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上田城の歴史
上田城は天正11(1583)年真田幸村の父である真田昌幸によって築城され、天正13(1585)年第一次上田合戦・慶長5(1600)年第二次上田合戦の二度にわたり徳川の大軍を退けたことで知られています。 二度もの実戦経験があり、上田城のような戦歴を持つ城は全国でも珍しく、他に例がありません。 関ヶ原の合戦後、上田城主は真田信之となり、以後には仙石氏(三代)、松平氏(七代)と代わり、廃城後は公園となり現在に至っています。
2021-10-29
2
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から
信州が蚕糸王国ってホント? ポスト蚕糸業(産業)の視点から(講演採録全文) 講師:前川道博(長野大学企業情報学部教授) ▼元の講演はコチラ https://youtu.be/yS-xdWDMTwE?t=2779 信州学「信州の蚕糸業とシルクロード」講座 第2回 2016年10月6日/まちなかキャンパスうえだ
【1】蚕糸業って何? 蚕種製造、養蚕、製糸
■そもそも蚕糸業とは?
今回、この講座は、多くの方に、後からも学習していただけるように、ということで、オンデマンド配信することを想定していますので、全く初めての方がこれを見ると「えっ? 蚕糸業って何?」、そういう基本的な疑問ですね。これを最初の方は誰もわからないわけです。その辺のところも含めてお話をさせていただきたいと思います。
2021-07-15
3
上田蚕種-2
上田蚕種協業組合事務棟の説明文。建物の特徴について説明されている。上田蚕種株式会社は時代の進行に伴って蚕糸の中心地から軍需工場、そして戦後の名称変更等、様々な役割を担っていた。このような建物の存在は、主に20世紀における上田の様相の変化を知るうえで重要であると考える。
2021-05-05
4
上田蚕種-1
上田蚕種協業組合事務棟の写真。この建物は、1916(大正5)年に上田蚕種株式会社として建てられた。上田蚕種株式会社は、上田蚕糸専門学校(現・信州大学繊維学部)や小県蚕業学校(現・上田東高校)を抱える上田市常田に設立され、上田蚕糸の中心地として機能した。戦後に協同組合及び協業組合として一時名称が変更されたが、2003(平成15)年に再び株式会社の名が復活した。協業組合時代に建物が国の登録有形文化財に指定されたため、この名になっている。
2021-05-05
5
猫山遊佐准尉自決地
第二次世界大戦中、教官を務めていた遊佐卯之助准尉の自決現場。終戦後妻子と共に自決したらしい。戦時中多くの教え子が特攻でなくなってしまったり責任を感じていたのかもしれない。戦争から生き延びた命を自ら捨てるほどの信念が彼らには会ったのだと思うと、すこし悲しくなった。
2021-05-05
6
原田市神社
長野銀行の駐車場に堂々とした様子で建てられている神社です。今回の調査の中で一番小さい建物で、車で走っていたらなかなか気づきにくいこともあります。 なぜこんな所に建てられているのか気になり、調査しました。この神社の説明には、「城下町を造るにあたって市の守護神である高市事代主命を勧請して祀った神社」と書かれています。そして、ここまで小さくなってしまった原因は「第二次世界大戦後に道路が拡幅されたからだ」とも書かれています。供えられている供物や植えられている植物がしっかりと手入れされていたので、今でもなお忘れられず、崇拝されているのだと考えます。
2021-05-05
7
南牧村公民官報
戦後の南牧村の開拓史資料
2021-02-27
8
第二次農地改革に就て(『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁)
農地改革に関する記事。 戦後日本で行われた政策のひとつである農地改革の実際の内容を見て取れる。 これにより土地を得た人と取り上げられた人がいることが良くわかる。 農地委員か地方長官の許可がないと取得・取り上げが行えず行政の管理下に置かれている。 ▼この記事は以下から参照できます。 #963
『西塩田青年団報』第4号(1946年11月25日)1頁
2021-02-10
9
事業部の構想(『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁)
戦後、西塩田青年団報となった。 「事業部の構想」の記事。 終戦後の復興に向けた心構えや意気込みが見て取れる。 食糧不足も続いており、遊休土地の利用や未利用資源の活用などぎりぎりの状況である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #952
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁
2021-02-10
10
山本宣治 高倉・テル 齋藤房雄 記念碑
