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つけば漁
「つけば漁」とは、江戸時代から続いている伝統的な漁法。 群馬県で一、二箇所、長野県でも犀川、高瀬川などの数本の川でしか行われていない珍しい漁法。最も盛んなのがここ千曲川のある上小地区。この漁法は、魚が産卵したがる「つけば」を人工的に作り、産卵のためそこに集まった魚を投網で捕らえるもの。 しかし、この漁を行うには、きれいな砂利の管理が必要らしく、1日に2・3回、朝は5時から始まって掃除をしているらしい。 ・「つけば」とは、『種付け場(産卵場)』がその名の由来 <参考> 「千曲川の伝統漁法「つけば」つけば小屋で川魚を味わう」うえだトリップなび (https://ueda-kanko.or.jp/blog/special_tsukeba/) (2022-1-24 閲覧)
2022-01-26
2
上田工業の歴史
①蚕のまち上田 江戸時代の末期から昭和にかけて、長野県経済は蚕糸業に支えられていた。上田はそんな長野県中でもいわゆる「蚕都」として名をはせていた。その要因としては、扇状地や河岸段丘の発達により桑の栽培適地であったこと。また、雨が少なく乾燥した気候が蚕の飼育に適していたこと。そして全国にさきがけて開校された、小県蚕業学校(現在の上田東高校)や上田蚕糸専門学校(現在の信大繊維学部)などによる蚕業教育が充実していたことが挙げられる。 ②精密機械工業へのシフト 長野県が戦前から養蚕・製糸業に代えて精密機械工業へと産業育成の重点をうつし、かつ終戦後の1960年代には高度経済成長で商工業が発展したこともあり、上田の蚕糸業(養蚕、蚕種、製糸)も例外なく衰退を迎えた。しかし蚕糸業で培われた技術的
2022-01-25
3
信濃国分寺本堂
本堂は1829年(文政12年)に発願、1840年(天保11年)に起工、1860年(万延元年)に竣工した。近世の堂としては東信地方最大の建造物で、彫刻にみられる鋭い彫りや、絵様に江戸時代末期の特徴があらわれているそう。
2022-01-25
4
山口大根
山口大根は今から400年前(江戸時代)から栽培されている伝統野菜。電球型で、水気が少ないのが特徴的だそう。熱を加えると甘みが増し、天ぷらにすると美味しいらしい。機会があれば是非食べてみたい。
2022-01-25
5
戌の満水とは
長野県千曲川流域の歴史的な洪水として、仁和4(888)年の洪水、弘化4(1874)年の善行寺地震の後の洪水がよく知られている。ところが、寛保2(1742)年の洪水「戌の満水」は、全国的にも近世以降最大の水害と呼ばれているのに知らない方が多い。 その理由の一つとして、昭和16(1941)年に連続堤防が完成、大きな水害が激減し流域住民の洪水への恐れ、関心が急激に薄れてきていることが挙げられる。しかし、寛保の洪水が「未曽有の水害」「前代未聞の水害」といった表現のまま、流死者など具体的な被害実態が集計されてこなかったため、訴える力が弱かったこともある。 流死者は2800人前後に達することが明らかになり、長野県内で被害が大きかった「三六災害」の死者は107人、不明が29人である。現在の
2022-01-24
6
江戸の上田(『上田古地図・絵図デジタルアーカイブ』)
江戸時代の上田を知るためにまずは『上田古地図・絵図デジタルアーカイブ』を閲覧した。天正の図は確かなものが見いだされていないそうだ。この頃は河が目立ち、寛永のの図では侍町というものが登場している。正保になると上田城の形がよく見えるようになっている。時代が進むにつれて図の見やすさも表れ面白かった。
2022-01-21
7
3回目のキュレーションに向けて
今まで2回のフィールドワークを行ってきた。 2回行ったなかで私の歴史に関する関心は「江戸時代」であることを再認識したので、江戸に関連した探求を進めていきたい。
2022-01-21
8
地元の食文化
私が今回焦点を当てたテーマは、佐久市で食されている、鯉や鮒といった県外では食用として馴染みが少ない食材に焦点を当てました。 佐久鯉の歴史は古く、江戸時代、天明元年に佐久桜井村の臼田丹右衛門が、「大阪淀川産」から親鯉数尾を佐久に持ち帰り飼育したことが始まりとされています。交通網が発達していない時代、内陸県の佐久市において、鯉は貴重なたんぱく源であり、当時から人々が集まるような大きな席では必ずと言っていいほど並んでいたほどなので、当時の時点でかなり浸透していたと考えられます。 鯉自体、他の魚の中でも群を抜くほど栄養素が高くも中国では古来から「薬用魚」と言われており、重宝されていたそうです。 そして鯉や鮒が佐久市に根付いた他の理由として佐久市は当時主流であった二毛作が難し
2022-02-08
9
上田の蚕種業
