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登録リスト(該当:6件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
サクラあれこれ
桜あれこれ 2012.5.12林業センター 上より。 ・かたおかザクラ(片丘桜) 花弁数:5枚 カスミザクラの栽培品。幼木でもよく花をつける、塩尻市片丘で見つける。樹高4mほど。 ・しょうげつ(松月) 花弁数:20~30 サトザクラの栽培品種。明治期の荒川堤から広がった。名前の由来は不明。 ・楊貴妃 花弁数:15~20 サトザクラの栽培品種。奈良の興福寺にいた玄宗という僧侶が庭の桜に愛情を注いだことから、その桜を「楊貴妃」と呼ぶようになったといわれる。 ・紅玉錦 ・フゲンゾウ(普賢象) 20~50 サトザクラの栽培品種。2本の雌しべが葉化し、これを歯、八重の花弁を鼻と、普賢菩薩の乗る白象に見立てた。 ・北鵬 ・普賢象 ・かんざん(関山) 花弁数:20~50
2021-11-02
2
下諏訪町東国民学校
校門の右の石柱に「下諏訪町東国民學校」、左の石柱に「下諏訪青年學校」「下諏訪實科高等學校」とある。 東国民學校はそれまでの下諏訪尋常高等小學校から昭和16(1941)年に名称変更されている。下諏訪青年學校は昭和10(1935)年に下諏訪實業補習學校と青年訓練所が統合して設立している。下諏訪實科高等學校は大正15(1926)年に通年性補習學校から改称されている。写真は昭和16(1941)年に東国民學校となったときに門柱の名札が付け替えられたとき撮影されたものと推察する。
2023-02-26
3
諏訪女子学園
入り口に「諏訪女子学園」の看板がある。 諏訪女子学園は、昭和42(1967)年度に西弥生町(富士見橋下)旧自動車練習場跡1.000坪を買収して新築工事に着手、体育館竣工と同時に入校し、続いて昭和43(1968)年3月に本館が落成した。 高等部(高等学校)、専門部(短大)がおかれた。学校組織は学園長阿木翁助(写真手前左端;日本放送作家協会理事長)、校長浜倫久以下職員17名、生徒は5学級234名であった。
2021-12-26
4
諏訪実下諏訪分校
昭和23(1948)年3月31日、それまでの青年学校並びに実科高等女学校が廃され、全日制の下諏訪実業高等学校の設置が認可され、下諏訪中学校に併設された。次いで昭和24(1949)年4月1日、諏訪実業高校に統合され下諏訪分校となった。 №627参照。
2020-03-06
5
諏訪実高校下諏訪分校
諏訪実業高校下諏訪分校。(現在は下諏訪中学校プールになっている) 昭和23(1948)年3月31日全日制の下諏訪実業高等学校が認可となり青年学校並びに実家高等女学校が廃された。しかし学校建設は実現に至らず、下諏訪中学校に併設された。次いで昭和24(1949)年4月1日には諏訪実業高等学校に統合され下諏訪分校となった。教科課程は普通科・被服科を置き、定時制の四年制であった。 №642参照。
2020-03-06
6
アイスホッケーの試合
秋宮リンクでアイスホッケーの試合が日本で初めて行われた。出場したのは早稲田大・慶応大・東京帝大(現東大)と地元の松本高等学校の4チームだった。 この写真が撮影されたころは石置き屋根の家屋が見られたり、北側の斜面には畑・桑畑・雪をかぶった稲わらを積み上げた稲積(にお・にょう)が見える。
2020-03-06
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