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1真田神社真田神社上田城跡公園にある真田神社。風が吹き、絵馬がお互いにぶつかり合ってカラカラと音を立てていました。2022-12-05
2Old Pub House CHILLOld Pub House CHILL学生が運営しているBARです。雰囲気がとてもお洒落でした。2022-12-05
3現代にも伝わる養蚕現代にも伝わる養蚕上田市の小学校では、3・4年時に蚕を育てる学校が数多くあります。塩川小学校では、8月に上田市常田にある「上田蚕種」から蚕種を譲り受け、9月下旬頃に繭になるまで育てます。小学校生活の思い出として強烈に残る学年行事です。2023-01-20
4桑の葉を上田名物へ(?)桑の葉を上田名物へ(?)養蚕業の名所となった上田ですが、近年は正直見向きもされないような産業です。そこで、上田でよく採れた桑の葉を用いてお茶やお菓子を作り、お土産として売り出そうという動きがあります。「みすゞ飴」などで有名な飯島商店は「桑の葉糖」というお菓子を、上田市観光協会では石鹸を作るなど、自地域の特色を十分に発揮した商品を売り出しています。上田駅などにもあるのでお土産にどうぞ。2022-12-05
511/21 神川小地域学習支援③ 投稿した写真の紹介11/21 神川小地域学習支援③ 投稿した写真の紹介全3回ある授業の3回目です。 11月7日に「神川まなびあいひろば」に記事を書き投稿してもらったものをクラス内で発表してもらいました。 何件か投稿した人も多かったのですが、時間が限られていたので今回は1人1つ記事を選んでみんなにお気に入りの場所やものを紹介してもらいました。 私が担当したクラスでは全員に発表してもらいましたが、発表をする人はどこでどんな写真を撮ったのか、どんなところがお気に入りなのかなど、自分が伝えたい情報や思いを発表を聴いている人に一生懸命伝えようとしている児童が多かったのがとても良かったなと思います。 発表が終わった後に質問・感想タイムを設けたのですが、質問や感想を積極的に言いたいという児童が多く、探究的な学びができていると感じました。 25人ほどの発表を聴きましたが、そ2022-11-21
6山家神社山家神社上田市真田町長にある山家神社です。「白山大権現(はくさんだいごんげん)」と称えられ、ご利益としては上田城鬼門除けの神として広く信仰されています。2022-12-05
7上田城上田城真田幸村で有名な上田城。二度にわたる徳川軍を退けた難攻不落の城と呼ばれている。大河ドラマの「真田幸村」や「サマーウォーズ」のモデルとしても知られ、多くのファンから人気の観光スポットにもなっている。春に行ったときは桜が満開で川に移る姿や楽し気な屋台の列が印象的でした。奥に進むと結構大きな神社もあって素敵な場所でした。2022-12-05
8ぶしもりや めんめんぶしもりや めんめん常に行列を作っている大人気のつけ麺屋。 魚介豚骨系のスープは1度食べればやみつきになります。 私はチャーシューがとても気に入りました。2022-12-05
9グリーンパークグリーンパーク上田の塩田にあるグリーンパークのミスタードーナツに行ってきました。大学前らへんからちょっと距離はあるけれど栄えているし、みんなの憩いの場に使われています。2022-12-05
10上田市のお土産と言えば…上田市のお土産と言えば…長年上田市のお土産を代表していた飯島商店。 ここのみすず飴は老若男女に慕われています。2022-12-05
11上田東高校上田東高校この高校は長野県で2番目に古い歴史をもつ学校であり、小県蚕業学校として創立された学校です。2022-12-05
12上田映劇上田映劇明治時代、末広座という芝居小屋があり、そこに1917年に建てられたのが上田映劇の前身「上田劇場」です。当時一階には桟敷(さじき)と花道があり、回り舞台仕様歌舞伎座と同じような作りをしていました。上田市で100年の歴史を誇る老舗劇場です。2022-12-05
13経済を支えた高校経済を支えた高校蚕種業で栄えた上田市の歴史ある高校です。 昔は小県蚕業高校として、多くの人材を排出しました。2022-12-05
14柳町柳町歴史ある街並みが続いており、建物一つ一つに風情を感じられます。かつては参勤交代や、佐渡金山の金の通路としてにぎわいました。現在はこの古き良き町並みを保存する取り組みも行われていて、上田の歴史が残された観光名所にもなっています。柳町は町全体が白壁の建物が多く、また家々の屋根や軒の高低差が少なく、高さがそろった整然とした町並みも見所です。2022-12-05
15上田城門上田城門上田といえば、で多くの人からまず最初に出るのが上田城だと思います。こちらは千本桜祭りの様子になります。約1000本の桜が咲き誇り、夜はライトアップされた夜桜が見られます。2022-12-05
16春の上田城春の上田城千本桜まつりの際の上田城です。 桜が綺麗にライトアップされ幻想的な光景です。2022-12-05
17市内にある「桑の葉」市内にある「桑の葉」上田市内は気候などの条件が良く、果実が多く最愛されています。もちろん桑も非常に多く栽培され、特に塩尻地方には桑園が多くありました。現在の上田市に桑園はほとんどありませんが、もともと桑園だった土地にある上田西高校は、制服に桑の葉のマークを取り入れています。 (画像は上田西高校のHP「上田西高の教育」より抜粋)2022-12-05
18養蚕業が作った大屋駅養蚕業が作った大屋駅今は街の中心となっている大屋駅ですが、その開業には養蚕がかかわっていました。 当時養蚕が盛んだった諏訪地域から東京へ生糸・蚕種を運ぶ際、元来は田中駅を利用していました。しかし、諏訪から田中に向かう道は険しく、長和町というところから峠道がありました。ここで、長和から丸子に向かい、大屋で列車に乗せるルートが考案され、大屋駅ができたのです。 その後大屋駅周辺は栄え、特急列車も止まるようになりました。2022-12-05
