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上田市における蚕を活かした都市開発
上田市の景観形成における蚕の役割として、蚕都としての歴史性を重視するというものがある。上田市の景観計画の一部として、かつて栄えていた城下町や養蚕が盛んであった地域周辺の家屋、並びに歴史的資産や街並みの保全をしながら活用することを都市計画の一部に組み込んでいる。特に、建築物や工作物においては蚕室造りといった伝統的な様式の建築物を継承または意匠することを景観における基準としている。また、色彩においても蚕都としての風情を感じることができる落ち着いた色調を求めている。
2022-11-30
2
長野県の蚕の歴史
今回、私は、上田市と岡谷市の養蚕と製糸産業の歴史について調査をした。このテーマにしようと考えた理由は、上田市と岡谷市で蚕にまつわる歴史があったからだ。私の地元の岡谷市は、かつて製糸産業が盛んだった。そして、上田市は、「蚕都」と呼ばれるように、養蚕の地であった背景がある。養蚕と製糸という、蚕によって結びつけられたテーマを元に、今回は、調査結果を述べていく。 はじめに、上田市の養蚕についてだ。蚕種製造・養蚕は、寛文の時代 (1661~1673) に始まった。蚕の飼育をする上で、気候が適していたため、春に育成していたようだ。一方、岡谷市の製糸は、幕末から明治にかけて盛んになっていった。「近代国家」への転換のための、外貨の獲得に、岡谷市の製糸産業は大きな貢献をしたようだ。 上田市で、養蚕が盛んになっ
2022-08-05
3
みすゞ飴本舗 飯島商店で歴史を感じる
上田駅から徒歩3分程度にある、みすゞ飴本舗 飯島商店 上田本店に初めて行ってきました。 本店は大正モダンな雰囲気で、みすず飴やジャムが販売されていました。みすず飴の他にも大正時代のものと思われる道具、花岡塗という上田市特有の漆工芸品が展示されていました。 ショーケースにはみすず飴が展示されており、宝石のような輝きを放っていました。上田市民ですが、みすず飴がこんなに綺麗なものだとは思っていなかったので驚きでした。 本店を出て少し歩いたところに分店がありました。分店は明治時代に養蚕業が栄えていた頃、上田駅から出荷される蚕の繭を一次集積用に建てられた繭蔵だそうです。この建物は貴重な国民的財産として大切にされています。 分店でもみすず飴やジャムを購入できます。 みすず飴本舗専用の駐車場
2022-05-10
4
まとめ
松平忠固を調べる中で関良基さんの著書『日本を開国させた男、松平忠固』の比重が大きくなってしまったが、本書を読んで、慈悲深い領地運営や開国と交易の主張を貫いた姿勢から忠固の人となりが見えてきた。また、井伊直弼や徳川斉昭、開国、不平等条約改正などさまざまなものの見方が変わったことは収穫だったと思う。歴史から抹消されていた史実が掘り返されると通説が覆されることがあるので、本当の歴史を知っておくためにもそういった情報を仕入れていきたい。 参考資料等 ・関良基著『日本を開国させた男、松平忠固: 近代日本の礎を築いた老中』(1,2番目の記事の写真の出典) https://www.google.com/url?sa=i&url=https%3A%2F%2Fwww.amazon.co.jp%2F%25E6%2597%25A5%25E6%259C%25AC%25E3%2582%2592%25E9%2596%258B%25E5%259B%25BD%25E3%2581%2595%25E3%2581%259B%25E3%2581%259F%25E7%2594%25B7%25E3%25
2022-02-14
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6 まとめ
明治~大正時代の文化や生活について調べていて、西洋の文化が取り入れられ現代つながる様々な変化が訪れたことを知り大変興味深く思いました。伝統や文化的特徴が残るというのは、そのもの自体に価値があることの証明なのだと感じました。 上田市も建築や鉄道開発などの点で影響を受けており、養蚕業で発展した街がさらに賑わうことの一助となりました。「蚕都上田」と呼ばれる当時の上田市は、金融業も盛んであり、資料で見てみると街の中の銀行の多さが如実にそれを表しています。製糸業の盛んな街には銀行の数が多いのも大きな特色なのだと思われます。 この探求を通して、上田市の文化的特徴や、当時の観光、産業の発展について深く知ることが出来ました。現在の上田市は、観光都市として発展しているわけではありませんが、こ
