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写真タイトル説明登録日
1大相撲荒汐部屋夏合宿大相撲荒汐部屋夏合宿大相撲荒汐部屋の下諏訪町での合宿が、コロナ禍を経て4年ぶりに下諏訪南小学校校庭で復活した。荒汐部屋後援会長夫人の藤井明日香さんが下諏訪町出身だった縁で、平成30年(2018年)と平成31年(2019年)に合宿が行われ、翌年には諏訪湖後援会が発足していた。当時は所属力士の蒼国来関(現荒汐親方)と町内の小学校児童との交流が行われた。今回の合宿には関脇の若元春ら力士13人をはじめ、新大関の霧島関も出稽古で訪れた。朝稽古は連日100~200人以上の相撲ファンでにぎわい、多い日には400人に達した日もあった。2023-07-20
2三協精機野球部三協精機野球部三協精機の野球チームは昭和36(1961)年から昭和50(1975)年まで都合9回「都市対抗野球」に信越代表で出場している。特に昭和46(1971)年の時は準決勝まで進出し、ベスト4に入っている。また、昭和49(1974)年の第一回全日本社会人野球選手権大会では優勝し、ダイヤモンド気を手中にしている。この時三協のエース大塚は9回2アウトまでノーヒットノーランを記録していた。惜しくも9回2アウトからヒットを許し大記録はならなかったが4-0の快勝であった。監督は光沢監督であった。写真は場所、年月も不明だが、応援の様子から後楽園球場の都市対抗の一場面と推察する。2022-02-24
3運動会運動会昭和29年、清水町大運動会。2022-03-13
4霞城館霞城館山王台にあった霞城館。右奥に忠魂碑が見える。写真左端に長持ちが一竿、正装で弓道か。2021-12-26
5片倉製糸の運動会片倉製糸の運動会昭和10年頃の写真で、片倉製糸の運動会と記録されている。写真右下のオルガンに合わせて若い女性(女工)が裸足で集団演技をしている。万国旗の中心に飛行機の模型がつるされ、垂れ幕には「皇国興廃此一戦在女□□子一層奮励努力せよ」(日露戦争の時の日本海海戦時のスローガンをもじっている)と書かれ、戦時色が色濃く出ている。2022-06-09
6高林清高氏壮行会高林清高氏壮行会オスロオリンピックに出場する高林清高氏壮行会の時の写真と思われる。高林清高氏(1928~没年不詳)は下諏訪町出のスケーター。岡工から明治大学に進み、昭和27(1952)年のオスロオリンピックに出場、500mで6位入賞。さらにコルチナ・ダンペッツオオリンピックにも連続出場。一線を退いてからはインスブルックオリンピックコーチとして参加。のち長野県スケート連盟会長も務めた。2022-06-09
7弓道の練習風景弓道の練習風景学生の服装などから当時の様子がうかがえる。 手前の男児生徒は下駄をはいている。2021-12-21
8岡谷中学スケート部岡谷中学スケート部昭和22(1947)年から始まったスケートの県高校選手権では岡谷南高校が岡谷中学時代から9連覇を達成している。写真は岡谷市体育協会史には「第2回県下中学スケート大会に優勝した岡谷中学(現岡谷南高)」と紹介されている。長野県スケート連盟史には、後列左から2人目が中島信一、右隣が増沢政幸と紹介されていて当時の主力選手であった。2021-12-18
9野球大会出場前日野球大会出場前日諏訪中学校野球部主催の郡下の野球大会が毎年春秋二季行われ、小学生ばかりではなく父兄も町村の人々もその勝敗に熱中した。諏訪中の校庭に集まるのは全郡下のほとんどの小学校で学校の規模の大小を問わず各1チームを編成して参加した。長い伝統に輝く大会だった。岡谷や川岸の小学校もみな歩いて行った。下諏訪からも往復三里も遠しとせずに応援に出かけたという。2020-03-06
10町営総合運動場町営総合運動場町の総合運動場。2020-03-06
11町制施行100周年事業町制施行100周年事業いずみ湖のテニスコート。3月29日に全天候型テニスコート8面が完成、4月18日にオープンした。2020-03-06
12諏訪湖氷上会記念写真諏訪湖氷上会記念写真スイス公使 ポール・リッテル夫妻が下諏訪町の諏訪湖氷上会主催のスケート大会に出席された時の記念写真。この年1月14日には英国代理大使ローザ夫妻も下諏訪に来ている。2021-05-11
13諏訪湖のスケート風景諏訪湖のスケート風景諏訪湖のスケート 諏訪中(旧制)の生徒か? 古田明氏寄贈2020-03-06
14女性のスケート風景女性のスケート風景芸者さんのスケート風景。 城取氏撮影。2020-03-06
15スケートを楽しむ人々スケートを楽しむ人々アイスホッケー、フィギュアスケート、氷上そり…など、それぞれ秋宮スケートリンクで冬のスポーツを楽しむ人々。2020-03-06
16下駄スケートをする少女たち下駄スケートをする少女たち向かって右より 三井まさ 小口けん(小松屋) 小口すえ(湊屋) 溝口はる子 柳沢きよ 増沢みす(松仙堂)。  2021-05-11