19生糸の輸送方法とルート生糸の輸送方法とルート長野県や群馬県で盛んだった生糸ですが、その多くは海外輸出となっていました。より高効率な輸送を実現するべく建設されたのが、画像にある信越線です。江戸時代は東京に至るまで3日かかっていたのが、同線の開通によって4時間程度にまで短縮され、日本の外貨獲得の柱であった生糸・蚕種の大量輸出に一役買っていました。2022-12-05
20愛染かつら愛染かつら北向観音境内に生育するカツラの巨木です。推定の樹齢は300年以上、600年から650年、1000年以上などの諸説があります。神仏が一時的に姿を現したカツラと言われる霊木で、円仁(えんにん)と千手観音にまつわる伝説が残されている。この木が知られるようになったのは川口松太郎の小説「愛染かつら」であり、後にヒットした恋愛ドラマの映画によってこの木も「愛染カツラ」と呼ばれるようになりました。2022-12-04
21温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿温泉薬師瑠璃殿は北向観音の境内にある薬師堂であり、建物は崖にへばりつくように建てられていました。瑠璃殿という名称は薬師如来の「瑠璃光如来」から来ているが、温泉の薬効と薬師如来の病苦から人々を救うというご利益が結びついた温泉薬師信仰のためである。以前は大師湯の西隣にあったとされるが、寛保二年(1741)湯川の氾濫によって今の場所に移され、文化六年(1809)に現在の形に再建された。 土台が意外と細いにもかかわらずしっかりと立っていて、周りには大きな木に囲まれていた。その木の中のひとつに上田市の文化財である愛染カツラ(あいぜんかつら)もありました。2022-12-04
22鎌原まんぢゅう鎌原まんぢゅう別所温泉駅から歩いて数分の老舗饅頭屋。創業160年と長い歴史があります。厄除けの北向観音にちなんだ「厄除けまんじゅう」が人気であり、ほかにもおやきや上田市のブランドリンゴを使って作った自家製のリンゴ餡のリンゴ饅頭などがあり、どれも美味しそうでした。 建物の佇まいが素晴らしく、温泉地にぴったりで門などがありおしゃれで静かな場所でした。2022-12-04
23北向観音北向観音北向観音は平安時代初期の天長2年に円仁(えんにん)によって常楽寺とともに開創されたとされる。長野市善行寺と向かい合うように本堂が北を向いていることから北向観音と呼ばれるようになりました。有名ですが善光寺と合わせてお参りするとご利益があると言われています。善光寺が来世の利益、北向観音が現世の利益をもたらすということで、善光寺のみの参拝では「片参り」になってしまうと言われています。2022-12-04
24ロマネットロマネット2022.12.04 諏訪湖近くの温泉ロマネット。 ローマ風呂という、形の丸い大きな温泉が真ん中にある。建物自体も丸く、西洋風の建物。 サウナ、水風呂、外気浴と温泉施設はしっかりとしていた。 まるでテルマエロマエの温泉に入っているような気分になった。2022-12-04
25ため池で日向ぼっこため池で日向ぼっこ 塩田平に沢山あるため池。長野大学でもたびたび講義に登場する。そのうちの舌喰池は周りに緑がたくさんある。  夏の晴れた日はここが絶好の日向ぼっこスポットになるのだ。全身に自然を感じながら、ゆったりとした時間を過ごしてみてはどうだろうか。2022-12-04
26市街地方面の寺院、神社市街地方面の寺院、神社やはり城下町らしく、この地を治めた真田氏に縁あるものが多い。欧州ではキリスト教、東洋で仏教、そして日本の神道。古来より信仰というものは人々の生活の隣にあるものだった。信仰のあり方はその地域の生活のあり方ともいえる。歴史を紐解くうえで貴重な材料となり得るものである。(今回キリスト教を取り上げなかったのは、ここいら一帯はキリシタンが現れた時期が遅かったと考えられるためである。)2022-12-04
27科野大宮社科野大宮社祭神は「事代主命(コトシロヌシノミコト)」、「大巳貴命(オオナムチノミコト)」。なかなかの規模の神社。近くに高校があったり、スーパーがあったりする。こういった施設が入り乱れている点も上田市のいいところ。2022-12-04
28常田毘沙門堂常田毘沙門堂お寺を引退した活文禅師が、この毘沙門堂に寺子屋を開き、教え、そして生涯を閉じた。門下には佐久間象山はじめ1000余人がおり、この地方で幕末から明治維新にかけて活躍したという。2022-12-04
29高市神社高市神社海野町の通りにある神社。祭神は「大国主(オオクニヌシ)神」、「事代主(コトシロヌシ)神」。大国主神は大黒天、事代主神は恵比寿神として七福神にも数えられる。 この神社は海野町の商いの神様である。 境内には「運の石」という石があり、開運と悪運除けがご利益。真田昌幸が上田城築城の折に白鳥神社から霊力宿る石を授かった。それがこの神社のご神体。そして、その石に縁ある石を高野山から持ってきて運の石とした。2022-12-04
30宋吽寺宋吽寺真言宗智山派の寺院、「海堂山宋吽寺(かいどうさん・そううんじ)」。珍しい石灯篭、大黒天像がある。 智山派の方は是非。2022-12-04
31太神宮社太神宮社祭神は「天照(アマテラス)皇大神」、「豊受(トヨウケ)皇大神」。1622年に秋和から今の場所へ遷された。上田地域の伊勢信仰の中心。境内にはお稲荷様らしき連鳥居がある。2022-12-04
32諏訪神社諏訪神社祭神は「建御名方富命(タテミナカタトミノミコト)」。 諏訪大社の分社、分神として、諏訪大明神と称された。2022-12-04
