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登録日順
登録リスト(該当:151件)
≪
1
≫
写真
タイトル
説明
登録日
1
3D木落社
諏訪神社摂社の一つで、名のように御柱木落としの坂の脇に祀られている。
2024-06-11
2
根(寝)入りの杉
下社秋宮境内に、周囲を石の玉垣(たまがき)に囲まれた杉の大樹がある。この杉は御柱に根が生えて生長したとか、弘法大師(こうぼうだいし)が参拝に来られたとき、境内に立てた杖に根が生じて生長したとも杉の挿し木に根が生えたとも伝えられている。 一説には、杉の木の枝が垂れ下がっていて木が寝入っているように見えることや、夜中になるとさらに枝を垂らして鳥居を枕にして眠り、時には寝息やいびきが聞こえることがあるといわれることなどから「寝入りの杉」ともいわれている。また、その威容(いよう)から「お宝木」ともいわれる。 この杉の木の皮をいただいて、夜泣きをする子どもの枕の下に置くと、子どもはよく眠るようになるとか、落ち葉を煎(せん)じて飲ませると子どもの夜泣きが止むともいわれている。
2023-12-03
3
中央線紀行号
停車する快速「中央線紀行号」と御柱の引き綱
2024-01-25
4
敬愛社の御柱2
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
5
敬愛社の御柱
7年目ごとに行われる大祭。申と寅年の10月に執り行われる。以前は丁使番の家を宿としていたが、昭和43年から宝光院で行われるようになった。 白鷺稲荷の御位をはじめ、一山の諸神諸仏の像、掛け軸、法具等を山伏姿の講員が奉持し、数十人の行列を整えて宝光院を出発、法螺貝を先頭に区内を一巡して白鷺山に登り、山上で柴灯護摩を焚いて祈願する。なお白鷺稲荷、石尊大権現、宝光院の弥栄富神社など主な社には御柱を建てる。
2023-09-29
6
高札場
旧派出所(後御柱モニュメント)跡の「高札場」と「中山道」。
2023-07-16
7
顔ハメパネル設置
下諏訪観光協会は令和4(2022)年4月28日、下諏訪向陽高校3年生3人がデザインした顔ハメパネル3種類を町内3カ所に一基ずつ設置した。前年の中高生による模擬議会「しもすわ未来議会」で提案されたことがきっかけで実現したもの。パネルの大きさはいずれも180センチ四方、スチール製で生徒のデザイン画を拡大印刷している。JR下諏訪駅には下社里引きに合わせて行われる騎馬行列や長持ちのパレードが、おんばしら館よいさには御柱祭木落の場面が、しもすわ今昔館おいでやには秋宮境内のデザインが画かれている。
2022-05-21
8
御騎馬行列の豆人形
この作品は御柱祭里曳の神賑わいのパレードで披露される騎馬行列を再現した豆人形です。人形は2013年に他界した故田中とくさん(下諏訪町富士見町)の作品です。旧制高等女学校で手芸などを学び、若かりし頃の恩師の教えを受けて製作。人形は15~20cmほどの大きさ、「騎馬大将」「曲傘」「草履取り」「先ほこ」「旗持ち」「長持ち」など38体が並んでいます。
2022-04-20
9
棚木場
雪の棚木場の風景。 御柱祭山出しは、下諏訪町東俣大平の棚木場から曳行を始めます。
2022-01-24
10
国道142号線の通行止め
令和3(2021)年13日から15日にかけての大雨の影響で、新町上の国道142号線の路面が一部陥没し通行止めとなった。町は道路崖下の約40世帯に避難指示を発令した。陥没地点は来迎寺と慈雲寺の中間で、西側が崖、道路下は大久保沢が流れている。町によると陥没は縦約5m、横約6m、深さ約5mだという。崩落は15日朝から始まったとみられ、町には午前7時50分頃「歩道の一部が陥没している」との通報があったという。同8時30分から通行止めとなり、9時15分位は崖下の新町下と東町下の一部地域約40世帯約80人に避難指示が発令された。このうち20世帯47人は町が用意した町内の宿泊施設に避難し、残りは親戚等の家に避難した。復旧工事は令和4(2022)年の御柱祭の前には完了したいとしている。
2021-11-10
11
祝神稲荷社
富部村本郷に祀られた、村内・宮坂巻の「祝神(いわいがみ)稲荷社」。 昭和61(1986)年の御柱祭の後不慮の禍で無残に倒壊折損した。 鳥居には長い由緒があり、富部村中のの信仰に深いつながあった。
