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登録リスト(該当:233件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
鎌倉街道ロマンの道
観光遊歩道として昭和58年(1983)に整備された。歴史上の鎌倉街道とは異なる。諏訪大社秋宮から霞が城跡ー唐糸・万寿姫供養塔ー鎌倉街道ー桜城跡(山城)ー 一念石 ー大岩不動ー真清(ますみ)神社ー来迎寺かな焼き地蔵ー青塚古墳ー綿の湯ー秋宮、全行程1.5キロ徒歩1時間余。写真は大岩不動の入り口にある看板である。
2024-05-22
2
3D町民力の碑
秋宮へ向かう八幡坂の途中、高札場の片隅にある石碑。 裏側には、町民の力で町の文化、風土、正義を守ってきた歴史が刻まれている。 この詳細については、秋宮近くの根津八紘美術館に資料が展示してある。 ※再生ボタンを押すと3Dの画像で見ることができます。(端末によって正常に動作しない場合があります。)
2024-03-31
3
根(寝)入りの杉
下社秋宮境内に、周囲を石の玉垣(たまがき)に囲まれた杉の大樹がある。この杉は御柱に根が生えて生長したとか、弘法大師(こうぼうだいし)が参拝に来られたとき、境内に立てた杖に根が生じて生長したとも杉の挿し木に根が生えたとも伝えられている。 一説には、杉の木の枝が垂れ下がっていて木が寝入っているように見えることや、夜中になるとさらに枝を垂らして鳥居を枕にして眠り、時には寝息やいびきが聞こえることがあるといわれることなどから「寝入りの杉」ともいわれている。また、その威容(いよう)から「お宝木」ともいわれる。 この杉の木の皮をいただいて、夜泣きをする子どもの枕の下に置くと、子どもはよく眠るようになるとか、落ち葉を煎(せん)じて飲ませると子どもの夜泣きが止むともいわれている。
2023-12-03
4
わんぱく相撲下社場所
第36回わんぱく相撲諏訪圏大会(諏訪圏青年会議所主催、長野日報社など後援)の下社場所が諏訪大社下社秋宮八幡山土俵で行われた。4年ぶりに新型コロナ対策の制約がない通常開催に戻り、小学生約60人が白熱の取り組みを繰り広げた。子供たちは元気いっぱいで、中には3分を超える熱戦で「水入り」となる取り組みもあり、土俵際の攻防に大きな拍手が送られていた。大会は学年男女別に実施され、勝ち進めば、さらに県大会、全国大会の出場権も与えられる。
2023-07-20
5
桜城跡
築城の時代と居城した人については不明であるが、古くから「下社の大城」と呼ばれていたところから下社大祝の金刺氏の城であるとみられる。秋宮横の霞ヶ城が戦争に耐えきれないときには本城として使用したと思われる。
2023-07-09
6
山吹城
諏訪大社下社の大祝であった金刺氏によって築かれた城とされている。金刺氏の居城は、下社秋宮の背後に築かれた桜城とされていたため、山吹城は、有事の際の詰め城とされている。前方に小城があり、後方に本城である大城が構えられていた。築城時期については定かでない。
2023-07-09
7
横町木下
諏訪大社秋宮のカギの手付近から見た中山道沿いの風景。
2024-02-17
8
番屋跡
下諏訪宿の曲の手と番屋跡。 甲州道中は秋宮の石垣の線が自然に曲の手をなしている。ここを宿の入り口として番屋がありました。
2023-07-05
9
千尋社と千尋池
江戸時代に甲州道中が通じ下諏訪宿が拡大したため 池が狭められ一坪ほどの小池になった。大正15(1926)年以来秋宮の舎域7拡張により紀元二千六百年記念事業として池周辺整備が進められた。 写真は現在の様子です。
2023-11-09
10
忠魂碑と長生橋
下社秋宮境内、昭和40(1965)年に長生橋左たもとに移築現在に至る。 3枚目の写真は山王台へつながる長生橋。
2023-07-11
11
山王台
秋宮横山王台は「手塚太郎光盛(金刺盛澄の弟)」の居城跡。のちに比叡山王社を勧請(かんじょう)したので山王台とも呼ばれている。弓の名手として知られる兄金刺盛澄の像が建立されている。この場所は霞ケ城館(かすみがじょうやかた)・山王閣・青年図書館・公園・現在は駐車場になっている。 山王閣 開業 1965年 (昭和40) 閉館 2017年 (平成29)3月31日
2023-07-29
12
令和5年の秋宮リンク
秋宮リンクに子供たちの声が響く。写真は下諏訪北小学校の一年生のスケート教室の様子。近年は暖冬で毎年利用できないことも多いが、この年は年初の冷え込みがあって、三学期に入りスケート教室ができるようになった。下諏訪南小学校と北小学校の子供たちがスケートを楽しんでいる。昔と違いフィギュアスケート用の靴を履く子供の方が多いが、中にはスピード用の靴で見事に滑走する子供もいるの体制で。わずか一時間弱だが、子供たちの成長は早い。常時4人の体制で管理している。また、親の見守る風景も昔とあまり変わらない。ただ残念なことに氷の状況は長続きせず、この年も「氷上祭」は中止となった。
2023-01-21
13
諏訪大社秋宮ライトアップ
令和4(2022)年8月、諏訪大社は5日夜、秋宮のライトアップを始めた。半年の無事に感謝し、残りの平穏を願って参拝する「夏詣(なつもうで)」にちなみ初めて企画したもの。社殿や鳥居などを照らし、境内は幻想的な雰囲気に包まれた。ライトアップは14日(日)まで午後5時から午後10時まで行った。神職は「諏訪大社で行う夏詣の取り組みは2年目。来年も続けていければ」としている。神社も時代と共に変化している。
2022-09-14
14
秋宮境内の電子案内板
令和4(2022)年、諏訪大社秋宮境内に電子案内板が登場。時代の流れは神社の案内板も電子パネル化され、神社の由来や境内の案内などがボタン一つで大きな画面に表示されるようになった。パネルの横画面には身長を測るメモリもついていて参拝に合わせて子供の成長を確認できる心くばりも備えている。
2022-05-21
15
顔ハメパネル設置
下諏訪観光協会は令和4(2022)年4月28日、下諏訪向陽高校3年生3人がデザインした顔ハメパネル3種類を町内3カ所に一基ずつ設置した。前年の中高生による模擬議会「しもすわ未来議会」で提案されたことがきっかけで実現したもの。パネルの大きさはいずれも180センチ四方、スチール製で生徒のデザイン画を拡大印刷している。JR下諏訪駅には下社里引きに合わせて行われる騎馬行列や長持ちのパレードが、おんばしら館よいさには御柱祭木落の場面が、しもすわ今昔館おいでやには秋宮境内のデザインが画かれている。
2022-05-21
16
湯けむり広場完成
下諏訪四つ角に「湯けむりひろば」が完成する。令和4(2022)年4月、下社秋宮参道の上り口の整備が進み、元武井医院のあった場所に観光客の利便性向上に役立つよう公園が作られた。
2022-05-21
17
石尊大権現
この碑は現在秋宮駐車場横にあるが、以前は秋宮境内にあった。祭神は雨乞いに格別効果のあるという大山祗神でご神体は石劔といい古くから石尊大権現の名で知られていた。
2021-12-23
18
御射山神社
中世における諏訪明神最大の祭りは、8月27日を中心とした御射山祭だった。霧ヶ峰の一角、八島高原の東に続く旧御射山で祭事が行われ、信濃・回の武士は言うに及ばず、鎌倉幕府はじめ各地の武将たちが集まり神事の後武技を競い合った。旧御射山社前にその競技場跡があり、土段の桟敷席が残っている。しかし社が遠距離の所にあり道も険しく不便と慶長(1596~1615)の頃、秋宮から4キロの武居入りに遷座したのが現在の御射山社(写真)である。御射山祭は今、幼児が洲小山に育つことを祈る祭りとなり、8月26・27日の例祭には2歳の幼児とともに参拝するのがこの地の習わしになっている。 写真下は同じ境内にある大元尊社である。
2021-12-26
19
御作田社
旧中山道沿いにある御作田社のお田植祭の風景。春宮横の浮島社で夏越の祓が行われる同じ日の6月30日に行われる。写真は鳥居前、2坪ほどの田んぼでの御田植、御田植の前の舞の様子である。 かつては№10・11・12・74の写真の時代は、秋宮境内横の水田で祭りが行われていたと聞く。古式は旧暦6月30日だったものだが、田植え後わずかひと月で穂が実るという、「御作田の早苗」として下社の七不思議に数えられている。諏訪明神は農業神であり、このあらたかな米作りこそ明神様の本領発揮とでも言えそうである。
2022-03-19
20
甲州口番屋跡
甲州道中は、秋宮の西の石垣が自然に曲の手をなしているので、そこを宿場の入り口として番屋が置かれていた。