33かわいい手作りケーキのお店かわいい手作りケーキのお店 上田市内の「手作りケーキの店 タルト」。何度かお店の前の店を通ったことはあったけど存在に気付かず…。こんなところに“映える”お店があったなんて!  店内のイートインスペースではコーヒーのサービスも。かわいくて美味しいケーキは友達とのおしゃれでゆったりとした時間にピッタリ!  2022-12-04
34別所で本格かき氷別所で本格かき氷 別所温泉駅前のお土産屋さん「二幸」。そこにはカフェがあり、飲み物や季節によって、おしるこ・あんみつ・かき氷が提供される。  私が訪れた㋆はかき氷が限定販売されており、店員さんがカウンターの奥で作ってくれた。出てきたのは想像以上に本格的なフワフワのかき氷!  冬はかき氷の代わりにおしるこが提供される。季節限定に合わせて何度か行ってみたいと思う。2022-12-04
35うつくしの湯うつくしの湯2022.12.02 私がよくいくうつくしの湯。 ここはご飯がとても美味しい。 おすすめは武石あんかけかた焼きそば。 上田の地域では焼きそばといえばソースではなくあんかけ焼きそばらしい。居酒屋で働いていた時非常に戸惑った。 ちなみに、もう一つの写真は武石丼。パプリカなどのカラフルな野菜が乗っている。 きた時は是非。2022-12-03
36四阿山四阿山根子岳と同じく菅平高原に位置する山。 根子岳との縦走コースとして楽しまれている。 頂上は少し狭いが周りの自然で癒される。 帰りの道は少し急坂があるので注意が必要ではあるが、日帰りでも十分に堪能できるコースである。 終わったらソフトクリームが待ってるのでよりがんばれる2022-12-02
37根子岳根子岳上田市の菅平高原に位置する山。 緩やかな登山道が印象的で周りの広々とした景色を楽しみながら登ることができる。 頂上は広々としていて小さい神社がある。2022-12-02
38美ヶ原美ヶ原松本市との境にある静かな高原。 美術館やホテル、牧場とバラエティ豊かである。車はもちろん麓からも登ってくることができ、個々に合わせて楽しむことができる。 北アルプスの山並みはもちろん南アルプスや富士山も見ることができ、長野県に来たらぜひ一度は行ってみてほしい場所の1つ。2022-12-02
39車をDIY車をDIY2022.12.01 愛車コペンは2002年製。なんと、私の一つ下。とんでもなく古い車。 ハンドルはとてつもなく重いし、ブレーキの効きも最新車と比べると悪い。もっというと、近くにものがあってもアラームで知らせてくれることもない。そんな、私の愛車はステレオが付いているのだが音は鳴らない。故障している。 というわけで、ステレオ部分を有効活用しようと人生初の車をDIY。 カバーを裏から外し、ネジを外し、ステレオを取る。その空いた部分に新しく物置兼USB兼スマホホルダーをはめていく。 一番苦戦したのは配線。USBの電気を車から持ってくるのだが、いかんせん素人の私には何が何だかわからない。 てことで、友人召喚。友人に電話し教えてもらいながら配線を繋いだ。(簡単に書いているが理解するのに1時間かかった) ちなみに、さすま2022-12-02
40小文『プリンス・マツダイラ物語』小文『プリンス・マツダイラ物語』明治5年からアメリカへ留学した最後の上田藩主・松平忠礼と弟の忠厚。その後忠厚は日本へ帰ることなく土木と建築を学びアメリカ人女性と結婚し、エンジニアとして測量器具を発明、大陸各地の橋や鉄道建設に携わる活躍をしながらも肺結核に倒れ、37才の若さでデンバーで亡くなりました。 今では上田の方々にはよく知られた話ですが、2000年上田市立博物館での松平忠厚展を機にした『プリンス・マツダイラ物語』は、2人の留学に随行した山口慎(山口平太郎毅の息子)の孫の金子香代が2004年「文芸せたがや」に書いたものです。ファミリーヒストリーの延長で当時随筆部門の3席でしかなく、批評の通り、練り直しを考えつつもできないまま没しました。そんな母の小文ですが、最近Wikipediaなどから関心を持って下さる方がいるので、この場をお借2022-12-02
41坂城町坂城町最近、坂城町に温泉に行くことが多い。 その理由はマイサイトでも投稿している通り「びんぐし湯さん館」に行っているから。 上田市の隣にある坂城町は何もないイメージがあった。 しかし、湯さん館がありバラも有名。調べてみるとバスケットコートもある。実は子育てしやすいのかもしれない。 何もなさそうな街でも以外といろんなものがあるなと思った。2022-12-01
42野口健野口健私が登山を始めたきっかけである野口健さんをご紹介。私は佐賀県の講演会に行ったことがきっかけで野口健さんを知った。当時、私は小学校2年生(7歳)。兄に連れられ、講演会に行った。なんか、おじさんが喋ってるな〜と思っていたが、一枚の写真に目を奪われた。 その写真がエベレストでの写真。 ネットで『野口健、エベレスト』と検索すると出てくるその写真が今でも忘れられない。 真っ白な雪と輝く太陽。寒そうなのになんだか暑そう。そんな写真。 エベレストでは無臭。昼は雪を被りたくなるほど暑く、夜は指が凍りそうなほど寒い。そんな話をされていた。常に死と隣り合わせ。昨日まで仲良く話していた韓国人が次の日には亡くなったという知らせを受けることも。 話していること全てが異世界。興味を惹かれないわけがない。 2022-12-01
43受け継がれる蚕都の伝統受け継がれる蚕都の伝統 今でも養蚕が盛んだったころのまま姿を残す建物がある。上田蚕種株式会社の建物である。  また一方で、新しい施設に「サント(蚕都)」と名付けられた例もある。「上田市交流文化芸術センター サントミューゼ」はホール、美術館の他に交流芝生広場があり住民の憩いの場となっている。2022-12-01