【上田の養蚕業】 江戸の末期から昭和にかけ、全国一の養蚕地帯でった長野県。特に上田地方は千曲川から広がる桑の栽培に適した地形と降水量の少ない養蚕に適した気候、そして蚕種の改良から日本一の蚕種製造地帯であった。中でも上田盆地は春蚕の生産地であり、松本盆地の夏秋蚕と対比されていた歴史がある。 【上田の蚕種の歴史】 -蚕種の始まり- 長野県では上田地方がいち早く、藤本善右衛門家によって1661年~1673年に蚕種製造がはじめらた。 上田地方の蚕種製造は ①奥州産蚕種を仕入れ販売(仕入種) ②奥州へ出向き蚕種製造(手作種) ③自家製造(地種) と順を追って成長し全国に販路を広げていく。 -蚕種製造が盛んになった背景- ① 江戸時代、経済が発達による養蚕業や織物業の奨励 ② 蚕種・養蚕・製糸の分業化 この
2021-12-22
10
真田街道へ
真田街道ののれんが立ち並んでおり、暗い中でも 目立っていました。 交差点付近に石碑が建てられており、 車通りの多い道路がすぐそこにあって騒がしい感じがしていたけれど、歴史を感じる静かな雰囲気がありました。 真田氏 祖父幸隆、父昌幸、兄信之が統治した地を結ぶ街道の通称で、江戸期には嬬恋村を通って高崎市方面へ抜ける街道を上州街道、信州街道と呼び、高崎市から沼田市を通って片品村、会津方面へ抜ける街道を会津街道(群馬県側の総称)、沼田街道(福島県側の総称)と呼んでいたとされています。 URL:https://www.city.ueda.nagano.jp/contents/sanadakaidou/
2021-12-15
11
柳町
上田城築城とともに作られた城下町であり、旧北国街道沿いの江戸時代のころからの面影が残る街並みになっています。現在ではお酒や味噌などのご当地名産品を扱っている店が多くあります。上田城から歩いて10分ほどの距離のため、お城への観光のついでに寄ってみるのもいいでしょう。
2021-12-17
12
上窪池
上窪池は1645年に築造されたとあり、江戸時代に改修される以前は泥池と呼ばれていた。塩田鯉の養殖にも使われていた。池のほぼ北西に泥宮が祭られておりこの二つは一対の物と考えられる。泥は稲作にとって欠かせないものであり、稲の母として古来泥は神聖なものとして扱われてきた。また夏至の日には太陽の昇道がまっすぐ鳥居の真ん中にくる。
2021-11-20
13
絵と歌で綴る 小諸の江戸・明治・大正 小諸唱歌
小諸唱歌の歌詞とその解説についてのPDF資料です。小諸唱歌は、明治38(1905)年に池田芦舟と星野香山合作作歌、長尾亥三太作曲のもと作られ、大正15(1926)年に改正・追加作が行われました。歌詞には小諸地域の地理や街の様子が歌われています。特に戸数についても歌われており、当時の小諸の発展ぶりをよく伝えています。
2021-11-15
14
蚕都上田探訪/飯沼郷蔵
郷蔵とは江戸時代、年貢米を貯蔵した倉庫です。飯沼(上田市生田)にあるこの郷蔵は教育委員会の説明板によると1729年に建てられ、その後度々の改修を経て現在に残っています。 この郷蔵からは幕末期、横浜からの生糸輸出を裏付ける大量の資料が発見されています。横浜開港資料館などが長年かけてその調査研究に当たってきました。驚くべき米倉庫です。我が国の生糸輸出や蚕糸業の歴史を紐解く数多くの文書がこのような倉庫に残っていたことも驚くべきことです。 この場所は飯沼の集落内にあり道は狭くわかりにくいので現地に行くには注意がいります。マップに位置を示しておきました。
2021-09-19
15
上田の人物伝一覧(『上田市史』1940から)
『
上田市史・下巻(1940)
』の「社寺古墳及人物誌/
人物篇
」をハイパーメディア化。(長野大学「マルチメディア論」2020/2021実習で分担作成)
人物01 真田昌幸
真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。
人物02 真田信之
真田昌幸の嫡男、永禄九年生る。母は寒松院三修氏、幼名を源三郎と言ふ。
人物04 真田幸村
幸村は正幸の代二子、永禄十一年生ると云う。
人物05 仙石政俊
先の小諸城主後上田城主たりし仙石忠政の
2021-07-21
16
人物59 八木与一郎
兼助の子、慶応三年九月十五日江戸麹町六番町の薩邸に生る。(略) 尚最近菅平生物研究所長たり。 『上田市史・下巻(1940)』1090、1091頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇
2021-07-20
17
人物09松平忠厚
忠厚、通称銀次郎。上田藩主松平伊賀守忠固の二男にして、嘉永四年八月二十四日江戸に生る。 『上田市史・下巻(1203)』1019頁を転載 (目次位地) 社寺古墳及人物誌 人物編
2021-07-19
18
人物52 久米由太郎
嘉永五年二月二十四日江戸小石川小日向新坂に生る。(略) 稀に見る盛儀なりき。 『上田市史・下巻(1940)』1265頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇
2021-07-14
19
「蚕都上田」という呼称
上田がいつごろから「蚕都」と呼ばれていたのかは定かではない。文献としては、1919年(大正8)年に上田で創刊した蚕業雑誌「蚕都新報」に「蚕都」という文字が現れるため、それ以前より蚕都と呼ばれた可能性があるが、江戸期及び明治期の文献からは確認できないとされている。また、伊達郡(福島県)で江戸中期に製造された蚕種「蚕都」が有名となり、上田小県でも知られていたことから、上田における「蚕都」はそれ以降に求められると考えられる。
