に入ると、松根 | 2022-01-29 |
19 | | 8 参考文献等 | ・坂井村誌(坂井村・平成四年三月三十日)
・Wikipedia「坂井村(長野県)」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%BA%95%E6%9D%91_(%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C)
(2022年1月29日最終閲覧)
・パラパラ地図長野県(2005年10月1日)http://mujina.sakura.ne.jp/history/20/index2.html
(2022年1月29日最終閲覧)
・まんが日本昔ばなしデータベース「うばすて山」
http://nihon.syoukoukai.com/modules/stories/index.php?lid=28
(2022年1月29日最終閲覧)
・コトバンク「国民精神総動員運動」
https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E6%B0%91%E7%B2%BE%E7%A5%9E%E7%B7%8F%E5%8B%95%E5%93%A1%E9%81%8B%E5%8B%95-64263
(2022年1月29日最終閲覧)
・e-Stat「国勢調査 / 昭和22年臨時国勢調査 / 全国都道府県郡市区町村別人口(確定数)」
https://www.e-stat.go.jp/stat-search/files?page=1&layout=datalist&toukei=00200521&tstat=000001036870&cycle=0&tclass1=000001037104&stat_infid=0000079145 | 2022-01-29 |
20 | | 3 坂井村とは | 画像は市町村合併前の2005年10月1日時点の坂井村所在置
引用:http://mujina.sakura.ne.jp/history/20/index2.html
(2022年1月29日閲覧)
坂井村は1874年(明治8年)11月12日に筑摩県筑摩郡永井村・安坂村が合併し誕生した。
松本盆地と長野盆地の中間に位置する筑北盆地(麻績盆地)の最東端に位置する。
昔話「うばすて山」が有名で、姨捨伝説がある冠着山(かむりきやま)・別名 姨捨山(おばすてやま)をはじめとした1000m級の山々に囲まれており、村の中心に位置する坂井小学校や村役場周辺は標高640mほどである。
(長野大学の標高はおよそ470m)
2005年10月11日に本城村・坂北村と合併。現在の筑北村が発足し、坂井村は廃止された。
廃止時のデータ
面積:37.41㎢ 総人口1,515人
村の木:ミズナラ | 2022-01-29 |
21 | | 4 年表からひもとく | 坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。
昭和12年(1937年)
・盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。
・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。
・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。
・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。
⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員 | 2022-01-29 |
22 | | 山本鼎の部屋資料デジタル化作業 | 1月14日に神川小学校山本鼎の資料資料のデジタル化作業を行いました。光が反射しないように額からガラスを取り出して撮影しました。課題探求から2年ほど経ってしまいましたが、こうして形にできたので良かったです。学校の今後の学習で活用されることを期待しています。デジタル化した資料はhttps://d-commons.net/ykanae/にて公開されています。 | 2022-01-14 |
23 | | JR身延線とは | JR身延線は富士と甲府を結ぶ全長88.4kmを誇る鉄道で、39駅を通る。富士市を起点として、富士山と南アルプスに挟まれた富士川の流域を走り、甲府市を終点とするルートである。
富士駅では東海道新幹線の新富士駅とは接続されていないので、静岡駅から特急「ふじかわ」が運行されてる。この特急「ふじかわ」は静岡駅から東海道線で富士駅まで行き、富士駅から身延線で甲府駅までというルートとなっている。 | 2022-01-27 |
24 | | じまんやきの歴史と比較 | 引用 「あんこ」と「カスタードクリーム」どちらがお好き?「じまんやき」の「富士アイス」 ~上田市海野町商店街6~
https://blog.nagano-ken.jp/wp/josho/wp-content/uploads/2015/09/20fuji2.jpg
じまんやきは上田市のソウルフードの1つになっている。
じまんやきは海野町商店街の一角の富士アイスで売られている。じまんやきを作っている富士アイスの本店は山梨県甲府市に本店を置いている。富士アイス上田店は昭和10年に開業し、長野県で一番古参の店になっている。富士アイスは創業当初は富士屋という店名だった。富士アイスの富士は日本一の山を自慢している富士山に由来する。
次にじまんやきについて解説します。じまんやきは「自慢の味。自慢したくなる味。」から由来しています。
じまんやきは1個80円とリーズナブルな価格であり、太鼓上に | 2022-01-27 |
25 | | 富士山研究 | 「富士山の“世界遺産登録までの歩み”と“これから”」
入月龍輝
黒田蒼士
日本人の自然観や日本文化に大きな影響を与えてきた富士山は2013年に「信仰の対象と芸術の源泉」として、世界文化遺産に登録された。
―世界遺産登録までの歩みー
富士山を世界遺産とする動きは1992年からスタートしている。その後も静岡・山梨両県が、衆参議院に富士山を世界遺産として推薦していった。しかし、2003年国の検討会が最終候補地を選定した際、富士山が狭い遺産候補から外れる。そのため、世界文化遺産登録を目指し活動することになる。2007年に文化庁が日本の世界文化遺産 暫定リスト 追加候補遺産に選定する。最終的に2013年第37回世界遺産委員会にて世界遺産登録決定となる。
