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登録リスト(該当:68件)
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1
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説明
登録日
1
鎌倉街道ロマンの道
観光遊歩道として昭和58年(1983)に整備された。歴史上の鎌倉街道とは異なる。諏訪大社秋宮から霞が城跡ー唐糸・万寿姫供養塔ー鎌倉街道ー桜城跡(山城)ー 一念石 ー大岩不動ー真清(ますみ)神社ー来迎寺かな焼き地蔵ー青塚古墳ー綿の湯ー秋宮、全行程1.5キロ徒歩1時間余。写真は大岩不動の入り口にある看板である。
2024-05-22
2
天白社
諏訪大社春宮のお膝元である下ノ原(しものはら)には、その春宮さまより先にまず天白(てんぱく)さまにお参りするという風習がある。 下ノ原では天白神社を産土(うぶすな)神としてまつり、造営や祭事に奉仕してきた。
2024-05-21
3
一本柳神社 大陸天
赤砂の一本柳神社の境内に大陸天を祀った石碑がある。大陸天は大変長寿の仏で疫病を防ぐ仏でもあるといわれている。明治の初期にコレラが大流行したときに建立されたといわれている。
2024-03-19
4
敬愛社の御柱2
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
5
敬愛社の御柱
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
6
継子神3 幟
継子神の年例祭はおよそ春の社日(春分に近い 戊の日)とし 、一門相寄り執行され、大きな幟が飾られる。写真は吉沢家のベランダで虫干しした時の写真で、「奉納継子神社大正15年初冬日 願主」「奉納愛宕神社大正15年初冬日 願主」とある。
2023-04-01
7
御神渡り
諏訪湖が全面結氷し寒い夜が続くと、氷の収縮で大音響とともに亀裂が生じ割れ目に沿って氷が盛り上がる。これを御神渡りという。 御神渡は諏訪七不思議の一つとして古くから知られ、諏訪大社の祭神=建御名方命(たけみなかたのみこと)が、上社から下社の妃=八坂刀売命(やさかとめのみこと)のもとへ通われた跡といわれている。 写真は2018年春の様子。
2023-01-18
8
諏訪大社秋宮ライトアップ
令和4(2022)年8月、諏訪大社は5日夜、秋宮のライトアップを始めた。半年の無事に感謝し、残りの平穏を願って参拝する「夏詣(なつもうで)」にちなみ初めて企画したもの。社殿や鳥居などを照らし、境内は幻想的な雰囲気に包まれた。ライトアップは14日(日)まで午後5時から午後10時まで行った。神職は「諏訪大社で行う夏詣の取り組みは2年目。来年も続けていければ」としている。神社も時代と共に変化している。
2022-09-14
9
秋宮境内の電子案内板
令和4(2022)年、諏訪大社秋宮境内に電子案内板が登場。時代の流れは神社の案内板も電子パネル化され、神社の由来や境内の案内などがボタン一つで大きな画面に表示されるようになった。パネルの横画面には身長を測るメモリもついていて参拝に合わせて子供の成長を確認できる心くばりも備えている。
2022-05-21
10
シデシャジン
山地の木陰に生える。花の形が神社の「四手」に似ていることから名がついた。
2021-10-07
11
若宮社標
富部地区(第十区)の高台にある若宮神社の鳥居の横にある若宮様の社標。現在この社標碑は甲州街道沿いに立っている。
2021-12-23
12
蚕影山神社
富部村(現在の第十区)の若宮神社の境内に一間半(約2.72m)四面の茅葺きの社殿を造り「蚕影山(こかげやま)神社」を祀った。
2021-12-23
13
新町下の津島社
花見新道の上、真澄神社と並んで津島社が祀られている。牛頭天王は水神として信仰されていたが、やがて素戔嗚尊とされ、災害や疫病を起こすモノノケの祟りを鎮める神として祀るようになり、その祭礼を夏季に行うようになった。
2022-03-24
14
真清神社