2021-05-30
20
信州そば・江戸前そばの発祥
信州そば そば切りは1574年の信州木曽定勝寺の落成祝いに振る舞われたのが最古の文献記録。日本国内では蕎麦が食べられてたが、「そばがき」や「そば団子」などが主流。 信州は山間地、高冷地が多く、昼夜の気温差が高くて蕎麦の栽培には最適な土地。 江戸時代には信州信濃国の本山宿から全国に麺状の蕎麦が広まっていった。 江戸前そば 男一人で江戸に出張する機会があるため、外食ビジネスの需要が高まった。1657年頃、浅草にできた一膳飯屋を皮切りに、蕎麦を提供する店が出現。気軽にお腹を満たせるスタイルが江戸っ子に受けて、町には蕎麦屋が瞬く間に増えた。
2021-05-14
21
そばの歴史
蕎麦が日本の歴史上はじめて文献に登場するのは、奈良時代の歴史を記した「続日本記」で8世紀頃。栽培の容易な蕎麦は救荒作物として奨励された。 鎌倉時代、室町時代になると頻繁に文献に登場。そばの栽培が普及していった 江戸時代には信濃国本山宿から蕎麦を麺状にする「そばきり」が全国に広まったと伝えられている。とりわけ江戸では信州そばがルーツとされる江戸そばが大変な賑わいを見せる。 江戸で1789年に信州の行商人が信州更科蕎麦屋を始めたのをきっかけに、藪そばと共に江戸中にそばが広まった。
2021-05-14
22
江戸前三大そば
江戸時代に生まれた「藪」「更科」「砂場」からなるそばの御三家。藪そばはつゆが濃く、更科そばは淡白でのどごしがよい。砂場そばはそばそのものの香りや味わいがよい。 それぞれ発祥は東京、長野、大阪。 参考 https://mi-journey.jp/foodie/28988/
2021-05-14
23
駿府城
これは静岡市にある駿府城の写真である。別名が静岡城や府中城。築城主は徳川家康であり、石垣やお濠などが存在する。いくつか再建造物があるがとても歴史があるものである。上田には上田城があるため相違点や類似点などを見る懈怠と思う。
2021-05-05
24
柳町
北国街道沿いの家並みが残る通り。現在では信州上田の魅力的な名物・銘品を扱う店舗が並ぶ、江戸時代の面影を残した上田城下の商い処。昔ながらの街並みがとてもいい雰囲気を醸し出している。写真ではなかなか伝わらないので実際に行ってみることがおすすめ。
2021-05-05
25
北国街道
北国街道とは野尻から追分まで続く江戸幕府によって整備された脇街道で日本の街道の1つです。小諸市のある場所から撮ったが、ここを見ていると現代とはまた違うレトロな印象を与え、残存し続けているのが面白い。
2021-05-05
26
上田城跡公園
徳川家康が上杉氏に対抗するために築城した。その後上杉に奪われ増築されている。真田氏が第一次上田合戦時、徳川の軍を撃退。現在残っているモノは江戸時代に再建されたモノらしい。堀は深く出入り口も限られているため、責めるのはとても苦労したことがうかがえる。自然豊かで、落ち着いているため観光目的でも休憩目的でも立ち寄る価値は十分あると思う。
2021-05-05
27
薬師如来像と薬師堂
薬師堂とは,薬師如来を本尊とする仏堂の呼び方です。薬師如来とは,病気などに効果がある仏とされています。 この薬師堂は江戸時代後期より存在していたとされており,昭和になり向きを変える移築作業が行われました。その後,平成25年(2013年)に現在の建物が建築されています。 身近なところにとても歴史が深い建築物あり,とても驚きました。
2021-05-04
28
潮海寺
奈良時代、聖武天皇のころ(およそ750年)名僧行基により開かれたと伝えられる当地方きっての古刹高野山釈迦文院の直末といわれ、平安時代に坂上田村麻呂の帰依によって寺領が寄進されたといわれている。往古は寺領3千石、寺域に75坊を数える名刹として知られていたが、兵火により全焼し、伽藍の規模は残された22の礎石と布目瓦によってしのばれるのみ。 現在、この地には朱塗りの薬師堂金剛院が建てられ、薬師如来縁日の毎月8日午前10時から護摩が焚かれている。不動明王像が安置されている書院風の学頭坊は、薬師堂の南200メートルほどのところにあり、さらに100メートルほど南に市指定文化財の仁王門がある。江戸中期に建てられ、平成3年に解体修理が行われた寄棟造りの八脚門の左右には、高さ3メートルほどの寄木造りの仁王像が立ってい
2021-05-03
29
黒田代官屋敷
黒田代官屋敷とは、現在の静岡県菊川市下平川にある江戸幕府旗本・本多助久の代官となった黒田家の屋敷。現存している18世紀中頃の建築物として大変価値が高く、主屋、長屋門、米蔵、宅地など 屋敷全体が重要文化財に指定されている。この貴重な文化財の黒田代官屋敷は、現在、22代黒田家のご家族が居住されている。
2021-05-03
30
大頭龍神社
大頭龍神社は静岡県菊川市加茂の高台に鎮座し、古くから疫病鎮護、水難除けの神様として崇敬されている。境内には江戸時代中期に建てられた青銅の大鳥居や、推定樹齢300年以上の巨樹、スダジイなどがある。祈願をする際にはお世話になった。
