はじめての方へ
|
新規ユーザー登録
ログイン
諏訪大社
神社・仏閣・史跡
文化・町並み
温泉・観光・食
諏訪湖・漁業
自然
工業・機械・電気
産業・製糸
防災・災害
スポーツ
資料・文書
御柱祭
博物館企画展
すべての年代
~明治
大正初期
大正後期
昭和初期
昭和10年代
昭和20年代
昭和30年代
昭和40年代
昭和50年代
昭和60年代
平成
令和
並び替え:
最新順
管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:129件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
羽田家慰霊祭
和田嶺東餅屋にある、羽田家祖先の墳墓の改修を行った。供養塔の開眼式・祖霊祭の参列者の記念撮影。
2023-02-26
2
諏訪女子学園
諏訪女子学園前にて記念撮影。
2021-08-26
3
下諏訪駅構内
JRの下諏訪駅。岡谷方面からの撮影。 下諏訪駅開設100周年を記念して、SLが走った時の下諏訪駅の風景。E257系「特急あずさ」、E351系「スーパーあずさ」3番線にはSL「D51」が待機している。
2023-10-21
4
今井邦子記念館
「松屋」は中山道の宿場内にあって、間口が狭く奥行きの長い典型的な宿場の建物であったが、当時の面影を可能な限り再現して建て替えられ、現在は「今井邦子文学館」として開放されている。今井邦子は少女時代に下諏訪町に住み、島木赤彦との巡り合いにより短歌の新境地を開き、「明日香」を創始して歌人の道を歩んだ。館内には今井邦子や「明日香」の資料が展示されている。また、旧中山道を散策する人々が一服できる場所ともなっている。
2022-03-19
5
一本柳神社
赤砂地区の産土神・一本柳神社。№663の写真と比較していただきたい。リンゴの木に囲まれて神社がある風景はあまり変わらないが、湖畔道路開通の記念碑は土手の上から一本柳神社の片隅に移されている。№658,660の写真には碑が砥川の土手の上、新しく開削された湖畔道路の横に建てられているのがわかる。この神社境内は、赤砂地区の人々により公園化され、ホタルの里や果樹の里として整備されている。
2021-08-03
6
旧庁舎前にて
旧下諏訪町役場前での記念撮影。 写真前列中央に高木十吉氏が映っている。
2021-12-26
7
第三分団
下諏訪町誌警防團第三分團の記念写真。 警防団の名称や「防空部」という文字が戦時中を感じさせる。
2022-06-09
8
第三区騎馬
「第三区奉納騎馬」記念写真。 第三区の騎馬行列は明治11(1878)年に始まり、昭和47(1972)年第一区と共に町の無形文化財に指定された。 第三区の騎馬は「凱旋騎馬」と呼ばれている。
2022-06-12
9
酒屋の店先
田中町の中村酒店の桜町の新宅「現中村□酒店」。 店の軒下にしめ飾りがあるので、の正月の記念写真と思われる。軒下や店先には「味の素」「三ツ矢サイダー」「キリンビール」「キッコーマン」「理研清酒 新進」「電話四六二番」「焼塩小売賣所 焼塩小売賣人 中村□」「塩小売賣所 塩小売賣人 中村□」…などの看板や掛札が並んでいる。
2023-02-21
10
下諏訪町立博物館
昭和26(1951)年12月3日下諏訪町に文化財保存会が出来翌27(1952)年秋宮神饌(しんせん)を借用して神社共有の博物館がた開館した。建物は「諏訪大社宝物陳列場」に併設されていた。 昭和46(1971)年4月1日、高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての博物館が出来た。 平成5(1993)年6月、「諏訪湖博物館・赤彦記念館」として湖岸通りの西高木にオープンした。
2024-03-20
11
記念写真
慈雲寺裏の庭園での記念写真と思われるが、詳細不明。 中心近くに高木十吉氏がいる。(高木十吉氏 第16,19代町長 S7-8 S18-19)
2023-11-14
12
みどり幼稚園
下諏訪協会では戦前の昭和10(1925)年から文部省公認下諏訪幼稚園として経営していたが、戦時中は下諏訪町保育所に吸収され、園舎は軍工場に使用されていた。戦後は昭和26(1951)年仮免許で再び幼稚園を始め、翌27(1952)年文部省管轄下にある教育施設として、県知事の認可を得て「みどり幼稚園」と改名した。この年平成2(1990)年は戦後の幼稚園開園から40年目にあたる。園舎の軒に「開園記念バザー」の幕も見える。
2020-09-08
13
大合理的炊事講習会
垂れ幕に「大合理的炊事講習会」とある。また、背景の額に「青雲館」とあるので、第三区青雲館二階で行われた何らかの講習会の記念写真と思われる。詳細不明。
2022-03-09
14
樋橋敬老会
「紀元二千六百年 敬老會記念 主催樋橋青年會」昭和15年の大典の時の記念写真と思われるが、撮影場所は判断できていない。
2022-01-13
15
御田町商栄会富士講
1「皇紀二千六百年 霊峰富嶽に登拝し皇軍の武運長久を祈願す 御田町商業会富士講」関連写真。 1枚目は七合五尺、3枚目は須走登山口での記念写真。。
2022-01-16
16
東山田農家組合
「団体賞受賞婦人部創立記念 東山田神宮路第一農家組合」の文字。 ちなみに神宮司道は春宮前から医王渡橋を渡った先に地名として残っている。
2022-01-18
17
結婚式
松葉屋(千尋館)で行われた結婚式の記念写真で撮影場所は広間や屋外など。 年代はどちらも昭和初期のもの。
2022-01-13
18
敬老会記念写真
「第三区男女青年會 敬老會記念 昭和十一年十一月三日」
2021-12-26
19
明治天皇駐輦址
