登録リスト(該当:29件)

写真タイトル説明登録日
1シビエ料理シビエ料理地ビールを主に取り扱う飲み屋で鹿肉のレアステーキを出してもらった。ジビエ料理と聞くと、獣臭い印象もあるかもしれないが、丁寧に下処理されておりとても食べやすかった。驚いたのが雄と雌で肉質が異なっていたことだった。最近、上田市内にある道の駅でジビエ料理を提供している所もあるそうだ。上田市中心地は山が近い関係でよく獣が出没しており、このような形で有効活用するのはとても面白いと思った。2024-05-23
2国道143号:青木線の遺構国道143号:青木線の遺構青木線の廃線跡は国道に吸収されたため、駅や電柱などの遺構はほとんどと言っていいほど残っていない。しかしながら、国道の南側には、道路がはみ出したような形状になっている場所がある。これは現在バス停になっている場所であるが、その昔は駅だったという事実がある。現在は千曲バスの宮島停留所、川西小学校前停留所、白銀停留所、花の木停留所などに遺構が明確に残っている。2024-05-16
3青木線:国道となった廃線跡青木線:国道となった廃線跡他の記事でも記したが、青木線は現在の上田原駅から西に直進し、青木村へと至る路線であった。80年以上前の1938年に廃止された路線であるが、地元民からは「電車道」と呼ばれる道がある。それは現在の国道143号、上田市川西地区の主要街道である。 国道143号には昔の宿場町を避けて敷設された歴史がある。それ故に、もともと青木線があった場所に道路を通したと思われがちだが、実際のところは国道143号の路面を使う形で路面電車として運行されていたという経緯があり、現在の国道143号は廃線跡のぶん拡張されただけに過ぎない。2024-05-05
4上田原駅:青木線との分岐点上田原駅:青木線との分岐点上田原駅の別所温泉側には、白い大きな建物がある。現在は「Balue Books」という企業の倉庫となっているが、昔はこの土地に上田原駅と車庫があった。 別所線は別所温泉方面に進むと南に大きくカーブするが、カーブせずに西方向に進む青木線と明確に分岐していったのである。2024-05-06
5城下~三好町:別所線と青木線の分岐点城下~三好町:別所線と青木線の分岐点現在の別所線には、城下駅~三好町駅間の線路の横に空き地がある。これは昔、この区間にもう一本の線路があった時代の名残であり、その線路は今の青木村へ至る「青木線」という路線の廃線跡である。2024-05-06
6寺下駅のライトアップ2024-05-16
7道の駅の自販機道の駅の自販機国道18号のバイパス沿いの道の駅に行ってみました。 広いので犬の散歩やウォーキングに利用している人が多かったです。たまに川の向かい側から高校の部活動をしている音が聞こえました。2024-05-10
8天神商店街の路地裏天神商店街の路地裏上田駅のロータリーから入った天神商店街の路地裏です。 時代を感じさせる店並びと明るく人がよく通る天神商店街の路地裏は暗く静かで落ち着いた雰囲気があります。2024-05-10
9美ケ原高原道の駅美ケ原高原道の駅ツーリングの聖地。らしい。 ここへはビーナスラインを経由して 何度もドライブで訪れているが、 来る度に違う様相を見せてくれる。 今回はご覧の通り、 この時期ならでは(?)のとんでもない霧の濃さで ヒーヒー言いながらたどり着いた。 車山高原等と同じく、 道の駅では長門牧場のソフトクリームが売っており 久々にいただいた。 またすぐにでも行きたい。2024-05-10
10WEST EXPRESS 銀河WEST EXPRESS 銀河大阪駅で撮った写真です。WEST EXPRESS 銀河は2020年からJR西日本が運行する臨時特別急行列車です。2024-05-10
11箕面ラッピングトレイン箕面ラッピングトレインこの写真は直通先のOsaka Metro御堂筋線本町駅で撮りました。この車両は北大阪急行電鉄南北線、Osaka Metro御堂筋線で走っています。今年、箕面市まで北大阪急行電鉄南北線が延伸されました。それを記念してラッピングされています。2024-05-10
12阪神甲子園球場100周年記念ラッピングトレイン阪神甲子園球場100周年記念ラッピングトレインこの写真は阪神電気鉄道西宮駅で撮りました。この車両は阪神本線、阪神神戸高速線、山陽電鉄本線で走っています。阪神甲子園球場は今年8月で100周年!阪神甲子園球場100周年記念事業の一つとしてラッピング車両が走っています。2024-05-10
13大阪・関西万博ラッピング列車大阪・関西万博ラッピング列車阪急電鉄大阪梅田駅で撮ったものです。この車両は阪急神戸本線、阪急神戸高速線、そして朝ラッシュ時の阪急今津線で走っています。2025年の万博の機運醸成のためにラッピングされています。大阪・関西万博ラッピング列車はJR東海、JR西日本、Osaka Metro、近鉄、京阪、阪急、阪神、大阪モノレール、能勢電、神鉄で走っています。2024-05-10
14北斗の拳マンホール北斗の拳マンホール北斗の拳の原作者の武論尊の出身地なため、佐久平駅周辺には主人公のケンシロウを含めた7種類のキャラクターのマンホールが北斗七星の形に配置されています。2024-05-10
15牧水の滝牧水の滝羊山公園から西武秩父駅方面に下ると滝と池があった。これは牧水の滝といい、自然公園等施設設備事業として作られた人工の滝である。秩父に所縁のある歌人若山牧水の歌碑が近くにあり、それにちなんで牧水の滝という名前が付けられたという。2024-05-10
