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写真タイトル説明登録日
1根(寝)入りの杉根(寝)入りの杉 下社秋宮境内に、周囲を石の玉垣(たまがき)に囲まれた杉の大樹がある。この杉は御柱に根が生えて生長したとか、弘法大師(こうぼうだいし)が参拝に来られたとき、境内に立てた杖に根が生じて生長したとも杉の挿し木に根が生えたとも伝えられている。  一説には、杉の木の枝が垂れ下がっていて木が寝入っているように見えることや、夜中になるとさらに枝を垂らして鳥居を枕にして眠り、時には寝息やいびきが聞こえることがあるといわれることなどから「寝入りの杉」ともいわれている。また、その威容(いよう)から「お宝木」ともいわれる。  この杉の木の皮をいただいて、夜泣きをする子どもの枕の下に置くと、子どもはよく眠るようになるとか、落ち葉を煎(せん)じて飲ませると子どもの夜泣きが止むともいわれている。2023-12-03
2諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮諏訪大社秋宮の現存する最古の写真。日露戦争に出征する人々の戦勝祈願の幟がはためく。狛犬の姿はなく、現在のような大きな注連縄もない。2021-12-26
3諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。2021-12-26
4諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮狛犬も戦争に行った?昭和5年清水多嘉示氏政策の狛犬は銅製のため戦争中の金属回収の国策により戦地へ供出され、主のない台座が見られるのみとなった。またこの写真には、神楽殿に戦後奉納されるようになる大注連縄はもちろんまだない。2021-12-26
5記念写真記念写真諏訪大社下社秋宮神楽殿横にて撮影。2021-12-26
6大注連縄奉献大注連縄奉献戦後「日本第一大軍神」の大額が外された諏訪大社下社神楽殿。 「これでは寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け、初めて奉献したのが昭和24(1949)年。その後昭和54(1979)年まで途絶えていた。昭和54(1979)年と昭和60(1985)年に、出雲大社拝殿に大注連縄を奉献している島根県雲南市の須賀注連縄保存会の役員を迎え、御柱祭の前年に大注連縄作りの指導を受けた。 写真は昭和60(1985)年、御柱祭の新たな行事として定着させようと奉献会(約40人)が作った下社秋宮神楽殿の大注連縄奉納の時の記念写真。2021-12-18
7秋宮社務所秋宮社務所座卓で執務、諏訪大社下社秋宮の社務所の風景。大社の社務所は「7年に1度」の御柱祭を節目に下社⇒上社⇒下社と移して上下両社の調和を保っている。平成元(1989)年当時は上社(平成4年の大祭まで)にあり、令和2(1990)年の現在は下社に社務所が置かれている。(令和4年から上社に移される)2020-03-06
8秋宮鳥居前秋宮鳥居前「(官弊大社)諏訪神社下社秋宮社頭」と書かれた写真。「日本第一大軍神 昭和七年二月」(1932年2月)ののぼり旗が見える。手水舎が現在の位置と違う場所にある。2020-03-06
9秋宮前手水舎秋宮前手水舎諏訪大社下社秋宮の手水舎、左奥に千尋池がある。2021-04-07
10御田植祭御田植祭諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。この頃からカラーフィルムが使用され始めて、カラー写真に人気があった。2020-03-06
11御田植祭御田植祭諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。    舞を担当する女の子と苗を植える早乙女役の女性の服装の違いがよくわかる。2020-03-06
12御田植祭御田植祭諏訪大社秋宮斎殿横の駐車場の位置にあった斎田の御田植祭の様子。当時は現地に田んぼが2枚あり、下の段を使って祭事が行われた。 右側の道は向陽坂で、山王台の橋の位置から撮影した。2020-03-06
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