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1人物11 井上直元人物11 井上直元直元は上田藩士。元彼の子。(略) 以下続きにその事跡を載す。 『上田市史・下巻(1940)』1204頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-23
2あじさい小道あじさい小道前山寺から塩田神社へと続く鎌倉街道には、約1.5キロメートルにわたり紫陽花が咲いています。東前山自治会の方々によって、植栽や手入れなど、整備がすすめられてきたようです。塩田城跡から歩いていくと、紫陽花が綺麗に咲き渡っている景色が広がりました。親が紫陽花を背景に子どもの写真を撮ったり、夫婦で一緒に写真を撮る姿だったり、多くの人でにぎわっている印象でした。丁度雨上がりでしたが、この季節ならではの紫陽花をゆっくりと散歩して、たまには座りながら堪能できる時間を過ごすことができました。2020-07-22
3前山寺前山寺拝観料がかかるので私はじっくりと見ることができませんでしたが、木造茅葺き屋根の本堂と国重要文化財の三重塔があります。花の寺といわれ、桜・藤・紫陽花・イチョウなど、季節によって違った花を楽しむことができます。古い松やケヤキの大木が並ぶ参道では、木漏れ日や抜けていく風が心地よかったです。石段や石垣、大木などにみられる苔の様子に惹かれました。2020-07-22
4『菱野誌』第五章社寺『菱野誌』第五章社寺平成4年5月31日刊2020-07-21
5人物88 くさ女人物88 くさ女房山村博助の女なり。 昭和四年四歳にして野武村の四郎兵衛の養女となる。 明年四郎兵衛死し養母の手に育てられる。 『上田市史・下巻(1940)』1301頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
6人物53 正木直太郎人物53 正木直太郎安政3年11月9日上田藩士正木六郎左衛門の長男として上田市木町に生まれる。 母つねは須坂藩駒澤氏の女なり。 『上田市史・下巻(1940)』1266頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
7人物12 桂道信人物12 桂道信道信は上田藩士。 通称は四郎兵衛。 『上田市史・下巻(1940)』1205頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
8人物23 上野尚志人物23 上野尚志上田藩士。(略) 幼にして山田篁軒學び、弱冠にして古賀伺庵(精理の字)に従ひ、昌平校に學ぶ、暇あれば四方に遊歴して、文武の士を訪ふ。 『上田市史・下巻(1940)』1215頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
9人物72 はん人物72 はんはん女は上田城下の人にして父を源七と云ひ、母をすてと云ふ。(略) 時に延享元年にして、母年五十三、女年二十(封内 孝民傳) 『上田市史・下巻(1940)』1108~1109頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
10人物31 小島玉馬人物31 小島玉馬玉馬は麦二の子。(略) 年六十四。 『上田市史・下巻(1940)』1041頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
11人物75 長吉人物75 長吉房山村の人なり。父を長左衙門といふ。 『上田市史・下巻(1940)』1294頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
12人物34 活紋人物34 活紋活紋 松本藩士森久米七の第二子にして、安永四年生る。 『上田市史・下巻(1940)』1133~1135頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
13人物82 栄次郎人物82 栄次郎鍛冶町の人なり。父を市郎右衛門といふ。鍛冶を以て業とす。幼にして孝、長じて益々敦し。 『上田市史・下巻(1940)』1298頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
