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1
上田MATCHIフェス
先日長野大学生主催のMATCHIフェスに行ってきました。同じ大学の学生が主体で開催するということで、興味本位で行ってきました。会場には多種多様の飲食店やグッズの出店が並びお祭り気分を味わえました。演劇のステージもあり、市の曲芸団や長大のサークルが発表を行いパフォーマーとして楽しませる姿を見て感銘を受けました。イベントの最後には風船ランタンを打ち上げ、映える風景と共に締めくくりました。
2023-05-10
2
終わりに
西塩田時報を読み進めていく中で、自分のテーマと関係のない面白い記事がいくつかあり、探求に時間がかかってしまった。 戦前の記事からは、まず「食」に関する記事を探すことが難しく、記事があっても、材料の栽培方法や保存方法について書かれていることが多いという印象を受けた。 戦後の記事からは、たくさんの「食」に関する記事を見つけることができ「家庭メモ」や「季節の料理」のような記事が多い印象を受けた。その中には現代でも食べられているメニューやレシピがあったが、食材の違いや、栄養素の偏りといった面で、現在とは大きく異なっていた。 戦前と戦後の記事から、戦前は材料の栽培保存、戦後はレシピや栄養素について書かれていることが多いと感じた。 このことから戦後は戦前に比べ、他国の食文化が普及したり、
2023-02-01
3
あたたかい冬の料理の作り方
大豆シチュー、カレーポテト、南瓜うどんのレシピが書かれている。シチューにサケ、肉の代わりにイナゴなど現代では考えられない食材が組み合わせられている。
2023-02-01
4
はじめに
西塩田時報の斜め読みで見つけた「うつかり喰へない菓子」という記事に面白みを感じ、当時の食生活をテーマにキュレーションを行うことにした。 時代の変化に伴う食生活の違いに興味を持ったため「戦前と戦後の食生活の違い」をテーマに記事をまとめた。 各記事の説明欄には、当該資料の私なりの要約が書かれている。 「終わりに」には資料を読んだ私なりの考察が書かれている。
2023-01-31
5
お菓子の歴史(洋菓子輸入時代)
明治頃に、文明開化が始まり、外国の文化が日本に取り入れられ生活が変化していったが、それは菓子も含まれる。明治10年に洋菓子の輸入が5千円であったが、20年には1万円、30年には2万5千円で、38年には一躍して23万5千円とまで上昇し、短期間で需要がかなり増えた。洋菓子製法技術や洋風食材が導入され、相手先もオランダ、ポルトガルから、イギリス、フランス、アメリカに変化した。 ビスケット、キャンディ、チョコレート、キャラメル、クッキーなどが輸入され、日本での消費が増えると国内生産の方が儲かると考える人が出てきて、製造が始まった。日本で最初に作られた洋菓子は明治8年のビスケットで、東京京橋の風月堂が始めた。明治中期になると森永太一郎が森永製菓会社を作り、ビスケットやドロップス、キャラメルなどの洋菓子生産
2023-01-29
6
お菓子の歴史(点心時代)
菓子は一日二回の食事の間に食べる間食用として長く続いていたが、鎌倉時代になると都会では三食制となったため、菓子は嗜好品になり、一般庶民からは縁のないものになった。 そのころ、茶が日本に渡来して、喫茶が流行した。その際に使用する菓子を「点心」と呼ぶ。もともと、点心とは定食と定食との間の小食であり、間食やおやつを意味する。点心には主に羹(あつもの)という汁と、まんじゅう類があり、それぞれ多くの種類がある。これらが和菓子の発展に繋がっていった。 守安正 著『お菓子の歴史』,白水社,1965. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2507981 (参照 2023-01-27)
2023-01-27
7
かわいい見た目に全世代から人気のお菓子 餅屋伝助のウサギ餅
引用元:https://ueda-tabi.com/mochiyadensuke/ ウサギの形に丸めた可愛いお餅の中に、餡が入ったお菓子です。ウサギ餅はカスタードクリーム、カマンベールチーズ、チョコレートの3種類。上品な甘さがあり、ふんわりもちもちな食感、口溶けの良い柔らかなお餅に餡がマッチしていて、どの世代の人からも人気のお土産として愛され続けています。 この商品でのデザイン面を考えるにあたって着目すべきは本体のかわいらしいウサギの形でしょう。 ウサギの顔をデフォルメ化し表現したものや、簡単に耳のみを焼き目としてつけているものなど、昔から変わることなく愛されているこのデザイン。変にモダンチックな凝った仕上がりでなく、このような親しみやすい見た目だからこその愛され度合だと感じました。
2023-01-27
8
お土産の定番! 信濃路うさぎやのくるみそば
引用元:https://www.usagiya-ueda.com/ 上田お土産の代表格ともいえる、蕎麦粉の皮で餡を包んだ、素朴で美味なお菓子「くるみそば」。 サクッ ホロッとした風味漂う皮部分に上に乗ったたっぷりのくるみ、中に詰められたネットリ食感の飴・餡、上田市民含め多くの人たちに愛され続けています。 この製品のデザインを見ていったとき一に目につくのは、パッケージの背景として描かれた水彩画調の植物の数々でしょう。原料に自然豊かな地だからこそのそばやくるみを使用しているこの製品らしさが表れているように思います。またタイポグラフィーも習字調で歴史ある製品なのだなということを強く感じさせてくれます。
2023-01-27
9
唐菓子について
奈良時代から平安時代にかけて遣唐使によって唐から伝来した唐菓子は,米粉や小麦粉を捏ねていろいろな形に作り,油で揚げたり,焼いたものである。 日本や仏教の世界でお供え物とされるほどであり、当時はとても高価でめったに食べられないものであったが、現在では限られた和菓子店だけではあるが、手軽に食べることができる。 写真は岡田哲「食文化入門-百問百答-」から抜粋
2023-01-27
10
長野県の蚕の歴史
今回、私は、上田市と岡谷市の養蚕と製糸産業の歴史について調査をした。このテーマにしようと考えた理由は、上田市と岡谷市で蚕にまつわる歴史があったからだ。私の地元の岡谷市は、かつて製糸産業が盛んだった。そして、上田市は、「蚕都」と呼ばれるように、養蚕の地であった背景がある。養蚕と製糸という、蚕によって結びつけられたテーマを元に、今回は、調査結果を述べていく。 はじめに、上田市の養蚕についてだ。蚕種製造・養蚕は、寛文の時代 (1661~1673) に始まった。蚕の飼育をする上で、気候が適していたため、春に育成していたようだ。一方、岡谷市の製糸は、幕末から明治にかけて盛んになっていった。「近代国家」への転換のための、外貨の獲得に、岡谷市の製糸産業は大きな貢献をしたようだ。 上田市で、養蚕が盛んになっ
2022-08-05
11
太陽光パネル設置率
予てから思っていたが、地元の静岡より太陽光パネルを多く見る気がしてならなかった。 いざ家の屋根などに目を向けてみると、改めて見ても確かに多い。気になって「太陽光発電 普及率 都道府県別」で検索してみたところ、長野県は山梨県に次いで2位とわかった(但しデータは2014年とちょっと古いもの)。 しかしながら地元の静岡県も第4位に食い込んでおり、意外だった。 帰ったらもっとよく観察してみよう。
2022-05-17
12
焼き魚