真清(ますみ)神社遊郭の業者らによって勧請された神社である。 ここに参詣すれば美しくなり、芸も達者になるとふれこみ、花街の姐さんたちが日課のようにお参りしたという。祭神は天照大神はじめ十八神であるが、芸者衆はお稲荷さんを主祭神として陶製の狐を奉納していた。現在も講員によって祭りが行われている。
2022-03-24
15
米守神社
村の鎮守で、初めは「お鍬様(おくわさま)」と言って開拓神として祀っていたという。当時は今の鳥居の所にあったが、周りに人家等が増えたため現在地に移された。嘉永7(1851)年に新しく本殿と拝殿が建立され、この時奥の院として郷林に安置された石の祠には「正徳二年ミたつ四月日」と年号が刻まれている。
2022-03-24
16
萩倉水車小屋
萩倉で製糸業が始められたのは明治11(1878)年のことである。燃料の薪の確保が容易だったことや中央線開通前で、信越線大屋駅から和田峠を越えて運ばれてくる原料繭の入手に便利な立地だったことにあわせ、動力源であった水車を回す豊富な水利があったことが指摘されている。写真は当時の水車を復元したものでバスの待合所にもなっている。後ろの鳥居は米守(よねかみ)神社の入り口である。
2022-03-24
17
萩倉・第六区屯所・巡査駐在所跡
萩倉の第六区屯所。かつて製糸盛んな頃巡査駐在所が置かれていた。この左手を登ると米守(よねかみ)神社、萩倉薬師、分教場跡などに至る。
2022-03-24
18
矢木町会館と矢木神社
矢木町会館と矢木神社。かつてはこの西の春宮大門通り一帯は矢木の馬場と呼ばれ、金刺氏一族が流鏑馬を競ったところだと伝えられている。武田信玄はその儀式の断絶を惜しみ、再興のために舞童に対して装束を寄進しているという。
2022-03-24
19
春宮境内の子安社
案内板には「子安社 御祭神・高志沼河媛命(コシノヌナカワヒメノミコト) お諏訪さまのお母神である高志沼河媛命をお祀りする。昔からお産の守り神として親しまれ、底の抜けた柄杓は水が通りやすいようにお産も楽にと願いを込めて奉納されたものである・」と紹介されている。高志は越で、糸魚川の神様で、かつては翡翠の原産地をおさめていたと伝えられている。このためか大社ではおみくじに従来の御籤とは別に「翡翠みくじ」という名前の御籤が置かれるようになった。神社も少しずつ変化している。
2022-03-24
20
御射山神社
中世における諏訪明神最大の祭りは、8月27日を中心とした御射山祭だった。霧ヶ峰の一角、八島高原の東に続く旧御射山で祭事が行われ、信濃・回の武士は言うに及ばず、鎌倉幕府はじめ各地の武将たちが集まり神事の後武技を競い合った。旧御射山社前にその競技場跡があり、土段の桟敷席が残っている。しかし社が遠距離の所にあり道も険しく不便と慶長(1596~1615)の頃、秋宮から4キロの武居入りに遷座したのが現在の御射山社(写真)である。御射山祭は今、幼児が洲小山に育つことを祈る祭りとなり、8月26・27日の例祭には2歳の幼児とともに参拝するのがこの地の習わしになっている。 写真下は同じ境内にある大元尊社である。
2021-12-26
21
犬射馬場跡標石
犬射馬場四至ノ標石の内、北東と東南隅の写真。山王台の下に郷殿という諏訪明神大祝の屋敷(下諏訪中学校あたり)があり、この屋敷の西続き下の段を馬場(ばっぱ)といい、犬射馬場があった。鎌倉時代の武士たちは、日ごろから笠懸・流鏑馬・犬追物などの鍛錬に励んでいた。この馬場では主に犬追物を行い、またその事にまつわる祭場でもあった。江戸時代になりそれらが廃ると馬場には人家ができるなどしたため、享保18(1733)年、さらに明和6(1769)年に神社・氏子立ち合いで検地確認したという。これはその時の標石である。
2022-03-19
22
熊野神社石碑
東山田熊野神社の「お山」の石碑群。
2022-03-19
23
東山田行屋
東山田の熊野神社参道の西側にあり、信仰を同じくする人が集まる修験の場であった。この項では、駒ケ岳、御岳、富士山、浅間山、大山など霊山が信仰されている。行屋の東に滝があって水垢離ができるようになっている。しばらく途絶えていた荒神様のお守りが復活し、正月には講の詩損に配られるようになった。 また行屋の前からは諏訪湖の眺望がすばらしく、さらに目をやると富士山、北岳、間ノ岳の日本の山・標高ベスト3を一度に眺めることができる。
