集落の中央がかぎの手になっているのは多くの宿場に見られる形態である。本陣の「嘉登屋(かどや)」は曲がり角にあり、大名・公家たちのお小休みなどに使われた。宝暦4(1754)年にかどや火事があったとき、藩は何の抵当もなしに米12俵を貸している。文久元(1861)年、和宮下向の折にお小休みのために御殿を建てたが、樋橋大火で焼失してしまった。さらに江戸末には水戸浪士と高島・松本藩の和田峠の合戦の舞台にもなっている。諏訪の歴史の中では忘れられない場所の一つである。
撮影場所 | 樋橋 |
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撮影年月日 | 令和3年6月 |
撮影(西暦) | 2021年 |
色調 | カラー |
所蔵者 | 矢澤進一 |
参考文献 | 生涯学習ガイドブックわが町下諏訪歴史編44p |
地区コード | 樋橋 |
管理番号 | 100 |
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カテゴリ名 | 文化・町並み |
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