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登録リスト(該当:92件)
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写真
タイトル
説明
登録日
1
D51 蒸気機関車
1963(昭和38)年~1967(昭和42)年ごろの岡谷市長地地区に隣接しの赤砂の中央線の風景。下諏訪町の砥川から横河川の間で撮影したもので飯田線から旧型電車とキハ58の準急、D51客車列車、80系電車などが見られた。また西大路通りの開通は1950(昭和55)年 写真は中央線岡谷~下諏訪間 上り列車 辰野~神手話間が部分電化され中央線に乗り入れて来た頃の写真でD51が客車を牽いていた この場所も住宅、工場のためよく見えるところではなくなった。
2024-02-11
2
敬愛社の法光不動と泰力不動
昭和13年9月、敬愛社に法光不動碑と泰力不動碑が建立された。法光不動碑は高さ0.95m、泰力不動碑は高さ0.97m。写真には唐木石工場の文字の入った法被を着た職人がみられる。
2023-09-23
3
七曜星社蔵
武藤工業(株)から寄贈された中山道沿いの土蔵(木造二階敷地面積16平方メートル)を改修し中山道など街歩き休憩所にしました。蔵は海鼠(なまこ)壁が美しい。 この場所で七曜星社という製糸工場を営んでいたことから七曜星社蔵(しちようせいしゃぐら)という名前が付いた。
2023-07-16
4
ダイヤ豆腐
JR菅野町踏切横(現大和電機附近)にあったダイヤ豆腐の工場内の作業風景。
2023-02-22
5
航空写真 四王上空
写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。
2021-04-18
6
みどり幼稚園
下諏訪協会では戦前の昭和10(1925)年から文部省公認下諏訪幼稚園として経営していたが、戦時中は下諏訪町保育所に吸収され、園舎は軍工場に使用されていた。戦後は昭和26(1951)年仮免許で再び幼稚園を始め、翌27(1952)年文部省管轄下にある教育施設として、県知事の認可を得て「みどり幼稚園」と改名した。この年平成2(1990)年は戦後の幼稚園開園から40年目にあたる。園舎の軒に「開園記念バザー」の幕も見える。
2020-09-08
7
笠原製糸工場
(屋号 山二)笠原製糸工場表彰式。 経営者の名前を下諏訪町誌から探すと、笠原亀蔵の経営する製糸場が明治23(1890)年に開業している。
2020-09-05
8
製糸業
製糸製造、工場内の風景。
2022-01-18
9
牛山製缶所
看板に「創業十五週年記念 牛山製罐所」とある。店の奥に丸い缶が山と積まれている様子がわかる。 明治25~26年ころ、増沢寅之助氏がカリンの缶詰工場を操業した。自宅の裏土蔵の屋根下を利用したものだった。 使用している機械、服装等から明治末頃の写真と思われる。
2021-12-26
10
戦時中の開所式
何の開所式かは不明だが、参加者の服装や式次第の中に「宮城遥拝」「大詔奉読」「廠長」という文字があることから、戦時中、それもかなり戦局悪化の頃の軍需品関係を製造・修理した工場の開所式の写真と思われる。
2022-06-09
11
製糸工場風景
製糸工場風景。
2020-06-27
12
製糸工場の面影
「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。
2021-04-21
13
荷馬車
この写真は和田峠を越えて戦後の買出し風景。荷馬車で荷を運搬、荷車の端に信号が写っている。また、はっぴの襟に高木石工場の文字が読める。
2020-03-06
14
下諏訪町上空
写真中央の白く輝く屋根は荻原製作所(昭和42(1967)年に下諏訪町に移転してきた本社工場、平成29(2017)年に伊那市へ移転。その右にはひかり味噌、左上にジャスコ(イオン)、右上には諏訪湖、右下すみに野球場・陸上競技場が見える。
2020-03-06
15
精密機械工業
工場内の作業風景。
2020-03-06
16
丸六製糸