2022-03-19
24
花田の辻・碑
蚕神、道祖神、庚申の碑が並ぶ花田の辻。この小路を入ったところに第一次世界大戦の時、青島(チンタオ)攻撃司令官として活躍した神尾光臣(作家有島武郎の養父)出生の家、神尾家があった。 小路奥の林が東山田熊野神社である。
2022-03-19
25
神明館・神明社
神明館については№1173を参照していただきたい。神明館入り口に祀られている「神明神社」は大正12(1923)年に区民の寄付によって建立し、毎年10月10日を例大祭としている。なお、神社前には道祖神も建てられている。そもそもこの地区は「流れ」と呼ばれた砥川・鋳物師川・福沢川・十四瀬川の洪水常習地帯で、住宅ができたのは明治9(1876)年からで特に明治23(1890)年現国道20号線が開通してから戸数が増えてきた。新しい街だからこそ神明社は大事に守られてきたのだと思われる。
2022-03-19
26
三区津島神社
平成元年の三区青雲館の祭りの様子が紹介されている。ここは昔行屋があった所で、諏訪八十八カ所の第五十四番札所にあたり、青雲閣とよばれていた。明治初期は集会場として使われていたが、明治26(1893)年に青雲館を建て、当時としては大変大きな集会場であった。その青雲館の南横にこの津島神社が祀られている。同じ敷地内には菩薩立像や大威徳天神碑、武井半嶽紀徳碑などが置かれている。
2022-03-19
27
一本柳神社
赤砂地区の産土神・一本柳神社。№663の写真と比較していただきたい。リンゴの木に囲まれて神社がある風景はあまり変わらないが、湖畔道路開通の記念碑は土手の上から一本柳神社の片隅に移されている。№658,660の写真には碑が砥川の土手の上、新しく開削された湖畔道路の横に建てられているのがわかる。この神社境内は、赤砂地区の人々により公園化され、ホタルの里や果樹の里として整備されている。
2021-08-03
28
若宮神社(五官)
諏訪大社下社の末社の一つ。祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと)との御子、十三神、天照皇大神が合祀されている。鎮座のはっきりした記録はないとされている。明治5(1872)年11月、社格を村社とされた。社殿のすぐ下に鎌倉街道が通っていたと伝えられ、整備が地元の有志によって進められている。 写真上は社殿、写真下は旧甲州海道脇に立つ若宮神社入り口の石標である。
2021-06-03
29
下諏訪町立博物館
昭和26(1951)年12月3日下諏訪町に文化財保存会が出来翌27(1952)年秋宮神饌(しんせん)を借用して神社共有の博物館がた開館した。建物は「諏訪大社宝物陳列場」に併設されていた。 昭和46(1971)年4月1日、高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての博物館が出来た。 平成5(1993)年6月、「諏訪湖博物館・赤彦記念館」として湖岸通りの西高木にオープンした。
2024-03-20
30
諏訪大社下社秋宮
帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。
2021-12-26
31
駒形稲荷
社ヶ丘団地は字駒形と呼ばれる地籍で、古く朝廷へ御用の馬を献上する勅使牧が置かれていたといわれる(萩倉の牧)。駒形は古代馬の形像を崇拝した最も原始的な信仰で、萩倉牧の馬神を祀る神社として創立されたものだろうといわれている。社中学校の北方に「馬飼場」という字名も残っている。
2020-03-06
32
お稲荷さん
龍の口から中央通りに下る道沿い、桜町にあるお稲荷さん。
2020-03-06
33
白鶴社三井製糸
白鶴社三井製糸。久保山王台下現三井範義氏宅下大東社を経て信濃蚕業(現イングスシナノ)分工場となる。右奥には若宮神社の森、手前広場は既に三井製糸工場撤去の後。
2020-03-06
34
お舟祭り
お舟祭。「来八月一日午後一時より執行遷座祭並例祭・官弊大社諏訪神社社務所」の立て看板が見る。
