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登録リスト(該当:28件)
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写真
タイトル
説明
登録日
1
継子神7 地図
本地図は参考文献にあげてある「継子神と矢木の里」を出典とする。同文献の記述によると「今から三百二十年ほど前(延宝元年)の下ノ原集落図には、奥城と思われる位置に「ママコガミノ木」と記されている 。それから二百年たった明治八年の集落図にもその大木が図指され 、「 御維新につき村にて伐る 」とある。「 下の原誌」にはこれを三両三分で売却したとあるから 、よほどの大木であったことがわかる 。この一連の記録から 、この頃まだ奥城をしのばせる森もあって 、塚守のように 大木がたっていた景を考えるのが自然のようである。」
2023-04-01
2
マツムシソウ解体図
マツムシソウ(マツムシソウ科)松虫草 蕾~開花~果実 霧ヶ峰観察記録 2013.8.22 ※マツムシソウは周りの舌状花から開き、その内側の筒状花から、そして中心部分からも順次開花する。舌状花は上唇は小さく2裂、下唇は大きく3裂。筒状花も雄しべ4本 ※名前の由来は巡礼が家々を回り、鐘をたたいてお布施を乞うた。その鐘を昔から松虫と呼んで、果実の形が似ていることから。 もう1説は、マツムシが鳴く頃咲くので。 ※2年草で、当年の花の咲くものを移植しても、もう花は咲かない。
2021-11-11
3
サクラあれこれ
桜あれこれ 2012.5.12林業センター 上より。 ・かたおかザクラ(片丘桜) 花弁数:5枚 カスミザクラの栽培品。幼木でもよく花をつける、塩尻市片丘で見つける。樹高4mほど。 ・しょうげつ(松月) 花弁数:20~30 サトザクラの栽培品種。明治期の荒川堤から広がった。名前の由来は不明。 ・楊貴妃 花弁数:15~20 サトザクラの栽培品種。奈良の興福寺にいた玄宗という僧侶が庭の桜に愛情を注いだことから、その桜を「楊貴妃」と呼ぶようになったといわれる。 ・紅玉錦 ・フゲンゾウ(普賢象) 20~50 サトザクラの栽培品種。2本の雌しべが葉化し、これを歯、八重の花弁を鼻と、普賢菩薩の乗る白象に見立てた。 ・北鵬 ・普賢象 ・かんざん(関山) 花弁数:20~50
2021-11-02
4
八島ヶ原湿原の鹿
多大な鹿の食害で、侵入防止フェンスが今は設けられているが、過去貴重な記録写真。
2021-10-15
5
春宮境内の御宝殿用材
諏訪大社の神様は、諏訪大社式年造営御柱大祭、いわゆる御柱年に修築の神殿にご遷座になる。この建築用材は下諏訪町東山田地区が奉納することになっていて、写真はその御用材の一部が春宮境内に展示されているところである。室町時代の記録では、新築の宝殿を7年間風雨にさらし清めてから遷座し、旧殿を解体新築、また7年を経てから遷座、という形式だったとされているが、江戸時代に入ってから新築した建物にご遷座するように変わったという。
2022-03-24
6
下馬橋
御手洗(みたらし)川に架けられた屋根付きの反り橋で、その形から俗に太鼓橋ともよばれる。天正(1578)年の造営帳に記録があると言い、元文年間(1736~41)に修築したと伝わる。切り妻造りで簡素な内にも力強さを具えている。下社の内で最も古い建造物とされている。昔はここで下乗・下馬・籠や馬から降り、身を清めて参拝した。大社の遷座祭の時には、神の御神輿に限ってこの橋を渡る。現在は一般庶民が堂々と車に乗って昔の参道を行く姿を見ると時代の流れをつくづくを考えさせられる。
2022-03-24
7
明新館
第一区明新館。春宮大門に面しているので、古い写真に様々な形で記録が残されている。「明新館」で検索しその変遷を見ていただきたい。
2022-03-24
8
若宮神社(五官)