丸六※製糸(片倉兼太郎)。湯田新町(旧ヤシカ跡・現ムトー工業)片倉組製糸の下諏訪製糸所。明治18(1885)年創業の井上善次郎工場を買収して、明治32(1899)年に創業、昭和18(1943)年軍需工場となり、昭和23(1948)年再開するも昭和30(1955)年ヤシカとなる。現在はムトー工業となっている。
2020-03-06
17
製糸工場
堀内忠夫氏の製糸場。中央通り旧湖北工業跡、現フレール隣、大正8(1919)年創業の角ヤ※小口組製糸工場が昭和6(1931)年の大恐慌で倒産、その後青木村出身の堀内忠夫氏(後の町議会議長・商工会議所会頭)が引き継ぐが、昭和32(1957)年廃業。№1287と同じ写真。
2020-03-06
18
白鶴社三井製糸
白鶴社三井製糸。久保山王台下現三井範義氏宅下大東社を経て信濃蚕業(現イングスシナノ)分工場となる。右奥には若宮神社の森、手前広場は既に三井製糸工場撤去の後。
2020-03-06
19
昭栄製糸
明治42(1909)年創業の昭栄製糸(小口竹吾)。昭和3(1928)年当時743釜。大正9(1920)年第一次大戦後の恐慌、大正12(1923)年関東大震災、昭和4・5年世界的大恐慌等が製糸業へ大打撃を与える。やがて山十組は破綻、営業の継続を依頼会社整理の抵当権者(安田銀行)がバックアップ、昭和6(1931)年山十※組下諏訪製糸が昭栄製糸となった。その後、昭和32(1957)年、下諏訪町の工場誘致により跡地に三協精機(現日本電産サンキョー)が上諏訪より誘致された。 煙突と煙突の間の森は下社秋宮。
2021-04-01
20
四王製糸場
大正7(1918)年創業した入一組山二製糸場。昭和3(1928)年当時410釜。大正12(1923)年南四王(現イオン跡地)に四王製糸場(入一※組分工場)として建設後に昭栄製糸場となる。現在のイオン下諏訪店の位置にあった。
2021-04-01
21
製糸工場
岡谷。製糸関係の建物。
2020-03-06
22
製糸工場
天竜川畔製糸工場群。
2020-03-06
23
昔の岡谷
昔の岡谷。前列の女性たちの袴のすそに白線二本がある。この二本線の入った袴について、今井久雄著「村の歳時記(三)」には、「工場の準制服ともなっていて」という記述があり、さらに「この袴をはく娘は寄宿舎の部屋長や養成工の教婦など指導的立場にいる娘たち」と書かれている。写真には説明がないのではっきりしないが、この本の記述は参考にできると思われる。
2020-03-06
24
売り工場
昔の岡谷。売り工場「売り(貸)工場、土地9.938坪・建物4.196坪、お問い合わせの方は当事務所までお出で下い」と書かれた看板。壁の向こうは、満開の桜。
2020-03-06
25
繭籠の垣根のある風景
繭籠で作った垣根(当時繁盛していた製糸工場の県外より生繭を輸送する繭籠で囲いの塀にしたもの)のある風景。
2020-03-06
26
朝日公園から岡谷市街地を望む
昔の岡谷の市街地と製糸工場。諏訪湖と天竜川が見え、岡谷の市街地には黒い煙をあげる煙突が林立し、間に繭倉も見える。撮影は山手町の高台あたりからか、山の斜面は桑の木で埋め尽くされている。
2020-03-06
27
花岡公園から岡谷市街地
昔の岡谷 花岡山(花岡公園)から天竜川越しに林立する製糸工場を望む。手前下に天竜川、びったら橋が見える。天竜川の向こうは岡谷の製糸工場群、千本煙突から煙が登るり、4層の繭倉群も見える。
2020-03-06
28
女工さん
製糸工場の女工さんたち。若い女性に混じって後方に年配の女性も見える。きものの柄に年齢差が見える。 下の写真は帯を締め羽織も着ていることから工場の休みの日の撮影か(後ろに見えるのは揚げ返し場)。
2021-04-21
29
入一通信
入一(いりいち)通信(株)の洋館風の事務所。前進は明治43(1910)年発足の入一組製糸所。そのまた前身は明治34年創業の入○(イリマル)組製糸所。最盛期の大正10(1921)年は1150釜と町内きっての大手工場となり、茨城・静岡と町内に分工場を持っていた。太平洋戦争中製糸技術を生かして通信機用コイル・トランスの生産に転換した。
2021-04-01
30
㈱マルシメ
マルシメ縫製工場、型紙とりの作業と縫製工程の様子。
