登録リスト(該当:4459件)

写真タイトル説明登録日
1風穴学習会(主催:氷風穴の里保存会)風穴学習会(主催:氷風穴の里保存会)前半動画の「15:53~17:05」の間 機材トラブルにより無音になっています。栁澤裕子氏を始め、視聴者の方々大変申し訳ございません。 【風穴学習会】 2022/08/28開催 主催:氷風穴の里保存会 会場:安藤百福センター https://www.momofukucenter.jp/ 発表者:栁澤定重 氏(小諸風穴に精通)     栁澤裕子 氏(小諸風穴創設者の末裔)     佐藤 登 氏(氷風穴の元番人)     土屋 清 氏(氷区の郷土研究家) 司会進行:前田重雄(氷風穴の里保存会 事務局長) 2024-02-08
2「蚕糸業とシルク利用の展望」「蚕糸業とシルク利用の展望」【2022/11/3開催】「民間で始まる蚕糸業ものがたり」 [第5弾移動企画シリーズ 民間で始まる蚕糸業ものがたり 【紺屋町ものがたり】 共催 紺屋町区公民館] 令和4年度小諸市市民活動促進事業 補助金活用事業 主催:特定非営利法人 糸のまち・こもろプロジェクト 後援:小諸市教育委員会/株式会社コミュニティテレビこもろ 講演会「蚕糸業とシルク利用の展望」講師:塚田 益裕氏(元 信州大学繊維学部 特任教授) 2024-02-08
3民間で始まる蚕糸業ものがたり民間で始まる蚕糸業ものがたり【民間で始まる蚕糸業ものがたり】 主催:特定非営利活動法人 糸のまち・こもろプロジェクト 【講演】(2022/07/02開催) 講演1:「シルクの里 純水館ものがたり」~制作秘話~ CTK報道制作部長 後藤 理恵氏  明治23(1890)の創業から昭和期に至るまで小諸の製糸業をけん引した純水館に関わった方々の話やそれを基に制作された「シルクの里 純水館ものがたり」の制作についてのお話です。 講演2:「小諸の交通と蚕糸業」元長野県立歴史館総合情報課長 宮下 健司氏  幕末から近代に至る蚕糸業の歴史を信州全体に亘って解説し、特に小諸の交通に着目してその蚕糸業における役割について語っています。 https://youtu2024-02-08
4ミルキーウェイミルキーウェイレトロな雰囲気のレストラン 地元の方に愛されているお店です 比較的低価格なのにボリューム満点 とっても美味しかったです 神畑駅からも近いので是非行ってみてください2024-02-08
5常田館製糸場について常田館製糸場について これは大浴場と炊事場になります。2000人に及ぶ従業員の食事を作るためかなり大きいです。浴室は男女両方ありました。(写真は男性のみですが…)当時はこの場所にはありませんでした。すぐ横にある道路開発によって退去を命じられたそうで曳家さんに依頼してここまで引っ張ってきたそうです。すごいですね。残念ながらその際、内装は埋め立ててしまいないのですが、今もその姿を残し、後世に蚕都上田の歴史を伝えています。2024-02-07
6常田館製糸場について常田館製糸場について これは、みそ樽です。当時、従業員は住み込みで働いており、なんと2000人ほどいたそうです。その際の食事に使うみそなどを作っていたそうです。上田市はみそも有名ですが、ルーツは製糸場で作っていたみそだと社長さんが言っていました!!!みそは師弟制度で作っており、ここで修業した職人が独立して、上田市内外でみそを作っていったそうです。 ※立ち入り禁止エリアだったのですが、社長さんが特別に許可してくれました。2024-02-07
7SKFのチケット販売上田会場2008/05/24SKFのチケット販売上田会場2008/05/242008/05/24の記録。 毎年松本で開催される「サイトウ・キネン・フェスティバル(SKF)」(現在は「セイジ・オザワ松本フェスティバル(OMF)」)はクラシック音楽の催しとしては人気が高く、チケット販売初日、長野県内の5つある販売会場にはどこにも長蛇の列が出来ていました。指揮者・小澤征爾さんの人気によるところが大きい。松本会場は前日からテントを持ち込み列をつくる「テント村」が出来ることがマスコミで取り上げられ話題となっていました。 上田の場合は、徹夜をして並ばなくていいように市民有志が販売初日の数日前から整理券を配り、順番を確保できる「上田方式」が取られていました。松本に比べると上田は整理の運営が合理的でクールです。主催者とは関わりなく市民有志が行っていたことも上田ならではのグッドプラクティスでした2024-02-07
8旧上田一中跡2008/05/24旧上田一中跡2008/05/242008/05/24の記録。 ツルヤ上田中央店と健康プラザうえだのある場所は旧上田一中の跡地でした。校舎が取り壊された後、2008年頃は空き地になっていました。駐車場、子どもがスポーツを楽しめるグラウンドになっていました。その奥は長野県の合同庁舎になります。体育館、音楽室の建物はこの時点では壊されずにあり、子ども劇場で使われていたようです。 都市環境から昔の記憶が遠のいていきます。2024-02-07
9マンホール:木島平村マンホール:木島平村2008/05/17の記録。 木島平村を訪れた際、路面のマンホール蓋に目が向かいました。着物姿の子ども2人が踊っている姿があしらわれています。地元の祭りかと思いましたが、「よろこび」(次世代を担う子供たちが環境整備がなされ喜んでいる姿)をデザインしたものとのこと。周囲にフクジュソウがあしらわれています。マンホールもさることながら、木島平の自然豊かな地域景観にも魅せられます。 参考:木島平村のマンホール https://rojonomanhole.web.fc2.com/nagano/kijimadaira_village.htm2024-02-07
10 次に戦争の影響です。当時、満州事変などもあり、新聞よりも、いち早く戦争の情報を得られるラジオに関心が高まったのではないかと考えられます。実際に西塩田時報で時系列を追って、過去の記事を探した時にも、刊行日に空きがあり、著しく変化する戦時状況をとらえるには新聞は適していなかっただろうなと考えていました。その上、政府は当時、国防強化の面からラジオ放送を聞くことを推奨し、ラジオを聞くことは国策に協力することと強く発信してあおっていたことも要因の一つだと考えました。 また、政府にとって、ラジオは戦争で懸念される民意のコントロールにも役立っていのではないかと考えました。2024-02-07
11 先ほどもご覧になった通り、長野市で放送局が開設されたのちに、上田市にも放送局が開設したことが西塩田時報に記載されていました。これにより、25円程度先ほどの1/4程度で放送が聞けるようになるとも伝えられており、このような状況が全国各地で起こっていたことが推測されます。また、機械性能の改良により、受信機の値段も低下することも普及につながると考えました。他にもかなり推測になりますが、特需景気による好景気も、受信機を手に取ることに影響した可能性も考えました。2024-02-07
