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登録リスト(該当:9件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
一里塚
五街道の一つ甲州道中ははじめ甲府までであったがその後下諏訪宿まで延び中仙道と合流、この間を末(うら)街道と言った。この塚は江戸より五十三里(約212㎞)で街道最終のものだった。明治21(1888)年払い下げられ昔の姿を消した。碑は昭和37(1962)年12月に若宮倶楽部の呼びかけで建てられた。
2021-12-23
2
若宮社標
富部地区(第十区)の高台にある若宮神社の鳥居の横にある若宮様の社標。現在この社標碑は甲州街道沿いに立っている。
2021-12-23
3
蚕影山神社
富部村(現在の第十区)の若宮神社の境内に一間半(約2.72m)四面の茅葺きの社殿を造り「蚕影山(こかげやま)神社」を祀った。
2021-12-23
4
六地蔵尊
昭和の初め頃まで葬式は野辺の送りなどと言われ、り行列新仏を神輿で担ぎ行列をそろえ上の段の「おまわり場」で旦那寺(だんなでら)の和尚様から引導(いんどう)してもらった。この地蔵様はそこに祀られていたが、葬儀の様式が変わり使われなくなり、若宮墓地への登り口へ移された。
2021-12-23
5
若宮源湯と湯神碑
戦後上総(かずさ)掘り方式で昭和38(1963)年八月に自噴、「若宮源湯」と命名。地域の発展と福祉の向上をうたって、昭和39(1964)年6月「富部温泉」ができた。この碑を祀り繁栄を祈った。温泉は第十区の区有温泉として広く利用されていたが、平成19(2007)年3月末に廃業した。
2021-12-23
6
春宮境内の若宮社と上諏訪社
春宮境内の上諏訪社と若宮社である。
2022-03-24
7
東山田・若宮社跡
副祝山田氏の祝神と伝えられている。旧中山道の福沢川と鋳物師沢川の中間に鳥居と祠があったとされるが、昭和初期の水害で流され自宅屋敷内に移されている。写真は若宮社跡の案内板である。
2022-03-24
8
若宮神社(五官)
諏訪大社下社の末社の一つ。祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと)との御子、十三神、天照皇大神が合祀されている。鎮座のはっきりした記録はないとされている。明治5(1872)年11月、社格を村社とされた。社殿のすぐ下に鎌倉街道が通っていたと伝えられ、整備が地元の有志によって進められている。 写真上は社殿、写真下は旧甲州海道脇に立つ若宮神社入り口の石標である。
2021-06-03
9
若宮
富部若宮下の六地蔵様.
2020-03-06
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1
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若宮神社(4)
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