明治13(1880)年、明治天皇は甲信地方の民情視察を行った。6月24日、石投げ場に車を止められ、諏訪湖の風景をめでられ、漁撈をご覧になられた。この日は小雨であったが、漁師たちは目のした3尺の大鯉を献上したという。後日「明治天皇駐輦(ちゅうれん)の記念碑」を建立した。 ちなみに、石投げ場の名前は、ここから石を投げれば諏訪湖に届くところから生まれた名称である。
2021-12-26
20
牛山製缶所
看板に「創業十五週年記念 牛山製罐所」とある。店の奥に丸い缶が山と積まれている様子がわかる。 明治25~26年ころ、増沢寅之助氏がカリンの缶詰工場を操業した。自宅の裏土蔵の屋根下を利用したものだった。 使用している機械、服装等から明治末頃の写真と思われる。
2021-12-26
21
旧博愛館前で記念撮影
富部地域の脱穀風景。現在の公民館駐車場。富部公民館は庄屋をつとめていた津金家の屋敷があった。
2022-05-24
22
記念写真
男子生徒のみで撮影。足元には雪が見える、生徒は学生服姿・長靴・雪下駄・靴など様々。詳細不詳。徽章は梶の葉に「中」とある。
2022-05-12
23
記念撮影
お祝いの集まり、皆さん正装をして記念撮影。
2023-03-02
24
神前結婚
秋宮幣拝殿にて記念撮影。
2022-01-19
25
御田町役員
昭和7(1929)年御田町役員。(矢崎・城取・入舟・大増・有賀)長持ちの前での撮影。
2021-12-26
26
記念写真
国民服の男性の集合写真。
2021-12-26
27
成人式
戦後の成人式、中央に黒田町長。 諏訪大社秋宮幣拝殿前にて、昭和40年度、女性成人の集合写真。
2021-12-18
28
婚礼写真
床の間の前で新郎新婦の結婚の記念写真。 和装の新郎新婦。
2022-03-09
29
記念写真
旭日旗・国旗が見え、服装(軍服・国民服)などから戦争中の写真では?詳細不明。
2021-12-18
30
献幕記念
「大社奉祀会献幕記念昭和五十四年七月」の文字。諏訪大社秋宮神楽殿横にて、後ろの神楽殿や幣拝殿の幕が白く輝いて見える。神楽殿横に絵馬がかけられている。
2021-11-03
31
小路
秋宮前大社通りから宿場町立町通りの間の路地。江戸時代の生活路で(俗名七つ蔵)「歴史のこみち」とも呼ばれている。 平成7(1995)年に路地の散策を続けてきた人たちで「下諏訪の路地を歩く会」が作られ、平成13(2001)年には日本記念日協会から、6月2日は「路地の日」の普及に貢献したとして記念日文化功労賞が送られている。 宿場町として栄えた歴史や閑静な風情、行き交う人情に触れることができる場所となっている。この周辺には岡本太郎や小沢昭一、永六輔らの直筆を刻んだ石碑や句碑を巡ることもできる。
2020-03-06
32
下諏訪小学校増築記念
「下諏訪小學校増築落成記念、昭和二十三年十二月二十八日」。
2020-03-06
33
憲法発布記念
「憲法発發布記念、昭和二十一年十一月三日諏訪郡町村長会」の文字が見える。
2020-03-06
34
町制施行100周年事業
100周年事業の「由紀さおり・安田祥子童謡の夕べ」が、9月11日(土)下諏訪文化センターにて行われた。上演は2回行われた。
2020-03-06
35
町制施行100周年事業
下諏訪総合文化センター1階ロビーで行われた祈念祝賀会の様子。
2020-03-06
36
町制施行100周年事業
明治26(1893)年6月30日に「町」として歩みはじめ、この日町民憲章の発表や碑の除幕式も行われた。町制施行100周年記念事業として「町制施行100周年記念式典」が県内外から350人の出席を集め盛大に開催された。
2020-03-06
37
町制施行100周年事業
育てたアマゴを砥川に放流する下諏訪北小学校の児童たち。
2020-03-06
38
町制施行100周年事業
「八島太鼓」「南無諏訪南宮法性上下大明神」の旗。No.1444の写真と同じ場所、同じ事業の会場と思われるが、場所や内容などは不明。
2020-03-06
39
町制施行100周年事業
町制施行100周年記念事業として行われた地鎮祭ほ様子。 №1445の写真と同じ会場、同じ事業と思われるが、場所内容等は不明。
2020-03-06
40
町制施行100周年事業
諏訪盛澄時代行列イベントに参加する「万寿姫」「絹姫」コンテストが秋宮境内で行われた。写真左から「春姫」宮沢さん・久保田さん、五代目「万寿姫」の山田さん、「絹姫」の岩下さん、「秋姫」の武居さん・中谷さん。26人が応募24人が出場。「万寿姫」「絹姫」には海外旅行と副賞がプレゼントされた。
2020-03-06
41
町制施行100周年事業
将来の御柱祭に使えるように「モミの苗木」の植林。この記念事業で植樹したモミの苗木は1000本、その後、モミの苗木の植樹活動は有志の皆さんの手により続けられている。植樹は苗木を植える作業ばかりではなく鹿の食害から守る対策も伴う。
2020-03-06
42
町制施行100周年事業
町制施行100周年記念下諏訪町植樹祭の垂れ幕と下諏訪北小学校の旗が見える。町の理事者(高木町長など)の姿も見える。下諏訪北小学校には「みどりの少年団」があり「アマゴの放流」など自然環境について学ぶ学習が行われている。
2020-03-06
43
町制施行100周年事業
町制100周年記念事業のひとつとして、いずみ湖公園と東俣町国有林で記念植樹が行われた。それぞれ「町民自らの手による緑豊かな空間の創造」「森林資源の造成と緑豊かな住みよい郷土づくり」を目的にいずみ湖公園にモミジを1300本・オオヤマザクラ200本を、東俣町有林には将来の御柱用材用としてモミの苗木1000本を植樹。写真はいずみ湖での植樹の様子。
2020-03-06
44
町制施行100周年事業
町制施行100周年植樹祭であいさつする高木清允町長。