リフレッシュパークあおきにて撮影。 渓流釣りなど釣りの体験ができるこの施設では、釣りたての魚を焼いてその場で食べることが出来る。 持ち帰りも可能。
2022-05-12
13
本とお茶を楽しめるブックカフェNABO
本と茶「NABO」by VALUEBOOKSに行ってきました。 NABOは落ち着いた雰囲気のレトロなブックカフェで、お茶を飲みながら本を楽しむことができます。店内とテラスに席があり、お茶を注文すると店員さんが席まで運んでくれます。 本が好きな人、お洒落なカフェが好きな人におすすめです。
2022-05-10
14
昔懐かしの揚げパンが食べられるピザハウス ミッキーズ
ピザハウス ミッキーズさんで揚げパンをいただきました。昔懐かしの揚げパンをお手頃価格で食べられます。揚げたてもちもちでとても美味しいので、ぜひ味わってみてください。
2022-05-10
15
喜光堂の桑の葉ほうじ
喜光堂さんで信州上田のお茶『桑の葉ほうじ』を買いました。養蚕業が盛んだった頃、桑の葉は蚕の餌とされていました。その桑の葉を喜光堂さんの技術で焙煎されたのが桑の葉ほうじです。 実際に飲んでみると、甘いものにもしょっぱいものにもよく合い、美味しかったです。 桑の葉ほうじは健康に良く、便秘や高血糖に効果があるそうです。 お茶の他にも、抹茶ソフトクリームやほうじ茶ソフトクリームも美味しいのでぜひ食べてみてください。
2022-05-10
16
みすゞ飴本舗 飯島商店で歴史を感じる
上田駅から徒歩3分程度にある、みすゞ飴本舗 飯島商店 上田本店に初めて行ってきました。 本店は大正モダンな雰囲気で、みすず飴やジャムが販売されていました。みすず飴の他にも大正時代のものと思われる道具、花岡塗という上田市特有の漆工芸品が展示されていました。 ショーケースにはみすず飴が展示されており、宝石のような輝きを放っていました。上田市民ですが、みすず飴がこんなに綺麗なものだとは思っていなかったので驚きでした。 本店を出て少し歩いたところに分店がありました。分店は明治時代に養蚕業が栄えていた頃、上田駅から出荷される蚕の繭を一次集積用に建てられた繭蔵だそうです。この建物は貴重な国民的財産として大切にされています。 分店でもみすず飴やジャムを購入できます。 みすず飴本舗専用の駐車場
2022-05-10
17
レトロ感溢れる古民家カフェ 甘味処 雪屋Conco
雪屋Concoさんは上田駅から徒歩2分ほどの場所にある、レトロ感溢れる築80年の古民家をリノベーションしたカフェです。美味しいかき氷や和甘味などが人気です。 雪屋という名前の通り「雪のようなかき氷を食べたい」という思いから、かき氷のことを雪と呼んでいるそうです。 まさに雪のような食感の雪たちをみなさんも味わってみてください。 写真は上から順に抹茶大納言、杏仁豆腐の雪です。他にもいちごミルクなどの定番の味の雪、季節限定の雪がありますので、食べ比べなどしてみてはいかがでしょうか。 雪の他にもランチ、あんみつ、パフェ、パンケーキ、大学芋、色々あります。ランチでは昔懐かしのソフト麺や、チーズ好きにはたまらないチーズ焼きなどがあります。 支払い方法は、電子マネー支払いがあります。カード払いはでき
2022-05-10
18
蕎麦でつながる地域の輪
但馬には出石という場所があり、出石そばが有名です。 実は、この出石そばは上田と深いつながりがあります。 江戸時代中期のお国替えにより、出石藩主松平氏と信州上田藩仙石氏が入れ替わりとなりました。 その際、仙石氏とともに来たそば職人の技法が在来のそば打ちの技術に加えられ、出石そばができました。 このことがきっかけで、出石が所属する豊岡市と上田市は姉妹都市として交流しています。 いつか出石そばと信州そばを食べくらべしてみたいです。
2022-05-05
19
イナゴで作る持続可能な食生活
FAOは、世界の人口は2050年には現在の75億人から90億人まで増加し、世界中で10億の人々が慢性的な飢餓に陥ると指摘。 さらに2030年頃には、タンパク質の需要に対して供給が足りなくなると予測されています。 そんな食糧問題の解決策のひとつとして、昆虫を食用としたり、家畜の飼料にしたりすることを推奨する報告書が公表されました。 海のない長野県で、貴重なタンパク質の供給源として古くから食べられてきた昆虫食、イナゴ。 これからの「次世代のスーパーフード」として世界に見つかれ!!!イナゴ!!! 参考: https://www.inadanikankou.jp/special/page/id=1107
2022-02-15
20
イナゴを食べる
平成 25 年 12 月に、「和食;日本人の伝統的な食文化」がユネスコの無形文化遺産に登録されました。 長野県の伝統的な食文化であるイナゴについてもおいしく食べて楽しく学ぼう! 〈農林水産省も推奨!!イナゴの佃煮の作り方〉 1 いなごは熱湯をかけ、足と羽を取り、よく水洗いし、水切りをする。 2 熱したフライパンにいなごを入れ、弱火で3~5分空煎りする。 3 鍋に砂糖・醤油・酒を入れて煮立て、いなごを入れ、強火で煎り煮する。 4 汁気がなくなる直前に、みりんを入れ照りをだす。 5 汁気がなくなったら火を止めて塩をからめる。(カラっとする) 6 ※いなごの足はすり鉢ですりつぶし味噌、砂糖などお好みの味でいなご味噌を作る。 7 ※いなごの下処理の別法:いなごをとった布袋のまま、熱湯でゆでた後、
2022-02-15
21
まとめ
上田市の美味しい食べ物を巡る中で、様々な分野の食べ物を食べることが出来た。 主にinstagramやネットのサイトにまとめられているお店などから行くことが出来そうなところや興味を持ったところをメインに訪れた。 訪れた所はどこも美味しく、上田には美味しいお店がたくさんあることを感じることができた。 まとめサイトだけではまだまだ知られていないカフェやお店も多く、若者が訪れることが多いお店のほとんどはinstagramで話題になっているお店が多いと思った。 そういったものを多くの人の目に留まるような発信の仕方をしていけたらいいと考えた。 また、この探求を通して、数を増やすことはなかなかできなかったが、私の投稿を見て少しでも食べ物やお店に興味を持ってくれる人がいるといいと思った。 【参考】 https://tabelog.com/nagano/
2022-02-14
22
食糧難
当時の上田は全体的に食糧が不足していたが、田んぼや畑を所有しているごく一部の人たちは周りに比べると豊かな生活をしていたそうだ。 祖母の話より
2022-02-14
23
じまん焼きの歴史と比較
引用 「富士アイス下諏訪店」で自慢焼き・上田店と食べ比べ https://simple-yuumin.com/wp-content/uploads/2018/04/IMG_3920-2-e1522716309126.jpg 上田のソウルフードの一つであるじまん焼きを作っているのが富士アイスという店だ。富士アイスは上田以外に長野県にいくつかある。岡谷店と下諏訪店だ。富士アイス上田店は昭和10年にオープンに対して岡谷店は昭和48年創業、そして下諏訪店は昭和58年に始まっており、割と最近になってから開業した。下諏訪店はあんこの水分が上田店より少ないなど、店によって皮とあんこの固さに違いがあり、それがまた個性となっている。 参考文献 「富士アイス下諏訪店」で自慢焼き・上田店と食べ比べ https://simple-yuumin.com/fujiaisu-3044
2022-02-14
24