このように世界遺産登録までに約20年かかったおり、一筋縄 | 2022-01-27 |
26 | | 英靈故山に還る(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁) | 戦死した五名の男子。その名前と戦死日時、場所が中央に大きく書かれていた。
この記事における「英靈」とは死者、特に戦死者の霊を敬って言う語を意味していると思われ、「故山」とは彼らの故郷。
つまり、故郷に遺体という形ではあるが再び還ってきた五名の霊を追悼しよう、という心がけが見受けられる。
国のために命を捧げて死ぬのは美徳であり、仕方ないことだという戦前の考え方が薄れてきているようにも思えた。 | 2022-01-27 |
27 | | イナゴ | 長野県の山間部などで多く食用とされてきたイナゴ。
動物性たんぱくをとるための貴重な栄養補給源だった。
昔に比べいなごの数も減少しており、生活や食文化の変化により各家庭で調理されることは少なくなってきたものの、今もなお伊那谷では昆虫食文化が残っている。 | 2022-01-27 |
28 | | 上田地域の地形概要 | 上田地域の地形は、太郎山や小牧山に囲まれたほぼ三角形の盆地地形となっており、「上田盆地」とも言われている。上田盆地の標高は約400~500メートルである。
市内には、千曲川が流れているが、地殻変動によって湖水が干上がり、千曲川が流れるようになった。
市の中心市街地は、千曲川沿いの低平地に立地している。その低平地のなかでも、千曲川沿いに千曲川河床から比べて、数m~数十m程度の急な崖も存在しており、その崖の上に上田城跡、市役所、学校などが立地している。低平地と言えど、少し離れただけで急な崖となっている、上田地域の特徴的な地形であると言える。
参考文献
・上田地域千曲川自然電子図鑑 上田地域の地形・地質
・ | 2022-01-26 |
29 | | 満州移民① | こちらの記事は満州移民として満州へ行った小林信悟さんの話についてである。
当時長野県から満州移民として満州と渡った人数が約31000人で一位だという。第二位の山形県が15000人弱であるからダントツのトップである。
この記事ではここ上田から満州とへの経路で起きた出来事が詳細に語られている。このような詳細な資料は現在体験された方が減少していっているため非常に貴重な資料であると感じるとともに、その生々しさがひしひしと伝わってきた。 | 2022-01-27 |
30 | | 大師湯(だいしゆ)慈覚大師の湯について | 大師湯は慈覚大師の湯とも呼ばれていたそうです。
天長二年(825年、平安時代)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音堂建立のため当地に来錫の際、好んで入浴したので大師湯と名付けられたそうです。
かつては北向山に参詣した籠の者が夜通し入れ替わり利用したので籠の湯ともいわれました。
昔、矢傷を負った雉子が湯あみして傷をいやしたので「雉子湯」と呼んだこともあったそうです。
安楽寺開山樵谷、二代幼牛の両禅師の木像(重要文化財)が夜な夜な入浴されるので、尊貴を恐れた村人がついに木像の目玉を抜き取ったという大師湯にまつわる伝説もあるそうです。 | 2022-01-26 |
31 | | 小島大池(こじまおおいけ) | 小島大池は塩田平の中でも大きなため池であり、1618年に造られたものである。そんな小島大池の1689年に起きた事件についての民話を紹介していきたい。
下之郷山から降りてきた沢山の猪によって田んぼが荒らされ、田んぼの稲を守ろうと玉の入っていない鉄砲を一発打った。驚いた猪は小島大池に飛び込んでしまい、22匹のうち5匹が溺死してしまった。
騒ぎが大きくなり上田藩に届け出たところ、役人から「入念に猪の死骸を埋め、猪が死んだ理由を書いた木札を立て、周りを竹矢来で囲みなさい」といった処置が命じられた。
なぜ猪のためにこれほど大騒ぎになったのか。それは、当時徳川幕府の将軍綱吉が「生類憐みの令」を出しており、動物に危害を加えた場合重い罰が与えられたからである。
なお、小島大池に実際に行ったところ、現在工 | 2022-01-26 |
32 | | 空池(からいけ) | 空池は、1734年5月に西前山の庄屋児玉伝兵衛がため池を造る許可を上田藩に願い出たことで作られた。1737年2月14日から毎日5~600人、延べ10,167名もの人足が動員され、1ヶ月後の3月15日に完成し、翌3月16日に完成届(目録書)が上田藩に差し出された。
しかし、水が思うようにたまらず1736年4月14日から6日間、約600人の人足をかけ、1737年には2,240人の人足をかけて池の修繕をしたが、漏水が多く2~3年後には空池となってしまった。
現在は公民館と付近の畑が池の跡地である。
〈参考文献〉
信州上田 塩田の里
http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php | 2022-01-26 |
33 | | 手洗池(てあらいけ) | 手洗池には二つの名前の由来がある。こららを紹介したいと思う。
昔、柳沢村(現上田市古安曽)に幹が6メートルもある大きなけやきの木がありました。ある秋、このけやきの木の枝が折れてしまい、村人は何か変わったことが起きるのではないかと心配していました。すると翌年の夏、すさまじい嵐が起こりました。このため山のほとんどの木が風や落雷のために倒れてしまい、村人は途方に暮れました。さらにこの年も大きなけやきの木の枝が折れてしまい、その翌年もまた大荒れに見舞われました。村人たちは、大きなけやきのせいではないかと考えるようになり、どのようにしたらよいか考えていました。
ちょうどその時、木曽義仲に仕えていた手塚太郎金刺光盛という人が、丸子のお城から手塚へ帰る途中、柳沢を通られましたので、相談した | 2022-01-26 |
34 | | 山田池(やまだいけ) | 山田池は1938年に沢山池が造られるまで塩田平一の大きなため池だった。
池の歴史は古いため増築年は不詳だが、1650年にそれまで並んでいた2つの池を1つにまとめ現在の池ができた。
この池では、1840年頃に養鯉を試みたり、上田藩の事業として薬草の栽培をしたりしていた。古くから農業用水の確保としてだけでなく、様々なことに利用されていたことが分かる。
〈参考文献〉
信州上田 塩田の里
http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php | 2022-01-26 |