2022-03-19
21
現代の宿場風景・横町
宿場、横町の風景。かつては宿場の中心で賑やかに旅人が往来していた。昔の宿場の様子がわかる写真と見比べてほしい。写真中央左は児湯、写真奥の林は秋宮である。
2022-03-19
22
神宮寺跡・大坊跡
下社秋宮の本持仏の千手観音を本尊に祀っていた「海岸孤絶山法性院神宮寺」の大坊(方丈)があったと言われるあたりの写真。山王閣から東南に向かって眼下に見える窪地一帯を寺域とする広大な寺であったが、廃仏毀釈によって廃寺となってしまった。
2021-06-23
23
武居桜
諏訪大社秋宮の東、下諏訪向陽高校に向かう向陽坂の途中にある老桜。花は一重の淡紅色で鮮やかな名木で、町の天然記念物に指定されている。この桜を地元の人は「苗間桜」と呼び、春早く咲いて陽気木となり、苗間作りの目当てとされてきた。樹高およそ11mで、樹齢はおよそ300年とされている。日光博物館の久保田博士によるとエドヒガン、別名アズマヒガン・タチヒガンとされた。平成6年樹木医の指導の下外科手術をし、根元に施肥を行っている。さらに平成14年には銅板で覆って保護をしている。
2021-02-23
24
旧ホテル山王閣
諏訪大社秋宮の脇で営業していたホテル。多くの町民がここで結婚式を挙げ、多くの式典が開かれた。
2021-02-23
25
建て御柱
5月14日の秋宮一の柱の建御柱。 上諏訪地区担当。 年月等不明。
2021-04-13
26
御柱伐採
御柱祭、伐採の様子。 「秋宮1の御柱」の札が柱につけられている。 詳細不明。
2021-05-03
27
秋宮一の御柱
諏訪大社下社秋宮一の御柱。 御柱の根元の様子が現在と違う。 撮影年月日等不明。
2021-05-03
28
下諏訪町立博物館
昭和26(1951)年12月3日下諏訪町に文化財保存会が出来翌27(1952)年秋宮神饌(しんせん)を借用して神社共有の博物館がた開館した。建物は「諏訪大社宝物陳列場」に併設されていた。 昭和46(1971)年4月1日、高浜湾岸に鉄筋コンクリート二階建ての博物館が出来た。 平成5(1993)年6月、「諏訪湖博物館・赤彦記念館」として湖岸通りの西高木にオープンした。
2024-03-20
29
皇太子夫妻ご来町
皇太子(現上皇様)夫妻ご来町。 明治天皇御巡幸(明治13年6月24日)から80年目の年ご結婚された皇太子殿下ご夫妻が旅行に来られた際の下社秋宮での様子。
2020-09-05
30
東御宝殿建て替え
御柱祭に合わせて建て替え工事が進む諏訪大社秋宮の東御宝殿。 御柱祭のたびごとに西と東の各御宝物殿が交互に建て替えられる。 昭和49年のこの年の今回は諏訪大社下社春宮・秋宮が東御宝殿、諏訪大社上社本宮は西御宝殿の建て替えが行われる。
2021-05-03
31
諏訪大社下社秋宮
諏訪大社秋宮の現存する最古の写真。日露戦争に出征する人々の戦勝祈願の幟がはためく。狛犬の姿はなく、現在のような大きな注連縄もない。
2021-12-26
32
諏訪大社下社秋宮
帰ってきた狛犬。間組の神部満之助社長が黒四ダムの起工と佐久間ダムの竣工の報告に訪れ「天竜川の源流でもある諏訪湖のほとりにある諏訪大社に是非寄進したい」と奉納された。神社の案内板によると青銅製の狛犬としては日本一だという。また大注連縄も立派に奉納されている。現在の姿が整った秋宮神楽殿である。 狛犬再建については547参照。大注連縄奉納については48参照。
2021-12-26
33
諏訪大社下社秋宮
狛犬も戦争に行った?昭和5年清水多嘉示氏制作の狛犬は銅製のため戦争中の金属回収の国策により戦地へ供出され、主のない台座が見られるのみとなった。またこの写真には、神楽殿に戦後奉納されるようになる大注連縄はもちろんまだない。
2021-12-26
34
敬老会記念写真
「第三区男女青年會 敬老會記念 昭和十一年十一月三日」
2021-12-26
35
御田町小宮祭
御田町の小宮祭風景。法被姿はなく、国民服や戦闘帽などが見られるので、戦中の小宮祭と思われる。
2021-12-26
36
記念写真
諏訪大社下社秋宮神楽殿横にて撮影。
2021-12-26
37
下諏訪町絵図
下諏訪町絵図。 地図の中に秋宮リンク、千尋池、四つ角に八十二銀行、高浜に水産試験場、高浜プール、町営グラウンド、小学校などがあることから、およそ昭和20~30年頃。戦後の可能性が大きい。
2023-06-29
38
長持ち・花笠記念写真
「31,5,11 御柱祭記念」、長持ち・花笠勢揃い。
2022-06-08
39
建御柱
建御柱。背中に「岡谷」の文字が見えるので秋宮三の建御柱と思われるが詳細不明。
2021-12-26
40
立町長持
立町長持ち衆の秋宮鳥居前での記念写真。詳細不明。
2022-05-21
41
神前結婚
秋宮幣拝殿にて記念撮影。
2022-01-19
42
綱打ち
「諏訪大社御柱祭秋一御柱元綱」四王区綱打ち。 昭和25(1950)年以降、同地区は秋宮一の女綱づくりを担当しているが、近年は稲作農家が減少し、稲刈りにコンバインが導入されたため、稲わらの確保が困難になっていた。そこで安定してわらを確保するため。平成21、09(2009)年に同会を発足。御柱祭のたびにわらを供給している。同会によると、既製のわら縄ではなく、稲わらを使って綱を打つのは同地区だけだという。背丈の高い「関取」という品種で、刈り取った稲は、十分に天日干しした後に脱穀し、わらは田んぼ横のハウスで保管。同地区綱打ち委員会の手に委ねるという。
2022-05-12
43
奉射(ぶしゃ)会
下諏訪町の弓道会の歴史は古く大正13(1924)年といわれている。諏訪大社御射山奉射(ぶしゃ)会、お舟祭り射会など秋宮の境内をはじめ場所を変えながら仮設道場を作り奉射会を行ってきたようだ。諏訪大社秋宮前(現在のトイレがある近辺)で行われた奉射会のようだ。
2022-03-13
44
御柱祭
平成二十二年度寅年諏訪大社式年造営御柱祭第三区役員・委員安全祈願。秋宮神楽殿前にて記念撮影。
2021-12-26
45
御柱祭里曳き
御柱祭曳行風景。 四ツ角八十二銀行前を秋宮に向かう曳行。 阿部奈良屋方面から撮影されている。
2021-12-18
46
成人式
戦後の成人式、中央に黒田町長。 諏訪大社秋宮幣拝殿前にて、昭和40年度、女性成人の集合写真。
2021-12-18
47
大注連縄奉献
戦後「日本第一大軍神」の大額が外された諏訪大社下社神楽殿。 「これでは寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け、初めて奉献したのが昭和24(1949)年。その後昭和54(1979)年まで途絶えていた。昭和54(1979)年と昭和60(1985)年に、出雲大社拝殿に大注連縄を奉献している島根県雲南市の須賀注連縄保存会の役員を迎え、御柱祭の前年に大注連縄作りの指導を受けた。 写真は昭和60(1985)年、御柱祭の新たな行事として定着させようと奉献会(約40人)が作った下社秋宮神楽殿の大注連縄奉納の時の記念写真。
2021-12-18
48
献幕記念
「大社奉祀会献幕記念昭和五十四年七月」の文字。諏訪大社秋宮神楽殿横にて、後ろの神楽殿や幣拝殿の幕が白く輝いて見える。神楽殿横に絵馬がかけられている。
2021-11-03
49
秋宮境内
秋宮境内での撮影。 後方に菊花展を行っている様子が見える。 大注連縄ははすした後か(色が灰色がかっている)。
2021-12-18
50
諏訪大社秋宮
諏訪大社下社神楽殿。 大注連縄に赤い提灯が飾り付けられている。 神楽殿横を歩く御田植祭りの早乙女と思われる姿が見え、周りに参拝客や観光客の姿が多数見える。
2021-12-18
51
お舟祭り
夏の遷座祭、春宮の鳥居前、柴舟が春宮を出発し秋宮に向かうところ。 柴舟の周りの氏子衆は揃いのはっぴ姿。 また、警察官の制服からも時代がうかがえる。
2022-05-21
52
お舟祭り
遷座祭の柴舟が春宮の鳥居を出て秋宮に向かう様子。柴舟に下原・大社の神紋がついたちょうちんが飾られている。氏子の服装が現在の揃った姿とはだいぶ違う。
2021-11-03
53
諏訪大社秋宮
神楽殿に大注連縄がない、社務所は現在と同じ、参道の階段は整備済み、東郷平八郎の掲額がない、狛犬がない…など現在とは様子の違う秋宮境内。
2021-11-03
54
下社秋宮前
諏訪大社下社秋宮前の三井屋と大社煎餅本舗。手前に以前石畳だった名残が残っている。
2020-03-06
55
八幡坂の街並み
