トップページへ
ログイン
下諏訪町立図書館のサイト
諏訪大社
神社・仏閣・史跡
文化・町並み
温泉・観光・食
諏訪湖・漁業
自然
工業・機械・電気
産業・製糸
防災・災害
スポーツ
資料・文書
御柱祭
博物館企画展
すべての年代
~明治
大正初期
大正後期
昭和初期
昭和10年代
昭和20年代
昭和30年代
昭和40年代
昭和50年代
昭和60年代
平成
令和
並び替え:
最新順
管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:50件)
≪
1
≫
管理番号
写真
タイトル
説明
登録日
2214
蒸気機関車
JR東日本が動態保存するSL、Ⅾ51型蒸気機関車498号が下諏訪町の高浜橋付近を走行した時の写真。
2022-01-13
2041
下諏訪上空(西赤砂付近)
赤砂上空から西赤砂(砥川右岸)を撮影していると思われる。写真右上に鷹の橋と砥川が見える。中央(写真右上から左下へ)を走る道の北側(写真上方)には田んぼが広がっているが、現在は一般県道岡谷・下諏訪線が東西に、西大路通りが南北に新しく開設されている。西大路通りは写真のほぼ中央やや上あたり、現在の西赤砂信号まで整備され、地域の景観はずいぶん変化している。なお、十四瀬川が写真左上から道路を横切って右下に流れている。写真では黒っぽく筋のように見えている。また、写真左上や右下にリンゴ園と思われる果樹園らしき景観も確認できる。
2021-04-18
1969
樋橋敬老会
「紀元二千六百年 敬老會記念 主催樋橋青年會」昭和15年の大典の時の記念写真と思われるが、撮影場所は判断できていない。
2022-01-13
1927
東山田農家組合
「団体賞受賞婦人部創立記念 東山田神宮路第一農家組合」の文字。 ちなみに神宮司道は春宮前から医王渡橋を渡った先に地名として残っている。
2022-01-18
1888
碁会所
「日本棋院諏訪支部碁會所」。大門通下馬橋南とあるので明新館が会場?
2022-03-05
1829
旧和田峠トンネル工事
(旧)和田峠トンネルの掘削工事写真。 昭和5(1930)年10月、和田嶺開発協会が発足し、運動の結果、鉄道省運輸局の調査となり、昭和6(1931)年10月15日和田峠トンネル貫通、昭和8(1933)年1月完成。トンネル延長260m、スノーセット134m。 昭和8(1933)年3月上和田・上田間と、下諏訪・岡谷間が営業開始され、同年10月13日全線開通祝賀式が開催された。 写真(2枚目)中央仮橋上の小窓がトンネルの西口、その右肩の道路が明治29(1896)年の開削された新道(142号線)
2020-08-02
1736
諏訪女子学園
入り口に「諏訪女子学園」の看板がある。 諏訪女子学園は、昭和42(1967)年度に西弥生町(富士見橋下)旧自動車練習場跡1.000坪を買収して新築工事に着手、体育館竣工と同時に入校し、続いて昭和43(1968)年3月に本館が落成した。 高等部(高等学校)、専門部(短大)がおかれた。学校組織は学園長阿木翁助(写真手前左端;日本放送作家協会理事長)、校長浜倫久以下職員17名、生徒は5学級234名であった。
2021-12-26
1313
大門並木
大門並木、奥に下馬橋を望む。人力車と休息している車夫が手前に見える。
2020-03-06
1227
花岡公園から岡谷市街地
昔の岡谷 花岡山(花岡公園)から天竜川越しに林立する製糸工場を望む。手前下に天竜川、びったら橋が見える。天竜川の向こうは岡谷の製糸工場群、千本煙突から煙が登るり、4層の繭倉群も見える。
2020-03-06
1201
砥川河口の橋
完成した砥川河口橋。橋の右岸(写真左手)にはわかさぎの孵化場がある。当時は左岸に町営プールがあり、その北側にはホテルが3社あった。この橋は湖岸管理道路としての架橋で幅6メートル、長さ32メートル。これに伴い湖岸約1.7キロメートルに高さ1メートルの築堤が始まった。その後この一帯は、赤砂崎公園として多目的グラウンドや多目的広場、ヘリポートなどに再整備されている。
2020-03-06
1136
富士遠望(夕景)
