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登録リスト(該当:5件)
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1
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写真
タイトル
説明
登録日
1
桜城跡
築城の時代と居城した人については不明であるが、古くから「下社の大城」と呼ばれていたところから下社大祝の金刺氏の城であるとみられる。秋宮横の霞ヶ城が戦争に耐えきれないときには本城として使用したと思われる。
2023-07-09
2
山吹城
諏訪大社下社の大祝であった金刺氏によって築かれた城とされている。金刺氏の居城は、下社秋宮の背後に築かれた桜城とされていたため、山吹城は、有事の際の詰め城とされている。前方に小城があり、後方に本城である大城が構えられていた。築城時期については定かでない。
2023-07-09
3
武居祝家のかり墓
諏訪明神の神官には「物忌令(ぶっきれい)」という厳しい掟の為、式年の御柱年に一族に不幸があった場合は家塁代(るいだい)の墓には納めず引導もせずに、かり墓に入れ穢れがないものとして御柱祭に奉仕し、その後本墓で本葬を営むことなっていた。その墓はごく狭くわずかに弓を回した内と決められていた。ここは、大祝、武居祝金刺氏のものだ。墓の場所は富部上の字「角石(かどいし)」にあり、今は荒れ果ててしまった。
2021-12-23
4
矢木町会館と矢木神社
矢木町会館と矢木神社。かつてはこの西の春宮大門通り一帯は矢木の馬場と呼ばれ、金刺氏一族が流鏑馬を競ったところだと伝えられている。武田信玄はその儀式の断絶を惜しみ、再興のために舞童に対して装束を寄進しているという。
2022-03-24
5
旧武居祝邸
旧武居祝邸。武居祝は金刺氏滅亡後下社の神事を引き継いできた。近くには武居恵比寿社、内御霊戸社、外御霊戸社、御室社、八坂社などの社があり、諏訪大社や武居祝とのつながりが見られる。また、武居祝の屋敷地跡には、邸内に湧き出ていたといわれる清水の跡や、馬小屋があったといわれる場所、大広間のあった母屋跡、宝蔵跡、稲荷社などを訪ねて歩くことができる。
2020-03-06
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