写真右に見えるのは専女(とうめ)社のけやき。工事を行っている場所は、現在は土産物屋(専女八幡)になっている。奥の茶色の建物は今は亡き「ホテル山王閣」。№1519,1520参照。
2020-03-06
56
秋宮境内の犬射馬場石碑
「當社之犬射馬場(とうしゃのいぬいばば)」と刻まれている。 犬射馬場石柱が下社秋宮境内の秋宮一の柱の脇にもある。犬射馬場とは大祝の居館(神殿:ごうどの)につづく錬武の場であり、「諏訪大明神絵詞」にもお舟祭りの後に馬場で犬追物をして祭りが終わったことが記されている。馬場(ばっば)の名称としてその名残を留めその四囲にも石柱が残されている。
2020-03-06
57
小路
秋宮前大社通りから宿場町立町通りの間の路地。江戸時代の生活路で(俗名七つ蔵)「歴史のこみち」とも呼ばれている。 平成7(1995)年に路地の散策を続けてきた人たちで「下諏訪の路地を歩く会」が作られ、平成13(2001)年には日本記念日協会から、6月2日は「路地の日」の普及に貢献したとして記念日文化功労賞が送られている。 宿場町として栄えた歴史や閑静な風情、行き交う人情に触れることができる場所となっている。この周辺には岡本太郎や小沢昭一、永六輔らの直筆を刻んだ石碑や句碑を巡ることもできる。
2020-03-06
58
商店
秋宮リンク近くにあった(旧)林商店。
2020-03-06
59
製糸工場の面影
「小湯の上」の明治初期の製糸工場の面影伝える廃屋。下諏訪本陣の家が明治10(1876)年創業した岩波製糸場の事務所(現存・2019年現在)だった建物。寄せ棟、洋風板壁で文明開化を表現したデザインだったに違いない。この工場、製糸業の激し変換の中で早々に閉鎖となったらしく、明治26(1893)年の下諏訪機械製糸工場一覧にはその名は見えない。板塀の中に座繰糸工場があった。 背景の樹木は下社秋宮の森、道の左手は秋宮スケートリンク。
2021-04-21
60
オフシーズンの秋宮リンク
ふれあい広場、シーズンオフの秋宮スケートリンク。
2020-03-06
61
入一通信裏手
桜町から御田町へ抜ける道。入一通信の裏手付近。画面左下は現在、「教職員秋宮住宅」となっている。
2020-03-06
62
消防団
諏訪大社下社秋宮の鳥居前。車に「特設防護」文字があり消防車の前で撮影したと思われる。消防団員の法被の襟に一から六の分団長の文字が読める。
2020-03-06
63
遷座祭
春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りの巫女行列、稚児行列の様子。
2020-03-06
64
時代行列
春宮から秋宮へ祭神を遷座するお舟祭りのでのひとコマ。「金刺盛澄時代行列」8月1日にあわせて行われたイベントで現在は行われていない。
2020-03-06
65
町制施行100周年事業
諏訪盛澄時代行列イベントに参加する「万寿姫」「絹姫」コンテストが秋宮境内で行われた。写真左から「春姫」宮沢さん・久保田さん、五代目「万寿姫」の山田さん、「絹姫」の岩下さん、「秋姫」の武居さん・中谷さん。26人が応募24人が出場。「万寿姫」「絹姫」には海外旅行と副賞がプレゼントされた。
2020-03-06
66
スケートを楽しむ人々
アイスホッケー、フィギュアスケート、氷上そり…など、それぞれ秋宮スケートリンクで冬のスポーツを楽しむ人々。
2020-03-06
67
下駄スケートをする少女たち
向かって右より 三井まさ 小口けん(小松屋) 小口すえ(湊屋) 溝口はる子 柳沢きよ 増沢みす(松仙堂)。
2021-05-11
68
表彰式
氷上での表彰式。 トロフィーを受け取る選手。
2020-03-06
69
カーリング大会
カーリング大会表彰式の様子。昭和7年1月21日の秋宮スケートリンク。№34.1405.1424は同じ写真。
2020-03-06
70
フィギュアスケート風景
下諏訪町秋宮リンクで日本で初のフィギュアスケートの公式大会が開かれた。同リンクは「日本フィギュアスケートの発祥の地」となった。
2020-03-06
71
フィギュアスケート
秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。
2020-03-06
72
スケート
秋宮リンクで、フィギュアスケートを滑る男性。
2020-03-06
73
スケート大会で優勝した少年
諏訪郡下スケート大会に於いて小学生20周に優勝した清水順吉君。下駄スケートを履いている。
2020-03-06
74
フィギュアスケート
スカート姿でフィギュアスケートをする女性。
2020-03-06
75
スケート
2020-03-06
76
スケート
アイスホッケー。№1377と同じ時の撮影か。
2020-03-06
77
フィギュアスケート
秋宮スケートリンクでフィギュアスケートを楽しむ男性たち。
2020-03-06
78
スケート
秋宮スケートリンク。
2020-03-06
79
スケート
たくさんの子どもたちが見守る中で回転したり、ジャンプをしたしフィギュアスケートを披露。子どもたちが履いているのは下駄スケートが多いように見える。
2020-03-06
80
スケート
2020-03-06
81
スケート
秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ人々。
2020-03-06
82
スケート
諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。 №4と同じ。
2020-03-06
83
スケート
カーリング大会表彰式の様子。昭和7年1月21日の秋宮スケートリンク。№34.1405.1424は同じ写真。
2020-03-06
84
スケート
日本髪、和装の女性が秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。
2020-03-06
85
スケート
椅子に刃をつけてソリのようにして遊ぶ様子。
2020-03-06
86
スケート
日本髪の女性が秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。
2020-03-06
87
スケート
下駄スケート。椅子型のそりにもスケートの刃がつけられている。
2020-03-06
88
スケート
なかよく並んで下駄スケートをする子どもたち。後ろにはアイスホッケーのゴールが見える。
2020-03-06
89
アイスホッケー
アイスホッケー。
2020-03-06
90
アイスホッケー
アイスホッケーに興じる人々。№1415と同じ時の撮影か。
2020-03-06
91
スケート
秋宮スケートリンク。
2020-03-06
92
アイスホッケー
秋宮スケートリンクでアイスホッケーを楽しむ人々。 後ろの建物は岩波製糸場の事務所。
2020-03-06
93
スケート
颯爽とスケートを楽しむ人と椅子を使って遊ぶ人たち。秋宮リンクの一コマ。
2020-03-06
94
スケート
氷上をそりにのり楽しむ子ども、フィギュアスケートの練習をする女性、アイスホッケーのスティック持っている男性などそれぞれのスタイルでスケートを楽しむ様子。 小湯の上、秋宮スケートリンク。
2020-03-06
95
アイスホッケー
アイスホッケーのゴール前で記念撮影。 帽子や服装が似ている人がいて、当時のアイスホッケー愛好家の流行が感じられる。 リンクの周りには柵がなく見物人らしき人もいる。
2020-03-06
96
白鶴社三井製糸
白鶴社三井製糸。久保山王台下現三井範義氏宅下大東社を経て信濃蚕業(現イングスシナノ)分工場となる。右奥には若宮神社の森、手前広場は既に三井製糸工場撤去の後。
2020-03-06
97
昭栄製糸
明治42(1909)年創業の昭栄製糸(小口竹吾)。昭和3(1928)年当時743釜。大正9(1920)年第一次大戦後の恐慌、大正12(1923)年関東大震災、昭和4・5年世界的大恐慌等が製糸業へ大打撃を与える。やがて山十組は破綻、営業の継続を依頼会社整理の抵当権者(安田銀行)がバックアップ、昭和6(1931)年山十※組下諏訪製糸が昭栄製糸となった。その後、昭和32(1957)年、下諏訪町の工場誘致により跡地に三協精機(現日本電産サンキョー)が上諏訪より誘致された。 煙突と煙突の間の森は下社秋宮。
2021-04-01
98
座繰共同組合施設
