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登録リスト(該当:10件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
和田峠の切通し工事
明治28(1895)年8月(明治10年掘削の峠の)頂上を掘り下げて新道(現142号線)を作った。明治27(1894)年からの改修が始まりこの工事は丁場を分割し多くの作業員が入った。工事はレールを布設しトロッコによる土砂運搬が行われ工事効率も上がった。トロッコによる作業員は松本監獄から出張してきた人々だった。写真は上田から来た写真師の撮影によるものです。
2023-04-15
2
荷馬車
この写真は和田峠を越えて戦後の買出し風景。荷馬車で荷を運搬、荷車の端に信号が写っている。また、はっぴの襟に高木石工場の文字が読める。
2020-03-06
3
運送馬車
荷馬車による配水管の運搬。 昭和2年注連掛付近にて写す。
2020-03-06
4
繭の運搬風景
軽トラックで中国産の繭を町内倉庫から岡谷の工場へ運ぶ国用製糸業者。国内の繭生産量は昭和12(1937)年をピークに減少、平成元年当時、中国、北朝鮮などから年間約1,500トン輸入しており、この製糸業者も、10年ほど前から入れ始めた中国繭が、今では主体になっているという。「諏訪湖の町の平成元年」の撮影メモから、緑町の斉藤製支店前の撮影と思われる。
2020-03-06
5
製糸工場
倉庫から運ばれてきた繭とそれを選別している様子。
2020-03-06
6
東俣の木材搬出
東俣の木材搬出。№695・696・698参照。
2020-03-06
7
東俣の木馬と木馬道
観音沢の木材搬出の様子。林嘉平・河西直人氏等5名が東俣料林から払い下げをうけ、モミ・サワラ・雑木などを木馬道(キンマミチ)を木馬(キンマ)で引き出し、主に深川の材木屋に搬出した。町内でも30~40軒家が建ち、嘉平方の土蔵もこの時のモミ材で建築。諏訪電気会社もこの材で建てた。 №696.697・698参照。
2020-03-06
8
省営バスによる薪炭の搬出
省営バスで和田嶺方面の薪炭を搬出する状況。その頃は、バストラで客貨輸送をし、和田嶺方面の薪炭を搬出した(下諏訪国鉄自動車営業所前撮影)。荷台の上には薪が、その上に炭俵がつまれている。
2020-03-06
9
春宮大門先大鳥居建立
この写真には「明治25(1892)年春宮大門先に建てる銅(からかね)鳥居を塩尻峠経由で到着させるとこ」と裏書あり。春宮大門先へ銅鳥居が建つ(明治25(189)2年)。大鳥居建設落札者河西準之助、河西寅吉と鋳造者小島大二郎(上田市)の三氏が礼服乗馬で指揮して、その部品を荷馬車で和田峠越えが困難なために保福寺峠を迂回して松本・塩尻峠経由で運んだという。
2020-03-06
10
製糸の町岡谷の鉄索
塩尻峠を越えて岡谷まで西条炭を運んだ索道。 塩尻まで汽車で運ばれ、それを岡谷の製糸工場へ運ぶためにリフトを使い塩嶺峠を越えた西条炭は、東筑摩郡会田村・本城村等で産出するものだった。 岡谷は明治22(1889)年が最初で、輸送は馬・車便だったが、明治36(1903)年、篠ノ井線が塩尻まで開通したのに伴い塩尻から岡谷市間下に鉄索を架設し、明治37(1904)年運転を開始した。しかし、明治42(1909)年に中央線の全面開通により常磐炭等が移入され、西条炭は役割を激減した。
2020-03-06
≪
1
≫
運搬(4)
荷車(2)
東俣(2)
観音沢(2)
木馬(2)
木材運搬(2)
東俣料材(2)
繭(2)
袋(2)
荷馬車(2)
製糸業(1)
石炭(1)
西条炭(1)
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春宮大門(1)
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省営バス(1)
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