日米和親条約と日米修好通商条約
出典:Wikipedia 下関戦争https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E9%96%A2%E6%88%A6%E4%BA%89 最後に、忠固が関わった二つの条約について詳しく見ていきたい。 日米和親条約の調印前に忠固(当時は忠優)は徳川斉昭との論争を制し、城中評議の場で五年後の交易承認という結論が出ていた。評議の翌日、斉昭は抗議の意思から参与辞職の意向を、自らの参与就任を推薦した老中首座の阿部正弘に伝えた。これを受けて阿部は、参与辞職を思いとどまらせるために会議の結論を覆し、交易の承認をしないという決定をした。そして日米和親条約は交渉術で勝った日本がアメリカから譲歩を引き出し、漂流民の人道的な扱いや食料・薪水・石炭の供与、長崎・下田・函館の開港などの内容に留まった。日米和親条約締結後、斉昭はアメリカの条約に基づいた「下田三箇条」と呼
2022-02-14
25
「美味だれ焼き鳥」として成立
画像:https://www.facebook.com/oidare/ 2010年頃、市民有志が上田市のご当地グルメを発掘する調査を行った結果、信州上田の「焼き鳥」の食べ方は他とはなんだか違うということが発覚した。 上田市ではこのたれで食べることが定着しており、特別な呼び名は存在しなかった。2011年2月、市民有志により実行委員会が発足され「美味だれ」と命名された 2012年には、上田市を商標権者として、『美味だれ焼き鳥』『美味だれ』が商標登録された 参考文献:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5
2022-02-09
26
おいだれ焼き鳥の歴史
画像:焼き鳥 鳥正 さん 以下より拝借 https://tabelog.com/nagano/A2004/A200401/20000407/ 昭和30年代の高度経済成長期 上田市も活気に溢れるなか、多くの人々が家路につく前の時間を焼き鳥店で過ごしていた。 需要に合わせて焼き鳥店が増える中、上田市の焼き鳥店「鳥正」の初代店主である宮下正三氏が、焼き鳥の新しい食べ方を考案した。焼き鳥にニンニク醤油だれをかけて食べるという方法を、仲間と相談しながら作り上げたといわれてる。 瞬く間にこの食べ方が広まり、今のおいだれ焼き鳥となった。 引用元:https://oidareyakitori.jp/
2022-02-09
27
舌喰池(したくいけ)
舌喰池は塩田の里交流館(とっこ館)の近くに位置するため池であり、手塚自治会によって管理されている。貯水量は13万㎥もある。 耐震のための改修工事や、田園空間整備事業による水辺景観の整備が行われている。また、百八手という千駄焚きを行って雨乞いをする祭りや、舌喰池付近の芝生でコンサートの開催を行うなど、文化遺産やレクリエーションの取り組みを行っている。 舌喰池には悲しい伝説が伝えられているので紹介したいと思う。 昔この池がつくられた頃、土手から水が漏れて十分に水をためることができなかった。そこで池の改修をするに当たり、土手に「人柱」を入れなければ水がたまらないという話が出回った。悩んだ結果くじ引きで決めることになり、美しい娘が人柱に選ばれた。 娘は日夜悲しみに明け暮れたが、人柱に
2022-02-09
28
まとめ
食生活に関する記事を探すことを主眼に置いて西塩田時報を最後まで読んでみたが、探していたジャンル以外の記事であっても、少し目を通してみると案外面白く感じる言い回しなどが見つかり、意外と楽しく読めた。 また、通して読んだことによる発見として、戦前の記事では栽培法や家畜の育て方についてのものが多く、レシピは漬物などシンプルなものばかりであったが、戦後の記事ではそれらに加えて多少凝ったレシピについての記事もみられるようになった。 それまでは日持ちさせるための工夫であったレシピが、時代とともにさらに幅広い食事を楽しむためのものに変化していったことの表れだろうか。 掲載されている中には現在でも食べられているようなレシピもあったが、当時の人々がみな、時報に掲載されているような十分な食事
2022-02-09
29
食生活(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁)
見出しに惹かれ読むと、想像より重い内容であった。私の本来のテーマからは少しばかり脱線しているかもしれないが、紹介させていただく。 敗戦にからめ、「武士は食わねど高楊枝」「腹が減っては戦ができぬ」といういわば真逆ともいえる二つのことわざに言及し、食の大切さを語る。 人間らしさとは何かを問うこの文章からは何とも言えない悲壮感が伝わってくる。敗戦後1年3ヶ月ほど経過した段階では、相変わらぬ絶望感がまだ日本中に漂っていたのだろう。 ▼資料出典元 #964
『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)2頁
2022-02-09
30
ごはんのようい(『西塩田時報』第178号(1938年9月10日)2頁)
第169号(1937年12月25日)の辺りから急に戦争ムードに突入し、「戦線」「陸軍」「兵隊さん」などととてもレシピどころではない言葉が並んでいた『西塩田時報』であったが、その中に一つほっこりする記事を一つ見つけた。 「尋二西」とあること、この記事が小学校便りであることから、おそらく書き手は10歳以下であろう。そんな子供が、母の頼みを聞いて、妹と思われる「やい子」と一緒にご飯を炊き、茹でたとうもろこしを妹と二人で食べるという内容である。 発行された当時にも、この記事を読んで心が癒された人は多かっただろう。 ▼資料出典元 #792
『西塩田時報』第178号(1938年9月10日)2頁
2022-02-09
31
はじめに
授業で西塩田時報を斜め読みした際に、「ビタミンの話」という記事に目がとまり、当時の人々の健康状態と関連付けて記事を一つ書いた。 せっかくならばさらにしっかり読み、かつての上田の食生活のことを知りたいと思った。 西塩田時報に改めて目を通し、「西塩田時報に見る食生活」というテーマで、特に工夫を感じたものや時代の流れを感じたものなどを数記事紹介する。 ▼資料出典元 #1
『西塩田時報』第1号(1923年7月1日)1頁
2022-02-09
32
虫歯を予防で歯を食いしばりましょう ムシ歯防止デー(『西塩田時報』第163号(1937年6月1日)4頁)
口の健康は身体の健康と呼ばれるように口の健康は身体の健康につながる。この時代は歯ブラシも配給制であった。 栄養以外にも身体の健康にはいろいろ繋がるものがある。虫歯だけでなく身体のケアに心がけよう。 出典元: 『西塩田時報』第163号(1937年6月1日)4頁
2022-02-09
33
米じゃなくて麦? 麥の増産に就て(『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁)
日本はお米のイメージがあるがこの記事では麦の生産が奨励されている。お米は水も多く使うし、時間もかかるということでこの時期は早く生産できる麦が奨励されていたのでは。 私達が毎日食べてられるのは農家さんであったり、漁師さんのおかげである。今こうやって食べられる時代に感謝をしたい。 出典元: 『西塩田時報』第11号(1943年11月10日)1頁
2022-02-09
34
戦時中のタンパク質は蜂の子!?