座繰共同組合施設(平沢町青雲館北)。明治13(1880)年三井、増沢、岩本、岩波、小口が共同繰糸(揚返)所「白鶴社」を創設(現下社秋宮社務所)明治21(1888)年平沢町(現)青雲館北へ移築。なお製糸共同組合白鶴社(共同出荷=揚返)は明治9(1876)年創始の組合で、明治29(1896)年12月23日の信濃毎日新聞には「・・・本年信州にて売上頭は白鶴社となり・・・」と記載されており、町内の七曜社・開栄社ととも製糸業を支える働きをしていた。
2020-03-06
99
座繰協同組合施設
明治13(1880)年三井・増澤・岩本・岩波・小口氏等が共同揚返(あげかえし)所「白鶴社」を創立(現下社秋宮社務所)、その後明治21(1888)年平沢町青雲館北へ移築された時の写真。
2020-03-06
100
御柱祭
御柱祭、秋宮鳥居前で御騎馬勢ぞろい。
2020-03-06
101
御柱祭
御柱祭、秋宮一之柱の建て御柱の様子。
2020-03-06
102
御柱祭
御柱祭、秋宮一の建て御柱、右に神楽殿、御柱の向うに狛犬が見えるが、現在とは形が異なることから供出前のものと思われる。
2020-03-06
103
お舟祭り
お舟祭。大正5(1916)年12月12日に諏訪神社が官幣大社に昇格したときの標柱が見える。このころはまだ参道は石畳であったことがわかる。 「写真が語る下諏訪の百年」117pの写真と同じころの撮影と思われる。
2020-03-06
104
出征兵士を送る
秋宮境内、沢山の幟旗が立つ、出征兵士を送る光景。15年戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争)で戦死した町民は533名と記録がある。(町政要覧より)
2020-03-06
105
木の下町の民家
木の下町の民家。秋宮側から綿の湯方面を望む。右手に「新鶴本店」の看板が見える。甲州道中はここで江戸から53里11丁、辻を左折れすれば京に向かう中山道、まっすぐ進めば中山道を春宮に向かい、さらに和田峠を越えて和田宿から江戸につながる。江戸時代は下諏訪宿の中心地だった。
2020-03-06
106
大社煎餅
師走を迎えた大社門前町。煎餅を売る店を訪れた観光客。旧町役場(すわのね)とお土産物屋(観光案内所)のとんがり屋根が、冬空に好対照を見せていた。
2020-03-06
107
二年詣り
諏訪大社の二年詣り。午後11時頃から人手が急に増え12時近くには、境内は身動きできない人波で埋まった。やがて元旦午前零時、地元有線テレビのサービスによる時報が響くと、わあーっという歓声が上がり、お賽銭の雨がとんだ。 歓声を上げて賽銭を投げる人たちの様子。
2020-03-06
108
菅野温泉
市街中心地にある区営温泉「菅野温泉」の入り口。表通り(国道142号線)からトンネルのような通路を経て湯に至るあたり、独特の雰囲気が漂う。坂の上にある財産区の浴場とは違って、第三区という平地部の地区が、近代製糸業が盛んになり始めた明治18(1885)年、財産区から湯をひいて、秋宮の参道・八幡坂の坂下に開設した。このあたり一帯を古くから友の町といい、昔は下諏訪宿の外れだったが、このころは町の北部地区を代表する商店街になっていた。
2020-03-06
109
人力車の花嫁と花婿
大社での神前結婚式へ人力車で向かう花嫁と花婿(山王台)。秋宮外苑のホテル(山王閣・現在は無い)が下社秋宮で挙式するカップルの送迎用に購入した。
2020-03-06
110
七五三の宮参り
七五三の宮参り風景(秋宮)。この年は男児の和装が例年になく多く目についたという。近年七五三の宮参りも11月に入る前から参拝風景が見られる。
2020-03-06
111
宵祭り
7月31日、諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」の宵祭りの露店風景。いつもは静かな湯の街なのだが、この日は秋宮参道に露店が軒を連ね、各地から集まった若者たちでにぎわっていた。
2020-03-06
112
秋宮の七五三柱(しめばしら)
秋宮駐車場から参道を横から入るところにある七五三柱(しめばしら)、社務所横の秋宮駐車場から境内に入る場所に建立されている。大鳥居をくぐることを省略して参拝することになるので、平成元(1989)年に七五三柱を建て大鳥居をくぐったと同じになった。柱に「平成元己巳(つちのとみ)年十月二十五日全国諏訪神社連合会」と彫られている。この七五三鳥居を入るとすぐ右手に温泉を引いた手水が置かれている。
2020-03-06
113
うらかめや
4階の展望風呂から秋宮の森や諏訪湖が眺められる、江戸時代からの宿「うらかめや」。
2020-03-06
114
新鶴本店
名代「新鶴の塩ようかん」の店。本州のほぼ中央にあって海から遠い諏訪地方は、昔から塩をことのほか大事に扱ってきた。その塩をようかん造りに生かしたところに独自さがある。明治6(1873)年創業で、十勝産の小豆だけを使い、茅野市産の寒天を使って、職人さんが火力の強いナラ薪を燃やして煮詰め、木船に流し込んで練り上げるという、昔ながらの製法にこだわっている。店は秋宮の脇、旧下諏訪宿の面影を残す一角にある。江戸末の画人天龍道人が住んでいたという案内板がこのすぐ横にある。
2020-03-06
115
秋宮社務所
座卓で執務、諏訪大社下社秋宮の社務所の風景。大社の社務所は「7年に1度」の御柱祭を節目に下社⇒上社⇒下社と移して上下両社の調和を保っている。平成元(1989)年当時は上社(平成4年の大祭まで)にあり、令和2(1990)年の現在は下社に社務所が置かれている。(令和4年から上社に移される)
2020-03-06
116
御射山祭
御射山参り。 数えで2歳の子どもの無事成長を山の神に祈り、すすきの穂守りをもらって山をおりる。御射山祭は本来は風祭り。 八朔の祭りとつながる神事だったが、時代と共に姿を変えた。穂屋に籠って物忌みをしたことから「みさやまは夜まつり」といわれ、昔は子を負ってのお山参りも夜行われた。 このころでも夜参りを守っている人がいて、この年も夜九時ごろまで山中の御射山社を訪れる人が見られた。 写真は御射山社前の池にどじょうを放流する風景。 現在では諏訪大社下社秋宮でどじょうを放流してすます人も多くなってきた。
2020-03-06
117
夜の木の下
大社側から新鶴を見る、看板の向うは和田方面へ続く国道142号線。
2020-03-06
118
秋宮に着いた柴舟
この年の御頭郷は岡谷、秋宮境内へ引き入れられた柴舟。この後柴舟は神楽殿を3周した後神事相撲などの奉納をし翁媼の人形のおたき上げを内御玉戸社(うちみたまどしゃ)で行い祭りは終了する。柴舟に飾られた柴を悪疫退散のお守りや縁起物として多くの人が持ち帰る風習も残る。
2020-03-06
119
お舟祭りの柴舟
諏訪大社下社の祭神の御霊代(みたましろ)は春宮と秋宮の社を2月1日と8月1日に遷座する。春(2月1日)は秋宮から春宮へ、秋(8月1日)は春宮から秋宮に遷座する。春はひっそりと静かに、夏は神霊遷座の行列の他に青芝を取り付けた巨大な柴舟に翁(おきな)媼(おうな)の神像を会い向かいに飾り曳行する。神霊奉遷の厳粛な行事と柴舟の曳行の行事が別に行われるため、祭りの中心がお舟の曳行になり、8月の遷座祭をお舟祭りとよんでいる。(四つ角付近の柴舟)
2020-03-06
120
お舟祭り宵祭り
諏訪大社下社夏の遷座祭「お舟祭り」宵宮。いつもは静かな湯の町なのだが、この日ばかりは秋宮参道に露店が軒を連ね、諏訪盆地のあちこちから集まって来る若者達が明るい光の中に群れて、乾いた高地の夜の空気を熱くした。お舟祭り宵宮の賑わい。
2020-03-06
121
秋宮の観光客
昭和59(1984)年に引湯した時に参拝の手水(ちょうず)用にと新設したもの。湯口は竜神伝説にちなんで竜の口をかたどった(御神湯)。50℃を越す熱さで観光客に人気がある。秋宮の観光客がお湯の出る手水を前にひとしきり談笑している。
2020-03-06
122
世界最大のオルゴールメーカー三協精機
三協精機旧社屋。現在下諏訪町内にはオルゴールの展示館(すわのね)やオルゴールの組み立て体験ができる「おいでや」などがある。また諏訪大社秋宮の鳥居前では20分ごとにオルゴールの音色で観光客を迎えている。
2020-03-06
123
大社四つ角風景
国道20号線が直角に曲がる所に和田峠を越えてきた国道142号線ぶつかる大社通り四つ角の風景。正面突きあたりが諏訪大社秋宮の森。手前の国道20号線は旧中山道で塩尻峠へ向かい、右折すれば上諏訪方面となる。四つ角風景。
2020-03-06
124
土蔵
桃井屋敷と消失前の土蔵。8月21日に焼失。「すわ湖の町の平成元年」80pには焼失した写真が掲載されている。 №1047参照。
2020-03-06