2020-03-06
45
鉄骨警鐘楼
太平洋戦争末期になると、兵器にするため民間の鉄材を供出する運動があり、第一分団の屯所の上に建てられていた火の見やぐらも倒されて供出された。昭和18(1943)年金属供出で取り壊す前の記念写真。
2020-03-06
46
記念写真
下諏訪学校。
2020-03-06
47
下諏訪駅
明治38年11月25日、中央東線が富士見駅から、岡谷駅まで開通する。この時、鉄道開通祝賀式挙行の案内状が、22日鉄道開通式委員総代小口友亀の名で発送され、25日午後1時10分下諏訪停車場構内で、祝賀式が挙行され、終わって有志の園遊会があった。写真前列の中央が、小口友亀氏である。下諏訪駅前での記念撮影。
2020-03-06
48
昔の岡谷
昔の岡谷。前列の女性たちの袴のすそに白線二本がある。この二本線の入った袴について、今井久雄著「村の歳時記(三)」には、「工場の準制服ともなっていて」という記述があり、さらに「この袴をはく娘は寄宿舎の部屋長や養成工の教婦など指導的立場にいる娘たち」と書かれている。写真には説明がないのではっきりしないが、この本の記述は参考にできると思われる。
2020-03-06
49
彩美堂の新店舗
彩美堂の新店舗と客とオーナーさんご夫妻。自家所有のリンゴ園を転用した画材屋さんの新店舗の中。敷地は1,650平方メートルで、曲線と曲線を強調する建築デザイン。
2020-03-06
50
萩倉林道開通式
萩倉林道開通式。延長3970m、足掛け8年かけて完成した。総事業費3億1100万、円道幅は平均4m下諏訪町水月公園上と萩倉を結ぶ新設林道。写真は萩倉から峠に入る林道の入り口に建てられた記念碑の前。
2020-03-06
51
諏訪実高下諏訪分校閉校式
諏訪実高下諏訪分校閉校式の日の校舎と記念碑。分校の跡地は現在下諏訪中学校の屋根付きプールとなっている。
2020-03-06
52
下諏訪商業組合
大正13(1924)年の下諏訪商業組合創立記念の時の写真。下諏訪商業組合の看板が見える。大正13年商工大臣から保証責任下諏訪商業組合の許可が出て、共同購入・保管・金融を取り扱った。№715参照。
2020-03-06
53
消防組組頭就任記念写真
下諏訪各地区に私設消防組が置かれたのは明治20(1887)年、富部の若者組有志がポンプを購入してからのことである。その後、明治27(1894)年に町内を4区に分け「下諏訪組」が設置された。戦中の「警防団」を経て戦後、昭和22(1947)年に「消防団」となり活動内容の整備も行われた。写真の時は「組頭」が消防のトップで高木十吉氏は最後の「消防組頭」。(戦中は「警防団長」戦後は「消防団長」と呼ばれるようになった。)下諏訪巡査駐在所の前にて高木組頭就任記念写真。
2020-03-06
54
国勢調査員記念写真
町役場正面玄関前、国税調査は大正9(1920)年に第1回が実施され、以降5年ごとに行われた。写真は昭和14(1940)年に行われた、第5回の時の調査の記念写真。写真下に「昭和十四年臨時国勢調査員記念」と説明書きがある。
2020-03-06
55
赤渋山林道の橋梁施工
昭和6(1931)年1月21日、失業者救済のため砥沢林道開削の件が上提された。国道142号線桶橋分岐砥沢山内、車道3000m巾3.7mである。写真裏には「赤渋山林道橋梁竣工記念(昭和11・7・8写)」と記録されているが、写された風景は雪景色である。撮影年月日は不明としておく。なお砥沢橋は昭和30(1955)年の完成である。
2020-03-06
56
蕉鹿庵前の酒宴
写真は大正15(1926)年10月31日撮影、水月会が蕉鹿庵の前で観楓会を開いた時のもの。写真裏に右から中村春吉、中村尚(其梅)、吉沢兼之助(晩雪)河西庄三郎、中村卯一郎(如佛)、中村橲一、中村茂重(柳月)、浜平三郎(木章)、林巻平(渓月)中村牧五郎(梅屋)と名前が記録されている。 大正4(1915)年天龍道人壱百年忌記念事業にあたって慈雲寺庭前に天龍道人の詩碑を建て、遺墨展を開いた。この時、水月園の正岡子規碑左手にの観月堂のある平の一角に蕉鹿庵を茶室として建設した。8坪ほどの茶室風の建物で、句会やお花見などに利用されたが、昭和25(1950)年の台風により倒壊し除去された。 ちなみに焦鹿というのは天龍道人が愛用した「焦鹿」という言葉に由来している。。
2020-03-06
57
砥川
鷹野橋と湖畔道路の記念碑。№658参照。
2020-03-06
58
砥川
鷹野橋下から砥川上流を望む。橋の東側(写真右側)たもとに昭和9(1934)年に下諏訪駅頭から移した湖畔道路の記念碑が見える。当時は砥川が天井川になっている様子がよくわかる。湖畔道路開通は大正8(1919)年、翌年下諏訪駅前広場に記念碑が建てられていた。
2020-03-06
59
記念写真(下諏訪町役場前)
昭和11~13(1936~1938)年。旧役場前(現すわのね)。
2020-03-06
60
記念写真秋宮
諏訪大社下社神楽殿前。いつ何の記念写真かは不明。
2020-03-06
61
記念写真秋宮
下社秋宮鳥居前。手水舎が八幡坂側にある。何の記念写真かは記録がない。
2020-03-06
62
金馬簾(きんばれん)披露式
写真後ろの建物は明治9(1876)年建築の下諏訪学校。第3回金馬簾(きんばれん)披露式が明治37(1904)年9月23日下諏訪学校校庭にて挙行されたときの記念撮影。下諏訪町消防組は公設消防としてその功績が認められ、明治35(1902)年10月23日金馬簾一条の使用を許された。馬簾とは纏(まとい)の飾りのこと。
2020-03-06
63
明治21(1888)年の記念写真