2021-03-27
31
㈱マルシメ
株式会社マルシメ 製糸王国の名残り、絹紡糸の原料(ペニー)製造工場。製糸工場で出る手くず(くず繭)を精錬してラップからペニーにする。。大正2(1923)年創業のこの会社、戦後は縫製部門の方が主力になっているがペニー製造の灯も守っていた。
2021-03-27
32
釜洞商店
辻の八百屋さん、正月を迎える準備も整う。御田町通りの角にあるこの店、製糸全盛時代には、わらで焼くおいしい焼き芋で人気を集め、近くに並ぶ大手製糸工場の工女たちの買い物でにぎわったものだという。店の軒先に、新年を迎える七五三(しめ)が飾りつけられている。道の向こう側は本屋さん(三澤屋書店)。№1154参照。
2020-03-06
33
黒曜石採掘
黒曜石採掘の切羽。マタギの里として知られる秋田県から働きに来ている作業員が、削岩機で手堀している。日採堀量は約60㎥という。坑道の総延長は15kmに及ぶ。掘り出された原石はフヨーライト(軽量断熱、防湿、防音建材)・ビーナスライト(造園用緑化用土壌改良剤)の商品名で出荷されている。日出荷量は約二百立方メートル。和田峠は、わが国の代表的な黒曜石の産地で、原石を出すことで知られる。先史時代から採掘され、近代に入ってからは、大正時代から工芸品の材料として利用されたが黒曜石パーライトの工場ができたのは昭和45(1970)年。その後、昭和48(1973)年からは大手資本が入ってフヨーライトの工場となった。
2020-03-06
34
広和プレス
従業員27人の下請け工場。プリンタや磁気ヘッドの部品、精密金型などを手掛け、QCによる品質保証体制をとっていた。小さな町工場で金型技術の修業をした社長(当時49)が26歳の時「自分の腕を試したい」と独立した(有)広和プレス。「より高度な制度を追求」するためのNC機械や三次元測定具などの設備を取り入れている。
2020-03-06
35
五味工業
五味工業の工場内の様子。小規模工場ながら一台5000万円のマシニングセンタなど高性能機器が並ぶ。工場要員は全員が技術検定取得者、技能オリンピック出場者を3人出すなど技術に磨きをかけている。この会社の会長(当時85)は元生糸商で、工場も製糸所の跡地にある。ここにもシルク王国の遺産が生きている。
2020-03-06
36
旧ダイヤ豆腐社の煙突
ダイヤ豆腐工場は現JR中央線沿い北四王に敷地面積2500坪で昭和9(1934)年に旧湖畔倉庫を買収して開設された。当時の諏訪地区特産の氷(凍り・こおり)豆腐の大半(90%)を生産していた。写真は旧ダイヤ豆腐社の煙突。
2021-04-01
37
萩倉のカネキ製糸場
山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。
2022-06-12
38
中村製作所
製糸時代からの鉄工所、今は精密メーカーなどからの注文仕事で忙しい。創業は明治40年頃、製糸工場のボイラーなどを手がけた。「諏訪湖の町の平成元年」には、昭和9(1934)年、室戸台風で倒れた製糸工場の煙突を、たった一昼夜で再建した思い出を、74歳の工場主が話してくれたと解説が書かれている。戦後の一時期スケートのエッジ「N、S、K ローレル クラウン」の製造元として鳴らしたこともある。中村製作所の鉄工所(プレス二次加工)。
2020-03-06
39
製糸工場
曙町の佐藤金物近くにあった製糸工場。
2020-03-06
40
東洋技研
独自開発が身上(オートメーション機器の接続用部品)の完全自動組み立て機の稼動を見守る東洋技研㈱の アイディア社長(花岡社長)。製法特許の端子台を主力とするオートメーションパーツ専業メーカーで従業員55人の規模ながら市場独占率10%以上を確保している。 その後岡谷市東堀(長地権現町)に工場移転した。
2021-04-01
41
世界最大のオルゴールメーカー
世界最大のオルゴール会社・三協精機の工場風景(プリント基板製作自動機)。当時は多角化を図り、「オプトメカトロニを駆使する総合精密電子機器メーカー」を看板にしていた。 二枚目の写真は三協精機の工場のCADシステムによる回路設計風景。
2021-04-01