14人物67 黒澤鷹次郎人物67 黒澤鷹次郎利左衛門の長男、嘉永二年十一月二十三日南佐久群崎田村(現今穂積村宇崎田)に生る。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1285~1286頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
15人物45 赤松小三郎人物45 赤松小三郎本姓は蘆田氏、幼名を清治郎、忌み名は友裕叉惟敬と云う。天保二辛卯年四月四日上田木町に生る。 『上田市史・下巻(1940)』1244~1259頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
16人物79 勘五郎人物79 勘五郎鎌原村の人なり、父を太右衛門という。家貧しくして居宅田圃なし、且つ父若き時より酒の故を以て身修まらず、これがため窮することまた甚し。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1295~1296頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
17人物38 八木剛助人物38 八木剛助上田藩士にして享和元年生。名は千之、通称は剛助後興一右衛門、 籟洞と号す。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1236~1237頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
18人物04 真田幸村人物04 真田幸村幸村は正幸の代二子、永禄十一年甲州躑躅ヶ崎なる真田屋敷に生ると云う。 『上田市史・下巻(1940)』1196頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
19人物77 仙之助人物77 仙之助仙之助は幼にして横町の太右衛門の贄、養父母に事えて孝養を蓋して怠らず。(以下略) 以下真田氏篇第三章にその事跡を載す。 『『上田市史・下巻(1940)』1111頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
20人物24 櫻井純造人物24 櫻井純造上田藩士。徳基の長子。文政九年十一月十五日上田に生る。 『上田市史・下巻(1940)』1216頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-20
21人物20 山田貫兵衛人物20 山田貫兵衛上田藩士 兵藏の子。文化十年に生る。名は定吉、通称を貫兵衛。後永胤と改む。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1027~1030頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-19
22人物83  まつ女人物83 まつ女鎌原村清之丞の女なり。四歳にして孤となり母に事えてよく其意に順う。 『上田市史・下巻(1940)』1298頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-19
23人物42 植村重遠人物42 植村重遠上田藩士。通称半兵衛。(略)数理を好み竹内武信の高弟なり。仕えて会計の吏となる。 『上田市史・下巻(1940)』1242頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-19
24人物54 河内山寅人物54 河内山寅河内山寅は安政二年八月二十六日、旧上田藩士河内山長善の長女として、上田藩鷹匠町に生れる。(略) 刀自は常に「憂き事の尚此の上に積れかし限りある身の力ためさん」「心だに誠の道にかなひなば祈らずとても神や守らん」との二首を座右の銘となしたりと云う。 『上田市史・下巻(1940)』1267・1268頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
25人物13 津田有栄人物13 津田有栄上田藩士。幼名有禎、後良基と改む。(略) 法名を教学院心休学道居士と云う。 『上田市史・下巻(1940)』1205・1206頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
26人物89 用八人物89 用八用八は御所村の人なり。父を善四郎といい、用八八歳の時に死す。(略) 時に年四十三。(封内考民傅) 『上田市史・下巻(1940)』1302頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