17下駄スケートをする子どもたち下駄スケートをする子どもたち下駄スケートで滑る小学生、先頭は改良されたスピードの三本刃、後方は最初の二本刃のスケート。この写真の説明は昭和初期としてあるが、「写真いまとむかし(下諏訪町)」には、「大正後期のスケート遊び(矢島式下駄スケート)」と説明されている。また、「下諏訪町町制施工125周年(下諏訪今昔絵巻)」には大正14(1925)年頃と注釈がされている。2020-03-06
18スケートスケート右端小口卓穣氏は諏訪湖一周氷滑大会で三連勝した。前列左端 高木幸雄氏 後列 左端 小口義信氏2020-03-06
19表彰式表彰式氷上での表彰式。 トロフィーを受け取る選手。2020-03-06
20カーリング大会カーリング大会カーリング大会表彰式の様子。昭和7年1月21日の秋宮スケートリンク。№34.1405.1424は同じ写真。2020-03-06
21フィギュアスケート風景フィギュアスケート風景下諏訪町秋宮リンクで日本で初のフィギュアスケートの公式大会が開かれた。同リンクは「日本フィギュアスケートの発祥の地」となった。2020-03-06
22フィギュアスケートフィギュアスケート秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。2020-03-06
23スケートスケート秋宮リンクで、フィギュアスケートを滑る男性。2020-03-06
24スケート大会で優勝した少年スケート大会で優勝した少年諏訪郡下スケート大会に於いて小学生20周に優勝した清水順吉君。下駄スケートを履いている。2020-03-06
25フィギュアスケートフィギュアスケートスカート姿でフィギュアスケートをする女性。2020-03-06
26スケートスケート2020-03-06
27スケートスケートアイスホッケー。№1377と同じ時の撮影か。2020-03-06
28スケートスケート「信州諏訪湖上スケート」(絵葉書)、当時のスピードスケート選手。 中村龍雄氏出品。№1362と同じ。2020-03-06
29スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。写真下には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1367と同じ。2020-03-06
30フィギュアスケートフィギュアスケート秋宮スケートリンクでフィギュアスケートを楽しむ男性たち。2020-03-06
31スケートスケート秋宮スケートリンク。2020-03-06
32スケートスケートたくさんの子どもたちが見守る中で回転したり、ジャンプをしたしフィギュアスケートを披露。子どもたちが履いているのは下駄スケートが多いように見える。2020-03-06
33スケートスケート2020-03-06
34スケートスケート秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ人々。2020-03-06
35スケートスケート諏訪湖の結氷期が1月上旬から2月下旬までであるために、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮して、明治40(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。 №4と同じ。2020-03-06
36スケートスケートカーリング大会表彰式の様子。昭和7年1月21日の秋宮スケートリンク。№34.1405.1424は同じ写真。2020-03-06
37スケートスケート日本髪、和装の女性が秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。2020-03-06
38スケートスケート椅子に刃をつけてソリのようにして遊ぶ様子。2020-03-06
39スケートスケート日本髪の女性が秋宮スケートリンクでスケートを楽しむ。2020-03-06
40スケートスケート馬が引く「氷上スキー」。背景の段々畑は一面桑畑、製糸業が盛んな頃の農閑期の諏訪の風景。場所は高浜湾付近。2020-03-06
41スケートスケート下駄スケート。椅子型のそりにもスケートの刃がつけられている。2020-03-06
42スケートスケートなかよく並んで下駄スケートをする子どもたち。後ろにはアイスホッケーのゴールが見える。2020-03-06
43スケートスケートスケートに興ずる人々。2020-03-06
44スケートスケート氷上の整頓(絵葉書)。当時結氷した諏訪湖は軍事訓練の場として使われることもあった。写真後方山肌が見事な段々畑(?)になっている。2020-03-06
45スケートスケート諏訪湖氷上スケート大会(絵葉書)。2020-03-06