別所温泉の交番から安楽寺へ向かう途中右手上に、建てられている。 説明板のテキスト 山本宣治 高倉・テル 記念碑について 齋藤 房雄 昭和初期の大恐慌の中、上小(上田・小県)農民組合連合会が結成 され、小作料値下げ、土地取り上げ反対などの運動に立ち上がった。 これよりまえ、上田自由大学の講師として別所に在住していたタカ クラ・テル(高知県出身、文学者、日本共産党衆・参議院議員)は 農民運動・民主主義と社会進歩の運動に指導的役割を果たした。 一九二九年三月一日、上小農民組合連合会は第二回総会にタカクラ の義兄弟にあたる山本宣治(京都府出身、生物学者、労農党代議士 『山宣』)を招く。 この記念講演は「千名を超える聴衆に深い感動を与えた。 この講演から四日後の三月五日、山宣は治安維持法改悪承認の議
2020-12-30
11
夏の料理『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁
家庭で作る夏の料理のレシピを紹介した記事。 「いかの桃和え」や「れんこん飯」「エッグのプラントサラダ茄子のサラド」など馴染みのないレシピが紹介されている。 文字を追って工程を想像するだけでも楽しい。 これを参考にすれば昭和の料理を味わうことができるかもしれない。 名前の間違いがペンで直されているのもレアではないだろうか。 ▼この記事は以下から参照できます。
『西塩田時報[戦後]』第16号(1948年6月25日)2頁
2020-12-14
12
入学前の家庭教育に就て(『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁)
この記事は、親御さん宛に、小学校入学前の子どもに教育しておいてほしいことが書かれている。 親であれば教えているような基本的な内容ではあるが、箇条書きで、マナーから、友達や先生との接し方、家庭での生活に関わることまで、とても細かく書かれていて驚いた。 わたしが小学校に入学するときに「これはできていないとだめ」「せんせいやともだちとはなかよくしなさい」などと教育された覚えがない。当時西塩田地域では記事のように徹底して教育されていたのだろうか。この記事を読んでから、この時代の教育に興味が湧いた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #976
『西塩田時報[戦後]』第1号(1947年1月25日)2頁
2020-12-14
13
緑化運動に寄せて『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁
緑化運動についての意見が書かれた記事。戦争によって失われた信州の情景の美しさ心の豊かさを説き、気持ちを奮い起こさせている。 『戦いは破壊のみに終つた。』 戦後の景色と人々の思いが伝わってくる最初の一文。 戦後まだ間もない人たちの、緑を、信州を愛する思いに触れ、私たちも今一度、森林問題について関心を向けるべきであると思わせられる。 ▼この記事は以下から参照できます。
『西塩田時報[戦後]』第14号(1948年4月25日)1頁
2020-12-14
14
第一回女性討論會開かる(『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁)
この記事は、昭和23年3月11日に女性のみが集まって行われた討論会の内容について書かれている。 この記事の面白いところは、当時の女性たちの抱えていた問題や、彼女たちの考えを知ることができるという点である。 特に「結婚上の問題について」という項目から、当時らしい寵愛結婚か見合結婚かという議論や、現代でも増えている結婚の簡略化や結婚費用の問題などについて討論されていたことに対して、興味深く感じられた。 ▼この記事は以下から参照できます。 #1009
『西塩田時報[戦後]』第13号(1948年3月25日)3頁
2020-12-14
15
西塩田時報
戦後初の創刊。
2020-12-14
16
「西塩田時報」戦後 第10号・11号 (1947年11月30日)
日本の敗戦後の復興について語っている。 過ちを認め、反省することで先の未来が待っていると言っていて、マスメディアとして素晴らしいと思った。
2020-12-14
17
民主々義と現代青年の任務(『西塩田時報』第1号(1946年8月25日)3頁)
戦後日本が民主主義を採用することは必然であり、日本独自のデモクラシーを建設して日本の存在意義や世界への貢献としようという記事。 終戦後日本は民主主義国家へとなっていくがアメリカやイギリスの真似ではなく日本独自の天皇を戴く民主主義を建設しなければならないといったような内容が書かれており、国家のアイデンティティというものを考える面白い記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #953
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁
2020-12-14
18
謹んで諸兄の御冥福を祈る(『西塩田時報』第17号(1948年7月25日)3頁)