125
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。古い時代の写真を合わせてみると時代の変化がよくわかる。
2020-03-06
126
御神輿行列
春の遷座祭。 諏訪大社下社は春宮・秋宮の二社があるので半年毎に祭神の御霊代(ミタマシロ)を秋宮から春宮へ、春宮から秋宮へと遷座(センザ)する。二月一日(旧来は一月一日)の遷座は寒い祭りで夏の遷座(お舟祭り)のように勇壮な行事はない。ひっそり行われるので「ひっそり祭り」「こっそり祭り」と言われている。 諏訪神社独特の神器「なぎ鎌」をかかげた遷座の行列が春宮に着くと、これもまた諏訪社独特のかわやなぎの玉串百本が神前へ捧げられた。 昔は旧暦一月一日の祭りだった。 秋の遷座祭は8月1日「お舟祭り」とも呼ばれにぎやかに遷座する。
2020-03-06
127
秋宮スケートリンク
さみしい秋宮リンク「スケート離れ」現象。「秋宮スケートリンク」で検索し古い時代の写真も参考にしていただきたい。
2020-03-06
128
諏訪大社宮司
執務中の加藤宮司。諏訪大社宮司の加藤茂さん(当時82歳)は神社本庁から迎えられた宮司は「上下社の融合に一番気を使います。でもこの土地では御諏訪様は絶対で政党も新興宗教も超越して協力してくれます。これだけはよその土地とは違います。それだけに御諏訪様は怖い神様です。」と話していた。諏訪大社は上社(諏訪市・茅野市)下社(下諏訪町)に分かれているうえ、上・下両社とも二つのお社から成るというややこしさがあり、古くは上・下両社が血の抗争を繰り広げたこともあって、維新後、一つの神社となったが、氏子間の対抗意識が潜在していてかじ取りは難しいらしい。
2020-03-06
129
山王閣屋上からの眺望
白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧山ホテル王閣屋上からの町並み。現在建物はなく駐車場になっている。
2020-03-06
130
秋宮リンク
秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。
2020-03-06
131
山王閣屋上からの眺望
白鳥がシベリアへ去った日の諏訪湖と湖の町、諏訪大社秋宮外苑の旧「ホテル山王閣」屋上からの町並み。現在建物はなくなり駐車場になっている。
2020-03-06
132
騎馬奉納
お舟まつり。 特別騎馬奉納記念。昭和12(1937)年。
2020-03-06
133
翼賛壮年団(大社)参拝
のぼり端には諏訪郡内各町村の「翼賛壮年団」と書かれている。大日本翼賛壮年団は大政翼賛会の傘下団体の一つで昭和17(1942)年1月に結成された。各地区の若者組を退会した壮年団(組)が地域の行政にかかわる活動をしていたというがその活動は詳らかではない。その後戦時体制下にあっては戦争協力の会(大政翼賛会)として活動したところが多いという。写真は秋宮幣拝殿前と思われる。
2020-03-06
134
御柱山出し
山出し記念写真。法被は「下諏訪消防組」。右後列には「救護、下諏訪消防組」の旗がある。「秋宮四之御柱」の前での撮影。柱の並んでいる様子から山出しの最終日の注連掛と思われる。
2020-03-06
135
下諏訪宿風景
明治22(1989)年(推定)当時は、この横町・木の下・湯田町が下諏訪宿の中心街であった。写真左手前の旅籠屋が菊本(元桧物屋)で、甲州街道の終点で甲州道中と中山道合流地であった。高い火の見櫓(ヤグラ)のむこうに秋宮の森が見える。右側には桔梗屋の看板が見えている。中山道は桔梗屋前で右・立町に折れて塩尻峠に向かっている。この写真は外国人の写したもので早稲田大学図書館に所蔵されていたものを青木枝朗氏が複写したものである。 建物は宿場らしさが残っているが、軒に街灯・軒灯が見えている風景が時代の変化を思わせている。
2020-03-06
136
湯田坂より坂上を望む
湯田坂下より坂上(秋宮方面)を望む。いくつか旅館の名前が見える。昭和40年撮影。
2020-03-06
137
記念写真秋宮
諏訪大社下社神楽殿前。いつ何の記念写真かは不明。
2020-03-06
138
記念写真秋宮
下社秋宮鳥居前。手水舎が八幡坂側にある。何の記念写真かは記録がない。
2020-03-06
139
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊のモーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。中央の建物が下諏訪学校、その上の森が諏訪大社秋宮、その左斜面前方に続く町並みが中山道で塩尻方面に向かっている。
2020-03-06
140
下諏訪全景
中央の森が青塚、左の森が秋宮。砥川が諏訪湖に突き出たように中洲をつくっている。
2020-03-06
141
下諏訪宿場周辺
明治22年(1889)年(推定)当時はこの横町・木下・湯田町が下諏訪町の中心であった。 左手前の旅館が菊本(元桧物屋)で、その陰に綿の湯があり曲の手の向こうが木の下町で甲州街道の終点。 奥に見える森は秋宮。 右側に「ききょうや」の看板が見えている。桔梗屋前で右立町に折れて塩尻峠に向かっている。 街の建築様式をはじめ街灯・軒灯のあるのに注目したい。この写真は外国人の写したもので早稲田大学図書館に所蔵されていたものを青木枝朗氏が複写したものである。
2020-03-06
142
本陣庭園
中山道随一の名園と称される本陣の庭園。現在の庭園は江戸時代中期に整えられたものというが、各地の名石を集め自然の地形を利用し、秋宮の森や周囲の山を借景にして、承知側から引水した水を利用した本格的築庭式石庭園と紹介されている。特に京風の建物からの眺めは春のつつじ、新緑、初夏のあやめ、さつきの紅葉、雪景色など四季折々に楽しめる。 もともとこの庭園は、本陣六代目岩波太郎左衛門が、伊豆韮山の江川太郎左衛門のもとに遊び、帰りてつくりしもので、御小休所も同時に建てられたと伝えられている。 №587参照。
2020-03-06
143
下諏訪温泉の光景
左に「かめやホテル」右に「まるや」の看板、正面に秋宮の森が見える。 止まっている車は、昭和33(1958)年から製造・販売された「スバル360」と思われる。 昭和52年12月複写
2020-03-06
144
秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)
松葉屋全景。写真下に「割烹松葉屋 電話 二十六番」とある。
2020-03-06
145
秋宮鳥居前の松葉屋(後の千尋館)
写真下には「松葉屋料理店 官幣中社諏訪大社下社鳥居前」と書かれている。諏訪大社は大正5(1916)年12月12日、官幣大社に昇格している。秋宮鳥居右奥には合名会社三井組製糸の第四工場。(明治9(1876)年から大正10(1921)年頃)(現社務所)手前は松葉屋料理店(後の千尋館)。その手前は旧柳沢家(現若松氏経営の土産品店)三井家は嘉永2(1849)年座繰機器を入れて土蔵前に庇を出して「座繰製糸」を始めた。後に明治9(1876)年「山王台」下にて本格操業、明治13(1880)年には三井仁平衛・増沢市郎兵衛・岩本甚蔵・岩波甚吉・小口森蔵等共同座繰場「白鶴社」を平沢町(現青雲館北)に立ち上げた。
2020-03-06
146
秋宮右手の石垣
秋宮左手の石垣。道は下諏訪宿へ入る甲州道中の江戸側の 入り口である。石垣正面の曲がり角は宿場への枡形お部分で番屋が置かれていた。
2020-03-06
147
陸軍航空隊航空写真
陸軍航空隊よりモーリス・ファルマン式二機寒中の山地飛行並びに水上試験飛行として来諏の際に写す。下諏訪学校や国道20号線がよくわかる。
2020-03-06
148
昭和7年航空写真
中央の白い屋根が青年図書館。その向うの黒い建物が霞城館
2020-03-06
149
陸軍航空隊航空写真
航空写真。写真の中心近くに下諏訪学校の三階の望楼が分かる。旧甲州道中、旧中山道、八幡坂などの様子や秋宮鳥居周辺の戦前の建物が密集している様子がよくわかる。
2020-03-06
150
陸軍航空隊航空写真
大正6(1917)年2月16日、陸軍航空隊モーリス・ファルマン機上から撮影した下諏訪町の中心部。寒中の山岳飛行並びに氷上試験飛行のため来諏の際の撮影。中央の建物は当時の下諏訪学校(友の町字神殿)で現在の下諏訪中学校の前身。周辺には秋宮の森・製糸工場・中央東線・国道20号線などが見える。
2020-03-06
151
秋宮神楽殿