2022-02-10
6
常田館製糸場
明治33年(1990)創業の機械製糸工場。 国指定重要文化財 製糸に関連する施設15棟が現存しており、そのうち明治から大正時代にかけて建てられた7棟が平成24年に国の重要文化財に指定される。 蚕種で栄えていた上田の養蚕を製糸で支えていた。 養蚕・製糸・紬糸・機織り・教育など蚕糸業にまつわる種々の活動が総合的な発展を遂げて「蚕都上田」と呼ばれるまで成長する。
2022-02-09
7
5 当時の上田市について
上田市の文化的特徴と言えばやはり「蚕都」として発展した点です。 養蚕業、製糸業を始め関連産業が好況で、桑園も拡大していき、多くの住民が蚕中心の生活をしていたのだと思われます。また、こういった街の繁栄は演劇等の娯楽にも広がり、演芸館・劇場が建つこともありました。さらに、市民の生活用品である酒類・醤油・味噌を扱う店、綿糸・染物を商う店、魚・金物・雑貨を商う店が集まり、上田の町の繁栄を支えていました。 観光の面でも産業の面でも古くからにぎわっていた街であり、また別所温泉などの温泉宿も多くあったため、観光地としても発展していたのではないでしょうか。 信州最古の温泉である別所温泉は明治時代にはすでに年間宿泊、入浴客数が2万人を超えており、大正時代には観光旅館として設立し温泉収入が別所
2022-02-09
8
蚕都
江戸中期の寛保2年、奥州(福島県)でのこと。福島の蚕種家、遠藤氏が自家で製造した蚕種(蚕の卵)を「蚕都」と命名。この蚕種を遠藤氏と親交のあった上田藩上塩尻村の塚田与右衛門が仕入れ、当地近郷で販売したことから「蚕都」の名が上田小県で知られるようになった。 「参考文献」画像 https://www.tamarokuto.or.jp/blog/rokuto-report/2020/09/05/kaiko25/
2022-02-08
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6.若者に蚕を知ってもらうには
これまで蚕について様々なトピックを紹介してきましたが、蚕糸業の衰退を止めるためには若者の力が必要不可欠です。 若者に蚕を知ってもらうための策を幾つか考えました。 5の記事で紹介した蚕糸を使ったアートを通して蚕を知ってもらう策。 近年、SNSの普及に伴い若者の影響力が絶大的な権限を得ています。日本の世の中の流行は若者のスマホの中から始まっていて、何気ない投稿がその年の流行を決めるとも言われています。 SNSに蚕を使ったアートを載せたり、アリオやサントミューゼなどの大型施設で展示会をするなど人の目に触れさせるようにしなければならないと感じました。 蚕の飼育を流行にする案。 蚕という虫は品種改良されたため、人の管理がないと生きられません。そのデメリットを逆手にとって若い人が蚕を飼育しや
2022-02-03
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2.上田市の蚕の歴史
信州上田では江戸時代から蚕の卵の生産で栄え、その後も養蚕、製糸業などさまざまな発展を遂げていき全国から「蚕都上田」と呼ばれるようになりました。 しかし、現在は様々な理由から蚕糸業は全国で衰退し、風前の灯火となっています。 衰退している蚕糸業ですが、上田地域でもまだ蚕糸業は残っています。 上田地域で有名な蚕関連の会社は常田館製糸場という会社。明治33年(1900年)に創業された製糸工場です。 蚕糸業は大きく分けて蚕種業、養蚕業、製糸業の3つに分けられ、蚕の卵を生産し、質を高める「蚕種業」、蚕を成虫まで育ててそれを管理する「養蚕業」、蚕の繭から糸を取り生糸に加工する「製糸業」に分かれます。 次の記事では蚕という虫について解説していきます。 今の若い人は蚕という虫に接点が全くないので少
2022-02-02
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蚕都上田の蚕の歴史②
この資料には、蚕都上田がどのような歴史をたどってきたのかが、横書きの年表で見れるようになっている。 色の使い分けや画像を豊富に使ってまとめられている。 この資料によって、蚕に関わるどのような製品がどの村でつくられるようになったのかわかるようになっている。 ▼参照した記事
