はじめての方へ
|
新規ユーザー登録
ログイン
諏訪大社
神社・仏閣・史跡
文化・町並み
温泉・観光・食
諏訪湖・漁業
自然
工業・機械・電気
産業・製糸
防災・災害
スポーツ
資料・文書
御柱祭
博物館企画展
すべての年代
~明治
大正初期
大正後期
昭和初期
昭和10年代
昭和20年代
昭和30年代
昭和40年代
昭和50年代
昭和60年代
平成
令和
並び替え:
最新順
管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:51件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
衣紋坂
御田町信号付近(衣文坂)から青塚の森を見る。
2023-07-07
2
継子神7 地図
本地図は参考文献にあげてある「継子神と矢木の里」を出典とする。同文献の記述によると「今から三百二十年ほど前(延宝元年)の下ノ原集落図には、奥城と思われる位置に「ママコガミノ木」と記されている 。それから二百年たった明治八年の集落図にもその大木が図指され 、「 御維新につき村にて伐る 」とある。「 下の原誌」にはこれを三両三分で売却したとあるから 、よほどの大木であったことがわかる 。この一連の記録から 、この頃まだ奥城をしのばせる森もあって 、塚守のように 大木がたっていた景を考えるのが自然のようである。」
2023-04-01
3
歩行者天国
広瀬町の歩行者天国。 大森接骨院の駐車場で行われたウナギのつかみ取り風景。
2023-02-26
4
オサバグサ解体図
オサバグサ(ケシ科)筬葉草 北八ヶ岳では目にするが、他では未見。この個体は 御泉水の森で、蓼仙(りょうせん)の滝周回コースの途上。 機織の「筬(おさ)」にケシ科と思えない葉の形から名づけられた。 深山の木陰に生える多年草。葉は多数根生し、深く羽状に裂け、裂片は10~25対もあり、裂片の先は丸い。花茎は長さ20cm内外で、まばらに小さな白花をつけ、穂(総状花序)となる。花弁は4枚、雄しべ4、雌しべ1。 本州(北・中部)の亜高山帯に生え、1属1種の日本特産。
2021-10-29
5
藤森稲荷社
富部稲荷平にある小和田村藤森巻祝神の稲荷社で「小和田のお稲荷さま」と呼び富部村の人々に親しまれていた。 高島藩の藩主より諏訪湖の漁業とこの辺りを網干場として拝領し、藤森巻20軒ほどの守り神として稲荷社を祀った。 今は小和田の所有の畑はないが社は藤森巻で祀っている。御柱祭も旧慣にしたがい湖上を舟で曳いてくる。
2021-12-23
6
製糸工場の面影
「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。
2021-04-21
7
オフシーズンの秋宮リンク
ふれあい広場、シーズンオフの秋宮スケートリンク。
2020-03-06
8
高木町長
下諏訪総合文化センターにて、向かって左から新村益雄助役・高木清允町長・藤森秀夫収入役。
2020-03-06
9
町制施行100周年事業
町制100周年記念事業のひとつとして、いずみ湖公園と東俣町国有林で記念植樹が行われた。それぞれ「町民自らの手による緑豊かな空間の創造」「森林資源の造成と緑豊かな住みよい郷土づくり」を目的にいずみ湖公園にモミジを1300本・オオヤマザクラ200本を、東俣町有林には将来の御柱用材用としてモミの苗木1000本を植樹。写真はいずみ湖での植樹の様子。
2020-03-06
10
森下製糸場
大正15(1926)年創業の森下製糸場。昭和3(1928)年当時20釜。矢木町森下氏宅。№1291参照。
2021-04-01
11
下諏訪共同施設
藤森今治氏が昭和9(1934)年に40釜で創業し、昭和16(1941)年に廃業した下諏訪共同施設。藤森今次氏は下諏訪町製糸協同施設組合長、後の諏訪信用金庫下諏訪支店長を務めた。
2021-04-01
12
白鶴社三井製糸
