明治12(1879)年6月、長野県が16郡となり戸長が公選され、副戸長が筆生(ひっせい)となり、下諏訪村では12月初の公選戸長に山田政之丞(下原東町)が当選する。写真№557参照。
旧下諏訪町役場(立町青塚時代)
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