27人物93 茂助人物93 茂助茂助は上田柳町の、(略) 『上田市史・下巻(1940)』1304頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
28人物58 三吉米熊人物58 三吉米熊長州長府藩士三吉慎蔵の長男(略) 『上田市史・下巻(1940)』1272頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
29人物17 加藤維藩人物17 加藤維藩維藩は上田藩士、(略) 『上田市史・下巻(1940)』1209頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
30人物66 小林直次郎人物66 小林直次郎慶應二年九月十九日小縣群青木村大字殿戸に生る。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1284、1285頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
31上田藩主/老中・松平忠固の墓上田藩主/老中・松平忠固の墓2018/05/10、願行寺にある松平忠固の墓を訪れました。上田藩主・松平忠固(1812~1859)は2度に渡り、老中をつとめた人物です。老中の職にあった時に、日米和親条約(1854年締結)、日米修好通商条約(1858年締結)を結んだことの功績は極めて大きい。日本が列強と互角に対し、列強並みの好条件で列強と貿易協定を結んだことは、その後の日本の近代化を決定づけたと言ってもいい。貿易を推進し、殖産興業を推進しました。 上田における松平氏に対する関心の低さは、この墓の状況が端的に物語っています。かつての願行寺は上田城と対峙するように大手町~海野町の旧城下町のメインストリートの対極に位置し、海野町の通りはその門前のように位置していました。しかし、その道筋が真っ直ぐに貫通し、願行寺の真ん中は道路によって分断されました。さら2020-07-18
32人物76 そよ女人物76 そよ女そよ女は踏入村市朗右衛門の女なり。(略) 安永七年五月藩侯米五俵を賜ふて之を賞す。時年五十四。 『上田市史・下巻(1940)』1294,1295頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-18
33人物35 舟木貞政人物35 舟木貞政舟木貞政は上田城主仙石氏の臣、通称新左衛門。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1235、1236頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-17
34味遊カフェ味遊カフェ社会福祉法人上田明照会が運営する、自家焙煎珈琲とスイーツのお店で、呈蓮寺の近くにあります。 私はコーヒークッキーアイスを注文しましたが、他にもプリンや週替わりの旬のスイーツもあり、どれもおいしそうでした!コーヒーの種類もたくさんあるので、そちらも気になりますね~ みなさんも是非行ってみてください!2020-07-17
35人物48 伊藤裕義人物48 伊藤裕義嘉永五年十二月十三日上田に生る。(略) 同十月十一日野戦砲兵第五連隊長に補せらる。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1262頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-17
36人物81 総右衛門の二子人物81 総右衛門の二子総右衛門は海野町の商人として家號を湊屋といふ。 寛政元年十二月藩区候雨人に米俵を賜ふて之を賞す。 『上田市史・下巻(1940)』1297頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-16
37人物86 万之助人物86 万之助新町總兵衛の子なり。年十三にして父を喪い、十四五歳にして近地に客作して母を養う。(略) 藩侯米を賜うて之を賞す。時に年十九。 『上田市史・下巻(1940)』1300頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-16