白鶴社三井製糸。久保山王台下現三井範義氏宅下大東社を経て信濃蚕業(現イングスシナノ)分工場となる。右奥には若宮神社の森、手前広場は既に三井製糸工場撤去の後。
2020-03-06
13
日新社製糸場
日新社製糸場(林栄一)。後の山二笠原製糸場を経て日新工業(日新工業)となり、ギターの製造を行っていたが昭和 年火災により閉業現在町営御田町駐車場。奥の森は青塚その左は来迎寺。
2021-04-01
14
昭栄製糸
明治42(1909)年創業の昭栄製糸(小口竹吾)。昭和3(1928)年当時743釜。大正9(1920)年第一次大戦後の恐慌、大正12(1923)年関東大震災、昭和4・5年世界的大恐慌等が製糸業へ大打撃を与える。やがて山十組は破綻、営業の継続を依頼会社整理の抵当権者(安田銀行)がバックアップ、昭和6(1931)年山十※組下諏訪製糸が昭栄製糸となった。その後、昭和32(1957)年、下諏訪町の工場誘致により跡地に三協精機(現日本電産サンキョー)が上諏訪より誘致された。 煙突と煙突の間の森は下社秋宮。
2021-04-01
15
赤砂飛行場
赤砂飛行場。飛行機の周りに人々が集まっている様子。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。 赤砂飛行場は大正11(1922)年に造られた「臨水園」という公園に誕生し、格納庫が作られ、約300mの舗装されていない滑走路があった。飛行機は写真にあるように複葉のプロペラ機で、片山、藤森、井上、篠崎という四人のパイロットがいたという話が残っている。
2020-03-06
16
飛行訓練
飛行機の機体下にロープが見える。水上からの離発着を試みているようだ。湖での飛行訓練。 昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。
2022-05-21
17
飛行訓練
湖での飛行訓練。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。
2021-12-26
18
赤砂飛行場
赤砂飛行場。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。
2021-12-26
19
赤砂飛行場
赤砂飛行場。昭和3(1928)年1月、諏訪飛行協会を結成。3月に格納庫ができる。4月6日藤森飛行士が赤砂に着陸、翌4(1929)年には、複葉機で郡内を飛ぶなどした。
2020-03-06
20
村祭り
熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
21
うらかめや
4階の展望風呂から秋宮の森や諏訪湖が眺められる、江戸時代からの宿「うらかめや」。
2020-03-06
22
最後の専業漁師
諏訪湖最後の専業漁師藤森さん、赤砂崎、砥川のほとりに住み、漁業一筋に生きてきた69歳(平成元年現在)、湖が自然破壊でだめになり仲間たちは漁業に見切りをつけ転職していった。「埋め立てで湧くように殖えた湖がだめになったという。漁協の稚魚放流をしているが水草帯がつぶされ水生昆虫など魚のえさも少なくなり、水揚げの70%を占めるワカサギも生育が悪い」という。漁は週3日しか許されていない。№1068参照。
2021-04-01
23
ワカサギの選別作業
ワカサギの選別作業。専業漁師の藤森氏は朝3時半に出漁し6時まで投網を打ち続けて、水揚げ量は7㎏、これでも豊漁。奥さんの手を借り大急ぎで選別し、岡谷市下浜の市場へ出荷する。№1069参照。
2021-04-01
24
レンゲツツジの花
霧のはう奥霧ケ峰の草原に朱の色を散らすレンゲツツジの花。霧ケ峰は昭和30年代頃まで麓の農村の採草地だったため大草原が保たれてきたのだが、野焼きや、草刈が行われなくなって、最近は森林化が進み始めている。
2020-03-06
25
伊藤時計店
駅前通りの小さな時計店。店主(当時は73歳)は太平洋戦争中、兵役で病を得て諏訪赤十字病院で療養生活を送ったさい、森山汀川の指導を受けたアララギ派の歌人。昨年歌集を出版した。伊東時計店の店内と伊東憬氏。