2021-12-23
12
藤森稲荷社
富部稲荷平にある小和田村藤森巻祝神の稲荷社で「小和田のお稲荷さま」と呼び富部村の人々に親しまれていた。 高島藩の藩主より諏訪湖の漁業とこの辺りを網干場として拝領し、藤森巻20軒ほどの守り神として稲荷社を祀った。 今は小和田の所有の畑はないが社は藤森巻で祀っている。御柱祭も旧慣にしたがい湖上を舟で曳いてくる。
2021-12-23
13
武居祝家のかり墓
諏訪明神の神官には「物忌令(ぶっきれい)」という厳しい掟の為、式年の御柱年に一族に不幸があった場合は家塁代(るいだい)の墓には納めず引導もせずに、かり墓に入れ穢れがないものとして御柱祭に奉仕し、その後本墓で本葬を営むことなっていた。その墓はごく狭くわずかに弓を回した内と決められていた。ここは、大祝、武居祝金刺氏のものだ。墓の場所は富部上の字「角石(かどいし)」にあり、今は荒れ果ててしまった。
2021-12-23
14
木落坂上
御柱を東俣から注連掛まで曳きだす祭りを「山出し祭」と言っている。その最大の難所が木落し坂で、100mの急坂を曳き下ろす「木落」では、命知らずの若者が御柱の先端に競って乗り、木やり唄に続いて、轟然たる地響きと共に一気に下るありさまは諏訪人の血を湧かす場面である。坂の脇には「木落し社」が祀られている。現在は坂の上には模擬御柱が坂を覗くように置かれている。
2022-03-24
15
春宮境内の御宝殿用材
諏訪大社の神様は、諏訪大社式年造営御柱大祭、いわゆる御柱年に修築の神殿にご遷座になる。この建築用材は下諏訪町東山田地区が奉納することになっていて、写真はその御用材の一部が春宮境内に展示されているところである。室町時代の記録では、新築の宝殿を7年間風雨にさらし清めてから遷座し、旧殿を解体新築、また7年を経てから遷座、という形式だったとされているが、江戸時代に入ってから新築した建物にご遷座するように変わったという。
2022-03-24
16
御柱館よいさ
春宮の南、砥川沿いに諏訪の祭り(御柱祭)文化に触れる空間として、「おんばしら館よいさ」が開館している。140インチの大画面で描く御柱映像、御柱経路模型、騎馬行列の衣装や道具の展示、長持ちの展示、さらに木落し体験ができるコーナーも設置されている。
2022-03-24
17
高札場跡
最初高札場は問屋場跡(綿の湯跡)にあったが、友之町境のこの場所に移っている。明治以後は警察関係の分署だった。その後、御柱モニュメントパークだったこともあるが、現在は「八幡坂高札ひろば」となっている。
2022-03-19
18
白鷺山
宝光院(敬愛社)の「お山」とされている。古くから修験の場で、古く山上の岩に不動の二字を刻んで本尊とし、安永6年に石尊大権現を還座したといわれる。のち高島藩家老千野家の庇護を受けながら白鷺稲荷大明神を祀ったり、文政9年(1826)には山の中腹に大日如来・阿弥陀如来・観世音菩薩を祀って熱心に修業したと伝わる。急峻な山道沿いにたくさんの神仏碑が祀られており、現在でも敬愛社の社員が御柱の年にこの白鷺山山頂で紫灯護摩が行われている。
2021-06-23
19
久保街道石碑群
久保街道、サトーニットの北側の道を北の方にもぼっていくと、石仏や石碑を集めた一角がある。御柱に囲まれて、ひときわ大きな秋葉大権現の石碑と並んで、蚕玉神、道祖神、二十三夜講などの石造物が所狭しと置かれている。古くは近くにお堂があったと言われている。これらの中には、男根を模した石柱に道祖神と刻み込まれたものもあり、古く先人の信仰の姿を知ることができる。
2021-06-03
20
春の浮島
医王渡橋(いおうどばし)から川の中ほどにある浮島(うきしま)を望む。夏は子どもたちの川遊びの大切な場所となる。 撮影日は御柱年で、東山田地区の小宮の御柱のための飾り付けがされているのが見える。
2021-02-23
21
ウラジロモミ
御柱祭の御用材は下社は八島下の東俣国有林から調達される。
2021-05-03
22
建て御柱
5月14日の秋宮一の柱の建御柱。 上諏訪地区担当。 年月等不明。
2021-04-13
23
長持ち
「昭和十三戊虎歳御柱記念」。 諏訪大社下社、春宮鳥居前で長持ち勢ぞろいの記念写真。
2021-04-13
24
御柱伐採