2021-05-03
31
上田市 手塚地区について
手塚(てづか)は上田市の西塩田に位置する地区である。付近には独鈷山があり、ため池も多く、別所温泉も近い。 手塚の地名の由来は、伝承によると、奈良時代に塩焼王が反乱を起こして当地に流罪となったが、再び勢力を挙げて反乱を企てたため、最終的に坂上田村麻呂によって討伐され、その塩焼王の怨霊を恐れた当地の人々によって両手を埋葬された事に由来するとされる。なお、この塩焼王の両手を埋葬した場所が、現在も「王子塚古墳」として残っている。 平安時代にはこの地より手塚氏が出て、手塚光盛が源義仲の家臣として活躍した。後に、この手塚氏からは江戸時代に水戸藩に仕えた手塚良仙光照という蘭方医 がおり、さらに、日本漫画界の巨匠である手塚治虫もこの手塚氏の系統だとされる。 手塚の地名の由来にこれほど偉大な歴
2021-02-27
32
萬葉集(写本)
『萬葉集』(写本)全9帖 (市立小諸図書館所蔵) 『萬葉集』とは・・・ 飛鳥・奈良時代の歌集で、約130年間の長歌、短歌、旋頭歌、仏足石歌など4500首余りを収録。天皇、皇后をはじめ一般民衆の歌まで含んだ歌集。 【参考文献】『国史大事典』(国史大辞典編集委員会/編 吉川弘文館 1992) 本書は、江戸初期の写本といわれていて、国文学者佐佐木信綱氏の著書『萬葉集事典』(平凡社 1956)の諸本―写本の項で『小諸本萬葉集』として収録されています。 綴葉装(てっちょうそう)の活字附訓本で、缺本(欠けた巻がある本)で、5,6巻が欠けています。 サイズは、縦23.5cm×横17.5cm。 小諸藩主牧野氏の蔵書で、のちに小諸町で酒造業を営んでいた大塚宗次氏が購入、大正3年(1914)に財団法人小諸図書館へ寄贈されました。 大塚宗次氏に関
2021-02-16
33
現在の海野宿(2021年)
2021年1月27日に撮影した海野宿の写真である。 奧には白鳥神社がある。 写真の一番手前に見えるうだつは、「本うだつ」と呼ばれており、江戸時代の裕福な家に見られたうだつである。 また、屋根の横の白く、黒い横の線が入っているうだつは「袖うだつ」と呼ばれているうだつであり、明治時代の裕福な家に見られた。
2021-01-27
34
岡谷蚕糸博物館(2)
(岡谷蚕糸博物館(1)の続き) 2つ目のコーナーでは、江戸時代から昭和期までの製糸機械類が年代順に展示されていた。様々な製糸機械類が一堂に展示されており圧巻だった。 3つ目のコーナーには、先人が残した経営資料などが展示されており、かつて「糸都」と呼ばれた岡谷の歴史を辿ることができる。館内では音声ガイドを無料で借りることができ、展示を見るだけでなく、同時に解説を聞くことで岡谷の製糸業についてより深く理解することができるためおすすめだ。 最後に体験コーナーという場所もあり、実際に繰糸機に触れることができる。私が訪れたときには、子供達が楽しそうに繰糸機に触れており微笑ましかった。 参考URL:
施設のご案内|岡谷蚕糸博物館
2021-01-27
35
上田紬の特色
上田紬の特色としては、手触りが良く軽く丈夫で、吸放湿性の高い絹であることが分かった。真田昌幸・幸村父子の活躍により有名になったことから、真田幸村のように丈夫で強いといわれることもあったそうだ。縞や格子柄のデザインが多く、シンブルで飽きの来ないデザインが江戸時代から受け継がれていることが分かった。 参考文献:上田紬 http://ueda-tsumugi.com/#rashisa 小岩井紬工房 http://www13.ueda.ne.jp/~koiwai-tsumugi/index.html
2021-01-26
36
上田紬について
この資料から、上田紬を有名にしたのは真田昌幸・幸村父子だということが分かった。また、江戸時代では絹織物を身に付けることが禁止されており、絹であっても生糸ではないと容認され庶民から高い支持を得ていたという。 上田紬の良さとしては、裏地を三回取り替えられるほど長持ちするという軽く丈夫な点であることが分かった。 参考文献:(上田紬 http://ueda-tsumugi.com/#hajimari)
2021-01-26
37
高崎だるま
群馬県ではだるまが有名である。どこのお店や家に行っても大小様々でデザインも豊富なだるまが飾られている。 ○だるまの歴史○ だるまの発祥の地は群馬県の高崎市の少林山達磨寺だといわれている。高崎のだるまはもともと「富岡だるま」と呼ばれ親しまれてきた。しかし昭和30年に富岡が高崎市と合併し富岡村の名前が消えて以来、「高崎だるま」「縁起だるま」「副だるま」などの呼び名が付いた。だるまは江戸の人々が疫病から逃れるために、祈り、まじないを信じて作ったと考えられている。当時疱瘡が子どもの間で流行り、この病気は赤色を嫌うとされていたことから、早く治るようにとだるまには赤色に塗られた。疫病の予防法が見つかったことにより、だるまは農作祈願のための縁起物として買い求められるように変化した。特に群馬
2021-01-26
38
ため池とは?何故塩田にため池が作られたのか?