2020-03-06
26
大社四つ角風景
国道20号線が直角に曲がる所に和田峠を越えてきた国道142号線ぶつかる大社通り四つ角の風景。正面突きあたりが諏訪大社秋宮の森。手前の国道20号線は旧中山道で塩尻峠へ向かい、右折すれば上諏訪方面となる。四つ角風景。
2020-03-06
27
下諏訪宿風景
明治22(1989)年(推定)当時は、この横町・木の下・湯田町が下諏訪宿の中心街であった。写真左手前の旅籠屋が菊本(元桧物屋)で、甲州街道の終点で甲州道中と中山道合流地であった。高い火の見櫓(ヤグラ)のむこうに秋宮の森が見える。右側には桔梗屋の看板が見えている。中山道は桔梗屋前で右・立町に折れて塩尻峠に向かっている。この写真は外国人の写したもので早稲田大学図書館に所蔵されていたものを青木枝朗氏が複写したものである。 建物は宿場らしさが残っているが、軒に街灯・軒灯が見えている風景が時代の変化を思わせている。
2020-03-06
28
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊のモーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。中央の建物が下諏訪学校、その上の森が諏訪大社秋宮、その左斜面前方に続く町並みが中山道で塩尻方面に向かっている。
2020-03-06
29
下諏訪全景
中央の森が青塚、左の森が秋宮。砥川が諏訪湖に突き出たように中洲をつくっている。
2020-03-06
30
ガソリンポンプ車新調
下の原で寄付金で購入したガソリンポンプ。大正7(1918)年10月27年、下諏訪町消防組で秋季演習のさい、森田式ガソリンポンプ(25馬力)新調の披露式を挙げる。諏訪地方最初のガソリンポンプであった。御田劇場の向かい合いに、ポンプ置き場を新築する。写真で見る下諏訪の百年には「組頭の伊藤玉蔵が中央に見えることから大正9(1920)年3月から11(1923)年5月の間のものであろう」と書かれている。 写真の裏書には大正15年12月15日と記録されている。
2020-03-06
31
水月園より諏訪湖を望む
萩倉合名会社を中心に水月園より下諏訪町を望む。萩倉合名会社(現小口克郎氏宅上)萩倉の製糸創業は明治11(1888)年篠藤・小河原氏等が機械製糸を繰業し中山道による物流(鉄道未施工),豊富な森林資源、用水の便などにより発展した。しかし明治30年代の石炭の利用、明治35(1902)年の篠ノ井線の開通、明治38(1906)年中央東線が岡谷駅まで開通、森林資源の枯渇等により立地条件が逆転し明治38(1905)年春宮下へ移転し萩倉での製糸は終止符を打った。
2020-03-06
32
本陣庭園
中山道随一の名園と称される本陣の庭園。現在の庭園は江戸時代中期に整えられたものというが、各地の名石を集め自然の地形を利用し、秋宮の森や周囲の山を借景にして、承知側から引水した水を利用した本格的築庭式石庭園と紹介されている。特に京風の建物からの眺めは春のつつじ、新緑、初夏のあやめ、さつきの紅葉、雪景色など四季折々に楽しめる。 もともとこの庭園は、本陣六代目岩波太郎左衛門が、伊豆韮山の江川太郎左衛門のもとに遊び、帰りてつくりしもので、御小休所も同時に建てられたと伝えられている。 №587参照。
2020-03-06
33
下諏訪温泉の光景
左に「かめやホテル」右に「まるや」の看板、正面に秋宮の森が見える。 止まっている車は、昭和33(1958)年から製造・販売された「スバル360」と思われる。 昭和52年12月複写
2020-03-06
34
下諏訪温泉の光景
