下諏訪町に4カ所ある名号塔の一つ。幕末の動乱期、尊王攘夷の熱意に燃えた武田耕雲斎(こうううんさい)率いる水戸の天狗党浪人隊が、尊攘の心情を京都にいる一橋慶喜に訴えるため上洛の途についた。中山道の要所でもある下諏訪宿は藩主忠誠が幕閣入りしていたこともあり激戦の場となり被害も大きかった。この戦いを和田合戦・砥沢口合戦・樋橋戦争と呼ぶ。戦いの後、千草山のふもとに亡くなった浪士を改葬し塚を作ったこれが浪人塚で当時は戦死塚といった。
撮影場所 | 砥沢口 |
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色調 | カラー |
所蔵者 | 西村氏 |
参考文献 | 徳本上人名号塔 下諏訪町誌 中巻 734-755p 下諏訪町誌 民俗編 756-759p |
地区コード | 樋橋 |
管理番号 | 2439 |
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カテゴリ名 | 神社・仏閣・史跡 |
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