12 しかしながら、当初、ラジオ放送を聞くためのレシーバーや大型のロードスピーカーは非常に高価で誰にでも買えるものではありませんでした。そのため、当時の時報でも大型のスピーカーを村で一つ購入して住民たちで聞くことを推奨していました。  ではなぜこのような状況からラジオ放送は普及したのかいくつか考察してみました。2024-02-07
13 1925年8月に発行された西塩田時報では無線通信分野における、我が国の現状や問題点、将来性や、欧米諸国との比較について言及されていました。詳しく説明すると、従来日本でも無線技術を兵器工場などでの軍用利用にとどめる形で利用してきていたが、秘匿されていました。国民の科学思想の普及を図る目的もあり、この技術が公開され、さきがけとして東京放送局でラジオ放送が開始されました。  この年、長野県でも1か所放送局開設が許可され、年中に上田市の多くの地域でもラジオ放送が聞くことができることが記されていました。2024-02-07
14前山寺のくるみおはぎ前山寺のくるみおはぎ2008/05/11の記録。 塩田平の名刹・前山寺のくるみおはぎを賞味したいと思い、この日、前山寺を訪れました。通常、予約が必要ですが、幸いこの日は予約なしで入ることができました。前山寺のホームページによると、檀家さんを接待するのに住職さんが手作りしたのが始まりとのこと。精進料理を提供してくれるお寺さんもありますが、前山寺の檀家さんに対する接待文化を一般の私たちも体験できることはこの上ないおもてなし文化です。いわゆる普通のグルメとは違います。美味なものでした。 くるみおはぎの文化は前山寺の環境の中で一際映えたものになります。障子戸のガラス窓越しに見える借景には風情があります。軒先に立つと塩田平が一望できます。「くるみおはぎ」のみでこの文化を語ってはいけません。 参考:前山寺ホームページ2024-02-07
15電波利用の歴史電波利用の歴史では、まず簡単にラジオ放送が普及していった歴史をおさらいする。1988年にヘルツが電磁波を確認して、1920年にアメリカでラジオ放送が始まりました。日本でも、それから5年がたつと、ついに東京放送局がラジオ放送を開始して、電波文化が到来しました。2024-02-07
16長野県上田市にある別所線の終点である別所温泉駅長野県上田市にある別所線の終点である別所温泉駅別所線は大正から昭和にかけて開業した蚕都(サント)上田を支えた5つの私電鉄のうち、唯一現役なのである。また、上田から別所温泉に至る路線は大正10年(1921年)に開通した。また、中塩田駅や別所温泉駅など、駅舎に近代の趣を残す建物が多いのも特徴である。また、別所温泉駅は別所温泉街の玄関口として、別所温泉の発展に大きく貢献してきたと言える。また、別所温泉駅も信濃国分寺・生島足島神社・泥宮も結ぶレイラインの一部である。そして、別所温泉駅は、別所温泉街への玄関として長年、別所温泉の歴史や文化を伝える拠点として重要な役割を担っているとされている。そして別所温泉駅もまた竜と生きる町、上田としての文化的な背景を示す象徴的な存在と言える。 実際に訪れてみて、昭和のレトロ感があり、駅としてだけでなく、2024-02-06
17長野県上田市にある愛染カツラ長野県上田市にある愛染カツラ愛染カツラは、826年に、山中から火の手が上がり、円仁が祈ったところ千手観音が現れ、地面から温泉が湧出し、千手観音は北向山のカツラの大木に留まったため、円仁がその姿を写して祀ったのが北向観音の発祥とされている。また、ハートの形の葉が珍しく、川口松太郎原作の映画「愛染カツラ」のモデルとなり、今でも縁結びの霊木として老若男女に親しまれている。 実際に訪れてみて看板があるものの発見しづらいので日本遺産という目印を付けた方がより観光客に見てもらえるかなと感じた。しかし、木の周りも綺麗に保たれていて見やすかった。また、看板に説明はあるが日本語でしか書かれていなかったので英語なども書かれているとよりよくなりかなと感じた。2024-02-06
18科野大宮社科野大宮社信濃国府の総社という説もあるほど由緒ある古社である。 境内には簡素な公園と喫煙所があり、私が参拝した際には近所の御老人方が談笑していた。2024-02-06
19学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生)学生による地域キュレーション2023(信州上田学A受講生) 長野大学の地域科目「信州上田学A」2023を受講した学生が「信州上田」を接点として地域キュレーションした地域学習のアウトカムです。タイトルを選ぶとその学生のマイサイトを表示します(2024/02/15更新)。 各キュレーションの「マイテーマ」は次のページからご参照ください。[ Vol.1 | Vol.2 ]
    ▼社会福祉学部学生
  1. いちご/上田の食
  2. しおり/上田の食べ物
  3. な/上田の日本遺産について
  4. るるる/塩田平の文化財
2024-02-05
20上田の街つくり2上田の街つくり2これは上田高校の校門の写真である。松本市と比べる以前に全国各地を見ても高校の門が昔ながらの門であるのは珍しいものである。これは古城の門と呼ばれ、1789年消失後、翌年再建された。文化財にも認定され歴史ある建造物として日々使用されて使用されている。これもまた上田しの街つくりの一部となっている。2024-02-05
21上田の街つくり上田の街つくり上田市も松本市と非常に似た、景観を意識した街つくりを行っている。写真は上田市の柳町の通りのものである。以前に投稿した松本市の中町通りとかなり似ており、建物から石畳に至るまでかなりの共通点が見受けられる。2024-02-05
22プロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2023アウトカムプロジェクト研究(長野大学前川ゼミ)2023アウトカム長野大学企業情報学部前川ゼミ/プロジェクト研究2023成果報告 ▼前川ゼミ2023成果報告 60分 ゼミメンバーの各自が成果を報告しています。(発表順は以下の順と同じ) ▼前川ゼミ・ポートフォリオ(マイサイト) 〔地域デジタルアーカイブ〕 【1】竹中丈二(4年) 地域史料のデジタルアーカイブとその活用 【2】久保山遥(4年) デジタルアーカイブ化と社員日誌 【3】石平飛揚(3年) 紙資料のデジタルアーカイブ化 〔地域づくり支援〕 【4】福田晴紀(4年) メディアの活用と地域づくり 【5】春原百々羽(3年) 地元上塩尻の文化の2024-02-05
23松本の街つくり2松本の街つくり2松本は松本城を起点とし、碁盤の目のように道が整備された作りをしている。そのため築城当時の景観を生かし、現代においてもそれを崩すことなく保存しつつ街を作っていることが窺える。2024-02-05
24松本の街づくり松本の街づくり松本市は国宝松本城を有し、それを基盤とした街づくりを行っている。写真は松本市の中町通りである。御覧の通り、和風なつくりをしており、両脇の店は倉をりのーベーションしたものを使っていたり、またそれに似せた外観であるものがほとんどである。また石畳が敷かれており、景観の良さを引き立てている。2024-02-05
