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1
3Dで藤本蚕業歴史館をデジタルツイン化
上塩尻にある藤本蚕業歴史館の新しい情報空間のご紹介です。 ★藤本蚕業歴史館ウォーク https://d-commons.net/fujimoto-walk/ 資料館はとても行きにくいし、行っても資料を見るのも大変です。このたびデジタル技術を使って、資料館まで行かなくても館内をバーチャルに歩き回り、資料にアクセスできるバーチャル空間にしました。本物の資料館がそこにあるかのように再現する技術を「デジタルツイン(デジタルな双子)」と呼んでいます。その試みです。長野大学前川ゼミの協力により藤本蚕業プロジェクトが制作しました。 皆さんもどうぞバーチャルな体験、資料へのアクセスをお楽しみください!
2024-02-27
2
上田合戦の上田城
上田城は二度の徳川軍の襲撃を耐え、撤退に追い込むことができた。徳川軍との戦いは上田合戦と呼ばれ、1585年と1600年に勃発した。 1585年の第一次上田合戦は真田と徳川の間で領地問題が発生したことで起きた。徳川軍7000に対し、真田軍は加勢込みで2000弱しかいなかったが、上田城の急な崖と千曲川の増水、狭い道におびき寄せて叩く様々な策略を用いたことで死者を抑え、撤退に追い込んだのである。 第二次上田合戦は関ヶ原の戦いの前であり、石田か徳川のどちらにつくかで石田についたことで起きた。返答と面会を遅らせた上に、あえて徳川軍をおびき寄せてから反撃する策によって、徳川軍に打撃を与え、関ヶ原への到着を遅らせたのである。 上田城のように大きな合戦に二度も勝利した事例は少ない。この勝利は知恵と地の利がもたらしたも
2024-02-12
3
千曲川橋梁
千曲川橋梁は、上田電鉄別所線の鉄道橋である。かつて、上田盆地には、多くの地方鉄道が存在していた。多くあった鉄道路線の中で、「川西線」を現在の信濃鉄道に乗り入れるために、建設された。今も長く愛される上田電鉄別所線を支えている。
2024-02-11
4
白山比咩神社
白山比咩神社は、天平3年に上田地方において疫病が流行した際、加賀の国(石川)の白山より分産したとされる。弘安元年に現在の位置に再建され、眞田昌幸・信之などの戦国武将からの寄付状など、歴史を物語る資料が多く残されている。幕末から明治初期に信濃の地で活躍した宮大工の彫り物なども多数存在し、先人たちが地域の文化財として脈々と守り受け継がれてきたことが理解できる。 白山比咩神社は毎年初詣に行く神社であり、私の住んでいる地元住民に親しまれている神社である。初詣に行くだけで、石碑などの存在を認識していなかった。歴史についても調べる機会はなかったので、親しみある神社について知ることができ良かった。
2024-01-30
5
上田城
上田城跡公園は、上田駅から徒歩12分で行くことができる。 上田城は1583年に真田昌幸によって築かれた平城で、上田盆地の中央に位置している。 堀と土塁で囲まれ、出入口に石垣が使われている簡素な城であるが、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し、天下にその名が知られる有名な城となった。 春は桜が咲いており、とても綺麗で上田城の見どころのひとつである。 四季によってさまざまな上田城の姿を見ることができる。 上田城 桜
2024-01-28
6
上田城内
上田城は、真田昌幸が真田氏当主であった1583年 に築城が開始された平城である。1585年の第一次上田合戦では攻め寄せた徳川軍を撃退し、その後、関ヶ原の戦いの第二次上田合戦でも東軍別動隊の徳川秀忠軍を退けた。のちに天下統一を成し遂げた徳川軍を二度も退けたことにより、「落ちない城」として現代でも語り継がれており、受験シーズンには合格祈願をする受験生で賑わうことが多い。
2024-01-25
7
石久摩神社
石久摩神社は隣の川辺小学校とつながりが深く、北鳥居の下に埋められたタイムカプセルの中に児童作文があります。 また、東鳥居付近にある上田原自治会館では5年に1度「上田原古戦場祭り」が行われます。
2024-01-25
8
紺屋町 八幡神社
上田市中央西にある神社。境内には小さな公園もある。 市指定の文化財に指定さている「紺野町八幡社絵馬」が奉納されていた。現在は上田市立博物館に展示されている。 1688(貞享8)年、徳川綱吉が世を収めていたこの時代に当時の上田藩主、仙石政明らによって奉納された大絵馬である。高さは102㎝、幅160cmの大きさを誇り、黒と白の大鷹が描かれている。長谷川派の作者によるもの。 この神社は上田城から見て鬼門の方向にあるため、当時から上田城主に手厚く保護されていたようだ。 近くにはスーパーやホームセンター、喫茶店があるため買い物やお茶ついでにいらしてほしい。
2024-01-20
9
上田城跡
真田昌幸によって築かれた上田城。 この城は真田氏が「関ヶ原の戦い」を含む、二度にわたって、徳川の大軍を追い払った実践経験のある城として有名である。 廃城となったが、現在でも本丸と二の丸には土塁、石垣、堀跡がある。 また、本丸の三基の櫓は昔の姿をとどめており、観覧が可能である(有料)。 堀跡の周りを一周できるように道が整備されており、観光しやすい文化財である。 敷地内や周辺には”真田神社”や”市立博物館”、”児童遊園地”などがあるので 歴史の理解を深めたい方や家族連れなど幅広い方々に楽しんでいただけると考える。 上田市では最も有名な文化財であり、観光スポットであるので まだ訪れたことのない方には是非歴史の一部を体感しに出かけてもらいたい。