16鯉の銅像鯉の銅像佐久平駅に設置されている鯉の銅像です。 佐久市は鯉が有名で、食べもするためスーパーでよく売られていたりします。2024-05-10
17旧北國街道柳町旧北國街道柳町上田駅付近にあり、今も昔の上田城の城下町としての街並みが残されている。2024-05-10
18埋もれていた石碑埋もれていた石碑枯れた植物によって埋もれていた長という文字が刻まれた小さな石碑。 大学前駅の近くにあった。 何を意味する石碑なんでしょう。2024-05-10
19神畑駅付近の水門神畑駅付近の水門水門です。上田市には至る所に水門がありますが、一体いつ誰が回しているのでしょうか…?2024-05-10
20三好町駅付近の田んぼ三好町駅付近の田んぼ三好町駅付近の田んぼです。塀のすぐ横が田んぼになっているのが面白くて写真を撮りました。ここの周辺では所狭しと田んぼが置かれており、土地を余すことなく活用しようというハングリー精神を感じます。2024-05-10
21上田の公共交通上田の公共交通下之郷駅にある旧西丸子線の下之郷駅です。昭和38年に廃線になってしまい現在は線路も駅舎もほとんど残っていません。現在も残っていたらどうなっていたのか気になります。2024-05-09
22おしゃれな橋おしゃれな橋大学前駅の近くにあった橋です。周辺にも橋はありますが何故ここだけが赤か独特な見た目をしているのか気になりました。ちなみに名前はかまくらはしです。いつかこの橋について調べてみたいと思いました。2024-05-09
23上田紬の看板上田紬の看板上田市の伝統工芸である「上田紬」を取り扱うお店の看板です。上田駅周辺より遠くにはあまり行く機会がなかったので、数は減ってきているものの実際に上田紬が上田の中で生きていることを実感できました。2024-05-09
24下之郷駅:丸子への起点下之郷駅:丸子への起点下之郷駅の南側、別所温泉方面の線路は西に大きく曲がっている。これはその昔、直進方向に別の路線が伸びていたことの名残である。 下之郷駅を南にまっすぐ出て行き、東に進路を変え、旧丸子町の西丸子駅に至る路線があった。60年以上前に廃止された路線であるが、廃線跡は道路となり、おおむね線路通りに西丸子駅まで行くことができる。2024-05-09
25墨坂神社墨坂神社須坂駅から少し歩いたところにあるのは墨坂神社である。 左右に狛犬の石像が置かれており、片方は子供を抱え、もう片方はボールを持っている。 この神社の参道はほかの神社と比べて珍しく、1度道路を挟んでいる。 道路を挟んで鳥居が2つ配置されており、メインの大きな鳥居は道路を挟む前の建物に挟まれた細い裏道のようなところにある。 毎年夏に行われる須坂カッタカタ祭りの時には、神社の手前に屋台が沢山並んだり、神社の奥の方は休憩場所としても使われている。2024-05-09
26須坂駅周辺の街頭須坂駅周辺の街頭駅付近の街頭には、龍がデザインされたものがあった。須坂には臥竜公園もあり、竜をモチーフにしたものも少なくない。臥竜公園には臥竜山と呼ばれる山がある。 この山は、山の形が竜が臥したように見えたからであると言われている。 それにちなんで、臥竜公園のある須坂市では竜のモチーフが多く見られる。 この辺りで毎年夏に行われる須坂カッタカタ祭りでは、龍の神輿が担がれるなど、須坂市では龍を目にする機会が多いと感じた。2024-05-09
27須坂駅の物販須坂駅の物販須坂駅には、地元の農家さんが育てた野菜やハンドメイド作品などが売られている。 他にも、この日は売り切れていたが、地元の工場である信濃食産のパンなども販売されており、地元の商品を中心に様々な物を購入することが出来る。 須坂駅はあまり大きな駅では無いが、特急列車も止まる駅となっており、このように須坂市をPRできる商品が沢山並べられている。 観光に来た人だけでなく、地元の人も仕事終わりや学校終わりに駅でふらっと買い物ができで良いと思った。 また、野菜や果物の地産地消にも貢献していると感じた。2024-05-09
28蔵の町須坂市蔵の町須坂市須坂駅から少し上に歩いていくと、このような蔵の街並みが広がっている。写真は無いが、クラフトフェアなども行われており、通りに出店などもあった。伝統的な蔵の街を歩いて探索し、雰囲気を味わうことの出来る通りだった。 また、須坂市は蔵の街とも呼ばれている。それは須坂市が明治から昭和初期にかけて製糸業で栄えていたためである。当時、蔵という建物は繁栄の証でもあり、今で言う豪華な住まいだったのである。 このような蔵は製糸業で栄えた人たちが建て、今でも展示館などとして利用されているものもある。2024-05-09
29須坂小唄須坂小唄須坂駅周辺にはこのような石柱があった。 作詞:野口雨情、作曲:中山晋平の信濃の民謡「須坂小唄」の歌詞が書かれている。 1箇所ではなく、様々な交差点付近に設置されており、場所によって異なる歌詞が書かれている。 須坂小唄は、当初工場歌として考えられたものであった。 当時工場で働く女工たちが品のない歌を口ずさんでいたため、それをやめさせるために工場歌を作ることになったという。 しかしその後、工場歌としてではなく須坂の民謡として東京の帝国ホテルで発表され、女工たちにも瞬く間に広まったのである。2024-05-09
地図で見る


ログイン トップページへ