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登録リスト(該当:7件)

写真タイトル説明登録日
1高札場高札場旧派出所(後御柱モニュメント)跡の「高札場」と「中山道」。2023-07-16
2萩倉公会所(旧萩倉学校跡)萩倉公会所(旧萩倉学校跡)明治8(1875)年「萩倉学校」として設立し、「萩倉派出所」「萩倉教場」「萩倉分校」と校名変更がなされたが、生徒数の減少によって、昭和41(1966)年に廃校となったその後萩倉青少年ホームとして使われていたが、現在は萩倉公会所に改築されている。2022-03-24
3萩倉分教場(萩倉分校)萩倉分教場(萩倉分校)明治8(1875)年に開校した萩倉文教場(分校)は本校へ統合し教育効果を高めるため、昭和41(1966)年4月2日、92年の長い歴史を閉じました。ここは小学4年までの児童約700人が子らまで学びました。紫綬褒章を受けたメンデル遺伝学の権威篠遠喜人氏はこの分校の出身。 廃校後は青年ホームとなり青年活動の拠点となった。また、農繁期には季節保育園や民謡の練習小中学校の行事等多くの人々が利用した。現在この場所には萩倉公会所が建てられている。2022-04-12
4郵便局郵便局下諏訪郵便局は、明治5(1872)年岩波家(本陣)に郵便取扱所が置かれ、明治25(1892)年には友之町上(旧下諏訪警察分署の右手前)の増沢市郎兵衛氏宅へ、明治39(1906)年には立町(旧派出所左前)へ移り、その後大正5(1916)年に大社通りに移転、昭和25(1950)年には広瀬町の下諏訪駅前に、そして現在は栄町に移転した。 友之町今昔の地図を見ると、奈良屋小路(鎌倉街道)奈良屋の隣に郵便局があったことがわかる。2020-03-06
5萩倉分教場萩倉分教場萩倉分教場落成式当日。明治8(1875)年4月下諏訪学校支校が許可となって、お堂を仮校舎として発足。明治19(1886)年3月下諏訪村・長地村組合学校、萩倉派出所となり二階校舎が施工、明治25(1892)年4月分教場と改称。明治44(1911)年分教場改築の願が上堤、翌45(1912)年落成左は教員室と教員住宅、右は教室と体操場。昭和41(1966)年4月廃校となる2020-03-06
6下諏訪幹部警察官派出所下諏訪幹部警察官派出所昭和37(1962)年庁舎が老朽化したので黒田町長等が県警察本部に陳情し総工費450万円で着工し翌昭和38(1963)年に竣工した。昭和38年に改築された下諏訪幹部警察派出所。写真は昭和38(1963)年に改築された下諏訪幹部警察派出所。 №600参照。2020-03-06
7下諏訪分署下諏訪分署明治22(1889)年12月竣工。明治23(1890)年4月25日落成。この分署は明治21(1888)年8月管内村民間に庁舎新築の議が出て、寄付金をもって湯沢山御料休の松の良材を用いて建てられた和洋折衷様式の見事な建築であった。現在は御柱モニュメントを経て高札場になっています。この頃の管轄区域は下諏訪村・長地村・平野村・川岸村であった。現在は「八幡坂高札ひろば」。2020-03-06
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