2023-12-26
10
超誓寺
超誓寺は上田市神畑にある浄土宗系の寺院。京都府にある御末寺を総本山としている。御本尊は阿弥陀如来三尊像。 この寺の由来は、大永年間(1520年代)に足利将軍に仕えていた浦和式部大輔が神畑の山中にあった庵に篭り出家し、超誓道俊と名乗ったことから始まる。深く村人に慕われていた道俊であったが、亡くなると庵、尊像共に参拝する人も減り次第に荒れ果ていった。これを悲しんだ村人は永禄11(1568)年の神畑のこの地に、超誓寺を建立した。ちなみに、この年は織田信長が足利義昭を擁して上洛した年でもある。 境内には宗派を超えてお薬師様と親しまれた薬師如来像が安置されているお堂や武田信玄が川中島合戦に祈願したといわれているお堂もある。 寺下駅からも近く参拝は比較的容易。4月頃の夜になると桜の木がライトア
2023-12-21
11
男池
日本遺産の「塩田平のため池群」の一つである。上田市の池は戦国時代から昭和時代までの間に数多く作られてきた。その背景には、上田地域が全国でも有数の寡雨地域であることがある。一方、雨が少ないため晴天の日が多く、気温も低すぎることは無かった。したがって、肥沃な土地で農業用水を確保さえすれば、水田農業に適した土地であった。農民たちはため池を造成し、男池も農業用水確保のために作られた。男池は、江戸時代に仙石氏が統治していた時に作られたため池であるとされている。江戸時代では、ため池の存在は重要であったため上田藩をあげて作られた。現在の男池は、農業用水として使われ、産川からため池に水を貯水している。男池の貯水量は約50000㎥で、満水面積は約20600㎡、堤高は8mである。 男池が作られた背景を知る
2023-11-30
12
あいぞめ橋
「西行の戻り橋」とも言われている赤くて綺麗な橋で、湯川にかかっています。周りには木々が並んでいて川のせせらぎを感じることが出来るので夏には涼むことが出来そうです。(記事作成者が訪れたのは秋だったのでまた夏行きたいです。) 「西行の戻り橋」の由来は、以下のように伝えられています。 橋を通りかかった西行法師は、子どもたちがワラビをとっているところに出くわしました。そこで法師は「ワラビ」と「藁火」を掛けて、子どもたちに「ワラビ(藁火)をとって手を焼くな」と言います。すると子どもたちは「ヒノキ」(樹木の一種)と「火の木」を掛けて「ヒノキ(火の木)笠着て頭を焼くな」と返します。 このような機知に富んだ返しをする子どもたちに参った法師は橋を渡らずに戻ったということです。 なお、似た由来の「西
2023-11-08
13
いにしえの丘公園・下之郷古墳群
長野県工科短期大学校の北、いにしえの丘公園にある古墳群。塚穴原第1号古墳と2号古墳がある。 古墳時代、塩田地域に豪族がおり、それなりに栄えていたことがわかる。 小高い丘にあり、周囲に川の流れている様子はない。現在残っているため池などはほとんどが江戸時代に造られたものであり、古代に水不足があったのか、どう対処していたのかについてはあまりわからない。
2023-11-07
14
於佐加(おさか)神社
長野市を流れる犀川の南岸旧・丹波島宿の最西端に位置する神社。 丹波島宿は、善光寺街道の重要な宿場町で東西に約654mの距離がある。善光寺参りの最後の宿場であるため、参拝者や旅人たちが多く利用した。 「丹波島の渡し」の無事を祈ってこの於佐加神社に参拝した。 現在でも地元の住人が参拝している様子が見られた。 写真は於佐加神社の案内掲示板。小坂神社の外観(鳥居)。摂社。旧・丹波島宿の地図。旧・丹波島橋の一部。狛犬などである。 小学生の頃に公園代わりによく遊んだが、久しぶりに訪れたら、ブランコとジャングルジムといった遊具がなくなっていて驚いた。
2023-05-11
15
道遊の割戸
道遊の割戸は、金銀山が有名とされる佐渡でも、開発初期の採掘地とされる日本最大の露頭堀りの跡である。 これは、機械などのない江戸時代に人間が人力で掘ったとされるものであり、改めて当時の人間のすごさを感じた。
2023-05-05
16
上田市立博物館
上田市立博物館に行き真田幸村(信繋)について学んできました。 真田家は織田、武田、豊臣家など仕える先を転々としており、豊臣家に仕えた時期が一番長かったそうです。 徳川家と豊臣家の関係が悪化してきた頃、幸村は豊臣家に誘われ、大阪城入りをします。 そこで真田丸という砦を城南に作ります。 その後に勃発した大阪冬の陣で徳川を破り、幸村は武名をあげました。 しかし、その後に起こった大坂夏の陣で徳川、真田両軍とも力尽き、幸村は命を落としました。 幸村がどんなことを行った人なのかよく理解していなかったので知ることができてよかった。 このほかにも上田の歴史を様々な面から見ることができて勉強になった。 また、十勇士の中で穴山小助、海野六郎などは実際に絵があったため 存在する人物であったと考え
2023-01-23
17
上田城の堀の秘密
上田城の堀には1箇所欠けている部分があります。 これは建設当時、風水において縁起の悪い方角を無くす目的があったそうです。これがあったからこそ真田晶幸は徳川軍を退けることができたのかもしれません。
2022-10-29
18
上田城跡
上田城跡に友達と行きました。石垣についての説明を読んで、石垣で大きい石を使っているのは権威を示すためだとわかり、面白かったです。そして石垣にも歴史があるのだと新しい発見でした。
