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登録リスト(該当:5件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
久保街道石碑群
久保街道、サトーニットの北側の道を北の方にもぼっていくと、石仏や石碑を集めた一角がある。御柱に囲まれて、ひときわ大きな秋葉大権現の石碑と並んで、蚕玉神、道祖神、二十三夜講などの石造物が所狭しと置かれている。古くは近くにお堂があったと言われている。これらの中には、男根を模した石柱に道祖神と刻み込まれたものもあり、古く先人の信仰の姿を知ることができる。
2021-06-03
2
下諏訪町東国民学校
校門の右の石柱に「下諏訪町東国民學校」、左の石柱に「下諏訪青年學校」「下諏訪實科高等學校」とある。 東国民學校はそれまでの下諏訪尋常高等小學校から昭和16(1941)年に名称変更されている。下諏訪青年學校は昭和10(1935)年に下諏訪實業補習學校と青年訓練所が統合して設立している。下諏訪實科高等學校は大正15(1926)年に通年性補習學校から改称されている。写真は昭和16(1941)年に東国民學校となったときに門柱の名札が付け替えられたとき撮影されたものと推察する。
2023-02-26
3
秋宮境内の犬射馬場石碑
「當社之犬射馬場(とうしゃのいぬいばば)」と刻まれている。 犬射馬場石柱が下社秋宮境内の秋宮一の柱の脇にもある。犬射馬場とは大祝の居館(神殿:ごうどの)につづく錬武の場であり、「諏訪大明神絵詞」にもお舟祭りの後に馬場で犬追物をして祭りが終わったことが記されている。馬場(ばっば)の名称としてその名残を留めその四囲にも石柱が残されている。
2020-03-06
4
久保秋葉大権現
撮影の日付と「犬射馬場石柱」と説明がある写真であるが、サトーニットの裏にある久保秋葉大権現の周りの石碑群にあるではないかと思われる。(男根に模した石柱に道祖神と刻まれたものがある)
2020-03-06
5
奈良屋呉服店
明治前から大正まで続いた下諏訪の老舗、増沢市郎兵衛の奈良屋呉服店。屋号を染め抜いた店頭の、日よけのれんが当時の特徴。(明治年末の撮影)写真下に「信陽諏訪下諏訪友五(之)町奈良屋呉服店」とある。 なお明治25(1892)年7月には、友之町増沢市郎兵衛(奈良屋呉服店)が局長となり、同家の上隣りの別宅へ(石柱が見えている)郵便局が旧本陣岩波家より移り、翌26(1893)年に電信局が併設されていた。
2020-03-06
≪
1
≫
道祖神(3)
秋葉大権現(2)
石柱(2)
石碑(2)
奈良屋(1)
友之町(1)
暖簾(1)
呉服店(1)
阿部奈良屋(1)
石仏群(1)
久保(1)
石棒(1)
犬射馬場(1)
秋宮(1)
馬場(1)
犬追物(1)
下諏訪中学校(1)
下諏訪小学校(1)
下諏訪尋常高等小学校(1)
下諏訪青年学校(1)
下諏訪実科高等学校(1)
蚕玉神(1)
石仏(1)
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