38人物92 武右衛門夫婦人物92 武右衛門夫婦左に夫婦孝行の奇特の口上書を掲ぐ(略) 右の如く上伸ありしかば翌文化十一年三月十九日武右衛門夫婦は町奉行役所に親類、組合、問屋年寄差添出頭の旨申渡され同所に於て孝心を賞せられ米三俵を下賜さる。 『上田市史・下巻(1940)』1303・1304頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-16
39人物57 宮本右次人物57 宮本右次慶応元年十一月九日埴科郡戸倉村に生まる。(略) 教育者としての氏は、終始一貫、至誠を以て生徒を薫化し、慈父の如き愛情を以て之に接し、或は訓戒し或は賞揚し、常に寛厳宜しきを得、将来に対する指導の如き誠によく行届き、其門弟子等の終生忘るる能わざる所のものなりき。 『上田市史・下巻(1940)』1271・1272頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-16
40人物69 滝澤助右衛門人物69 滝澤助右衛門梅吉勝成の子、明治十七年八月九日原町舊問屋の家に生る。(略) 上田図書館の大きな誇と謂うべく、氏の力よく之を致せるなり。 『上田市史・下巻(1940)』1104・1105頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-15
41人物78 加助人物78 加助鎌原村勘七の子なり。(略) 天明七年九月藩候米五俵を賜ふて之を賞す。時に年三十二 (封内孝民傳、上田領孝行奇特の者名前書) 『上田市史・下巻(1940)』1295頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-15
42人物37 相馬通孝人物37 相馬通孝上田藩士、與右衛門と稱す。(略) 文政年間の作なる「童歌田面のさかへ」はよく時勢に適中せりと謂はる。 『上田市史・下巻(1940)』1236頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-15
43人物70 金子馬治人物70 金子馬治氏は明治三年一月十日小県郡殿城村嘉伊作長男として生る、(略) 『上田市史・下巻(1940)』1289・1290・1291頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-15
44人物63 山際勝三郎人物63 山際勝三郎上田藩士山本政策の三男、文久三年二月生る。(略) 『上田市史・下巻(1940)』1279・1280・1281頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-15
45日向吉次郎翁記念碑日向吉次郎翁記念碑日向吉次郎翁記念碑 島崎藤村識選文 大正11年6月建立 謡曲の師匠。「千曲川のスケッチ」にも描かれている。 荒町光岳寺境内 http://www.komoro.or.jp/hinata.html http://www.asamadake.co.jp/kanko/toson_07.html2020-07-15
46ガクアジサイは今、満開です。ガクアジサイは今、満開です。私が今回の課題にしている「東前山 あじさい広場の整備」の、広場のガクアジサイが満開になりました。 今年は色がとてもきれいです。 あじさい小道1.5㎞を散歩していただき、午後4時には「山のお寺の鐘の音」をアジサイに囲まれながら聞いていただき、晴れていれば子檀嶺岳の上に現れる「マジックアワーの移り変わる空の色」を独り占めすることができます。 皆様も是非一度お越しください。 私としては、念願の木製のベンチを置くことができ、今シーズンのあじさい広場は今まで以上に大好きな散歩コースになりました。2020-07-14
471975年菱野区中村のどんど焼きのときの獅子舞1975年菱野区中村のどんど焼きのときの獅子舞1975年(たぶん)1月15日に菱野区中村の道祖神のところで、中村支部のどんど焼きのときの獅子舞。 菱野区には支部ごとに獅子舞が行われていたが、中村支部では当時、各戸を回らず、1月1日の新年会のときとどんど焼きのときに獅子舞をやっていました。 (下村支部は今も1月2日に各戸を回り、最後に長泉寺の本堂で舞います。)2020-07-14
48信濃国分寺駅信濃国分寺駅しなの鉄道線の駅。信濃国分寺の近くに位置している。2020-07-13
49信濃国分寺 ハス畑信濃国分寺 ハス畑本堂の北側に位置するハス畑です。見渡す限りのハスの花々は、本当に綺麗でした。2020-07-13
50信濃国分寺 三重塔信濃国分寺 三重塔室町期の建築様式で、外部は和様を主とした和唐折衷様式、内部は純唐様式です。高さは約20メートルで、国の重要文化財に指定されています。2020-07-13