42
世界最大のオルゴールメーカー
三協精機(現日本電産サンキョー)は終戦後桜町に工場建設し始まったが、昭和23(1849)年からオルゴールに着目し、輸出用を中心に量産を始めた。昭和32(1957)年に広瀬町にあった昭栄製糸工場跡に工場を移転し、オルゴールの大量生生産で世界最大のオルゴールメーカーに成長した。写真は三協精機の工場のオルゴールの検査の風景。 二枚目の写真はオルゴールの組み立て自動機。
2021-04-01
43
製材工場
製材所の作業風景。原木の6割が輸入材で、岡谷市の沖電線の輸出製品を入れる箱材(米国産カラマツ)を作っている東町上の山田製材所。
2020-03-06
44
繭の運搬風景
軽トラックで中国産の繭を町内倉庫から岡谷の工場へ運ぶ国用製糸業者。国内の繭生産量は昭和12(1937)年をピークに減少、平成元年当時、中国、北朝鮮などから年間約1,500トン輸入しており、この製糸業者も、10年ほど前から入れ始めた中国繭が、今では主体になっているという。「諏訪湖の町の平成元年」の撮影メモから、緑町の斉藤製支店前の撮影と思われる。
2020-03-06
45
旧白鶴社の建物
取り壊しが決まった明治9(1876)年創業の製糸組合白鶴社の旧事務所。白鶴社(共同出荷・揚げ返し)は、諏訪製糸の揺籃期(明治初期)から台頭期(同中期)にかけて操業していた二十七の製糸組合の中堅どころだが、諏訪製糸の勃興期(明治後期)に至って、製糸経営が大規模工場へ移行する潮流となり、同業組合の共同揚げ返し所はその使命を終えて淘汰される中で閉鎖となった。その後事務所は他の製糸工場へ移築され、戦後はニットメーカーの事務所として使われてきたが、その事務所も改築されることになり、この年9月28日から取り壊し工事が始まった。
2021-04-01
46
ニット工場
ニットメーカー(旧佐藤メリヤス(有)・現サトーニット)のデザイン企画室。講師を招くなどしてデザイン力に注力。ファッション誌に載るような作品も送り出している。製糸業からの転進、ニット業界の変転の中で商品企画と開発に独自の努力をして生き残ってきた。従業員60人。(株)サトーの工場。
2020-03-06
47
洋菓子チェーン店開店
20m道路沿線(通称・ジャスコ通り)には店舗の進出が続いた。山梨県に本社を持つ工場直売方式の洋菓子チェーン店「シャトレーゼ」がこの日開店。この道沿いにはジャスコの開店以来目覚ましく発展しており、町の中心が南部へ移動しつつあった。
2020-03-06
48
印刷工場
消費税の実施をひかえて、印刷業界は超繁忙期、夜遅くまで版下の制作に追われる従業員たち。こうした残業がひと月余に渡っており、今までになかったことだという。
2021-04-01
49
花見新道からの景色
花見新道(国道142号線)から見た下諏訪町の風景。中央のシルバー屋根は御田町「武藤工業㈱諏訪工場(旧ヤシカ)」その奥が「入一通信工業㈱諏訪工場」
2020-03-06
50
製糸工場
長手造りの生糸がビニールで包装され台の上に置かれていたり、はかりなども見える。製糸工場の一室。
2021-04-21
51
製糸工場
製糸工場の外景。
2020-03-06
52
製糸工場
揚げ返し機。揚げ返し(あげかえし)は、煮た繭から生糸を作り小枠に巻き取る機械の繰糸機(そうしき)で小枠に巻き取られた生糸を乾かしながら大枠へ巻き返し、輸送や保管などで取り扱いやすい一定量の束、綛(かせ)にすること。
2020-03-06
53
座繰り製糸
下諏訪町の座繰り製糸工場昭和興行(株)。座繰り(ざぐり)は座って人力で道具を動かし繭から糸を手繰りながら糸枠に巻きとる作業のこと。またその道具のこと。
2021-04-01
54
印刷工場
改元で仕事が増えフル稼働の印刷所、機械は高速枚葉オフセット印刷。(株)諏訪印刷。
2020-03-06
55
製糸工場
倉庫から運ばれてきた繭とそれを選別している様子。
2020-03-06
56
座繰り製糸