44上田紬上田紬 現代でも蚕の繭から紡ぐ紬は上田紬というブランドで親しまれている。着物だけでなく、ストールやがま口などの小物、アクセサリーにもなり人々の暮らしを彩っている。上田紬を身につけているとなんだか心が安らぐ気がする。2022-12-01
45善光寺 お朝事善光寺 お朝事2022.10.07 この写真は朝7時の善光寺。 朝に来た理由はお朝事に参加するため。お朝事とは毎日行われる法要。法要とは仏教の教えを知ること。善光寺のお朝事は天台宗と浄土宗の二座。 なぜ、お朝事に参加したかというと御本尊である一光三尊阿弥陀如来像が納められた瑠璃壇と厨子を垣間見ることができるため。普段は隠されている戸帳開かれ、光に照らされた黄金の御本尊を見ることができる。 お朝事自体は淡々としている。決まった動きをしている僧侶の方々をみるとどのような気持ちで法要をされているのか気になる。2022-12-01
46信州で養蚕が盛んなワケ信州で養蚕が盛んなワケ なぜ長野県で養蚕が盛んになったのだろうか。  蚕を育てるには桑の葉が必要だ。その桑を栽培するのに信州の山がちな土地は適していたのだ。日当たりがよく、水はけがよいという条件が揃っていたため桑の栽培が進み養蚕業の発展につながった。2022-12-01
47鐘紡工場跡地鐘紡工場跡地アリオに展示されていた鐘紡工場の写真。かつて鐘紡工場が存在した広大な跡地には現在アリオやサントミューゼがある。2022-12-01
48上田市の公園上田市の公園上田市には至る所に公園があり子育てがしやすいような環境を整備しようとする市や自治体の努力が見えた。2022-12-01
49上田の養蚕上田の養蚕 他県よりずば抜けて養蚕が盛んだった長野県の中でも上田は特に養蚕業で栄えていた。  それは、千曲川の恩恵によるものである。上田盆地は桑の栽培に適していただけでなく、年間降水量が少ないことで蚕の飼育にも適していた。上田は、蚕の餌となる桑の栽培にも、蚕の生育にも適した土地であるという要素が重なって生まれた”蚕都”なのである。2022-12-01
50上田市と大正ロマン上田市と大正ロマン上田市には柳町以外にも旧常田館製糸場、上田蚕種会館、信州大学繊維学部講堂など蚕都を感じさせる建築物が多く残っている。また、市には、このような建物以外にも別所温泉周辺の旅館や施設、またみすずあめの飯島商店、上塩尻など「大正ロマン」あふれる街並みが多く顕在しており、最近では上田を紹介する際にも「大正ロマン」というワードが使われているように感じる。これを活かし、町のデザインや都市開発につながってほしいと考える。2022-11-30
51サントミューゼサントミューゼサントミューゼは、近年みられる奇抜な構想の美術館とは違い、自然豊かな上田市ならではの敷地面積を活かした低層デザインが採用されている。細部に豊かな風土を感じることができる設計がなされているため、四季折々の豊かな情景とともに歴史・文化・自然といった上田の三本柱を感じることができる。内装は「上田の森」をテーマとして木材をふんだんに生かした建築がなされている。2022-11-30
52柳町柳町この街道は「上田市における蚕を活かした都市開発」で述べた歴史的建築物の転換がほかの街道よりも顕著に表れている場所である。その背景として柳町にはかつて栄えていた小宮山製糸があったことが考えられる。町のパン屋さんをはじめとした、歴史的な家屋を改装した店舗が多く風情を残した景色は、歴史を感じることができる上田ならではの発展、街づくりにつながっていくのではないかと考える。2022-11-30
53上田市における蚕を活かした都市開発上田市における蚕を活かした都市開発上田市の景観形成における蚕の役割として、蚕都としての歴史性を重視するというものがある。上田市の景観計画の一部として、かつて栄えていた城下町や養蚕が盛んであった地域周辺の家屋、並びに歴史的資産や街並みの保全をしながら活用することを都市計画の一部に組み込んでいる。特に、建築物や工作物においては蚕室造りといった伝統的な様式の建築物を継承または意匠することを景観における基準としている。また、色彩においても蚕都としての風情を感じることができる落ち着いた色調を求めている。2022-11-30
54蚕種上田⑤ まとめ蚕種上田⑤ まとめ2022-11-30
55蚕影社蚕影社上田の最初の町の成型として考えられるのが蚕影社であり、神畑にあるこの社は28か所あるとされている神社の一つである。この神社群は養蚕の神を奉り、蚕の安定を図るために作られた。そのような経過を経て、上田地方では養蚕の拡大に伴い各地で養蚕振興が盛んになったことがうかがえる。また、神社は古代における村や集落の中心であったため、昔から現在にかけてまで、蚕は街づくりの基盤となっていたと考えることができる。2022-11-30
56養蚕業が衰退した理由養蚕業が衰退した理由日本の繭生産量は、今から約90年前1930年(昭和5年)の40万トンをピークに減少し、昭和40年代に持ち直しの傾向が見られたものの、2016年(平成28年)には約130トンまで落ち込んでしまいました。繭生産量の減少に伴う製糸業の衰退も著しく、昭和34年には1871工場あった国内製糸工場数は、平成26年にはわずか7工場を残すのみとなってしまいました。 日本の絹産業は、生糸の原料となる蚕の繭を作る養蚕農家から、生糸を作る製糸業者へ。そして絹織物業者へという流れから、おもに着物や帯などに加工・縫製されて小売される形になっている。 衰退した理由としては和装から洋装へ変化する「和装離れ」により需要そのものが減少したと考えられている。価格競争で中国などから低価格繭の流入や、後継者不足など社会構造の変化も考えられます。2022-11-30
