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登録リスト(該当:7件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
レンゲツツジ解体図
レンゲツツジ(ツツジ科)蓮華躑躅 「蓮華」:大きく鮮やかに、枝先に固まって咲く様が、美しい蓮(はす)を思わせる。 「躑躅」:昔、中国で「羊躑躅」(羊がつつじを食べて、足ずりし、酩酊する)との漢名が日本に伝わる中で、「羊」が取れてしまい、「躑躅(てきちょく)」のみ残った。 ※躑躅①足ぶみすること②ためらうこと③つつじ(広辞苑) 全木、花・葉も有毒、密もしかり。 草原・牧場にレンゲツツジが群生するのは、牛や馬が食べないため、有毒成分は嘔吐・痙攣を起こす。キレンゲツツジ(黄色)、コウレンゲ(濃朱色)、帯紅黄色(カバレンゲ)、ウラジロレンゲツツジ(葉裏が白)
2022-03-15
2
ドイツスズラン解体図
ドイツスズラン(ユリ科)独逸鈴蘭 スズランは別名「君影草」、多くのファンもいる。高原に生える多年草。葉は2枚で、花は葉のかげに隠れて咲く、白色で香りが高い。葯・花粉;鮮黄色。 自生のスズランとそっくりの種類がドイツスズランで、よく植栽される。スズランと対比すると、花は直径に比べ高さが低く、葯も花粉も淡緑色で、葉が厚めでやや色が濃い。どちらも有毒で、家畜は食べないので、牧場でも取り残され、繁殖している。
2021-10-26
3
駒形稲荷
社ヶ丘団地は字駒形と呼ばれる地籍で、古く朝廷へ御用の馬を献上する勅使牧が置かれていたといわれる(萩倉の牧)。駒形は古代馬の形像を崇拝した最も原始的な信仰で、萩倉牧の馬神を祀る神社として創立されたものだろうといわれている。社中学校の北方に「馬飼場」という字名も残っている。
2020-03-06
4
諏訪神勅祭創始千二百年祭友之町の光景
絵葉書。(下諏訪名所)諏訪明神大祭禮、友之町中町の光景。現在の四ツ角より西の現本通り。消印に「下諏訪45.4.28」(明治45年)スタンプに「官弊中社諏訪神社、諏訪神勅祭創始千二百年記念」と「5本足の梶の葉紋」が見える。また写真の外国人は明治38(1905)年湯田新町に宣伝を開始したルーテル教会の婦人宣教師である。
2020-03-06
5
蕉鹿庵前の酒宴
写真は大正15(1926)年10月31日撮影、水月会が蕉鹿庵の前で観楓会を開いた時のもの。写真裏に右から中村春吉、中村尚(其梅)、吉沢兼之助(晩雪)河西庄三郎、中村卯一郎(如佛)、中村橲一、中村茂重(柳月)、浜平三郎(木章)、林巻平(渓月)中村牧五郎(梅屋)と名前が記録されている。 大正4(1915)年天龍道人壱百年忌記念事業にあたって慈雲寺庭前に天龍道人の詩碑を建て、遺墨展を開いた。この時、水月園の正岡子規碑左手にの観月堂のある平の一角に蕉鹿庵を茶室として建設した。8坪ほどの茶室風の建物で、句会やお花見などに利用されたが、昭和25(1950)年の台風により倒壊し除去された。 ちなみに焦鹿というのは天龍道人が愛用した「焦鹿」という言葉に由来している。。
2020-03-06
6
牧草地にカラマツ植栽
東俣牧草地の牧草クローバー、オーチャードの畑に唐松が植林されている。酪農に見切りをつけたためと思われる。 昭和39(1964)年の撮影。
2020-03-06
7
ルーテル協会の婦人会
この時から宣教開始 諏訪地方最初のルーテル教会ウーシータロ嬢が、湯田新町医師三輪甲子三郎宅跡にきて、福音宣伝を開始する。 写真はルーテル教会婦人会。 中央がミンキネン譲、後列右がニュールンド嬢。 この時、花見新道上字天白に洋館が新築されて牧師の宿舎とされ、異人館と呼ばれていたという。
2020-03-06
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ルーテル教会(1)
婦人会(1)
福音宣伝(1)
宣教開始(1)
花見新道上(天白)(1)
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