「諏訪大社神楽殿及日本一駒犬」と写真下に書かれている。昭和6(1931)年9月18日には満州事変戦勝祈願も行われている。狛犬(駒犬)は昭和5(1930)年11月吉日に竣工。神楽殿をかこむようにしめ縄飾られている。現在の神楽殿正面の大しめ縄は戦後からのものである。 この狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。現在の狛犬の説明には「青銅製の狛犬としては日本一」と紹介されている。
2020-03-06
152
大社の朝
昭和5年(1930)献上された狛犬は、昭和19年(1944)9月金属回収の国策により供出されたままであったが、間(はざま)組神部万之助社長により、昭和35(1960)年10月12日、秋宮神楽殿の狛犬が復元献納され、奉納除幕式が行われた。(撮影者大槻十三春)狛犬の作者は原村出身の清水多嘉示(たかし)。青銅製の狛犬としては日本一と紹介されている。 ※昭和四十(1965)年度 特選 大社の朝(大槻十三春)
2020-03-06
153
秋宮鳥居前
「(官弊大社)諏訪神社下社秋宮社頭」と書かれた写真。「日本第一大軍神 昭和七年二月」(1932年2月)ののぼり旗が見える。手水舎が現在の位置と違う場所にある。
2020-03-06
154
秋宮幣拝殿
諏訪大社秋宮幣拝殿。手前右は神楽殿。幣拝殿にとりつけられている幕の神紋(梶の葉紋)の足は4本になっている。
2020-03-06
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八幡社から千尋池を写す
八幡社境内から千尋池を写す。
2020-03-06
156
秋宮鳥居前
「官幣大社諏訪神社下社 長野県諏訪郡下諏訪町鎮座」と書かれている写真。諏訪神社は大正5(1916)年12月官幣大社に昇格した。当時は手水舎(御手洗所)が銅鳥居の右袂にあった。左奥には大空洞のある大欅があり、子どもが数人が入って遊べたという。(この欅は写真左手の官幣大社標柱の陰の大木で大正初期に枯れたという。)境内参道は自然石の石畳だった。
2020-03-06
157
秋宮鳥居前
秋宮鳥居前、辻屋の看板に「参拝土産、大社飴 電話四十五番」とある。当時はみな町湯へ出かけていった、綿の湯へは秋宮社や辻屋の前を通った。
2020-03-06
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承知川扇状地と下諏訪旧市街地
右が武居の棚田、中央の森が秋宮でその左手前は旧下諏訪宿場(湯之町)左下へ続く街道が旧加宿と友之町。 写真は複葉機、陸軍航空隊一般航空写真。
2020-03-06
159
東郷平八郎献額
諏訪大社秋宮の神楽殿正面に東郷元帥筆の「日本第一大軍神」の大額が奉献。この額は戦後は秋宮拝殿の左片拝殿にある。(刻者は篆刻師八幡郊處)
2020-03-06
160
献米運動
敗戦色濃い中、どこでも食糧不足が日増しに深刻化したが、下諏訪町では軍需産業に働く人のために「献米運動」を起こした。「奉公供米運動」と呼び、町民から一握りずつ米をもらった。100俵が集まり、秋宮社頭で先勝を祈った。 手水舎が現在と逆の位置にある。手水舎は昭和28(1953)年に鳥居の左側に移されている。
2020-03-06
161
建設途中の山王閣
山王台に竣工した国民宿舎山王閣。手前に手入れの行き届いた桑畑が残っているのがわかる。№520,521と比較して見ていただきたい。
2020-03-06
162
建設途中の山王閣
建設工事中の山王閣。秋宮南隣りの神宮寺大坊跡から裏側を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №520,525と比較して見ていただきたい。
2020-03-06
163
山王閣
国民宿舎山王閣を秋宮側からその正面を撮影。山王閣は景勝地山王台に昭和40(1965)年12月24日、「国民宿舎下諏訪観光会館・山王閣」として施工した。残念ながら平成17(2006)年3月31日で営業を終了し、その後取り壊されている。100%かけ流しの天然温泉は「美人の湯」として知られ、諏訪湖を見下ろす展望の良さも売り物だった。武居源湯からの引湯であった。 №521,525と比較して見ていただきたい。
2020-03-06
164
千尋館
諏訪大社下社秋宮、右手前は千尋池、その奥には手水舎が見える。正面は千尋館で現在は土産物店「専女八幡」となっている。
2020-03-06
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博物館
昭和27(1952)年7月21日、神社と共用の博物館が、諏訪大社下社秋宮の神饌所を借用してできる。写真中央が当時の下諏訪博物館。歴代館長は昭和25(1950)年5月矢ケ崎輝雄・同29(1954)年6月三輪良三・同47(1972)年4月小口利市。写真左は昭和38(1963)年に建設された下社宝物殿。中央が下諏訪博物館で右はお守り札の授与所である。
2020-03-06
166
下社神宮寺方丈跡の石垣
かつて下社秋宮の東側には下社神宮寺が16200坪とも言われた境内に仏殿千手堂や三重塔、仁王門、弥勒堂、方丈が建立され、たくさんの院坊が付属していた。 明治維新の時、太政官布告明治元(1968)年大政奉還で「神仏判然令」により仏教が排撃を受け、仏像の一部は他の寺に逃れたものもあったが、下社神宮寺は破却されてしまった。 写真は高台にあった下社神宮寺大坊方丈の石垣の跡である。(現言成地蔵尊横の石垣)
2020-03-06
167
八幡通り改修工事落成式。
八幡坂改修渡り初め。諏訪大社下社秋宮の銅鳥居前通り八幡町の道路拡張改修工事が完成、落成式を挙げる。新庁舎前(現在のすわのね)からその渡り始めの行列を写す。改修前は雨水に洗われて大石小石の急坂であり冬の日は氷の急坂となるので大社参道として改修案が出ていた。 このときから八幡町を大社通りと改称。
2020-03-06
168
宝生橋
諏訪大社下社秋宮から山王台をつなぐ室生橋。下の道路は武居方面へつながる。
2020-03-06
169
宝生橋
甲州道中から武居に入る辻。車の向こうに秋宮と山王台を結ぶ宝生橋が見える。武居の集落に入る道は昭和14(1939)年に現在の新道(しんみち)が開通するまでは鳥居から神社の横を通っていた。当時は宮田小路(みやだこうじ)と呼んでいた。お宮の社務所が石垣の上から下に新築されたことによる新道開通であった。
2020-03-06
170
秋宮リンクでフィギュアスケートを楽しむ
平岡露子(大正2~平成23・1813~2012)選手。昭和8(1933)年全日本フィギュアスケートジュニア選手権で女子の初代チャンピオンとなった選手。
2020-03-06
171
スケート
大勢の子ども達がスケートを楽しんでいる。秋宮リンク。
2020-03-06
172
スケート
秋宮リンク、桑畑や万国旗が見える。
2020-03-06
173
スケート
秋宮リンクでスケートを楽しむ男性。後ろは岩波製糸場。
2020-03-06
174
スケート
秋宮リンク。後ろに桑畑が見える。
2020-03-06
175
スケート
スケートを楽しむ男性。
2020-03-06
176
スケート
秋宮リンクでスケートを楽しむ。後方の建物は岩波製糸場。
2020-03-06
177
スケート
秋宮の裏手には一面桑畑が広がっている。氷上には椅子のようなものにつかまって滑る人の姿が見える。
2020-03-06
178
スケート
秋宮リンクでスケートを楽しむ子ども。靴スケートがいかにもほこらしげ。
2020-03-06
179
スケート
№4400の男性たち、秋宮の森をバックに記念撮影、パイプをくわえている男性もいる。
2020-03-06
180
スケート
着物姿でスケートを滑る男性、革のスケート靴を履いている。
2020-03-06
181
スケート
洋装の男性たちが革のスケート靴で滑っている。中にはたばこをくわえている男性もいる。秋宮リンク。
2020-03-06
182
スケート
革のスケート靴を履いて秋宮リンクでスケートをする男性、万国旗も見える。
2020-03-06
183
スケート
革のスケート靴にマントを羽織った日本髷を結った女性。秋宮リンク。後の建物は岩波製糸場の事務所。
2020-03-06
184
スケート
秋宮リンクでスケートを楽しむ氷上の女性たち、一人は革のスケート靴ともう一人は下駄スケートを履いている。日本髪や着物姿が時代を感じさせるが、当時としては先端を走る女性か?