下諏訪学校尋常科1・2年生、明治21(1888)年の写真。 和服に靴・カバンの取り合わせがほほえましい。二人の間にあるのは教科書だろうか。小松定衛先生が9才の時横町ガラス取り写真屋で写す。城取一二三写真屋にて複製。
2020-03-06
64
下諏訪尋常高等小学校玄関
質実剛健なバルコニーと明治35(1902)年3月の記念撮影。後から2列目右から3人目が浜孝吉校長。
2020-03-06
65
下諏訪尋常高等小学校
明治9(1876)年11月建築の下諏訪学校(名称が明治20年から尋常小学校)、玄関とバルコニーと望楼が特徴。写真は大正3(1914)年卒業記念撮影。
2020-03-06
66
日露役凱旋記念撮影
明治39(1906)年初春、下諏訪町の久保区で日露役出征兵の凱旋祝賀会を山王台の霞城館で行った時に玄関先での撮影。
2020-03-06
67
中央東線開通下諏訪駅前記念撮影
明治38(1905)年11月25日中央東線が富士見駅から岡谷駅まで開通する。このとき鉄道開通祝賀式挙行の案内状が22日鉄道開通式委員総代小口友亀(写真前列中央)の名で発送、25日午後1時10分下諏訪停車場講内で、祝賀式が挙行された。写真は下諏訪駅前にて撮影。
2020-03-06
68
旧下諏訪町役場(立町青塚時代)
立町裏に下諏訪役場新築。明治22(1989)年4月1日に新しい下諏訪村が発足。同年5月31日字青塚(立町裏)に新庁舎開庁、以降大正14(1925)年に大社通りに庁舎が移転するまで36年間この庁舎で町政が取り行われた。第二回下諏訪区会議員当選記念に撮影したもの、尚明治7(1974)年下諏訪村が誕生して以降役場の変遷は以下の通りである。 【明治(1874))10月13日七ヶ村が合併して下諏訪村となる(事務取扱所は本陣方)・明治10(1877)年事務扱所を本陣から下諏訪学校下諏訪学校へ移す。・明治19(1886)年3月役場を学校から来迎寺へ移す。・明治22(1889)年5月31日立町に役場新築。・大正14(1925)年7月17日下諏訪町役場(八幡町)が竣工。】
2021-04-04
69
旧下諏訪町役場
明治22(1989)年4月、町政公布とともに、同年5月青塚の南隣に下諏訪村役場へ、来迎寺から役場が移された。 写真は、大社通へ建築された新役場庁舎地鎮祭執行当日に、立町元役場西側で記念撮影したもの。
2020-03-06
70
旧下諏訪町役場新築落成式
大正14(1925)年7月18日八幡町(現大社通り)に下諏訪町役場新庁舎ができる。落成式執行当日の記念撮影。旧下諏訪町役場は現日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」になっています。
2020-03-06
71
東講社行屋修復完成記念
東講社(あずまこう)行屋修復完成記念の写真。茅葺屋根にトタンがかけられた。東講は東山田の旧家で組織していた。駒ケ岳大権現をまつり行屋を持ち不動の滝・御(お)山と呼ばれる霊場もあり、かつては行者の修行も盛んに行われた。古くは雨ごいの霊場にもなっていた。
2020-03-06
72
病院慰問団
松本陸軍病院慰問の際の記念写真。
2020-03-06
73
慈雲寺庭園
慈雲寺の庭園は「中村勝五郎日記」によると天保8(1837)年に築庭されたものという。その後、何度か改修、拡張がされ現在の姿となっている。水月公園山稜を借景とし、園池を中心とした多数の庭石が組まれ閑静な景観をみせている。町内に残る見事な庭園のひとつといってよい。庭園改修記念の写真。
2020-03-06
74
下の原青年会
下諏訪町青年会陸上競技大会優勝記念写真、現在も明新館二階に飾ってある。
2020-03-06
75
里曳きでの記念撮影
諏訪大社下社の里曳きでの記念撮影。 厳しい戦況の中厳しい暮らしの中での祭を迎えた喜びの様子がうかがえる。
2021-08-19
76
旧下諏訪町役場
大正14(1925)年7月に新築された旧下諏訪町役場。昭和46(1971)年1月現在の町役場庁舎移転により、町公民館となる。現在は日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」となっている。
2020-03-06
77
旧下諏訪町役場
大正14(1925)年7月に新築された旧下諏訪町役場。昭和46(1971)年1月現在の町役場庁舎移転により、町公民館となる。現在は日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」となっている。
2020-03-06
78
旧下諏訪町役場
大正14(1925)年7月に新築された旧下諏訪町役場。昭和46(1971)年1月現在の町役場庁舎移転により、町公民館となる。現在は日本電産サンキョーオルゴール記念館「すわのね」となっている。
2020-03-06
79
第一区両社詣り
出征軍人の健康祈願のため区の主催で区民がたびたび諏訪大社の上下両社に歩いてお詣りした。写真は上社石段での記念撮影。 前列中央の男性が「日本第一軍神」の旗を持っている。 両社参りとは豊作を祈り六月一日に行われていた。 戦争中はこの日に限らず諏訪上下社に参拝した。 上社へは上諏訪の駅から歩いて参拝した。
2022-03-15
80
大詔奉戴日の行進
大詔奉戴日の行進(大東亜戦争のはじまった12月8日を記念し以降毎月8日を記念日として、戦意の高揚をはかった。)写真は翼賛壮年団。生徒は小学校に集合し秋宮から春宮へと行進した。この行進に参加しない者は問題視された。
2020-03-06
81
大詔奉戴日の行進
昭和17(1942)年大東亜戦争の始まった12月8日を記念して以降毎月8日を大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)とし戦意の高揚をはかった。その日の行事として秋宮から春宮まで行進した。写真は女子青年団。