諏訪大社下社の末社の一つ。祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)と八坂刀売命(やさかとめのみこと)との御子、十三神、天照皇大神が合祀されている。鎮座のはっきりした記録はないとされている。明治5(1872)年11月、社格を村社とされた。社殿のすぐ下に鎌倉街道が通っていたと伝えられ、整備が地元の有志によって進められている。 写真上は社殿、写真下は旧甲州海道脇に立つ若宮神社入り口の石標である。
2021-06-03
9
三協精機野球部
三協精機の野球チームは昭和36(1961)年から昭和50(1975)年まで都合9回「都市対抗野球」に信越代表で出場している。特に昭和46(1971)年の時は準決勝まで進出し、ベスト4に入っている。また、昭和49(1974)年の第一回全日本社会人野球選手権大会では優勝し、ダイヤモンド気を手中にしている。この時三協のエース大塚は9回2アウトまでノーヒットノーランを記録していた。惜しくも9回2アウトからヒットを許し大記録はならなかったが4-0の快勝であった。監督は光沢監督であった。写真は場所、年月も不明だが、応援の様子から後楽園球場の都市対抗の一場面と推察する。
2022-02-24
10
清水町赤砂の合同綱打ち
清水町赤砂の綱打ち。昭和43年の清水町赤砂合同綱打ちの記録と思われる。
2022-05-08
11
片倉製糸の運動会
昭和10年頃の写真で、片倉製糸の運動会と記録されている。写真右下のオルガンに合わせて若い女性(女工)が裸足で集団演技をしている。万国旗の中心に飛行機の模型がつるされ、垂れ幕には「皇国興廃此一戦在女□□子一層奮励努力せよ」(日露戦争の時の日本海海戦時のスローガンをもじっている)と書かれ、戦時色が色濃く出ている。
2022-06-09
12
出征兵士を送る
秋宮境内、沢山の幟旗が立つ、出征兵士を送る光景。15年戦争(満州事変・日中戦争・太平洋戦争)で戦死した町民は533名と記録がある。(町政要覧より)
2020-03-06
13
下諏訪町役場住民課
町役場住民課窓口。住民記録(住民登録)と印鑑証明の業務は、前年4月から諏訪広域情報センターとオンライン化されている。この年は印鑑登録のI.Dカード化が行われた。
2020-03-06
14
第一回諏訪湖マラソン
第一回諏訪湖マラソン。湖1周16.7kmのコースで4グループに分かれて行われた。最高記録はゼッケン1番、伊藤国光選手(招待選手)の52分07秒。主催は諏訪圏健康推進協会。ちなみに平成30(2018)年の第30回大会では8000人が参加、日本陸連公式ハーフマラソンコースとなっている。
2020-03-06
15
砥川の川遊び
連日の猛暑、浮島付近の河原に涼を求める人たち。この日の最高気温は31.8度、前日は32.1度でこの夏の最高となった。当時、諏訪測候所が記録した最高気温は昭和22(1947)年8月13日の35.3度二番目は翌日の34.6度。
2020-03-06
16
りんごの樹の剪定
リンゴの剪定作業。湖からの寒風をついてりんご(つがる・ふじなど)の樹の剪定作業、下諏訪町のりんご栽培は明治39(1906)年北海道から取り寄せたナルコ・国光の苗木を、砥川扇状地へ植え付けたことに始まると記録されている。。
2021-03-27
17
東餅屋
和田峠を越える古峠道(江戸時和田峠は餅屋峠とも呼ばれていた)慶応五年の記録では中山道で樋橋上のほうろくから山かげを通ると東餅屋があった。東餅屋は五軒の茶屋があった。現在、茶屋跡には一軒のドライブイン意外建物はなく石垣によって区分された屋敷跡にはカラマツが植えられている。
2020-03-06
18
赤渋山林道の橋梁施工
昭和6(1931)年1月21日、失業者救済のため砥沢林道開削の件が上提された。国道142号線桶橋分岐砥沢山内、車道3000m巾3.7mである。写真裏には「赤渋山林道橋梁竣工記念(昭和11・7・8写)」と記録されているが、写された風景は雪景色である。撮影年月日は不明としておく。なお砥沢橋は昭和30(1955)年の完成である。
2020-03-06
19
蕉鹿庵前の酒宴