51信濃国分寺 本堂信濃国分寺 本堂この本堂(薬師堂)は江戸末期の建造で、東北信では善光寺につぐ規模だそうです。長野県の県宝にも指定されていることもあり、見応え抜群でした。2020-07-13
52信濃国分寺仁王門信濃国分寺仁王門国道18号線に面した信濃国分寺へいざなうシンボルで、昭和53年の建立だが、江戸期の仁王像を安置しています。2020-07-13
53人物01 真田昌幸人物01 真田昌幸真田一徳斎幸隆の第三子、天文十六年生る。(略) 以下真田氏篇第三章にその事跡を載す。 『上田市史・下巻(1940)』1195頁を転載 (目次位置) 社寺古墳及人物誌  人物篇2020-07-12
54上田駅と長野駅上田駅と長野駅長野の玄関口長野駅。2015年に善光寺口のみリニューアルされ、外観がとても整った。善光寺のある市としての景観に沿った駅舎になったのではないだろうか。  上田駅は六文銭やお城で、勇ましいイメージがあるが、長野駅は、善光寺を前面に出しているのでゆったりとしたイメージがある。  長野駅と上田駅片道40分くらいの旅だが、こう駅の外観を見るだけでも新たな発見があると思う。2020-07-08
55西原区の橋のところにある菱野薬師への道標西原区の橋のところにある菱野薬師への道標西光寺近くの橋のところにある菱野薬師への道標2020-07-06
56北向観音堂北向観音堂北向観音堂は、平安時代初期の天長2年(825年)、比叡山延暦寺座主の慈覚大師円仁により開創された霊場。 大きな石でできてる石垣は、迫力があって魅力的である。大きなパワーが感じられる。2020-07-06
57豆cafe enju /残照館豆cafe enju /残照館塩田平の前山寺近くにある旧信濃デッサン館は、今年6月6日に「KAITA EPITAPH 残照館」と名前を変えて再オープンしました。 そこに併設しているのが、今回ご紹介するカフェ「豆cafe enju」です。 美術館併設だけあって、とてもセンスの良い空間で、テラス席も十分あり、オープンな雰囲気なので、天気のいい晴れた日にピッタリのカフェです。テラス席からは、広大な塩田平が一望できます。 調理を担当しているのは、上田市在住のおうち料理研究家、王鷲美穂さん。発酵文化を中心に、心と体に優しい料理の研究をされている王鷲さんの作る料理は、味はもちろん美味しいだけでなく、手作りの味噌が使われていたり、栄養も満点。見た目も雰囲気に合っていておしゃれな雰囲気です。 わたしは、この日は、味噌リゾットと自家製ジンジャエール2020-06-29
58生島足島神社 山宮社生島足島神社 山宮社東山の麓から、10分ほどなだらかな山道を登っていくと、密やかに生島足島神社の山宮社があります。 ここは、生島足島神ではなく諏訪大社の神様を祀ってあるらしく、山中に山宮社を置くことで、里にある生島足島神社との間に、山と里でエネルギー循環が起きることを意図したようです。 神道では、万物に神々の意識が宿るとする「八百万の神」の思想を大切にしていますが、昔の人は、自然に対して畏敬の念を抱き、山に神聖なものを見出していたのですね。 この山宮社は、先日、日本遺産に認定されたレイライン(生島足島神社〜信濃国分寺へと続く光の筋)の中心に位置します。 皆さん、ぜひ、行かれてみてください!2020-06-29
59小諸町道路元標小諸町道路元標旧小諸町の道路元標。光岳寺の前にあります。 小諸市内には、旧南大井村、旧三岡村の道路元標が残っています。2020-06-29
60別所線沿線調査・寺下別所線沿線調査・寺下寺下駅の近くにあるご当地スーパー「TSURUYA」さん。 長野県民にはおなじみかもしれませんが、県外民から見たら魅力がたくさんあります! 私が初めて訪れたときは通路の広さにびっくりしました。 それに加えプライベートブランドの豊富さ! ジャムやドライフルーツ、レトルト食品やお菓子まで、様々なものがあり、TSURUYAさんのこだわりの詰まった商品になっています。 もとはお魚屋さんだそうで、新鮮な魚介類を扱っています。(海なし県では貴重!) 外観もシンプルで落ち着くグリーンを基調としていて和みます。 寺下駅から徒歩5分ほどで、お隣には洋服屋「パシオス」さんと100均「セリア」さんもあるので、ここにくれば何でもそろっちゃうかも! 県外のお友達にもぜひ紹介してみてほしい!2020-06-28