御柱祭、伐採の様子。 「秋宮1の御柱」の札が柱につけられている。 詳細不明。
2021-05-03
25
秋宮一の御柱
諏訪大社下社秋宮一の御柱。 御柱の根元の様子が現在と違う。 撮影年月日等不明。
2021-05-03
26
第三区騎馬奉納
戦後初めての御柱祭。友之町の未舗装国道にて撮影。 後方に屯所の火の見櫓が見える。
2022-06-09
27
御柱祭木落し
昭和31年の御柱、木落しの写真。柱に乗っているのは中村・杉山・牛山木落。
2022-01-18
28
木落し
御柱祭山出しの木落坂風景。 氏子の着ている法被がみな紺色のため昭和43年以前の御柱祭り。 昭和43年から紺の印反てん(法被)が現在の下諏訪町の色染め法被(はんてん)になる。
2021-05-03
29
山出し
昭和37年諏訪大社下社御柱祭。 御柱祭山出しの風景、萩倉の村中を曳行中。 法被に「岡谷」の染め抜きがある。
2021-05-03
30
山出し
昭和37年御柱祭。 山出し風景、萩倉の村中を御柱が曳行中。
2021-05-03
31
山出し
昭和37年御柱。 山出し風景と思われるが、場所等詳細は不明。 法被の背中に「岡谷」とある。
2021-05-03
32
山出し
昭和37年の御柱祭、山出しの様子。 注連掛け手前の坂と思われるが、場所など詳細は不明。
2021-05-03
33
木遣り
昭和37年御柱祭。 御柱の曳行中の風景。
2022-05-12
34
里曳き
昭和37年御柱祭里曳き。 八幡坂(大社通り)の横には祭りの提灯が見える。 火の見やぐらが見えることから、現在の八幡坂高札ひろば附近での撮影。
2021-05-03
35
建御柱
昭和37年諏訪大社の御柱祭。 建御柱の一風景、御柱の上の方に人の姿が見える。 どの柱など詳細は不明。
2021-05-03
36
御柱山出し
諏訪大社下社の山出しの木落しの場面。 詳細等は不明。
2021-05-03
37
東御宝殿建て替え
御柱祭に合わせて建て替え工事が進む諏訪大社秋宮の東御宝殿。 御柱祭のたびごとに西と東の各御宝物殿が交互に建て替えられる。 昭和49年のこの年の今回は諏訪大社下社春宮・秋宮が東御宝殿、諏訪大社上社本宮は西御宝殿の建て替えが行われる。
2021-05-03
38
御柱祭木落し
諏訪大社下社御柱祭山出し木落し坂。 年月等不明。
2021-12-26
39
広瀬町綱打ち
友之町本通りと広瀬町の綱打ち記念写真。
2021-12-26
40
御田町小宮祭
御田町の小宮祭風景。法被姿はなく、国民服や戦闘帽などが見られるので、戦中の小宮祭と思われる。
2021-12-26
41
お舟祭り
夏の遷座祭(お舟祭り)、下諏訪駅前の広場で騎馬行列が勢ぞろいしての記念撮影。第一区・第三区の騎馬が一緒に写っているのは珍しい。後ろに見える駅前の大鳥居は明神型の鳥居で、昭和25年に御柱の古材を使って建て替えられたもの。この鳥居は昭和31年ネオン塔に取り替えられた。「広瀬町誌」には昭和33年の写真と記載されているが、民聲新聞等を調査した結果、33年にはすでにネオン塔になっていることが判明した。
2021-05-03
42
友之町・広瀬町綱打ち
「昭和卅一丙申年 御柱祭」友之町・広瀬町綱打ち集合写真。
2022-05-08
43
第三区凱旋騎馬勢揃い
「無形文化財第三区凱旋騎馬勢揃い 平成四年申歳御柱祭(1992,4,3)」記念写真。
2022-05-08
44
清水町・長持保存会勢揃い
「平成四年申歳御柱 清水町太鼓・長持保存会勢揃い」記念写真。
2022-06-09
45
清水町長持保存会
「平成四申歳年御柱 清水町長持保存会 1992.4」記念写真。
2022-06-09
46
清水町綱打ち
平成4(1992)申羊年の清水町の第八回御柱祭綱打ちの記念写真。
2022-06-09
47
木落し
木落直前の様子。 ハッピに「岡谷」の文字が見える、岡谷地区担当の柱。
2022-06-09
48
長持ちコンクール特賞記念写真
「特賞 御柱祭協賛長持ちコンクール 南進日々新聞社」記念写真。法被から東町連の皆さんと思われる。
2022-06-08
49
赤砂・綱打ち
赤砂地区の綱打ちで元綱完成の記念写真。
2022-06-08
50
長持ち・花笠記念写真
「31,5,11 御柱祭記念」、長持ち・花笠勢揃い。
2022-06-08
