はじめての方へ
|
新規ユーザー登録
ログイン
諏訪大社
神社・仏閣・史跡
文化・町並み
温泉・観光・食
諏訪湖・漁業
自然
工業・機械・電気
産業・製糸
防災・災害
スポーツ
資料・文書
御柱祭
博物館企画展
すべての年代
~明治
大正初期
大正後期
昭和初期
昭和10年代
昭和20年代
昭和30年代
昭和40年代
昭和50年代
昭和60年代
平成
令和
並び替え:
最新順
管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:9件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
木曽義仲の矢倉
木曽義仲【幼名 駒王丸(こまおうまる)】が2歳の時に、父源義賢(みなもとのよしかた)が源義朝(父の兄)の子義平(よしひら)に殺されてしまう。駒王丸と母小枝御前(こえだこぜん)は下社の地にかくまわれたが、この地も危ないと木曽へ移された。義仲(駒王丸)が幼少のときに桜城の中腹のこの地を駆け回ったという言い伝えからここに矢倉を築いた。また、桜城へ続く坂道を駒王坂とよんでいる。
2024-06-11
2
唐糸・万寿姫五輪供養塔
唐糸は、手塚太郎光盛の娘で万寿は唐糸の娘。唐糸は十八歳の時に鎌倉に召し出された。光盛は義仲に従っていた。源頼朝が義仲を討とうとしている計画を知った唐糸は、頼朝を討つ機会をうかがっていたが捕らえられてしまう。十二歳の万寿姫は、母唐糸を助けようと素性を隠し鎌倉に出て頼朝の館に仕えた。万寿姫は頼朝の前で舞を奉納し、頼朝に「褒美」と言われた万寿姫は母唐糸の身代わりになりたいと願い出た。驚いた頼朝は孝行に免じ許し、母子ともに信濃の国に帰ることができた。唐糸と万寿は諏訪に帰ったのち、霞ヶ城の一部に館をつくって暮らしたという室町時代の「お伽草子」23編の一つ「唐糸草子」の言い伝えに基づいて建立した二人を祀る供養塔。
2023-07-13
3
桜城跡
築城の時代と居城した人については不明であるが、古くから「下社の大城」と呼ばれていたところから下社大祝の金刺氏の城であるとみられる。秋宮横の霞ヶ城が戦争に耐えきれないときには本城として使用したと思われる。
2023-07-09
4
山吹城
諏訪大社下社の大祝であった金刺氏によって築かれた城とされている。金刺氏の居城は、下社秋宮の背後に築かれた桜城とされていたため、山吹城は、有事の際の詰め城とされている。前方に小城があり、後方に本城である大城が構えられていた。築城時期については定かでない。
2023-07-09
5
山王台
秋宮横山王台は「手塚太郎光盛(金刺盛澄の弟)」の居城跡。のちに比叡山王社を勧請(かんじょう)したので山王台とも呼ばれている。弓の名手として知られる兄金刺盛澄の像が建立されている。この場所は霞ケ城館(かすみがじょうやかた)・山王閣・青年図書館・公園・現在は駐車場になっている。 山王閣 開業 1965年 (昭和40) 閉館 2017年 (平成29)3月31日
2023-07-29
6
継子神7 地図
本地図は参考文献にあげてある「継子神と矢木の里」を出典とする。同文献の記述によると「今から三百二十年ほど前(延宝元年)の下ノ原集落図には、奥城と思われる位置に「ママコガミノ木」と記されている 。それから二百年たった明治八年の集落図にもその大木が図指され 、「 御維新につき村にて伐る 」とある。「 下の原誌」にはこれを三両三分で売却したとあるから 、よほどの大木であったことがわかる 。この一連の記録から 、この頃まだ奥城をしのばせる森もあって 、塚守のように 大木がたっていた景を考えるのが自然のようである。」
2023-04-01
7
継子神2
継子神祠は、かつては奥城( 古墳)跡といわれる地にあり、原氏一族によって塚守されていたという。いつしか祭祀が途絶え 、その後、有縁の吉沢巻一統によって復興された 。神座は100メートル西に遷され、継子神祠として奉斎されている。「諏訪大神の信仰」宮坂喜十によれば、矢木崎の八杵命(やきねのみこと)の俗名が継子神であるという。(継子神1を参照)
2023-04-01
8
継子神1
継子神祠は、かつては奥城( 古墳)跡といわれる地にあり、原氏一族によって塚守されていたという。いつしか祭祀が途絶え 、その後、有縁の吉沢巻一統によって復興された 。神座は100メートル西に遷され、継子神祠として奉斎されている。「諏訪大神の信仰」宮坂喜十によれば、矢木崎の八杵命(やきねのみこと)の俗名が継子神であるという。
2023-04-01
9
魁塚
赤報隊幹部処刑の地、魁塚。慶応4(1868)年、江戸城後略の「官軍先鋒嚮導(きょうどう)隊」の旗を掲げて下諏訪宿入りした「官軍赤報隊」は東山道軍総督から偽官軍の烙印を押され、捕らえられた相楽総三ら幹部8人は3月3日、下諏訪宿外れの「はっつけ田」で斬首された。 魁塚正面中央の碑が相楽以下8人の墓碑、向かって左に渋谷総司贈従五位の碑、その隣が追分坂本で戦死した金原忠蔵ら4人の招魂碑。中央墓碑に向かった右が相楽総三贈正五位の碑、その右が高島藩で勤王の先駆をなした石城(いしがき)東山の招魂碑。地元の相楽会を中心に毎年4月第一日曜日に供養祭を行っている。
2020-03-06
≪
1
≫
継子(2)
金刺(2)
諏訪大社下社(2)
金刺氏(2)
桜城(2)
赤報隊(1)
偽官軍(1)
相楽総三(1)
はっつけ田(1)
相楽会(1)
継子神(1)
ままこ(1)
吉沢巻(1)
矢木の里(1)
地図(1)
奥城(1)
城(1)
山王台(1)
山吹城(1)
山城(1)
唐糸(1)
万寿(1)
供養塔(1)
木曽義仲(1)
矢倉(1)
ログイン
トップページへ