61『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データ『上田市史・下巻』2/2(1940年)画像データページ番号(画像データの連番)は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 647ページ 第四章 諸官衙 648ページ 649ページ 650ページ 651ページ 652ページ 653ページ 654ページ 2020-06-28
62『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データ『上田市史・上巻』1/2(1940年)画像データページ番号は表紙からの通し番号になっています。それぞれはJPG画像です。ダウンロードしてお使いください。 1ページ 表紙 2ページ 序 3ページ 4ページ 緒言 5ページ 6ページ 編集の経過 7ページ 8ページ 目次 2020-06-28
63『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』(全31巻 2004年)目次『上田市誌』全31巻 発行:2002~2004年 編集者:上田市誌編さん委員会 発行者:上田市、上田市誌刊行会 以下から各巻の目次と奥付が参照できます。なお、対象の「上田市」は2006年の合併以前の旧上田市が対象です。 第01巻 自然編(1)上田の地質と土壌 第02巻 自然編(2)上田の気象と川や湖 第03巻 自然編(3)上田の動物と植物 第04巻 歴史編(1)上田盆地のあけぼの 第05巻 歴史編(2)上田の弥生・古墳時代 2020-06-27
64活文禅師遺跡1号毘沙門堂跡活文禅師遺跡1号毘沙門堂跡文政12年(1829)岩門の大日堂から毘沙門堂へ移り、寺子屋をつづけた。活文禅師の著名な門弟に佐久間象山・高井鴻山・赤松小三郎らがいる。活文禅師は、禅学は勿論、和漢、彫刻、詩歌、蘭学、世界情勢に通じ、子弟の指導に尽力した。2020-06-23
65信州夢殿 長福寺 本堂信州夢殿 長福寺 本堂本堂の建築年代は、記録から寛文9年(1669年)とされていましたが、今回の解体調査により、外陣中央間仕切り部分に存する蓑束上部の実肘木から「寛文八年六月豊後之國日田郡友田村ノ住人(後)藤作之丞作之」の墨書が発見され、寛文期に建てられた事が明らかとなっています。2020-06-22
66武高国神社 要石武高国神社 要石弘化4(1847)年の善光寺地震が起こった際、鹿島神宮の分霊を合祀するとともに、地震を鎮めるためにこの「要石」が境内に据えられました。 塩田を探索していた際、偶然発見しました。2020-06-22
67信州夢殿 長福寺 なかよし地蔵信州夢殿 長福寺 なかよし地蔵このお地蔵さまは、イラク戦争の開戦の年(西暦1999年)に新しい命が生まれたことをきっかけに、笑顔で争いのない安心して暮らせ、世界中の人々が益々平和になりますようにと願いを込めて建立されました。 私も御真言させていただきました。2020-06-22
68信州夢殿 長福寺 夢殿信州夢殿 長福寺 夢殿昭和十七年に篤い観音信者である大塚稔氏(大塚工芸社創立者)が観音像と八角のお堂を寄進されたものです。八角のお堂は「信州夢殿」と称され全て奈良法隆寺の夢殿完全二分の一に写し、瓦までもが奈良の物を使用するなど当時の匠の技が結集された昭和を代表する建築です。 ぜひ一度実際にみていただきたいです。2020-06-22
69魅惑的魅惑的 上田市前山にある前山寺。入口にある大きなケヤキが目印。眺めもきれいでとても涼しいです。国宝でもある三重塔があります。ちなみに入場料は、大人、大学生200円。高校生100円。小中学生50円。 周辺にはお寺や神社がたくさんありました。      (・これから、上田市の魅力を発見していき、深く知りたいテーマを見つけていきたいです。また、魅力を伝えられる力もつけていきたいです。)2020-06-22
70『上田市史・下巻』(1940年)『上田市史・下巻』(1940年)

上田市史・下巻』(1940年)

1352頁/容量 234MB ダウンロード表示には時間がかかります。 目次と奥付(抜粋・PDF)
<目次> (第二紀 自上田築城至廃藩置県)  第二篇 第二篇藩政時代(続)[LINK]  第四篇 自明示維新当時至廃藩置県迄[LINK] 第三紀 自廃藩置県至上田市政施行迄  第一篇 廃藩置県
2020-06-21
71梅花幼稚園(蚕都まちあるき2008)梅花幼稚園(蚕都まちあるき2008)梅花幼稚園は1900年(明治33年)創立。現在の園舎は1902年竣工。園舎としては日本で2番目に古い。 解説:小野寺芙美子さん(梅花幼稚園園長=当時) 蚕都上田まちあるき2008 (企画・制作:蚕都上田プロジェクト) 2008/10/25の記録2020-06-19
