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写真タイトル説明登録日
1根(寝)入りの杉根(寝)入りの杉 下社秋宮境内に、周囲を石の玉垣(たまがき)に囲まれた杉の大樹がある。この杉は御柱に根が生えて生長したとか、弘法大師(こうぼうだいし)が参拝に来られたとき、境内に立てた杖に根が生じて生長したとも杉の挿し木に根が生えたとも伝えられている。  一説には、杉の木の枝が垂れ下がっていて木が寝入っているように見えることや、夜中になるとさらに枝を垂らして鳥居を枕にして眠り、時には寝息やいびきが聞こえることがあるといわれることなどから「寝入りの杉」ともいわれている。また、その威容(いよう)から「お宝木」ともいわれる。  この杉の木の皮をいただいて、夜泣きをする子どもの枕の下に置くと、子どもはよく眠るようになるとか、落ち葉を煎(せん)じて飲ませると子どもの夜泣きが止むともいわれている。2023-12-03
2御作田社御作田社旧中山道沿いにある御作田社のお田植祭の風景。春宮横の浮島社で夏越の祓が行われる同じ日の6月30日に行われる。写真は鳥居前、2坪ほどの田んぼでの御田植、御田植の前の舞の様子である。 かつては№10・11・12・74の写真の時代は、秋宮境内横の水田で祭りが行われていたと聞く。古式は旧暦6月30日だったものだが、田植え後わずかひと月で穂が実るという、「御作田の早苗」として下社の七不思議に数えられている。諏訪明神は農業神であり、このあらたかな米作りこそ明神様の本領発揮とでも言えそうである。2022-03-19
3東御宝殿建て替え東御宝殿建て替え御柱祭に合わせて建て替え工事が進む諏訪大社秋宮の東御宝殿。 御柱祭のたびごとに西と東の各御宝物殿が交互に建て替えられる。 昭和49年のこの年の今回は諏訪大社下社春宮・秋宮が東御宝殿、諏訪大社上社本宮は西御宝殿の建て替えが行われる。2021-05-03
4諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮諏訪大社秋宮の現存する最古の写真。日露戦争に出征する人々の戦勝祈願の幟がはためく。狛犬の姿はなく、現在のような大きな注連縄もない。2021-12-26
5諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。2021-12-26
6諏訪大社下社秋宮諏訪大社下社秋宮狛犬も戦争に行った?昭和5年清水多嘉示氏政策の狛犬は銅製のため戦争中の金属回収の国策により戦地へ供出され、主のない台座が見られるのみとなった。またこの写真には、神楽殿に戦後奉納されるようになる大注連縄はもちろんまだない。2021-12-26
7記念写真記念写真諏訪大社下社秋宮神楽殿横にて撮影。2021-12-26
8奉射(ぶしゃ)会奉射(ぶしゃ)会下諏訪町の弓道会の歴史は古く大正13(1924)年といわれている。諏訪大社御射山奉射(ぶしゃ)会、お舟祭り射会など秋宮の境内をはじめ場所を変えながら仮設道場を作り奉射会を行ってきたようだ。諏訪大社秋宮前(現在のトイレがある近辺)で行われた奉射会のようだ。2022-03-13
9大注連縄奉献大注連縄奉献戦後「日本第一大軍神」の大額が外された諏訪大社下社神楽殿。 「これでは寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け、初めて奉献したのが昭和24(1949)年。その後昭和54(1979)年まで途絶えていた。昭和54(1979)年と昭和60(1985)年に、出雲大社拝殿に大注連縄を奉献している島根県雲南市の須賀注連縄保存会の役員を迎え、御柱祭の前年に大注連縄作りの指導を受けた。 写真は昭和60(1985)年、御柱祭の新たな行事として定着させようと奉献会(約40人)が作った下社秋宮神楽殿の大注連縄奉納の時の記念写真。2021-12-18
10秋宮境内秋宮境内秋宮境内での撮影。 後方に菊花展を行っている様子が見える。 大注連縄ははすした後か(色が灰色がかっている)。2021-12-18
11諏訪大社秋宮諏訪大社秋宮諏訪大社下社神楽殿。 大注連縄に赤い提灯が飾り付けられている。 神楽殿横を歩く御田植祭りの早乙女と思われる姿が見え、周りに参拝客や観光客の姿が多数見える。2021-12-18
12お舟祭りお舟祭り夏の遷座祭、春宮の鳥居前、柴舟が春宮を出発し秋宮に向かうところ。 柴舟の周りの氏子衆は揃いのはっぴ姿。 また、警察官の制服からも時代がうかがえる。2022-05-21
13諏訪大社秋宮諏訪大社秋宮神楽殿に大注連縄がない、社務所は現在と同じ、参道の階段は整備済み、東郷平八郎の掲額がない、狛犬がない…など現在とは様子の違う秋宮境内。2021-11-03
14秋宮の七五三柱(しめばしら)秋宮の七五三柱(しめばしら)秋宮駐車場から参道を横から入るところにある七五三柱(しめばしら)、社務所横の秋宮駐車場から境内に入る場所に建立されている。大鳥居をくぐることを省略して参拝することになるので、平成元(1989)年に七五三柱を建て大鳥居をくぐったと同じになった。柱に「平成元己巳(つちのとみ)年十月二十五日全国諏訪神社連合会」と彫られている。この七五三鳥居を入るとすぐ右手に温泉を引いた手水が置かれている。2020-03-06
15秋宮社務所秋宮社務所座卓で執務、諏訪大社下社秋宮の社務所の風景。大社の社務所は「7年に1度」の御柱祭を節目に下社⇒上社⇒下社と移して上下両社の調和を保っている。平成元(1989)年当時は上社(平成4年の大祭まで)にあり、令和2(1990)年の現在は下社に社務所が置かれている。(令和4年から上社に移される)2020-03-06