2020-03-06
185
スケート
下駄スケート・着物姿の人見える。下駄スケートは明治39年(1906)年頃初めて考案された。
2020-03-06
186
スケート
秋宮リンク。スケートを楽しむ男性と女性。立派な靴スケートや服装から衆目を集めたに違いない。
2020-03-06
187
スケート
秋宮リンク、後の山は小湯の上の桑畑。
2020-03-06
188
スケート
秋宮リンク、万国旗の飾り見える。
2020-03-06
189
スケート
秋宮スケートリンク。男性が革のスケート靴を履いて滑っている。
2020-03-06
190
スケート
秋宮スケートリンク。万国旗と桑畑の広がる様子が見える。
2020-03-06
191
千尋池復旧前の家並
秋宮前の新しい道とバス停。昭和18(1943)年千尋池が復旧。
2020-03-06
192
秋宮前手水舎
諏訪大社下社秋宮の手水舎、左奥に千尋池がある。
2021-04-07
193
下諏訪遠景
諏訪湖遠景。写真手前の左側の建物は片倉製糸、右側が入一製糸、左端の樹木は秋宮の森、その隣が現下諏訪中学校。
2020-03-06
194
大社通り
秋宮周辺、大社通り。写真手前が下社秋宮。
2020-03-06
195
旧下諏訪町役場
大正14(1925)年7月18日大社通りに移転した旧下諏訪町役場。現在は日本電産サンキョーオルゴール館として利用されている。役場庁舎は昭和45(1970)年にさらに西鷹野町の現庁舎へ新築再移転している。
2020-03-06
196
航空写真 秋宮周辺
下社秋宮の森、今はない山王閣の建物が見える。画面左下には青塚が見えている。
2020-03-06
197
千尋館
秋宮鳥居前にあった料亭・千尋館。その前はうなぎの蒲焼の松葉屋であった。
2020-03-06
198
売神祝印(メガミホオリノイン)
「売神祝ノ印(めがみほうりのいん)」は諏訪大社下社の御神宝(宝印)で印筥(いんばこ)と共に昭和9(1934)年に国宝(現在は重要文化財)の指定を受けた。社伝によれば大同年間(806から810)平城天皇より下賜されたものといわれ、美しい鋳物肌を持つ銅印である。かつていったん失われ、秋宮境内の千尋池から発見されたと伝えられているが真偽は分からないという。
2020-03-06
199
大詔奉戴日の行進
大詔奉戴日の行進(大東亜戦争のはじまった12月8日を記念し以降毎月8日を記念日として、戦意の高揚をはかった。)写真は翼賛壮年団。生徒は小学校に集合し秋宮から春宮へと行進した。この行進に参加しない者は問題視された。
2020-03-06
200
大詔奉戴日の行進
昭和17(1942)年大東亜戦争の始まった12月8日を記念して以降毎月8日を大詔奉戴日(たいしょうほうたいび)とし戦意の高揚をはかった。その日の行事として秋宮から春宮まで行進した。写真は女子青年団。
2020-03-06
201
芸者踊り
三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。 向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。 芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。
2020-03-06
202
新潟県人会
この頃、県人会など絆が固くまとまっていた。 新潟県人会には魚屋さんが多かった。
2020-03-06
203
諏訪中入学の記念写真
下諏訪からの通学者の入学後の記念写真。 1年生が後ろで5年生が前、現在では考えられない。 下諏訪黎明会という会を作っていた。 後ろの秋宮幣拝殿の前に釣り灯篭があるが、その後行方不明になっている。 前列の生徒の足元を見ると約半数は下駄をはいている。
2020-03-06
204
結婚式の記念写真
諏訪大社下社秋宮での結婚式の記念写真。
2020-03-06
205
成人式記念写真(女性)
この当時、成人式は諏訪大社下社秋宮で行われていた。人数が多く記念写真は男女別に撮っていた。
2020-03-06
206
成人式記念写真(男性)
この当時、成人式は諏訪大社下社秋宮で行われていた。 人数が多く記念写真は男女別に撮っていた。
2020-03-06
207
女子フィギュアスケート選手
秋宮リンクに勢ぞろいしたフィギュアスケート選手団。 向かって右から2番目が当時トップ選手の稲田悦子選手。秋宮の脇にスケートリンクが設けられたのは明治40(1907)年(明治42年の資料もある)神社の森かげという地の利もあって結氷期間が長いため人気を集めた。 ここで日本初のフィギュア大会が行われたのが大正」11(1922)年である。
2020-03-06
208
皇太子殿下参拝
宮司と共に参拝され説明を聞かれる皇太子殿下。(平成天皇陛下・令和上皇様)
2020-03-06
209
下諏訪町消防団
下諏訪町消防団記念写真。 後列の4人は警察関係者.