46下駄スケート下駄スケート下駄スケートの刃。 フィギュア型からスピード型に改良されたスケート。2020-03-06
47フィギュア型のスケートの刃フィギュア型のスケートの刃大正から昭和初期に輸入された、フィギュア型スケート で革靴の厚底の編み上げ靴に取り付けて滑走した。2020-03-06
48スケートスケート冬の蓼の海。スケート大会の様子の絵葉書。左下の写真はアイスホッケーのリンク。2020-03-06
49スケートスケート冬の諏訪湖。選手のユニホーム・滑るフォーム・よく整備されたスケートリンクなどから大会風景に見えるが。2020-03-06
50スケートスケート冬の諏訪湖。軽装でのスケート風景。スケート靴はフィギュア用に見える。2020-03-06
51スケートスケート冬の諏訪湖。競い合って滑る様子。2020-03-06
52スケートスケート絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。2020-03-06
53スケートスケート2020-03-06
54スケートスケート絵葉書。(冬の諏訪湖)諏訪湖のスケート。2020-03-06
55スケートスケート(冬の諏訪湖)スケートで賑わう諏訪湖氷上。写真の範囲には下駄スケートは見られない。2020-03-06
56高林選手高林選手高林清高選手。岡谷工業学校時代は戦争中で活躍の場はなかったが明治大学に進んでから日本を代表するスプリンターとなる。日本選手権では500mに3連覇。オリンピックで6位入賞を果たした。昭和29(1954)年日本初世界選手権札幌大会では銅メダルを獲得した。2020-03-06
57アイスホッケーアイスホッケーアイスホッケー。2020-03-06
58アイスホッケーアイスホッケーアイスホッケーに興じる人々。№1415と同じ時の撮影か。2020-03-06
59スケートスケート秋宮スケートリンク。2020-03-06
60スケートスケートスケート製作風景。2020-03-06
61下駄スケート下駄スケート下駄スケートが何種類もテーブルの上に並んでいる。2020-03-06
62スケートスケート諏訪湖高浜湾リンクで初めてのスケート大会発会式の様子。下駄スケートが考案されると共に、下諏訪町に「下諏訪諏訪湖氷辷(こおりすべり)会」ができて、その翌年の明治39(1906)年2月18日には写真の如く、高浜湾で諏訪湖で初めてのスケート大会が開催された。」。当時会員200名程のうち、50名程が外国人であったという。南信日日新聞後援であった。資料には「第百三十二圖 諏訪湖スケート倶樂部發會式 (明治三十九年[一九〇六年]二月十八日) 下諏訪町高濱灣」と書かれている。№1413、1861と同じ。1961の写真には「箒をもてるはグラウンドの掃除人夫なり」と書きもまれている。2020-03-06
63英国代理大使夫妻記念撮影英国代理大使夫妻記念撮影在京中の各国大使がスケートに来湖する。写真は英国代理大使ローザ夫妻が、下諏訪駅前で記念撮影したもの。2020-03-06
64アイスホッケーアイスホッケー秋宮スケートリンクでアイスホッケーを楽しむ人々。 後ろの建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
65スケートスケート高浜沖の諏訪湖でスケートを楽しむ人々。2020-03-06
66スケートスケート颯爽とスケートを楽しむ人と椅子を使って遊ぶ人たち。秋宮リンクの一コマ。2020-03-06
67スケートスケート氷上をそりにのり楽しむ子ども、フィギュアスケートの練習をする女性、アイスホッケーのスティック持っている男性などそれぞれのスタイルでスケートを楽しむ様子。 小湯の上、秋宮スケートリンク。2020-03-06
68アイスホッケーアイスホッケーアイスホッケーのゴール前で記念撮影。 帽子や服装が似ている人がいて、当時のアイスホッケー愛好家の流行が感じられる。 リンクの周りには柵がなく見物人らしき人もいる。2020-03-06
69下駄スケート下駄スケートフィギャー型かあらスピード型に改良された3本歯刀(3本足)のげえたスケートの刃。2020-03-06
70下駄スケート下駄スケート2020-03-06
71スケートスケートフィギャー型からスピード型に改良された3本刀(3本足)の下駄スケート。2020-03-06
72スケートスケート2020-03-06
73下駄スケート下駄スケート2020-03-06
74スケートスケート2020-03-06
75スケートスケート草履に竹を取り付けてある。2020-03-06
76スケートの刃スケートの刃下駄スケートとして定着した一般的な形のもの。靴スケートに変わる頃の物。(昭和35・6年頃より下駄スケートは消えていった。)2020-03-06