2022-10-28
19
真田神社
受験の時以来に真田神社に訪れたのですが、絵馬で飾られた道や真田像など綺麗で、歴史好きにはたまらない場所だなと感じました。今後も大事な時にはお参りしたいと思いました。
2022-10-28
20
丸山邸
たそがれ清兵衛のロケ地です。石垣はかつて上田城のものだったようです。明治時代にこの場所に移されたとの事です。とても歴史を感じました。この辺は川辺で涼しく散歩にちょうど良いです。 上田市は自分が思ってた以上に歴史に満ちあふれてると思いました。
2022-10-24
21
丸山邸
諏訪部という地域の矢出沢川沿いには丸山邸という石垣造りの立派な邸宅があります。この石垣はもともと上田城から運んできたらしいです。実は10年前くらいに丸山邸は火事で屋根が落ちていたりもするんですが、そんなことを微塵も感じさせないほど繁盛してます。今は邸宅内の蔵を改造して映画鑑賞ができたり、お洒落な観葉植物を販売していたり。時間の都合上カフェの写真はありませんが、ここの蕎麦はおいしいとのこと。是非!
2022-10-24
22
眞田神社
徳川軍から2度も守った不落城の上田城。不落ということから受験に落ちない、として縁起のいい神社である。受験前に訪れた人も多いのではないか。
2022-10-24
23
上田城跡公園
上田市1の観光スポット。真田昌幸が建て、徳川軍から2度も守った不落城である。春には千本桜まつりが開かれ大勢の人が訪れる。
2022-10-24
24
上田城 二の丸跡
上田探検の西部地域の最終地点は、上田城の二の丸跡である。上田市に来たら訪れない人はいないのではないだろうか。第一次、第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城。大河ドラマ真田丸でも有名なこの地に、容易にアクセスできることは、非常に貴重なことであると再認した。
2022-10-21
25
上田自由大学を彷彿させる旧山越脩蔵宅
1921年、上田で「信濃自由大学」(後に上田自由大学)が始まってから約100年が経過しました。当時の神川村の青年だった山越脩蔵、金井正らが始めた上田自由大学は「学ぶとは何か」「自由とは何か」といった時代を超えた根源的な問いかけを現代に対しても投げかけています。 今日8/23、たまたま信濃国分寺の周辺を訪れました。上田自由大学の主要メンバーの一人、山越脩蔵(1894-1990)の生家が現在も残っています。その屋敷の広大さは外塀の大きさからもうかがい知れます。しっかりと綺麗に保全されていることに感心をしました。道路側から見える手前は増築された建物。山越脩蔵が暮らしていた時代の母屋はその奥にあります。 現在はバックパッカーが宿泊できる宿として運営されていることを知りました。歴史的な建造物をこのような形で保全・
2022-08-23
26
上田城
大きな門がお出迎えする上田城。ここで思い浮かべるとしたら真田一族をおいて他にないでしょう。真田の父、真田昌幸によって築城された上田城は第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られています。NHKの大河ドラマ「真田丸」でも注目を集めました。また、上田城の東虎口櫓門(ひがしこぐち・やぐらもん)はサマーウォーズの陣内家の門のモデルになっています。 観光客の姿は、門付近と真田神社で多くみられましたが、上田城跡公園内は忍者修練場などはあるものの、閑散としていている印象をもちました。 途中に博物館もありましたが、人はあまり入っていないようでした。個人的な感想ですが、資料館には堅い雰囲気があり、気軽に入りずらいということと興味のない人は楽しみ方がわからないと
2022-08-09
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所沢航空発祥記念館
所沢航空発祥記念館を訪れました。航空マニアの少年少女にとってはたまらないほどに面白い施設なのではないだろうかと思いました。日曜日、多くの子どもたちが訪れていました。父親よりは母親同伴が多い。女の子もいるけれども総じて男の子が多い。 とは言え、あまり航空機にインタレストがない私には正直なところ、面白がりようがない、というのが正直な感想です。妙に冷めた感じで館内を見学してまわりました。インタレストがないとはこういうことか、という得難い体験をさせてもらったという感じです。 ★
所沢航空発祥記念館
https://tam-web.jsf.or.jp/
開館は1993年とのこと。かれこれ30年近くが経過したことになります。この後訪れた角川武蔵野ミュージアムも同じミュージアムな
2022-06-05
28
角川武蔵野ミュージアム、ミュージアム概念の革新
★
角川武蔵野ミュージアム
https://kadcul.com/
角川武蔵野ミュージアム(所沢市)には心地よくインスパイア―されました。社会のデジタル化が進み、社会が知識循環型に大きくパラダイムシフトしつつある現代において日本ではその兆しすら見えにくいというのが実情です。そのような現代において、思うように進まないМLA(Museum, Library, Archives)連携をいとも簡単に乗り越え、しかも古臭い施設の既成概念をひきずることなく、誰もが知的に楽しめる、そして親しめる新しいタイプのミュージアムを具現化しています。見事というしかありません。 産業の斜陽化が止めようがない出版業界の雄でもあるKADOKAWAが世界の知識体系・知識環境がデジタル化により否応なしに再編されつつあるアートや文化のコンテン