72大輪寺(『上田市史』下巻1940)大輪寺(『上田市史』下巻1940)上田市史・下巻(1940)1102~1105頁 (目次位置) 社寺古跡及人物誌  第一篇 社寺   第二章 寺院    第二節 禅宗     大輪寺2020-06-19
73真田家の足跡真田家の足跡上田が全国に誇るの真田家の住んでいた史跡を巡り、彼らがどこで何を考え、何を見ていたのかを探っていこうと思います。 又、彼らがどのように上田を治めていたかを学び、現在の上田への影響なども実際に見て回りたいと思います。 ・探検ルート・ 上田城→真田神社→砥石・米山城跡→芳泉寺→真田本城2020-06-12
74柳町の保名水柳町の保名水北側にある「海禅寺」の境内に湧く水を、1881年に柳町の人々が木管を繋ぎ、200メートルほど引き、今で言う簡易水道として利用されたのが始まりである。水は太郎山からの伏流水であると考えられ、現在もこの水は飲むことができる。2020-06-12
75善光寺善光寺長野市へお出かけ。 立派なお寺でした。 コロナ規制が弱まり人も中々訪れていて、活気を感じました。2020-06-08
76善光寺善光寺長野市へお出かけ。 立派なお寺でした。 コロナ規制が弱まり人も中々訪れていて、活気を感じました。2020-06-08
77塩田地域を一望できる・山王山公園塩田地域を一望できる・山王山公園塩田の山に構える前山寺(ぜんさんじ)。お寺から少し下ったところにあるのが山王山(さんのうやま)公園です。 公園からは塩田地域全体を見渡すことができます。特に夜や早朝に訪れると、普段とは違った塩田の景色を見ることができます。 園内は芝生が広がり、遊具もあるので家族で訪れても楽しむことができる公園です。2020-06-04
78那谷寺那谷寺高野山真言宗別格本山である那谷寺。重要文化財にも指定してあり、コマツに来たらぜひ行ってほしい場所なので選びました。2020-05-27
79小泉大日堂の表参道小泉大日堂の表参道小泉大日堂のある高仙寺は、征夷大将軍坂上田村麻呂が東夷平定の帰陣の際に建設を始め、806年(大同元年)に竣工したと寺の沿革の説明板には記されています。現在、大日堂に行くには車で「裏参道」を通るようになっています。すると「表参道」があるはず。その表参道がどうなっているのかに興味を引かれ、表参道を途中まで歩いてみました。 この集落は実に古い。全体が傾斜地にあり、家々に石垣が築かれています。しばらく集落沿いの参道を進むと寺の並木参道に出ました。杉並木が整然と立ち並び、印象的な景観です。この参道並木は市指定記念物となっています。2020-05-27
80超誓寺超誓寺寺下駅の近く、駅からすこし坂を上ったところにあるお寺です。 丁寧に管理された綺麗な庭園を備えています。2020-05-26
81寺下駅寺下駅上田電鉄別所線の寺下駅。 坂の中腹に位置している。2020-05-26
82神畑公園神畑公園 寺下駅のすぐ近く、駅から少し下ったところにある小さな公園です。滑り台、ブランコ、鉄棒などがあるシンプルなつくりで、隣にはゲートボール場も併設されています。以前にも何度か通りかかったことはありましたが、隣のスペースがゲートボール場であることはこの時調べて初めて知りました。  写真を撮りに行ったときには、遊具で遊んでいる小さい子とそのお母さんらしき人が居たため、ここは地域住民にとって身近な公園なんだなと感じました。2020-05-26
83崇福山 安楽寺崇福山 安楽寺信州最古の禅寺である安楽寺の池です。別所の湯で出会った幸村と左平次はこの寺で語り合い、最後の時まで続く2人の友情はここから始まったとされています。 その境内の中にとても美しい池があります。牡丹と鯉がとても良い絵になります。2020-05-26
84地域のシンボル長命寺地域のシンボル長命寺長野市内の朝陽地区にある大きな寺。調べてみると、現在の建物は善光寺地震で倒壊以降、1853年に再建されたものであった。周りが住宅地になっているため、夏にはラジオ体操や祭りに使用されるなど、地域に親しまれている。2020-05-26
85寺下駅寺下駅上田電鉄別所線の無人駅の一つ。 近隣住民の足になっており、自分もよく利用する。2020-05-26
86超誓寺超誓寺1568年に建立され、1843年に再建された浄土宗寺院。 約450年前に建立されたものが近所にあることに驚きました。2020-05-26