77sssスケート製の刃sssスケート製の刃刃にはSSS(サンエス)の刻印。 ギザギザのエッジがありフィギャースケート用の刃。2020-03-06
78スケートの刃スケートの刃明治40(1907)年頃の作。刃の形、厚さに多少の工夫がみられる。2020-03-06
79下駄スケート下駄スケート明治39(1906)年諏訪地方最初のもの。 木下の河西氏作。 日本歯とも呼ばれていた。2020-03-06
80sssスケート製の刃sssスケート製の刃エッジ部が短いことからショットトラック等の競技用のスケートの刃と思われる。2020-03-06
81フィギャ型スケートフィギャ型スケート大正時代から昭和初期に輸入されていたもので、編み上げ厚底の革靴に取り付けて滑走した。2020-03-06
82ジョギングロードジョギングロード完成したジョギングロード。埋立地の町道湖岸通り線を5憶3200万円かけて改良した。3m幅のジョギング道・緑地帯・車道・並木・自転車・歩行者道という構成でで22m、道路は整備された。2021-04-01
83町民レガッタ町民レガッタ第8回町民レガッタ、これまで最多の84クルーが参加。競技はナックルフォアのみ、距離500m。中学生から76歳の男性まで出場し、水辺はお祭り気分だった。2020-03-06
84第10区運動会第10区運動会第10区運動会の様子。体育の日、区民運動会で楽しむ、晴天続きで、この日も汗ばむほどの好天、町内会対抗の二人三脚リレーに声援がわいた。会場は南小学校校庭。2020-03-06
85砥川先でのウィンドサーフィン砥川先でのウィンドサーフィン湖でウィンドサーフィンを楽しむ若者たち。諏訪湖は午後になると風の出る日が多い。ことに砥川先は風が強く遠浅であるため、ウィンドサーフィンの基地として好適。当時は各地からサーファーが集まってきていた。2020-03-06
86第一回諏訪湖マラソン第一回諏訪湖マラソン第一回諏訪湖マラソン。湖1周16.7kmのコースで4グループに分かれて行われた。最高記録はゼッケン1番、伊藤国光選手(招待選手)の52分07秒。主催は諏訪圏健康推進協会。ちなみに平成30(2018)年の第30回大会では8000人が参加、日本陸連公式ハーフマラソンコースとなっている。2020-03-06
87町営プール町営プール赤砂の砥川河口横にあった旧町営プール、シーズン最後の日。現在は防災公園になっている。2020-03-06
88奉射会の矢渡し奉射会の矢渡し8月26日からの御射山社祭を前に町弓道場で行われた御射山奉射会の矢渡し。63歳の弓士(5段)が小笠原流の礼法を見せた。御射山社祭は諏訪大社の最も大事な祭りの一つ。鎌倉時代には奥霧ケ峰で行われたこの祭りに集まってきた諸国の武家が、祭りの余興に小笠懸、草鹿(くさじし)などの弓術を演じ、優れた射手にはすすきの穂を添えた征矢が与えられたという故実から、この奉射会がはじめられた。奉納会はこの年67回目を数えた。2020-03-06
89スケート部の陸上トレーニングスケート部の陸上トレーニング体協スケート部の陸上トレーニング。下諏訪町の保健センター駐車場を借用してのローラースケートの練習。向かいに小松工業の看板が見える。2020-03-06
90町営プールの賑わい町営プールの賑わい町営プールの賑わい。昭和54(1979)年に完成した赤砂崎の下諏訪町営プール。現在は地域防災の拠点とした整備の進む赤砂崎公園となっている。2020-03-06
91合宿風景合宿風景駒場高校剣道部の合宿練習風景。後ろに諏訪大社下社春宮境内東側に残る古い階段が見える。2020-03-06
92ボート早朝練習ボート早朝練習下諏訪町が昭和53(1978)年国体のボート競技会会場になって以来、ボートが町民の間に普及している。桟橋の手前にシェルファ艇、右側ナックルフォア艇。ボート早朝練習風景(漕艇場の桟橋)。令和2年周辺の整備が進み「ローイングパークAQUA未来」として新しい利用が始まっている。2020-03-06
93町民体操栽町民体操栽第29回町民体操祭、校歌のダンスを披露する小学生。新聞社後援の体操祭、この辺りではこの町だけが根気よく続けている。2020-03-06
94家庭婦人バレーボールリーグの開会式家庭婦人バレーボールリーグの開会式家庭婦人バレーボールリーグ開会式。前年と同じく参加は15チーム。昭和48(1973)年の全国大会で町の代表チームがブロック優勝し平均年齢が最高ということで総理大臣賞を受けた栄光の歴史を誇るが、そのときのメンバーも現役で活躍している。2020-03-06
95少年野球開会式少年野球開会式町の少年野球開会式の入場行進。参加チームはA(6年生がいるチーム)13、B(5年生以下のみ)10、少年野球は子どもたちの人気だった。会場は下諏訪南小学校校庭。2020-03-06
96剣道協会の新年度発会式剣道協会の新年度発会式剣道協会の新年度発会式、この年の会員は68名。2020-03-06