57信州は蚕糸王国信州は蚕糸王国 上田が蚕都という前に、長野県が蚕糸王国と呼ばれるのにはどんな所以があるのだろうか。  それは、長野県は約130年前から他県から群を抜いた生糸生産高があったことに由来する。1893~1930年の間、長野県に次いで生糸生産高の高い愛知県の数字の約2倍を常に記録していた。  また、蚕種生産高でも他県を圧倒していた。2022-11-30
58蚕種上田③ 旧馬場藤四郎邸蚕種上田③ 旧馬場藤四郎邸今回は旧馬場藤四郎邸についてだ。 この住宅も養蚕業に関わっており、特徴的なのはこの住宅の瓦に家紋がついている点だ。また敷地内に蔵があることからも分かる通り、家がかなり発展していたことが分かる。このことから養蚕業を起点とし、栄えていたことが分かる。2022-11-30
59蚕種上田② 佐藤家住宅・旧佐藤家宗家住宅蚕種上田② 佐藤家住宅・旧佐藤家宗家住宅今回は佐藤家住宅・旧住宅家宗家住宅についてだ。 この住宅や土地はもともと養蚕に使用されており、蚕の育成・絹糸の採取に使用されている。現在空き地になっている旧佐藤家宗家住宅では再利用の方法を模索している。2022-11-30
60上田城上田城上田の歴史、ここにあり!上田といったら上田城のイメージが強く、観光客も多く訪れる。2022-11-30
61常田毘沙門堂常田毘沙門堂文政12年(1829)のころお堂の脇に寺小屋を開き、多聞庵と名付けられました。活文の名声は以前から広くいき渡っていたので、武士をはじめ農民や商人それに子供にいたるまで教えを受けたい人たちが殺到し、一時は1000人を越すほどでした。 毘沙門堂は、大正15年(1926)に建てられたものです。2022-11-30
62上田蚕種協同組合上田蚕種協同組合旧上田蚕種株式会社の建物を組合の事務所として活用されている。蚕都としてのシンボルを現在も活用している良い例だと感じた2022-11-30
63染谷城染谷城染谷城は「大熊屋敷」とも呼ばれ、真田昌幸の重臣・大熊氏が上田城の東の守りを固めるために配置された城館と考えられている。2022-11-30
64上田丸子修学館高校上田丸子修学館高校教育目標を知性を磨き、創造的思考を逞しくし、情操をやしない進取態度を養う人間形成に主眼をおき、有為な人材の育成を期するとしている。2年次以降は自分で時間割を決めることできるところが特色である2022-11-30
65常田池常田池ため池が多いことで有名な上田市。常田池もそのひとつで、池の周りにはちょっとした休憩スペースもある。2022-11-30
66上田染谷高校上田染谷高校上田染谷高校は普通科と国際化で教育目標が違う。普通科は「向学の気風あふれる活気に満ちた学校づくりを通して、学力・情操・身体の調和ある発達を図り、将来の地域社会を担い、国際社会の平和と発展に寄与できる人間を育成する。」に対し、国際化は「自国の言語・歴史・文化への理解を深め、国際交流などの活動を通じ、社会の様々な事象に対する探究的な学びの姿勢を育み、豊かな国際感覚を持ち将来にわたり地域社会及び国際社会に貢献できる人材を育成する、語学力を高めるとともに、国際社会の諸問題に対応する思考力、情報を的確に発信するためのプレゼンテーション能力、実践的なコミュニケーション能力を養い、新たな社会を創造する力を育む。」とだいぶ違っている。2022-11-30
67日輪寺日輪寺天文14年(1545)真田家の先祖である海野小志廊幸義公によって創建された禅宗のひとつ、曹洞宗の寺院です。 海野家が没落すると後裔の真田家が庇護し真田昌幸が上田城に居城を移す際この地に移されたとされ、寺紋は真田家と同じ六文銭を掲げています。2022-11-30
68上田東高校上田東高校教育目標を自由な精神と責任・規律を重んじる態度を養い、自主性・創造性・協調性に富んだ個性豊かな人格の形成を目指す、憲法にもとづいた平和で民主的な社会をにない、国際社会に生きていくために必要な知識と判断力を養う、社会のさまざまな変化に柔軟に対応し、課題を積極的に解決していく力を養う、としている。上田西高校は私立であるが上田東高校は公立高校である。2022-11-30
69振り返って振り返ってこれまで上塩尻と桑折町における養蚕業について説明してきました。上塩尻では養蚕に関する情報がいくつも残されていましたが、桑折町には残されている遺産はほとんどなく、情報や文献が少ないように感じました。現地に赴くことでしか分からないこともあるので、帰省した際にはじっくり散策を行い、再確認したいと思います。 小学校中学年の頃に理科の授業の一環として蚕を飼育していたことや祖父母の家でも養蚕が営まれていたという話から「養蚕」というテーマには馴染みがありました。しかし、私自身地元のことであるのにも関わらず新たな発見がたくさんあり、視野を広げて興味を持ってみることの重要性を実感しました。地域産業の誇りとなった養蚕業の歴史を上塩尻での取り組みのように何らかの形で未来に繋いでいけるのが理想の形2022-11-30
70上田千曲高校上田千曲高校質実剛健を教育目標とし、工業科・商業科・家政科と3つの大学科を擁する上小唯一の総合的な専門高校。社会人して、円満の人格、品位ある個人の完成を期としている。2022-11-30
71願行寺願行寺浄土宗の寺院です。 願行寺の創建は不詳ですが、伝承によると千曲川太鼓淵で某村人が一光三尊の阿弥陀如来像を川底で見つけた事から当時の領主滋野氏に献上しました。 その後、後裔である海野小太郎が海野郷岩下に御堂を造営し松誉岌香上人を招き功徳山願行寺を開山、本尊として前述した阿弥陀如来像を安置しました。2022-11-30