35 | | ため池の歴史③ | この資料から、塩田のため池がいつ頃造られたものなのか読み取ることが出来る。
真田氏の時代(1622年まで)には、山田池、舌喰池、小島池、甲田池などの広大な池が修造築または新築された。
そして、仙石氏の時代(1706年まで)には、手洗池、上原池、上窪池、山田新池などが造られた。この時代は、どの大名も領内の新田開発に力を入れた時代であるため、仙石氏もため池の築造・修造に力を入れたことが分かる。
松平氏の時代(1867年まで)に造られたため池は小さいことが見受けられるが、この時代のため池政策は、従来のため池の堤塘の高さを増し、貯蓄量を増大させるものであったからである。
〈参考文献〉
信州上田 塩田の里
http://www.shiodanosato.jp/tameike/rekishi.php | 2022-01-26 |
36 | | ため池の数 | 塩田平のため池数は、個人利用の小池まで含めると200余りあり、これらが拡大または新たに構築されたことで、しだいに大規模な池に統合された。
昭和50年代の「溜池施設台帳」には、東塩田112、富士山5、中塩田10、西塩田10、別所1の141池が登録されている。
塩田は地元よりもため池が多い印象だったが、141ものため池があるのは予想外だった。雨量の少ない地域であるため、多くのため池が塩田の農業には必要なのだろう。
〈参考文献〉
信州上田 塩田の里
http://www.shiodanosato.jp/tameike/mukashi.php | 2022-01-26 |
37 | | サントミューゼは散歩にも最適 | 外周してみて感じたのは、サントミューゼは敷地が広く、施設まわりのアプローチも整備されているので、グルっと一周するだけでもいい散歩になるということだ。実際、犬を連れて散歩する人をよく見かけた。
また、駐車場の方へ行くと川沿いの歩道に上がることができるスロープがある。川沿いの道へでると、千曲川と山々、住宅、不思議と調和する上田市の街並みが見られる。夕方に行くと夕日も見れるのでオススメだ。
そして、スロープを上る途中、サントミューゼ越しに雪を被った山が見えた。サントミューゼがその自然の景色を邪魔をしていないことに驚いた。 | 2022-01-26 |
38 | | 比較から見る上田市工業の強み | 上田市の隣には、機械・金属工業の中小企業を中心とし、優れた技術力を持つ坂城町がある。工業の分野が似ている両市町には、どのような違いがあるのか。
今回は坂城町と上田市それぞれの工業統計調査を参考にし、それらを比較するための指標として、平成30年における両市町の[①事業所数②従業者数③製造品出荷額④現金給与総額]四つを用いてみた。
《上田》 《坂城》
① 390事業所数 204事業所数
② 18890人 6068人
③ 52,667,396万円 22,748,130万円
④ 9,066,947万円 2,874,596万円
上記からもわかるように、精密機器や機械・金属という主要製品が同じでも、上田の方が製造品出荷額と現金給与総額が高い。これは事業所数・従業者数が上田の方が多いことに加え、大企業の工場を有していたり | 2022-01-25 |
39 | | 壮行會 | こちらの記事は小學校での行事を示した記事である。
今と少し異なるところが5月27日と3月10日に行われた行事だ。
5月27日には海軍記念日として登山を、3月10日には陸軍記念日として記念講話を行っている。これらはどちらも軍を重んじた行事であり、小學校からこのようなことが行われていたと言うことを生の資料から受け取ることができた。
記事はこちらから
https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p0078.jpg | 2022-01-25 |
40 | | 上田工業の歴史 | ①蚕のまち上田
江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県経済は蚕糸業に支えられていた。上田はそんな長野県中でもいわゆる「蚕都」として名をはせていた。その要因としては、扇状地や河岸段丘の発達により桑の栽培適地であったこと。また、雨が少なく乾燥した気候が蚕の飼育に適していたこと。そして全国にさきがけて開校された、小県蚕業学校(現在の上田東高校)や上田蚕糸専門学校(現在の信大繊維学部)などによる蚕業教育が充実していたことが挙げられる。
②精密機械工業へのシフト
長野県が戦前から養蚕・製糸業に代えて精密機械工業へと産業育成の重点をうつし、かつ終戦後の1960年代には高度経済成長で商工業が発展したこともあり、上田の蚕糸業(養蚕、蚕種、製糸)も例外なく衰退を迎えた。しかし蚕糸業で培われた技術的 | 2022-01-25 |
41 | | 山口大根 | 山口大根は今から400年前(江戸時代)から栽培されている伝統野菜。電球型で、水気が少ないのが特徴的だそう。熱を加えると甘みが増し、天ぷらにすると美味しいらしい。機会があれば是非食べてみたい。 | 2022-01-25 |
42 | | 尾澤木彫美術館 | そんな農民美術品を実際に見たり、購入できる美術館があります。それは信濃国分寺駅近くにある尾澤木彫美術館です。実際に新潟の山中にあった古民家を洋風にリフォームして活用した外観がとても素敵でした。その中には多くの農民美術が飾られています。ここは農民美術の先駆者出会った山本さんと共にいた尾形千春さんとそのご子息である尾澤敏春さんの木彫り作品などが貯蔵されています。 | 2022-01-25 |
43 | | 山本鼎さんとは | まず農民美術とは農民の方々が作物の育たない冬の間に行なう生業として生まれました。提唱したのは山本鼎さん。彼は立ち寄ったロシアでそこの人々が行なっていたものを参考にし帰国後、長野県神川村(現在の上田市)にて第一回農民美術講習会を開きました。彼自身も多彩な芸術家であり、彼が起こした農民美術運動は後の世に大きな影響を与えました。 | 2022-01-24 |
44 | | 生活に必要な山道 | 最後は生活するのになくてはならない山道。
山の上に家や畑、工場がある場合に必要になる道だ。
県道186号が通る、長大の裏の山の道が分かり易い。
夏に一度訪れたが、山の上には畑や家屋が立ち並んでいた。
他の場所からこの山道を通ることはそうそうないとは思うが、この地域で生活をしている人にとっては必要不可欠な道だ。
自分が気づいていないだけで、その地域に住んでいる人にとって欠かせない山道は多そうだ。 | 2022-01-24 |
