万治の石仏 下の原念仏講
浮島横の万治(まんじ)の石仏。この写真は大正15(1926)年に河西政常氏により撮影されたもの。地元の人々は「あみだ様」「みたらしの石仏」と呼んで信心を続けてきた。下の原念仏講では長く万治石仏前で念仏の行事を行ってきた。
伝説では高島藩三代藩主忠晴候が春宮に石の鳥居を寄進しようとしたとき、石工がノミを入れると石から血が出たと伝えられ、のち石に阿弥陀如来と刻んで供養したという話も伝えられる。
石仏の側面に「万治三年」の年号や、「願主明誉浄光・心誉廣春」と刻まれていること、万治3(1660)年から70年後の諏訪藩主手元絵図には石仏ではなく「えぼし岩」と書かれていることなどから、木喰行者弾誓(たんせい)一派の信者が残したものではないかとする見方もある。
石仏としては首と胴がちぐはぐであったり、胸に袈裟と太陽・月・雲などの模様(曼荼羅?)が刻まれていたり、卍が逆まんじになっているなど謎が多い。
昭和49(1974)年岡本太郎が絶賛して以来下諏訪町の観光名所の一つになっている。
撮影場所 | 東山田 |
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撮影年月日 | 大正15年 |
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撮影(西暦) | 1926年 |
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色調 | 白黒 |
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大きさ | 12.9*17.9 |
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所蔵者 | 諏訪湖博物館・赤彦記念館 |
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参考文献 | 写真が語る下諏訪の百年 144p |
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地区コード | 東山田 |
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