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登録リスト(該当:23件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
御射山神社
中世における諏訪明神最大の祭りは、8月27日を中心とした御射山祭だった。霧ヶ峰の一角、八島高原の東に続く旧御射山で祭事が行われ、信濃・回の武士は言うに及ばず、鎌倉幕府はじめ各地の武将たちが集まり神事の後武技を競い合った。旧御射山社前にその競技場跡があり、土段の桟敷席が残っている。しかし社が遠距離の所にあり道も険しく不便と慶長(1596~1615)の頃、秋宮から4キロの武居入りに遷座したのが現在の御射山社(写真)である。御射山祭は今、幼児が洲小山に育つことを祈る祭りとなり、8月26・27日の例祭には2歳の幼児とともに参拝するのがこの地の習わしになっている。 写真下は同じ境内にある大元尊社である。
2021-12-26
2
下諏訪町上空
写真中央の白く輝く屋根は荻原製作所(昭和42(1967)年に下諏訪町に移転してきた本社工場、平成29(2017)年に伊那市へ移転。その右にはひかり味噌、左上にジャスコ(イオン)、右上には諏訪湖、右下すみに野球場・陸上競技場が見える。
2020-03-06
3
下諏訪町上空
写真中央に町役場、右に総合文化センター・体育館。左はテニスコート・野球場・陸上競技場などが見える。
2020-03-06
4
sssスケート製の刃
エッジ部が短いことからショットトラック等の競技用のスケートの刃と思われる。
2020-03-06
5
町民レガッタ
第8回町民レガッタ、これまで最多の84クルーが参加。競技はナックルフォアのみ、距離500m。中学生から76歳の男性まで出場し、水辺はお祭り気分だった。
2020-03-06
6
ボート早朝練習
下諏訪町が昭和53(1978)年国体のボート競技会会場になって以来、ボートが町民の間に普及している。桟橋の手前にシェルファ艇、右側ナックルフォア艇。ボート早朝練習風景(漕艇場の桟橋)。令和2年周辺の整備が進み「ローイングパークAQUA未来」として新しい利用が始まっている。
2020-03-06
7
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。古い時代の写真を合わせてみると時代の変化がよくわかる。
2020-03-06
8
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。
2020-03-06
9
下諏訪町営総合運動場
町営球場。下諏訪町は昭和24(1949)年、旧鐘紡敷地(中央車両株式会社所有)を買収し、公園並びに総合運動場敷地として計画。野球場は同年8月竣工した。ちなみに陸上競技場は昭和35(1960)年に完成している。
2020-03-06
10
下の原青年会
下諏訪町青年会陸上競技大会優勝記念写真、現在も明新館二階に飾ってある。
2020-03-06
11
諏訪湖畔
昭和53(1978)年開催のやまびこ国体の漕艇会場が諏訪湖下諏訪湖畔と決まり、新たに湖浜地区に漕艇場及及び漕艇湖及び艇庫が建設されることになった。下諏訪漕艇場では南風による波浪の影響があった。国体の臨時措置として矢板を水面から70cmほど頭を出し2800枚の鋼矢板を長さ1100mにわたって打ち込み漕艇場を外湖と遮断した。強風にもほとんど影響を受けず競技が行われた。矢板は競技終了後取り外された。
2020-03-06
12
旧高浜プール
埋め立てられた高浜湾から高浜プールを望む。
2020-03-06
13
旧高浜プール
各区対抗で行われた町民水泳大会。
2020-03-06
14
旧高浜プール
各区対抗で行われた町民水泳大会。50mプールはここしかなかった。コースロープにはコルクが使われていた。戦後の第1回町民水泳競技大会は昭和21(1946)年8月11日となっている。
2020-03-06
15
町民体操祭
町民体操祭で模範演技をする諏訪二葉高校体操部、同体操部は県下でも上位高であった。 「社会教育しもすわ」の記事の中で昭和33(1958)年「五千町民の躍動。 日本体操祭下諏訪大会は、5000人の競技者・演技者と3000人の観衆を集め、午前9時から町営球場で盛大に開催、美と力の祭典の歴史が始まった。」と書かれている。
2020-03-06
16
町民体操祭
町民体操祭で模範演技をする諏訪二葉高校体操部、同体操部は県下でも上位高であった。 「社会教育しもすわ」の記事の中で昭和33(1958)年「五千町民の躍動。 日本体操祭下諏訪大会は、5000人の競技者・演技者と3000人の観衆を集め、午前9時から町営球場で盛大に開催、美と力の祭典の歴史が始まった。」と書かれている。
2020-03-06
17
町民体操祭
町民体操祭で模範演技をする諏訪二葉高校体操部、同体操部は県下でも上位高であった。 「社会教育しもすわ」の記事の中で昭和33(1958)年「五千町民の躍動。日本体操祭下諏訪大会は、5000人の競技者・演技者と3000人の観衆を集め、午前9時から町営球場で盛大に開催、美と力の祭典の歴史が始まった。」と書かれている。
2020-03-06
18
陸上競技場
昭和36(1961)年完成の陸上競技場開きの看板(11月5日に式)、背後に関係者の姿が見える。
2020-03-06
19
陸上競技場
陸上競技場は昭和36(1961)年11月に野球場南側に隣接してつくられたもので完成前の陸上競技場、まだアンツーカーなどの整備はされていない。
2020-03-06
20
総合運動場
ガスタンクの上から撮影した総合運動場全景。 球場では大会が開催されていて、多くの観客が観戦している。 当時庭球コートは6面、バレーボールコートは3面がとれたという。 陸上競技場はまだできていない。 2枚組み写真。 町営総合運動場の完成は昭和24(1949)年8月。 陸上競技場完成は昭和36(1961)年11月5日である。 ちなみにこの敷地は中央車輌株式会社所有地(旧鐘紡敷地)の整理にあたって町が買収したものである。
2020-03-06
21
町民水泳大会
各区対抗で行われた町民水泳大会の関係者?背後には現国道のガードレールも見える。
2020-03-06
22
黒田町長就任記念写真
役場旧庁舎前。黒田新一郎町長と議員。第26代下諏訪町長、黒田新一郎氏は昭和33(1958)年から昭和45(1970)年まで3期12年間町長を務める。在任中、温泉開発、明るい町づくり運動推進、陸上競技場完成、社ヶ丘団地造成、星ヶ丘団地造成、八島高原の保全、町誌づくり、新庁舎建設等に尽力した。
2020-03-06
23
諏訪湖一周スケート大会
明治38(1905)年中央線開通とともに在京中の各国大公使が盛んにスケートに来湖するようになった。 第1回諏訪湖一周スケート大会の模様を記録した写真、背後に中央線を走る汽車も見える。 明治41(1908)年2月2日、下諏訪町諏訪湖氷辷会主催、南信日日新聞社後援「諏訪湖一周氷辷大会」が諏訪湖高浜湾氷辷場を基点に花岡・上諏訪の三角コースで行われれた。日本初の「スピード競技大会」で、大成功を収めた。この日は東京方面から団体客が乗り込み、東京大新聞記者が多数乗り込んできて、大変な賑わいであった。
2020-03-06
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1
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スポーツ(11)
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競技(3)
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