2022-06-05
29
さながらワルハラ城、角川武蔵野ミュージアム
所沢に出現した巨大な石造りのように見える城塞。何だと思いますか? 現代の都市環境に石でできた堅牢な城塞に見えます。周辺の都市環境の中で、一際目立ち、異物感があります。誰もが「なんだ、あれ」と思って見てしまうインパクトがあります。さながらワルハラ城。ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指環』のあの神々の城を真っ先に連想しました。あの隈源吾さんの建築デザインとは後から知りました。 角川武蔵野ミュージアムはこの異物感のある建築ばかりでなく、施設のコンセプト自体が常識を覆す画期的なミュージアムです。建物から歌舞いて(とんがって)います。松岡正剛さんが館長。ホームページを見ると、松岡正剛館長がいかにも、という感じで、そのコンセプトを披露しています。これは面白い! ★
角
2022-06-05
30
上田飛行場跡(上田千曲高校)
上田千曲高校に足を運び、戦前に上田市に存在した「上田飛行場跡」の碑を見に行った。 碑には戦時中の上田地域での主な出来事などが記されており、飢饉があったことなどがわかった。
2022-05-17
31
江戸の上田藩中屋敷跡を対岸から望む
▲上:上田藩中屋敷跡を対岸から望む ▼下:『江戸切絵図・浅草御蔵前辺図』の部分(屋敷は松平伊賀守と記されている) (下記国立国会図書館の図版を使用) 隅田川のこの地点(▲上)は、東京都墨田区横網町になります。ちょうど背後に両国国技館がある辺りの位置です。対岸は浅草橋付近、かつては浅草瓦町と呼ばれた辺りで、上田藩中屋敷の跡地になります。向かって右手方向は幕府の御蔵(米蔵)が建ち並んでいた場所になります。言い換えれば、舟運が物流の主流であった時代、ここがまさにその物流の江戸の中心地でした。 上田藩の江戸屋敷は年代によって変遷します。上屋敷は長らく神田の昌平橋付近にありました。上田藩主松平忠固が老中になったのに伴い、上屋敷は大名小路(現在の皇居外苑)に移ります。その後、幕末はこの
2022-05-09
32
六十里越街道を歩く
2004年5月「六十里越街道を記録する会」矢野光夫氏一行と残雪の六十里越街道を歩きました。 国道112号線の月山沢トンネル左手に作業道があり、この付近より旧街道が残っている。ここから手前はダムに水没しているので、街道の跡が現存しているのは椿沢が実質の起点になっていると言えよう。この道を500mほど登ると一本木茶屋跡がある。
2022-02-03
33
サントミューゼは散歩にも最適
外周してみて感じたのは、サントミューゼは敷地が広く、施設まわりのアプローチも整備されているので、グルっと一周するだけでもいい散歩になるということだ。実際、犬を連れて散歩する人をよく見かけた。 また、駐車場の方へ行くと川沿いの歩道に上がることができるスロープがある。川沿いの道へでると、千曲川と山々、住宅、不思議と調和する上田市の街並みが見られる。夕方に行くと夕日も見れるのでオススメだ。 そして、スロープを上る途中、サントミューゼ越しに雪を被った山が見えた。サントミューゼがその自然の景色を邪魔をしていないことに驚いた。
2022-01-26
34
大正二年上田町市街図
測量による地図が作成されるようになったため、方位・縮尺が地図に記入されるようになり、凡例にある地図記号も用いられるようになった。しかし、かなり簡略化された地図だ。地図からは、市街地の周囲は水田や畑が広がっていたことがわかる。 大正期の上田は、養蚕業とその関連産業が隆盛を極めており、市街地北方に「大星川原種桑園」、南方に「鴨池種桑田」などの広大な桑園が見られる。 また、「上田蚕糸専門学校」(現信州大学繊維学部明治44年開校)、「小県蚕業学校」(明治25年開校、大正12年現在の上田東高校の地への移動)も見える。
2023-05-06
35
上田城の歴史2
関ヶ原の合戦後、上田城は徳川の手で破却されたが、真田に代わって上田城主となった仙石氏によって復興された。1626年に修復された上田城は真田氏時代の縄張りを受け継いだとみられ、仙石氏の後に城主となった松平氏の代になっても、その姿にほとんど変化はなかった。明治維新後、廃藩置県により1874年に上田城は民間に払い下げられ、再び廃城となった。この際、本丸付近を一括して購入した丸山平八郎氏は、1879年の祭り神社(現真田神社)創建に当たり本丸南側の土地を神社用として寄附し1893年には残りの土地を遊園地要として寄附した。これが上田城跡のの公園化の第一歩になった。
2021-11-14
36
上田城の歴史
上田城は、真田幸村の父、真田昌幸によって1585年に完成したと考えられている。初め徳川家康のもとで上杉に対する城として築かれたが、沼田領の帰属をめぐり、徳川と手切れとなり、その後上杉方の城として完成した。 その直後、徳川の大軍が上田城を責め、第一次上田合戦(神川合戦)が勃発したが、昌幸の巧みな戦術により徳川軍は大敗した。また、1600年には関ヶ原合戦の前哨戦といえる第二次上田合戦が起こり、徳川秀忠率いる3万8千人の軍勢が攻め寄せたが、これも見事に退けた。この徳川との二度の合戦に勝利したことで、真田と上田城の名は、天下に知られるところとなった。
2021-11-14
37
駿府城