2020-03-06
82
町主催戦死者葬儀(合同葬儀)
たれ幕には「陸軍輜重兵上等兵…」「陸軍砲兵上等兵…」「陸軍工兵伍長…」などの文字が読み取れる。「輜重兵(しちょうへい)」とは軍需品の補給や陸上運送に当たった兵のこと。町主催で行われた戦死者葬儀(4名の合同葬儀)、会場は現在の南小学校講堂。
2020-03-06
83
町主催戦死者葬儀
町主催で行われた戦死者葬儀(2名の合同葬儀)、会場は現在の南小学校講堂。たれ幕から「弔故陸軍伍長…」「弔故陸軍上等兵…」の文字が読める。
2020-03-06
84
町主催戦死者葬儀
町主催で行われた戦死者(第二次世界大戦・太平洋戦争戦没者)葬儀、会場は現在の南小学校講堂。祭壇には戒名(法名)に並んで「皇后陛下御下賜品」や「参謀総長」「教育総監」「陸軍大臣」「師団長」の文字も見える。また、たれ幕には「迎故陸軍兵長・・・英霊」などの文字も見える。
2020-03-06
85
下諏訪小学校南校雨天体操場建設
下諏訪小学校南校雨天体操場(講堂)内での関係者の記念写真。平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。
2020-03-06
86
下諏訪小学校南校雨天体操場建設
下諏訪小学校南校(現南小)雨天体操場(講堂)の外観を背景に関係者の記念写真 平成29(2017)年11月26日市民新聞に掲載された。 「下諏訪小学校南校雨天体操場落成記念 昭和6年10月28日」。 南校は大正13(1924)年低学年収容の校舎として開設されていた。
2020-03-06
87
出征兵士と家族写真
出征兵士と家族の記念写真、鷹野町にあった「三澤屋」。
2020-03-06
88
出征兵士と家族写真
出征兵士と家族の記念写真、菅野町の武川運送。
2020-03-06
89
出征兵士と家族写真
出征兵士(「まつや」番頭)と「まつや」家族の記念写真。 御田町にあった「丸七まつや」(立町に移転マツヤ洋品店に)後に荒井書店に現在は他の店になっている。
2020-03-06
90
更科そば店
湯田仲町(ムラグチ酒店のあった場所)にあった更科そば店。 御大典記念の写真で開業五周年大売り出しとある。 当時更科そば店。当時下諏訪町で最も繁盛した。 ラーメン店(当時は「シナそば」店)の栄軒はこれより遅れて開業、店主が北信州栄村の出身だったことから蕎麦屋を予定していたが、更科そば店の繁盛を見てラーメン屋にしたという。 町内ではそばと言えば更科と言われていた。
2020-03-06
91
青木健一町長就任記念写真
現庁舎前。青木健一町長以下議員、役場幹部。 第29代町長、青木健一氏は昭和45(1970)年~昭和57(1982)年まで3期12年町長を務める。在任中新庁舎完成、北小開校、社中開校、町屋敷団地完成、東俣浄水場建設、老人福祉センター開設、清掃センター完成、体育館完成などに尽力した。
2020-03-06
92
黒田町長就任記念写真
役場旧庁舎前。黒田新一郎町長と議員。第26代下諏訪町長、黒田新一郎氏は昭和33(1958)年から昭和45(1970)年まで3期12年間町長を務める。在任中、温泉開発、明るい町づくり運動推進、陸上競技場完成、社ヶ丘団地造成、星ヶ丘団地造成、八島高原の保全、町誌づくり、新庁舎建設等に尽力した。
2020-03-06
93
臨時国税調査員記念
役場旧庁舎前 臨時国勢調査員記念写真。 小口守一町長以下議員と役場幹部。昭和15(1940)年に発表された、第5回国税調査による下諏訪町の人口は男7670人・女9949人計17619人(世帯数3651)となっていた。
2020-03-06
94
新潟県人会
この頃、県人会など絆が固くまとまっていた。 新潟県人会には魚屋さんが多かった。
2020-03-06
95
出征家族写真撮影関係者
軍艦旗(旭日旗)と国旗が玄関前に飾られている。 写真にはないが幟も立てたとのこと。
2020-03-06
96
諏訪中入学の記念写真
下諏訪からの通学者の入学後の記念写真。 1年生が後ろで5年生が前、現在では考えられない。 下諏訪黎明会という会を作っていた。 後ろの秋宮幣拝殿の前に釣り灯篭があるが、その後行方不明になっている。 前列の生徒の足元を見ると約半数は下駄をはいている。
2020-03-06
97
結婚式の記念写真
松葉屋(後の千尋館)での結婚式の記念写真。
2020-03-06
98
結婚式の記念写真
松葉屋(後の千尋館)での結婚式の記念写真。 男蝶、女蝶の子どもが写っている。三三九度のお酌をした。 男蝶・女蝶とは祝言で三三九度の酌人を務める男女の子どものことを言います。 読み方は「おちょう・めちょう」雄蝶・雌蝶と書くこともある。
2020-03-06
99
結婚式の記念写真
諏訪大社下社秋宮での結婚式の記念写真。
2020-03-06
100
成人式記念写真(女性)
この当時、成人式は諏訪大社下社秋宮で行われていた。人数が多く記念写真は男女別に撮っていた。
2020-03-06
101
成人式記念写真(男性)
この当時、成人式は諏訪大社下社秋宮で行われていた。 人数が多く記念写真は男女別に撮っていた。
2020-03-06
102
昭和初期小学生の記念写真
山王台の銅像の台の前。 片倉蚕糸の創業者が岡谷の方向を指差した銅像があったが、お尻が皇居の方向を向いているとの批判があり取り壊された。
2020-03-06
103
第4分団消防役員記念写真
旧4区屯所前。 左側に手引きポンプが写っている。
2020-03-06
104
下諏訪町消防団
下諏訪町消防団記念写真、前列右には市瀬消防医も加わっている。
2020-03-06
105
下諏訪町消防団
下諏訪町消防団記念写真。 後列の4人は警察関係者.