戦争中はタンパク質不足による栄養不足が多かったという。そのタンパク質不足を補うために蜂の巣から取れる蜂の子を貴重な栄養源として食べていたらしい… 蜂の子は食べたことはないが虫の佃煮に感覚は近いのだろうか… くれぐれも栄養不足にはご注意を…
2022-02-09
35
2 文明開化
この時代は西洋の文化が日本に浸透し始め、現代につながる様々な変化が生じた時代です。 食や服飾、建築などの文化において西洋の要素を取り入れ、模倣し、日本のものを取り入れるなどをして洋風に変わっていきました。 服装に関しては軍人や役人、上流階級の人の間には制服や礼服として早くから洋服が広まっていきました。庶民の間では着物が一般的であり、外で洋服を着ている男性も家では和服に着替える等の例もあったそうですが、髪型は明治に入り大きく変わりました。「散髪令」によってちょんまげを切ることが強制されました。男性は誰もが洋風の短髪になり、それに合わせて山高帽などの帽子も流行るようになりました。 女性は明治に入っても着物に日本髪が主流でしたが、化学染料を使った染物や西洋風の模様が取り入れられ、
2022-02-08
36
郷土料理
佐久鯉について調べましたが、実際に食卓に並んでいた料理の一部を紹介します。 ①鯉こく 鯉こくとは、鯉をぶつ切りにして味噌で煮込む簡単な料理で、地域や家庭により砂糖や山椒を入れる家庭や、調理法に関しては鱗を取らずに調理する過程もあります。 ②鯉の洗い 名前だけではピンと来ないかもしれないが、鯉の洗いとは刺身である。川魚を刺身で食べるのは大変珍しく、新鮮な鯉を扱うことが出来る佐久市ならではの料理であると言える。
2022-02-08
37
蚕とは
蚕とは、蝶や蛾の仲間で鱗翅目カイコガ科に属する昆虫である。幼虫が作る繭から絹糸をとるために人が飼育していた虫である。主に、くわの葉を食べて育っていく。生まれてから約30日程度で営繭(繭を作ること)になる。蚕の成長はとても速い。 「参考文献」https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/gmo/kaiko/kaikobio.pdf https://mirusiru.jp/nature/animal/kaiko
2022-02-08
38
3.蚕(カイコ)という虫について
今回のテーマである蚕糸産業では蚕という虫が欠かせない存在です。そんな蚕について解説していきます。 長野県民の方なら授業で習う機会もあるらしいのですが、県外出身の私は授業などで習ったことはなく、名前だけしか知りませんでした。 蚕(カイコ)という名前は知ってるけど、どういった虫かはあまり知りませんよね。 カイコは別名カイコガ(学名:Bombyx mori) チョウ目カイコガ科に属する昆虫です。 蚕は自然界に存在しない虫で、遥か昔に家畜化された虫なので人間が世話をしないと生きていけない虫なのです。 何故、世話をしなければ生きていけないのか ・幼虫の頃は脚が弱く、葉にくっつけないから。 ・成虫になり、羽があるのに一切飛べないから。 蚕の起源 5000年前の中国で東アジアに生息するクワコという蛾の一種を糸と
2022-02-02
39
4 年表からひもとく
坂井村誌内の年表を一部引用し、特に重要な部分をまとめた。
昭和12年(1937年)
・
盧溝橋事件が勃発。村内の予備兵に召集下令があり、村内に一気に緊張感が流れた。
・銃後後援会(後に奉公会)結成、村防護団結成・応召家庭の農作業奉仕。 ・軍の指示により、初めて防空演習が行われる。 ・国防婦人会結成(全村)、国民精神総動員長野県実行委員会(会長・県知事)坂井村支部(支部長・村長)結成。 ⇒日中全面戦争の開始に伴って始められた、国民の戦争協力を促す官製国民運動。「精動」と略されることもある。1937年(昭和12)8月第一次近衛文麿(このえふみまろ)内閣は「国民精神総動員実施要綱」を閣議決定し、同年10月「挙国一致、尽忠(じんちゅう)報国、堅忍(けんにん)持久」のスローガンのもとに国民精神総動員
2022-01-29
40
まとめ
今回の地域探検学習に取り組んでみて、おいだれについて詳しく理解できたただけでなく、PCを使っての調べ方や上田についての知識も増えたのでとても良い収穫になったと思う。また、上田に来て初めて美味だれの存在を知った時、食欲をそそるニンニクの匂いに驚いた。こういう地元特有の物品は町おこしや地元ならではの価値を見出せるのでもっと広めていくべきと考えた。上田市は他の街や県よりも自慢できるモノばかりあるため、自信を持って広めたいと思う。 参考文献 https://www8.shinmai.co.jp/odekake/article.php?id=ODEK20110514013489 https://style.nikkei.com/article/DGXKZO73673640Y1A700C2KNTP00/ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5#:~:text=%20%E7%BE%8E%E5%91%B3%E3%81%A0%E3%82%8C%E7%84%BC%E3%81%8D%E9%B3%A5%20%EF%BC%88%E3%81%8A%E3%81%84%E3%81%A0%E3%82%8C%E3%82%84%E3%81%8
2022-01-28
41
美味だれ焼き鳥の歴史
日本が高度経済成長期だった昭和30年代、上田市の産業も大きく発展していました。まちは働く人たちで活気にあふれ、その活気は仕事終わりの時間も収まることはありませんでした。そんな活気ある時代、上田では多くの人が家路に着く前の時間を焼き鳥店で過ごしていました。そして、家で待つ家族のためにその焼き鳥をお土産に持ち帰るというのも日常的な風景のひとつでした。 需要とあわせて焼鳥店の数も次第に増えるなか、鳥正の初代店主である宮下正三氏が、焼き鳥の新しい食べ方を考案。焼き鳥にニンニク醤油だれをかけて食べるという方法を、仲間と相談しながら作り上げたといわれています。その食べ方は見る見るうちに上田中に広がり、新しく店を出す人々も、タレの味を覚えるために修行に入ったり、味を盗むために通い詰めたり
2022-01-28
42
長野県とイナゴ
古くから親しまれてきたイナゴを食べて学ぼう! ・イナゴソフト 諏訪湖観光汽船で販売。イナゴの甘露煮が刺さってます(^_-)-☆ ・バッタおやき バッタは名だけで中身はイナゴ。 ・バッタ飴 イナゴの佃煮を埋め込んだ、棒付きべっ甲飴。
2022-01-27
43
イナゴ入手方法!