写真は大正15(1926)年10月31日撮影、水月会が蕉鹿庵の前で観楓会を開いた時のもの。写真裏に右から中村春吉、中村尚(其梅)、吉沢兼之助(晩雪)河西庄三郎、中村卯一郎(如佛)、中村橲一、中村茂重(柳月)、浜平三郎(木章)、林巻平(渓月)中村牧五郎(梅屋)と名前が記録されている。 大正4(1915)年天龍道人壱百年忌記念事業にあたって慈雲寺庭前に天龍道人の詩碑を建て、遺墨展を開いた。この時、水月園の正岡子規碑左手にの観月堂のある平の一角に蕉鹿庵を茶室として建設した。8坪ほどの茶室風の建物で、句会やお花見などに利用されたが、昭和25(1950)年の台風により倒壊し除去された。 ちなみに焦鹿というのは天龍道人が愛用した「焦鹿」という言葉に由来している。。
2020-03-06
20
萩倉の百合畑
萩倉上の百合畑。昭和20(1945)年終戦後「リンドウ」が出荷用花卉として取り上げられてから町内にはキク、カーネーション、ユリ等が導入され、町の出荷農産物として重要な地位を占める時もあった。しかし昭和40年代にはブームが去り一部の堅実な栽培がおこなわれるだけになっていた。写真の記録された昭和42(1967)年の記録を見ると、その中で萩倉東俣のユリは栽培者8名・栽培坪数2440坪で最も盛んであった。
2020-03-06
21
記念写真秋宮
下社秋宮鳥居前。手水舎が八幡坂側にある。何の記念写真かは記録がない。
2020-03-06
22
ガソリンポンプ車新調
下の原で寄付金で購入したガソリンポンプ。大正7(1918)年10月27年、下諏訪町消防組で秋季演習のさい、森田式ガソリンポンプ(25馬力)新調の披露式を挙げる。諏訪地方最初のガソリンポンプであった。御田劇場の向かい合いに、ポンプ置き場を新築する。写真で見る下諏訪の百年には「組頭の伊藤玉蔵が中央に見えることから大正9(1920)年3月から11(1923)年5月の間のものであろう」と書かれている。 写真の裏書には大正15年12月15日と記録されている。
2020-03-06
23
御柱伐採記念写真
昭和6(1931)年5月2日春一の御柱伐採。 この木は目通り周囲3.82mの太さだったと記録に残され上下社を通して歴代3位の太い柱だった。 大正2(1913)年の申し合わせ以来春一の伐採は第一区(下の原)が担当している。
2020-03-06
24
学校プール合宿選手
日本水泳連盟公認の認定証。総和38(1963)年8月1日施工と記録されている。
2020-03-06
25
学校プール合宿風景
完成と同時に合宿に来た選手たちと黒田町長はじめ町関係者。 福島滋雄選手と思われる。福島滋雄は身長181cmの長身のスイマーで、200M背泳ぎで2分16秒1の世界記録を樹立したり、日本選手権で1962年から1968年まで7年連続優勝したりしている。
2020-03-06
26
諏訪湖一周スケート大会
明治38(1905)年中央線開通とともに在京中の各国大公使が盛んにスケートに来湖するようになった。 第1回諏訪湖一周スケート大会の模様を記録した写真、背後に中央線を走る汽車も見える。 明治41(1908)年2月2日、下諏訪町諏訪湖氷辷会主催、南信日日新聞社後援「諏訪湖一周氷辷大会」が諏訪湖高浜湾氷辷場を基点に花岡・上諏訪の三角コースで行われれた。日本初の「スピード競技大会」で、大成功を収めた。この日は東京方面から団体客が乗り込み、東京大新聞記者が多数乗り込んできて、大変な賑わいであった。
2020-03-06
27
出征軍人家族慰安会に於ける青年団仮装演劇記念写真
出征軍人家族の慰安のために青年団で仮装演劇を行った。演劇は御田劇場などで開かれた。これは、3区公民館(現青雲館)において写された記念写真。 「昭和十七年 出征軍人家族慰安會記念 六月」と写真に記録されている。
2020-03-06
28
中学校横の土砂崩れ
昭和40(1965)年5月下諏訪中学校第2体育館横災害記録写真。 下諏訪中学校第二体育館横の土砂崩れの様子。
2020-03-06
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