これは静岡市にある駿府城の写真である。別名が静岡城や府中城。築城主は徳川家康であり、石垣やお濠などが存在する。いくつか再建造物があるがとても歴史があるものである。上田には上田城があるため相違点や類似点などを見る懈怠と思う。
2021-05-05
38
牛伏寺
金峯山牛伏寺は、西暦756(天平勝宝7)年に建立されたお寺です。その名の由来は、宋の玄宗皇帝が善光寺に赴く途中、連れの牛が二頭同時にこの地で死亡したことであるとされています。 厄除けで非常に有名なお寺で、私も一度厄除け大祭に行ったことがあります。毎年とても多くの人でにぎわいます。 山の中に鎮座していることもあり、車が無ければ行くことが難しいので学生にとっては参拝のハードルが高いかもしれません。ですが、パワースポットとしても有名なほど荘厳な雰囲気に包まれたお寺なので一度行ってみる価値はあります。 参考:金峯山牛伏寺公式 http://www.gofukuji.or.jp/ 画像引用:「山とカメラと僕の覚書」https://yama10camera.com/goshuin-201701-gofukuji/ 画像アドレス:https://yama10camera.com/wp-content/uploads/2017/01/20170129o-080.jpg
2021-05-05
39
上田原合戦の中心地・石久摩神社
武田信玄と村上義清が武力衝突した上田原合戦(1548)の中心地。境内にはその歴史を伝える上田原古戦場の碑が置かれている。現在の静かな住宅街の様子からは、そのような戦いがあったということはとても想像できない。
2021-05-05
40
上田城跡公園
徳川家康が上杉氏に対抗するために築城した。その後上杉に奪われ増築されている。真田氏が第一次上田合戦時、徳川の軍を撃退。現在残っているモノは江戸時代に再建されたモノらしい。堀は深く出入り口も限られているため、責めるのはとても苦労したことがうかがえる。自然豊かで、落ち着いているため観光目的でも休憩目的でも立ち寄る価値は十分あると思う。
2021-05-05
41
愛宕神社(仁古田)
川西の仁古田地区の愛宕山中腹に建立されています。火伏の神が奉られているとされています。見晴らし台も設置されていたりと、周りの景色を楽しみたい方にはオススメです。パワースポットとも呼ばれていることがあるという噂なので、ハイキングを兼ねていかがでしょうか。私も登りましたがとても良い運動になると思います。
2021-05-05
42
上田城跡公園
上田城は、徳川の大軍を2度にわたって退け、日本全国に名を馳せた真田昌幸の居城です。 現在は城跡公園として整備され、上田市の観光拠点になっています。
2021-05-03
43
六供無縁堂(六供区無縁仏墓地公園)
小諸市六供区、18号下の中沢川近くに、寛保2年(1742年)8月の戌の満水と呼ばれる大水害で亡くなった無縁仏の墓地。 小諸市のホームページ https://www.city.komoro.lg.jp/official/kanko_sangyo/kanko/rekishi_bunka/2/6696.html によると、この水害では 「小諸では旧暦8月1日に、六供、本町、田町、袋町、さらには小諸城三之門なども流失する大災害となりました。小諸城下では、507名の死者を出しました。 六供無縁堂は、死者の御霊を供養するとともに、災害復興を記念して1754年8月1日にこの地に建立されました。」 とのことです。 二十三夜塔も2基あります。
2021-02-28
44
北沢大石棒
佐久穂町 説明板より 北沢川の大石棒 今から四千数百年前(縄文時代中期)眼前に広がる南台地に生活していた人々が、動植物の豊穣と人間の甦りを願っての信仰のシンボルとして、豊かに湧きあがる泉のほとりに建立したものと思われる。なおこの石棒は、日本最大のものとして知られている。 [石棒] 二.二三メートル、溶結凝灰岩(佐久石) [石柱] 柱状節理流文岩 昭和六十二年八月 佐久穂町教育委員会 (※当初の説明板の記述は「佐久町教育委員会」だったと思われます。)
2020-12-20
45
岩鼻
上田盆地の西側に位置し、昔は一続きであったとされる岩が千曲川の浸食によって削られて今の形となりました。道と川の駅から見る岩鼻は迫力がありました。
2020-11-14
46
上田城の堀
上田城は上田合戦で徳川軍に2度勝ったということで有名ですが、この深い堀を実際に見るといかに上田城が攻めにくい城であったかということが分かりました。
2020-11-05
47
上田城 真田神社
上田城本丸跡にある神社で、真田・仙石・松平の歴代上田藩主を祀っているそうです。 真田神社は、徳川の大軍でも攻め落とされなかったことから「落ちない」縁起をかついで受験生などに人気になっているようです。 また、絵馬のトンネルもあり、幻想的で見ごたえがありました。内容は受験に関することが多かったです。わたしもこれから資格取得や就活の時にはお参りしようと思います。
2020-11-03
48
上田城
上田市に引っ越して間もない5月に上田城を訪れました。 上田城は真田幸村の父、真田昌幸によって築城され、徳川氏の軍勢を2度にわたって撃退したことで有名です。巨大な堀、城への入口の狭さなどの敵軍を寄せ付けない様々な工夫から、築城能力の高さがうかがえます。 私が上田城を訪れた時は春でしたので、木々には緑の葉が生い茂り、共に見る上田城はとても美しかったです。桜や紅葉の時期に行けばまた違った美しさがあると思うので、ぜひまた行きたいと思いました。
2020-10-04
49
上塩尻 蚕種製造民家まちなみウオッチング