72養蚕に適した気候上田養蚕に適した気候上田上田は古くから養蚕業が栄えていました。かなり古い歴史を持つ上田の養蚕業は、世界に向けても、輸出され蚕の産地として名を轟かせました。上田は降水量が少なく、乾燥しているため、蚕が育てやすく、長野は傾斜地が多いため蚕の餌になる桑などを生育しやすいという有利になる利点がありました。具体的には、上田の年間の平均降水量は約900mmであり、日本の平均降水量は1718mmであり、上田は全国平均の約半分ほどであるということが分かります。また、傾斜か多いため果樹や桑を育てることに有利な条件である水はけが良いということもあり、上田は気候の面でも後押しされて養蚕業が栄えてた要因の一つは気候であると言えるでしょう。2022-11-30
73上田紬上田紬日本三大紬とは主に、大島紬、結城紬、上田紬のこと指すそうです。この日本三大紬の中の一つが上田にあるということで、調べてみました。  上田紬の特徴は、柔らかい肌触りの生地に、丈夫で、夏は涼しく冬は暖かく感じられることである。また、上田紬は、大島紬、結城紬と違って縦糸をまっすぐな糸で、横糸で真綿から引いた糸という少し波がある糸を使っていることも特徴です。 小岩井工房は、現在も上田紬を作っている数少ない工房です。そこでは着物も以前は紺色などの色が主流で一般の人々が日常で着ていた着物でしたが、現在では着物はあまり着られなくなって残念と話していました。また、今はグラデーションや、パステルカラーなどを使った今風の着物も出しているそうで、色のバリエーションを増やすなどすることで今の需要の変2022-11-30
74サントミューゼサントミューゼ長野大学の入学式も行われたサントミューゼは「蚕都上田」が語源となっている。2022-11-30
75リンゴ染め(小岩井紬工房にて)リンゴ染め(小岩井紬工房にて)小岩井紬工房では今現在着物だけではなくて、小物なども作ることで新たな時代に対応しようとしています。その一つに、草木染めがありました。  上田はリンゴが有名なので、リンゴを使って染色した糸を使い織ると、柔らかな色合いの生地に仕上がります。これらを、着物や小物に仕上げ販売していました。  それらはとても淡い色合いで、上品な雰囲気を醸し出しており、リンゴ染めは上田の新しい名産にしたいと小岩井工房の方が話していました。2022-11-30
76上田高校上田高校教育目標として試百難があり、困難から逃げない、周到な準備をする、最後まで粘り抜くを目標にしている。また、古城の門は歴史を感じさせる。2022-11-30
77小岩井紬工房にて小岩井紬工房にて上田には上田紬を織っているという小岩井紬工房にお邪魔させて貰いました。 小岩井紬工房では、昔ながらの手法で生地を織っているという工房でした。 現在は着物を織る機械が9台あり、現在全ての機械は使っていないそうですが、着物やストールなどのワークショップに活用しているそうです。これらのワークショップだと最短で半日から出来るので皆さんも是非参加してみてください!  近年は着物の需要が落ち込みましたが、その代わりに、がま口やブックカバーなどの小物も作るようになり、対応しているそうです。  突然お邪魔しても暖かく迎えてくださった、小岩井紬工房の皆さんありがとうございました!是非皆さんも行ってみてください!2022-11-30
78上田が蚕が有名な理由とは上田が蚕が有名な理由とは上田は養蚕業が盛んです。理由として様々な要因があると思います。まずは、気候の面です。上田は蚕を育てやすい気候をしていると分かりました。また、上田の蚕が歴史を持っているだけではなくて、上田の蚕が世界を救っていると言うことも分かりました。  さらに、養蚕業が盛んであったと分かる痕跡として、上田紬という織物もあります。上田紬という上田の地名がつくほどに栄えていたそうです。  富岡製糸場が製糸工場としては有名ですが、上田にも今でも製糸場が残っています。これは、とても珍しく全国で見ても数カ所にしかありません。  上田が蚕の都として有名であるのは、養蚕業が栄えていたことや、その痕跡が未だに残っていることが大きいと思いました。2022-11-30
79本陽寺本陽寺本陽寺は小諸城主であった仙石秀久が文禄5年(1596)に亡くなった夫人のため建てたお寺です。 夫人の墓を中心に上田城主二代 政俊の子供、忠俊の墓のほか五輪塔・舟型・角柱型などの石塔婆が大小11基あります。また、幼児の墓が6基もあります。 近くに幼稚園があって幼稚園児が遊んでいました!2022-11-30
80常田館製糸場常田館製糸場国指定重要文化財にされた「笠原工業旧常田館製糸場施設」を見学しに行きました。構内には建物15棟が現存されていて、その内7棟が重要文化財として一般公開されています。昔のままの木造の繭倉庫は圧巻でした。機械などはありませんでしたが、当時の技術を知ることができました。展示品もあり、なんだか心が和みました。 常田館製糸場は1900年(明治33年)に創業し、110年余り、製糸業の隆盛と衰退の中で、製糸工場建物は増築、取り壊し、焼失、改築、移転、用途変更等の紆余曲折を経ながら今に至ります。現在はスチロール製品を製造しています。3階繭倉庫と5階繭倉庫は、多窓式と呼ばれる自然乾燥を前提とした繭倉庫の形式である一方で、4階繭倉庫と5階鉄筋繭倉庫は密閉 式の繭倉庫であり、大正時代以降は乾燥機の発達により通風による乾燥が2022-11-30
81地元から信州上田学へ地元から信州上田学へ群馬県には上田市と同じように養蚕の歴史があり製糸業が盛んであった点で共通している。群馬には世界遺産に登録されている富岡製糸場があるため認知されているが上田市にはそれがない。そのため養蚕の歴史を知ってもらうことこそが蚕都上田の未来を考えるうえで重要になってくると思う。2022-11-30
82前橋蚕糸記念館②前橋蚕糸記念館②繭から糸を取り出す際古くは口の中に繭を含み糸を引き出したという。やがて繭を煮て手繰る「手繰り」が始まりそれを小枠にに巻き取っていた。江戸時代後期には歯車を用いて小枠を回転させる座繰が発明され1857年に高橋邦七によって弓のついた座繰(上州座繰)が発明された。上州座繰は県内だけでなく信州方面にも広く普及されていた。2022-11-30