『蚕都上田年表』
2021-02-10
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蚕都上田の蚕の歴史①
この資料には、蚕がどのようなものなのか、蚕都上田の「蚕都」の由来、生糸と上田の歴史について多くのことが書かれている。 特に、生糸輸出について上田が日本初であることや、どのようないきさつで生糸の輸出が発展していったのかが詳しく分かる。 ▼参照した記事
『週刊上田』「蚕都上田」の輝きと未来
2021-02-10
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私の地域探求テーマ一覧(情報通信文化論2020)
長野大学の講義科目「情報通信文化論2020」(講義担当:前川道博)では、情報通信文化の根幹をなす文化伝承・知識伝承を概念的に学ぶだけではなく、受講生たちに自ら文化伝承・知識伝承による「キュレーション型」の学びを実践してもらいました。地域循環型社会にシフトしつつ現代においては、自ら問いを立て、一次資料に当たったり、地域に赴いて自ら得たデータを新たな一次資料とし、主体的に探求していくことが求められます。その学習プロセスが文化伝承・知識伝承に他なりません。 それらの課題探求テーマと成果を以下のマイサイトからカテゴリ「私の地域探求」を選んで御参照ください。 <私の地域探求テーマ一覧> 1
舌喰池の名前の由来(LGTMのサイト)
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2021-01-28
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上田蚕種協業組合事務棟
「上田蚕種協業組合事務棟」は、大正6年から現在(2021年1月)にわたり蚕種製造を行っている会社である。当時は1万4000坪もの敷地があったそうだ。最盛期の昭和40年代には、46億の蚕種の製造販売を誇り、現在は2000万の蚕種を製造している。 蚕種には様々な種類があるが、ここでは日本産と中国産を掛け合わせて、より強い種を生み出している。そして、薬の刺激を与えて約12日後に孵化させる「人工孵化法」を用いて、蚕種を孵化させている。3、4枚目は蚕種の洗い場や、繭をカットして中から蛹を取り出す機械の写真だ。蚕糸業が衰退する中、現役で養蚕を続けている会社があり、尚且つ見学も可能であるというのは、上田が「蚕都」であるからこそできる貴重な体験だと考える。 参考URL:
上田蚕種協業組合事務
2021-01-27
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蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~
この動画は以下の再掲です。 「蚕都喫茶室/蚕都上田を知る楽しみ~人物編~」(2010/12/19)(蚕都上田プロジェクト) →https://youtu.be/ALpsdlUN0zI?t=2624 (話し手:新津新生氏、桂木恵氏) この動画はフリートークの中で藤本善右衛門縄葛(つなね)に言及している個所に頭出ししてあります。 以下のような言及がされています。詳細は動画でご確認ください。 ・藤本善右衛門縄葛は、並外れた産業人であったと同時に教養人でもあった。 ・縄葛文化レベルの高さは並大抵ではない。余技で書いた『続錦雑誌』は凄い。 ・桑の葉にも数多くの種類があり、それを一つ一つスケッチ(正確には押し花)
2021-01-20
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蚕都上田の蚕の歴史
上田市の歴史について調べようと思っていたが、広すぎてしっかり調べられないかもしれないことと調べる事柄をしぼって調べやすくしたかったことから、このテーマにした。 上記の通り歴史について調べたいと思っているため、上田の蚕の歴史について成り立ちなどを重点的に調べてアウトプット化したい。 上田の歴史と蚕の歴史についてのものを探して調べる。
2020-12-20
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