はじめての方へ
|
新規ユーザー登録
ログイン
諏訪大社
神社・仏閣・史跡
文化・町並み
温泉・観光・食
諏訪湖・漁業
自然
工業・機械・電気
産業・製糸
防災・災害
スポーツ
資料・文書
御柱祭
博物館企画展
すべての年代
~明治
大正初期
大正後期
昭和初期
昭和10年代
昭和20年代
昭和30年代
昭和40年代
昭和50年代
昭和60年代
平成
令和
並び替え:
最新順
管理番号順
タイトル順
登録日順
登録リスト(該当:8件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
継子神4 神紋梶の旗
年例祭では織とともに神前に掲げられる「神紋梶」の御旗一流。これは諏訪大社から下賜されたもので、きわめて異例のことである。ゆえあって民間祭祀となっているが、この一事は 、継子祭祀の本源がいかに至尊のものであるかをうかがわせるに十分だろう 。
2023-04-01
2
ドクダミ
別名十薬の名のとおり、昔から有名な民間薬。地下茎で繁殖大で困りもの。
2021-10-10
3
鉄骨警鐘楼
太平洋戦争末期になると、兵器にするため民間の鉄材を供出する運動があり、第一分団の屯所の上に建てられていた火の見やぐらも倒されて供出された。昭和18(1943)年金属供出で取り壊す前の記念写真。
2020-03-06
4
高木西の温泉ボーリング
民間資本の温泉開発が成功、深度500m、69.1℃の湯脈に当たる。その後掘り進み深さ570m、温度74.4℃まで上昇。毎分600㎖(59℃)の揚湯が可能になった。町の源湯は町・区・財産区・共同組合が所有していたが昭和60(1985)年に旅館業者が発掘に成功し新しい流れが生まれた。この写真は民間第二号井。
2020-03-06
5
犬射馬場、上馬場の標石。
鎌倉時代、武士は日頃の鍛錬に騎射の武技を重視し、それが遊戯化したり神事化したりしたものが多い。この場所は犬追物などをした所で、このことは「諏訪大明神絵詞」にも記されている。江戸時代に入りこの行事が廃れると、周囲から境界を侵され、神社では享保18(1733)年に検地をして一般人の侵入を防いだ。その後も土地の使用のことで何回か争いがあって明治維新後のころ民間に移ったという。なお、下馬場の町名もあったというが、現在は上馬場(かみばっぱ)のみが残っている。
2020-03-06
6
明新館
古くは行屋(お堂)があったところで、明治10(1877)年に学校建築の費用に充てるため御堂と土地を民間に売ったが、明治24(1891)年にお堂を取り壊して集会所を建て、「明新館」と名付けた。 下諏訪町最初の集会所。その後何回か改修を重ねてきたが老朽化により昭和41(1966)年現在の建物に改築されている。 写真は改築直前の昭和40(1965)年の明新館。 下原中村勝五郎の日記(日嘉恵雑書帳)に「明治24年200円にて明新館建てる」とある。玄関と平石屋根は明治32(1899)年の改修。行屋にあった十王像(町文化財)は現在同館に保存されている。
2020-03-06
7
下諏訪分署
明治22(1889)年12月竣工。明治23(1890)年4月25日落成。この分署は明治21(1888)年8月管内村民間に庁舎新築の議が出て、寄付金をもって湯沢山御料休の松の良材を用いて建てられた和洋折衷様式の見事な建築であった。現在は御柱モニュメントを経て高札場になっています。この頃の管轄区域は下諏訪村・長地村・平野村・川岸村であった。現在は「八幡坂高札ひろば」。
2020-03-06
8
遊覧飛行記念
赤砂飛行場、昭和3(1928)年この頃民間人(諏訪飛行協会)による飛行場ができる(滑走路300m)。
2020-03-06
≪
1
≫
交通(1)
飛行機(1)
複葉機(1)
民間(1)
飛行協会(1)
分署(1)
和洋折衷(1)
警察分署(1)
菊の紋章(1)
旧派出所(1)
明新館(1)
下の原(1)
集会所(1)
行屋跡(1)
下諏訪初(1)
大門(1)
犬射馬場(1)
馬場(1)
標石(1)
練武(1)
神殿(1)
民間資本(1)
湯脈(1)
源湯(1)
発掘(1)
揚湯(1)
警鐘楼(1)
取り壊し(1)
第一分団(1)
消防団(1)
金属供出(1)
ドクダミ科(1)
白色の花(1)
薬草(1)
神文(1)
神文梶(1)
ログイン
トップページへ