51
長持ち・花笠
昭和43(1968)年戊申(つちのえさる)歳御柱祭記念。 ハッピから四王若連の文字。
2022-06-08
52
第一区騎馬勢揃い
春宮神楽殿前に勢揃いした第一区奉納騎馬。昭和43(1068)年戊申(つちのえさる)の御柱記念写真。
2022-03-19
53
御柱祭山出し
御柱祭山出し風景。 年代等の詳細不明。
2024-04-21
54
建御柱
建御柱。背中に「岡谷」の文字が見えるので秋宮三の建御柱と思われるが詳細不明。
2021-12-26
55
御騎馬
御騎馬が分散して町内をお披露目しながら回る様子?お殿様役の子供が人形の馬にまたがっているが、今にも転げ落ちそうに眠っている。お疲れの様子。
2022-06-09
56
三区騎馬勢揃い
大正15年 寅年御柱祭 第三区騎馬行列勢揃い 曲傘 小口千束氏(小口修平氏父) 御槍 武井貞雄氏(武井直人氏父) 松沢文亀氏(松沢孝明氏父)
2022-06-09
57
元綱
山出し祭の綱上げ風景、綱を運ぶ氏子たち。 法被の襟に下諏訪町の文字が見える。
2023-04-06
58
御柱山出し
山出しの曳き出し風景。 下諏訪町のはっぴを着ている人々、はっぴの色は青に変わる前の時代。 秋1または秋3の柱と思われる。
2024-04-21
59
元綱作り
四王地区の藁から作る御柱用元綱づくりの様子。
2023-03-03
60
子ども木遣り
大人の人に肩車をしてもらい木遣りをなく男の子。
2022-05-12
61
長持ち
「昭和十三年戌寅歳御柱記念」 東山田区長持ち勢揃い。
2022-05-12
62
第三区騎馬勢揃い
無形文化財第三区騎馬勢揃い。
2022-05-08
63
御柱祭山出し
御柱祭 大平出発の様子。 昭和19(1944)年4月11日、午前5時半頃棚木場を出発する秋一秋三の御柱、この後3時間して大事故が起きた。
2021-12-18
64
木落し
御柱祭、山出しの木落坂の木落しの風景。
2021-12-18
65
木落し
御柱祭山出し、木落坂。
2021-12-18
66
御騎馬
東山田法泉寺にて御騎馬行列勢揃い。 江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺にて撮影。 1630の写真は、「東山田今昔」(16p)に掲載されており、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。
2022-05-03
67
騎馬行列
江戸時代藩主が御柱を騎馬で警護したが、明治になり困って戸長会議と諏訪大社の依頼で長地村の東山田と東堀の人々で始まった。当時は衣装と道具の調達にかなり苦労したという。最初は一団体だったので、出陣・凱旋両方行っていたが、後年になって東山田が出陣騎馬を東堀が凱旋騎馬となり、東堀の騎馬が三区へ、東山田の騎馬(昭和25年解散)が一区へと受け継がれていった。法泉寺寺にて撮影。 この写真は「東山田今昔」(16p)には、「大正3年の騎馬行列勢揃、大将は武田尚氏小学4年」となっている。撮影年は再確認が必要。
2022-05-03
68
綱打ち
「諏訪大社御柱祭秋一御柱元綱」四王区綱打ち。 昭和25(1950)年以降、同地区は秋宮一の女綱づくりを担当しているが、近年は稲作農家が減少し、稲刈りにコンバインが導入されたため、稲わらの確保が困難になっていた。そこで安定してわらを確保するため。平成21、09(2009)年に同会を発足。御柱祭のたびにわらを供給している。同会によると、既製のわら縄ではなく、稲わらを使って綱を打つのは同地区だけだという。背丈の高い「関取」という品種で、刈り取った稲は、十分に天日干しした後に脱穀し、わらは田んぼ横のハウスで保管。同地区綱打ち委員会の手に委ねるという。
2022-05-12
69
御柱祭
平成二十二年度寅年諏訪大社式年造営御柱祭第三区役員・委員安全祈願。秋宮神楽殿前にて記念撮影。
2021-12-26
70
御柱祭里曳き
御柱祭曳行風景。 四ツ角八十二銀行前を秋宮に向かう曳行。 阿部奈良屋方面から撮影されている。
2021-12-18
71
大注連縄奉献