2020-03-06
35
お舟祭り
お舟祭。大正5(1916)年12月12日に諏訪神社が官幣大社に昇格したときの標柱が見える。このころはまだ参道は石畳であったことがわかる。 「写真が語る下諏訪の百年」117pの写真と同じころの撮影と思われる。
2020-03-06
36
熊野神社の例大祭
熊野神社の例大祭での東山田長持ち。従来祭りは11月25日であったが、現在は10月の最終日曜日となっている。本祭りには婦人会から甘酒が振るまわれ、長持ちが区内を練り歩いたりして祭りのを盛り上げている。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
37
村祭り
熊野神社の例大祭風景。鎮守の森に残る江戸時代の行屋(ぎょうや)の前庭で甘酒がふるまわれた。こ行屋は江戸時代の修験道で行者の修行の場所として建てられたもので熊野神社参道の西側にあった。この行屋は町指定の文化財となっている。 天気の良い日には、この行屋の前から日本の標高№1,2,3の山が見える。1番はもちろん富士山で3,776メートル、2番は南アルプス北岳3,193メートル、3番は同じく間ノ岳3190メートル(穂高岳と同じ標高)である。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
38
熊野神社の例大祭
東山田の鎮守様、熊野神社の例大祭。地区では「権現様」と呼ばれることもある。熊野神社本殿は安永8(1779)年村田長左衛門等によってつくられたもので拝殿・社務所・舞屋・本殿があり地形を巧みに利用している。写真は参道附近の風景。 №1116.1117.1118.1119は東山田の村祭り関係。
2020-03-06
39
秋宮の七五三柱(しめばしら)
秋宮駐車場から参道を横から入るところにある七五三柱(しめばしら)、社務所横の秋宮駐車場から境内に入る場所に建立されている。大鳥居をくぐることを省略して参拝することになるので、平成元(1989)年に七五三柱を建て大鳥居をくぐったと同じになった。柱に「平成元己巳(つちのとみ)年十月二十五日全国諏訪神社連合会」と彫られている。この七五三鳥居を入るとすぐ右手に温泉を引いた手水が置かれている。
2020-03-06
40
鷹匠の家 岡村家
岡村家住宅。鷹匠の家、諏訪では珍しい曲がり屋づくりである。数年前に、茅葺から瓦屋根に変えたが、他は江戸時代のつくりを守っている。鎌倉時代、一時期、幕府が諏訪神社以外の鷹狩りを禁じた。そんな伝統を継ぐ諏訪藩のお鷹匠の家である。画人天竜道人はこの家の離れに住んで、鷹の四季の姿を写生したと伝えられている。
2021-04-15
41
十四瀬川河口
岡谷市との境界、十四瀬川(十寄川)河口。横河川谷口の出早雄小萩神社より分岐する水を源に岡谷市と下諏訪町境付近を流れる長さ7.9㎞の川。護岸がコンクリートで囲まれる前は魚がたくさん遡上していた。また、河口付近では西赤砂で漁をする人たちの舟たまりともなっていた。当時はマコモなどの水生植物が繁り、昔ながらの姿を残していたが、次第にコンクリートの護岸となっていった。
2020-03-06
42
旧御射山
山上の聖地、旧御射山(もとみさやま)社、諏訪大社下社の奥宮の例祭、旧暦7月26日から29日にかけてこの山上に人里ができるほどの賑わいを見せたと和歌に残されている。「尾花ふく 穂屋のめぐりの一村は しばし里あり 秋の御射山」 金刺盛久の歌。旧御射山社例祭の様子。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。また、旧暦7月27日の正午に、月・日・星の三光(さんこう)を同時に拝することができたといわれ、一説では御射山山中の湿原の池に三光を映したともいわれている。この不思議な現象は諏訪神社下社の七不思議に数えられている。御射山祭は、大勢の人々が参籠(さんろう)する仮屋が穂の出た薄(すすき)で作られたことから、穂屋祭ともいわれ「穂屋野の三光」ともいわれている。
2020-03-06
43
演奏会