25長野の観光地の持続性 泥宮長野の観光地の持続性 泥宮泥宮は泥をご神体とし、慰霊をここに残しという。泥宮は1790年以降に名付けられた。かつては、生島樽島神社と一本道でつながっていて、深い関係があった。 とても趣がある場所だと感じた。2024-02-05
26長野の観光地の持続性 長福寺長野の観光地の持続性 長福寺長福寺には信州夢殿や菩薩像などがあり、それは昭和17年からできていたとされる。その建築方法は奈良の物を使用するといった当時の匠の技がたくさん施されていて、昭和を代表する建築ということが分かった。また観音像は菩薩立像とも言うが、法隆寺にならい救世観音という。 とても歴史を感じる建築で、その当時の文化や歴史が直接伝わってきたような気がした。2024-02-05
27長野の観光地の持続性 生島足島神社長野の観光地の持続性 生島足島神社生島足島神社の西鳥居は運気の転換点として知られていて、太陽が東の鳥居から西の鳥居を抜けて一直線に伸びる参道へと沈んでいく様子が有名である。このような参道の仕掛けは太陽への深い信仰心が見られると考えた。また、生島大神がいると考えられていて、それは万物えお生み育て力強い生命を与え、足島大神は国中を満ちたら占め人々の願いをかなえてくれると言い伝えられている。 実際に行き、太陽が沈む様子はとてもきれいだった。2024-02-05
28平林堂書店2015/03/17平林堂書店2015/03/172015/03/17の記録。 上田市の老舗書店の一つ、原町にあった平林堂書店は数年前に閉店し、その後、建物も取り壊されました。『信濃蚕糸業史』全3冊を購入したのもこの書店です。地域に関する古い書籍も数多く品ぞろえされていました。今となっては記憶の中にしか残っていませんが、幸い私の写真に記録されていました。2024-02-02
29丸窓電車丸窓電車別所線のシンボルともいも言える丸窓電車(モハ5252)。昭和2年に製造された。それから昭和61年まで使用され、別所温泉駅構内に保存されている。 訪れたことで別所線の歴史を学ぶことが出来た。また車内をのぞき込むと木造でできているところが多く驚いた。2024-02-02
30別所線赤い橋別所線赤い橋上田電鉄別所線のシンボルともいえる赤い橋(千曲川橋梁。1924年に架橋された。 2019年の台風19号により崩落したが、市民の協力により復活した。 上田市民の市民力や別所線が地域に愛されていることを感じた。2024-02-02
31日本一短い?県道162号日本一短い?県道162号上田駅前お城口にある横断歩道の部分が短いともいわれている県道162号上田停車場線。長さなんと実延長は7メートル。 実際は県道77号と重複しているため総延長は126メートルである。 重複区間は長い方が優先されるため実延長は日本一短いといえるかもしれない。 上田の隠れスポットなので一度は訪れてみてはどうでしょうか。2024-02-02
32ドライフルーツ販売店「玉井フルーツ店」ドライフルーツ販売店「玉井フルーツ店」様々なドライフルーツとチーズが売られている。地元信州の果物が使われていたり、珍しいドライフルーツが売られている。また、パッケージが「大」と「小」があるため、必要な分を購入できるため、お土産にも良い。おすすめは信州のリンゴで作られたチップス。2024-02-02
33安楽寺の文化財安楽寺の文化財安楽寺の文化財について、3つ紹介する。  一枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前開山樵谷惟仙和尚像」。樵谷惟仙(しょうこくいせん)は安楽寺の初代住職。二枚目の写真は重要文化財の「安楽寺前二世幼牛恵仁和尚像」。幼牛恵仁(ようぎゅうえにん)は安楽寺の二代目住職。これらのような禅宗の僧の彫刻像のことを「頂相(ちんそう)」という。  三枚目の写真は上田市指定文化財の「輪蔵」。このなかには「黄檗版一切経」というお経が納められている。この輪蔵を回転すれば、文字を読めない人もお経を読める人と同じ功徳が与えられるといわれている。 参考文献: 上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.66-69 曹洞宗安2024-02-02
34生島足島神社生島足島神社鳥居がとても大きかったです。 近くにあるお蕎麦屋さんがとてもおいしかったので、生島足島神社に訪れた人はよって見るといいかもしれないです。2024-02-01
35夢の家夢の家とてもおいしかったです。値段も手ごろな価格で学生にやさしかったです。ラーメンのほかにも焼肉などいろいろあったので、また行きたいです。2024-02-01
36常楽寺の''石造多宝塔と石造多層塔''常楽寺の''石造多宝塔と石造多層塔''常楽寺の石造多宝塔について。写真の場所は、昔大きな火柱と一緒に観音が現れた場所と言い伝えられている。  多宝塔というのは一枚目の写真のような塔のこと。多宝塔には木造のものと石造の物がある。常楽寺の物は石造の多宝塔で、重要文化財に指定されている。  多宝塔のほかにも多層塔もあり、二枚目の写真が多層塔。六〇年前の大正一三年に、別所温泉北向観音堂の近くの裏山の地下で発見された。その後どこかに行ってしまったが、滋賀県で発見。別所に返してもらった。 参考文献:上田市塩田地区学校職員会、上田市塩田文化財研究所編,『信州の鎌倉塩田平とその周辺』信毎書籍出版センター発行,昭和六〇年一二月二五日初版発行,p.56-582024-02-01
37北向観音の''絵馬''北向観音の''絵馬''北向観音堂に奉納されている絵馬はとても興味深い。馬の絵や、鬼退治の絵、善光寺地震などが描かれた絵馬がある。絵馬の由来は、神は馬に乗った姿で現れるとするため昔は本物の馬を奉納していたそう。しかし次第に木や紙、馬の像で代用するようになっていった。鎌倉時代以後には、絵馬の図柄は馬だけではなく多様なものが描かれるようになっていった。 一枚目の写真は板絵鬼女紅葉退治の絵馬。平安時代、信州戸隠山に住み悪事を働いた鬼を退治したとされる伝説。鬼女征伐の命令を受けた平維茂は、北向観音の加護によって退治することができたといわれている。 二枚目の写真は善光寺大地震の絵馬。一八四七年に御開帳でにぎわう善光寺を突然大地震が襲い、多くの人が亡くなった。絵馬の中央にいる市之助という人は、一五人の一行と旅を2024-02-01
38大湯 別所温泉大湯 別所温泉【木曽義仲ゆかり葵の湯〜北条氏ゆかりの湯】 木曽義仲がはるか上洛の機をうかがっていた頃、愛妾葵の御前としばしば入浴していたので「葵の湯」とよばれていました。 その後、北条義政が浴室を建て、北条湯ともよばれていましたが、後にその溢れ出る湯の量の多さから「大湯」と改められました。 →引用 https://www.bessho-spa.jp/sight/spa.html かぼさ ・写真撮るの忘れてしまいました。 ・無料駐車場からは行きは上りで少し歩きます。 ・入浴料200円と安くて驚きました。(いつも行く温泉の三分の一) ・アメニティなどは近くの券売機?で購入できます。 ・シャワーではないので、そこが注意点です。またドライヤーは有料なのとコンセントがないので、基本濡れたまま帰るかお金を払うしかありません。髪が長い方は時間が足りず。100円じゃ乾きき2024-02-01
