中世における諏訪明神最大の祭りは、8月27日を中心とした御射山祭だった。霧ヶ峰の一角、八島高原の東に続く旧御射山で祭事が行われ、信濃・回の武士は言うに及ばず、鎌倉幕府はじめ各地の武将たちが集まり神事の後武技を競い合った。旧御射山社前にその競技場跡があり、土段の桟敷席が残っている。しかし社が遠距離の所にあり道も険しく不便と慶長(1596~1615)の頃、秋宮から4キロの武居入りに遷座したのが現在の御射山社(写真)である。御射山祭は今、幼児が洲小山に育つことを祈る祭りとなり、8月26・27日の例祭には2歳の幼児とともに参拝するのがこの地の習わしになっている。
写真下は同じ境内にある大元尊社である。
撮影場所 | 御射山社 |
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撮影年月日 | 平成30年代 |
色調 | カラー |
所蔵者 | 矢澤進一 |
地区コード | 下諏訪町 |
管理番号 | 68 |
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カテゴリ名 | 神社・仏閣・史跡 |
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