私の所属するJIA(日本建築家協会)長野県クラブと、長野大学前川道博研究室において、上田市上塩尻地区に残る蚕種製造民家や歴史的な街並みの見学会が行われました。全国的にも珍しい民家建築が多く残るこの地の未来に向けた保全や活用方法を考えるきっかけとして、企画されたもので、詳しくはJIA長野県クラブのHPの会員レポートをご覧ください。 https://jia-nagano.com/blog/9487.html
2020-08-07
50
前山塩野神社拝殿及び本殿
独鈷山〔とっこざん〕の北の山麓に位置し、その古さを物語る大きく深い森につつまれた神社が前山の塩野神社です。神社の前には太鼓橋がかかっていますが、その下には独鈷山の清らかな湧き水が滝となって流れ、それがやがて本流の産川と合流して塩田平を潤〔うるお〕しています。 この建築物を選んだ理由としてはこの神社には建物の歴史と言える棟札が、文明年間より今日まで30枚そろっていることや「甲子〔きのえね〕大祭」といって60年毎の神事が継続され、盛大に行われているため、いつか行ってみたいと思ったからです。
2020-08-06
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下塩尻蚕種製造民家群の佇まい
2017/11/27の記録。日本一の蚕種製造地を私は「上塩尻蚕種製造民家群」と呼んできましたが、より包摂的には「塩尻地区蚕種製造民家群」と呼ぶのが適切です。本日、日本ナショナルトラストのUさんが上田に来訪され、地元の方と塩尻地区(秋和・上塩尻・下塩尻)を見聞しました。 下塩尻はこれまであまり見聞したことがなく、地元のMさんの御案内で私も認識を新たにしました。下塩尻は北国街道沿いばかりでなく、千曲川沿いの一帯に「蚕種製造民家群」が集積しています。上塩尻と違い、千曲川沿いの低地に屋敷が広がっているせいか、一軒一軒の家々の敷地が広く、狭いところに屋敷がひしめきあう上塩尻とは対照的です。総じてゆったり感があります。その佇まいが下塩尻の景観をなしています。川べりという立地のせいか、集落の景観が群馬県
2020-07-18
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雪で姿を現す段々畑の桑園
2018/01/23、雪が降った塩尻の背後の山々を上田道と川の駅から遠望してみました。道と川の駅と塩尻は千曲川を挟んで対峙しています。視界を遮るものがないので、よく遠望できます。 山腹に水平に走るいくつもの筋が見えます。これが段々畑の跡です。ふだんは見えませんが、雪が降ると段々畑の筋がはっきりと視認できるようになります。 以前見た時より筋が多くありませんが、この現象は雪の降雪の度合いなどにも影響するのでしょう。それでも筋がはっきりと見えます。久しぶりに段々畑の桑園の筋を見ました。
2020-07-18
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小県蚕業学校(上田東高)の校歌
2018/05/10、1年生ゼミでの上田探検。信州大学繊維学部に続き、上田蚕種へ。信大の裏口から実にアクセスしやすいミニマムパスを見つけ、そのパスを抜けると旧小県蚕業学校(上田東高校)の真ん前に出ました。 小県蚕業学校は全国で営まれていた養蚕を各地で指導する養蚕教師を養成していた中等教育機関です。全国からここへ養蚕を学びに生徒が集まっていました。国の基幹産業でもあった蚕糸業(養蚕)を支える人材を育成していた学校です。このような言い方が適切かどうかわかりませんが、現在は全国のどこにでもあるいわゆる「普通高校」と化してしまいました。かと言って蚕業学校のまま、現在に残るわけにもいきません。普通高校と化したのはやむを得ない。 この学校の歴史の重さはその校歌にも刻まれています。通過する道路際から
2020-07-18
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上塩尻元宿・蚕室民家の佇まい、清水さん宅
2018/11/05、上塩尻・元宿の清水さん宅を訪れました。元宿は上塩尻の中心である北国街道沿いの大村とは違い、千曲川沿いの平坦な土地に広がる区域です。かつて千曲川の大洪水により壊滅的な被害を受けた歴史的背景があります。その一方で、千曲川の上流から運ばれる肥沃な土砂が桑の栽培に適し、この地の蚕種製造を育みました。この条件は千曲川沿いに広がる下塩尻にも共通しています。 清水さん宅の主屋は上田市の調査資料によると明治28年に建てられたらしい。蚕種製造民家の多くが明治20年代に建てられています。門の構えも立派です。中庭も丁寧に手入れがされて、屋敷全体の佇まいが美しい。家の品格というものを感じます。 清水さん宅の敷地からは上塩尻の中心の集落が遠望できます。背後に虚空蔵山系の山が一望できます。蚕種製造
2020-07-18
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上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。 幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んでいました。その当時の蚕種製造民家は現在もなお数多く残り、「蚕種製造民家群」という全国的にも稀有な歴史的景観地区となっています。
2020-07-18