87善光寺プリン善光寺プリン地域:長野市 説明文:善光寺の近くにあるプリンのお店です。弾力がありとても美味しいです。2020-05-26
88早朝の安楽寺の階段早朝の安楽寺の階段早朝の参拝客のいない時間に行くと見ることが出来る人気の無いお寺への階段はどこかノスタルジックな雰囲気も漂うとても趣のあるものですね。2020-05-26
89稱名寺稱名寺保育園と一体化しているお寺です。二年参りで除夜の鐘がつけるので毎年いっています。お神酒や甘酒、みかんなどいらねーよってくらいくれる温かみのある親しみやすいお寺です。2020-05-26
90信濃善光寺信濃善光寺地域:長野市 説明文:善光寺は644年に勅願により伽藍が造営され、本田善光の名を取って「善光寺」と名付けられました。創建以来十数回の火災に遭いましたが、その度に、民衆の如来様をお慕いする心によって復興され、護持されてまいりました。何回も火災にあっているのにかかわらず、壮大さを失わない大変立派な寺院である。実際に善光寺の前に立つと想像以上の大きさに圧倒されます。2020-05-26
91神畑駅 線路神畑駅 線路大学前駅と寺下駅に挟まれるこの駅は、電車で通った際滅多に降りることは無いため、撮ることにした。だいぶ狭い入口で外からは見えにくい2020-05-26
92旧北国街道の丹波島宿旧北国街道の丹波島宿信濃国に存在した脇往還で、中山道と北国街道を連絡し、松本藩や松代藩、善光寺へ向かう道のひとつとして整備されていたものでこの丹波島塾は北国街道と北国西街道が合流している場所で多くの宿屋が存在してました。その名残でこの道路沿いの家の表札には昔の宿屋の名前が書いてあります。2020-05-26
93善光寺善光寺長野の観光名所の善光寺です。長期休みや年始年末はたくさんの人でにぎわいます。いろんなご利益があり、おみくじもたくさんあります。暗闇を歩いて鍵を探すお戒壇巡りも有名です。2020-05-26
94仲見世通りのスタバ仲見世通りのスタバ善光寺仲見世通りにあるスターバックスコーヒーです。善光寺の雰囲気を壊してしまうのではないかと批判も多く、建つ前から注目を集めていました。今年に入ってから店が建ち、外観も善光寺の雰囲気を壊さぬように和風で店内も落ち着いています。外国人観光客には良いのではないでしょうか。2020-05-26
95小諸宿本陣主屋小諸宿本陣主屋 小諸宿本陣主屋は、慶長16年に設けられた小諸宿の建物で、参勤交代や善光寺参拝の旅人の交通の要として、隆盛を極めました。参勤交代の際には、大名も休泊したそうです。  その後、明治11年に佐久市に移転されましたが、平成9年に再び小諸市に移転され、現在は歴史資料館となっています。2020-05-26
96長福寺長福寺生島足島神社のすぐ隣にある真言宗の寺院です。 物静かで良い雰囲気の寺院でした。 生島足島神社と一緒にお参りしてはいかがでしょうか。2020-05-26
97戌立石器時代住居跡戌立石器時代住居跡縄文時代中期末の敷石部をともなう住居跡。 付近には現在は小諸市分の寺ノ浦のほか、広い範囲に集落跡が確認されており、大集落跡であったと思われる。 復元住居は昭和63年度に建てられた。 辺りは木々が生い茂っているが、石器時代は河川があったと思われ、多くの人々がいたのだろうか。 現在は投稿写真のような復元住居が1つあるのみで、どこか忘れられている寂しさも感じた。2020-05-26
98寺ノ浦石器時代住居跡寺ノ浦石器時代住居跡三方ケ峰から南に緩やかに傾斜する丘陵上に位置。 昭和の初めに調査が行われるようになり、1930年(昭和5年)、縄文時代後期の住居址が発掘され、出土品には縄文土器や打製石斧・磨製石斧などがあったといいます。 復原住居が建てられたが、落雷で壊されてしまった。 今は看板などしか残っていないが、国の史跡指定を受けている大変珍しい場所であることに驚きました。2020-05-26
99長野県 善光寺長野県 善光寺長野県の中でも歴史のある観光名所の善光寺。 善光寺は無宗派の単立仏教寺院。 本尊の一光三尊阿弥陀如来は日本最古のものとして知られている。 長野県に住んでいるものとしては一度は行くべきところである。2020-05-26
100常楽寺 池常楽寺 池常楽寺左手に位置する池。松の木のある細道を抜けると小さな船と葉が浮かぶ池があった。光が差し込むととてもきれいな池で信憑的に感じた。この船は何か伝承があるのだろうか。2020-05-26
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