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登録リスト(該当:22件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
顔ハメパネル設置
下諏訪観光協会は令和4(2022)年4月28日、下諏訪向陽高校3年生3人がデザインした顔ハメパネル3種類を町内3カ所に一基ずつ設置した。前年の中高生による模擬議会「しもすわ未来議会」で提案されたことがきっかけで実現したもの。パネルの大きさはいずれも180センチ四方、スチール製で生徒のデザイン画を拡大印刷している。JR下諏訪駅には下社里引きに合わせて行われる騎馬行列や長持ちのパレードが、おんばしら館よいさには御柱祭木落の場面が、しもすわ今昔館おいでやには秋宮境内のデザインが画かれている。
2022-05-21
2
キバナバラモンジン解体図
キバナバラモンジン(バラモンギク)キク科 黄花婆羅門参 ・一昨年今頃、下諏訪富士見橋近くの砥川べりにて初 見。その後確認してきたが、再見できず、和名は分か らず、幻の花だった。 ・今回南箕輪村上伊那農業高校中の原農場入り口脇の水 路フェンス側に見つけた。手持ち図鑑では該当がな く、果実の様子からキク科をHPで調べ、ようやくキ バナバラモンジン(バラモンギク){バラモンジン 属}と判明。 果実はタンポポの果実を巨大化したようで、すでに風 散布で散ったものがある。草丈は大きいものは50c mほど、道端の痩せ地では15cmほどで、いつか砥 川べりでみたものとほぼ同じ大きさであった。欧州・ 西アジア原産。1877年頃食用or鑑賞用に渡来。1 911年までに逸出し、帰化
2021-10-29
3
武居桜
諏訪大社秋宮の東、下諏訪向陽高校に向かう向陽坂の途中にある老桜。花は一重の淡紅色で鮮やかな名木で、町の天然記念物に指定されている。この桜を地元の人は「苗間桜」と呼び、春早く咲いて陽気木となり、苗間作りの目当てとされてきた。樹高およそ11mで、樹齢はおよそ300年とされている。日光博物館の久保田博士によるとエドヒガン、別名アズマヒガン・タチヒガンとされた。平成6年樹木医の指導の下外科手術をし、根元に施肥を行っている。さらに平成14年には銅板で覆って保護をしている。
2021-02-23
4
岡谷中学スケート部
昭和22(1947)年から始まったスケートの県高校選手権では岡谷南高校が岡谷中学時代から9連覇を達成している。写真は岡谷市体育協会史には「第2回県下中学スケート大会に優勝した岡谷中学(現岡谷南高)」と紹介されている。長野県スケート連盟史には、後列左から2人目が中島信一、右隣が増沢政幸と紹介されていて当時の主力選手であった。
2021-12-18
5
郵便局の窓口
郵便局の窓口風景。年賀状整理のためこの日から高校生アルバイトが就労した。この年の年賀状引き受け数は76万700通・同配達は74万7700通でほぼ前年並みだった。
2020-03-06
6
シクラメン栽培
町内で初めて出荷用のシクラメンンの栽培風景。この年の春退職した元農業高校長老後の仕事にと、専門知識を生かして始めた。こうれいちのすわちほうは、ユリ、カーネーション、リンドウなどの栽培が盛んだが、当時はシクラメンは珍しかった。115平方メートルのガラス温室、温度調節は全自動で約400万円かけたという。出荷鉢は一鉢200~3000円ぐらいだった。
2020-03-06
7
合宿風景
駒場高校剣道部の合宿練習風景。後ろに諏訪大社下社春宮境内東側に残る古い階段が見える。
2020-03-06
8
「かまきり」自転車
この形のハンドルの自転車(通称かまきり)が高校生を中心に大流行。遊び心が受け入れられたらしい。下諏訪駅横の駐輪場の高校生と「かまきり」自転車。
2020-03-06
9
諏訪実高下諏訪分校閉校式
諏訪実高下諏訪分校閉校式の日の校舎と記念碑。分校の跡地は現在下諏訪中学校の屋根付きプールとなっている。
2020-03-06
10
諏訪実業高校下諏訪分校最後の授業
諏訪実業高校下諏訪分校(夜間)最後の授業。№728参照。
2020-03-06
11
諏訪実業高校下諏訪分校最後の授業