岡谷製糸勃興期の下諏訪温泉街の情景。明治末期街道(立町)の突き当たりは綿の湯。綿の湯はこれまで前面が外湯で一般に開放され、裏面には銭湯があったが、外湯を第二区消防屯所に改修する。綿の湯の屋根越しに見えるのは「かめやホテル」、その裏手の森は「旧本陣岩波家」の屋敷木である。綿の湯の左手前は「ききょうや」「みなとや」で、左手前には「丸屋」の各旅館があった。写真右下に「諏訪電機株式会社」と思われる看板が見える。諏訪電気株式会社は明治30(1897)年設立で現在の「おいでや」の前に記念碑が建っている。
2020-03-06
35
秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)
写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥には合名会社三井組製糸の第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。
2020-03-06
36
陸軍航空隊航空写真
陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。
2020-03-06
37
昭和7年航空写真
中央の白い屋根が青年図書館。その向うの黒い建物が霞城館
2020-03-06
38
明治9年下諏訪集落図絵
明治9(1876)年の下諏訪集落図絵。明治9年7月15日に筑摩県に提出した「下諏訪村誌」挿入の下諏訪村の全景。この当時は三角八町といって、下諏訪村の主な往環は、湯の町通り・友之町・春宮大門通りと甲州道中で、その他は耕地。右下の橋は、旧中山道の大橋で、現在の富士見橋はこの数十メートル上流の明治23(1890)年施工した新道20号線にかかっている。左手前の森は春宮で鳥居前の立木が大門通りのさわら並木。
2020-03-06
39
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。
2020-03-06
40
承知川扇状地と下諏訪旧市街地
右が武居の棚田、中央の森が秋宮でその左手前は旧下諏訪宿場(湯之町)左下へ続く街道が旧加宿と友之町。 写真は複葉機、陸軍航空隊一般航空写真。
2020-03-06
41
赤砂飛行場
昭和3(1928)年1月下諏訪町や製糸関係者等の協力で諏訪飛行協会を結成。翌年3月には格納庫ができ、4月には藤森飛行士が赤砂に着陸して同4(1929)年には郡内を飛ぶ。写真は赤砂飛行場の複葉機を使用し、和田嶺自動車㈱と富ヶ丘・高浜温泉が共同で飯田・甲府方面へ宣伝ビラまきに出発する直前。左から2人目が藤森飛行士、その右が下諏訪町に初めて自動車を持ち込んだ浜義雄氏。
2020-03-06
42
スケート
秋宮の裏手には一面桑畑が広がっている。氷上には椅子のようなものにつかまって滑る人の姿が見える。
2020-03-06
43
スケート
№4400の男性たち、秋宮の森をバックに記念撮影、パイプをくわえている男性もいる。
2020-03-06
44
下馬橋
下馬橋と春宮。№427の写真を見て景色の変化を比較してほしい。
2020-03-06
45
花見新道
花見新道、左手に龍の口へ下る階段がある。右手前は慈雲寺への参道がある。正面には春宮の森が見える。
2020-03-06
46
大門通り
春宮周辺。正面奥に春宮の森、下馬橋が見える。
2020-03-06
47
下諏訪遠景
諏訪湖遠景。写真手前の左側の建物は片倉製糸、右側が入一製糸、左端の樹木は秋宮の森、その隣が現下諏訪中学校。
2020-03-06
48
航空写真 秋宮周辺
下社秋宮の森、今はない山王閣の建物が見える。画面左下には青塚が見えている。
2020-03-06
49
小田野段丘と砥川新扇状地
機上から(諏訪市勝山為如氏)撮影した諏訪大社下社春宮下馬橋(太鼓橋)。 右が春宮の森、さわら並木は昭和9年の室戸台風でほとんどが倒れ今は見られない。左上が小田野段丘で昭和37年社が丘住宅団地ができた。その下が東山田の集落。参道両側の民家は平石屋根やかやぶき屋根が多い。
2020-03-06
50
女子フィギュアスケート選手