画像は上田市の「舌喰池」 ため池とは、雨量が少なく河川がない地域などで、灌漑用水を確保するために人の手によって作られた池である。また、ため池の多くは江戸時代以前に築造されたものである。 塩田に数多のため池が作られた理由も、降水量の少なさが原因である。しかし、降水量が少ないという事は、晴天の日が多いという事でもある。塩田は気温や肥沃が良好で、用水さえ確保できれば水田農業に適している土地であった。従って、農民達は塩田にため池を造成したのである。 参考文献
ため池のれきし - 信州上田|塩田の里|とっこ
ため池:農林水産省
2021-01-25
39
過去記事まとめリンク+α
生島足島神社
上田市内のローカルレストラン探訪 #1 ミルキーウェイ
【エモい】夜のローカル鉄道無人駅
【道なき道】くらます山散歩道
上田市内のローカルレストラン探訪 #2 拉麺酒房 熊人
上田市内のローカルレストラン探訪 #3 隠れキッチン
上田駅周辺市街地
上田市内のローカルレストラン探訪 #4 刀屋
2021-01-14
40
海野宿と海野町商店街の関係性
・なぜその探求テーマを選んだのか 私の住んでいる長野県東御市には、江戸時代に北国街道の宿場だった海野宿がある。また、長野県上田市には、海野町商店街という商店街がある。海野宿も海野町商店街も隣り合っている市にあるため近く、海野という名前が共通しているため、何か関係があるのか気になった。そのため、この探求テーマを選んだ。 ・何を探求しアウトプット化するのか 海野という名前の由来や関係する人物、事柄に関して調べ、海野という名前から東御市の海野宿と上田市の海野町商店街の関係性を探求し、アウトプット化したい。 ・具体的にどのような資料を調べるか 長野大学附属図書館の資料と東御市や上田市の市のWebサイトを調べる。 長野大学附属図書館にあり、調べる予定の資料 ・上田市誌 / 上田市編さ
2020-12-21
41
上田市の伝統工芸について
私は、上田市の伝統工芸について調べようと思う。 上田市の伝統工芸といえば、上田紬と農民美術の二つが挙げられる。上田紬は江戸時代から、農民美術は大正時代から今現在まで大切に受け継がれてきた。私は、この魅力ある上田市の伝統工芸についてさらに深く知りたいと思い、このテーマを選んだ。主に農民美術について調べようと思う。 インターネットだけでなく、図書館などの施設も利用し、調べていきたいと思う。
2020-12-21
42
上田の生糸、紬について
私は上田の生糸や紬について調べようと思う。 このテーマを選んだ理由は、上田紬には約400年の歴史があり、江戸中期には京都や江戸の多くの人々に愛用されていた。また、日本三大紬の一つでもある。 このような魅力がある上田の生糸や絹織物の特徴や歴史ついて調べ、上田をより知っていきたいと考えたからである。 調べた情報などをマイサイトなどを使い情報発信できるようにしていきたいと考える。 そのため、他のサイトや地域資料館などを使用し資料を調べていきたいと考えている。
2020-12-20
43
上田探検Ⅲ 上田藩主屋敷門跡
上田高校の「古城の門」は江戸期上田城三の丸藩主居館の表御門でした。この上田藩主居館表門及び土塀・濠・土塁は上田市指定文化財に指定されています。門と塀を見る限り、高校だとはあまり思えない見た目です。でも昔の形を残しているのはその時代を伝えるために大事なのだと感じました。門の近くには堀もあって、上田城に関わっているのだと感じさせられます。
2020-11-14
44
北国街道 柳町
上田城の城下町として発展した。今では魅力的な名物・名品を扱う店舗が並ぶ。江戸時代の面影を残した商店街。町名の由来は柳の木が多かったから。
2020-11-05
45
柳町。
柳町にある柳の木。柳町は、江戸時代に北国街道の宿場町として栄え、街全体が少し古風な様相を呈している。また、名前の由来ともなっている柳の木がそこかしこに立っている。非常に歴史を感じる。
2020-11-04
46
【江戸時代?】北国街道 柳町
上田駅から徒歩15分程の所にある、古風な見た目をした店が並ぶ場所です。 なんでも江戸時代の雰囲気が楽しめるとの噂で少し楽しみでしたが、正直なところ車が普通に通っていたり、道路東側は電線が張ってあったり、現代風の広告旗が置いてあったりと建物はしっかりしているだけあって残念な感じがありました。 ただ、直前にそばをたべたので今回は無理でしたが、美味しそうな食べ物がちょくちょくあったのでまた来たいと思っています。 ちなみに2枚目はモノクロ写真にしたら昔っぽい写真になるんじゃね?と思って取ったらただの綺麗な白黒写真だったものです。
2020-11-03
47
柳町の街並み
上田市街地にひっそりと佇む旧北国街道の道のり。およそ500mの石畳の通りにどこか江戸時代の雰囲気を感じさせる建造物と柳の木が立ち並ぶ。静かな雰囲気がとても心を落ち着かせる。
2020-10-31
48
椀子ワイナリー -2
ワイナリー内に展開されている屋台の1つであった「大桂商店」の販売所の看板。大桂商店は、上田市丸子にある老舗醸造メーカーである。創業は江戸時代後期の文政4年(1821年)と非常に古く、原料にこだわった多種類の味噌が有名である。地産地消にも非常に力を入れており、地元のラーメン店や菓子店とのコラボも展開している。
2020-10-27
49
佐藤尾之七邸宅(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「佐藤尾之七邸宅」(旧塩尻村上塩尻)はその一つである。 佐藤尾之七(さとうおのしち)家は、江戸時代から上塩尻村(現在の上田市上塩尻)で代々蚕種製造業を営んできた佐藤本家の分家に当たる。1727(享保12)年、本家から分家し六代嘉平次を襲名して上塩尻村の庄屋を営んでいた。尾之七は佐藤本家の当主であった藤本善右衛門縄葛(つなね 1815-1890)の四男で、分家の佐藤嘉平次家の養子となった。尾之七は1908年、佐藤本家を宗家とする佐藤一族が共同出資して発足させた藤本蚕業合名会社の設立に中心的に関わった。大正期、上田蚕種株式会社の社長となり、蚕種業界の
2020-09-23
50
藤本善右衛門邸宅(日本博覧図1897所載)