45 | | 交通網の発達により使用意義が無くなった山道 | 過去にはよく使われていたが、今ではあまり使われなくなった山道など。
今ではだいぶ国道や県道が整備されていて、下手に細い山道を通らなくとも移動ができるようになっている。
中には廃道化が進んだり、災害で通行止めになったとしても復旧が遅かったりする道もある。 | 2022-01-24 |
46 | | 観光地へのアクセスのための山道 | ドライブスポットと多少被る面もあるが、より観光色の強い山道。
主に登山やウィンタースポーツ、キャンプなど山でのアウトドア活動をするのに必要不可欠な道である。
国道406号やビーナスライン、チェリーパークラインなどが該当するだろう。
冬季は観光客が訪れやすいようにする為か、よく除雪がなされていることも特徴として挙げられる。
美ヶ原のように通行止めがされていても、どこかしら一本は通れるようにしてアクセスを可能としているところもある。
写真はビーナスラインの車山登山道入り口。 | 2022-01-24 |
47 | | ドライブスポットとしての山道 | どの道がドライブスポットになるのかは個人差がありそうだが、多くの人がドライブ目的で通るような山道。
例を挙げるとすると、ビーナスライン・美ケ原スカイライン・浅間のチェリーパークラインなどが当たるだろうか。
多少観光の面と被るところもあるが、ドライブ目的で訪れる人は一定数いる。
ドライブスポットとしての山道は、山の多い長野の利点をよく生かしていて、良い魅力の伝え方だなと感じる。
写真はビーナスラインとチェリーパークライン。 | 2022-01-24 |
48 | | 抜け道、近道としての山道 | 名前の通り、その山道を通ると近道になるような山道。
上田周辺だと国道143・144・254号なんかはそうだろう。
例えば、144号なら東御・小諸・軽井沢から上るよりも早く、簡単に嬬恋方面へ抜けられる。
254号なら松本へのアクセスが容易になっている。
真田に住む人からすれば、県道35号も長野市への近道になるだろう。
長野県は平地より山地のほうが多い関係上、平地を伝うより山道を作った方がいい場合がある。 | 2022-01-24 |
49 | | 信州は山の国 | 信州も信濃も、ほとんどいまと同じ長野県のことだと、初めて知りました。
信濃の地名は、山国の地形から「段差」を意味する古語である「科」「級」(しな)に由来しているとされ、名付けられ方で分かるとおり、坂と峠の多い県です。
長野県は、四方八方を2,000~3,000m級の山々に囲まれたまさに山国。県面積は、1万3,562.23平方キロメートル。(境界未明含む)全国第4位の広さです。
総人口は206万5,359人 (2,018年7月1日時点)ですが、
人口密度は1平方キロメートルあたり152.3人で、全国で下から9番目と少ないことも、山国の特徴。
県のほぼ全域が標高500メートル以上、
可住地面積の割合が低く、また人口密度(1平方キロメートルあたり)も152.3人と全国で第38位にランクインするぐらい少ないなど、山国の特徴が顕著に出ています。
特に、妙高山(2,454 | 2022-01-24 |
50 | | 山道の種類・役割 | 以前、山道は抜け道とドライブスポットの二つに分けられると投稿した。
その後もいくつか山道を巡ってみて、もう少し細分化できるのではないかと考えた。
種類・役割は、
・抜け道、近道としての山道
・ドライブスポットとしての山道
・観光地へのアクセスのための山道
・交通網の発達により使用意義が無くなった山道
・生活に必要な山道
の五つに分けられるのではないかと考える。
この後の記事で一つ一つ詳しく説明する。 | 2022-01-24 |
51 | | 山道と雪 | 色々な山道を走ってきて、特に雪道の状況の違いがあるなと感じた。
国道406号なら、上田側はアスファルトが見えるくらい除雪・融雪していたのに対し、須坂側はほぼ白一色だった。
この場合は北側である須坂の方が降雪量が多い、カーブが多く除雪のしにくい等の理由があるのではないか。
同じような時間帯に通っても、ある場所は凍っていて、ある場所は路面が乾いていることもあった。
その日その日の天候や気温、高度、山の北側か南側かなど多くの要因が複雑に作用しあっているため、違いの法則性を見つけることは難しそうだ。 | 2022-01-24 |
52 | | 白樺湖 | 山道繋がりで、よく遊びに行く白樺湖の紹介をする。
この日は湖の上にも雪が積もっていた。
白樺湖は茅野市の山の上にある湖。
周りには温泉やホテル、遊園地、少し変わった雰囲気のリゾートローソンなどがある。
冬にはスキーも楽しめる。
そんな白樺湖からはビーナスラインに乗って、諏訪湖や霧ケ峰、車山、美ヶ原に行くことができる。
季節によって違った楽しみ方ができる、おすすめスポットだ。 | 2022-01-24 |
53 | | 国道406号、須坂側 | こちらは須坂側の様子。
写真から分かるように、路面に雪が残っている。
この日は上田から上って須坂に下り、帰りは須坂から上田にという感じで走ったが、須坂側は明らかに路面上の雪が多かった。
道幅は上田側と比べると若干狭いように感じられた。
晴れていたこともあり、まるで天に繋がっているかのような景色が見られた。 | 2022-01-24 |
54 | | 菅平高原 | 菅平高原は上信越高原国立公園に属し、冬の寒さが厳しい土地。
数多くのスキー場があり、冬季はウィンタースポーツを楽しめる。
県道34号長野菅平線が冬季通行止めとなり長野市からのアクセスはできないが、国道406号を使い上田市・須坂市からのアクセスが可能となっている。 | 2022-01-24 |
55 | | 国道406号、上田側 | 上田側から国道406号に乗ってすぐ、チェーン脱着ができるようなスペースで撮影。
時刻は11時くらい。
除雪がしっかりされていて、冬用タイヤならば楽々通行ができる。
除雪された雪が端に固まっているので、非降雪時と比べると道幅は狭くなっている。
しかし、もともとの道幅が広いので、対向車とのすれ違いに問題が出ることは無さそうだ。 | 2022-01-24 |
56 | | 菅平へ | 上田から菅平に行きたいのならば、この交差点を左折して国道406号に乗ることで行くことができる。
この道をずっと行くと、途中で以前紹介した菅平ダムの横を通り過ぎる。
また、右折をすると鳥居峠やなかざわを通る、嬬恋方面の道になっている。 | 2022-01-24 |
57 | | 富士宮駅1番線ホーム | 以前創価学会専用列車が発着していた時に使用されていたホーム。