秋宮リンクに勢ぞろいしたフィギュアスケート選手団。 向かって右から2番目が当時トップ選手の稲田悦子選手。秋宮の脇にスケートリンクが設けられたのは明治40(1907)年(明治42年の資料もある)神社の森かげという地の利もあって結氷期間が長いため人気を集めた。 ここで日本初のフィギュア大会が行われたのが大正」11(1922)年である。
2020-03-06
51
裏参道開通記念
昭和15(1940)年12月29日不況対策事業で裏参道開削がほぼ完成し通行できるようになった。 さらに同18(1943)年8月10日、字三王・久保・臺の公園敷地が川岸村長より寄附があり、同19(1944)年7月秋宮裏参道が竣工した。その際の記念写真、町長初め町理事者、地域関係者が写る。現在の「ヤマモト」の横付近で撮影、坂の中ほどに現下諏訪中学校、奥に諏訪大社下社秋宮の森が見える。
2020-03-06
≪
1
≫
秋宮(8)
航空写真(7)
諏訪湖(7)
飛行場(6)
秋宮の森(5)
複葉機(5)
秋宮リンク(4)
赤砂飛行場(4)
下馬橋(3)
春宮(3)
学校(3)
製糸(3)
フィギュアスケート(2)
諏訪大社(2)
下諏訪駅(2)
下諏訪学校(2)
下諏訪町(2)
陸軍航空隊(2)
下諏訪温泉(2)
温泉街(2)
屯所(2)
綿の湯(2)
かめやホテル(2)
青塚(2)
下諏訪宿(2)
投げ網(2)
投網(2)
飛行訓練(2)
飛行(2)
製糸業(2)
道路-歴史(1)
秋宮裏参道(1)
裏参道(1)
不況対策(1)
記念写真(1)
スポーツ(1)
稲田悦子(1)
スケート選手(1)
下の原(1)
山王閣(1)
森(1)
諏訪湖遠景(1)
片倉製糸(1)
入一製糸(1)
御手洗川(1)
大門通り(1)
花見新道(1)
慈雲寺(1)
竜の口(1)
階段(1)
参道(1)
春宮の森(1)
鳥居(1)
神楽殿(1)
革のスケート靴(1)
洋装(1)
スケート(1)
桑畑(1)
椅子(1)
格納庫(1)
飛行協会(1)
陸軍(1)
中央東線(1)
下諏訪村(1)
全景(1)
絵図(1)
筑摩県(1)
明治(1)
青年図書館(1)
霞城館(1)
町並み(1)
松葉屋(1)
千尋館(1)
下社秋宮(1)
鳥居前(1)
本陣 (1)
庭園(1)
本陣庭(1)
旧本陣(1)
本陣庭園(1)
水月園(1)
萩倉合名会社(1)
遠景(1)
ガソリンポンプ車(1)
御田町劇場(1)
森田式(1)
披露式(1)
購入(1)
煙突(1)
街並み(1)
望楼(1)
バルコニー(1)
甲州街道(1)
中山道(1)
火の見櫓(1)
四つ角(1)
和田峠(1)
塩尻峠(1)
上諏訪(1)
国道(1)
駅前通り(1)
時計屋さん(1)
森山汀川(1)
アララギ(1)
やぎずし(1)
レンゲツツジ(1)
奥霧ケ峰(1)
野焼き(1)
草刈(1)
森林化(1)
ワカサギ(1)
水揚げ(1)
下浜の市場(1)
選別(1)
専業漁師(1)
漁業(1)
漁港(1)
舟止(1)
展望風呂(1)
江戸時代(1)
眺め(1)
宿(1)
鎮守の森(1)
東山田行屋(1)
修験道(1)
講(1)
修行(1)
女性飛行士(1)
飛行士(1)
赤砂崎(1)
山十組(1)
世界恐慌(1)
笠原製糸場(1)
日新工業(1)
火災(1)
御田町駐車場(1)
繰糸(1)
秋宮地近く(1)
白鶴社(1)
共同出荷(1)
協同施設組合長(1)
廃業(1)
諏訪信用金庫(1)
記念事業(1)
植樹祭(1)
植樹風景(1)
東俣(1)
町制百周年(1)
文化センター(1)
総合文化センター(1)
噴水(1)
理事者(1)
芝生(1)
ふれあい広場(1)
スケートリンク(1)
小湯の上(1)
岩波製糸場(1)
岩波機械場(1)
座繰り(1)
小和田(1)
巻(1)
稲荷社(1)
ケシ科(1)
白色の花(1)
多年草(1)
歩行者天国(1)
うなぎのつかみ取り(1)
矢木の里(1)
地図(1)
継子(1)
奥城(1)
衣文坂(1)
御田町(1)
信号(1)
ログイン
トップページへ