東山田から富士遠望(夕景)(信濃医療センターから) 手前、三協精機社宅。晴れた日には下諏訪町から諏訪湖越しに富士山を望むことができ、地名に「富士見町」「富士見橋」などの名前も残っている。天候が安定し大気が澄み渡る晩春から冬にかけての眺望はよい。 それにしても、中部山岳地帯の盆地の底から、二百キロの彼方の富士山を望見できるというのは、フォッサマグナという大地溝帯(糸魚川静岡構造線)が作り出した特異な景観である。富士山も八ヶ岳も大地溝帯のまん中に噴出した火山で、、諏訪湖はその地溝帯の西縁に沿って走る断層などによって生まれた構造湖なのだという。
2020-03-06
1018
砥川の風景
立秋、霧ケ峰から諏訪湖へ流れる砥川で「カジカ」を追う子どもたち。砥川の清流と呼ばれてきたが、近頃はだいぶ汚れてきて、「カジカ」はほとんどとれない。河岸の草の穂に秋を感じさせる風景。
2020-03-06
1004
砥川土手
オオマツヨイグサの咲く砥川の土手。富士見橋付近から諏訪湖方面を写している。
2020-03-06
997
砥川土手
砥川の土手富士見橋付近から諏訪湖に向かって撮影。林工業(西弥生町)の看板が見えるが、ここには弥生町にあった旧諏訪女子学園があった。
2020-03-06
947
出張販売車
出張販売車で買い物をする山村のお年寄り。和田峠麓の集落。出張販売車は冷凍ケース付き生鮮食品も扱う。隣の諏訪市から週2回やってくる。利用者はやはりお年寄りが多い。
2020-03-06
943
諏訪湖開き
諏訪湖開き、下諏訪港桟橋へやってきた「ジェットライナーすわこ」。この高速艇、岡谷-上諏訪間の定期航路に就航していた。
2020-03-06
815
冬の砥川
冬の流れ(砥川)。砥川は全長12.9km町内で一番大きな川である。土砂の流出が多く、写真の医王渡橋付近より下流は度々流路が変わるほどの洪水を起こしてきた。また天井川を形成している。
2020-03-06
791
赤砂西大路交差点
昭和55(1980)年に開通した西大路通りと昭和49(1974)年に完成した新田中線が交差する場所。御柱祭りの車の迂回路としての役ばかりだけではなく日常の交通量も大変多くなってきている。冬季降雪時は時折登りきれず難渋する車がある。
2020-03-06
723
東餅屋
和田峠を越える古峠道(江戸時和田峠は餅屋峠とも呼ばれていた)慶応五年の記録では中山道で樋橋上のほうろくから山かげを通ると東餅屋があった。東餅屋は五軒の茶屋があった。現在、茶屋跡には一軒のドライブイン意外建物はなく石垣によって区分された屋敷跡にはカラマツが植えられている。
2020-03-06
717
橋の上
橋の上。法被の襟に「山七製糸場」の文字が見える。個人所蔵の写真。
2020-03-06
708
赤渋山林道の橋梁施工
昭和6(1931)年1月21日、失業者救済のため砥沢林道開削の件が上提された。国道142号線桶橋分岐砥沢山内、車道3000m巾3.7mである。写真裏には「赤渋山林道橋梁竣工記念(昭和11・7・8写)」と記録されているが、写された風景は雪景色である。撮影年月日は不明としておく。なお砥沢橋は昭和30(1955)年の完成である。
2020-03-06
691
垂木岩(タルキイワ)
西餅屋立場下手にあった垂直に切り立った垂木岩。ここには垂木岩の断崖に直角に穴を穿って角材をはめ込み、川側に柱を立てて橋桁(はしげた)を支え、その上に板を載せて橋とした桟橋(かけはし)がかけられていた。旅人にとっては肝を冷やす場所で、特に雪の降る冬は足元もままならないほどだったという。明治10(1877)年和田峠改修の時、間道ができてなくなった。
2020-03-06
660
砥川
鷹野橋と湖畔道路の記念碑。№658参照。
2020-03-06
658
砥川
鷹野橋下から砥川上流を望む。橋の東側(写真右側)たもとに昭和9(1934)年に下諏訪駅頭から移した湖畔道路の記念碑が見える。当時は砥川が天井川になっている様子がよくわかる。湖畔道路開通は大正8(1919)年、翌年下諏訪駅前広場に記念碑が建てられていた。
2020-03-06
609
芭蕉句碑
明治27(1894)年4月20日、萩倉観音堂坂登口(落合橋畔) 、芭蕉の句碑が建立。「雪ちるや穂屋のすすきの刈の残し」は芭蕉200年忌に下原の山田正倫(正之丞)ら9名」が発起で建立。
2020-03-06
535
福沢川の氾濫