97秋宮リンク秋宮リンク秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。古い時代の写真を合わせてみると時代の変化がよくわかる。2020-03-06
98秋宮スケートリンク秋宮スケートリンクさみしい秋宮リンク「スケート離れ」現象。「秋宮スケートリンク」で検索し古い時代の写真も参考にしていただきたい。2020-03-06
99秋宮リンク秋宮リンク秋宮リンク。明治42(1909)年に開設され大正11(1922)年にわが国最初のフィギュア競技会、同13(1924)年は国内最初のアイスホッケー大会が開催された。このリンクの賑わいぶりは洋画家金山平三の代表作に描かれている。2020-03-06
100テニスコートテニスコート町営球場テニスコート。昭和20年代には野球場側のみであったが、道路側にあった屋外バレーコートが室内になり、テニスコートが拡大された。2020-03-06
101合宿風景合宿風景大学・高校の夏季合宿学生が温泉町の宿舎を出て運動場へ向かうところ。夏季合宿練習のため東京の高校・大学生の来町するものは戦前からあって、小学校の施設を利用していた。町が本格的に請け入れるようになったのは、戦後昭和27(1952)年ころからのこと。昭和39(1964)年には一万人を越え、14軒の旅館に合宿していた。2020-03-06
102下諏訪学校野球大会優勝下諏訪学校野球大会優勝明治41(1908)年秋、諏訪中学主催野球大会に下諏訪学校が優勝。なおうしろにかざられた優勝旗には明治40(1907)年春も下諏訪学校の名が刻まれている。2020-03-06
103英国大使スケート英国大使スケート絵葉書「(諏訪ノスケート)英国大使スケート」。白い煙をたなびかせて汽車が通り過ぎる。大使夫妻と思われる二人の前でフィギュアスケートに興じる男性、その向うに着物姿の人々がスケートを楽しんでいる。2020-03-06
104富岳を望む富岳を望む絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖より富岳を望む」。上川付近。 ボートを漕いでいる様子から当時の諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒のようだ。2020-03-06
105舟遊び舟遊び絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖辺衣ヶ崎にて舟遊び」。石垣や鳥居が見える。2020-03-06
106ボートレースボートレース絵葉書(諏訪名所)諏訪湖上のボートレース。上川付近富士山も見える。ボートを漕いでいるのは諏訪実科中学校(現諏訪清陵高校)の生徒と思われる。2020-03-06
107諏訪湖上のスケート諏訪湖上のスケート絵葉書「(諏訪名所)諏訪湖上のスケート」。フィギュアスケートをしている。2020-03-06
108秋宮リンクでフィギュアスケートを楽しむ秋宮リンクでフィギュアスケートを楽しむ平岡露子(大正2~平成23・1813~2012)選手。昭和8(1933)年全日本フィギュアスケートジュニア選手権で女子の初代チャンピオンとなった選手。2020-03-06
109氷上ファミリークリスマス風景氷上ファミリークリスマス風景渡辺絵美(昭和40~50年代に8回全日本チャンピオンになった。)さんが下駄スケートをはいて滑っている。第5回氷上ファミリークリスマスと後ろの垂れ幕に書いてある。2020-03-06
110スケートスケートスケートをする男性、皮のスケート靴を履いて滑っている。2020-03-06
111スケートスケート大勢の子ども達がスケートを楽しんでいる。秋宮リンク。2020-03-06
112スケートスケート秋宮リンク、桑畑や万国旗が見える。2020-03-06
113諏訪市内蓼の海スケート場諏訪市内蓼の海スケート場諏訪市内蓼の海スケート場。2020-03-06
114諏訪市内蓼の海スケート場諏訪市内蓼の海スケート場アイスホッケーをしている、後ろはギャラリーか?その奥でもスケートを滑っている。2020-03-06
115スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ男性。後ろは岩波製糸場。2020-03-06
116スケートスケート和装と洋装の男性が革のスケート靴、和装の男性は下駄スケートを履いている。2020-03-06
117スケートスケートスケートを楽しむ男性。2020-03-06
118スケートスケート諏訪湖でスケートを楽しむ男性。後ろに手持ち帆が見える。2020-03-06
119スケートスケート秋宮リンク。後ろに桑畑が見える。2020-03-06
120スケートスケートスケートを楽しむ男性。2020-03-06
121スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ。後方の建物は岩波製糸場。2020-03-06