富士宮には日蓮正宗の総本山、大石寺があったため、戦後は創価学会が大石寺参詣を目的とし、創価学会団体専用列車、通称「創臨」が東京から直で富士宮駅にまで発着していた。しかし、1991年日蓮正宗が創価学会を破門したのをきっかけに本数は激減し、現在は運行されていない。 | 2022-01-23 |
58 | | 金具屋 | こちらの宿はあの千と千尋の神隠しのモデルともなったとされている温泉旅館である。前身が鍛冶屋であったことから「金具屋」と名付けられた。なかでも有名なのが登録有形文化財に指定されている「斉月楼」。昭和11年に完成した木造4階建ての建物で、釘をほとんど使用せずに気の組み合わせによりつくられて、現在も客間として利用されている。また、そこにある大広間も登録有形文化財に指定されており、館内はとても歴史を感じるような重厚感ある造りとなっており、一度は泊まってみたい宿といえるだろう。 | 2022-01-23 |
59 | | 渋温泉街~多様な温泉~ | 温泉街を歩いていると、銭湯を多く見かけた。調べてみると、九湯めぐりたるものが体験できるらしい。
渋温泉には、地元の人が毎日利用する外湯(共同浴場)が九つあります。 昔から大切に守られてきた外湯を渋温泉に宿泊するお客様にも解放し、渋の湯の恵みを楽しんでいただけるのが「九湯めぐり(厄除巡浴外湯めぐり)」。
それぞれ源泉や効能が異なる外湯を、祈願手ぬぐいにスタンプを押しながらめぐります。
最後に温泉街を見下ろす「渋高薬師」へ参詣して印受すれば満願成就。
九(苦)労を流し、厄除け、安産育児、不老長寿のご利益があるといわれています。
歴史を感じる外湯のたたずまい、好みの肌触りのお湯を見つけたり、湯船での人々との語らいもまた、九湯めぐりの醍醐味です。
(https://www.shibuonsen.net/onsen/より引用)
筆者 | 2022-01-23 |
60 | | 平和観音(世界平和聖観世音菩薩) | 112段の石段の先に平和観音と呼ばれる重さ約22t、全長約25mにも及ぶ銅像がある。雪のなかということもあり、石段が滑り大変だった。昭和39年に完成し、金属製の観音像としては東洋最高らしい。実はこの像は2代目で、昭和初期に33mの「聖観音菩薩」が建立されたが、戦争のため台座を残して解体されてしまったという。下から見上げる平和観音は写真では伝わりきらない迫力なので、是非実際に訪れ体感していただきたい。
また、境内から上につながる階段を上ると、地震除け、金運をもたらす石仏として信仰されている「弥勒石仏」(みろくせきぶつ)があった。こちらも雪がたくさん積もっており大変で、石仏は猿がいたずらをすることから扉が閉ざされていた。 | 2022-01-23 |
61 | | 梅翁寺 | このお寺は湯田中温泉の守護発展のために、1688年に薬師如来を本尊として別峯宗見(べっぽうそうけん)和尚様が来られて建てられた。境内にある手水舎(ちょうず)は龍をもした彫刻であり、その口からは温泉が流れる。
また平成22年5月8日に全国初となるお湯につかるお地蔵さん「延命湯けぶり地蔵尊」が建てられた。大きさは1メートルほどで、片足だけお湯につかることで温泉の持つ霊力を吸収しているとされておる。そのお地蔵さんの肩や腰などを湯に浸した白布でさすることによって温泉の持つ効用が伝わり、ぴんぴん・しゃんしゃんと元気になるとされるぴんしゃん地蔵手拭いと呼ばれる参拝が行われている。 | 2022-01-23 |
62 | | 大湯 | 見つけた温泉の2つ目がこの大湯だ。別所温泉にも同じ名前の温泉があり、見つけたときは驚いた。こちらには養遐齢という大きな額があり(撮り忘れました)、意味としては「養遐」が長生き、長寿を意味し、この大湯に入り長生きをするようにという願いが込められている。この額は陸軍軍医総督の松本順によって書かれたものになる。 | 2022-01-23 |
63 | | 綿の湯 | 湯田中駅から渋温泉へ向かう途中に2つの温泉を見つけた。
その1つがこの「綿の湯」である。こちらの温泉はかけてあるパネルにある通り、上の四字(痊・痾・保・生)はそれぞれに意味があり、総じて「やまいをいやししょうをたもつ」ということで「こじれた病もすっかり治す」「生命を保ち長らえる」と言った効能があると言われている。 | 2022-01-23 |
64 | | 湯田中駅周辺~楓の館・楓の湯~ | 楓の館は昭和2年4月28日に開業した旧湯田中駅舎をリニューアルしたものである。
旧湯田中駅舎は志賀高原につなんだ山小屋風で、当時としてはとてもモダンで大変人気であった。
現在は駅舎としては利用されておらず、交流室や展示室として利用されている。
国土の歴史的景観に寄与しているとして、昭和2年に有形文化財に登録された。
この旧駅舎に楓の湯と呼ばれる温泉が隣接している。大人は300円で入湯できる。
またその旧駅舎前には無料で解放されている足湯がある。筆者は保育園の頃遠足で訪れ入った記憶がある。 | 2022-01-23 |
65 | | 備忘メモ 塩尻地区/上塩尻・過去の調査研究 | 蚕種製造の中心地であった上塩尻(上田市上塩尻)については、過去30年以上にわたり学術的な調査研究、地域づくりに向けた調査研究が取り組まれてきた経緯がある。惜しまれることにそれらは主体が異なり、断続的であることが共通した傾向である。
2018年8月時点で、過去における調査研究をリストアップし、それぞれの調査研究の内容を概観した。 | 2022-01-18 |
66 | | 神川・山本鼎の会の方へのヒアリング | 1月5日に神川・山本鼎の会の方にお話を伺ってきました。それぞれ、山本鼎との関わりや考え方をお聞きすることができました。改めて、山本鼎を尊敬する方々の活動や価値は大きいなと感じました。是非小学生には山本鼎の部屋を利用し活用してもらいたいと思います。 | 2022-01-17 |
67 | | 深町先生へのヒアリング | 12月28日に深町先生のお宅を訪問し、お話を伺ってきました。山本鼎との関わりや深町先生の意見をお聞きすることができ、私自身も勉強になりました。 | 2022-01-17 |
68 | | 信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録3 | Map作成活動
いよいよMap作成活動にとりくむ。地域の魅力を伝えるためにどんなMapが良いか企画を練るうち、温泉センターで昔の観光地図を発見。レトロなカッコよさに感銘を受け、和テイストで斬新な絵地図を作成する方向性に決定!!