シルク王国の生き残り、老工女が支える10釜の座繰り製糸工場。67歳から82歳の13人の工女で超高齢化工場だが早い手さばきで糸を取っている。国用製糸を支えた老工女たち。「家にシコっている(①うずくまる②かかむ③じっとこごまる(かがむ)の意味)より、こうして糸を取っているほうがよっぽど楽しい」と。下諏訪町の座繰り製糸工場昭和興行(株)。昭和4(1929)年からの世界恐慌を境に製造業は没落の道をたどり戦後は精密・電子・ニット業などに転換する工場が相次いだ。昔ながらの座繰り機械で操業を続行する工場は、当時全国でも下諏訪と岡谷の5~6社だけと言われた。この年の秋には町内の座繰り製糸工場は2社に減っていた。
2021-04-01
57
製糸工場
糸くち留。
2020-03-06
58
製糸工場
製糸工場の風景。
2020-03-06
59
製糸工場
長手造りの生糸。ビニールで包装し、30kgとしてダンボール箱詰めする。
2021-04-21
60
製糸工場
鍋で煮繭(シャケン)をしている。煮繭は繭から糸を繰り取る際に、繭糸の解れをよくするために、あらかじめ繭を湯などで煮ること。 写真下は煮繭(煮た繭)した繭を子桶に入れている。
2020-03-06
61
製糸時代のメインストリート、今は御田町通り
戦前はこの通りに片倉、入一など大手製糸工場が並び、月二回の定休日には通りにあふれるほどの工女たちで賑わったものという。工女たちを集めた御田町劇場はもうない。戦後も片倉跡が「ヤシカカメラ」の工場になって、従業員の往来で活気を見せていたが、同工場が岡谷へ去ってから、(現在は「武藤工業(株)諏訪工場」に代わって)静かな商店街にな様変わりしている。
2020-03-06
62
小路の奥にも製糸の名残
右手は昭和34・35年頃まで操業していた「ヤマカ河西製糸所」の再繰部の建物。三協精機の創業者が、昭和23(1948)年の暮れ、この工場の一部を借り受け、旋盤機などをすえつけて旗揚げを図ったが、操業開始の前夜工場を焼失、やむなく諏訪市へ工場を移して創業したというエピソードがある。
2021-04-13
63
小松工業
西鷹野町工業団地にある㈱小松工業のロングストローク特殊プレス機による冷間塑性加工工場。630トン、600トンのプレス機を使って大型部品を「しぼって」作る。内陸にあって精密工業の発達している諏訪地方では、やや大型の部品を扱う工場は多くはない。技術水準を上げるため、埼玉県から工学博士を招いて指導を受けているという。
2021-04-01
64
河西製糸所
小路の奥に製糸の名残り。昭和34(1959)・35年ころまで操業していた「ヤマカ社河西製糸所」の建物。三協精機の創業者が、昭和23(1958)年の暮れ、この工場の一部を借り受け、旋盤機などをすえつけて旗揚げを図ったが、操業開始の前夜工場を焼失、やむなく諏訪市へ工場を移して創業したというエピソードがあると「諏訪湖の町の平成元年」に紹介されている。
2021-04-04
65
下請け工場で働く主婦
諏訪の精密工業を支える二次加工専門の下請工場春元精機製作所で働く主婦たち、皆さん結婚前は時計やカメラ工場で働いていた人たちばかりなので腕は確か、一人ひとりが徹底した品質管理をしているという。伝票にはソニー・オリンパスなどのスタンプが見られる。
2021-04-01
66
承知川の旧発電所
承知川の旧発電所。小口製糸所。この発電所(出力60キロ)は製糸工場の私設発電所の建物。大正17(1918)年岡谷から下諏訪駅前へ進出した山十組山八製糸工場が承知川水源へ設け。水利権をめぐり農業者と紛争が起きたという話も伝えられている。 1枚目の写真は表からの撮影。
2020-03-06
67
旧高木温泉
旧高木温泉は湖中「カマアナ」から「かずさ堀り(車付きのやぐらを使う掘さく法)」で大正14(1925)年掘さくし、諏訪湖畔波打ち際に区民が温泉協同組合を組織、出資し共同浴場を造り引湯した。このもと区営浴場、湖の波打ち際近くにあって村民に親しまれた。この区には二つの区営湖畔浴場があり、赤彦の歌にも詠まれれて居る。その後、湯温が下がり昭和47(1972)年諏訪市境に新たな源泉を掘り家下地籍に移した。昭和30(1955)年代から湖岸の埋め立てが行われ、湖畔の旧高木温泉は払い下げられ、精密部品工場になった。
2020-03-06
68
高木のメリヤス工場