16秋宮の観光客秋宮の観光客昭和59(1984)年に引湯した時に参拝の手水(ちょうず)用にと新設したもの。湯口は竜神伝説にちなんで竜の口をかたどった(御神湯)。50℃を越す熱さで観光客に人気がある。秋宮の観光客がお湯の出る手水を前にひとしきり談笑している。2020-03-06
17御神輿行列御神輿行列春の遷座祭。 諏訪大社下社は春宮・秋宮の二社があるので半年毎に祭神の御霊代(ミタマシロ)を秋宮から春宮へ、春宮から秋宮へと遷座(センザ)する。二月一日(旧来は一月一日)の遷座は寒い祭りで夏の遷座(お舟祭り)のように勇壮な行事はない。ひっそり行われるので「ひっそり祭り」「こっそり祭り」と言われている。 諏訪神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、これもまた諏訪社独特のかわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。 昔は旧暦一月一日の祭りだった。 秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。2020-03-06
18諏訪大社宮司諏訪大社宮司執務中の加藤宮司。諏訪大社宮司の加藤茂さん(当時82歳)は神社本庁から迎えられた宮司は「上下社の融合に一番気を使います。でもこの土地では御諏訪様は絶対で政党も新興宗教も超越して協力してくれます。これだけはよその土地とは違います。それだけに御諏訪様は怖い神様です。」と話していた。諏訪大社は上社(諏訪市・茅野市)下社(下諏訪町)に分かれているうえ、上・下両社とも二つのお社から成るというややこしさがあり、古くは上・下両社が血の抗争を繰り広げたこともあって、維新後、一つの神社となったが、氏子間の対抗意識が潜在していてかじ取りは難しいらしい。2020-03-06
19秋宮神楽殿秋宮神楽殿「諏訪大社神楽殿及日本一駒犬」と写真下に書かれている。昭和6(1931)年9月18日には満州事変戦勝祈願も行われている。狛犬(駒犬)は昭和5(1930)年11月吉日に竣工。神楽殿をかこむようにしめ縄飾られている。現在の神楽殿正面の大しめ縄は戦後からのものである。 この狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。現在の狛犬の説明には「青銅製の狛犬としては日本一」と紹介されている。2020-03-06
20大社の朝大社の朝昭和5年(1930)献上された狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。(撮影者大槻十三春)狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。青銅製の狛犬としては日本一と紹介されている。 ※昭和四十(1965)年度 特選 大社の朝(大槻十三春)2020-03-06
21秋宮鳥居前秋宮鳥居前「(官弊大社)諏訪神社下社秋宮社頭」と書かれた写真。「日本第一大軍神 昭和七年二月」(1932年2月)ののぼり旗が見える。手水舎が現在の位置と違う場所にある。2020-03-06
22秋宮幣拝殿秋宮幣拝殿諏訪大社秋宮幣拝殿。手前右は神楽殿。幣拝殿にとりつけられている幕の神紋(梶の葉紋)の足は4本になっている。2020-03-06
23秋宮鳥居前秋宮鳥居前「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎(御手洗所)が銅鳥居の右袂にあった。左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。2020-03-06
24東郷平八郎献額東郷平八郎献額諏訪大社秋宮の神楽殿正面に東郷元帥筆の「日本第一大軍神」の大額が奉献。この額は戦後は秋宮拝殿の左片拝殿にある。(刻者は篆刻師八幡郊處)2020-03-06
25秋宮前手水舎秋宮前手水舎諏訪大社下社秋宮の手水舎、左奥に千尋池がある。2021-04-07
26注連縄製作完成記念写真注連縄製作完成記念写真大注連縄は戦後「日本第一大軍神」の大額が外された神楽殿が「寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け奉納した。昭和54(1979)年まで途絶えていが、昭和60(1985)年の御柱祭の前年,祭りの新たな行事として奉納した。現在の大注連縄は「諏訪大社注連縄奉納会」が長さ7.5m最大胴回り3.2m(従来は4.5m)重量800㎏(従来は1t)という大きさで御柱祭の前年の11月から約1ヶ月、2500束のワラをつかい作成している。2020-03-06
27御田植祭御田植祭諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。この頃からカラーフィルムが使用され始めて、カラー写真に人気があった。2020-03-06
28御田植祭御田植祭諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。    舞を担当する女の子と苗を植える早乙女役の女性の服装の違いがよくわかる。2020-03-06
29御田植祭御田植祭諏訪大社秋宮斎殿横の駐車場の位置にあった斎田の御田植祭の様子。当時は現地に田んぼが2枚あり、下の段を使って祭事が行われた。 右側の道は向陽坂で、山王台の橋の位置から撮影した。2020-03-06
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