『日本博覧図』は関東を中心とした地域の名所旧跡、寺社、豪商の邸宅等を描いた銅版画集。1897年(明治30年)発刊の第12編には上田小県の寺社・邸宅等20点の銅版画が収録されている。「藤本善右衛門邸宅」はその一つである。 藤本善右衛門(ふじもとぜんえもん)は江戸時代から上塩尻村(現在の上田市上塩尻)で代々蚕種製造業を営んできた佐藤本家当主の世襲名である。昌信(まさのぶ 1773-1822)に始まり、保右(やすすけ 1793-1865)、縄葛(つなね 1815-1890)、信汎(のぶひろ 1850-1905)が藤本善右衛門を襲名した。 「藤本善右衛門邸宅」は、佐藤本家の邸宅である。佐藤本家は「藤本」を屋号としていた。1897年当時の当主は信汎(のぶひろ、1850~1905)である。 邸宅跡は現在は更地となったが、藥井門(1932頃再建)、外塀が残っている。 〔図版は上田市立博物館所
2020-09-17
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昭和のため池「沢山池」
「ため池百選」に選ばれた「塩田平のため池群」の中でも最大のため池が沢山(さやま)池です。沢山池はため池群の中では群を抜いて新しく、1938年の竣工です。 ため池の多くは江戸時代以来のものです。その中にあって昭和という時代には、問題をより根本的に解決する対策として地域の最上流にダム湖を作り、大容量の用水を蓄えることができるようになりました。このため池が現在も使われていることも感動的です。この時期、田んぼの収穫も済んで農閑期に入ります。その間、ため池は池干しをするようです。沢山湖の湖底がむき出しになった風景は私も初めて見ました。 このような大規模なため池が果たす効果も大きい一方で、維持管理などの問題もあるようです。湖の底に泥が溜まり続け、その浚渫に多額の費用がかかるようです。その昔
2020-07-30
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鷹匠町の街並みと人物
鷹匠町は、江戸時代真田正之の松代移封後の、仙石氏の時代に生まれた武士の町であるが、犬公方といわれた5代将軍徳川綱吉の生類憐みの令により翻弄された面もあったと聞くが、武家屋敷の絵図面に鷹匠、餌指と鷹匠町の地名が付されて来た。明治21年(1888年)できた信越線上田停車場から海野町に繋がる松尾町が独立したが、河岸段丘上の鷹匠町は蚕都上田を象徴する人物宅跡もあり、江戸時代から残る坂地名等の街並みや小路の風情を歩いて見ませんか?
2020-07-26
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人物52 久米由太郎
喜永五年二月二十四日江戸小石川小日向新坂に生る。(略) 以下続きにその事跡を載す。 『上田市史・下巻(1940)』1265頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌 人物篇
2020-07-23
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原町。
「萬伍蔵」と呼ばれる建物。江戸時代から昭和にかけて上田紬の問屋を営んでいた成澤家が保存している。成澤家は昭和初期の上田市長成澤伍一郎を輩出するなどの名家。
2020-07-20
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上塩尻文庫蔵
2017/09/26、長野県上田市の塩尻公民館に併設されている「上塩尻文書蔵」に潜入させていただきました。嘉永年間以後の文書が保管されています。希少なものは江戸期の地図など。上塩尻の歴史を解き明かすのに欠かせない資料(史料)の他、つい最近までの自治会の文書も保管されています。 目にする資料に接するたび、その時代に跳躍したかのようなワクワク感が沸き起こり、文書蔵=タイムカプセル体験の醍醐味を感じました。 ここに保管されている資料の他にも、上塩尻には藤本蚕業歴史館の他、個々人のお宅に私蔵されている資料があると聞いています。 東北大学の長谷部弘氏は「上塩尻には公私にわたる歴史資料が歴史学研究史上まれにみるほど大量かつ集中的に残されて」いると書いています(長谷部弘他著『近世日本の地域社会と共同
2020-07-18
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上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。 幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んでいました。その当時の蚕種製造民家は現在もなお数多く残り、「蚕種製造民家群」という全国的にも稀有な歴史的景観地区となっています。
2020-07-18
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旧堀切邸の裏
夜だったので旧堀切邸は開いてはなっかたが夜ということもありなかなかいい雰囲気だった。 昼間は中に無料で入ることができ、足湯・手湯にもつかることができる。旧堀切邸には歴史ある建物が存在し、江戸時代にタイムスリップした感覚を味わえるかもしれない。
2020-07-14
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信濃国分寺 本堂
この本堂(薬師堂)は江戸末期の建造で、東北信では善光寺につぐ規模だそうです。長野県の県宝にも指定されていることもあり、見応え抜群でした。
2020-07-13
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信濃国分寺仁王門
国道18号線に面した信濃国分寺へいざなうシンボルで、昭和53年の建立だが、江戸期の仁王像を安置しています。
2020-07-13
60
凛々しい表情の上田天満宮
アリオ上田店周辺の道を歩いていると横から、筧 十蔵像からの視線を感じました。街歩きの途中で歴史を感じることができます。菅原道真公がご祭神として奉られていて、本尊は菅原道真公の座像で江戸中期の作といわれている、、、