下諏訪町高木のメリヤス工場内(昭和43(1968)年2月)を写す。昭和43(1968)年1月現在、メリヤス工場が97、横編機台数が1224台を数える盛況だった。
2020-03-06
69
高浜のメリヤス工場
高浜のメリヤス工場で自動大横編機を写す。
2020-03-06
70
ヤシカ工場(旧片倉製糸)
東洋のスイスといわれていた頃の精密工業(カメラ工場)の様子。ベルトコンベアー・システムによって次々に完成品が作られてゆく。 戦後のカメラブームの中、昭和24(1949)年諏訪市の八洲精機製作所を継承したヤシカカメラは、昭和30(1955)年下諏訪町の旧片倉製糸下諏訪製糸所に本社工場を移転し、新型カメラを登場させ市場にアピールした。新興メーカー・ヤシカは安さも売りの一つで成長し、昭和30年代には国内販売高も輸出も首位を占めていた。昭和47(1972)年本社を岡谷市長地に移転したが、昭和50(1975)年に経営破綻し、京セラに吸収合併された。 全てをベルトコンベアシステムにより最終時加工(1枚目の写真)。工場内は若い労働者によって占められている。
2021-03-27
71
三協精機オルゴール工場
自社製の自動専用工作機械の並んだ自動機工場(三協精機の自社製自動工作機械)。 一人で10台から20台の機械を受け持つ。ここでは、オルゴール、タイムスイッチ、8ミリカメラなどの部品が作られている。
2021-04-01
72
高木のメリヤス工場
メリヤス自動丸編機。
2020-03-06
73
高木のメリヤス工場
メリヤス大横編機。下諏訪町高木のメリヤス工場内(昭和43年2月)を写す。昭和43年1月現在でメリヤス工場が97、横編機台数が1224を数える盛況だった。
2020-03-06
74
浮島発電所
大正7(1918)年山十組で武居入に自家用発電所を設置し、次いで大正9(1920)年には入丸製糸で宮ノ上に、同10(1921)年には片倉組丸六製糸で、自家工場内に御手洗せぎを引き入れて自家用発電所を作っていた。 写真は入丸浮島発電所全景、発電所裏手に水圧管が見える。
2020-03-06
75
秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)
写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥には合名会社三井組製糸の第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。
2020-03-06
76
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。
2020-03-06
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新車を買入れ犬山城下に到着した一行。
神戸市フォード工場で第2の新車を買入れ犬山城下に到着した、濱義雄、林嘉平、中村常男一行。
2020-03-06
78
製糸工場風景
絵葉書「信陽諏訪下諏訪入一※組製糸会社全景」の文字。入一※組製糸は明治34(1901)年に創業した入丸※製糸が明治43(1910)年に分離し、入一として創業(小口松五郎・川村蓑吉・山田由蔵・河西寅吉の合名会社)した。入一※製糸は入丸より分離したメンバーに河西友吉・河西勝太郎・今井栄人(入一社長)が加盟し、最盛期の大正10(1921)年頃(1150釜)は茨城・静岡に支店を出し、大正12(1923)年には南四王(現ジャスコ跡)に分工場を建設した。昭和4・5(1929/1930)年の不況により今井栄人が入一通信工業に転換した。下の原方面からの写真、中央辺りに平沢小路~下の原への道路が見える。
2021-04-01
79
第一保育園
久保(現下諏訪中学校庭南)に大正15(1926)年1月19日下諏訪保育園を設立。この保育園は県下保育施設の草分けだった。大正時代に入ると町の国用製糸は一層盛んになり大正14(1925)年には62工場、就業者数1240人に達した。その工女の半数が既婚で共働きが多かった。乳幼児を抱えた就業は大きな課題となっていた。大正14(1925)年6月に友之町にテスト会所した託児所を保育園として開設したものである。