122スケートスケートスケートを楽しむ男性たち。2020-03-06
123スケートスケート皆革のスケート靴をはいている。2020-03-06
124スケートスケート秋宮の裏手には一面桑畑が広がっている。氷上には椅子のようなものにつかまって滑る人の姿が見える。2020-03-06
125スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ子ども。靴スケートがいかにもほこらしげ。2020-03-06
126氷上セーリング氷上セーリング氷上セーリング(手持ち帆)。 革のスケート靴を履いている。2021-03-27
127スケートスケート諏訪湖でスケートを楽しむ男性。2020-03-06
128スケートスケート革のスケート靴をはいて滑る男性。2021-03-27
129スケートスケート№4400の男性たち、秋宮の森をバックに記念撮影、パイプをくわえている男性もいる。2020-03-06
130スケートスケート着物姿でスケートを滑る男性、革のスケート靴を履いている。2020-03-06
131スケートスケート洋装の男性たちが革のスケート靴で滑っている。中にはたばこをくわえている男性もいる。秋宮リンク。2020-03-06
132スケートスケート革のスケート靴を履いて秋宮リンクでスケートをする男性、万国旗も見える。2020-03-06
133スケートスケート革のスケート靴にマントを羽織った日本髷を結った女性。秋宮リンク。後の建物は岩波製糸場の事務所。2020-03-06
134スケートスケート秋宮リンクでスケートを楽しむ氷上の女性たち、一人は革のスケート靴ともう一人は下駄スケートを履いている。日本髪や着物姿が時代を感じさせるが、当時としては先端を走る女性か?2020-03-06
135スケートスケート下駄スケート・着物姿の人見える。下駄スケートは明治39年(1906)年頃初めて考案された。2020-03-06
136スケートスケート秋宮リンク。スケートを楽しむ男性と女性。立派な靴スケートや服装から衆目を集めたに違いない。2020-03-06
137スケートスケート秋宮リンク、後の山は小湯の上の桑畑。2020-03-06
138スケートスケート秋宮リンク、万国旗の飾り見える。2020-03-06
139スケートスケート秋宮スケートリンク。男性が革のスケート靴を履いて滑っている。2020-03-06
140スケートスケート秋宮スケートリンク。万国旗と桑畑の広がる様子が見える。2020-03-06
141下諏訪球場下諏訪球場町営球場。バックネット後方に諏訪ガスのガスタンク(現在は無い)が見える。2020-03-06
142下諏訪町営総合運動場下諏訪町営総合運動場町営球場。下諏訪町は昭和24(1949)年、旧鐘紡敷地(中央車両株式会社所有)を買収し、公園並びに総合運動場敷地として計画。野球場は同年8月竣工した。ちなみに陸上競技場は昭和35(1960)年に完成している。2020-03-06
143野球チーム記念写真野球チーム記念写真野球チームの記念写真。写真に「早大招待野球、大正14.8.21」と書かれている。前列2列目には「WASEDA」の文字が並ぶ。大正14(1925)年4月に富部西豊の岩波春海氏(早稲田出身)の労によって早稲田を招いて親善試合を行った。結果は14対2、大学レベルの強さをまざまざと見せつけられ大差で敗れた。2020-03-06
144学校プール合宿風景学校プール合宿風景完成と同時に合宿に来た選手たちと黒田町長はじめ町関係者。 福島滋雄選手と思われる。福島滋雄は身長181cmの長身のスイマーで、200M背泳ぎで2分16秒1の世界記録を樹立したり、日本選手権で1962年から1968年まで7年連続優勝したりしている。2020-03-06
145学校プール学校プール浄化用タンク施設。2020-03-06
146学校プール学校プール更衣室・トイレ棟、手前は低学年用プール。2020-03-06
147学校プール学校プール更衣室・トイレ棟、手前は低学年用プール。2020-03-06
148学校プール学校プール下諏訪南小学校プール、更衣室・トイレ棟。2020-03-06
149学校プール学校プール下諏訪南小学校プール、シャワー施設。2020-03-06
150学校プール学校プール下諏訪小学校の学校プールが建設され昭和39(1964)年開場となった。手前は低学年用プール。2020-03-06
151学校プール学校プール下諏訪小学校の学校プールが建設され昭和39(1964)年開場となった。プール北側を望む写真。2020-03-06
152学校プール学校プール学校プールが建設され昭和39(1964)年開場となった。 プール北側を望む。2020-03-06