昭和10(1935)年6月29日砥川・承知川大出水、殊に福沢川の部落内の被害は甚大で、写真は福沢川の橋より東2・3軒目の裏手から砂瓦礫が浸入した様子。
2020-03-06
522
片倉二代銅像
第2代片倉翁銅像の写真絵葉書。 昭和10(1935)年に下諏訪や川岸村などの尽力により建立が決定した。 この時は宝生橋も裏参道の堀割に架設されている。 しかし、昭和18(1943)年金属回収のため撤去されてしまった。
2020-03-06
513
春宮鳥居前の並木
機上から撮影した諏訪大社下社春宮の下馬橋(太鼓橋)奥のさわら並木。写真は諏訪市勝山為如氏撮影。下馬橋奥にさわら並木が見える。昭和9(1934)年の室戸台風でほとんどが倒れた。
2020-03-06
510
立体交差工事竣工
昭和30(1955)年10月に着工した 西浜の国道と鉄道の立体交差竣工。同32(1957)年5月20日開通式。完成した新道路の橋は高浜橋と命名された。
2020-03-06
500
宝生橋
諏訪大社下社秋宮から山王台をつなぐ室生橋。下の道路は武居方面へつながる。
2020-03-06
497
宝生橋
甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。
2020-03-06
493
土橋實肖像写真
土橋實也、初代町長・8代9代村長に選出される。
2020-03-06
491
土橋家
明治22(1889)年5月2日。初代村長に、土橋實也が選出された。 土波止新田(赤砂)からの土橋家を撮影。この旧家も、昭和46(1971)年大改修され貴重な文化財であったが、昔の面影は見られない。写真は表側。 2枚目は建物の裏からの撮影。
2020-03-06
408
砥川
砥川下流から見た医王渡橋付近。
2020-03-06
406
砥川
医王渡付近から砥川下流を写したもの。
2020-03-06
396
大門通り
春宮周辺。正面奥に春宮の森、下馬橋が見える。
2020-03-06
392
下諏訪遠景
諏訪湖遠景。手前下に信金御田町支店、JUSCOの赤い看板や下諏訪南小学校も見える。また諏訪湖の対岸に上川の橋も見える。
2020-03-06
310
医王渡橋
大正13(1924)年7月医王渡橋鉄橋工事が行われ、初めて無橋脚の鉄橋ができた。 写真は浮島から医王渡橋を撮ったもの。
2020-03-06
286
航空写真 大門通上空
上空から見た下諏訪町。大門上空、大門通りの左はじに下馬橋が見える。
2020-03-06
285
航空写真 町庁舎周辺
上空から見た町庁舎・町営球場。手前の川は砥川。建設途中の下諏訪体育館。旧田中線の道路は清水橋ができておらず砥川で止まっている。
2020-03-06
280
航空写真 下諏訪町市街地
写真の中心付近に下諏訪町役場の庁舎や総合運動場が見える。この写真を撮った昭和52(1977)年には、昭和53(1978)年完成した湖岸通り(ジャスコ通り)の砥川以西や昭和54(1979)年完成した清水橋とそれ以西の道路、昭和55(1980)年完成した西大路通りなどはまだない。
2020-03-06
228
大詔奉戴日の行進
昭和17(1942)年大東亜戦争の始まった12月8日を記念して以降毎月8日を大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)とし戦意の高揚をはかった。その日の行事として秋宮から春宮まで行進した。写真は女子青年団。
2020-03-06
227
医王渡橋渡り始め
橋脚のない鉄橋医王渡橋を施工する。明治38(1905)年流出後架設した橋が老朽化し、大正12(1923)年8月県補助を申請し鉄橋建設、総工費5000円、中谷鉄工所請負で大正13(1924)年7月開通。
2020-03-06
222
子どもの川遊び
浮島へ渡る橋は木造だった。背中に小さい子供(弟や妹)を背負い遊びに興じる姿は珍しくなかった。
2020-03-06
184
吉澤製材所とさわら並木
春宮前のさわら並木を西側から写したもの。春宮下馬橋の西裏手を流れる御手洗川の水力(水車)を動力として利用をした吉澤製材工所。写真の大きな立木は大門通りのさわら並木。現在は駐車場、住宅になっている。河西政常氏撮影。
2020-03-06
183
下馬橋より下のさわら並木
大門通り。下馬橋から南を望む。
2020-03-06
