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登録リスト(該当:25件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
舟道
山の手を通る甲州街道から高まま(高浜)の入り江の舟止(ふなと)へと下りる舟道(小路)に沿って半農半漁の村が形成された富部地区(第10区)。現在は旧国道(県道)と鉄道(JR)、国道20号線、により舟道は分断はされているがその面影は現在も残っている。
2023-07-09
2
博愛館
自由民権運動・青年会の活動が活発になった明治の時代、活動の拠点となる場所を求めるこえが強くなり、他の地区でも新しい集会所が次々に建てられた。神風社(青年会)の建議を受け明治40(1907)年5月に落成した。総工費1343円、全額区民95戸の寄付金で賄われた。 現在建物はなく駐車場になっている。
2021-12-23
3
中山道一里塚(五十五里塚)
下諏訪町には、一里塚が4か所置かれていた。甲州道中の53里塚(富部)、中山道の53里塚(西餅屋下)、54里塚(町屋式上)とこの写真の55里塚である。かつては街道両側に塚や根張りの良い木が植えられていたが、現在は標石が建てられているばかりである。
2021-08-03
4
梶原塚
平安末から鎌倉時代の初頭に活躍した下社大祝・金刺盛澄の命の恩人、梶原景時を祀ってある。供養のため宝剣を埋めて塚を造り、祭事の絶えないようにと田地を寄進し上座堂が建てられていたらしいが、その後何度か場所が移り、現在は菅野町会館の入り口に祀られている。富部から分かれた鎌倉道が近くを通っていたと町誌には書かれている。また、梶原田の地名も残っているという。
2021-06-10
5
甲州道中一里塚(五十三里塚)
富部にある甲州道中一里塚。江戸日本橋から五十三里、甲州道中最後の一里塚である・ここから十余町(およそ1㎞余)で下諏訪宿に至り、綿の湯前で中山道に合流する。
2021-06-03
6
旧博愛館前で記念撮影
富部地域の脱穀風景。現在の公民館駐車場。富部公民館は庄屋をつとめていた津金家の屋敷があった。
2022-05-24
7
鎌倉街道
小湯の上に残る鎌倉街道。現在「鎌倉街道」(鎌倉道)は諏訪市大和から高木集落の下を通り富部・武居・下の原・慈雲寺裏を経て砥川を渡り、東山田など、町周辺の山付きの村の標高の高いところを通り、ところどころに道筋を残している。
2020-03-06
8
山岡氏
山岡操氏。製糸を始めた富部(十区)の士族。 山岡家には立派な屋敷図と城壁のような石垣が残っている。また山岡氏は明治6(1873)年3月に大小区政が敷かれた時、第十三大区小五区の戸長も務めた。
2020-03-06
9
むらの語り部
写真は「村の歳時記(全4巻)」著者。「ワープロで本の原稿を進める85歳」今井久雄氏。「村の歳時記」は明治・大正・昭和の下諏訪町の民族・歴史について書かれている。今井久雄氏は明治37年富部に生まれ、旧制諏訪中学校を中退した後、自宅の養蚕業に従事した。その後、下諏訪町青年会長、教育委員長、公民館長などを歴任した。
2020-03-06
10
消防組組頭就任記念写真
下諏訪各地区に私設消防組が置かれたのは明治20(1887)年、富部の若者組有志がポンプを購入してからのことである。その後、明治27(1894)年に町内を4区に分け「下諏訪組」が設置された。戦中の「警防団」を経て戦後、昭和22(1947)年に「消防団」となり活動内容の整備も行われた。写真の時は「組頭」が消防のトップで高木十吉氏は最後の「消防組頭」。(戦中は「警防団長」戦後は「消防団長」と呼ばれるようになった。)下諏訪巡査駐在所の前にて高木組頭就任記念写真。
2020-03-06
11
田植え
トラクターによる代掻きの様子。昭和42年撮影。
2020-03-06
12
田植え
田植え風景。昭和42年撮影。
2020-03-06
13
代掻き
人力による代ふみの様子。富部下字浜辺。昭和42年5月撮影。
2020-03-06
14
鎌倉街道(若宮下)
若宮墓地下の鎌倉街道。鎌倉街道は小田野から慈雲寺・来迎寺を経由して富部若宮下を通り高木へ抜けている。比較的原形を止めている小田野も社が丘団地の開墾でなくなり、富部若宮下のこれが町内唯一の鎌倉街道になった。
2020-03-06
15
山岡操家の石垣
富部の士族山岡操家の豪壮な石垣。
2020-03-06
16
高浜田園
人力による昔ながらの田植え。
2020-03-06
17
高浜田園
ハンドルトラクターによる代掻き。
2020-03-06
18
高浜田園
富部の高浜田圃の人力による代掻き・しろふみと田植え。
2020-03-06
19
鷹匠の家 岡村家
富部の岡村謙吾氏宅。
2021-04-15
20
鷹匠の家 岡村家
富部字本郷、岡村家(現 謙吾氏)。 左が客室で右が居間である。
2020-03-06
21
鷹匠の家 岡村家
鷹匠の家 岡村家。諏訪藩の鷹匠であり、天竜道人も出入りしたという、富部字本郷の士族岡村家(曲屋まがりや)。左が客室、右は居間。
2020-03-06
22
航空写真 関屋 富部
上空から見た、富部(下諏訪町第10区)。上の方に関屋団地が見える。
2020-03-06
23
下諏訪町遠望
富部の山の手から撮影。国鉄(現JR)との立体交差の始まった冬。立体交差は昭和32(1957)年5月20日開通式を行う。写真手前家並みは中山道。その上側に農耕地が広がり写真右に土田墓地、駅構内の線路、駅の手前にダイヤ豆腐の工場、画面左端には下諏訪小学校の講堂と思われる建物が見える。写真中央を中央線と国道20号線沿いの家並みが線状に見えている。遠く水田地帯、砥川、長地の集落と思われる風景が続く。
2020-03-06
24
勤労奉仕
富部青年団神風社(しんぷうしゃ)秋の勤労奉仕、稲刈り作業。 (富部千代田ポンプあたり)。
2020-03-06
25
勤労奉仕集合写真
富部青年団神風社(しんぷうしゃ)秋の勤労奉仕、脱穀作業後の集合写真。
2020-03-06
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1
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