83木々と水の音が響く神聖な場所木々と水の音が響く神聖な場所今回は「別所温泉森林公園」や「別所氷沢の風穴」の近くにある、「三嶋神社」にきました! 木々に囲まれ、静かに流れる水の音を聞きながらの参拝。 とても身が締まる気持ちになりました。 日が陰っている時間帯でしたので、全体的に薄暗く、少し怖くもありました。 その厳かな雰囲気に圧倒されながらも、これぞ日本という感覚を直に受けることができた、良い経験となりました。2022-11-30
84前橋市蚕糸記念館①前橋市蚕糸記念館①前橋市蚕糸記念館は1912年に国立原蚕種製造所前橋支所として建設された。当時、日本全国で6か所に建設されたうち現存する唯一のものになっている。蚕の飼育方法や品種改良、病気対策において大きな業績を挙げた。2022-11-30
85山道をのぼって見える景色山道をのぼって見える景色今回は別所温泉駅から車で山道をのぼり、「別所温泉森林公園」にきてみました! かなりくねった山道でしたので、内心ヒヤヒヤしました。 車を運転する際は要注意ですね。 しかし車から降りて見えるのは絶景です。 到着時、ちょうど黄昏時でしたので水色や黄色、薄桃色のグラデーションがとてもきれいでした!そして寒い!(笑) 撮影時は11月の下旬でした。もうすぐ冬が近づいてくる季節です。 また森林公園には栗園もあります。今度は栗を楽しみにここに来たいですね! (栗の写真は、足下に落ちていたので記念に撮ったものです!)2022-11-30
86上田の松茸上田の松茸上田市内にはアカマツ林が多く、松茸の産地として知られています。 特に上田市の南西に位置する塩田平一帯は松茸の有名な産地で、9月中旬から11月初旬までは山の中腹に十数件の「松茸小屋」が営業します。2022-11-30
87戸隠神社 中社戸隠神社 中社 ゼミの研修で戸隠神社の中社に行く機会があった。これは、その時に撮影した写真である。  戸隠神社には、奥社・中社・宝光社の3社が存在している。平安時代から修験道が行われ、日本有数の霊場として知られていた。 この歴史は古く、嘉祥2年(849)頃、学問行者により戸隠寺(奥院)が開かれたと言われる。康平元年(1058)に宝光院、寛治元年(1087)に中院がそれぞれ開かれたと伝えられている。  中社のご祭神は「雨八意思金命 あめのやごころおもいかねのみこと」である。この神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の度重なる非行に天照大神がお隠れになった時に岩戸神楽(太々神楽)を創案し、岩戸を開くきっかけを作った神である。  学業成就・商売繁盛・開運・厄除・家内安全に御神徳がある。2022-11-30
88木のぬくもりが印象的な、どこか懐かしいお店木のぬくもりが印象的な、どこか懐かしいお店今回は別所温泉、北向観音参道にある「ギャラリー作る屋」さんにお邪魔しました! ここは多くの工芸作家さんの作品を集め、販売しているアート・工芸品ショップです。 木材を使った作品が多く、その一つ一つが丹精込めて作られており、思わず見入ってしまいます。 また店主さんもとても気さくなお方で、店内にある作品を一つ一つ丁寧に紹介していただきました! 木のぬくもりも感じられる、とても素敵なお店です!北向観音にお参りの際は、 ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか? ※お店の方に、記事の掲載許可を得ています。 また店内の作品は撮影禁止ですので、お立ち寄りの際はご注意ください!2022-11-30
89志”まん焼き志”まん焼き昭和初期から開店している富士アイス。 店名の由来である富士山は日本一を自慢しているから、そして長野県で初めてアイスクリームを売り出したことからこの名前になりました。しかし、志”まん焼きの「志」になぜ濁点がつくかはわかっていません。 今川焼きと同様の原料を用いて焼成されても形状が異なると様々な呼称があり、全国各地で同様な食品が作られています。大判焼きのように志”まん焼きもその一つです。2022-11-30
90長野で盛んなジャム作り長野で盛んなジャム作り日本で初めてジャムをつくったのは、明治10年。 東京の新宿にあった勧農局で、そのいちごジャムを試売したそうです。 企業としての始まりは、その4年後、1881年(明治14年)のことで、長野県人により缶詰のいちごジャムがつくられました。 以来、長野県はジャムづくりが盛んになりました。 上田で有名な、みすゞ飴本舗さんや、ツルヤスーパーさんで種類豊富なジャムが売られています。 長野特産のブルーベリーやあんずがおすすめです!2022-11-30
91桑折における養蚕業②桑折における養蚕業②現在桑折町では製糸業は営まれていません。しかし、いくつか名残りのある場所を発見したのでそれについて述べていきます。 まず、桑折町における養蚕業①で触れた郡是製糸工場ですが平成15年に建物が解体された後、東日本大震災の災害公営住宅が建てられています。郡是製糸工場時代の面影は庭園の一角にある「多行松」のみになってしまいましたが、「桑折町蚕糸記念公園」と名を付け、養蚕業によって繫栄した歴史を伝え、町民や来訪者の交流の場になることを願って新たに公園として再生されました。また、桑折町の伊達崎と呼ばれる地区にはかつて養蚕家だった大きな家が見られる他、桑折町の本町通りにある商店街には繭を取り扱う問屋である蚕問屋が今でも残されています。そして、実際に私が通っていた醸芳中学校では校章に桑の葉が2022-11-30