昔に比べて少なくなってきたイナゴ。 すぐに食べたい人必見手に入れられる場所を紹介します! 〈上田地域〉 ・道の駅 ・上田駅(画像は上田駅で売られているものです) ・ツルヤ ・BIG 〈その他売られている県〉 ・群馬などの内陸地 ・茨城・東京 ・新潟(イナゴソフトが販売)
2022-01-27
44
イナゴ
長野県の山間部などで多く食用とされてきたイナゴ。 動物性たんぱくをとるための貴重な栄養補給源だった。 昔に比べいなごの数も減少しており、生活や食文化の変化により各家庭で調理されることは少なくなってきたものの、今もなお伊那谷では昆虫食文化が残っている。
2022-01-27
45
ミルキーウェイ
神畑駅から徒歩2分程度のところにある定食屋さんです! 営業時間も長く、ボリュームもとてもありました!
2022-01-27
46
ミラクレープ
寺下駅から徒歩2分の先程の味楽亭さんのすぐ隣にあるクレープ屋さんです! 隣の味楽亭さんでご飯を食べたあとでも余裕でした!とてもおいしかったです(^^♪
2022-01-27
47
味楽亭
寺下駅から徒歩2分のところにあるとんかつと洋食のお店です! メニューも充実していて、とても美味しかったです(^^♪
2022-01-27
48
上田ぶたひつじ
上田駅お城口から徒歩5分のところにあるジンギスカン・サムギョプサル専門店です! 他にも韓国料理などがたくさんあり、とても美味しかったです(^^♪
2022-01-27
49
ニコニコ亭
長野大学から徒歩約10分の所にあるニコニコ亭。 昔ながらの雰囲気がとてもよく、美味しい洋食レストランです。
2022-01-26
50
飲泉搭について
3か所の外湯の近くには引用専用の「飲泉搭」があります。 飲泉搭は 石湯前、北向観音参道、大湯前の3つありました。 1つ目の石湯前の飲泉搭には「真田幸村公 隠しの湯 2つ目の北向観音参道には「慈覚大師之湯」 3つ目の大湯前には「木曽義仲ゆかりの葵の湯」 と書かれていました。 飲泉搭の横には注意書きがあり以下のようにあります ・温泉飲用の1回の量は一般に100〜150ml程度とし、その1日の量は200〜500mlまで ・食前30分~1時間がよい ・夕食後から就寝前の飲用はなるべく避ける ・15歳以下の方は原則的に飲用は避ける 実際に飲んでみると少し熱くて硫黄の匂いがしてゆで卵を食べているような気分になりました。 適量飲むことで健康にもいいそうです。 糖尿病、痛風、便秘などの効果も期待できるそうです。
2022-01-26
51
ため池の歴史②
ため池は農業用水を確保するためだけに使われていたと思っていたが、歴史を遡るとそれ以外にも利用されてきた歴史があった。 例として挙げられるのは食用鯉の養殖である。塩田地域のため池は水温が高く、養蚕が盛んであったことから、鯉の餌としてたんぱく質の豊富な蚕の蛹が多く採れた。このような地域特徴から鯉の養殖に使われてたが、1980年代末には鯉の養殖は衰退し、今はフナの養殖に非常に少数のため池が使われているだけである。 〈参考文献〉 長野県上田市塩田地域におけるため池群の維持管理と存続 https://www.geoenv.tsukuba.ac.jp/~chicho/nenpo/43/08.pdf
2022-01-26
52
美味だれの波及と影響
2011年4月に開店した大型ショッピングセンター「アリオ上田」内で販売を始めたイトーヨーカドー上田店では当初、全国のヨーカドー店舗でトップの焼き鳥販売本数を記録した。注文が増えている飲食店もあり、認知度が高まりつつあるようだ。 ヨーカドー上田店は、実行委の協力で開店前に商品の試食会を開くなど、販売に力を入れている。同店によると、美味だれ焼き鳥の1日の売り上げ本数は、上田駅前(お城口)にあった旧上田店の焼き鳥の約15倍、全国平均の約4・5倍と好調さが続いている。
2022-01-25
53
様々なレシピ
ニンニク醤油仕込みの美味だれは、焼き鳥の他にサラダや鶏丼、オムライスなどにもよく合う。また信州野沢菜にも美味だれをかけると絶品である。焼き鳥に関してはほぼ全てに合うが、個人的にはぼんじりとねぎまに良く合う。上田市中心部の人気店「つづらや」では、客が卓上のツボからタレを焼き鳥にたっぷりとかけて食べる。炭火で香ばしく焼いた塩味の焼き鳥に、ガツンとニンニクの風味と甘辛味が絡み合い、パンチの効いた味わいだ。 地元有志でつくる「美味だれで委員会」が進めている普及活動の一つが、タレを焼き鳥以外の料理でも活用する取り組みだ。地元飲食店やコンビニなどと協力してメニューを開発。唐揚げやラーメン、チキンバーガー、クレープなど様々な可能性を広げてきた。 ボトル詰めしたタレを販売する動きも広がって
2022-01-25
54
定着
上田ではこのたれで食べることが定着し、特別な呼び名は存在しなかった。2011年2月、市民有志により実行委員会が発足。上田地方の方言で親しい仲間に使う愛称である「おいだれ」、「美味しいタレ」、好みにより後から追加できる「追いダレ」の3つの意味を持たせた『美味だれ』と命名された。2012年には、上田市を商標権者として、『美味だれ焼き鳥』『美味だれ』が商標登録された。この料理の原形は焼き鳥店のテーブルに置かれた、たれの入ったコップに焼き鳥を浸して食べる方法であり、この場合は衛生上、大阪の串カツなどと同様に二度漬けは厳禁とされている。
2022-01-25
55
美味だれを深く掘り下げる。
すりおろしたニンニクが入った醤油ベースのたれに焼き鳥をつけたり、焼き鳥にたれをかけたりして食べるものである。昭和30年代に、上田市内の焼き鳥店で考案され、市内の家庭や店舗に広まったとされる。さらに、たれにすりおろしたリンゴが加えられるなど、店舗ごとに個性的な味が生まれていった。
2022-01-25
56
実際の作品
千二百点以上の作品が飾られている中でも印象に残ったのは木彫りの食べ物シリーズでした。ザクロやほおずきなど木でできてるとは思えない作品がありました。その中でも特にほおずきがすごかったです。ほおずきの皮のしわしわ感はもちろん、ながい茎まで見事に表現されていました。さらにその茎の部分は別々で作ってくっつけているのではなく、一つの木から掘り出しているらしいのです。木というものはまっすぐに掘り進めれば折れにくいものの、カーブしだした途端折れやすくなってしまうため茎は失敗しやすくなっています。そのほかにも箱などの工芸品や海外の作品も飾られていました。
2022-01-25
57
こんな虫も食べるの!?