戦後「日本第一大軍神」の大額が外された諏訪大社下社神楽殿。 「これでは寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け、初めて奉献したのが昭和24(1949)年。その後昭和54(1979)年まで途絶えていた。昭和54(1979)年と昭和60(1985)年に、出雲大社拝殿に大注連縄を奉献している島根県雲南市の須賀注連縄保存会の役員を迎え、御柱祭の前年に大注連縄作りの指導を受けた。 写真は昭和60(1985)年、御柱祭の新たな行事として定着させようと奉献会(約40人)が作った下社秋宮神楽殿の大注連縄奉納の時の記念写真。
2021-12-18
72
木落し
御柱祭山出し、木落しの様子。
2020-03-06
73
町制施行100周年事業
将来の御柱祭に使えるように「モミの苗木」の植林。この記念事業で植樹したモミの苗木は1000本、その後、モミの苗木の植樹活動は有志の皆さんの手により続けられている。植樹は苗木を植える作業ばかりではなく鹿の食害から守る対策も伴う。
2020-03-06
74
町制施行100周年事業
町制100周年記念事業のひとつとして、いずみ湖公園と東俣町国有林で記念植樹が行われた。それぞれ「町民自らの手による緑豊かな空間の創造」「森林資源の造成と緑豊かな住みよい郷土づくり」を目的にいずみ湖公園にモミジを1300本・オオヤマザクラ200本を、東俣町有林には将来の御柱用材用としてモミの苗木1000本を植樹。写真はいずみ湖での植樹の様子。
2020-03-06
75
御柱祭
御柱祭、山出しの様子。
2020-03-06
76
御柱祭
御柱祭、山出しの様子。
2020-03-06
77
御柱祭
御柱祭、山出しの様子。
2020-03-06
78
御柱祭
御柱祭、山出しの木落とし坂の様子。
2020-03-06
79
御柱祭
御柱祭、山出しの木落とし坂。
2020-03-06
80
御柱祭
御柱祭、御騎馬行列。警護にあたる消防団の法被に「第一分団」の文字、第一区の御騎馬。
2020-03-06
81
御柱祭
御柱祭、秋宮鳥居前で御騎馬勢ぞろい。
2020-03-06
82
御柱祭
御柱祭、多くの長持ちが見える、後ろ向きの男性の法被に岡谷の文字が見える。
2020-03-06
83
御柱祭
御柱祭、里曳きの神賑わいの長持ち。女装をして担いでいる。長持ちに「一之宮御用」「小口」の文字が見える。
2020-03-06
84
御柱祭
御柱祭。「オーシャンウイスキー」「たばこ」の看板、バスには「岡谷駅」の文字も見える。後ろ姿の男性の法被に「岡谷」の文字。服装はみな洋装、和服は少し年齢の高い女性が着ている。
2020-03-06
85
御柱祭
御柱祭。左端に「奈良屋・・・」と読める看板。福ダルマに仮装した長持衆。
2020-03-06
86
御柱祭
御柱祭。「平野消防組・小口郷小頭」の文字の法被姿の男性が見える。子どもたちは絣の着物姿。
2020-03-06
87
御柱祭
御柱祭。おかめのまわりには御弊がたくさん飾られている。長持ちの箱には油単(ゆたん)はかけられていない。
2020-03-06
88
御柱祭
御柱祭。「平野消防組・小口郷小頭」の文字が法被から読み取れる。長持ちに「一宮御用」の文字が見える
2020-03-06
89
御柱祭
御柱祭。坂道沿いに提灯などが飾られている。
2020-03-06
90
御柱祭
御柱祭の風景。長持ち衆。富部長持ではないか?衣装・白塗りが雲助長持ちに見える。
2020-03-06
91
御柱祭
御柱祭の風景。民家の二階に「中村七五郎休憩所」の看板。家の前には長持ちが置いてある。ちょうちんに「今井」の文字。
2020-03-06
92
御柱祭
御柱祭。里曳きの長持衆。
2020-03-06
93
御柱祭
御柱祭。神賑わいに「かごや」が出ている。
2020-03-06
94
御柱祭
御柱祭の風景。
2020-03-06
95
御柱祭
御柱祭、秋宮一之柱の建て御柱の様子。
2020-03-06
96
御柱祭
御柱祭。御柱の前で記念撮影。長持ちの人たちか。№1252の長持を担ぐ人物と同じ人物も写っている。
2020-03-06
97
御柱祭
建御柱。
2020-03-06
98
御柱祭
御柱祭、秋宮一の建て御柱、右に神楽殿、御柱の向うに狛犬が見えるが、現在とは形が異なることから供出前のものと思われる。
2020-03-06
99
御柱祭
御柱祭。山出し、木落し坂から注連掛へ向かい、砥川落合橋付近?