500年続く雨乞い祭りで夫神岳山頂に祀られる龗(おかみ)の文字や九頭竜大権現をモチーフにすることで、里山の自然に畏敬の念を抱く昔の人の精神性や、現代の日本遺産「龍といきるまち」を表現できるという意見があり、龍を中心にMapを作成することにした。すごく斬新でカッコイイ、他にはないMapができるとワクワク。
龍が守る里、これを見て、「過疎だから移住してきて」で゜はなく、なんだかカッコイイ奴らが里山にいるみたいだから行ってみよう、と若い世代に発信できるようなMapにしたい!と意気込 | 2022-01-14 |
69 | | 上塩尻の集落の模型(1992年)発見 | 【上】集落模型(佐藤家住宅の部分)1992年
【下】集落模型(佐藤家住宅[佐藤尾之七邸宅])1897年(『日本博覧図』所載、上田市立博物館所蔵)
蚕種製造民家群が数多く残る上塩尻の民家は1989年度から1991年度にかけて当時の工学院大学山崎弘研究室によって調査されました。それからかれこれ30年近くが経過し、その調査を知る人も少なくなったばかりでなく、所在がわからなくなっていた調査資料を最近になってやっと探り当てることができました。そのことだけでも大きな感動です。
そしてつい先日、その調査で作成された上塩尻の集落のミニチュアが発見され、眼前で確認しました。「長野県上田市上塩尻の養蚕民家集落 Scale:1/500 1992.3.28 工学院大学 山崎研究室」と記されています。
山崎研究室の調査では、上塩尻の蚕種製造民家のうち23軒が調査 | 2022-01-12 |
70 | | 山形のトーク番組『今日とは違う、世界がある。』 | ▲PDF:『トーク番組 今日とは違う、世界がある。』
番組リスト 1997~2008年 第1回~第111回
レギュラー:吉村和文さん(当時はケーブルテレビ山形専務、現ダイバーシティメディア社長)
端山貢明さん(当時は東北芸術工科大学教授、後に名誉教授)
山形市のケーブルテレビ局「ケーブルテレビ山形」(現ダイバーシティメディア)が1997年から10年以上にわたり毎月当該番組を放送していました。吉村和文さんと端山貢明さんがレギュラー出演し、毎回多彩なゲストを迎えて地域課題について意見交換するという番組でした。
「現代社会と教育」「地方分権」「福祉と共生」など毎回硬派なテーマが取り上げられました。端山貢明さんは第1回(1997年9月)以来、1回も欠かすことなく第111回(2008年5月)まで連続出演し、毎回、コメンテートをしまし | 2022-01-08 |
71 | | 端山貢明デジタルアーカイブプロジェクト | PDFファイルはプロジェクト概要資料
★端山貢明(はやま こうめい)
作曲家、メディア研究者
1932-2021、東北芸術工科大学名誉教授
長野大学・前川道博研究室が中心となり、端山貢明氏の知識資源を共有・可視化するデジタルアーカイブプロジェクトをささやかにスタートさせています。
▼端山貢明アーカイブについて(前川ゼミにて)2021/06/21
端山氏が山形と自宅に残した資料を整理し、段ボール箱50箱に仮に収納しました。
2021年6月、前川ゼミでプロジェクトの概要を説明し、資料の一部を学生にも見てもらいました。
▼端山貢明アーカイブ作成記録2021/10/16
10月には、段ボール箱1箱に収めてあった東北芸術工科大学在任中の資料群(1995-98芸工大時代の文書)を仕分け、デジタルアーカイブ化しました | 2022-01-07 |
72 | | 信州上田学・地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録2 | 信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクトでは、長野大学地域づくり総合センターと(一社)信州上田里山文化推進協会が連携して、古くから自然と調和していきてきた先人の知恵を伝承し、次世代の若者が地域資源を活用して自らの力で未来を開いていくための人づくり、地域づくりを行っています。
塩田平・別所温泉地区を中心に、上田市は、「レイラインがつなぐ太陽と大地の聖地〜龍と生きるまち」として、日本遺産になっています。学生たちも龗や九頭竜大権現を祀る男神岳、女神岳に抱かれた民話や雨乞い祭り、文化財について学びました。
今年の8月、10月には、ボランティアガイドの会など他の地域団体とも共同して、日本遺産に認定された塩田・別所地区の文化財についてレイラインの観点から方位や日 | 2022-01-05 |
73 | | 信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクト活動記録1 | 信州上田学〜地域連携パートナー事業アグロフォレストリープロジェクトでは、長野大学地域づくり総合センターと(一社)信州上田里山文化推進協会が連携して、SATOYAMAイニシアチブにもとづずいて、古くから自然と調和していきてきた先人の知恵を伝承し、次世代の若者が地域資源を活用して自らの力で未来を開いていくための人づくり、地域づくりを行っています。今年のアグロフォレストリープロジェクトには、地域の若者、移住者とともに、長野大学の学生が29名(福祉学部4名、企業情報学部1名、環境ツーリズム学部24名)が参加し、若者の視点で見た里山の魅力を絵地図にしました。
持続可能な社会づくりに向けて、自然と調和してきた里山の暮らしを発信していく、SATOYAMAイニシアチブにもとづき、住んでいる人にはあたりまえすぎて気づかない魅 | 2022-01-05 |
74 | | 忠魂碑(御影) | 御影区内の成田山境内に建立されている。
昭和27年10月10日再建と刻まれている。
大正4年の『北佐久郡志』の第四編町村篇の南大井村の記述(152ページ)によるとここに再建される以前は和田にあったようである。
「九、兵事
〇忠魂碑 大字和田字北原甲州街道の北側にあり、砲弾形の石碑にして表面明治三十七八年戦役忠魂碑の題字は乃木大将の筆にして、明治四十一年四月の建設。」 | 2021-12-28 |
75 | | 可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」 | 2022年1月に、可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」を以下の内容で作成しました。
2022年2月開催の「舌喰池水鳥観察会」やさまざまなイベント・活動で、この看板(看板の画面サイズ:横幅200cm×高さ100cm、看板の脚を含む高さ160cm)を活用する予定です。
■看板作成:
長野大学地域づくり総合センター「信州上田学」地域連携パートナー事業 舌喰池水鳥観察会
■監修:
長野大学環境ツーリズム学部 高橋一秋教授
■デザイン・鳥類データ(2016年~2021年に舌喰池で調査)・写真(塩田平ため池群で撮影)・イラスト ・解説(出典:原色 日本野鳥生態図鑑<水鳥編>(保育社)、山渓カラー名鑑 日本の野鳥(山と渓谷社)) :
高橋一秋・大和田樹里・三枝広樹・横内はるひ(写真加工)・小猿夏海(イラスト作成)・豊田雄基 | 2021-12-27 |
76 | | 私の地域探求計画 | タイトル
「上田市の伝承、昔話など」
なぜこの探求テーマを選んだのか