2020-07-13
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『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・下巻』(1937年)
1602頁/容量 213MB ダウンロード表示には時間がかかります。
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目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 製糸篇 第一章 総論 第二章 江戸時代信州各地に於ける製糸業の発達 第三章 開港以後の製糸業 第四章 日清戦争より世界大戦に至る時代 第五章 大正時代 第六章 現代 第七章 製糸技術の変遷 第八章 経営史 第九章 皇室と信州蚕糸業 第十章 本県製糸業者の米国視察と米国絹業者の入信 第十一章 生糸貿易に関する史料 <奥付> 昭和十二年六月一日 昭和十二年六月五日
2020-06-24
62
『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・中巻』(1937年)
1258頁/容量 89MB ダウンロード表示には時間がかかります。
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目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 蚕種篇 第一章 蚕種製造業の発達 第二章 蚕種販売 第三章 蚕種業の奨励 第四章 蚕種業に関する組合の起源及其変遷 第五章 江戸時代に於ける蚕種に関する法規の変遷 第六章 明治時代に於ける蚕種規則の変遷 第七章 蚕種検査 第八章 きょうそ駆除 第九章 蚕業取締事務機関の変遷 第十章 国立原蚕種製造所松本支所設置の沿革 第十一章 蚕品種の変遷附蚕品種整理に関する
2020-06-24
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『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)
『信濃蚕糸業史・上巻』(1937年)
1077頁/容量 129MB ダウンロード表示には時間がかかります。
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目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> 栽桑篇 第一章 桑園の期限及発達 第二章 桑品種の変遷 第三章 桑苗生産の変遷 第四章 栽培法の桑栽培法 第五章 桑樹仕立法の変遷 第六章 桑園肥料 第七章 歩桑々園の発達 第八章 夏秋蚕専用桑園の期限及発達 第九章 桑葉売買 第十章 桑園災害 第十一章 桑園の消長 第十二章 桑園経済 第十三章 桑園改善に関する本県当局の施設 第十四章 桑園の分布 第
2020-06-21
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飯島商店
創業は200年前の江戸時代。 JR上田駅の前にたっている。 建物は大正13年に建てられた木造3階建ての洋館づくり。 おしゃれな雰囲気で、店員の対応も相まって高級さを感じさせる。 「みすゞ飴」は土産物の一番人気の品。 工場に直結していることもあり、新鮮な状態で販売されている。 土産物にいかが
2020-06-20
65
大蔵京古墳
秋和地区の北側にそびえる虚空蔵山南麓の傾斜面に自然の地形を利用して造られた古墳。古墳の形は方墳とされているが、かつては双子塚とも呼ばれたことがあり、前方後円墳と見られた時期もある。 古墳の東隣には、江戸時代に神社の社殿が造られたり、古墳の頂部には日露戦争戦没忠魂碑が建てられている。上田盆地では、今のところ最も古い古墳と考えられている。
2020-06-12
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江戸時代のひな人形
亀齢の中では、江戸期の雛人形が見られる。 江戸時代の職人技が見事だ。
2020-06-12
67
上田高校のシンボル「古城の門」
現在の上田高校の正門である。 上田高校「古城の門」は江戸期上田城三の丸藩主居館の表御門であった。 古城の門は1789年消失後、翌年再建された。藩邸時代には通常は左右の潜戸のみが使用され、大扉は城主のみ通行できた。 屋根瓦には1706年から160年間藩主をつとめた松平氏の家紋「五三桐」が刻字されている。
2020-06-01
68
岡崎酒造
岡崎酒造は亀齢という日本酒を製造している会社です。2015年には関東信越国税局酒類鑑評会の吟醸部門において最優秀賞を受賞したこともある長野県を代表する日本酒です。1665年から、伝統的な手法を使い信州の米と水を使って作られていて、米の旨味が生きた辛口酒になっています。私も飲んだことがありますが、辛口なのに辛すぎずとても飲みやすかったです。岡崎酒造は柳町にあり、江戸時代の街道を思わせるような外観の中にあるので、ぜひ景色を楽しみに訪れてみてください。
2020-05-26
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塚田歴史伝説館
巴波川沿いにある風情ある蔵の景観を見せてくれる江戸時代の材木問屋の家屋を歴史伝説館として公開しています。塚田家は江戸時代後期の弘化年間(1844~48)から木材回漕問屋を営んできた豪商でした。当時は木材を筏に巴波川から利根川を経由して江戸深川の木場まで運んだと言われています。蔵芝居《巴波川悲話》のロボット人形劇では、ロボットおばあちゃんの三味線演奏がとても印象深いです。
2020-05-26
70
蔵の街遊覧船
栃木市の街中を流れる巴波川を船に乗って遊覧することが出来ます。川の流れに乗りながら、船頭が栃木市や巴波川の歴史や地域にまつわる話を『栃木河岸船頭唄』(とちぎかしせんどううた)と共に案内してくれます。付近は江戸時代を思わせる蔵造りの建物が並び、ドラマやCMのロケ地として度々利用されています。(「JIN-仁-」など)