2020-03-06
100
御柱祭
御柱祭里曳き・建御柱、和装(着物姿)髪の毛を結った女性たち、祭り支度の男性の姿も。
2020-03-06
101
斧立(よきたて)社
斧立(よきたて)社は萩倉の奥にあり、御柱祭りの際に御神木伐採の刃物の修跋式(しゅうばつしき)を行う社。東俣の浄水場の道向かいの山脇に置かれている。この日は斧立社例祭。斧立とは・・樹木を伐採する前に山の神(大山祇神)を祀る行事。 ちなみにこの日は奥霧ヶ峰・八島ヶ原湿原にある「旧御射山社」で関係者による例祭が行われる。 №1087・1083・1086の写真は8月27日に諏訪大社下社の一連の行事として行われる。
2020-03-06
102
秋宮社務所
座卓で執務、諏訪大社下社秋宮の社務所の風景。大社の社務所は「7年に1度」の御柱祭を節目に下社⇒上社⇒下社と移して上下両社の調和を保っている。平成元(1989)年当時は上社(平成4年の大祭まで)にあり、令和2(1990)年の現在は下社に社務所が置かれている。(令和4年から上社に移される)
2020-03-06
103
下の原の幟立て
「萬物長養徳」「万穀豊穣福」の一対の幟、安政5(1858)年に玉骨道人が書いた。毎年8月1日の遷座祭や御柱祭りの際に宮坂に建てられる。下の原の幟立て。中央に見える道を下ると龍の口がある。 ちなみに玉骨道人は、下の原の観照寺などで修業した後、岡谷横川の真秀寺の住職になった人で、和歌俳諧をよくし書にも優れて下の原には他の幟や石碑が多くある。この幟を書くときは慈雲寺に村人が硯を持ち寄って墨をすり、手桶にためて道人が大筆で一気に書いたと伝えられている。
2020-03-06
104
赤砂西大路交差点
昭和55(1980)年に開通した西大路通りと昭和49(1974)年に完成した新田中線が交差する場所。御柱祭りの車の迂回路としての役ばかりだけではなく日常の交通量も大変多くなってきている。冬季降雪時は時折登りきれず難渋する車がある。
2020-03-06
105
長持
長持。入市小口製糸所休憩所の文字。昭和13(1938)年。
2020-03-06
106
建て御柱
建て御柱。昭和13(1938)年。
2020-03-06
107
伏見屋
御柱祭の時。法被に伏見屋の文字が見える。自転車を持った少年も見える。
2020-03-06
108
御柱山出し
山出し記念写真。法被は「下諏訪消防組」。右後列には「救護、下諏訪消防組」の旗がある。「秋宮四之御柱」の前での撮影。柱の並んでいる様子から山出しの最終日の注連掛と思われる。
2020-03-06
109
下諏訪分署
明治22(1889)年12月竣工。明治23(1890)年4月25日落成。この分署は明治21(1888)年8月管内村民間に庁舎新築の議が出て、寄付金をもって湯沢山御料休の松の良材を用いて建てられた和洋折衷様式の見事な建築であった。現在は御柱モニュメントを経て高札場になっています。この頃の管轄区域は下諏訪村・長地村・平野村・川岸村であった。現在は「八幡坂高札ひろば」。
2020-03-06
110
下諏訪町明細全図
「官幣中社諏訪神社並二下諏訪町明細全図」当時の下諏訪市街地図。 明治41(1908)年5月諏訪神社御柱祭記念に東京の出版社が、下諏訪商工業者の協力で発行した下諏訪町明細全図。 御田町・花咲町もなく、平沢小路は重要な三角八町の間道だった。図の右手前に下諏訪駅、さらにその右手に諏訪湖天然氷株式会社の氷庫、大通りに人力車が続いている、御柱当日の一風景。
2020-03-06
111
駅前通り
下諏訪駅頭に観光協会が宮大工の手により、昭和13(1938)年に諏訪神社の古い御柱で鳥居を建てる。鳥居は昭和25(1950)年に建て替えられ、その後は観光看板に変わった。左手前から菅野旅館・山十組・山八製糸の倉庫、右側は米本旅館。
2020-03-06
112
御柱山出し
第1区の御柱山出し風景。
2021-04-01
113
御柱警備
御柱警備の際の第1分団。
2020-03-06
114
御柱警備
御柱警備の際の第1分団。