太郎山の「太郎山民俗遊歩」や姨捨山伝説など、上田市には色々な伝承や昔話があることを知った。そこで、そういった話についてもっと知りたいと思った。
何を探求しアウトプット化するか
上田市にまつわる伝承や昔話などを調べる。太郎山民俗遊歩が手元にあるので、まずはその内容を詳しく探求したい。
具体的にどのような資料を調べるか
まずは学校の図書館で探してみて、あればそこのものを利用する。なければ上田市立の図書館を利用する。インターネットも使うが、できれば極力使わない方針で行きたい。 | 2021-12-23 |
77 | | 太郎山山頂 | 太郎山の山頂です。もっと良い場所から写真撮りたかったんですが、人がいっぱいいたのでちょっと難しかったです。上田市全体が見れますし、一応ここからも富士山を見ることができるらしいです。 | 2021-12-22 |
78 | | 富士山? | 太郎山は富士山が見える山というので、実際に見える場所に行きました。正直富士山が見えると分かっていないと見えなかったと思います。一応富士山らしきものは撮りました。時期や天気が悪かったのかもしれません。 | 2021-12-22 |
79 | | 太郎山神社 | 太郎山の山頂間近に神社がありました。鳥居はどうやって運んだのか気になります。 | 2021-12-22 |
80 | | 太郎山道中 | 太郎山道中の写真です。Jルートから登って2km地点を過ぎたあたりです。もっと早い時期に来れば良かったです。 | 2021-12-22 |
81 | | 太郎山民俗遊歩 | 太郎山民俗遊歩とは、太郎山にまつわる伝承をいくつか紹介するものです。登山者に登山を楽しんで貰うと同時に、そういった伝承が失われないようにするねらいがあるそうです。実際に現地に行くことでより楽しめると思うので、是非行ってみてください。全部で9つあります。 | 2021-12-22 |
82 | | 標高605m | 上田駅発の菅平線バスに乗り、揺られること20数分…
スポットライトに照らされた「幸村の里」の大きな看板を目印に、降車を決意しました。
降りたのは「殿城口」というバス停でした。
この写真は、歩道を歩いていて目に入ってきた看板を撮影したものです。上田市は上り坂も下り坂も多く、山の上にいる事を体感しますが、こうして看板を見ると、より山の上にいることを実感します。 | 2021-12-15 |
83 | | 可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」 | 2022年1月に、可動式看板「舌喰池で観察される鳥類」を以下の内容で作成しました。
2022年2月開催の「舌喰池水鳥観察会」やさまざまなイベント・活動で、この看板(看板の画面サイズ:横幅200cm×高さ100cm、看板の脚を含む高さ160cm)を活用する予定です。
■看板作成:
長野大学地域づくり総合センター「信州上田学」地域連携パートナー事業 舌喰池水鳥観察会
■監修:
長野大学環境ツーリズム学部 高橋一秋教授
■デザイン・鳥類データ(2016年~2021年に舌喰池で調査)・写真(塩田平ため池群で撮影)・イラスト ・解説(出典:原色 日本野鳥生態図鑑<水鳥編>(保育社)、山渓カラー名鑑 日本の野鳥(山と渓谷社)) :
高橋一秋・大和田樹里・三枝広樹・横内はるひ(写真加工)・小猿夏海(イラスト作成)・豊田 | 2021-12-21 |
84 | | 温泉(大湯・石湯・大師湯) | 大湯
北条義政や木曽義仲が愛妾である葵御前としばしば入浴したと言われている。北条義政が浴室を建てたことから「北条湯」、葵御前にちなんで「葵の湯」とも呼ばれていたが、後にその溢れ出る湯の量の多さから「大湯」に改められた。
石湯
池波正太郎の代表作「真田太平記」で真田幸村と女忍者・お江が、ここ石湯で出会いその後結ばれるというエピソードから真田幸村の隠し湯であったと言われている。
大師湯
天長2年(825年)比叡山延暦寺の座主円仁慈覚大師が北向観音建立のために来る度に、好んで入浴したことからこの名がつけられた。かつては、北向山に参詣した籠の者が夜通し入れ替わりで利用したため籠の湯とも呼ばれていた。また、昔矢傷を負った雉子(キジ)が傷を癒やしたことから「雉子湯」と呼ばれたこともあった。 | 2021-12-21 |
85 | | 鬼女紅葉伝説 | この伝説は諸説あるが、その中の一説を紹介する。
会津の子供に恵まれなかった夫婦が子どもを授かった。幼名を呉葉(くれは)といった。京にのぼり源経基(みなもとのつねもと)公に仕えたが、美貌と 才気が公の心をとらえ寵愛を受けるようになり懐妊した。紅葉は公の愛を独占するに御台が邪魔になると、魔性を現わし、御台を殺そうとした。そのことが発覚して、信州に流され、戸隠山麓の荒倉山に棲むようになった。信州では京を恋う毎日だったが、或る朝、顔を洗おうとしてふと水面を見ると角が生えた鬼の形相に映った。そこで紅葉は、心を鬼にし、武力を貯え都に力づくで押しのぼろうと決意、盗賊の頭となり、悪事を働いた。あたりの人々を悩ませる鬼女紅葉のことは京にも伝えられ天朝に達し平惟茂(たいらのこれもち)が勅命を受けて紅葉 | 2021-12-21 |
86 | | 北向観音堂 | 厄除観音として知られる北向観音堂は、天長2年(825年)に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁(えんにん)によって建てられた霊場である。一度は源平争乱の中、木曾義仲の手によって八角三重塔と石造多宝塔を残し全焼してしまったが、建長4年(1252年)北条国時によって再興された。ここには、鬼女紅葉退治絵馬が飾られている。 | 2021-12-21 |
87 | | 別所温泉 | 温泉地では日本で3番目の歴史を持つと言われている信州最古の温泉。日本武尊が東征の際に出会った老人から「この山中に七つの湯が沸き出て、人々の7つの苦を助ける」と教えられ、7つの湯が見つかった。そこで東征の兵士たちが、この湯につかって疲れを癒やすことができたことから「七苦離の湯」、その後この湯が永く栄えるようにと「七久里の湯」と呼ばれるようになったとされている。 | 2021-12-21 |
88 | | 富士山研究 | ーなぜその研究テーマを選んだのか
地元なので一緒に調べようと考えた
ー何を探求しアウトプットするか
富士山の歴史
ー具体的にどのような資料を調べるか
世界遺産登録への道のり | 2021-12-21 |
89 | | 塩田平 観光 | 塩田平には生島足島神社や安楽寺、前山寺に代表される多くの寺や、神社があり、それを観光資源として利用している。また、別所温泉という温泉もあり人気の観光地となっている。
写真は前山寺。
参考・出典
[上田市]信州上田観光情報/温泉エリア
(参照 2021/12/20) | 2021-12-21 |
90 | | 塩田平 農業 | 主に稲作が盛んで多くの田が見られる。しかし、一様にただけでなく畑作も見られる。また、高地には果樹栽培も見られる。塩田平の農業の特徴は、なにより多くのため池による灌漑であるだろう。塩田平という地域は日本でも有数の寡雨地域である。この地図は、塩田平の地形図と土地利用についての地図である。多くのため池が確認でき、ため池の周りでは稲作、山の麓に行くにつれ畑作が多くなっていることが読み取れる。
参考・出典
地理院地図Vector[国土地理院]地形と土地利用