村の鎮守(高木津島神社)の舞屋(江戸末期の建築)で行われた小澤征爾・ロストロボーヴィッチ・桐朋学園大学生の弦楽アンサンブル。一行は飛騨白川村、伊那谷大鹿村に続いて下諏訪町高木を訪れ、諏訪養護学校の子供たちにチェロ協奏曲を聴かせた。この演奏の旅、ロストロポーヴィチ(62)の希望で実現したものという。小澤征爾はこの日が55歳の誕生日だった。
2020-03-06
44
友之町津島神社宵祭
江戸時代の友之町の鎮守様で最新は素盞鳴尊(スサノオノミコト)・建御名方命・菅原道真・の三神で青雲館の脇に鎮座している。昔は夏の疫病よけを祈る村祭りだったというが、最近はどこでも子ども主体の祭りになっている。絵燈籠の置かれた道端で焼きそばの味は最高。三区友之町の津島神社宵祭りの風景。
2020-03-06
45
高木村の風景
高木の村の風景。 4枚目の写真は津島神社への登り口。 坂を上った右手には旧第六保育園があった。
2020-03-06
46
御神輿行列
春の遷座祭。 諏訪大社下社は春宮・秋宮の二社があるので半年毎に祭神の御霊代(ミタマシロ)を秋宮から春宮へ、春宮から秋宮へと遷座(センザ)する。二月一日(旧来は一月一日)の遷座は寒い祭りで夏の遷座(お舟祭り)のように勇壮な行事はない。ひっそり行われるので「ひっそり祭り」「こっそり祭り」と言われている。 諏訪神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、これもまた諏訪社独特のかわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。 昔は旧暦一月一日の祭りだった。 秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。
2020-03-06
47
諏訪大社宮司
執務中の加藤宮司。諏訪大社宮司の加藤茂さん(当時82歳)は神社本庁から迎えられた宮司は「上下社の融合に一番気を使います。でもこの土地では御諏訪様は絶対で政党も新興宗教も超越して協力してくれます。これだけはよその土地とは違います。それだけに御諏訪様は怖い神様です。」と話していた。諏訪大社は上社(諏訪市・茅野市)下社(下諏訪町)に分かれているうえ、上・下両社とも二つのお社から成るというややこしさがあり、古くは上・下両社が血の抗争を繰り広げたこともあって、維新後、一つの神社となったが、氏子間の対抗意識が潜在していてかじ取りは難しいらしい。
2020-03-06
48
犬射馬場、上馬場の標石。
鎌倉時代、武士は日頃の鍛錬に騎射の武技を重視し、それが遊戯化したり神事化したりしたものが多い。この場所は犬追物などをした所で、このことは「諏訪大明神絵詞」にも記されている。江戸時代に入りこの行事が廃れると、周囲から境界を侵され、神社では享保18(1733)年に検地をして一般人の侵入を防いだ。その後も土地の使用のことで何回か争いがあって明治維新後のころ民間に移ったという。なお、下馬場の町名もあったというが、現在は上馬場(かみばっぱ)のみが残っている。
2020-03-06
49
諏訪神勅祭創始千二百年祭友之町の光景
絵葉書。(下諏訪名所)諏訪明神大祭禮、友之町中町の光景。現在の四ツ角より西の現本通り。消印に「下諏訪45.4.28」(明治45年)スタンプに「官弊中社諏訪神社、諏訪神勅祭創始千二百年記念」と「5本足の梶の葉紋」が見える。また写真の外国人は明治38(1905)年湯田新町に宣伝を開始したルーテル教会の婦人宣教師である。
2020-03-06
50
一本柳神社
西赤砂のリンゴ畑に囲まれた一本柳神社。赤砂地区の産土神である。写真撮影当時は、享保年間に作られた「友の町絵図」にも書かれていたといわれる柳の古木が祠の横に残っていた。 現在祠には・諏訪明神・豊受比売大神・津島大神・菅原大神・多賀大神・三峯大神が祭られているほか、境内には・大陸天(だいろくてん)や道祖神、蚕玉社の石碑も祀られている。
2020-03-06
51
鎌倉街道(若宮下)
若宮墓地下の鎌倉街道。鎌倉街道は小田野から慈雲寺・来迎寺を経由して富部若宮下を通り高木へ抜けている。比較的原形を止めている小田野も社が丘団地の開墾でなくなり、富部若宮下のこれが町内唯一の鎌倉街道になった。
2020-03-06
52
若宮
富部若宮下の六地蔵様.