現代では虫を食べるという習慣はほとんどの人にはないと思うが、戦時中の雑誌では昆虫食でも食べないようなフナムシやカメノテなども食べられるものも紹介されている。生鮮食品の代わりなのだろうが、私は拒否してしまいそう…こんな時代がまたくる可能性も0ではないのでは… 参考文献: 戦後の食糧事情http://www.kumamotokokufu-h.ed.jp › sensou › s_syoku
2022-01-13
58
地元の食文化
私が今回焦点を当てたテーマは、佐久市で食されている、鯉や鮒といった県外では食用として馴染みが少ない食材に焦点を当てました。 佐久鯉の歴史は古く、江戸時代、天明元年に佐久桜井村の臼田丹右衛門が、「大阪淀川産」から親鯉数尾を佐久に持ち帰り飼育したことが始まりとされています。交通網が発達していない時代、内陸県の佐久市において、鯉は貴重なたんぱく源であり、当時から人々が集まるような大きな席では必ずと言っていいほど並んでいたほどなので、当時の時点でかなり浸透していたと考えられます。 鯉自体、他の魚の中でも群を抜くほど栄養素が高くも中国では古来から「薬用魚」と言われており、重宝されていたそうです。 そして鯉や鮒が佐久市に根付いた他の理由として佐久市は当時主流であった二毛作が難し
2022-02-08
59
戦中・戦後の食生活
西塩田時報を読んで、昔の食生活に興味を持った。 食料に限りがあった中でどんな工夫がなされていたのか、戦中から戦後で食生活がどのように変わっていったのかなどについて調べたい。 資料としては西塩田時報を主に活用する予定。
2021-12-21
60
イナゴ
長野県の飲食店やスーパー、お土産屋さんでイナゴの佃煮が売られているのを見る。 他県民にはおそらくあまりなじみがない食べ物だが、長野県でどのように広まり、親しまれてきたのかについて探求したい。 資料:webサイト その他検討中
2021-12-21
61
自慢焼きの歴史
上田市の名物の1つである自慢焼き。上田市民で食べたことがある人や知っているという人は結構な数がいると思います。それがいつからできて、どのように有名になったのかが気になったので調べようと思いました。 実際に自慢焼きを買ってみて写真をアップしたり、自慢焼きのルーツは何かを簡単にまとめたいと思います。 出来たら自慢焼きを実際に作っている映像をリアルタイムで配信しているサイトのURLも貼れたらいいと考えています。
2021-12-20
62
戦時中の暮らしについて
自分は歴史が好きで、最近ではよく近代史を調べている。そんななかで現在では起こらない(起こらないでほしい)戦争中の暮らしについて、この機会に細かく調べてみようと思ったためである。 調べる資料としては戦時中の食生活や、当時の雑誌に ついて調べる予定である。 当時の生活から生きる上で学べることを見つけていければと思う。
2021-12-20
63
信州そば・江戸前そばの発祥
信州そば そば切りは1574年の信州木曽定勝寺の落成祝いに振る舞われたのが最古の文献記録。日本国内では蕎麦が食べられてたが、「そばがき」や「そば団子」などが主流。 信州は山間地、高冷地が多く、昼夜の気温差が高くて蕎麦の栽培には最適な土地。 江戸時代には信州信濃国の本山宿から全国に麺状の蕎麦が広まっていった。 江戸前そば 男一人で江戸に出張する機会があるため、外食ビジネスの需要が高まった。1657年頃、浅草にできた一膳飯屋を皮切りに、蕎麦を提供する店が出現。気軽にお腹を満たせるスタイルが江戸っ子に受けて、町には蕎麦屋が瞬く間に増えた。
2021-05-14
64
江戸前三大そば
江戸時代に生まれた「藪」「更科」「砂場」からなるそばの御三家。藪そばはつゆが濃く、更科そばは淡白でのどごしがよい。砂場そばはそばそのものの香りや味わいがよい。 それぞれ発祥は東京、長野、大阪。 参考 https://mi-journey.jp/foodie/28988/
2021-05-14
65
草笛 信州そば
草笛のざるそば。 信州佐久産のそば粉を利用した七割蕎麦で、つるっとしたのどごしがよい。 草笛公式サイト https://kusabue-nagano.owst.jp/
2021-05-14
66
やまへい
やまへいは小諸市にある美味しい蕎麦を頂くことができるお店で、連日賑わいをみせている。また敷地の外には日本庭園を楽しむことができ、観光目的としても利用されている。個人的な感想として、建物が前の時代などにありそうな造りをしていてお店に入る前に見入ってしまうほどでした。昔の雰囲気を味わう事が出来ると思います!
2021-05-05
67
島屋菓子舗
別所温泉、北向観音裏参道にある和菓子の専門店「島屋菓子舗」。 季節のお菓子を中心に、自家製オリジナル製の商品の製造販売を行っています。 一個から厄除饅頭を買うことができるお饅頭屋さん。 どら焼きやバターどら焼き、黒胡麻クルミ餅なども購入可能。 別所温泉には島屋菓子舗以外にも、鹿教湯温泉中程に位置する「塩川菓子舗」さんや「手塚屋製菓舗」などの和菓子屋さんで、厄除饅頭を販売しています。 別所温泉で厄除饅頭のお気に入りのお店を見つけることもできそう。 お土産や小腹の空いたときにおすすめだと思いました。
2021-05-05
68
自然と暮らす喫茶 hanatoki
2020年12月に別所温泉にオープンしたカフェと雑誌のお店「hanatoki」。 パンとお菓子のお店「marufugi」さんの店舗を借りて営業中だそうです。 「自然と暮らす喫茶」というお店の名前がぴったりなお洒落なカフェ。 古民家を改築したカフェを営業中で、深煎りコーヒーやブレンドコーヒーの他にプリンやベイクドチーズケーキなどのデザートも食べられます。 マフィンや焼き菓子をテイクアウトすることも可能。 お子さん連れのお客さんもいらっしゃいました。 コーヒー以外にもカフェオレ、リンゴジュース、シロップジュースなどがありお子様も気軽に来られるカフェ。
2021-05-05
69
武石の森
長野県上田市にあるアウトドアができる武石の森に行きました。ため池にいるニジマスとイワナが釣れ、その場で調理し、食べることが出来ます。美味しかったです。また行きたいなあ
2021-05-03
70
上田で愛されている食べものまとめ
今回、私は上田で愛されている食べ物について調べまとめようと考え計画を立てました。 最初は、インターネットを使っていたのですが、調べど調べど上手く見つけることができず苦労しました。 図書館で本を借り、インターネットと並行し調べていくと色々な発見があり途中脱線することもありましたが、とても面白かったです。 結果としては私が個人的に野沢菜にはまってしまい、最初のテーマに掲げていた上田地域からは脱線してしまいましたがとても面白い探求になりました。
2021-02-11
71
野沢菜漬け
野沢菜の発祥は、一説には野沢温泉村にある健命寺の8代目住職が宝歴6年(1756年)に京都から持ち帰った天王寺かぶの種を寺畠にまいた際、その天王寺かぶの種から違った形のかぶ菜ができ、その後、系統選抜をして育てたものが最初とされていましたが、 この説は近年の研究で、天王寺かぶの系統ではないというDNA鑑定の結果が出ており、かぶに由来する別の変種と考えられています。 野沢菜漬けの材料 野沢菜80g、塩2.5~2.8kg、醤油1.8L、酒または焼酎1.8L、だし昆布、唐辛子 一般的な作り方としては、洗う、塩水に漬けるを繰り返しその後発酵・熟成させると出来上がるようです。 漬けて2~3週間後から食べられますが味の安定は1か月かかるそうです。 参考文献:「つけものの味ふるさとの味」長野県農業改良協会、「信州の発酵食」小泉武
2021-02-10
72
ミヤサカシルク トリートメントソープ(岡谷蚕糸博物館・宮坂製糸所)