180
大正年間の大門通り
大門の中ほどから下馬橋を望む、何かが通るので沿道の人が出てきていたところか?撮影者の河西氏宅は下馬本屋と呼ばれ暗箱(ガラス板)を使って写真を撮影していた。当時アマチュアカメラマンといえば下馬本屋さんといわれていた。尚下馬本屋(河西氏宅)は下の原の御洗川の水を利用して、精米水車を最後まで行っていた一軒であった。
2020-03-06
179
小田野段丘と砥川新扇状地
機上から(諏訪市勝山為如氏)撮影した諏訪大社下社春宮下馬橋(太鼓橋)。 右が春宮の森、さわら並木は昭和9年の室戸台風でほとんどが倒れ今は見られない。左上が小田野段丘で昭和37年社が丘住宅団地ができた。その下が東山田の集落。参道両側の民家は平石屋根やかやぶき屋根が多い。
2020-03-06
23
駅前通り舗装工事
舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。 作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。
2021-05-03
9
千尋池
改修工事完成の記念写真。 千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なお「ちひろ講」は青塚の清掃も行っている。
2020-03-06
≪
1
≫
砥川(13)
下馬橋(7)
諏訪大社(4)
航空写真(4)
春宮(4)
大門通り(4)
医王渡橋(4)
秋宮(3)
さわら並木(3)
浮島(3)
下流(3)
橋(3)
和田峠(3)
諏訪湖(3)
御手洗川(2)
川遊び(2)
橋梁(2)
下諏訪町役場(2)
町営球場(2)
赤砂(2)
町長(2)
武居(2)
山王台(2)
宮田小路(2)
宝生橋(2)
東山田(2)
鷹野橋(2)
天井川(2)
記念碑(2)
湖畔道路(2)
樋橋(2)
諏訪女子学園(2)
林工業の看板(2)
千尋池(1)
池(1)
千尋講(1)
道路工事(1)
駅前通り(1)
失業対策(1)
シロトリ写真館(1)
舗装工事(1)
下の原(1)
春宮参道(1)
吉沢製材所(1)
水車(1)
水力(1)
生活風景(1)
子どもの遊び(1)
開通(1)
渡り始め(1)
戦争(1)
大詔奉戴日(1)
行進(1)
下馬橋南(1)
女子青年団(1)
グラウンド(1)
下諏訪体育館(1)
大門(1)
風景写真(1)
無橋脚(1)
鉄橋工事(1)
諏訪湖遠景(1)
信金(1)
JUSCO(1)
下諏訪南小学校(1)
上川(1)
橋付近(1)
土橋家(1)
土波新田(1)
文化財(1)
肖像(1)
立体交差(1)
新道路(1)
高浜橋(1)
国道20号(1)
鉄道(1)
下社春宮(1)
太鼓橋(1)
街並み(1)
銅像(1)
片倉(1)
葉書(1)
建立(1)
氾濫(1)
福沢川(1)
被害(1)
出水(1)
萩倉(1)
観音堂(1)
句碑(1)
芭蕉(1)
200年忌(1)
垂木岩(1)
西餅屋(1)
棧橋(1)
間道(1)
赤渋山(1)
林道(1)
砥沢山(1)
桶橋分岐(1)
境内(1)
川(1)
山七製糸場(1)
バス(1)
看板(1)
餅屋峠(1)
茶屋(1)
交差点(1)
新田中線(1)
赤砂橋(1)
西大路(1)
砥川住宅(1)
老人福祉センター(1)
赤砂先(1)
下諏訪港(1)
定期航路(1)
ジェットライナーすわこ(1)
諏訪湖開き(1)
買い物風景(1)
食品(1)
販売(1)
集落(1)
富士見橋(1)
土手(1)
オオマツヨイグサ(1)
カジカ(1)
魚とり(1)
医王渡橋下(1)
富士山(1)
三協精機社宅(1)
眺望(1)
夕景(1)
河口橋(1)
孵化場(1)
わかさぎ(1)
天竜川(1)
千本煙突(1)
繭倉(1)
4層(1)
びたら橋(1)
人力車(1)
車夫(1)
大木(1)
日陰(1)
西弥生町(1)
阿木翁助(1)
高等学校(1)
新道(1)
旧道(1)
国道142号線(1)
和田峠トンネル(1)
旧和田峠トンネル(1)
碁(1)
碁會所(1)
婦人会(1)
戦時中(1)
敬老会(1)
青年会(1)
紀元二千六百年(1)
高の橋(1)
西赤砂(1)
リンゴ園(1)
果樹園(1)
十四瀬川(1)
西大路通り(1)
岡谷下諏訪線(1)
ログイン
トップページへ