2020-03-06
53
秋宮鳥居前
「(官弊大社)諏訪神社下社秋宮社頭」と書かれた写真。「日本第一大軍神 昭和七年二月」(1932年2月)ののぼり旗が見える。手水舎が現在の位置と違う場所にある。
2020-03-06
54
秋宮鳥居前
「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎(御手洗所)が銅鳥居の右袂にあった。左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。
2020-03-06
55
下諏訪町明細全図
「官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図」当時の下諏訪市街地図。 明治41(1908)年5月諏訪神社御柱祭記念に東京の出版社が、下諏訪商工業者の協力で発行した下諏訪町明細全図。 御田町・花咲町もなく、平沢小路は重要な三角八町の間道だった。図の右手前に下諏訪駅、さらにその右手に諏訪湖天然氷株式会社の氷庫、大通りに人力車が続いている、御柱当日の一風景。
2020-03-06
56
東講社行屋神座
東講社行屋修復完成記念の写真。東山田の行屋は熊野神社参道西側にあり進行を同じくする人が集まる修験の場であった。この講では、駒ケ岳・御嶽・富士山・浅間山・大山など霊山が信仰されている。
2020-03-06
57
博物館
昭和27(1952)年7月21日、神社と共用の博物館が、諏訪大社下社秋宮の神饌所を借用してできる。写真中央が当時の下諏訪博物館。歴代館長は昭和25(1950)年5月矢ケ崎輝雄・同29(1954)年6月三輪良三・同47(1972)年4月小口利市。写真左は昭和38(1963)年に建設された下社宝物殿。中央が下諏訪博物館で右はお守り札の授与所である。
2020-03-06
58
鷹匠の家 岡村家
鷹匠の家 岡村家。同屋敷の全景、左が住宅、右が土蔵。向山の左手が若宮神社。
2020-03-06
59
宝生橋
甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。
2020-03-06
60
官弊中社諏訪神社下社春社
絵葉書「(諏訪名勝)官弊中社諏訪神社下社春社」。鳥居の前に燈籠、鳥居の奥にはさわら並木が続いている。鳥居の両側には諏訪の石置き屋根が見える。 諏訪神社が官幣中社になったのは明治29(1896)年で、官幣大社に昇格したのは大正5(1916)年12月12日なので、写真はこの間に撮影されたものである。
2020-03-06
61
お舟祭り
官弊大社諏訪神社下社8月1日 御舟祭。大正15(1936)年、ちょうちんに下諏訪の文字。法被には「本郷」と染め抜かれている。下諏訪町が御頭郷の年のようだ。
2020-03-06
62
駅前通り
下諏訪駅頭に観光協会が宮大工の手により、昭和13(1938)年に諏訪神社の古い御柱で鳥居を建てる。鳥居は昭和25(1950)年に建て替えられ、その後は観光看板に変わった。左手前から菅野旅館・山十組・山八製糸の倉庫、右側は米本旅館。
2020-03-06
63
下馬橋とさわら並木
官幣大社諏訪神社下社春宮下馬橋。昭和9(1934)年室戸台風の被害前のさわら並木。
2020-03-06
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女子フィギュアスケート選手
秋宮リンクに勢ぞろいしたフィギュアスケート選手団。 向かって右から2番目が当時トップ選手の稲田悦子選手。秋宮の脇にスケートリンクが設けられたのは明治40(1907)年(明治42年の資料もある)神社の森かげという地の利もあって結氷期間が長いため人気を集めた。 ここで日本初のフィギュア大会が行われたのが大正」11(1922)年である。
2020-03-06
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皇太子殿下参拝
宮司と共に参拝され説明を聞かれる皇太子殿下。(平成天皇陛下・令和上皇様)
2020-03-06
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紀元二千六百年記念
紀元二千六百年記念祭を高木津島神社で開催した時の記念写真。出征兵士の旗が立てられているが、もう1本は諏訪大社秋宮子安社付近へ立てた。
2020-03-06
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尾掛松(杉の木神社)
絵葉書になった「尾掛松」。古代の「松之木湛(たたえ)」神事の地と伝えられている。「湛」とは「たたり」のことで、尾掛松に神霊が大空より降臨することを信じて祀ったものである。「杉の木様」とも呼ばれていた。 樹種はヒノキ科ビャクシンで、住民はもとより甲州道中を旅する人も参拝したという。 また諏訪湖上で漁をする人の目印の巨木でもあったが、枯れ死していたので、平成16(2004)年1月に安全上の配慮から伐採され幹だけが残る。 この尾掛松には諏訪明神様が出雲出へ掛けた時、竜神が頭だけ出したので、他の神様が尾はどこにあるのか聞いたところ、「尾は(大和)諏訪湖のそばの高い木(高木)に掛けてある」と答えたことから、それが大和・高木の地名の起源と伝えられている。なお地名の語源には諸説あります。現在は「杉の木神社」
2020-03-06
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高木の長持連
戦後最初の御柱祭の高木長持連。 添付名簿後列左から 田中健三、久保田十吉、尾口友三、田中庄一、長谷辰男、中列左から大和大八、長崎則男、小口一郎、前列左から田中忠雄、大和剛、小口永吉、長川秋男、小平明
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