39上田市マルチメディア情報センター上田市マルチメディア情報センターいにしえの丘公園からさらに山を登ったところにある施設です。大きなサイズのミッケなどがあり、大学生でも楽しめる施設でした。2024-02-01
40【再掲】未完成の完成塔・前山寺【再掲】未完成の完成塔・前山寺前山寺に訪問させていただいた際にとった写真です。未完成の完成塔と称されている通り荘厳な良い文化財だと思いました。迫力があり、平日の日中でも観光客がちらほらいていい雰囲気だった。2024-02-01
41過疎地域の文化財・中禅寺過疎地域の文化財・中禅寺静寂のなかで精神を整え、対峙する中禅寺はとても魅力的であった。しかし文化財の維持や観光という点で言うといい印象は抱かない。交通手段が車しかなく、行くまでの道も困難。さらに私が訪れた際には受付に人が居らず非常に困惑した。地域文化財の在り方について問いかけられるものであった。2024-02-01
42上田の象徴!月明り照らす上田城上田の象徴!月明り照らす上田城上田と言えば上田城!大河ドラマ「真田丸」にて脚光を浴びたこの城は上田を大きく発展させるとともに、多くの人々に消費される文化財となった。私は長野県民として、高校時代から上田の観光の在り方について考えることがあったが、文化財による観光誘致の在り方についてこの城は今一度投げかけてくれるであろう。それでも上田城はそこに佇んでおり、私たちに寄り添ってくれる。2024-02-01
43日本の中心!生島足島神社日本の中心!生島足島神社池の上に浮かぶ真っ赤な神社。その荘厳な雰囲気は見るものを惹きつけます。地域住民だけではなく外国人観光客も度々見受けられ、インバウンド誘致も成功していると読み取れます。初詣では県内外の客が集いその姿は、長い年月を通して多くの人から愛される地方における、信仰・観光・地域開発の象徴だといえます。2024-02-01
44拉麺酒房 熊人拉麺酒房 熊人ここは、上田市上田原の山の麓の近くにあるラーメン屋さんの「熊人」というところです。 外見を見ると、いたって普通の民家の見た目をしていて、中に入ってみると、畳の座敷とカウンター席がありました。やはり、民家をリニューアルしてラーメン屋さんに改造したんだなと思いました。 私が食べたラーメンは、味噌ラーメンです。この写真を見ての通り、ラーメンの器が一つ一つ違っていて古風でとてもおしゃれでした。 ラーメンの味も濃すぎずやさしい味で、とても美味しかったです。 私がその中でも印象に残っているのは、店員さんの温かさをとても感じました。水餃子をお勧めされ、頼んでみたらとても柔らかく美味しかったので、追加で頼んでしまうくらいでした。 ぜひ行ってみてください。2024-02-01
45蚕都上田 常田館製糸所 煙突蚕都上田 常田館製糸所 煙突この煙突に関して2つ、新たに学びがあった。 1つ目はこの煙突は当時、石炭で稼働しており、現在の上田駅とこの煙突のふもとの間にトロッコが通っていたという。当時、物資の輸送は大変重要な役割であった。 2つ目は笠原工業(笠原製糸)が常田館製糸所をこの地に置いた理由は大きく3つあるという。「多くの労働力・都市部や地域内の輸送手段の発達・澄んだ水」である。上田市は当時、人口の8割を超える市民が養蚕業・製糸業に従事していたという。実際、常田館製糸所は2500人の従業員を抱えていた。また、東京・横浜への物資輸送手段が発達していたこと、上田駅と常田館製糸所間にはトロッコが開通していたことから交通が発達していたことがわかる。そして、菅平から流れる澄んだ水を貯水し、水が重要な製糸業に利用していたという。 今2024-02-01
46蚕都上田 常田館製糸所 食堂蚕都上田 常田館製糸所 食堂常田館製糸所の食堂は敷地内に1ヵ所で特に広いわけではなかった。2500人分の3食を毎日用意していたことを思うと驚きだ。この建物の天井は特徴的で、三角屋根であるのだが、てっぺんが外気と接していて、換気扇の役割をしていたという。木造の建物で温かみがあり、当時この小さな食堂が大人数で賑わっている状況をイメージするだけでも上田市が養蚕業・製糸業で盛り上がっていたことがわかる気がした。2024-02-01
47お祭りの日お祭りの日上田わっしょい祭りの日の海野町。この日は交通規制が行われていて駅前は一般車の通行が禁止されて中心地に人が集結している状態になった。この日は、普段着席できる別所線も座れないほどで、駅近の求心力が強い施設や行事があれば人は電車に乗ることが証明された。この日は、市内中心部にあるセブンイレブンの自転車スタンドが使用中止となり、代わりとなるスタンドの設置や臨時スタンドで対応となった。こうした柔軟な対応が取れるのも、シェアサイクルの利点と言える。2024-02-01
48互 先発 水掛酒造互 先発 水掛酒造上田市の地酒2段目です! 中辛 実際に飲んだら、とても酸味が強く感じた。 原料米 長野県産ひとごこち 水掛酒造は2月4日に蔵見学に行くので、投稿楽しみに!!2024-02-01
49蚕都上田 常田館製糸所 オーナー家蚕都上田 常田館製糸所 オーナー家常田館製糸所はオーナー宅が敷地内にあったそうだ。オーナーも従業員もともに生活していた。今は当時の従業員の住宅地はないので、このオーナー宅は現存している当時の住居としての重要な意味があるそうだ。2024-02-01
50蚕都上田 常田館製糸所 蚕保管場所蚕都上田 常田館製糸所 蚕保管場所この蚕保管場所は4階の建物に見えるが実際は5階立てだという。中は風通しを良くする面から窓が特徴的だったり、床に秘密が隠されたりしているそうだ。今回の訪問時は見学できなかったが春以降、見学ができるようになったらまた視察にきたい。現在の建築物で木造5階建ての建物は珍しいという。とても大きく迫力のある建物だった。2024-02-01
51蚕都上田 笠原組常田館製糸所蚕都上田 笠原組常田館製糸所2024年1月24日、笠原組常田館製糸所を訪れた。 笠原工業の社長から様々な説明を受けた。 これから、施設の写真とともに説明の要約を記載し、自分の考えたこと・感じたことを中心に投稿していく。 笠原組常田館製糸所は現在も施設見学や職員による概要の説明など、現地調査が十分に行える場所であった。 製糸業の最盛期には当時、2500人近くの従業員がここ、笠原組常田館製糸所で働いていたという。2024-02-01
52北向観音前・温泉街北向観音前・温泉街川を中心とした、温泉街らしい風情のある光景。 道中もこうなれば魅力的だろう。 駅の近くからこの付近まで湯川という川が流れているので、湯川沿いにこういった風情のある遊歩道を整備すれば、駅から温泉街までが退屈であるという課題の解決につながるだろう。2024-02-01