2020-03-06
80
片倉館
片倉館は片倉紡績(株)により御大典奉祝や片倉創立50周年を背景に製糸工場従業員の福祉施設として昭和3(1928)年、建設。総工費80円余り。一度に1000人入れる「千人風呂」があり、休みの日には従業員たちが岡谷から船に乗ってやってきたという。一般の人たちにも解放され建物は国指定重要文化財に指定されている。当時の入浴料は2銭だった。
2020-03-06
81
松沢製糸所
松沢庄吉氏が大正4(1915)年国用機械製糸を創業。最盛期には中核的存在となり、下諏訪町を県下随一の国用製糸集団地(66工場)となす。終戦末期統制法下で廃業した。
2021-04-01
82
萩倉のカネキ製糸場
山峡の製糸王国をしのばせる遺構、萩倉カネキ製糸所の炊事場兼工女宿舎。海抜940mの萩倉、戸数34戸の小村に、。明治12(1879)年機械製糸が導入され30年代には7工場、職工男女合わせて500人余りの製糸の町ができた。3~5層の白壁・多窓の繭倉庫が建ち並び、酒や肉の店、飲食店、銭湯から駐在所までできた。そして明治34(1901)年には町場より早く電灯がつき、明治38(1905)年には私設電話がひかれるなどシルクラッシュに湧いたが、明治38(1905)年の国鉄中央東線の開通とともに工場は町へ下り、萩倉は再び山峡の村に戻った。
2021-04-21
83
下諏訪全景
河西政常氏撮影。製糸工場の煙突の煙が見える。白い建物は ※丸六製糸(現在のムトー工業の位置)。
2020-03-06
84
米屋の初荷(下馬本屋)
下諏訪製糸勃興期の初荷風景。下の原下馬橋(太鼓橋)左袂の下馬本屋精米所から製糸工場に白米の初荷の様子を撮影した写真。運送会社がおかめの飾りを持って来て飾つけ、酒を飲んで初荷を祝った。
2020-03-06
85
下諏訪町遠望
富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。
2020-03-06
86
赤砂崎
飛行場ができる前の赤砂崎。 奥に見える煙突は ※丸九蚕糸工場
2020-03-06
87
製糸の町岡谷
満面に水をたたえた天竜川。明治後期の釜口橋付近で、橋脚が補強されている。 大きな繭倉が建てられ、工業地帯に変貌しようとしている。
2020-03-06
88
製糸の町岡谷の鉄索
塩尻峠を越えて岡谷まで西条炭を運んだ索道。 塩尻まで汽車で運ばれ、それを岡谷の製糸工場へ運ぶためにリフトを使い塩嶺峠を越えた西条炭は、東筑摩郡会田村・本城村等で産出するものだった。 岡谷は明治22(1889)年が最初で、輸送は馬・車便だったが、明治36(1903)年、篠ノ井線が塩尻まで開通したのに伴い塩尻から岡谷市間下に鉄索を架設し、明治37(1904)年運転を開始した。しかし、明治42(1909)年に中央線の全面開通により常磐炭等が移入され、西条炭は役割を激減した。
2020-03-06
89
製糸の町岡谷
天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。
2020-03-06
90
製糸の町岡谷
天竜川沿いに製糸工場の煙突が沢山見える。製糸工業全盛期「岡谷の千本煙突」・「岡谷のスズメは黒い」など言われることもあった。 天竜川河岸に水車と思われるものが写っている。
2020-03-06
91
みどり幼稚園
新町下にあったみどり幼稚園の園庭にて、保護者・園関係者の記念写真。前列中央は園長の山田与八氏。 下諏訪教会では戦前の昭和10(1935)年から幼稚園経営をしていたが戦争中は町保育所に吸収され園舎は軍事工場に使用されていた。 戦後の昭和26(1951)年仮免許で始め、再び幼稚園を翌年正式の設立認可を得てみどり幼稚園と改名した。
2020-03-06
92
富ヶ丘から望む高浜
富ヶ丘旧道にあった桃畑(新井清水氏所有)から、高浜湾方面を望む。右側に下諏訪小学校や製糸工場、高浜の湖畔には水産試験場、網いけす、大四手網が見える。山の手の畑には桑畑が広がっている。
2020-03-06
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