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上塩尻の景観
2018/09/09、(長野県上田市)上塩尻へ立ち寄ってきました。北国街道沿いに広がる上塩尻の景観が美しい。それぞれの家々は街道沿いには塀がめぐらされて門が構えられています。飾り気がなく、シンプルな集落の佇まいです。特色あるのはそれぞれが二階建ての瓦葺の建物で、2階に蚕室が備わっていること。建物も塀も質が高く、それが趣のある文化的景観をつくり出しています。二階の蚕室の雨戸も景観に美しさを添えています。旧街道の道筋は車が1台通過できる程度の幅しかありません。車を屋敷の中に入れる事は不可能です。現代の生活に欠かせない車が屋敷の中にすら入れない不自由を抱えながら、古い建物が維持され、このような美しい景観が維持されていることに感銘を受けます。 西側に面している建物は細い路地に面し、窓のない木造
2020-07-18
57
日向吉次郎翁記念碑
日向吉次郎翁記念碑 島崎藤村識選文 大正11年6月建立 謡曲の師匠。「千曲川のスケッチ」にも描かれている。 荒町光岳寺境内 http://www.komoro.or.jp/hinata.html http://www.asamadake.co.jp/kanko/toson_07.html
2020-07-15
58
大里村役場跡碑
碑文 大里村役場跡 小諸市長 塩川忠巳書 大里村役場沿革誌 明治二十二年市町村制実施により大里村発足 諸二〇七番地に役場開設 大正十五年大里尋常高等小学校隣接地諸字矢鼻 二六番地ー二近代的役場新築 昭和二年新役場により事務執行 昭和二十九年市町村合併法により小諸町になる 同 年四月小諸市となり諸支所となる 昭和三十八年諸出張所となる 昭和四十四年諸出張所廃止 平成四年三月吉日記念碑建立 記念碑建立実行委員会
2020-07-13
59
六供中沢川仲乃橋のところの道標
「右浅間山 左菱野冷泉」
2020-07-01
60
上田城
真田昌幸が築いた平城である。2度にわたって徳川軍を撃退したことで知られている。上田城は天守閣がないため、見どころがないように感じるが城好きには十分楽しめると思う。個人的には城の南側から見る尼ヶ淵側の石垣が迫力がある。もちろん、上田城といえば写真の東虎口櫓門がイメージされるが、これもまた迫力があり、とても美しい。
2020-06-23
61
吉田原古墳
蒼久保地区みすず台にある古墳で、墳丘や内部の石室の状態がほぼ完全に残っている。 現在は団地の中の古墳となっているが、もともとは神川が千曲川に合流する東側の段丘上の見晴らしの良い場所に造られた古墳である。
2020-06-12
62
上田のシンボル 上田城
上田市のシンボルとも言える上田城は真田信繁(幸村)の父、真田昌幸によって築城されました。 第一次・第二次上田合戦で徳川軍を二度にわたり撃退した難攻不落の城として知られ、あのサマーウォーズのモデルにもなっています。 現在は花見や観光、ウォーキングの名所として広く親しまれています。
2020-05-26
63
城山公園の橋たち
ここは栃木県小山市にある城山公園です。 この市は小山評定が開かれたことから「開運のまち おやま」として歴史をブランドとして全国に発信しています。 さて、公園として多くの方が利用しているこの地、実は かつて栃木県が下野国と呼ばれていた頃、小山城(祇園城)というお城があったそうです。 その跡地につくられたのがこの公園です。 今でもその名残として複数の橋がありました。 それぞれ、色も形も異なる橋とそれらが纏う雰囲気に以前から惹かれていたので少しでも写真で伝わればと記事にしてみました。
2020-05-26
64
毘沙門山古墳
これは栃木県にある毘沙門山古墳という寒川古墳群蹟の一つです。 田んぼがずっと広がっている平地にポツンとここだけ木が生え膨らんでいたので以前から何か気になっていました。 近づいてみると説明書きから寒川古墳群蹟で現存する唯一の古墳であることが分かりました。 5世紀後半に造られたとされる古墳で正確な規模は不明なものの推定全長41.2メートル、後円部34メートル、高さ5.18メートル、周湟幅約1.2メートルの前方後円墳だそうです。 また、周湟内からは土師器や埴輪片なども発見されているそうで何だかワクワクしました。 実際に前方後円墳を見たのは初めてでしたが、地上からではあまり形のイメージが湧かない不思議なものに感じました。
2020-05-26
65
平和の剣
この写真に収まらないほど大きなもの、実は「平和の剣」という日本一巨大な剣です。 これは栃木県にある白鷺神社のご祭神である日本武尊(ヤマトタケルノミコト)のシンボルとして奉納されています。 全長12メートル20センチもあるこの剣は様々な人の平和や幸せへの願いが込められています。 触れることができるので私もパワーを頂いてきました! 迫力があるものなので多くの方に是非知ってもらい、あわよくば行ってもらいたく記事にしました。
2020-05-26
66
塚田歴史伝説館
巴波川沿いにある風情ある蔵の景観を見せてくれる江戸時代の材木問屋の家屋を歴史伝説館として公開しています。塚田家は江戸時代後期の弘化年間(1844~48)から木材回漕問屋を営んできた豪商でした。当時は木材を筏に巴波川から利根川を経由して江戸深川の木場まで運んだと言われています。蔵芝居《巴波川悲話》のロボット人形劇では、ロボットおばあちゃんの三味線演奏がとても印象深いです。
2020-05-26
67
神秘的な空間へ!鼻顔稲荷神社