53駅から温泉街まで(駐車場前)駅から温泉街まで(駐車場前)別所温泉駅から温泉街までの中間に位置する駐車場前。 車をここに停めてここから温泉街まで歩く人も多いと思うが、ここから温泉街までの道のりも普通の田舎道といった感じで、あまり魅力的ではない。2024-02-01
54喫茶店 「茶房まるげん」喫茶店 「茶房まるげん」・16時ごろに訪れ、お店の外観に一目ぼれ?し入店。 ・店主の方が、一人でされおり気さくな優しい方でした。 ・ゆったりとした空間がとてもよかったです。 ・近くには薪ストーブがあり12月にピッタリな暖かさ ・ところどころに飾られてる置物や食器がこだわりを感じます。 ・あんみつ美味しかったです(⌒∇⌒)2024-02-01
55安楽寺八角三重塔安楽寺八角三重塔信州最古の禅寺。境内の奥にある塔は日本で唯一の木造八角塔(正式名称、裳階付き木造八角三重塔)である。 ・なぜここに珍しい塔ができたかはよくわかっておらず、何らかの形で日本に運ばれたといわれる。 →参照サイト https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot1.html かぼさ ・重要文化財の像がありました。 ・国宝の三重塔を間近でみれました。 ・三重塔の近くでは、お墓があったのでこんな近くにあるのはあんま見たことがなかったので驚きました。。 ・安楽寺に入ると気温が低くなったきがした。とても涼しかった。夏場に行くのがあり? ・二度目に訪れたときはちょうど三周年だったらしく御朱印が特別仕様になってました。 ・拝観料が必要です。2024-02-01
56愛染カツラ愛染カツラ・縁結びの霊木として老若男女に親しまれている ・別所温泉の北向観音にある霊木。 →参照サイト https://japanheritage.bunka.go.jp/ja/culturalproperties/result/5061/ 近くに説明文があるので、それを見るのもありだと思います。 かぼさ ・霊木が好きなので(詳しくはない)、せっかくだからと思い別所温泉ぶらぶら散策で訪れた。 ・調べていて、根本が太いとあったので実際に見ると本当だと思った。 ・冬なので葉がかれてしまい少し、魅力は落ちたが、「荘厳さ」が増した気がした。 ・実際に行くと不思議なパワーがもらえた気がした。2024-02-01
57おなじみのジェラート屋おなじみのジェラート屋私が紹介するのは、長野大学から徒歩約5分圏内にある、この辺に住んでいる大学生ならおなじみの、「豊上モンテリア」です。 ここは、たくさんの種類のジェラートがあり、日ごとにレパートリーが変わっていきます。また、季節限定のジェラートもありました。今の時期だと「ストロベリーショートケーキ」や、「きなこもち」、「チーズタルト」などがあります。 私が今回食べたのは「抹茶」です。とても濃厚でレギュラーシングルでもたっぷり入っていました。とても美味しかったです。2024-02-01
58千曲川で見られる水鳥千曲川で見られる水鳥千曲川で観察できた水鳥です。 冬になってから水鳥がよく見られるようになりました。 画像上の真ん中に見える鳥は、種類までは判断することができませんでしたが、羽を広げた姿がカワウとみられるようなシルエットでした。 他にも画像手前と奥にカモ類が泳いでいるのが確認できました。中には幼個体とみられる小型の個体も泳いでいました。 冬に個体数が増加したように感じたのは冬鳥が越冬するためにやって来たことが関係していそうだと感じました。2024-02-01
59生島足島神社生島足島神社平安時代初期に生まれたものか 生島大神は万物に生命力を与え太古より守り神として信仰されてきた。 →日本遺産の掲示板から引用しました。詳しくは実際に行くと近くに分かりやすい説明があります。 かぼさ ・小さい頃から初詣にお世話になっており、しっかり見たことはないなと感じ、探求しに。 ・初詣の三日目は少し人通りが少ないなと思いつつ、いつもよりは多いと思う。 ・大学に行く際に見られる鳥居はここから繋がっているのかと感じた。 ・池には鯉や鳥?がいて餌やりをすることができる。 ・写真は12/7撮影2024-02-01
60北国街道北国街道上田城の城下町、上田宿として発展した昔ながらの街並みを残している。昔ながらの街並みの中には昔からあるお店だけでなく、モダンなお店も並んでいた。大変趣深かった。2024-02-01
61ニホントカゲニホントカゲ7月17日に学内で見つけたニホントカゲです。 幼体は尾が青くなっているのが特徴です。当時近くに3匹ほど同じようなサイズの個体がいたので、兄弟であると思われます。 この時期にニホントカゲもニホンカナヘビも学内で観察することができました。 実家の方ではニホントカゲしか見られなかったので、どちらも同じ場所で観察できるというのは新鮮でした。地元の方は標高がかなり高めであったので、カナヘビは適応していないのかなと考えました。 改めて観察していると、ニホントカゲの方が蛇行のようにスルスル動くように感じました。2024-02-01
62ニホンジカの痕跡ニホンジカの痕跡長野大学裏の恵みの森で観察できたニホンジカの痕跡です。 足跡:ニホンジカの足跡は二つの蹄が特徴です。ニホンカモシカも似た特徴を持ちますがニホンジカの方が一般的に幅が狭いとされています。 糞:足跡と同様にニホンカモシカと似た特徴を持ちますが、個数と縦横比からおおよそ正確に判別することが可能と考えられています。 参考文献  安藤正規、島村咲衣、後藤真希(2015)「形態的特徴からニホンジカおよびニホンカモシカの糞を判別する」『日本森林学会大会発表データベース』 角研ぎ跡:オスが木に自身のツノをこすりつける習性によるものです。縄張りを示すマーキングの意味やツノを立派に見せて繁殖に有利にするためなどとされています。 他にもニホンジカの食痕も観察できました。食痕とはニホンジカが高いと2024-02-01
63上窪池上窪池上窪池は塩田鯉の発祥の地とされている。1958年に上窪池で鯉の養殖がはじめられた。その後、塩田の70の池で飼育されるようになり、昭和40年代、50年代初めは年間千トンもの出荷量を誇り、塩田鯉として全国ブランドとなった。しかし、他地域との価格競争などで昭和50年代に衰退し、塩田での鯉の生産は終了した。上窪池の貯水量は二万五千㎥で、満水面積は一万二千㎡となっている。2024-01-31
64泥宮泥宮泥宮というのは泥を御神体として祀ったことが由来だとされている。泥は稲を育てるものとして神聖なものであるとされてきた。泥宮はその習俗を伝える宮として存在してきた貴重なものである。2024-01-31
65比蘭樹 (びらんじゅ)比蘭樹 (びらんじゅ)・平成20年に「あいそめの湯」オープン以来、施設内で調理した料理の提供ができませんでしたが、市が食堂を整備し、あいそめの湯指定管理者別所温泉観光協会が運営する食事処「比蘭樹(びらんじゅ)」を平成31年4月にオープンした ・あいそめの湯は、市民の健康増進を目的とした施設であり、食堂のテーマは「健幸食」食材は安心・安全な地場産農産物を中心にした「地産地消」の推進、また調理くずなどの生ごみは堆肥化処理し、ごみの減量化を目指す「資源循環型」のコンセプトを掲げた食堂となっている (上田市ホームページより) 比較的低価格にもかかわらず、多くの副菜があり栄養バランスが考えられているなと感じました おばあちゃん達が作ってくれるご飯で、とっても美味しいです! 別所温泉を訪れた際には是非行ってみてくだ2024-01-31