2020-03-06
106
下諏訪町消防団第3分団
下諏訪中学校講堂前で下諏訪第3分団記念の写真。
2020-03-06
107
医師、歯科医の懇新年会記念写真
医師、歯科医の芸者を上げての新年会記念写真。 向かって右より 岡野先生、一の瀬先生、二木先生(歯医者)、下条先生、塚越先生、武井先生、三輪先生。 2列目 金丸先生、林先生、女性、黒河内先生。 3列目 宮下先生、小松先生、平山先生、池田先生、中根先生。
2020-03-06
108
ネオン灯完成記念写真
駅前通り(現在はオルゴール通り)田村青果店前に「ネオン灯が完成したが、昭和34(1959)年の伊勢湾台風で倒壊した。「駅前通り」のネオンの下に町内の旅館の名前が揚げられている。
2020-03-06
109
第三区出征軍人健勝祈願記念写真
第三区出征軍人の健勝を祈願した際の記念写真。多くの子ども、学生も動員されている。 昭和10(1935)年代に消防組から消防団となり、はっぴ姿も見える。供出前の狛犬も映っている。 狛犬は昭和19(1944)年に供出。
2020-03-06
110
裏参道開通記念
昭和15(1940)年12月29日不況対策事業で裏参道開削がほぼ完成し通行できるようになった。 さらに同18(1943)年8月10日、字三王・久保・臺の公園敷地が川岸村長より寄附があり、同19(1944)年7月秋宮裏参道が竣工した。その際の記念写真、町長初め町理事者、地域関係者が写る。現在の「ヤマモト」の横付近で撮影、坂の中ほどに現下諏訪中学校、奥に諏訪大社下社秋宮の森が見える。
2020-03-06
111
殿村遺跡発掘調査
復元住居の完成記念写真。 町理事者、町議、調査関係者。 「殿村原住民族住居跡」の看板。
2020-03-06
112
中央車両工業(中央工業)慰安旅行記念写真
杖突峠の標識看板がある。トラックには中央車両工業株式会社の文字。
2020-03-06
113
下諏訪商業組合ビル完成記念
下諏訪商業協同組合は前身が下諏訪商業組合で大正13(1924)年に設立し、物品の共同購入・保管・金融業務などを行い、昭和15(1940)年に事務所・倉庫を設置していた。(日本電産サンキョウ入り口の場所で現在の社名は「ニディックインスツルメンツ(株)」) さらに昭和22(1947)年に商業協同組合に改組している。写真は昭和15(1940)年の下諏訪商業組合ビル完成記念の時のものである。 その後、現在の商工会議所は昭和62(1987)年に鷹野町に新築移転している。
2024-03-14
114
出征軍人家族慰安会に於ける青年団仮装演劇記念写真
出征軍人家族の慰安のために青年団で仮装演劇を行った。演劇は御田劇場などで開かれた。これは、3区公民館(現青雲館)において写された記念写真。 「昭和十七年 出征軍人家族慰安會記念 六月」と写真に記録されている。
2020-03-06
115
広瀬町町少年団
広瀬町少年団の団旗完成記念写真。 昭和12(1937)年7月7日に支那事変が勃発。 この時、町内の組長や在郷軍人等の要望により結成、小学1年から高等科2年の男子全員が毎週日曜日の朝6時に新道(三国座通り)へ集合、駆け足で諏訪大社秋宮へ必勝祈願し、その後帰町して町内道路と駅庭の清掃を実施した。そろいの帽子と腕章に少年たちの真摯(しんし)な眼(まなざし)が並ぶ。
2021-04-15
116
御田町商店会
御田町通りのお祭の飾りつけ準備記念写真。 旧菱友付近。
2020-03-06
117
広瀬町町民遠足
ざっと数えて100人。 子ども達の多さに驚きです。
2020-03-06
118
遊覧飛行記念
赤砂飛行場、昭和3(1928)年この頃民間人(諏訪飛行協会)による飛行場ができる(滑走路300m)。
2020-03-06
119
遊覧飛行記念
遊覧飛行やビラまきを行った。プロペラにしめ飾りが飾られていることから正月前後の撮影と推察できる。
2020-03-06
120
国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真
下諏訪駅2階にあった国鉄バス下諏訪営業所開業三十周年記念写真。右端にはバス整備場があり、懐かしい型のバスも見える。和田峠のバス路線は昭和8(1933)年3月25日丸子町・上和田間(和田峠北線)、並びに下諏訪・岡谷間(南線)が開通。さらに和田峠トンネルが同年1月に完成。道路の改修工事を経て同年10月13日に全線開通祝賀式を慈雲寺において開催した。当時下諏訪・丸子間の所要時間は2時間半。省営バス路線中日本最高の峠路を40人乗りバスで4往復した。
2020-03-06
121
商工会館落成記念写真
駅前にあった商工会館落成記念写真。下諏訪町が活気のあった時代を支えていた人たちが多い。青年は落成記念に仮装行列を組み盛り上げた。建物は現在の日本電産サンキョーの入口の位置にあった。
