はじめての方へ
|
新規ユーザー登録
ログイン
諏訪大社
神社・仏閣・史跡
文化・町並み
温泉・観光・食
諏訪湖・漁業
自然
工業・機械・電気
産業・製糸
防災・災害
スポーツ
資料・文書
御柱祭
博物館企画展
すべての年代
~明治
大正初期
大正後期
昭和初期
昭和10年代
昭和20年代
昭和30年代
昭和40年代
昭和50年代
昭和60年代
平成
令和
並び替え:
最新順
管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:26件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
休み石
工事等で現在は似た石になっている「休み石」。
2024-02-29
2
富部のサイフォン
髙木・富部地区では中央東線を通す際川の扇状地を掘割し線路を作った。このため湖畔の水田に水を回すためにサイフォンを作り湖水端の田に潅水しました。 この写真は富部のJR線路西側のサイフォンの出口。 サイフォンの原理で動力なしで高い場所から低い場所へ水を移動させていた。このサイフォンは線路を渡っている。
2024-04-06
3
旅客列車
D51旅客列車 手前の電柱は国鉄の通信線の「はえたたき」 *「はえたたき」日本国有鉄道収容感染の線路沿いに立ち並んだ電柱(鉄道電信柱)の通称名。
2024-02-12
4
準急列車
キハ58準急列車リゾートビューふるさと 線路を挟み右側は現在の中部電力の社屋、左側は金作木材貯木所(現在は住宅地)になっている。
2024-02-17
5
検測専用電車
下諏訪~岡谷間 クモヤ443系は日本国有鉄道が1975年に製造した。 線路や架線の状態などを測る「検測専用電車」で下諏訪へも時々姿を見せていた。 民営化後はJR東日本が所有していたが車両は2003(平成15)年に廃車となった。
2024-01-28
6
検測専用電車
JR貨物EH200の量産1号機が4月下旬から中央東線入線。 901号と入れ替わりで運用されている。車体は901の運転台窓からセンターピーラーがなくなっているなど多少のへhh化がある。名前がついていて「ブルーサンダー」間もなく本格的に塗り替えられるようだ。(百瀬氏)
2024-01-28
7
高浜湾近景
令和の時代に入った高浜湾。かつてここが大きく入り込んだ入り江で、漁業や採氷やスケート、観光などで賑わっていた風景は古い時代の写真でしか見ることはできない。ただ、明治時代に開かれた国道20号線や中央東線の線路などは当時と同じ場所にあって人々の生活と深く結びついていいる。「高浜」で検索し、静かな入り江だった場所がやがて埋め立てられ大きく景観が代わってきた様子を見比べていただきたい。
2021-06-23
8
休石
中央東線の線路沿いに残る休石。かつて農作業等で田んぼなどに運ぶ刈敷、あるいは田圃から籾などを運ぶ時。この石の上に重い荷物を乗せ一休みするところから、この名がついたと思われる.こうした「休石」のような石は、下諏訪町以外にも諏訪各地に点在する。
2021-06-03
9
土砂に埋もれた線路
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の氾濫による土石流で埋まった中央東線の線路。 この写真では水はだいぶ引いているように見える。
2020-09-09
10
氾濫した承知川(線路付近)
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 承知川の濁流が国道20号を渡り、JR線の鉄橋に達した。 写真2・3枚目は土のうを積みあふれ出た水を川に戻している。
2020-09-09
11
濁流、国道を渡る
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 氾濫した承知川の濁流が線路を渡り、南小学校付近の道路方面に流れている。 正面に見えるのは有賀商店(現在は駐車場になっている)
2020-09-09
12
冠水した線路
平成18(2006)年7月19日未明の豪雨災害。 大和電機工業㈱前のJR線路内が冠水。 承知川のはんらんで国道20号線を超えた水が一気にJRの線路へ流れ込み、数百メートル離れたイングスシナノ付近から側道に流れ出た。このためポイントが故障し、下諏訪中学校下の甲州第三踏切は遮断機が下がったままの状態になった。
2020-09-09
13
航空写真 四王上空
写真中央を右から左へ中央東線が走っている。左端が下諏訪駅。右上に弧を描いて走る道路は国道20号線。写真中央鉄道線路の下を横切っているのは、四王ガードで線路北から諏訪湖に向かう道路(古川通)である。写真では家が立ち並んでいるが、四王ガードより南側(写真下側)はかつては田んぼや諏訪湖畔の低湿地が広がっていた。また、写真右下の工場は大和電機である。