153学校プール学校プール学校プールが建設され昭和38(1963)年開場となった。 小プールの完成は翌年昭和39(1964)年である。 南側は諏訪湖まで見渡す限り田んぼであった。2020-03-06
154旧高浜プール旧高浜プール埋め立てられた高浜湾から高浜プールを望む。2020-03-06
155旧高浜プール旧高浜プール各区対抗で行われた町民水泳大会。2020-03-06
156旧高浜プール旧高浜プール各区対抗で行われた町民水泳大会。50mプールはここしかなかった。コースロープにはコルクが使われていた。戦後の第1回町民水泳競技大会は昭和21(1946)年8月11日となっている。2020-03-06
157高浜プール開場式高浜プール開場式昭和5(1930)年に林嘉平氏(高浜温泉旅館)により完成した高浜プールは50m・4レーンであった。あわせて子ども用コースも付設されていた。その後、昭和22(1947)年に設備一切を町が県水指下諏訪支所から期間中受けて運営していた(7・8月の2ヶ月間)。 写真は、開場式の写真で、戦前と思われる。2020-03-06
158町営プール町営プール昭和54(1979)年に完成した赤砂崎の町営プール。 プールの背後には砥川が流れ、河口には鯉養殖の網いけすが置かれている。現在は多目的グラウンド・防災ヘリポート等になっている。2020-03-06
159町民体操祭町民体操祭町民体操祭の模様。2020-03-06
160町民体操祭町民体操祭町民体操祭の模様。2020-03-06
161町民体操祭町民体操祭町民体操祭の模様。「町民体操祭」は昭和33(1958)~平成2(1990)年の間行われた。2020-03-06
162町民体操祭町民体操祭町民体操祭で模範演技をする諏訪二葉高校体操部、同体操部は県下でも上位高であった。 「社会教育しもすわ」の記事の中で昭和33(1958)年「五千町民の躍動。 日本体操祭下諏訪大会は、5000人の競技者・演技者と3000人の観衆を集め、午前9時から町営球場で盛大に開催、美と力の祭典の歴史が始まった。」と書かれている。2020-03-06
163町民体操祭町民体操祭町民体操祭で模範演技をする諏訪二葉高校体操部、同体操部は県下でも上位高であった。 「社会教育しもすわ」の記事の中で昭和33(1958)年「五千町民の躍動。 日本体操祭下諏訪大会は、5000人の競技者・演技者と3000人の観衆を集め、午前9時から町営球場で盛大に開催、美と力の祭典の歴史が始まった。」と書かれている。2020-03-06
164町民体操祭町民体操祭町民体操祭で模範演技をする諏訪二葉高校体操部、同体操部は県下でも上位高であった。 「社会教育しもすわ」の記事の中で昭和33(1958)年「五千町民の躍動。日本体操祭下諏訪大会は、5000人の競技者・演技者と3000人の観衆を集め、午前9時から町営球場で盛大に開催、美と力の祭典の歴史が始まった。」と書かれている。2020-03-06
165テニスコートテニスコート総合運動場内のテニスコート。2020-03-06
166陸上競技場陸上競技場昭和36(1961)年完成の陸上競技場開きの看板(11月5日に式)、背後に関係者の姿が見える。2020-03-06
167陸上競技場陸上競技場陸上競技場は昭和36(1961)年11月に野球場南側に隣接してつくられたもので完成前の陸上競技場、まだアンツーカーなどの整備はされていない。2020-03-06
168総合運動場総合運動場ガスタンクの上から撮影した総合運動場全景。 球場では大会が開催されていて、多くの観客が観戦している。 当時庭球コートは6面、バレーボールコートは3面がとれたという。 陸上競技場はまだできていない。 2枚組み写真。 町営総合運動場の完成は昭和24(1949)年8月。 陸上競技場完成は昭和36(1961)年11月5日である。 ちなみにこの敷地は中央車輌株式会社所有地(旧鐘紡敷地)の整理にあたって町が買収したものである。2020-03-06
169町民水泳大会町民水泳大会各区対抗で行われた町民水泳大会の関係者?背後には現国道のガードレールも見える。2020-03-06
170高浜プール高浜プール各区対抗で行われた町民水泳大会の様子で、場所は旧高浜プール(現在の県水産試験場の孵化場付近)。 プールの背景は、左に高浜湾(諏訪湖)、奥には高浜温泉旅館、プールの奥には石置屋根も懐かしい建物が見える。プールの右には富部新道と国道20号が見える。2021-12-15
171御射山スキー場御射山スキー場夜明けの処女雪をふんで。 撮影両角信行氏2020-03-06
172御射山スキー場御射山スキー場御射山ヒュッテがこの頃できた。御射山ヒュッテに向かってすべるスキーヤーたち。撮影両角信行氏2020-03-06
173区対抗大平百曲がりスキー大会区対抗大平百曲がりスキー大会大平百曲がりスキー大会スタート。早い人は10分から13分で滑り降りた。トランシーバーも無くスタート時間を決めて実施された。2020-03-06