66hanatokihanatokiパン屋さんの休業に伴い、店舗を借りて始まった喫茶店 2020年12月にオープンしたばかりの新しいお店 時間は掛かるけど古いものを大切に。という気持ちから お店の外観はあえて、レトロな雰囲気にしているとのこと 夫婦で切り盛りしているカフェで、お2人ともとても優しい方でした プリンは固めで、濃厚でとても美味しかったです 別所温泉へ行った際は是非食べに行ってみてください!2024-01-31
67岳の幟岳の幟岳の幟は別所地域で毎年七月の十五日に近い日曜日に行われる雨乞いの儀式である。五百年以上続く伝統の儀式である。国の重要無形民俗文化財や、日本遺産にも登録されている。岳の幟当日は夜明け前、幟の行列の担い手は別所温泉を出発し、夫神岳に登る。午前六時頃、夫神岳に祀られた九頭竜神の祠に住民代表が神事を行った後、岳の幟の布と、御神酒をお供えし、祝詞をあげ、地域の安全と五穀豊穣を祈願してお祓いを行い、午前六時半頃、登り流を先頭に四十本ほどの幟を立て、最後に降り竜がついて山を下る。途中から三十本ほどの幟が加わり、その後、三頭獅子、ささら踊りの一項と合流し、別所の温泉街を一巡する。2024-01-31
68常田館製糸場について常田館製糸場についてこれは五階鉄筋繭倉庫です。繭を保存するのに使われていました。鉄筋コンクリートでできた建物で、100年以上前からあります。社長さん曰く、鉄筋コンクリートの建物は50年ほどで崩れてしまうそうですが、この建物は、素材が山からの塩分が入ってないもので作られているため、100年経っても崩れることなく維持されているそうです。たまに東大の教授などがこの五階鉄筋繭倉庫の研究をしにきているそうです。2024-01-31
69信州亀齢 純米吟醸 美山錦 岡崎酒造信州亀齢 純米吟醸 美山錦 岡崎酒造2024年長野県日本酒ランキング第一位!!!!! 蔵元の岡崎酒造は上田市柳町にある。 原料米 美山錦 実際に「純米吟醸美山錦」を飲んだが癖がなくとても飲みやすくおいしかった。2024-01-31
70常田館製糸場について常田館製糸場について蚕都上田を支えた笠原工業の常田館製糸場見学に行きました。お友達のこがかんや君と一緒に行きました。写真とともに社長さんから聞いた当時の状況などを投稿していきたいと思う所存です。2024-01-31
71上田市の高齢者支援上田市の高齢者支援上田市は高齢者支援にも力を入れています。 介護保険制度はもちろん、認知症や成年後見人制度、地域包括支援センターも設置されています。 老後も安心して上田市に住めるような取り組みがされているのがわかりました。 高齢者介護課 - 上田市ホームページ https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/korei/2024-01-31
72ミルキーウェイミルキーウェイミルキーウェイ 長野大学から徒歩20分くらいの場所にあります。このお店の特徴はとにかく量が多いです。店内には学生や男性客が多くいました。メニューの数も多く、和洋中なんでもありました。デザートも沢山あって、選ぶのが楽しいです。また、スープとコーヒーのおかわりが無料なので好きなだけ飲めるのもポイントです。店主の方の人柄も良く、恐らく常連の方とお話をしている姿をお見かけして暖かい雰囲気が素敵でした。お持ち帰りのメニューもあり、国民の母という感じがして地域の方の拠り所になるのも分かるなと感じました。2024-01-31
73上田市の子育て支援上田市の子育て支援上田市には、子育て・子育ち支援課があり、様々な子育て支援を行っています。 特に「うえだ家族」は結婚から出産、子育てまで幅広く支援しています。子育てが初めてな方も安心して生活できると思います。 子育て・子育ち支援課 - 上田市ホームページ https://www.city.ueda.nagano.jp/soshiki/kosodate-k/2024-01-31
74Cafe BossoCafe BossoCafe Bosso 上田駅から徒歩15分位の場所にあります。お店の壁は鮮やかなブルーでひときわ目を引く存在でとってもオシャレでした。サンドイッチが有名で、分厚い食べ応えのあるサイズでした。種類も色々あり、美味しかったです。個人的はデザートの美味しさに驚きました。あまりにもクオリティが高くてスイーツ屋さんでもおかしくないと思います。店内は1人の定員さんしかおらず、自由な空間を楽しんでいるようで素敵なお店でした。カウンターなどもあり1人でも入りやすそうな雰囲気でした。店内には様々な陶器やお皿などが飾ってあるスペースがあり、店主の方の世界観に溢れていて面白かったです。2024-01-31
75豊上モンテリア豊上モンテリア豊上モンテリア 長野大学から徒歩15分ほどの場所にあります。ここは、地元の人に人気なアイスクリームやさんです。毎日フレーバーが変わるところが面白いです。どれも美味しくていつ行っても新しい味があるので楽しいです。また、外にはウッドデッキの机やベンチがあり、家族やと友達などとワイワイ喋りながら食べるのも楽しいと思います。ここに行って驚いたことは、価格の安さです。学生のお財布にも優しく、好きな味が色々楽しめます。そして、気になる本日のフレーバーは毎日Instagramで更新してくれているので行く前にチェックすることが出来ます。ただしとても人気なので夕方には売り切れてしまうことも多いので注意です。2024-01-31
76街の幸福度ランキング街の幸福度ランキング「いい部屋ネット」で「街の住みここちランキング&住みたい街ランキング2021」という記事がありました。 なんと上田市は、第11位でした。長野県でも上位のほうでした。それだけ上田市は住みやすい街なのかもしれません。 街の幸福度 自治体ランキング<長野県版>|街の住みここち&住みたい街ランキング 2021|いい部屋ネット https://www.eheya.net/sumicoco/2021/ranking/nagano/love_area.html2024-01-31
77甘味処 雪屋conco甘味処 雪屋conco甘味処 雪屋conco 上田駅の近くにあり、徒歩3分ほどです。沢山の種類のかき氷があり、ふわふわでとても美味しいです。かき氷の他にもアイス、パフェ、プリンなどのスイーツ系もあれば、ソフト麺やカレーなど食事系のものもあります。かき氷は今どきなふわふわ系ですが、食事系のものはどこか懐かしさを感じるような暖かい味で癒されます。ここのお店の愛されポイントは、親近感だと感じました。入口に駄菓子屋と書いた駄菓子を購入できるコーナーがありました。幼い頃に戻ったかのようなワクワク感が楽しめます。また、子供連れにもいいと思いました。店内が木造で作られており、木の香りもして暖かい雰囲気がお店にピッタリだと思いました。2024-01-31