2020-03-06
115
御柱山出し
第一区の挺子衆。
2020-03-06
116
山出し
第1区、御柱祭山出し。
2020-03-06
117
御柱綱打ち
第1区綱打ち.
2020-03-06
118
御柱綱打ち
第1区綱打ち.
2020-03-06
119
下の原長持
御柱祭長持勢揃い。
2020-03-06
120
里曳きでの記念撮影
諏訪大社下社の里曳きでの記念撮影。 厳しい戦況の中厳しい暮らしの中での祭を迎えた喜びの様子がうかがえる。
2021-08-19
121
里曳き見物客
御柱里曳きで賑わう大門通り。下馬橋から南側を望む。
2020-03-06
122
山出し
御柱山出し。
2020-03-06
123
山出し
御柱山出し。
2020-03-06
124
山出し
御柱山出し。
2020-03-06
125
伐採
御柱伐採(春宮一の柱)。
2020-03-06
126
山出し
御柱山出し。
2020-03-06
127
伐採
御柱伐採。
2020-03-06
128
御柱山出し
御柱祭山出しでの第一 区関係者。
2020-03-06
129
長持勢揃い
春宮に勢揃いした下の原長持連。
2020-03-06
130
御柱山出し
御柱祭山出しでの第一区関係者。
2021-04-01
131
長持勢揃い
春宮に勢揃いした下の原長持連。
2020-03-06
132
御騎馬奉納
大正15(1926)年の御柱祭。 下馬橋(太鼓橋附近)後の春宮に向かい勢揃いした下の原御騎馬。今はないさわら並木が見える。
2021-04-01
133
御騎馬奉納
明新館下に勢揃いした下の原の奉納騎馬。 騎馬には出陣騎馬(殿様騎馬)と凱旋騎馬(過労騎馬)があり、それぞれ掛け声のかけかたや所作に違いがある。
2021-04-01
134
御騎馬勢揃い
大正9(1920)年御柱祭、下の原御騎馬、 明新館前での役員記念写真。
2020-03-06
135
春宮葺合祭下の原長持連
大正15(1926)年5月6日。春宮葺合祭(ふきあいさい)が御柱祭りに先立って行われた時の下の原長持連の記念写真。 ちなみに、葺合祭は式年遷宮の年に宝殿遷座祭の前日に新宝殿の竣工式として行われる。下社の場合、春・秋両社の四宝殿の内一棟を造改築し、一棟の屋根葺合を行う。改築後は立柱式(当年の3月中旬以降)、葺合棟は葺合祭を行う。
2020-03-06
136
下の原勢揃い
大正時代、下社春宮下馬橋での撮影。子どもたちも大人と同じ法被姿をしている。大人は鉢巻姿も勇ましく、威勢がよい。御柱祭の写真のようだ。 中央に別の写真の男性が転写されている。
2021-04-01
137
完成した曳き綱
御柱綱打ちは山車を立て並べ車輪に結んだ玉縄によりをかけて作業した。後ろに青年会が作った出征軍人の武運長久を祈った横断幕が見える。
2020-03-06
138
御柱搬出
棚木場へ集結した御柱。 5月2日に伐採された8本の御柱搬出は、入札により水月会(1区)有志が請け負い、カグラサン(シャチともいう)を使い5月12日から70日かけて完了した。その時の記念写真。
2020-03-06
139
御柱搬出
棚木場へ集結した8本の御柱は、請け負った水月会で棚木場に積み重ね、この日関係町長立会いのもと、引渡しが行われた。この頃はこの後屋根を架け翌年の山出しを待った。
2020-03-06
140
御柱搬出
御柱伐採と思われる。すでに皮はむかれている。
2020-03-06
141
御柱搬出
御柱祭り。法被の襟に「河西製米所」「吉沢製材所」の文字。大御幣を持っている人の姿も見える。
2020-03-06
142
御柱伐採
昭和6(1931)年。写真は春宮一の御柱。 諏訪大社下社御柱伐採は祭りの前年に東俣国有林にて行われる。 地響きを立て大木が倒れると、誰からともなく万歳が起きる。
2020-03-06
143
御柱伐採記念写真
昭和6(1931)年5月2日春一の御柱伐採。 この木は目通り周囲3.82mの太さだったと記録に残され上下社を通して歴代3位の太い柱だった。 大正2(1913)年の申し合わせ以来春一の伐採は第一区(下の原)が担当している。