174区対抗大平百曲がりスキー大会区対抗大平百曲がりスキー大会スキー大会の前に七島八島のゲレンデでスキー講習会があった。2020-03-06
175区対抗大平百曲がりスキー大会区対抗大平百曲がりスキー大会大平百曲がりスキー大会。 七島八島駐車場から大平までの役員によるコース整備の様子。2020-03-06
176池のくるみ池のくるみスキーのジャンプ台、オリンピックの開催を夢見ていた。スキー板を持った人が見える。2020-03-06
177女子フィギュアスケート選手女子フィギュアスケート選手秋宮リンクに勢ぞろいしたフィギュアスケート選手団。 向かって右から2番目が当時トップ選手の稲田悦子選手。秋宮の脇にスケートリンクが設けられたのは明治40(1907)年(明治42年の資料もある)神社の森かげという地の利もあって結氷期間が長いため人気を集めた。 ここで日本初のフィギュア大会が行われたのが大正」11(1922)年である。2020-03-06
178野球大会優勝記念写真野球大会優勝記念写真東町、野球大会優勝の記念写真2020-03-06
179横綱吉葉山来訪横綱吉葉山来訪大相撲下諏訪場所相撲巡業記念写真。 昭和32(1957)年9月に山王台で行われた諏訪大社相撲巡業。写真は横綱吉葉山{昭和22(1947)年入幕-昭和33(1958)年引退}、当時美声といわれた呼び出しの小鉄、行司式守与之助、民家に泊まった(小林家など)。左側に子ども達が立っているのは秋宮神楽殿前の狛犬の台座と思われるが戦争中供出されたままでまだ再建立されていない 。吉葉山は、十両昇進前に召集され戦地で銃弾2発を浴び終戦後再び土俵に上がった。大関で全勝優勝し「雪の全勝行進」で大人気となる。 しかし、病気や被弾による後遺症などで「悲劇の横綱」と呼ばれた2020-03-06
180諏訪湖一周スケート大会諏訪湖一周スケート大会明治38(1905)年中央線開通とともに在京中の各国大公使が盛んにスケートに来湖するようになった。 第1回諏訪湖一周スケート大会の模様を記録した写真、背後に中央線を走る汽車も見える。 明治41(1908)年2月2日、下諏訪町諏訪湖氷辷会主催、南信日日新聞社後援「諏訪湖一周氷辷大会」が諏訪湖高浜湾氷辷場を基点に花岡・上諏訪の三角コースで行われれた。日本初の「スピード競技大会」で、大成功を収めた。この日は東京方面から団体客が乗り込み、東京大新聞記者が多数乗り込んできて、大変な賑わいであった。2020-03-06
181実業団野球選手行進実業団野球選手行進実業団野球大会が鷹野町野球場で行われた。 そのときの選手団が諏訪大社下社秋宮に参拝し、その後消防団ラッパ隊の先導で球場まで行進した。2020-03-06
182秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク右から桔梗屋の両角氏、ファイトマンの体協事務局の両角氏、女装の城取(写真館)氏、旦那に扮装したプリンスホテルの武居氏。冬の寒さも楽しんでいる諏訪人の様子が現れた一枚である。またスローガンと書かれた紙をよく読むとこのころの世相が読み取れて楽しい。2020-03-06
183カーリング大会表彰式カーリング大会表彰式秋宮スケートリンクで開催されたカーリング大会表彰式。絵葉書にしたものを撮影して引き伸ばした写真。右下には「SHIMOSUWA H・SHIROTORI」の刻印が見える。左下には一銭五厘の切手と諏訪郵便局の印(昭和7年1月21日の日付印も)が見える。2020-03-06
184アイスホッケーの試合アイスホッケーの試合秋宮リンクでアイスホッケーの試合が日本で初めて行われた。出場したのは早稲田大・慶応大・東京帝大(現東大)と地元の松本高等学校の4チームだった。 この写真が撮影されたころは石置き屋根の家屋が見られたり、北側の斜面には畑・桑畑・雪をかぶった稲わらを積み上げた稲積(にお・にょう)が見える。2020-03-06
185秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク山側の高台から撮った秋宮スケートリンクの全景。明治42(1909)年に下諏訪氷辷会と有志が開設した特設リンクで、今日まで観光事業・町民のスケート技術・体育向上に貢献したリンクで、関係者の努力には敬意を払いたい。2020-03-06
186秋宮スケートリンク秋宮スケートリンク諏訪湖の結氷期が1月上旬~2月下旬のため、冬期休暇を利用する東京方面の学生の便を考慮し、明治40年(1907)(別の資料には明治42年の表記)に下諏訪町旅館業者等が秋宮特設リンクを設けた。当時入場料は一冬金一円、一日20銭で夜も電灯を点じて滑走が自由であった。2020-03-06
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