萩倉の百合畑
萩倉上の百合畑。昭和20(1945)年終戦後「リンドウ」が出荷用花卉として取り上げられてから町内にはキク、カーネーション、ユリ等が導入され、町の出荷農産物として重要な地位を占める時もあった。しかし昭和40年代にはブームが去り一部の堅実な栽培がおこなわれるだけになっていた。写真の記録された昭和42(1967)年の記録を見ると、その中で萩倉東俣のユリは栽培者8名・栽培坪数2440坪で最も盛んであった。
撮影場所 | 萩倉 |
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撮影年月日 | 昭和42年 |
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撮影(西暦) | 1967年 |
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色調 | 白黒 |
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大きさ | 9.6*12.9 |
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所蔵者 | 博物館 |
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参考文献 | 下諏訪町誌下巻 360p |
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地区コード | 萩倉 |
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