2020-03-06
144
木落し
大正15年(1926)諏訪大社下社御柱祭。 山出しの木落し風景。
2020-03-06
145
芸者踊り
三井屋の前、芸者の踊り。御柱祭に芸者集も大勢参加した。 向かって左の建物から「本陣事務所」「つじや」「オオクマヤ」と並んでいた。 芸者の多さにも驚くが群衆の中の子どもの多さにも驚かされる。
2020-03-06
146
大正15年御柱祭
御柱祭できれいどころをのせて屋台が町内を練り歩いた。後方の屋根は明新館。
2021-04-22
147
下諏訪町警防団
下諏訪町警防団の集合写真、昭和14(1939)年1月警防団令により消防組を改組して下諏訪町警防団は昭和22~1947年まで設置された。 団長の高木十吉はこの後町長となるが昭和19(1944)年4月11日御柱祭山出祭において不慮の事故で殉職した。 中央には警察官の姿も見える。
2020-03-06
148
高木の長持連
戦後最初の御柱祭の高木長持連。 添付名簿後列左から 田中健三、久保田十吉、尾口友三、田中庄一、長谷辰男、中列左から大和大八、長崎則男、小口一郎、前列左から田中忠雄、大和剛、小口永吉、長川秋男、小平明
2020-03-06
149
注連縄製作完成記念写真
大注連縄は戦後「日本第一大軍神」の大額が外された神楽殿が「寂しい」と地元有志が出雲大社の大注連縄保存会に指導を受け奉納した。昭和54(1979)年まで途絶えていが、昭和60(1985)年の御柱祭の前年,祭りの新たな行事として奉納した。現在の大注連縄は「諏訪大社注連縄奉納会」が長さ7.5m最大胴回り3.2m(従来は4.5m)重量800㎏(従来は1t)という大きさで御柱祭の前年の11月から約1ヶ月、2500束のワラをつかい作成している。
2020-03-06
150
駅前通り舗装工事
舗装工事中の駅前通り。 右側の洋風の建物はシロトリ写真館。突き当たりが下諏訪駅でその前には宮大工の手による前回の御柱用材を利用した鳥居が建てられていた。 作業中の人は、町の失業対策事業の人たちである。広瀬町の名前のとおり、地中には大きな川原石がゴロゴロしていた。 同写真館は、大正12(1923)年箕輪で創業、その後岡谷の丸山橋、下諏訪では昭和2(1927)年御田町で開業、その後現在の広瀬町に移った。
2021-05-03
151
千尋池
改修工事完成の記念写真。 千尋池西側道路(現在の国道142号線)の開通に伴い千尋池は改修され、石橋が設置された。 大社関係者、横町などの地元住民、工事請負業者が並んでいる。現在は秋宮の管轄になっているが、二区の有志の皆さんが「ちひろ講」を設立し年1回の清掃奉仕や御柱祭を行っている。なお「ちひろ講」は青塚の清掃も行っている。
2020-03-06
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1
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山出し(28)
長持ち(25)
御柱祭(24)
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御柱(17)
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御騎馬(10)
騎馬(10)
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伐採(9)
木落坂(8)
綱打ち(8)
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勢揃い(6)
集合写真(6)
騎馬行列(6)
木落(6)
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木落し(4)
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