78麺賊喜三郎麺賊喜三郎麺賊喜三郎 長野大学から車で7分くらいの距離にあるラーメン屋さんです。二郎系インスパイアのお店です。二郎系と言えばルールが厳しい、入りにくいというイメージも多くある中でこの店はルールなどはありません。店内も綺麗で柔らかい雰囲気なので入りやすいと思います。1人のお客さんだけでなく家族連れや学生のお客さんも多いです。学生応援として、高校生と大学生は安く食べれるラーメンもあることが愛される魅力とも言えます。そして、店長さんは常連の方を覚えてらっしゃるようで声を掛けている姿を見ました。食事の場にコミュニケーションを持ち込んでいるところも素敵だと思いました。2024-01-31
79まとめまとめここまでいくつかお盆について紹介してきましたが、この季節行事一つとっても、今は「一つのイベント」ぐらいに感じている人も多いと思いますが、昔の人にとってはもっと大切な意味を持っていたことが分かります。 それに、今より娯楽が少ないであろう当時、このような季節や伝統に沿って行われてきた行事が、大きな楽しみであったのかもしれません。 皆さんもぜひ、地元や今住んでいる土地にあるお祭りや行事に関心を向けてみてはいかがでしょうか。2024-01-31
80生島足島神社生島足島神社上田てくてくマップに沿って街歩き開始! 上田の象徴的な神社である生島足島神社 池や鳥居がとても綺麗です 鳥居をくぐると、QRコードを読み取って解説を聞くことができます 音声に従いながら見て回るのがおすすめです 背景を知ることでより深く建物を見ることができるはずです2024-01-31
81昔と現代の豆知識の変化昔と現代の豆知識の変化今はシミ取り用の洗剤、石鹸、等が普及しているが、当時はそのような便利なものがなかったので、容易に手に入る身の回りものでシミ取りを行っていたと考えられる。 今でもいざというときに使えそうなものはありそうだ。 『西塩田公報』第83号(1954年8月5日)4頁2024-01-31
82白山比咩神社白山比咩神社 白山比咩神社は、天平3年に上田地方において疫病が流行した際、加賀の国(石川)の白山より分産したとされる。弘安元年に現在の位置に再建され、眞田昌幸・信之などの戦国武将からの寄付状など、歴史を物語る資料が多く残されている。幕末から明治初期に信濃の地で活躍した宮大工の彫り物なども多数存在し、先人たちが地域の文化財として脈々と守り受け継がれてきたことが理解できる。  白山比咩神社は毎年初詣に行く神社であり、私の住んでいる地元住民に親しまれている神社である。初詣に行くだけで、石碑などの存在を認識していなかった。歴史についても調べる機会はなかったので、親しみある神社について知ることができ良かった。2024-01-30
83信濃国分寺跡信濃国分寺跡 信濃国分寺跡は、平将門の乱により消失した当時の国分寺が立っていたとされる場所である。昭和38年から46年にかけて行われた7回の発掘調査では、僧寺や尼寺が並ぶ伽藍配置と瓦、陶器などの遺物が発掘されている。全国の国分寺においても僧寺と尼寺が近接して建設されることは稀であり、10世紀頃の国分寺衰退の痕跡も確認できるなど歴史的価値の大きい遺産である。現在は、史跡公園として整備されている。  上田市が地元でありながら国分寺跡まで、足を延ばす機会がなかった。行くことがあっても道路沿いまでで、線路を挟んだ向こうにも続いていることを知らず驚いた。併設されている信濃国分寺資料館では、発掘時の釘や瓦を見ることができ当時の歴史を知ることができる。また、安楽寺八角三重塔の模型もあり細部まで構造を確認するこ2024-01-30
84石造多宝塔石造多宝塔 信濃国分寺石造多宝塔は、現在の多宝塔は屋根や塔身の一部に窪みがみられる。これは、削り取った粉を飲むと「病気が治る」や「お守りとするとよい」などの信仰から、民衆が削り取ったものとされる。各部の様式、手法などから鎌倉時代の造立と推定される。全国的にも石造による多宝塔は少ないが、上田市には常楽寺含め二つの多宝塔が現存しており貴重なものである。  三重塔などなどの複数の歴史的価値のある建物が存在していることは知っていたが、その細部まで見ることは無かった。国分寺と共に一体感や壮大さを体感でき、良い経験となった。平日に行ったため、人が少なくゆっくり見ることができ良かった2024-01-30
85祖父母宅の蘇民将来符祖父母宅の蘇民将来符 蘇民将来符は、毎年1月7日・8日の八日堂縁日にて招福除災を祈り、参拝者に授けられる護符のこと。信濃国分寺の蘇民将来符は、ドロヤナギの木を六角錘形に作ったもので、形状や模様の一つ一つに意味がある。6つの側面には「大福・長者・蘇民・将来・子孫・人也」の文字が記されている。その形状と図柄は民芸的に格調が高く、民俗学的にも貴重な文化財とされている。昭和43年4月には上田市の民俗文化財に指定されている。  祖父母宅には、以前から蘇民将来符があることは認識していたが、どんな意味があるかなど理解していないことが多かった。毎年購入し増え続けるため、何かしらの意味があるとは思っていたが、歴史・意義に興味を持つことは無かったので良い機会となった。2024-01-30
862024年1月31日長野大学企業情報学部卒業論文発表会2024年1月31日長野大学企業情報学部卒業論文発表会2024年1月31日に行われた長野大学企業情報学部卒業論文発表会を視聴しました。様々な分野の発表を聞き、私自身の卒業論文の参考にしたいと思いました。画像は発表時のモノです。2024-01-30
87松平氏とゆかりのある上田のスポット松平氏とゆかりのある上田のスポット 上田を治めた松平氏にゆかりのあるスポットを載せたマップを作製した。今まで紹介してきた記事に加え、4つのスポットをマップに加えた。  信濃国分寺の三重塔修復で紹介した松平忠周であるが、彼は正徳2年(1712)5月に山家神社の社殿を、正徳4年(1714)8月には紺屋町八幡神社の社殿も修復している(ただ、どちらの修復も三重塔修復より前の時代になる)。上田に引っ越してきて間もない忠周は、古くから上田住民の心の拠り所となってきた上記の神社仏閣を修復することで、上田領民の信用・信頼を得ようとしたのではないか、と私は考える。加えて、これから先、領内で天災や大きな事件が起こらないように、と土着の神仏に願かけをする気持ちもあったと思う。  山家神社であるが、額縁の『山家神社』という字は、上田最後の藩主で、知2024-01-30
88常楽寺常楽寺常楽寺は、北向観音堂が建設された、天長2年(825年)、三楽寺の一つとして、建設された。北向観音の本坊であり、ご本尊は、「妙観察智弥陀如来」で全国的にも珍しい阿弥陀様である。 急斜面の階段を上り、入山料の100円を払うと、本堂が見えてくる。階段を上るのが大変な人用にスロープも用意されていることや看板がたくさん設置されていて、スマホがなくても、常楽寺までの道のりが分かりやすかった。2024-01-30