2020-05-26
71
とちぎ蔵の街美術館
約200年前(江戸時代後期)に建てられた土蔵3棟を改修して、平成15年に美術館として現代に甦らせ、栃木市ゆかりの作家の作品を中心に収蔵しています。 美術品だけでなく、古い日本家屋が楽しめます。
2020-05-26
72
海野町商店街
海野町は今から420年ほど前に誕生し、江戸時代には、北國街道上田宿の宿場として繁栄しました。明治時代、上田駅開業に伴い、海野町の商圏が拡大され、街が賑わい、上田の中心街となりました。 今でも新しい店舗が次々設置されています。
2020-05-26
73
田安門
徳川家16代目の徳川家達の屋敷に置かれていた門です。家達は東京に移住したもののこの門は静岡に残され、その後の静岡大空襲でも滅びることがありませんでした。 現在は私の母校の高校の門として利用されています。そのような歴史ある門が母校にあることを誇りに思います。
2020-05-25
74
静岡浅間神社
徳川家康とゆかりが深い神社で、徳川幕府の指示によって造営されたものです。静岡を代表するお祭りの1つである廿日会祭が開催される神社として知られています。 明治時代に別々の家で管理されていた3つの神社が、1つの神社となったことが面白いなと思います。
2020-05-25
75
雪国高田の雁木通り
場所:新潟県上越市 雁木(がんぎ)とは、家の前に出した庇(ひさし)のこと。私の住む新潟県上越市では多い時には8メートル以上と昔から記録的な大雪が降るまちで、積雪時に道路を確保するために道路沿いの家々が庇を伸ばしたことで雁木通りができました。 雁木は高田を発祥に江戸時代からつくられましたが、火事の延焼を恐れて明治以降は減少しました。 しかし積雪量の多い高田地区には、現在も雁木が残っており、その長さは16キロメートルにもなり日本一と言われています。 雪国だからこそ生まれたこの知恵を大切に今後も残していきたいと思います。
2020-05-25
76
中里堤
農業用ため池で、江戸時代の終わり頃に造られた灌漑用の堤です。湖面は台形に近い形状をしており、周囲の長さは500mあります。釣りの名所ともなっています。
2020-05-25
77
雷電くるみの里
道の駅雷電くるみの里は浅間サンライン沿いに位置し、江戸時代の名力士「雷電為右衛門」の故郷が東御市であること、くるみが東御市の特産品であることから名付けられました。直売所や食堂、お土産品売店などが併設されています。特に「くるみおはぎ」はおすすめのメニューです。ぜひ一度ご賞味ください。
2020-05-25
78
蚕都上田まちあるき2009(3)~塩尻編~
主催:蚕都上田プロジェクト 2009/10/18実施 ナビゲータ-:馬場郁夫さん(上塩尻在住) 清水卓爾さん(環境ジャーナリスト) 探訪先: 小岩井紬工房、旧蚕種家宅、座摩神社(蚕影さん)、段々畑、塩尻小学校郷土資料館、元宿など(地区間の移動は徒歩) 江戸時代末期から昭和時代にかけて蚕糸業が盛んであった塩尻地区を歩いて往年の生業や暮らしをたどりました。
2020-05-24
79
ミニ講義「横浜開港と蚕都上田」
ミニ講義「横浜開港と蚕都上田」+横浜開港資料館展示解説 講師:西川武臣氏(横浜開港資料館主任研究員) 2011年3月26日 横浜開港資料館講堂にて 27分 (撮影・編集 蚕都上田プロジェクト)
2020-05-24
80
田中本家博物館
江戸時代の豪商の館を利用した博物館。江戸時代中期からの豪商・田中家の所蔵品・資料が展示されています。昔のおもちゃや人形なども展示されているため、子供も楽しむことができると思います。また、春は桜、夏は芍薬、秋はもみじ、冬は雪と四季により表情を変える日本庭園を見ることもできます。
2020-05-24
81
松本城
松本城は戦国時代の永正年間に造られた深志城が始まりで、現存する五重六階の天守の中で日本最古の国宝の城です。黒と白のコントラストがアルプスの山々に映えて見事な景観です。松本城は標高590メートルの盆地内平地に位置しています。江戸の家康を監視する城として、甲府城・高島城・上田城・小諸城・沼田城とともに秀吉側の城主が配置された江戸包囲網のひとつの城といわれています。 松本城の桜は、加藤清正が城見のために松本城を訪れた時に駒をつないだという話を伝える桜です。春にお散歩をしながらお花見をするのもおすすめです。
2020-05-24
82
椎名道三顕彰碑
椎名道三は滑川市で生まれ、生涯に開田した面積は1,200ヘクタールにも達するといわれており、多くの農民の貧困を救ってきました。優れた仕事に感謝し、その業績を永く後世に伝えようと道三の家があった近くにこの椎名道三顕彰碑が建てられました。 ほとんどの富山県民は小学生時代に椎名道三について学ぶのではないかと思います。山奥にありあまり目立たず見つけられにくい所ではありますが、歴史残る大切な石碑です。 こう見えて公園らしく多少のスペースもあるので、ちょっとした遊べる空間にもなると思います。
2020-05-23
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上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する
2018/08/18、上田市上塩尻の蚕種製造民家群と文書を見聞する会を開きました。長野大学前川研究室、上塩尻自治会、上塩尻今昔の会の連携で実施したものです。地元上塩尻の方々を中心に、建築や歴史文化の専門の方などが加わり20名ほどが参加しました。暑いとは言え、連日の猛暑からは解放されたように秋めいた爽やかさが感じられる一日となりました。
全国的にも稀有な蚕種製造民家群
幕末から近代にかけて日本の産業を牽引した蚕糸業の中でも、長野県は蚕糸王国と呼ばれるほどに近代日本の殖産興業に貢献をしました。その中で上田小県は蚕都上田と呼ばれ、その中心地の一つでした。とりわけ上塩尻を中心とした塩尻地区は蚕種製造の一大中心地となり、江戸時代から幾人もの優れた蚕種製造家を輩出した他、各家が蚕種製造業を営んで
2020-05-10
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