日本五大稲荷の一つ。京都伏見稲荷の御分霊を祀ると伝えられている。 少し離れた場所から見ると湯川の断崖に鎮座する姿と独特な色合いが目を引き、実際に探索してみると神秘的な雰囲気を感じることができる。特におすすめするポイントはいくつも並んでいる朱色の鳥居である。
2020-05-26
68
戌立石器時代住居跡
縄文時代中期末の敷石部をともなう住居跡。 付近には現在は小諸市分の寺ノ浦のほか、広い範囲に集落跡が確認されており、大集落跡であったと思われる。 復元住居は昭和63年度に建てられた。 辺りは木々が生い茂っているが、石器時代は河川があったと思われ、多くの人々がいたのだろうか。 現在は投稿写真のような復元住居が1つあるのみで、どこか忘れられている寂しさも感じた。
2020-05-26
69
宮川神社
住宅街にたたずむ姿にひかれる神社となっております。 入口には大きなケヤキがあり、しめ縄がされていました。緑に囲まれた神社であり、落ち着ける場所となっています。 本堂の横には笠森稲荷があります。創建時期は不詳となっています。祭神は神功皇后・応神天皇・タマヨリビメです。
2020-05-26
70
田安門
徳川家16代目の徳川家達の屋敷に置かれていた門です。家達は東京に移住したもののこの門は静岡に残され、その後の静岡大空襲でも滅びることがありませんでした。 現在は私の母校の高校の門として利用されています。そのような歴史ある門が母校にあることを誇りに思います。
2020-05-25
71
静岡浅間神社
徳川家康とゆかりが深い神社で、徳川幕府の指示によって造営されたものです。静岡を代表するお祭りの1つである廿日会祭が開催される神社として知られています。 明治時代に別々の家で管理されていた3つの神社が、1つの神社となったことが面白いなと思います。
2020-05-25
72
久能山東照宮
晩年を駿府で過ごした徳川家康が埋葬された神社で、国宝にも認定されています。明治時代以降50年に一度社殿を始めとした諸建造物の漆塗り替えが行われています。 東照宮までには1159段の階段があり、「いちいちご苦労さん」と呼ばれていることに市民の親しみを感じます。
2020-05-25
73
駿府城
1585年に徳川家康によって建てられ、家康の隠居場所として利用されていた城です。 私は通っていた学校が目の前にあり、毎日この城を見て過ごしていたことから親しみがあります。駿府城公園として多くの市民に愛されています。
2020-05-25
74
石久摩神社
鳥居の横には、「上田原合戦」前後の出来事が書いてあったり、「上田原古戦場」と書かれた石碑がある。 上田原合戦とは、1548年、武田信玄と村上義清が激しい戦いを行い、両軍合わせて数千人という戦死者を出した。この戦いは、川中島合戦の前哨戦ともいわれる有名な戦いである。 この神社は、旧上田原村の産土神であり、1827年神祇官より社号を明神社から石久摩神社に改称を受け今に至る。
2020-05-25
75
道祖神(上田市塩田町駅周辺)
守り神として道の辻に祀られている石仏。甲信越地方や関東地方で多く見られ、上田市にも点在する。様々な形状をしており、ここの道祖神は双体である。要所においてあるのか目に留まりやすい。塩田町駅近くにある道祖神は川のすぐそばにあるため特に目に留まりやすいが、草木に覆われているため近づきにくい。
2020-05-25
76
八丁鎧塚古墳群
須坂市には古代氏族の墳墓である古墳が多く分布しています。そのほとんどが、川原石を積み上げた積石塚と呼ばれる古墳です。中でも、八丁鎧塚古墳は県史跡に指定されています。 畑や果樹園に囲まれているので、頑張って探してください。
2020-05-24
77
椎名道三顕彰碑
椎名道三は滑川市で生まれ、生涯に開田した面積は1,200ヘクタールにも達するといわれており、多くの農民の貧困を救ってきました。優れた仕事に感謝し、その業績を永く後世に伝えようと道三の家があった近くにこの椎名道三顕彰碑が建てられました。 ほとんどの富山県民は小学生時代に椎名道三について学ぶのではないかと思います。山奥にありあまり目立たず見つけられにくい所ではありますが、歴史残る大切な石碑です。 こう見えて公園らしく多少のスペースもあるので、ちょっとした遊べる空間にもなると思います。
2020-05-23
78
水天宮
下塩尻字日月地籍に舟人の守護神、水の神、安産の神として水天宮が祀られています。千曲川水系では比較的大きな社殿と言われ、毎年9月には神主が来場して区民が例祭を行っています。 出典:『上田 しおじり』/塩尻地区近代化遺産活用ガイドブック編集委員会/ 発行 上田市教育委員会 2003年3月 少子化という地域課題がある中でこういった神様が祀られていることにより地域の方々に安心と安寧を与えているという歴史的な効果が素晴らしく、興味を持たせてくれる。
2020-05-21
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上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。暑いとは言え、連日の猛暑からは解放されたように秋めいた爽やかさが感じられる一日となりました。
全国的にも稀有な蚕種製造民家群
幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んで
2020-05-10
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