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登録リスト(該当:10件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
綱打ち
「諏訪大社御柱祭秋一御柱元綱」四王区綱打ち。 昭和25(1950)年以降、同地区は秋宮一の女綱づくりを担当しているが、近年は稲作農家が減少し、稲刈りにコンバインが導入されたため、稲わらの確保が困難になっていた。そこで安定してわらを確保するため。平成21、09(2009)年に同会を発足。御柱祭のたびにわらを供給している。同会によると、既製のわら縄ではなく、稲わらを使って綱を打つのは同地区だけだという。背丈の高い「関取」という品種で、刈り取った稲は、十分に天日干しした後に脱穀し、わらは田んぼ横のハウスで保管。同地区綱打ち委員会の手に委ねるという。
2022-05-12
2
湖国新聞の印刷
湖国新聞の印刷風景。昭和60(1985)年から写植機を導入、印刷は平台の凸版刷りのタブロイド判4pの日刊紙を発行。昭和32(1957)年創刊。前身の雑誌は「湖国新報」は大正13(1924)年創刊された。大正、昭和にかけて多くの郷土誌紙が発行された。現在新聞は休刊、この建物もなくなり一般住宅となっている。№1102参照。
2020-03-06
3
ゴミ回収船
湖のゴミ回収船でワカサギ釣り(みずべ公園)。 自然のなぎさや磯だと打ち上げられるゴミを回収すればよいのだが、コンクリート護岸だと、打ち上げられたゴミは、湖の風向きが変われば再び湖上へ流れ出てしまう。そして湖上を行ったり来たりしているうちにそこへ沈んでしまう。仕方なしに風で吹きよせられたゴミを回収するゴミ回収船が導入された。回航されてきた回収船を見つけた釣り人が格好の釣り場として早速「拝借」となった。
2021-04-01
4
温泉ボーリング
高浜3号井温泉掘削起工。新式の掘削機で温泉のボーリング。町の温泉第三号井の掘削がこの日湖畔の高浜で始まった。これまではローリー式だけの掘削に、ターンテーブル方式を加えた兼用掘削機が導入され高速化され、地上の振動も少ないという。深度200メートルまでは374.7ミリのトリコンビットを使って掘る。温泉掘削も石油開発技術の応用で高度化されている。町はこの年の11月、山の手の小田野の地籍での第四号井掘削にも着手した。町の新規温泉開発は町内全域へ温泉供給と温泉統合が目的だった。
2020-03-06
5
萩倉のカネキ製糸場
山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。
2022-06-12
6
平成最初の参院選ポスター
参院選ポスター。町内100か所に設けられた公営ポスター掲示所の一つ。後ろに見える建物は三協精機社宅。 この年の選挙は、消費税導入の税制改革を中心に、リクルート事件にからむ政治倫理問題、農産物の輸入自由化問題などが争点となって与党自民党が苦戦、与野党逆転が話題となった選挙であった。
2020-03-06
7
中根歯科医院
この歯科医院は昭和26(1911)年から矯正歯科を導入。昭和49(1974)年から保険医を辞退して矯正専門となった。このころは県内矯正専門の診療所は4ヶ所であった。中根矯正歯科医院の診察室。
2020-03-06
8
消費税導入勉強会
戦後よりずっと続いてきた所得税中心の税制から間接税の比率を高める改革だが国論を二分しての論議となり議決が遅れた。町役場では税務署の係を呼び講習会を開くなど対応に追われた。
2020-03-06
9
萩倉の百合畑
萩倉上の百合畑。昭和20(1945)年終戦後「リンドウ」が出荷用花卉として取り上げられてから町内にはキク、カーネーション、ユリ等が導入され、町の出荷農産物として重要な地位を占める時もあった。しかし昭和40年代にはブームが去り一部の堅実な栽培がおこなわれるだけになっていた。写真の記録された昭和42(1967)年の記録を見ると、その中で萩倉東俣のユリは栽培者8名・栽培坪数2440坪で最も盛んであった。
2020-03-06
10
萩倉のカネキ製糸場
山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。
2021-04-21
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