岡谷蚕糸博物館のショップでは、蚕のシルクを活用したスキンケア商品を販売している。石鹸や化粧水、クリームなどを販売しており、ネット通販も行っている。 私は、岡谷蚕糸博物館に併設されている宮坂製糸場で、「ミヤサカシルク トリートメントソープ」と「ミヤサカシルククリーム」を体験させていただいた。シルクソープは無香料・無着色・合成界面活性剤不使用で肌にも優しく、少量できめ細やかな泡が立ち、使用後はお肌がすべすべになった。シルククリームはシルクの主成分であるフィブロインが配合されており、使用後はお肌がしっとりとして潤いが戻ったと感じた。少々高価ではあるもののプレミアム感があり、プレゼントにも良いと思った。お土産コーナーには他にも生糸やバッグ、ストールや、虫の佃煮や桑の実ジャムといっ
2021-02-10
73
本秋の麥作に就て(『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁)
麥作に関する記事。 各農家へのお願いが書かれている。 食糧危機ながらも乗り越え、稲作も順調に進んだとあり、食糧不足に光明をもった様子。 肥料不足は続いている模様。 ▼この記事は以下から参照できます。 #955
『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁
2021-02-10
74
事業部の構想(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁)
戦後、西塩田青年団報となった。 「事業部の構想」の記事。 終戦後の復興に向けた心構えや意気込みが見て取れる。 食糧不足も続いており、遊休土地の利用や未利用資源の活用などぎりぎりの状況である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #952
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁
2021-02-10
75
農會欄(『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日1頁)
農會欄の記事。 戦況の激化に伴い、輸送船や国内外の食糧が不足していること。増産のための肥料・資材がなくそれでも増産をしなければならないという苦しさが見て取れる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #949
『西塩田村公報』第11号(1943年11月10日)1頁
2021-02-10
76
私の地域探求テーマ一覧(情報通信文化論2020)
長野大学の講義科目「情報通信文化論2020」(講義担当:前川道博)では、情報通信文化の根幹をなす文化伝承・知識伝承を概念的に学ぶだけではなく、受講生たちに自ら文化伝承・知識伝承による「キュレーション型」の学びを実践してもらいました。地域循環型社会にシフトしつつ現代においては、自ら問いを立て、一次資料に当たったり、地域に赴いて自ら得たデータを新たな一次資料とし、主体的に探求していくことが求められます。その学習プロセスが文化伝承・知識伝承に他なりません。 それらの課題探求テーマと成果を以下のマイサイトからカテゴリ「私の地域探求」を選んで御参照ください。 <私の地域探求テーマ一覧> 1
舌喰池の名前の由来(LGTMのサイト)
2
2021-01-28
77
チョロギのビート漬
チョロギのビート漬は、上田盆地で縁起物としてお正月の食卓に並ぶものの一つだそうで長老喜とも呼ばれています。 材料はチョロギ、塩、食用ビート、砂糖、酢です。 水洗いしたチョロギに塩をまぶし二日間下漬けした後、ビートと交互に重ね、砂糖と酢で混ぜ合わせたものを注ぎ入れ、20日程漬けると食べごろになるお漬物の一種だそうです。 参考:「信州の味ふるさと料理三〇〇種」長野県農業改良協会
2021-01-27
78
翼賛壮年圑・青少年圑(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)3頁)
翼賛壮年圑:緊急食糧增産確保並労力対策協議会の記事。食糧増産のために中学校から動員するなどの内容。 青少年圑:食糧增産運動の記事。 緊急と名付けられるほどのひっ迫している状態であると考えられ、荒廃地を改善し生産しているがそれでも不足しているのが伝わる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #947
『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)3頁
2021-01-27
79
【まとめ】昆虫食試食レポート⑥
昆虫を食べるということは、すごく抵抗のあることでした。しかし、実際に食べてみると、比較的食べやすいもの、食べにくいものがあるということが分かりました。 昆虫食は栄養価が高いということはよく耳にすることなので、健康には良いのかもしれません。 とはいえ、今後自分から好んで食べることはないと思います。 ▼参照したWebページ。購入した店舗のWebページです。
信州の昆虫食
2021-01-27
80
常田館製糸場 (奥帳場兼創業者住宅・賄蔵・炊事場)
これは常田館製糸場の「奥帳場兼創業者住宅、賄蔵、炊事場」の写真である。以前、製糸場で働く工女さんたちは住み込みだった。会社から大切にされており、生活の補助を受けたり、当時は貴重だった白米をお腹一杯食べたりすることができたそうだ。 参考URL:
常田館製糸場 施設紹介
2021-01-27
81
【蚕のさなぎ】昆虫食試食レポート⑤
▼参照したWebページ。購入した店舗のWebページです。
信州の昆虫食
2021-01-27
82
【ざざむし】昆虫食試食レポート④
▼参照したWebページ。購入した店舗のWebページです。
信州の昆虫食
2021-01-27
83
【いなご】昆虫食試食レポート③
▼参照したWebページ。購入した店舗のWebページです。
信州の昆虫食
2021-01-27
84
【蜂の子】昆虫食試食レポート②
▼参照したWebページ。購入した店舗のWebページです。
信州の昆虫食
2021-01-27
85
【前置き】昆虫食試食レポート①
伊那の昆虫食を知るために、産直市場グリーンファームで購入した、高級珍味甘露煮セット(税込2100円)の食べ比べをしたいと思います。 次回の記事から、それぞれの味の感想をまとめていきます。 ▼参照したWebページ。購入した店舗のWebページです。
信州の昆虫食
2021-01-27
86
九月の增産暦(『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁)
農會欄の記事。 以前の記事にも記載されていた気象状況の悪さが影響している。作物の病気が発生しており食糧不足の中でとても厳しい状況になっていると考えられる。 また肥料の不足も起きておりやるべき事が多くなっていると思われる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #946
『西塩田村公報』第10号(1943年8月25日)2頁
2021-01-27
87
增産の暦(『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)2頁)
生産に関する水利や代作などについての記事。 植付不能地があれば代作の作付や潅水せず抑制はなしにするなどひたすら食糧を作ることをしなければないような状況になっていることが見て取れる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #942
『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)2頁
2021-01-27
88
六月の常會(『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)1頁)
食糧增産國民皆働ノ件の記事。 中学校や市街地、工場などからも食糧増産のために人が集められていることが分かる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #941