終戦後昭和23(1948)年それまでの青年学校並びに実科高等女学校が廃され諏訪実業高校下諏訪分校が下諏訪中学校に併設された。それから約40年後、生徒が3人だけになってしまい、昭和63(1988)年度を持って閉校と決まった。この日は3月4日の卒業式を前に生徒3人が午後5時半最後の授業の席に着いた。下諏訪分校(夜間)最後の授業。
2020-03-06
12
合宿風景
大学・高校の夏季合宿学生が温泉町の宿舎を出て運動場へ向かうところ。夏季合宿練習のため東京の高校・大学生の来町するものは戦前からあって、小学校の施設を利用していた。町が本格的に請け入れるようになったのは、戦後昭和27(1952)年ころからのこと。昭和39(1964)年には一万人を越え、14軒の旅館に合宿していた。
2020-03-06
13
諏訪実下諏訪分校
昭和23(1948)年3月31日、それまでの青年学校並びに実科高等女学校が廃され、全日制の下諏訪実業高等学校の設置が認可され、下諏訪中学校に併設された。次いで昭和24(1949)年4月1日、諏訪実業高校に統合され下諏訪分校となった。 №627参照。
2020-03-06
14
諏訪実高校下諏訪分校
諏訪実業高校下諏訪分校。(現在は下諏訪中学校プールになっている) 昭和23(1948)年3月31日全日制の下諏訪実業高等学校が認可となり青年学校並びに実家高等女学校が廃された。しかし学校建設は実現に至らず、下諏訪中学校に併設された。次いで昭和24(1949)年4月1日には諏訪実業高等学校に統合され下諏訪分校となった。教科課程は普通科・被服科を置き、定時制の四年制であった。 №642参照。
2020-03-06
15
富岳を望む
絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖より富岳を望む」。上川付近。 ボートを漕いでいる様子から当時の諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒のようだ。
2020-03-06
16
ボートレース
絵葉書(諏訪名所)諏訪湖上のボートレース。上川付近富士山も見える。ボートを漕いでいるのは諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒と思われる。
2020-03-06
17
航空写真 区画整理中の武居
上空から見た武居。左手に下諏訪向陽高校グラウンドが見える。
2020-03-06
18
航空写真 区画整理前の武居
上空から見た武居。左手に下諏訪向陽高校グラウンドがわずかに見える。
2020-03-06
19
航空写真 区画整理中の武居
上空から見た武居。左端に下諏訪向陽高校のグラウンドが見える。
2020-03-06
20
町民体操祭
町民体操祭で模範演技をする諏訪二葉高校体操部、同体操部は県下でも上位高であった。 「社会教育しもすわ」の記事の中で昭和33(1958)年「五千町民の躍動。 日本体操祭下諏訪大会は、5000人の競技者・演技者と3000人の観衆を集め、午前9時から町営球場で盛大に開催、美と力の祭典の歴史が始まった。」と書かれている。
2020-03-06
21
町民体操祭
町民体操祭で模範演技をする諏訪二葉高校体操部、同体操部は県下でも上位高であった。 「社会教育しもすわ」の記事の中で昭和33(1958)年「五千町民の躍動。 日本体操祭下諏訪大会は、5000人の競技者・演技者と3000人の観衆を集め、午前9時から町営球場で盛大に開催、美と力の祭典の歴史が始まった。」と書かれている。
2020-03-06
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町民体操祭
町民体操祭で模範演技をする諏訪二葉高校体操部、同体操部は県下でも上位高であった。 「社会教育しもすわ」の記事の中で昭和33(1958)年「五千町民の躍動。日本体操祭下諏訪大会は、5000人の競技者・演技者と3000人の観衆を集め、午前9時から町営球場で盛大に開催、美と力の祭典の歴史が始まった。」と書かれている。
2020-03-06
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