第二次世界大戦で亡くなった方々の冥福を祈る内容と、国が行った侵略戦争の悔い嘆くと共に平和への道を築くと誓う内容の記事である。また、戦死した上田市に住む人々の名前や死因などが記載されている。 敗北した日本で生き残り、そして戦争の実態を知って悔恨の念を感じながら平和を実現すると心に誓うという凄絶な内容に心を打たれた。 ▼この記事は以下から参照できます。(戦死した方々のリストも以下URLで閲覧可能) #1021
『西塩田時報[戦後]』第17号(1948年7月25日)3頁
2020-12-13
19
抜け切れぬ弊習 村議戦を顧みて (『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)1頁)
この記事は、地方村初めての民主選挙の不完全性や不足点を列挙しているというものだ。この記事の面白い点は、歴史的な変遷の形を地方の目線から見ているということだ。 選挙制度の整備や選挙運動の問題といった改革直後の甘さを感じさせている点は面白く、また歴史的な目線でも学習になる。女性の候補者の問題も今にも名残を感じる課題として歴史を感じた。 こういった戦後の不安定な状況からいかにして立ち上がっていったのかここからの興味が尽きない素敵な記事である。 ▼この記事は以下から参照できます。 #989
『西塩田時報[戦後]』第5号(1947年5月20日)1頁
2020-12-09
20
『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956)ページごとの画像
それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 (『西塩田時報』全ての号のページごとの画像リンクHTML記述データは
コチラ
。) #951
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)1頁
#952
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)2頁
#953
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)3頁
#954
『西塩田青年団報』第1号(1946年8月25日)4頁
#955
『西塩田青年団報』第2号(1946年9月20日)1頁
#956
『西塩田青年団報』第
2020-12-06
21
『西塩田時報』Vol.2(戦後編1946~1956年)
『
西塩田時報Vol.2
』(戦後編1946~1956年)
398頁/容量 252MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次からは分割したPDFをダウンロードしていただけます。
<目次> 西塩田村青年団報(1946)第1号~第5号
[LINK]
11MB 西塩田時報(1947~1948)第1号~第20号
[LINK]
23MB 西塩田時報/公報(1948~1950)第21号~第40号(公報34号~)
2020-11-30
22
『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データ
ページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。
1ページ
表紙
2ページ
序
3ページ
4ページ
緒言
5ページ
6ページ
編集の経過
7ページ
8ページ
目次
2020-06-28
23
上田藩主居館跡(上田高校)
上田城に近く現在の上田高校のある地に、関ヶ原の合戦後、上田を治めることになった真田昌幸の嫡男である信幸(信之)の居館が築かれた。信之はここで政務を取り仕切っていたといわれている。その名残で上田高校の正門は写真のように当時の正門が使われ、周囲には堀(水堀り)も見ることができる。
2020-06-23
24
第十九国立銀行について-5 (八十二銀行)
八十二銀行上田支店。これまで、上田は生糸業の発展によって栄えたが、第一次世界大戦後に続いた慢性不況と1929(昭和4)年の世界恐慌により生糸価格が崩壊するなど、その繁栄にも暗い影が忍び寄ってきた。このような不況により、当時、県内の最大銀行であった信濃銀行の倒産などが発生し、長野県は「全国一の不況県」と言われるまでになった。このような中、1931(昭和6)年、第十九、六十三銀行が合併し、それぞれの行名の数字を足した呼称である「八十二銀行」が誕生した。
2020-06-23
25
日露戦後忠魂碑(上田市)
日露戦争に出征し戦死した兵士の記念のために制作された記念碑。上田市からも戦争に出征し戦った人がいることが分かるものである。一人一人の名前が記されており、地域の記録として存在している。戦争と平和について考えさせられるものである。
2020-05-25
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