(参照 2021/12/20) | 2021-12-21 |
91 | | 美ヶ原公園西内線を考える | 美ヶ原公園西内線は、美ヶ原に至る道と松本に至る道がある。
しかし、松本方面への分岐地点である武石観光センターあたりに、通行止めの看板があるため、通り抜けはできなそうだ。
そもそも単に松本方面に行きたいだけなら、北側に国道254号線が通っている。
わざわざ狭いこちら側を通る必要がない。
ちなみに、武石峠あたりから国道254号へつながる道があるが、年中通行止めである。
美ヶ原方面の道には、路面状況の悪い箇所、道幅の狭い箇所などが見受けられる。
加えて、冬季は通行止めになる。
前の投稿で、上田側からは白樺湖の方を通っていくのではないかと投稿した。
こちらは県道、あちらは国道なので無理もない。
以上のことを考えると、今現在この道の利用価値は限られていそうだ。 | 2021-12-20 |
92 | | 美ヶ原と上田 | 上田側から美ヶ原へと向かう際に使うのが美ヶ原公園西内線。
この道には本格的な山道に店という店はなく、登り口に武石観光センターがあるだけである。
それに対し、諏訪方面からビーナスラインを通って行くと、霧ケ峰・白樺湖を中心に数々の店や温泉、ホテル等楽しみがある。
道路を比較してもビーナスラインのほうが走りやすく、知名度も高い。
そのため、上田側から美ヶ原に行こうとした際に、走りにくく楽しみも少ない美ヶ原公園西内線を選ぶより、白樺湖→霧ケ峰→美ヶ原のルートを選ぶ人が出てくるだろう。
せっかく上田から美ヶ原につながる道があっても、以上の理由で使われる頻度が少ないのならもったいないと感じる。 | 2021-12-20 |
93 | | 《上田市に主力工業を置く企業④》エスビー食品株式会社 | 関連会社など(国内):県内二つ・東京・北海道・岩手・宮城・千葉・埼玉・神奈川・新潟・静岡・愛知・石川・大阪・広島・岡山・香川・福岡・鹿児島・沖縄
主力製品:食料品
スパイス&ハーブ・香辛料
カレー・シチュー・ハヤシ
パスタ・その他麺類
中華・エスニック
紅茶
ジャム・タルト
インスタント食品
ぬか漬けの素
フレッシュハーブ
健康食品
参考資料
S&B ヱスビー食品株式会社(https://www.sbfoods.co.jp/) エスビー食品株式会社 代表取締役社長 小形 博行 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
94 | | 《上田市に主力工業を置く企業②》長野計器株式会社 | 関連会社など(国内):県内四つ・東京・北海道・宮城・埼玉・千葉・神奈川・静岡・愛知・富山・滋賀・大阪・香川・広島・福岡
主力製品:圧力計や圧力センサを中心とする各種センサなどの精密機器
参考資料
長野計器コーポレートサイト(https://www.naganokeiki.co.jp/)長野計器株式会社 代表取締役社長 佐藤 正継 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
95 | | 《上田市に主力工業を置く企業①》山洋電気株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・東京・北海道・宮城・栃木・山梨・石川・静岡・愛知・京都・大阪・広島・福岡
関連会社など(国外):中国・台湾・韓国・タイ・インド・シンガポール・ジャカルタ・アメリカ・フランス・ドイツ
主力製品:精密機器
・クーリングシステム(冷却ファン,ファンユニットなど)
・パワーシステム(太陽光発電システム用パワーコンディショナ,無停電電源装置 (UPS)など)
・サーボシステム(サーボモータ・アンプ,ステッピングモータなど)
参考資料
山洋電気株式会社 (https://www.sanyodenki.co.jp/) 山洋電気株式会社 代表取締役会長 山本 茂生 代表取締役社長 児玉 展全 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
96 | | [上田市に本社を持つ企業⑥]松山株式会社 | 関連会社など(国内):県内三つ・北海道・宮城・栃木・岡山・熊本・宮崎
主力製品:水田や畑の改良整備や耕起などの用途の作業機
参考資料
ニプロ 松山株式会社(https://www.niplo.co.jp/) 松山株式会社 取締役社長 松山 信久 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
97 | | [上田市に本社を持つ企業⑤]株式会社シーティーエス | 関連会社など(国内):県内二つ・北海道・岩手・宮城・山形・福島・茨城・栃木・群馬・千葉・東京・新潟・富山・石川・山梨・岐阜・静岡・愛知・三重・京都・大阪・兵庫・広島・福岡・熊本・宮崎・鹿児島・沖縄
主力事業:ITインフラ・工事など
・デジタルデータサービス事業 (建設業向けクラウドストレージサービスを軸とした、建設現場向けITインフラシステムの提供)
・測量計測システム事業
・ハウス備品事業(ユニットハウス・オフィス備品や空調機能などのレンタル、販売)
・環境安全事業(道路標示・標識等の交通安全に係わる事業と、公園施設等の環境安全に係わる事業)
参考資料
会社概要|株式会社シーティーエス(https://www.cts-h.co.jp/company/data/) 株式会社シーティーエス 代表取締役社長 横島 泰蔵 2021/12/13参照 | 2021-12-20 |
98 | | 柳町 | 柳町が面する通りは北国街道といい参勤交代の大名や佐渡金山の金の通路、庶民の善光寺参りの参道として賑わったそう。
柳町のホームページによれば、真田信之が藩主になってからの『元和年間上田城図』には柳町の名前が掲載されているそうだ。(https://yanagimachi-ueda.jp/history) | 2021-12-20 |
99 | | 山道の役割 | 色々な山道を通ってきてわかってきたことは、町から町へ通り抜けるための山道と、ドライブスポットとしての山道に分けられることだ。
通った道の例を挙げると、前者は鳥居峠や新地藏峠が当たる。しかし、新地藏峠に関しては真田町やそれより北の地域から長野市に行くときは近道になるが、上田市街地からなら街中を通った方が近道になる。
後者は、美ヶ原公園西内線・長野県道178号・ビーナスライン、記事には上げていないが室賀峠等が挙げられる。
平地の道路網が発達するにつれ、走りにくく時間のかかる峠道の使用率は減り、廃道化の進む道が出てくるのだろう。 | 2021-12-17 |
100 | | 県道178号はなぜ冬季通行規制がされないのか | 冬の山道は通行規制がされる場合もあるし、されない場合もある。
その違いは何だろうか。
規制は降雪による雪崩や落石の危険や、事故が起こる可能性が高くなるなど、交通の危険防止のために行われる。
県道178号がビーナスラインや美ヶ原公園西内線のように規制が行われない理由を考察してみた。
全ての道を走行してみて分かることは、道の狭さこそあれ178号が美ヶ原まで最短で登れる、かつキツいカーブが少ない道であることが分かった。
地図で178号と他の道を見比べてみると一目瞭然だ。
観光資源としての美ヶ原へのアクセスのため、相対的に危険の少ない道を通れるようにしているのだろう。 | 2021-12-17 |