92桑折における養蚕業①桑折における養蚕業①福島県の北側に位置する桑折町は現在毎年皇室に桃を献上することから献上桃の郷として知られていますが、実は古くから養蚕との関係が深い地域とされています。 養蚕には、蚕を育てて繭を出荷する養蚕業と蚕種の売買の二つがありますが、桑折町では江戸時代からそのどちらの生産も盛んでした。そのため、桑折町を含む伊達地方の蚕種(蚕の卵)は「奥州本場蚕種」として全国に販売され、輸出もされていました。その後、明治からの昭和初期にかけては製糸業が発展しました。昭和8年には郡是製糸工場が桑折町に建てられ、約500人の女性従業員を雇用すると共に工場内に「家政女学院」が設立されたことにより、女性に教育と労働の機会が与えられたといいます。昭和22年には昭和天皇も視察として訪れ、記念として「蚕祖神」の記念碑の建設2022-11-30
93上塩尻における養蚕業②上塩尻における養蚕業②本来常田製糸場を訪れるつもりだったのですが閉館時間が過ぎてしまい、「手織り上田紬小岩井工房」に向かいました。西上田駅から国道のそばを通り、小道に入った先にありました。遅い時間に訪れたのにも関わらず、ご丁寧に案内してもらい、二階にある機織り機も見学させてもらいました。 上田紬は結城紬(茨城県結城市を中心)と大島紬(鹿児島県奄美大島の奄美市名瀬地区を中心)に並ぶ日本三大紬に選ばれており、丈夫かつしなやかで縦糸と横糸の重なりによって多様な柄や色合いを生み出すのが特徴とされています。 入ってすぐ左側には買い物ができるスペースがとられています。そこで様々な話をお聞きしましたが、中でも小岩井工房の方が考えられたという「りんご染め」の上田紬がとても興味深かったです。りんごの品種と媒染の2022-11-30
94蛍も集う紅の橋蛍も集う紅の橋別所温泉駅付近、きれいな赤色が目立つ「相染橋」にきました。 ちょうど紅葉の時期でしたので、ほんのり葉が黄色くなっていますね そして猫も発見!警戒してすぐ逃げていってしまいましたが…。 ここでは紅葉も楽しめますが、なんと夏になると蛍が見られます! (蛍の写真は6月中旬に撮影したものです) 皆さんも一度、きれいな蛍を見に行ってみてはいかがでしょうか?2022-11-30
95養蚕の証養蚕の証祖父母の家では農業の一環として養蚕が行われていた。当時使用していた道具が今も残されているそうなので取材もかねて訪問してみることにした。 一枚目の写真は糸を巻き付けておくもので内側には軸となる棒を通すための穴が開いている。 二枚目の写真は蚕の排せつ物を処理するための道具で蚕のいる台に敷き上に桑の実を置くことで登ってくるらしい 三、四、五、六枚目は桑を採るための道具で木を切るためのものや桑を木から外すための道具がある。 七、八枚目は実際に養蚕が行われていた建物で側面の通気口や天井に回転まぶしをぶら下げるための針金などが残されている。2022-11-30
96年代問わず集まる憩いの場年代問わず集まる憩いの場別所温泉駅付近にあるカフェ、「あいの日」さんにお邪魔しました! 学生含め、幅広い年代の方が来店するこのお店では、リラックスした雰囲気で手作りのケーキやコーヒーを楽しむことができます。 さらに店内には、かわいらしいつるし雛も飾られています! 個人的にもアルバイト後の楽しみとして、度々お邪魔しておりましが、 今後もその手作りケーキを楽しみにして、アルバイトも頑張らないとですね! ※お店の方に、記事の掲載許可をいただいております。2022-11-30
97そばが有名なワケそばが有名なワケ長野県といえば信州そばというほどに、そばは長野県の代表的な郷土食です。 郷土食として根付いたのは、やはり各地でそばが栽培されてきたことにあります。 冷涼な気候や狭い土地など、米や小麦が栽培しづらい高冷地に適した農産物として育てられてきたのがそばでした。 そのはじまりを調べると、多く登場するのが山岳修験道の開祖で、奈良時代に活躍した役小角(えんのおづぬ)です。 役小角ら修行僧が携行食としていたそばの実を村人に伝え、栽培方法とともに広がったという伝説が各地に残ります。 昼夜の寒暖差が大きい長野県では、澱粉がしっかりと熟成したおいしいそばを育てることができます。 そばは、主にそば粉と水からつくられるものです。 そして茹であがったそばは冷えたたっぷりの水でぎゅっと締められます。 いま2022-11-30
98上塩尻における養蚕業①上塩尻における養蚕業①上田駅からしなの鉄道で一駅の場所にある「西上田駅」。 「西上田駅」は1920年(大正9年)に塩尻区の養種家などの請願によって国鉄信越本線の「北塩尻駅」という名で開業されました。1956年(昭和31年)に現在の西上田駅に改称されています。 駅前には【まゆ浪漫】という上塩尻における養蚕業の名残りに触れられるような散策ルートと説明が書かれた大きな看板が設置されていました。2022-11-30
99老農船津伝次平老農船津伝次平船津伝次平は日本三老農の一人で養蚕の基本である桑栽培を研究し「桑苗簾伏法」を出版した。また、養蚕に限らず農業の近代化に貢献しており東京大学農学部(駒場農学校)の講師として農学の指導をしていた。2022-11-30
100上田市発祥の美味だれ上田市発祥の美味だれ美味焼き鳥は長野県の上田市発祥のご当地グルメ。 すりおろしたニンニクが入っている醤油ベースのたれをかけて食べます。 2010年に信州上田の食文化を表現していこうと市民によって「美味だれ」と名付けられました。 「おいだれ」はもともとあった方言で、「おまえたち」という意味があります。 そこに「美味しいタレ」と後から追ってかける「追いかけるたれ」という意味を語呂合わせて「美味だれ」となったそうです。2022-11-30
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