2020-03-06
122
三国座落成記念写真
駅前から四ツ角方面の振興を目的に友之町の本通り・大社通り・菅野町・駅通りの商工業者が映画館「三国座」を建設した際の関係者の記念写真。昭和29(1954)年9月1日にオープンし、「ローマの休日」を上映した。諏訪の都座の系統で当時珍しかった洋画も上映した。昭和47(1972)年9月25日閉鎖された。館名は一般より募集した。(撮影日は下諏訪町誌参考)
2020-03-06
123
青年演劇
下諏訪町の青年演劇を演じていた人たち。御田劇場で演じたときに舞台で撮影された記念写真。当時、慰安目的でいろいろな場で演じていた。
2020-03-06
124
広瀬町町内会ハイキング
広瀬町町内会の八島ハイキングの際の記念写真。写っている人数と手持ちの番号旗から何台かのバスに分乗していったのか.それにしても、子どもたちの多さは今では考えられない。
2020-03-06
125
出征家族写真撮影関係者
戦時中、朝日新聞では軍神の諏訪大社下社秋宮境内で出征した兵士の家族写真を撮影、戦地に送付していた。町内の写真撮影業者のうち組合加入の秋山(高札場上)・北原・城取氏の3人、アマチュアカメラマンが撮影に当たっていた。新聞社、新聞販売店、後援の役場職員も同席しての記念写真。
2020-03-06
126
星ヶ丘公会所落成記念写真
新築された星ヶ丘公会所と下諏訪町長青木健一氏、区関係者による落成記念写真。背後にはまだ畑が見える。星ヶ丘団地の造成は昭和39(1964)年。
2020-03-06
127
みどり幼稚園
新町下にあったみどり幼稚園の園庭にて、保護者・園関係者の記念写真。前列中央は園長の山田与八氏。 下諏訪教会では戦前の昭和10(1935)年から幼稚園経営をしていたが戦争中は町保育所に吸収され園舎は軍事工場に使用されていた。 戦後の昭和26(1951)年仮免許で始め、再び幼稚園を翌年正式の設立認可を得てみどり幼稚園と改名した。
2020-03-06
128
千尋池
改修工事完成の記念写真。 千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なお「ちひろ講」は青塚の清掃も行っている。
2020-03-06
129
秋宮鳥居前集合写真
徴兵検査合格者の記念写真。 旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれていると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。この写真では手水舎が現在と反対側にある。手水舎は昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。向かって右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。また、鳥居の左側の現在千尋池となっている場所に商家などの建物が見えている。鳥居前千尋館の二階から撮影された写真である。
2020-03-06
≪
1
≫
記念写真(46)
秋宮(11)
記念事業(11)
町制百周年(11)
諏訪大社(10)
記念撮影(9)
消防団(7)
戦争(6)
出征(6)
家族写真(5)
講堂(5)
結婚式(5)
役場(5)
下諏訪南小学校(5)
記念碑(5)
商業(4)
戦時中(4)
千尋館(4)
下諏訪小学校(4)
旧役場(4)
旧町役場(4)
教育(3)
交通(3)
下諏訪駅(3)
成人式(3)
松葉屋(3)
出征兵士(3)
戦死者(3)
葬儀(3)
旧公民館(3)
オルゴール館(3)
すわのね(3)
下諏訪学校(3)
砥川(3)
湖畔道路(3)
集合写真(3)
第三区(3)
鳥居(2)
旅館(2)
幼稚園(2)
みどり幼稚園(2)
広瀬町(2)
町内会(2)
娯楽(2)
慰安(2)
落成式(2)
飛行機(2)
複葉機(2)
商店街(2)
青雲館(2)
下諏訪中学校(2)
消防(2)
山王台(2)
本殿(2)
国税調査(2)
議員(2)
就任記念(2)
雨天運動場(2)
大詔奉戴日(2)
行進(2)
青年会(2)
慈雲寺(2)
町役場(2)
地鎮祭(2)
尋常小学校(2)
バルコニー(2)
和服(2)
靴(2)
下社秋宮(2)
秋宮境内(2)
下諏訪町役場(2)
鷹野橋(2)
天井川(2)
水月会(2)
林道(2)
植樹祭(2)
軍服(2)
幣拝殿(2)
敬老会(2)
徴兵検査(1)
千尋池(1)
池(1)
千尋講(1)
9区(1)
星ヶ丘(1)
公会所(1)
星ヶ丘公会所(1)
畑(1)
朝日新聞(1)
旧和田トンネル(1)
ハイキング(1)
トンネル(1)
演劇場(1)
御田劇場(1)
青年演劇(1)
映画館(1)
三国座(1)
洋画(1)
ローマの休日(1)