89安楽寺安楽寺境内の奥にたたずむ塔は日本で唯一の木造八角塔で、長野県で最初に国宝に指定された、信州最古の禅寺である。中国宋時代の禅宗様という建築様式で、1番下の屋根は裳階と呼ばれ、ひさしにあたる。 杉の木に囲まれた、道を抜け、本堂に向かった。趣があり、歴史を感じることができる、建物で、とても雰囲気の良い場所だった。2024-01-30
90長福寺長福寺平安時代の康保2年(965)創建された。境内の一隅にある八角円堂は奈良、法隆寺の夢殿を模して、二分の一の縮尺で建てられた美しい御堂で、信州夢殿と呼ばれて親しまれている。観音様の正式名称は「銅造菩薩立像」と言う。この観音さまが当山に寄進された年は、戦中真っ只中であり、今日とも明日とも知ることのできない生活の中、みんなが笑顔で暮らせるようにと、通称を「救世観音」名付け親しまれている。このお観音様は古仏特有の微笑み「アルカイックスマイル」別名「少女の微笑み」から白鳳(奈良時代前期)の面影を残していますが作風などからして天平(奈良時代中期)の作と推定されている。2024-01-30
91池と動物池と動物生島足島神社には神池があり、そこにはたくさんの鯉がいる。餌も販売しており、あげてみるとたくさん寄ってきた。奥の方へ進んで行くと鳥も発見!子どもでも楽しめるのではないかと感じた。2024-01-30
92生島足島神社生島足島神社生島足島神社には生きとし生けるもの万物に生命力を与える「生島大神」と、生きとし生けるもの万物に満足を与える「足島大神」の二神が祀られている。建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)が諏訪の地に下降する途すがら、この地にお留まりになり、二柱の大神に奉仕し米粥を煮て献ぜられてたと伝えられ、その故事は今も御籠祭という神事として伝えられている。 この日は七五三の撮影が行われており、以前行った際は結婚の撮影をしていた。行事で地域の人から親しまれる場所なのだと感じた。また、この神社のステッカーを車に貼っている人をよく見かける。これも地域の住民から親しまれている証拠だと思う。2024-01-30
93北向観音北向観音日本遺産の一つである北向観音を訪れた。 北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場である。 寿永元年(1182年)には源平争乱の中、八角三重塔と石造多宝塔を残して全て焼失してしまうが、源頼朝の命のもと伽藍復興がおこなわれ、建長4年(1252年)、塩田陸奥守北条国時により再興された。北向観音様は北向に建立され 千手観音様を御本尊として現世利益を願う。祈祷では厄除・家内安全・商売繁盛・身体健全・交通安全をお願いすることができる。 率直に、想像していた場所よりも高いところにあると感じた。割といきなり北向観音が現れたように感じたが、周りと調和していると感じた。また、別所の街並みを見渡すことができた。2024-01-30
94北向観音堂北向観音堂平安時代初期に比叡山延暦寺座主慈覚大師円仁が開いた霊場。北向きの本堂は全国でもほとんど例が無く、南向きの善光寺本堂と相反している。「極楽住生」を願う善光と「両参り」し、ここで「前世利益」を祈ることで、御利益があるとされる。 商店街を抜け、北向観音堂に行った。当日は、屋台が出ていて、賑わっていた。善光寺と両参りすることが良いとされているため、上田市と長野市の観光業の連携が観光客を呼ぶための鍵になると考えた。2024-01-30
95生島足島神社生島足島神社平安初期にまとめられた「延喜式」に載る古社で、生島大神と足島大神を祭神としている。御神体は「大地」であり、日本列島の真ん中に鎮座する神である。 とても大きな神社だなという印象が強く、普通の神社では、塗装が剥げているなどの建物自体の劣化が感じられることが多くあるが、生島足島神社は、綺麗な状態で保たれていて、歴史の長さを感じさせない建物だった。2024-01-30
96上田わっしょい上田わっしょい上田わっしょいとはオリジナルの音楽に合わせて、上田わっしょいの掛け声のもと踊って、楽しむお祭りです。 1972年から地域の連帯を図りたいという思いから始まりました。今では長年続く市民総参加のイベントとなっています。 また、祭りにふさわしい曲が必要だとされ、「山があるから川がある」という歌い出しから始まる、市民なら一度は聞いたことの楽曲が誕生しました。2024-01-30
97信州上田祇園祭 ー下紺屋町にとっての祇園祭ー信州上田祇園祭 ー下紺屋町にとっての祇園祭ー下紺屋町は旧城下町自治会として、中心となって参加しています。祇園祭は下紺屋町にとって最大の行事であり、こどもから大人まで、地域の歴史の共有、社会参加意識、助け合いの精神を図る機会となっています。2024-01-30
98信州上田祇園祭信州上田祇園祭祇園祭の起源は869年、疫病の流行を鎮めるため御霊会が行われたことから始まりました。この御霊会が祇園祭の起源とされています。 上田市の祇園祭は、1584年6月12日真田正幸公が上田城へ入城された日が、土地の祇園祭であったことから「お城祭」とも言われています。 上田祇園祭は真田氏、仙石氏、松平氏の時代を経て疫病退散祈願、豊作祈願、地域安泰祈願を兼ねたお祭りです。平成18年には、信州上田祇園祭実行委員会組織され、宮神輿、樽神輿、こども神輿などを合わせて100基以上が集まり開催されました。今では地域に根付いたお祭りになっています。2024-01-30
99しめ縄しめ縄 前回、別所を知っていただくため別所の特産物として売りだしている「まこも」について紹介した。  そして今回は、自分たちが育てた稲やまこもの葉の活用を紹介する。  別所でお世話に農家さんとおじいちゃんおばあちゃんに教えて頂きながら、私は「しめ縄づくり」を体験した。実際に作ってみて、昔の人はこんなに大変な思いをして手作りでしめ縄を作っていたのだと気づいた。まず乾燥させた稲を形を変えやすいように石などでたたいて柔らかくした。そして、すべて手作業で稲を手の上で転がすように編み込むことを繰り返して完成させた。手の上で転がすということが難しく、コツをつかむまでにとても時間がかかった。私は稲でしめ縄を作ったが、まこもの葉でも、同じようにしめ縄を作ることが出来る。  自分で頑張って作ったし2024-01-30
100お盆にまつわる話①お盆にまつわる話①この記事では「お盆」という行事がどのように伝わってきたのか書かれています。この記事によると、どうやら中国の仏教がルーツのようです。 現代では、今は「何となく夏にある長期休みで実家に帰る期間」くらいに捉えがちですが、今一度、その由来やルーツを考えてみると発見があります。 このような記事が広報誌に載るくらい、お盆は当時の人々にとって関心の高い行事だったのでしょう。 この記事は以下から抜粋したものです。 『西塩田公報』第71号(1953年8月5日)1頁 https://mmdb.net/mlab/uedagaku/jpg/nishishioda/p1209.jpg2024-01-29
地図で見る

キーワード

ログイン トップページへ