『西塩田村公報』第9号(1943年6月15日)1頁
2021-01-27
89
農會欄(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)2頁)
食糧増産のための優良種苗の育成などについての記事。 “本年の不順な氣候は全く未曾有のこと…”とあり気候が悪く食糧生産に懸念があることが示唆されている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #938
『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)2頁
2021-01-27
90
五月の常會(『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁)
農繁期の食糧生産についての記事。 麥(むぎ)や甘藷(かんしょ=さつまいも)の生産量を増やし、農家だけでなく皆で協力して食糧戦に勝とうという内容。 ▼この記事は以下から参照できます。 #937
『西塩田村公報』第8号(1943年5月5日)1頁
2021-01-27
91
農會欄(『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁)
農會欄での“昭和十七年度農業增産に就て”という太平洋戦争の始まりによる食糧確保についての記事。 アメリカとの戦争がはじまり農民には食糧自給から国家食糧の確保という立場に変わり今後の生活が厳しくなっていくことを思わせる記事となっている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #924
『西塩田村公報』第3号(1942年2月15日)2頁
2021-01-27
92
うちいれ
うちいれは(画像右)上田盆地の懐かしいふるさとの味として愛されていたようですが、地粉が手に入りにくくなったことや手間がかかることから現在は忘れられて来てしまっている料理だそうです。 材料は、小麦粉、かぼちゃ、はくさい、にんじん、だいこん、じゃがいも、煮干し、みそを使用し作られ多くの野菜が入った麺料理です。 お米の少なかった昔に夜食としてうちいれがよく食べられていたそうです。 ※うちいれの写真は本に掲載されていなかったため上田市真田町にある「真田庵」で提供されているうちいれをネットから 参照URL:
さなだんごの旅 真田ファンの旅づくり応援サイト
参考図書:「つけものの味ふるさとの味」長野県農業改良協会(p.342)
2021-01-27
93
農會欄(『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁)
農會欄における食糧增産推進講習會開催などの記事。 中国との戦争による物資不足が見え始めてきたと考えられる。 ▼この記事は以下から参照できます。 #920
『西塩田村公報』第1号(1941年3月30日)2頁
2021-01-27
94
くるみそば(和菓子)
くるみそばは、長野県上田市国分にある株式会社信濃路うさぎやで販売されている和菓子である。 信濃路うさぎやは昭和27年創業であり、創業時より代表銘菓として販売され県内外問わず多くの人に親しまれている。 うさぎや独自製法の白あんをそば粉で作った皮で包みくるみをまぶして作られたお茶請けとしてよく食べられるお菓子である。そば粉を使用しているため香り豊かでありお茶だけでなく紅茶やコーヒーにも合うそうだ。 参照資料:
信濃路うさぎやHP
2021-01-27
95
サマーウォーズ10周年記念 大食事会
2010年のリアルサマーウォーズDays企画から毎年続くファンのオフ会。 公開10周年記念ということで大規模オフ会が開催された。
2021-01-27
96
だるまとつながりのある群馬県の主なお祭り
高崎だるまの歴史についてまとめた前編はこちらから↓
高崎だるま
①前橋初市まつり 毎年1月9日に国道50号の本町二丁目で行われるお祭りで、前橋では三大祭りの一つとして有名である。別名「だるま市」と呼ばれ、その名の通りたくさんのだるまが売られている。50号沿いだけでなく、すぐ近くの中央通りアーケード(前橋の商店街)でも屋台の出店やイベントが開催されるので非常に賑やかである。 1番の名物は古いだるまを供養して燃やす「お焚き上げ」で、当日はお昼ごろまで多くのだるまと、火と煙を見ることができる。市民の間で、この行為を「どんど焼き(どんと焼き)」と呼ぶことが多い。群馬県では、新年になると各地でこのどんど焼きが行われる。 ②高崎だるま市 毎年1月1日から2
2021-01-26
97
信州上田名物 美味だれ焼き鳥
美味だれ焼き鳥とは、上田市の登録商標であり、2010年に発見した信州上田独特の食文化を表現するために市民有志が命名した、すりおろしたニンニクの入った醤油ベースのたれを使用した焼き鳥のことである。 美味だれの定義は、すりおろしのニンニクが入った醤油ベースのたれや、風味・香り共にニンニク>しょうがであることのみであり、多くの店にこだわりが見られる。 また、おいだれとは上田地域の方言であり、「おまえたち」という意味がある。さらに、「美味しいタレ」というゴロを合わせ、後から追ってかけるという現在の食べ方を表現した「追いかけるタレ」という3つの要素を取り入れ、「美味だれ」という名前となっている。 【参考文献】 美味だれで委員会 https://oidareyakitori.jp
2021-01-26
98
そもそも「NAGANO WINE」とは
塩尻ワインについて調べる際に、よく目にしたのが 「NAGANO WINE」という言葉でした。 調べてみると、「長野県産のワイン」というそのままの意味だったのですが、 「長野」がアルファベットで表記されているのは、海外でも通じるように、という意図でした。 長野県内には4つのワインバレーがあり、「信州ワインバレー」と呼ばれています。 どちらも公式に定められた呼称で、長野県が作成したサイト、『NAGANO WINE』では、信州ワインバレーについてや、長野ワインの特徴について詳しく知ることが出来ます。 「NAGANO WINE / サイトトップ」URL http://www.nagano-wine.jp/ 今回私が調べた「塩尻ワイン」は、「信州ワインバレー」にある四つのワインバレーのうち、 「桔梗ヶ原ワインバレー」と呼ばれる地域であることが分かりました。 生食用の
2021-01-26
99
舌喰池とは・舌喰池の名前の由来
舌喰池とは、上田市手塚に存在するため池である。築造年は1641年であり、堤高7mで堤長485m。貯水量は13万7900tに及ぶ。 舌喰池には「犬池」という名前も持っているが、主に「舌喰池」と呼ばれるようになった理由は、一つの悲しい物語があるからである。舌喰池が新設された時、土手から水が漏れ、水を十分に溜めることができなかった。その時、生きた人間を土に埋めて祈ることで土手が固まるという話がどこからか伝わってきた。領主の命令もあり村の役人は、土中に埋める人間、即ち「人柱」を立てることを決定した。 人柱はくじ引きで決定することにし、その結果、村に住む若い娘さんが人柱に選ばれた。しかし、娘さんは悲しみにより、人柱に立つ前の晩に舌を食いちぎり、池に身を投げて死んでしまった。この悲しく残酷な出来事もあり、池
2021-01-25
100
フードショップみやした
1枚目が2012年、2枚目が現在の外見を表した写真である。 雰囲気というのはほとんど変わらないが、このような食料品が売っている小さなお店というのはなかなかないため、とても貴重であると感じる。 (2012年の写真→Googleマップ・ストリートビューより引用)
2021-01-24
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