2020-03-06
210
下諏訪町警防団
下諏訪町警防団の集合写真、昭和14(1939)年1月警防団令により消防組を改組して下諏訪町警防団は昭和22~1947年まで設置された。 団長の高木十吉はこの後町長となるが昭和19(1944)年4月11日御柱祭山出祭において不慮の事故で殉職した。 中央には警察官の姿も見える。
2020-03-06
211
横綱吉葉山来訪
大相撲下諏訪場所相撲巡業記念写真。 昭和32(1957)年9月に山王台で行われた諏訪大社相撲巡業。写真は横綱吉葉山{昭和22(1947)年入幕-昭和33(1958)年引退}、当時美声といわれた呼び出しの小鉄、行司式守与之助、民家に泊まった(小林家など)。左側に子ども達が立っているのは秋宮神楽殿前の狛犬の台座と思われるが戦争中供出されたままでまだ再建立されていない 。吉葉山は、十両昇進前に召集され戦地で銃弾2発を浴び終戦後再び土俵に上がった。大関で全勝優勝し「雪の全勝行進」で大人気となる。 しかし、病気や被弾による後遺症などで「悲劇の横綱」と呼ばれた
2020-03-06
212
御田植祭
早乙女の皆さんを前に祭式関係者の記念写真。
2020-03-06
213
紀元二千六百年記念
紀元二千六百年記念祭を高木津島神社で開催した時の記念写真。出征兵士の旗が立てられているが、もう1本は諏訪大社秋宮子安社付近へ立てた。
2020-03-06
214
第三区出征軍人健勝祈願記念写真
第三区出征軍人の健勝を祈願した際の記念写真。多くの子ども、学生も動員されている。 昭和10(1935)年代に消防組から消防団となり、はっぴ姿も見える。供出前の狛犬も映っている。 狛犬は昭和19(1944)年に供出。
2020-03-06
215
裏参道開通記念
昭和15(1940)年12月29日不況対策事業で裏参道開削がほぼ完成し通行できるようになった。 さらに同18(1943)年8月10日、字三王・久保・臺の公園敷地が川岸村長より寄附があり、同19(1944)年7月秋宮裏参道が竣工した。その際の記念写真、町長初め町理事者、地域関係者が写る。現在の「ヤマモト」の横付近で撮影、坂の中ほどに現下諏訪中学校、奥に諏訪大社下社秋宮の森が見える。
2020-03-06
216
広瀬町町少年団
広瀬町少年団の団旗完成記念写真。 昭和12(1937)年7月7日に支那事変が勃発。 この時、町内の組長や在郷軍人等の要望により結成、小学1年から高等科2年の男子全員が毎週日曜日の朝6時に新道(三国座通り)へ集合、駆け足で諏訪大社秋宮へ必勝祈願し、その後帰町して町内道路と駅庭の清掃を実施した。そろいの帽子と腕章に少年たちの真摯(しんし)な眼(まなざし)が並ぶ。
2021-04-15
217
ハイヤー
大正12(1923)年丸ヨ自動車店浜義雄氏が東京でフォードを一台購入。 浜氏は中央線全線開通後、荒廃した和田峠線の整備に力を入れ、大正13年(1924)に貸切自動車営業を開始し昭和2(1927)年には和田嶺自動車株式会社を創立しバスが三往復運行するようになった。 この他に大正13(1924)年、湯田仲町ハイヤーサクラ自動車商会、大正15(1926)年菅野町に丸S自動車株式会社などが設立された。
2020-03-06
218
第三区出身軍人健勝祈願
愛国(国防)婦人会(現婦人会)約200名が健勝祈願したときの記念写真。 写真に「昭和十四年十一月三日第三区出身軍人健勝祈願・下諏訪町国防婦人会第三班」とある。 昭和12(1937)年に日中戦争に入り、昭和14(1939)年は4月から米穀配給統制法公布など戦争体制化まっ只中であった。
2020-03-06
219
注連縄製作完成記念写真
大注連縄は戦後「日本第一大軍神」の大額が外された神楽殿が「寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け奉納した。昭和54(1979)年まで途絶えていが、昭和60(1985)年の御柱祭の前年,祭りの新たな行事として奉納した。現在の大注連縄は「諏訪大社注連縄奉納会」が長さ7.5m最大胴回り3.2m(従来は4.5m)重量800㎏(従来は1t)という大きさで御柱祭の前年の11月から約1ヶ月、2500束のワラをつかい作成している。
2020-03-06
220
節分祭の記念写真
このとき現在の節分祭の形ができた。 この頃は年男60歳と年女20歳が節分祭に参加した。
2020-03-06
221
実業団野球選手行進
実業団野球大会が鷹野町野球場で行われた。 そのときの選手団が諏訪大社下社秋宮に参拝し、その後消防団ラッパ隊の先導で球場まで行進した。
2020-03-06
222
秋宮スケートリンク
右から桔梗屋の両角氏、ファイトマンの体協事務局の両角氏、女装の城取(写真館)氏、旦那に扮装したプリンスホテルの武居氏。冬の寒さも楽しんでいる諏訪人の様子が現れた一枚である。またスローガンと書かれた紙をよく読むとこのころの世相が読み取れて楽しい。
2020-03-06
223
カーリング大会表彰式
秋宮スケートリンクで開催されたカーリング大会表彰式。絵葉書にしたものを撮影して引き伸ばした写真。右下には「SHIMOSUWA H・SHIROTORI」の刻印が見える。左下には一銭五厘の切手と諏訪郵便局の印(昭和7年1月21日の日付印も)が見える。
2020-03-06
224
アイスホッケーの試合
秋宮リンクでアイスホッケーの試合が日本で初めて行われた。出場したのは早稲田大・慶応大・東京帝大(現東大)と地元の松本高等学校の4チームだった。 この写真が撮影されたころは石置き屋根の家屋が見られたり、北側の斜面には畑・桑畑・雪をかぶった稲わらを積み上げた稲積(にお・にょう)が見える。
2020-03-06
225
秋宮スケートリンク
山側の高台から撮った秋宮スケートリンクの全景。明治42(1909)年に下諏訪氷辷会と有志が開設した特設リンクで、今日まで観光事業・町民のスケート技術・体育向上に貢献したリンクで、関係者の努力には敬意を払いたい。
2020-03-06
226
秋宮周辺航空写真
勝山写真館(上諏訪)が赤砂飛行場を離陸撮影した航空写真。秋宮周辺の宿場町の町並みが残っている。左下に旧町役場庁舎、左端の中あたりに中部電力前身の信州電気、その前の立町通突き当りには二階建ての綿の湯、その周りには改築前の旅館、鳥居前は当時の街道の風情が色濃く残り千尋館なども見られる。 勝山写真館では霧ケ峰強清水のスキー場の写真などを空から撮影していた。
2020-03-06
227
出征家族写真撮影関係者
戦時中、朝日新聞では軍神の諏訪大社下社秋宮境内で出征した兵士の家族写真を撮影、戦地に送付していた。町内の写真撮影業者のうち組合加入の秋山(高札場上)・北原・城取氏の3人、アマチュアカメラマンが撮影に当たっていた。新聞社、新聞販売店、後援の役場職員も同席しての記念写真。
2020-03-06
228
御田植祭
諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。この頃からカラーフィルムが使用され始めて、カラー写真に人気があった。
2020-03-06
229
御田植祭
諏訪大社秋宮斎田の御田植祭終了後の記念写真。 舞を担当する女の子と苗を植える早乙女役の女性の服装の違いがよくわかる。
2020-03-06
230
御田植祭
諏訪大社秋宮斎殿横の駐車場の位置にあった斎田の御田植祭の様子。当時は現地に田んぼが2枚あり、下の段を使って祭事が行われた。 右側の道は向陽坂で、山王台の橋の位置から撮影した。
2020-03-06
231
千尋池
改修工事完成の記念写真。 千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なお「ちひろ講」は青塚の清掃も行っている。
2020-03-06
232
秋宮鳥居前集合写真
徴兵検査合格者の記念写真。 旅館の名前の入った旗があることから下諏訪温泉に宿泊した県内の人たちが多数含まれていると思われる。また、学生服を着た大学生の姿も見られる。この写真では手水舎が現在と反対側にある。手水舎は昭和28(1953)年に八幡側から千尋池側に移った。向かって右に見える道は、昭和15(1940)年以前は武居に行く唯一の道であった。また、鳥居の左側の現在千尋池となっている場所に商家などの建物が見えている。鳥居前千尋館の二階から撮影された写真である。
2020-03-06
233
秋宮スケートリンク
諏訪湖の結氷期が1月上旬~2月下旬のため、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮し、明治40年(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。
2020-03-06
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秋宮(74)
秋宮スケートリンク(34)
秋宮リンク(30)
諏訪大社(23)
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フィギュアスケート(18)
スケート(17)
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下社秋宮(13)
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のぼり旗(2)
写真(2)
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鳥居前(2)
奉納(2)
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ステッキ(2)
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戦時中(2)
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上皇様(1)
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スケート選手(1)
紋付き袴(1)
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清陵(1)
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下駄(1)
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芸者踊り(1)
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翼賛壮年団(1)
売神祝印(1)
めがみほうりのいん(1)
銅印(1)
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料理屋(1)
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料亭(1)
森(1)
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入一製糸(1)
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椅子(1)
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スケーット(1)
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大政奉還(1)
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食料(1)
東郷(1)
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額献(1)
筆(1)
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辻屋(1)
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大欅(1)
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庭園(1)
本陣庭(1)
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本陣庭園(1)
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街並み(1)
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バルコニー(1)
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注連掛(1)
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加藤宮司(1)
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御諏訪様(1)
上下社(1)
リンク(1)
春の遷座祭(1)
耕作(1)
なぎ鎌(1)
遷座(1)
祢宜太夫(1)
土蔵(1)
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輸出(1)
回路設計(1)
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竜の口(1)
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和田(1)
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風祭り(1)
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御射山祭(1)
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