2021-04-18
14
石投げ場
北高木付近から見た諏訪湖岸の風景。上諏訪方面からSLが煙を出し走っている。№1544の写真と比べると湖畔の整備が進み桜やカリンの並木が整えられ、大きくなっているのがわかる。また線路北側の開発も進んでいる。
2020-03-06
15
石投げ場
昭和40(1965)年の北高木付近から見た諏訪湖岸の風景。埋め立てが終わっているが、湖畔の整備はまだ途中で桜やカリンの並木はもちろん湖畔道路も整備途中で波打っているように見える。
2020-03-06
16
出征兵士を送る
出征兵士を送る下諏訪駅の風景。
2020-03-06
17
出征兵士を送る
出征兵士を送る。下諏訪駅ホームの様子。
2020-03-06
18
信濃蚕業
下諏訪駅東にあった信濃蚕業、現在は(株)イングスシナノに社名が変わった。
2021-04-01
19
高浜より、立春薄氷の湖を望む
高浜より、立春、薄氷の湖と湖畔の町を望む。この日、-9,0度(平年比2,0度低)と冷え込み、湖は三度目の結氷となったが、昼過ぎには解氷。2月立春となれば、朝の凍みはきつくても、陽は濃くなっていく。
2020-03-06
20
高浜付近
高浜の交差点の西側。ガラス屋根は「長野県水産試験場諏訪支場アユ種苗センター」。隣の赤と緑の看板は「リファイン花岡(当時)」、手前が興和自動車販売センター㈱。
2020-03-06
21
石投げ場より
石投げ場から諏訪湖を望む。こののち埋め立てが行われ景色は一変する。国道と並行して中央東線を蒸気機関車が走る。№426と比較するとその変化がよくわかる。
2020-03-06
22
石投げ場から諏訪湖を望む
石投げ場から望む諏訪湖。湖岸が国道付近にある。
2020-03-06
23
下諏訪町遠望
富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。
2020-03-06
24
片倉組丸六製糸場
明治42(1909)年片倉組丸六製糸場で下諏訪町における創業10周年記念祝賀会当日に撮影された写真。手前の道は花見新道(御作田社より上にある道)大八車の轍が線路のように残っている。右手前の木は御作田社、左中ほどの町並みは湯田仲町、左遠方の高い建物は中学校の塔、間に見える畑は桑畑で当時は多く見られた。後方にはうっすら白く諏訪湖が広がっている。
2020-03-06
25
富ヶ丘から望む高浜
富ヶ丘旧道にあった桃畑(新井清水氏所有)から、高浜湾方面を望む。右側に下諏訪小学校や製糸工場、高浜の湖畔には水産試験場、網いけす、大四手網が見える。山の手の畑には桑畑が広がっている。
2020-03-06
26
ダイヤ豆腐周辺の航空写真
当時景気が良かったダイヤ豆腐による航空写真。ダイヤ豆腐は線路横の煙突の立っている建物、現下諏訪南小学校前を通る田中線は砥川で止まっている。田中線の右端に小学校の校舎が見え、砥川の手前には昭和24(1979)年から整備されてきた総合運動所が見える。現在のジャスコ通りにあたる道沿いには昭和28(1953)年栄町から移転したひかり味噌が見える。線路下には、桑畑とりんご畑が広がっていた。
2020-03-06
≪
1
≫
線路(15)
石投げ場(4)
下諏訪駅(4)
氾濫(4)
SL(3)
諏訪湖(3)
四王(3)
濁流(3)
浸水(3)
遠景(2)
高浜(2)
国道(2)
湖岸(2)
出征兵士(2)
高木(2)
国道20号線(2)
中央東線(2)
災害(2)
被害(2)
検測専問車(2)
廃車(2)
架線(2)
航空写真(1)
ダイヤ豆腐(1)
ひかり味噌(1)
昭栄製糸(1)
田中線(1)
富ケ丘(1)
桃畑(1)
線路下(1)
製糸(1)
片倉(1)
※丸六製糸場(1)
武藤工業(1)
ムトウ(1)
風景写真(1)
富部山(1)
立体交差 (1)
国鉄(1)
交差点(1)
水産試験場(1)
リファイン花岡(1)
看板(1)
高浜湾(1)
薄氷(1)
湖畔の街(1)
煙突(1)
国道20号(1)
倉庫(1)
兵士(1)
ホーム(1)
見送り(1)
幟旗(1)
女性(1)
汽車(1)
四王ガード(1)
大和電機(1)
はんらん(1)
承知川(1)
JR(1)
豪雨災害(1)
休石(1)
埋め立て(1)
砥川鉄橋(1)
準急特急(1)
ふるさと(1)
キハ58(1)
蒸気機関車(1)
D51(1)
長野行き(1)
はえたたき(1)
サイフォン(1)
製糸業(1)
水路(1)
休み石(1)
線路付近(1)
ログイン
トップページへ