万治の石仏
昔、近在の人々は「浮島の阿弥陀様」と言いお参りをしていた。(№558で下ノ原の念仏講が行われていたころの写真を合わせてみていただきたい。)
江戸時代五代藩主忠林(ただとき)が、各村に命じて画かせた諏訪藩主手元絵図(東山田の図)には「えぼし岩」とある。また三代藩主忠晴が春宮の大鳥居建立の時、石工がノミを入れたとき血が流れ出たので阿弥陀如来を掘り祀った話も残されている。この石仏が世に知られるようになったのは故岡本太郎画伯が絶賛してからと言われる。「万治の石仏」の呼び名もそのころからと言われる。一方年号や願主の名が彫られていることや胸にみられる太陽・月・雲などの模様や逆卍などから江戸初期の木喰弾誓上人とも関係があると考える人もいる。
撮影場所 | 万治の石仏 |
---|
撮影年月日 | 平成20年代 |
---|
色調 | カラー |
---|
所蔵者 | 矢澤進一 |
---|
参考文献 | 生涯学習ガイドブックわが町下諏訪歴史52p |
---|
地区コード | 大門 |
---|
ハッシュタグ (キーワード) | |
---|
ライセンス | 表示(BY) |
---|
投稿者 | しんちゃん |
---|
同じキーワードを持つ記事
春宮・筒粥殿
春宮境内の若宮社と上諏訪社
春宮境内の子安社
春宮境内の御宝殿用材
下馬橋
浮島・夏越の大祓
浮島社
筒がゆ神事
長持ち
下馬橋
お舟祭り
遷座の列
下の原の幟立て
春のあわ雪の中の万治佛
消防団訓練
筒がゆ神事
浮島社
万治の石仏 下の原念仏講
官弊中社諏訪神社下社春社
下馬橋
下馬橋
下の原長持
長持勢揃い
春宮葺合祭下の原長持連
長持記念写真
大門通り下馬橋~春宮
下馬橋とさわら並木
春宮前大門通り大正末期