産業(1)
商工会(1)
商工会館(1)
活気(1)
バス(1)
国鉄バス(1)
三十周年(1)
飛行場(1)
赤砂飛行場(1)
民間(1)
飛行協会(1)
地域行事(1)
遠足(1)
塩嶺小野立公園(1)
自転車(1)
祭(1)
社会教育(1)
少年団(1)
支那事変(1)
青年団(1)
演劇(1)
3区公民館(1)
軍人(1)
商業共同開館(1)
商業協同組合(1)
現日本電産サンキョウ(1)
工業(1)
会社(1)
慰安旅行(1)
杖突峠(1)
トラック(1)
遺跡(1)
発掘(1)
殿村遺跡(1)
復元(1)
住居(1)
道路-歴史(1)
秋宮裏参道(1)
裏参道(1)
不況対策(1)
出征軍人(1)
駅前通(1)
アーチ看板(1)
ネオン(1)
風俗(1)
芸者(1)
医師(1)
歯科(1)
第3分団(1)
消防医(1)
下諏訪町(1)
屯所(1)
ポンプ(1)
銅像(1)
皇居(1)
小学生(1)
紋付き袴(1)
三々九度(1)
和装(1)
諏訪中(1)
清陵(1)
下諏訪黎明会(1)
下駄(1)
下の原(1)
家族(1)
旗(1)
県人会(1)
国勢調査(1)
小口守一(1)
調査員(1)
黒田新一郎(1)
青木健一(1)
飲食業(1)
更科そば(1)
五周年(1)
売り出し(1)
丸七まつや(1)
武川運送(1)
三澤屋(1)
下馬橋南(1)
女子青年団(1)
春宮鳥居前(1)
翼賛壮年団(1)
健康祈願(1)
上社(1)
下社(1)
御柱祭(1)
もんぺ姿(1)
河西宅(1)
戦況(1)
陸上競技大会(1)
明新館(1)
優勝記念(1)
庭園改修(1)
庭園(1)
松本陸軍病院(1)
慰問団(1)
松本城前 (1)
松本城(1)
東講(1)
旧家(1)
霊場(1)
修復(1)
行屋(1)
新築(1)
新庁舎(1)
町政公布(1)
下諏訪村(1)
青塚(1)
立町(1)
庁舎(1)
中央東線(1)
開通記念(1)
駅前(1)
鉄道(1)
日露役凱旋(1)
凱旋祝賀(1)
霞城館(1)
卒業記念撮影(1)
望楼(1)
和洋折衷(1)
記念(1)
高卒(1)
ガラス取写真屋(1)
尋常科(1)
教科書(1)
消防組(1)
公設消防(1)
金馬簾(1)
披露式(1)
手水舎(1)
八幡坂(1)
境内(1)
拝殿(1)
大社通り(1)
大和仁平町長(1)
芭蕉庵(1)
水月園(1)
花見(1)
観楓会(1)
赤渋山(1)
橋梁(1)
砥沢山(1)
桶橋分岐(1)
玄関前(1)
役場前(1)
組頭(1)
駐在所(1)
下諏訪組(1)
消防団長(1)
商業組合(1)
創立(1)
洋館(1)
諏訪実業高校(1)
下諏訪分校(1)
新設林道(1)
開通式(1)
彩美堂(1)
画材(1)
新店舗(1)
袴(1)
2本線(1)
女子学生(1)
女工(1)
現下諏訪中学校(1)
警鐘楼(1)
取り壊し(1)
第一分団(1)
金属供出(1)
高木清允町長(1)
いずみ湖(1)
植樹風景(1)
東俣(1)
下諏訪北小学校(1)
いずみ湖公園(1)
自然環境(1)
モミ苗木(1)
御用材(1)
時代行列(1)
コンテスト(1)
春宮境内(1)
八島太鼓(1)
太鼓(1)
演奏(1)
放流(1)
アマゴ(1)
式典(1)
やまびこホール(1)
下諏訪町総合文化センター(1)
ロビー(1)
祝賀会(1)
もみの木モール(1)
童謡の夕べ(1)
文化センター(1)
上演(1)
憲法発布(1)
町村長会(1)
諏訪郡町村長会(1)
憲法発布記念(1)
増築(1)
落成記念(1)
木造校舎(1)
増築落成記念(1)
南四王(1)
歴史のこみち(1)
七つ蔵(1)
生活路(1)
江戸時代(1)
小路(1)
宿場町(1)
永六輔(1)
小沢昭一(1)
岡本太郎(1)
路地(1)
献幕(1)
国民服(1)
国旗(1)
床の間(1)
結婚(1)
新郎新婦(1)
黒田町長(1)
御田町(1)
役員(1)
長持ち(1)
法被(1)
諏訪大社秋宮(1)
神前式(1)
学生服(1)
長靴(1)
雪下駄(1)
雪(1)
店(1)
製缶(1)
缶詰(1)
明治天皇(1)
石投げ場(1)
神楽殿(1)
青年會(1)
神前(1)
東山田(1)
婦人会(1)
御田町商業会(1)
富士講(1)
戦勝祈願(1)
皇紀二千六百年(1)
富士登山(1)
樋橋(1)
紀元二千六百年(1)
保育所(1)
高木十吉(1)
博物館(1)
宝物館(1)
商店(1)
酒屋(1)
正月(1)
看板(1)
騎馬(1)
騎馬行列(1)
奉納騎馬(1)
警防団(1)
第三分団(1)
一本柳神社(1)
赤砂(1)
今井邦子(1)
中山道(1)
茶屋(1)
宿場(1)
島木赤彦(1)
短歌(1)
明日香(1)
あずさ(1)
スパーあずさ(1)
SL(1)
100周年(1)
羽田家(1)
霊祭(1)
ログイン
トップページへ